★旅の思い出を写真でご案内します★

bQ7

2008年10月20日(月)〜27日(月) 8日間






久しぶりのヨーロッパは大関・琴欧州の故郷「ブルガリア」と、モントリオールオリンピックで活躍した女子体操選手・コマネチの出身地や、吸血鬼ドラキュラ伝説で知られている「ルーマニア」の東欧2カ国周遊の旅です。ブルガリアでは世界遺産・リラの僧院、毎日食べているヨーグルトの本場の味を楽しみに、ルーマニアでは革命を乗り越えて新時代へと躍進する首都・ブカレスト、そしてそれぞれの国の料理を楽しみにしています。
関西国際空港AM10:15ルフトハンザ航空でドイツ・フランクフルトへ12時間、フランクフルトから2時間搭乗でブルガリアの首都ソフィアへ到着です。日本からブルガリアへの直行便はありません。時差はサマータイム実施中で6時間の差。
旅の2日目、早速楽しみにしていたブルガリアの世界遺産「リラの僧院」観光から旅が始まります。人との出会い、文化、歴史、食文化は?ご一緒にブルガリア、ルーマニアの東ヨーロッパ8日間の旅をお楽しみ下さい。
ブルガリアとルーマニアの地図

正式国名 ブルガリア共和国
首都 ソフィア
言語 ブルガリア語
人口 772万人
通貨 レバ 1レバ=80円
面積 北海道の約1.3倍
政体 共和制

正式国名 ルーマニア
首都 ブカレスト
言語 ルーマニア語
人口 2,230万人
通貨 レイ 1レイ=40円
面積 日本の本州とほぼ同じ
政体 共和制



ブルガリアの国旗ブルガリアの国旗

バルカン半島の要地にあるブルガリアは、北にドナウ川を挟んでルーマニアがあり、西にセルビア、マケドニア、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面している。11万1000hkmの小さな国で国土の中央をバルカン山脈が走り、山と平野の変化に富んだ地形をしている。さまざまな歴史の変遷を経て共産主義時代が1989年11月にクーデターで崩壊し、1997年にNATOに加盟、2007年にはルーマニアと一緒にEUに加盟している。日本ではヨーグルトの産地として有名であり、大相撲力士・琴欧州の故郷としてよく知られ、バラオイルの生産は世界一である。


「リラの僧院」はブルガリア最大・最古の世界文化遺産である。首都ソフィアの街から南に120km、高速道路を通り山道を揺られながら着いた所は明るい日差しに紅葉・黄葉が美しく映え、リラの山奥にひっそりと佇んでいる僧院があった。色鮮やかで色彩豊かな門をくぐると360もの房が周りを囲むように建ち、その中に写真や映像で見ていた白と黒の横縞模様が美しいアーチが目に飛び込んできた。青い空に白い雲、澄み切った空気、紅葉した山を背景に感動を覚える世界遺産「リラの僧院」の聖母誕生教会だ。

僧院の歴史は10世紀から始まり、ロアン・リルスキーという1人の僧が隠遁の地として小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていった。14世紀に現在の形になったが、19世紀に大火事でなくなり唯一フレリヨの塔のみ残った。その後再建復旧され綺麗な姿を取り戻している。僧院の中心は聖母誕生教会で外壁や天井いっぱいに描かれた壁画やイコンはブルガリア正教独特の綺麗なものだ。歴史博物館もあり19世紀初頭に制作された有名な「ラファエロの十字架」も展示されている。
  
リラの僧院の門
色鮮やかな門をくぐって中へ
聖母誕生教会
ブルガリア正教のシンボル聖母誕生教会
ぐるっと囲む房
教会を囲む360もある房は4階建て
フレリヨの塔
唯一焼失を免れた14世紀のフレリヨの塔
僧院のフレスコ画
色彩豊かな天井いっぱいのフレスコ画
壁面のイコン
壁面にも綺麗なイコンが


紅葉・黄葉が美しくスカッとした空気でブルガリアは晩秋の気配。リラの僧院を後に一路ソフィアへ。途中、山の麓に建つ世界遺産「ボヤナ教会」へ。一つの教会でありながら11世紀に建設された後、13世紀と19世紀に増築を重ね、3聖堂と3つの部分からできている。保存のため見学には7〜8人づつしか入れない。内部の撮影は出来ないが素晴らしいフレスコ画が描かれ、中でも有名な「最後の晩餐」はイタリア・ルネッサンス紀行で見たレオナルド・ダ・ヴィンチの作品とは又違った素晴らしさだ。
ボヤナ教会の正面
木漏れ日に照らされたボヤナ教会の正面入り口
教会の側面
右のレンガの部分が最初の聖堂

ブルガリア西部にある首都ソフィアは標高550mにある高原都市。周りを見渡すと遠くに山の稜線が見え3方を山に囲まれた盆地である。首都になって100年、民主化から15年あまり。ソフィアはブルガリア最大の都市で産業、教育、文化の中心都市である。
朝夕のラッシュ時には多くの車で渋滞が続いているが、道路はとても綺麗でトラムはソフィアの人たちの重要な足になっている。街に緑が多くバイク・自転車は目に入らない。自転車は運動道具としてあるらしい。
高速道路以外石畳が多く、ブルガリアに来てはじめて知った。乗り物はよく揺れ、歩く時は転ばないようにと少し下も見ながらの観光である。

珍しい半地下式教会
聖ペトカ地下教会は半地下式の教会
旧共産党本部
旧共産党本部の立派な建物

  
厳粛に衛兵交替式
タイミングよく首相官邸の衛兵交替式に出会う
聖ゲオルギ教会
ビルに囲まれた聖ゲオルギ教会(4世紀建立)

  
国立美術館""
かっては王宮だった美しい国立美術館
石畳の道路
市内はほとんど石畳でイタリアのよう

  
アレクサンダル・ネフスキー寺院
アレクサンダル・ネフスキー寺院の正面
豪華な外装
寺院の豪華な外装と金色のドーム
  
アレキサンダル・ネフスキー寺院は5000人収容出来るバルカン半島最大の寺院である。きらびやかな金色とトルコブルーの綺麗なドームの外装がロシアで見た寺院とよく似ている。ここは露土戦争(ロシア・トルコ戦争)によって戦死した20万人のロシア兵士を慰霊するために1882年に建立されたものらしい。内部に入るととても広く、巨大なシャンデリアや瑪瑙、大理石をふんだんに使ったモザイクの壁画が豪華で、光を通したステンドグラスが美しい。

ソフィアから南東へ125km、プロヴディフは人口35万人のブルガリア第2の都市である。街は旧市街と新市街の二つに分かれている。丘が多く、旧市街にはローマ円形劇場や競技場跡地、前にせり出した珍しい3階建ての住居やレンガ造りのジュマヤモスク、3層の鐘楼が目印の聖処女教会などがある。
ジュマヤ広場をはさんで新市街にはモダンなショッピング街があり、新旧二つの街が同居する綺麗な街プロヴディフである。
  
旧市街入り口
旧市街の入り口
丘の上から
丘の上から見た旧市街

  
ローマの円形劇場
今も使われているローマの円形劇場跡
ローマの競技場跡
地下に残るローマの競技場跡

ジュマヤ広場
露店が集まっている旧市街のジュマヤ広場
綺麗な新市街
歩行者天国になって綺麗で楽しい新市街の通り

プロヴディフから一路「カザンラク」へ。ラベンダー畑や放牧などを見ながら「バラの谷」へ向かう。ブルガリアの中心に位置するカザンラクは、「バラの谷」で一番大きな町であり、バラの生産で有名だ。香水などに使われるバラの香料はブルガリア産のものが世界市場の8割を占めている。残念ながらこの季節にはバラの花は見られないが、観賞用のバラに比べると小さく春になるとあたり一面バラ園となり、5月末から6月が収穫期。6月にはバラ祭りが催され、日本からも多くの観光客が訪れるようだ。オイル、香水、ポプリ、石鹸、ジャム、ティー、などバラにちなんだ品が多い。中でもバラのオイルは大変貴重で「ブルガリアの黄金」といわれている高価なものだ。1ミリリットルの単位で売られている。バラ博物館ではバラの香油の製造過程などが見られる。
人形
〜旅の思い出に〜
バラの花でかざった可愛い民族衣装の人形
スカートの下にバラの香水のビンが入っています
     
バラ博物館
見学したバラ博物館の建物
看板
バラ博物館にある看板

  
カザンラクにある世界遺産「トラキア人の墓」は、1944年防空壕を掘っていて偶然見つけられた。紀元前3世紀に描かれたとされるフレスコ画はトラキア美術で最高傑作といわれている。外気に触れると破損するので、すぐ隣の場所にレプリカが作られ展示されている。
  
トラキア人の墓
世界遺産「トラキア人の墓」
レプリカ
すぐ隣に作られたレプリカの壁画の一部

ブルガリアの最後は、遠い異国日本で活躍している大相撲力士・大関琴欧州の故郷、ヴェリコ・タルノヴォです。国土の東西に横たわるブルガリア最大のバルカン山脈の東部に位置し、人口7万人あまりの地方都市で、以前は第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都である。一番に訪れたツァレヴェッツの丘は朝もやにけむり、石畳の坂道の向こうには大主教区教会がそびえていた。金銀細工、陶器、織物、民芸品、木彫り…などタルノヴォ名産の店が軒を連ねる旧市街の通りは石畳が続いている。1階より2階、2階より3階と上の階が前にせり出している旧市街を代表する建物を見ながら散策する。
  
大主教区教会
旧市街のツァレヴェッツの丘の大主教区教会
旧市街
旧市街の通りは情緒がある


楽しみにしていたヨーグルトとその料理。朝食場所にはたっぷりのプレーンヨーグルト(好みのドライフルーツをいれて)や、いろいろな果物の入ったカップ入りヨーグルトが用意してある。アイリャンという飲むヨーグルト、小さいサイコロに切ったキューリや香草の入った冷たいスープ仕立てのものもある。サラダには上にたっぷりと白いチーズがかかっているし、トマト、ハム、卵、赤ピーマンにチーズの入った壷焼き料理など乳製品を使った料理も多い。
日本の明治ブルガリア・ヨーグルトは本場ブルガリアで育まれた風味、製法を大切にして明治乳業が日本国内で独自に作っているものだと…。
トルコやギリシャに隣接しているので、似た料理もたくさんある。
白チーズのサラダ
ショプスカサラダ
白いチーズのサラダ
シチュー
カヴァルマ
豚と野菜のシチュー
焼ハンバーグ
キヨフテ
焼ハンバーグ
ヨーグルトスープ
タラトール
ヨーグルトの冷製スープ
キューリとトマトのサラダ
きゅうりとトマトのサラダ
冷たくして
つぼ焼き
ギョヴェチェ
壷焼き料理
〜旅の思い出に〜
トロヤン焼
カラフルで複雑な絵柄
400年の歴史を持つブルガリアの伝統的焼き物。
毎日のヨーグルトに…と
トロヤン焼の器



ヴェリコ・タルノヴォを最後にブルガリア観光を追え一路ルーマニアに向かう。ゆったりと流れるドナウ川はブルガリアとルーマニアの境界にある。ドナウ川沿いで一番大きな都市ルセを通り、橋の真ん中にあるルーマニアとの国境を通過。ブルガリア出国は通過のみで、ルーマニア入国審査ははドナウ川を渡ってから。パスポートに判を押してもらってルーマニアに入る。まず昼食場所のレストランでブルガリアのバスとガイドさんとお別れし、ルーマニアのバスとガイドさんにバトンタッチ。レストランのステージでは、楽器演奏や綺麗な衣装を着た民族舞踊で賑やかに盛り上がって、ラテン系の国らしい陽気で明るく楽しいランチタイムとなった。


ルーマニア国旗ルーマニア国旗

ルーマニアはセルビア、ハンガリー、ウクライナ、モルドヴァ、ブルガリアと国境を接し東は黒海に面している。国土は日本の本州とほぼ同じ大きさで、その約4割が深森で、林業が盛んです。人口は2300万人。南部のワラキア平原地方、中部のトランシルヴァニア地方、東部のモルドヴァ地方に黒海に面したドブロジャ地方などそれぞれの地方により住んでいる人の特色があり、北の方はなぜか日本人に似ているそうだ。共産主義時代のチャウシェスクが30年間進めた独裁政治の崩壊から民主化を達成し、NATOに入り、2007年EUにも加盟している。現地在住の日本人男性「おのぎさん」の案内でルーマニアの旅が始まります。


ルーマニアの南東部にある首都ブカレストは人口235万人。街の中は車の量が大変多い。パリの凱旋門とそっくりな第1次世界大戦の勝利を記念して建てられた高さ27mの凱旋門、国民の館から見えるシャンゼリゼ通りと同じような広くて綺麗でまっすぐにのびている統一大通り…など、ここは東欧のプチパリと言われているようだ。通りの両側には大きな建物が続き、緑が多くて綺麗な街という印象である。
民族舞踊
明るく楽しいルーマニアの民族舞踊
凱旋門
第1次世界大戦の戦勝記念の凱旋門

旧共産党本部
革命広場にそびえる旧共産党本部
故チャウシェスク大統領は1965年から約30年間実権を握り共産主義の独裁政治を進め、国民は生活に耐えられなくなっていった。
1989年12月22日、国民の抗議集会から民主革命が起こり、共産党本部は革命側が握る。革命当時旧共産党本部は周囲を大群集が埋め尽くしていた。丁度この建物のテラスで大群衆を前に演説を行っていたチャウシェスク夫妻は屋上からヘリコプターで逃げたところ、逃亡途中に逮捕され25日には処刑された。
19年前の民主革命はテレビ映像を通じて全世界に報じられ、私の記憶の中にも残っている。ガイドのおのぎさんは大学生でそのときの緊迫した状況の中におられ、私達の知らない色々な話を聞かせてもらいました。

国民の館
故チャウシェスクの宮殿、国民の館
統一大通り
国民の館2階のテラスから見る統一大通り
故チャウシェスク大統領が巨額の費用を使って作らせた巨大な宮殿「国民の館」。
1983年から5年かけて建てられ、地上12階地下8階、部屋数は3107、世界中の官庁宮殿などの建物のなかでは、ワシントンD.C.にあるアメリカ国防省ペンタゴンに次ぐ規模だという。内部撮影は禁止だが、日本円にして1500億円という巨額の費用を投じた宮殿内部は純金の装飾、幅18m・長さ150mに及ぶ回廊、総面積2200uの大ホール、宮殿を支える大柱の白・赤・黒・ピンク・ベージュの色をした大理石など贅の限りを尽くし、溜息の連続。国民は飢餓を強いられ「国民の館」とは名ばかりで私欲を満たす為のものだったことがよく判る。
現在は各政党のオフィスがあり、国際会議やコンサートにも使われている。
グループごとに宮殿ガイドと一緒に見学するが、私達は特別に2階のテラスに出ることが許された。目の前には美しく広くて長い「統一大通り」が見えた。チャウシェスクはパリのシャンゼリゼ通りと同じ幅と長さを造ろうとしたらしいが、幅は6m広くなっている。まっすぐに延びた綺麗な統一大通りに映える街路樹、両側に見える建物は今は高級マンション等になっている。


ブカレストから北へバスで2時間、ルーマニア第2の都市ブラショフは中世の町並みを残す美しい古都。海抜500mで山の麓にあり40万人の人々が暮らしている。旧市街のスファトゥルイ広場、旧市役所や時計塔、町のシンボル「黒の教会」などを観光する。木々の黄葉が美しく、ブラショフには冬の足音がすこしづつ近づいてきているよう…
スファトゥルイ広場
旧市街のスファトゥルイ広場
新市街の綺麗な町並み
ホテルの部屋から見える新市街の市役所

ブラショフのシンボル、黒の教会
黒の教会
黒の教会
石造りの立派な教会

黒の教会は一番高いところで65m、町の中心にそびえ立つゴシック教会である。14世紀後半から15世紀前半に建てられたが1689年オーストラリア軍との戦争で街が焼け教会が黒く残った。外壁が黒こげになったことからこの名前が付けられている。中には4000本のパイプと4つの鍵盤を備えたパイプオルガンがあり、丁度演奏中でその温かく荘厳な音色が聞こえてきた。また教会には100枚以上あるかと思われる絨毯が壁際にたくさん飾られた珍しい光景が…。16世紀〜18世紀皇族がトルコなどから無事に帰ってくると寄贈したものだそうだ。


  
ブカレストの北西に約300km、ルーマニアのほぼ真ん中にあるシギショアラ。今回のルーマニアの旅では一番北の都市でトランシルヴァニア地方にあります。シギショアラの歴史地区は1999年世界遺産に指定されている。町は14世紀に建てられた時計塔を中心とした城塞都市で、古き良きヨーロッパの町並みが美しい旧市街である。
城塞の門
城塞の門
時計塔は町のシンボル
14世紀に建てられた64mある時計塔

ヴラド・ドラクルの家
ドラキュラの生家は今はレストランに
カサ・ヴラド・ドラクル
レストランの入り口と看板
時計塔の前の広場に面してあるレストラン「カサ・ヴラド・ドラクル」
ドラキュラ(ヴラド・ツェペシュ)の父親ヴラド・ドラクルが1431年〜1435年の4年間、ハンガリー王によって幽閉されていた家で、ドラキュラの生家である。今はレストランになっており旅の5日目の昼食はこのレストランで。メニューのなかにはドラキュラのサラダと名の付く料理もありました。

山上教会への階段入り口トンネル
429mをこのトンネルを通って山上教会へ
遠くに見える山上教会
山上教会を下から眺める
レストランの近くにある山上教会へ登るにはトンネルの中に長い長い、でも歩きやすい木造の階段が続いている。14世紀に出来たゴシック様式のプロテスタントの教会です。

ブラン
ブラショフから南西に約30q、「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルになったブラン城。ブラン村の丘の上60mのところに建っている中世の砦である。14世紀末にはヴラド・ツェペシュの祖父ワラキア公ヴラド1世が居城としていた。有名な小説「吸血鬼ドラキュラ」はヴラド・ツェペシュがモデルになっている。15世紀に実在したワラキア公ブラド3世(ヴラド・ツェペシュ)、別名ヴラド串刺し公。ドラキュラと言われた由縁は、裏切り者や当時敵対していたトルコ兵を見せしめのために串刺しにして処刑するなど、あらゆる残酷な方法で処刑したゆえからだと言う。
ドラキュラとはルーマニア語で「悪魔」も意味している。
恐怖の伝説の残る古城が我々を待ち構えているかと思ったが、大勢の観光客でその雰囲気はなかった。城の前に並ぶお店には、赤い裏地のついた黒いマントを着て髭をはやし、大口で牙をむき、悪魔の顔をしたドラキュラグッズがたくさん売られている。そちらの方がどれもリアルすぎて怖くて手が出なかった。
ブラン城全景
ブラン城の全景
ブラン城内部
中庭と回廊

ブラン城内側
ブラン城の内側
部屋の一部
たくさんの部屋の一部にある調度品

シナイア
ルーマニア中央を走るトランシルヴァニア・アルプス。この地方に今まで見てきたブラショフ、シギショアラ、ブランなどがあり、旅の最後はシナイア観光だ。
シナイアは標高800mの景勝地にあり、木々に囲まれ丁度紅葉・黄葉が美しい季節で綺麗な町だ。王侯貴族たちの別荘地として繁栄し、今も宮殿風の小さな館が所々に見られる。
ペレシュ城は1875年にカロル1世がルーマニア王宮の夏の離宮として8年の歳月をかけ、ドイツ・ルネッサンス様式で建てた宮殿である。入り口でしばし順番を待ち専属ガイドの案内で見学。絵画・彫刻などの美術品、金銀、宝飾品、豪華な内部装飾など、世界5大美城に数えられている。大勢の観光客が訪れて賑わっていた。
ペレシュ城の入り口
ペレシュ城の入り口
ペレシュ城
ペレシュ城の一部分

ペレシュ城近くにあるシナイア僧院。17世紀カルロス1世が建立し当時のままの姿をとどめる古い教会と19世紀に建てられた大教会がある。大教会の入り口天井に描かれたフレスコ画は綺麗だ。地元の小学生達が来ていた。子供達は明るく陽気で可愛い。元気に私達がどちらから来たのかと聞いてきた。公用語はルーマニア語だが子供達は英語も堪能だ。
シナイア僧院大教会
シナイア僧院の大教会
シナイア僧院のフフレスコ画
シナイア僧院のフレスコ画
〜旅の思い出に〜
ルーマニアの民族衣装を着た人形
高さ:34cm
座っても可愛い!
ルーマニア人形


「チョルバ」と名の付く料理はスープ類。チキン、豚肉、牛肉、野菜と香草など種類が多くどれも美味しい。「サルマーレ」というロールキャベツは私が作っている味とよく似ているが、ブルガリアでよく作られている家庭料理のようだ。黒海に近いところでは白身魚のフライやソテーなど魚料理も多い。「パパナッシュ」というチーズの入った揚げてあるお菓子もデザートで美味しい。
チキンでダシをとったスープ
チョルバ・デ・ブイ
チキンでダシをとったスープ
ドラキュラ・サラダ
赤い色のドラキュラサラダ
温野菜(トマト・玉ねぎ・ピーマン)
チキンスープ
チョルバ
チキンスープ
ロールキャベツ
サルマーレ
ロールキャベツ
豚肉のグヤーシュ
トキトゥーラ
豚肉の料理
ハンバーグ
ミティティ
挽肉の炭火焼

(update:2008/11/29)
旅の撮影:CASIO EXCILIM-Z40 デジタルカメラ




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