NO.22

2006年11月18日(土)〜22日(水)まで5日間




サフラン色は勇気と慈悲深さと自己犠牲、緑は公正と豊作、白は平和と純粋・真実を表している。中央のお花のような丸い模様は法輪でチャクラといって古代文明を象徴している。

首都 ニューデリー
面積 329万平方km(日本の約9倍)
人口 10億8026万人 
政体 政治は連邦共和制、議会は二院制で元首は大統領
宗教 ヒンズー教徒82%、イスラム教徒12%、キリスト教徒2.3%他
通貨 ルピー(1ルピー約3円)

インドは日本の9倍の国土に人口10億8,000万人、今世紀中には中国を抜いて世界一の人口になると・・・そうい言えば中国は一人っ子政策が続いているんですね。
初めて訪れるインドはまずは入門編から。
5つの世界遺産を見ながら、ゴールデントライアングルといわれるれる主要3都市(デリー・アグラ・ジャイプール)を巡る5日間の旅を選びました。
経済成長が続き、今や世界をリードするIT先進国のインドはどんなところ……
そしてシャージャハン帝が愛した妃ムムターズのために造った世界で最も美しい霊廟と言われている白亜のタージマハールを見たい……
エア・インディア午後12:50分関西国際空港発、香港経由でデリーへ。日本との時差は3時間30分遅れで、インディラ・ガーンディ国際空港到着は夜も更けて21時。現地ガイドのママニアさんからマリーゴールドのレイをかけてもらって、初めてのインドの旅の始まりです。



旅の初日はニューデリーに一泊し、翌日は5時起床。ホテルのテレビをつけると見慣れたNHKの放送をしている。朝食後7時半、まずはジャイプールに向けて出発。
デリーから南西へ260q。広い道は高速道路といっても舗装が十分でないのか、よく揺れクラクションを鳴らし抜きつ抜かれつまるでラリーのようだ。
今回のツアーは私達5人と現地ガイド、ドライバー、アシスタントの計8人である。はじめてのインドは想像以上に驚きの連続であった。

ツアーに用いられたミニバス




11月19日(日) 2日目

ニューデリーを出発して5時間半、ラージャスターン州の州都ジャイプールに到着する。ジャイプールはタール砂漠の入り口にある乾燥地帯である。旧市街の街路は碁盤の目状に設計され、赤みがかった土の色に統一された街並みや宮殿・お城が昔のままの姿を見せている。アンベール城・シティパレス・風の宮殿を見学する。


ジャイプールから北東へ11km、アンベール城は16世紀に築城された丘の上に建つ巨大な城。お城に行く坂道は狭く、朝なら名物の象に乗って行くそうだが、私達の到着は午後でツアーのバスからジープに乗り換えて登って行く。宮廷や庭園が何段にもなって丘の上に作られ、お城の右手には10世紀からの古い町が見える。

バス停から見たアンベール城の外観
一般謁見の間:ティワーネアーム

美しい幾何学模様の庭園
内装が見事な勝利の間


車窓からみえた町の風景
牛、ヤギ、ラクダ、象、サル、犬、豚、イノシシなどがいた


ジャイプールの中心に建つ現在もマハラジャが暮らすシティパレス。大きな旗が揚がっているとマハラジャがいる印。1726年に造られた建物はディーワーネ・カースと呼ばれる貴賓謁見の間や美しい壁の装飾、ギネスブックに登録されている世界で一番大きな一枚の銀で出来ている銀の壷、博物館などを見学。屋根の上に目を移すとサルが遊んでいる。

ディーワーネ・カースを囲む壁
7階建てのマハラジャの住居

世界一大きな銀の壷が二つある
入り口にいる門兵達


ジャイプールのシンボル、優雅な風の宮殿。宮廷の女性達が顔を見られずに街を見下ろしていたといわれ、正面には繊細な彫刻を施したテラスがびっしりと並ぶ。赤みがかった土の色の建物は華やかな美しさである。

ジャイプールのシンボル:風の宮殿
風の宮殿付近のジャイプールの街




11月20日(月) 3日目

午前8時ジャイプールを出発、アグラへ向かう。230qを約5時間かけての移動。
今回の旅は午前中はひたすら車に揺られての移動となり、午後が観光である。トラックなどの後ろには「PHON OK PLEASE」と大書してあり、昨日同様フルスピードでクラクションを鳴らしながら抜きつ抜かれつの馴れた運転…。車が悪いのか道路が悪いのか……昨日よりまだよくゆれる。車に強い私でも乗っているだけでも体力が必要と感じる。広くてまっすぐの高速道路だがもう一車線広げるための工事が延々と続いている。土地は十分ある……10年後が楽しみだ。

バスで移動中は車窓見学となる。高速道路に乗用車が少なく、トラック、バス、リクシャー、男性が3人も乗ったバイク(なぜか女性の姿は見ない)、自転車、荷物をつんだラクダ、象などが通っている。畑ではあわ、ひえ、菜種、小麦、トウモロコシ、大根などが作られるそうだ。延々とまっすぐに伸びる道路には人々が途切れることはなく歩いていたり、たむろしていたり(人口の多さを実感)。途中バス停がある町の中心に来ると市場があり、大勢の人だかりで賑やかだ。信号はなく車の前を堂々と横切る人が多い。インドは80%がヒンドゥー教で牛は食べないので牛乳をとったり農業に従事しているそうだが、野良牛というのかゴミの山をあさっている痩せた牛がいる。
海外旅行も30数回を数え、いろいろな国を訪れ自分の目で見てきたが想像以上に貧富の差の激しい国の印象が強い。宿泊したホテルはとてもきれいでデラックス、食べ物も美味しいし種類も豊富なのに、車窓から見る風景は……まだよく判らないが、インドは両極端。


車窓からみえた町の風景


世界遺産
世界遺産・ファティプールシクリはアグラの南西にあるアクバル帝の城跡。アグラに飽きた皇帝アクバルは1571年首都をこの地に移転させ、広大な土地にインド古来の建築様式や技法を用いて宮廷やモスクが建設された。30度はあるがカラッとした空気と青い空に、赤砂岩の建物が美しく映える。水不足でわずか14年の首都であったが、今なお当時の美しい姿のままに佇んでいる。ファティプールシクりは「勝利の都」という意味である。

一般謁見の間:ディワーネアーム
パンチ・マハル(五層閣)

貴賓謁見の間(ディワーネ・カース)の巨大な柱
きれいなサリーを着た人々

イスラム教の学校
トルコ人の奥様のための建物


世界遺産
美しい赤砂岩で築かれた城壁が有名なアグラ城は1565年アクバル大帝により建てられた。ヤムナー河岸にそびえる雄大な姿は権力の象徴である。シャージャーハン帝が帝位を狙う息子(三男)によりアグラ城に幽閉され、囚われの塔から愛する亡き妃のために建てたタージ・マハールを毎日眺めていたと言う涙の話にジ〜〜ンとする。

赤砂岩が鮮やかなアマル・スイン門(出入口)
ジャハーン・ギール宮殿

ヤムナー河を挟んで建つタージ・マハール
幽閉されていた囚われの塔

ザハンギルハウス
美しい庭園


世界遺産

(記念撮影をして買った写真です)

インド悠久の大地、ヤムナー河畔にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡き妻ムムタージ・マハルのために建てた大きな白大理石の建物。22年の歳月と莫大な建設費用を使い、1653年に完成した墓廟である。
横250m、奥行き350mの敷地には天上の楽園を模したという庭園、その庭を望む廟は58m四方に高さ67m、4隅のミナレットの高さは43mある。この4本のミナレットは墓廟に倒れないよう外に5〜6度傾けて建設されている。
これほど偉大でありながらも威圧感を持たず天空にそびえ立ち、白一色の端正な色使いに完璧な左右対称の調和、一点の曇りのない均衡の取れたシルエット、世界で最も美しい墓廟タージ・マハール。
象嵌細工により人物や動物、文字などで飾られ、その中でも最も目につくのは無数の花々の装飾。自分の妻のためにこれほどきれいな墓を作った人はこの世にはいないでしょうね。
帝位を狙う息子によりアグラ城に幽閉され、囚われの塔から毎日眺めていたと言う涙の話。内部の撮影は出来ませんでしたが、死後はタージ・マハル内の妃の墓の横に葬られ、大理石の2つの棺が並んでいる。
正門を入って最初に見たタージマハールは、今まで見た中で、最高にきれいな建造物で、あっと息を飲むほどの美しさでした。周囲5qガソリン車は入れない。


入り口では入念な荷物と身体の検査がある
正門

正門を入ると向こうに見える
少しづつ近づいて…

インドの人たちが大勢来ている
夕方近くになって

動物や文字、花などの美しい装飾
タージ・マハールから入口の方を見ると

タージ・マハールのサンセット
もうお別れで振り返って見る




11月21日(火) 4日目

インドの気候は4〜6月が夏で、特に5、6月は気温が40度以上にもなるそう。6〜9月までが雨季となり、11月から乾季なので、ベストシーズンは11月〜2月頃。
インド4日目はアグラから首都デリーへ200q、4時間半の移動。気温は28度、晴天でカラッとさわやかな気候で暑くない。
アグラからデリーへは首都に近づくにつれ道路の舗装が良くなったのか、同じドライバーさんのフルスピード運転でも揺れが少なくなる。
車窓から見る風景も今までと変ってきた。夜間のみで昼間はトラックは入れないそうで通っていないし、バイクやバス、自転車、オートリクシャーや今までなかった乗用車が増え日本のスズキの車が一番多く、道路は大変な混みようだ。バイクやバス、自転車その中を縫うようにスイスイと横切る人々にハラハラする。交差点に信号は少なくおまわりさんの手信号で事故がないのが不思議。クラクションの飛び交う中、運転する人も横切る人も馴れたものだ。
ニューデリーは大きな木や公園の緑が多く整然とした街並みに官庁や高級ホテルが並び、イギリスにいるような錯覚を覚える。それもそのはず、かってイギリスに支配されたニューデリーはイギリス人の設計によって進められたものだ。

デリーは大きく3つに分けられる。インドの首都としてのニューデリー市と城壁に囲まれたオールドデリー市、そして周辺の村々。オールドデリー市は小さなバザールや人混み、人々の熱気があふれる喧騒があり、それぞれ違った顔を持っている。


世界遺産
世界遺産・フマユーン廟はムガル朝第2代皇帝フマユーンの廟。赤砂岩に白い大理石を合わせて模様を作ったムガール様式の美しさ。丸いドームを中央に左右対称の建築は、後ににタージ・マハールが似して作ったそうだ。タージ・マハールはシャー・ジャハーンと妃2人のみの墓だが、フマユーン廟は妃のほか親戚など100人くらいの墓になっている。

フマユーン廟全景
赤砂岩にはめ込んだ白大理石

庭園が美しい
振り返って入り口のアーチを通して見る


インド独立の父マハトマ・ガンジーは1948年1月30日極右青年により暗殺されました。ラージ・ガートは死の翌日、ヒンドゥーの作法に従って火葬に付された場所である。遺灰は独立をといて歩いて回ったように各地の河に流された。だからここには遺体や遺骨は納められておらず、火葬の場所に黒い大理石が置かれ、ガンジーの最後の言葉「ヘイ・ラーム He Ram (おお、神よ!!)」が刻まれている。石の両側にある募金箱に集まったものは、ガンジーが生涯その解放を訴えた、カースト制の最底辺で差別されてきた人たちの為に使われている。きれいな公園に整備され、靴を脱いでそばまで行って参拝している人々が大勢いた。

入り口の門
マハトマ・ガンジーの公園墓地

インドの紙幣ルピーにはマハトマ・ガンジーの顔が印刷されている。
10ルピー紙幣:約30円


第1次世界大戦で戦死したインド兵のために建てられたインド門は高さ42mもあり、壁面には1万3500人もの戦没者名が刻まれている。この門の西前方には大統領官邸が見える。その付近には広く大きく緑豊かな公園や大邸宅が多い。

高さ42m 1931年に建てられたインド兵の慰霊碑


街を走っているオートリクシャー
小型のオート三輪に二人掛けの座席、幌付き



世界遺産
ヒンドゥー教徒に対する勝利の塔クトゥブ・ミナールは基部14.5m、高さ72.5mの5階建てのイスラム文化の遺跡である。3階までが赤砂岩、そこから上は大理石と砂岩で築かれコーランの文句を図案化した幾何学的な模様が刻まれている。そばに立って見上げると、塔の先端が天空に吸い込まれるような美しさだった。

イスラム文化の遺跡
3階まで赤砂岩、4、5階は大理石
美しい幾何学的な模様





カレー大好きな私。インドの旅は美味しい本場のカレーが食べられると楽しみにしていた。我が家のカレーは市販のルー(絶対ヱスビーゴールデンカレーの辛口)にカレー用の牛肉、人参、玉ねぎ、大きく切ったジャガイモを入れたもの。夏には畑のナスやピーマン、キャベツなども入れていつも美味しい美味しいと満足していた。インドのカレーは全く違いとてもまろやかでバラエティ豊か、今までの我が家のカレーが一辺倒で単純、発想の乏しさに思わず笑ってしまった。
インドのカレーは種類が豊富、それぞれスパイスが複雑に交じり合い、材料との調和は見事なものだ。ほうれん草とマッシュルームのグリーン・カレー、オクラのカレー、トマト・チキンカレー、ミックスベジタブルのカレーなど多種多彩でまろやかな味はとにかく美味しい。焼きたてのナンやサフランライスなどのおかずとして付けたりかけたりして食べる。インドはカレーだけでなくスープやタンドリーチキン、シシカバブなど美味しい料理がたくさんある。食事にはペットボトルのミネラルウオーターと食後のインドチャイ(ミルクティー)が必ずついている。

インドでは旅行者は生水は飲まない、ヨーグルトと切ったスイカは食べないように言われた。

インドで有名なターリー料理。ターリーとは一枚のお皿の意味。丸や四角のトレーの上にステンレスの小さなボウルに数種類のカレーやシシカバブ、揚げ物、デザート、サラダ、サフランライスなどがセットになって出てくる。勿論、ナンは焼きたてがタイミングよく出される。
タンドリーチキンとか言われるがタンドリー=焼くという意味、複雑なスパイスがうまく調和してとても美味しい。

ジャマイカスープ
ターリー料理
バイキング

前菜いろいろ
カレーとナンとピラフ
美味しいほうれん草のカレー



旅行後記
インド旅行の経験者何人かに話を聞き、本を読んだりして知識も少し持って旅立ったが驚きの連続だった。やはり自分の目で見るのと聞くのとは大きな違いだ。移動中ツアーのバスから見える風景は、ヒンドゥー社会に残るカースト制度がまだ見られ、表面上はなくなったとされている貧富の差を強く感じる。
訪れた観光地ではサリーをまとった女性に大勢出合った。
こんなに大勢のサリーのファッションを一度に見るのは初めてだが、若い人もお年寄りも同じファッションの人は一人もなく、色、柄、スタイルが違いそれぞれ個性的でとてもきれいだ。
一番見たかったタージ・マハールは大きく立派でとても美しく、インドに来てよかったと胸踊る感動を覚えた。
スピードを出し、車に揺られての移動は何日も続くと少しきつい。今回5人のツアーだったが、多ければもう少し安定感のある大きなバスになっていたかも…
IT先進国を肌で感じてみたかったが、この旅ではIT先進国を垣間見ることは出来なかったのが残念です。
つい先日の日印航空交渉で、経済成長が続くインド便はビジネス需要の拡大が見込まれ現状の3〜4倍に増える見通しになったそうだ。成田は枠拡大が難しいようで関空、中部の両空港への発着になりそうだが、ますます日本とインドとの距離が近くなる。
インドは日本の9倍もある広い国土、次回は1回目の経験を生かし違った面もゆっくり見ることが出来ることでしょう。インドはやはりはまりそうな、行ってよかった、いい旅だったねと話し合っている。

(update:2006/12/17)
旅の撮影:CASIO EXCILIM-Z40 デジタルカメラ



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