★旅の思い出を写真でご案内します★

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2011年04月11日(月)〜04月18日(月)8日間


バルト海沿岸に位置するリトアニア、ラトヴィア、エストニアのバルト3ヵ国。
丁度一年前にポーランドに行った時、すぐ北にあるバルトの国々にも是非行ってみたいと旅の計画を立てました。長い歴史の変遷を経てソ連邦に支配され、のちに独立を果たした同じような歴史を持ちながら、それぞれの国で言語、街並みや自然、風土や人々の違いがあるという・・・
1月のネパール旅行で同行のご夫妻にお話を伺う機会を得て、さらなる好奇心いっぱいでの旅立ちとなりました。世界遺産に登録されているバルト三国の首都「ヴィリニュス」「リーガ」「タリン」の歴史地区、日本のシンドラー杉原千畝氏の記念館、美しい古城など楽しみにしています。

4月11日(月)関西国際空港からヨーロッパ最速の翼「フィンランド航空」AM10:55発ヘルシンキへ(所要時間10時間15分)。ヘルシンキで乗り換えるが、シェンゲン協定により入国審査と手荷物検査を受ける。ヘルシンキからリトアニアの首都ヴィリニュスへは所要時間1時間15分。サマータイム実施中で日本との時差−6時間、現地時間17時30分着。
空港で日本円からリトアニア通貨「リタス」に両替。空港を出ると車窓からは元共産圏と思わせるベランダの無い古い建築物のマンションが目に入る。新緑美しいと思っていたがまだ木々に葉はなく冬の様で、白樺の木もたくさんある。ホテルまで30分、街に入ると空港周辺と違い新しい高いビルも見え、トロリーバスも通っている。18時30分、いつものヨーロッパの旅に比べ早い目のホテル・チェックイン。この時期、日没は20時半とまだまだ明るい。ヴィリニュスで連泊。
ゆっくりの旅のスケジュール、充実した観光内容、綺麗な宿泊したホテル、美味しくて綺麗なそれぞれの国で出されたお料理。
JTBバルト三国周遊8日間の旅は晴天に恵まれ、37人のツアー仲間と共に三国の中でいちばん南にある国・リトアニアの首都ヴィリニュスから始まりました。

写真の上にカーソルを乗せていただくと小さな説明文もご覧いただけます




リトアニア
Lietuva
リトアニア国旗
正式国名…リトアニア共和国
面 積…6万5300平方km(北海道の約8割)
人 口…約330万人
首 都…ヴィリニュス
言 語…リトアニア語
通 貨…リタス 1リタス≒33円

リトアニアはバルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つで、一番南に位置する。山という山がなく平坦な丘陵地からなり3000に及ぶ湖や川、森が広がる美しい国。リトアニアの首都ヴィリニュスはほかのバルト三国の首都と違い唯一内陸部に開かれた町。東に元白ロシアのベラルーシ、南にポーランドがある。朝見る町の風景は西欧、東欧風の建築物に2両編成のトロリーバス、通勤・通学時なのに雑踏はなく車も少なくのんびりとしている。見かける人々は平均身長が男性183p、女性が172pととても背が高くかっこいい。

第2日目 4月12日(火曜日) リトアニアには5つの国立公園があり、中でも一番大きいというアウクシュタイティア国立公園へ向かう。ヴィリニュスの北約110qのところにあり、道中車窓からは平坦な丘陵地、マツタケが取れそうな赤松林やまだ水面が凍っている湖、所々日陰に残る雪、農耕地や草原が見える。少し冷えているが晴天で空気が澄みわたり、スカッとして広々とした空間が心地よい。

アウクシュタイティア国立公園
1750年、ハザバス・バジリャウスカス神父が自身の守護聖人の名を冠して斧一本で木製教会を建てました。アウクシュタイティア国立公園の小高い丘の上にあり、そばには八角の鐘楼もあります。実物は2mもあり別に保存されているそうで、模造の小さなキリスト像が庭に祀られている。木製教会の周りにはまだ凍ったところが残る湖が広がり、すぐ近くのラダカルニスの丘に上ると風光明媚な360度の眺望で、一度に7つの湖が展望できる。湖には一番寒い時50p〜60pの厚い氷が張るそうで、今もまだ氷が残り明るい太陽光線に照らされ輝いていた。
木と斧だけでつくられた教会
木製教会と鐘楼
神父さんが作った大きな本物は別に保存されている
庭に建つ小さな模造のキリスト像
まだ凍っているところもあり、ピカピカ輝いてきれい
教会の傍に美しい湖が広がる

ヴィリニュス
世界遺産ヴィリニュス歴史地区 石畳の道を歩きながら中世の雰囲気漂う旧市街を見て回る。ヴィリニュスの中には52もの教会があると聞きその多さに驚かされる。旧市街は歩いていると、のんびりとして穏やかな雰囲気が感じられる。さまざまな歴史の変遷を経て今日に至っている立派なカトリックの教会を入場見学したり、旧市庁舎前広場、お城通り〜大通り〜夜明けの門通りなど歩いてまわる。大通りは綺麗な民芸品のお土産屋さんがある。リトアニアはさまざまなアクセサリーに加工される琥珀や、リネン製品が有名です。
内部は同じものが2つとない2000以上の彫刻群、白一色の漆喰彫刻は見事
聖ペテロ&パウロ教会
信仰心の厚いリトアニアの中心地に建つ主教座教会
大聖堂
33種類のレンガが見事な16世紀のゴシック様式の教会、
聖アンナ教会

町と旅人を守護する礼拝堂を持つ城門、夜明けの門の上の礼拝所には聖母のイコンがある。
夜明けの門
ヴィリニュスの中心となる広場
カテドゥロス広場と王宮
重厚な建物に囲まれている旧市庁舎前広場
旧市庁舎前広場

トゥラカイ
第3日目 4月13日(水曜日) ヴィリニュスから西へ30q。トゥラカイはヴィリニュスの前に首都が置かれていたところ。湖に浮かぶ島に築かれたトゥラカイ城は、14世紀に中東騎士団の侵略を防ぐために建てられている。お城までは長い木の橋を渡り、入り口には敵の侵入を防ぐための跳ね橋、内部の階段は細い急ならせん状になっている。戦争のためのお城だったが、レンガ造りのお城がそのまま逆さに湖に浮かび、まるで絵のような美しさで穏やかな表情をしている。
長い木の橋を渡ってお城へ
木の橋の向こうにトゥラカイ城
湖に逆さに映ったお城は絵のように美しい
湖に浮かぶトゥラカイ城
広いお城の中庭
中庭の右手に本丸が

カウナス
"日本のシンドラー"杉浦千畝(1900〜1986) 第二次世界大戦時、多くのユダヤ人がナチスの迫害を逃れシベリアからアメリカ大陸に逃れるため、日本通過のためのビザ発行を求めリトアニアのカウナスにある日本領事館に救いを求めてきた。日本人外交官・杉浦千畝氏は救いを求めるユダヤ人たちに本国の意に反してビザを発行した。その数は1600、日本を経由し第三国に6000人を超えるユダヤ人が出国出来たのである。旧日本領事館は杉浦千畝氏の記念館として保存され、復元された執務室、発行されたビザ、千畝氏の写真や年表などが展示されている。はじめに10分ほどのビデオを見て、千畝氏の生涯を詳しく知ることができる。昨年ポーランドで見聞したナチスの強制収容所、大量虐殺…ホロコーストから多くのユダヤ人を救済したオスカー・シンドラー。世界中のユダヤ人から日本のシンドラーとよばれて尊敬の念を向けられている杉浦千畝氏。出身地岐阜県八百津町にはモニュメント公園が出来ている。
記念館の全景
旧日本領事館・杉浦千畝記念館
入り口の壁にかけられている看板
入り口の看板
半月の間ビザを発行し続けた机、座って記念撮影できます
ビザを書き続けた机

外交官基金の案内板
記念館にかかる案内板
展示されている写真などの色々な資料
記念館の展示物
展示されている命のビザ
展示されている命のビザ

カウナス旧市街観光 リトアニア第二の都市カウナスはかってポーランドに占領された1920年から22年間ヴィリニュスに代わってリトアニアの首都だったところで、1930年のパリ万国博の時の首都はカウナス。旧市街のカウナス城、ゲオルク教会、旧市庁舎、ヴィタウタス大公教会、聖ペテロ&パウロ大聖堂などを見学する。今は学生の町で若い人が多いようだが働くところが少なく、40万人の人口は年々減少中と聞く。カナウスで1泊。
赤いレンガの城跡
カウナス城跡
旧市庁と広場
旧市庁舎と広場
内部はフレスコ画と彫刻が印象的
聖ペテロ&パウロ大聖堂

第4日目 4月14日(木曜日) カウナスから北へ、延々と続く平坦な景色を見ながら高速道路を走り、リトアニア北部シャウレイを通り十字架の丘に向かう。草原の見晴らしのいい前方に、明るい陽ざしに輝いているこんもりとした丘が目に入ってきた。無数の十字架が立ち並ぶリトアニアの象徴的な祈りの聖地「十字架の丘」だ。丘の入り口の色々な十字架やロザリオを売っている売店を通り、しばらく遊歩道を歩いて十字架の丘に着く。低い丘の上に10万ともいわれる大小の十字架が立ち並び、それは言葉を失うくらいの数である。墓地はなく十字架だけがたくさんあり大きいものは数メートル、小さいものは他の十字架にぶら下げられた2pに満たないような物までいろいろ。1993年にパウロ2世来場記念のキリスト像もそびえている。数世紀を経てカトリック教会の巡礼者によって置かれるようになり、民族抑圧に力でなく十字架を立て続ける…というリトアニア人達の平和への願いも込められているそうだ。
まだまだ増えています
無数の十字架やロザリオ・キリスト像
なだらかな坂道が十字架の山の中央を通っている
十字架の中を通る道を歩いて見る
年数を経て立ち並ぶたくさんの十字架
新しい物から年月を経たものまで


リトアニアの料理
サラダ
食事のたびに供されるサラダがきれいでとても美味しい
サラダ
色々な種類の野菜とナッツ類、大きな白いお皿に盛りつけ
スープ
温かくまろやかな味
カワカマスのフライ
チーズの風味と塩味の利いたカワカマスのフライ、イギリスのフィッシュ&チップスのよう
ツェペリナイ
ジャガイモの料理が有名で、リトアニア風コロッケは中にミンチが入り周りがじゃがいもと米の粉でまとめてある。味良く美味しく一つがあまりにも大きい。手前のサワークリームをからめて食します。
コウドゥナイ
リトアニア風水餃子、サワークリームをからめて食べると美味



ラトヴィア
Latvija
ラトヴィア国旗
正式国名…ラトヴィア共和国
面 積…6万4589平方km(北海道の約8割)
人 口…約230万人
首 都…リーガ
言 語…ラトヴィア語
通 貨…ラッツ 1ラッツ≒162円

リトアニアから2番目の訪問国ラトヴィアへ。バルト三国の中央に位置し、北にエストニア、南にリトアニア、西にロシアやベラルーシと接している。ラトヴィアは長い複雑な歴史を経て、1940年にソ連邦に併合されたが1991年独立を回復している。北海道より少し小さい国土に230万人が暮らし、山がなく平坦な地形に湖や沼、川が多い。リトアニアと同じで男性女性とも背が高く、私の身長では見上げるようだ。

ルンダーレ
今日の昼食はルンダーレ宮殿内のレストラン、宮殿内での食事は今回が初めてです。
ルンダーレ宮殿はビロン公の「夏の離宮」として1736年から28年の歳月をかけて建てられている。フランスのベルサイユ宮殿と同じ色の外観と美しいフランス庭園、内部の豪華絢爛な広間や壮麗な装飾、設備、壁面など「バルトのべルサイユ」といわれている。オーストリアのシェーンブルン宮殿もベルサイユ宮殿のように建てられていたが、どの宮殿も豪華な装飾だ。
正面入り口
ルンダーレ宮殿
庭園側にある宮殿の入り口
庭園側の入り口
綺麗に手入れされた庭園
綺麗なフランス庭園
金箔の漆喰彫刻、大理石、ロココ調
最も豪華な黄金の広間
舞踏会が行われた広間は白一色の内装、女性のドレスを引き立てる
白の広間
45の台に東洋の磁器が並んでいる
楕円形の磁器の間
ビロンデューク
書斎兼執務室
デルフト焼きの暖炉とロココ調のインテリア
プライベートルーム
寝室は見事な寄木細工の床
公の寝室

ガウヤ国立公園
第5日目 4月15日(金曜日) 首都リーガから1時間ほどのスィグルダにあるガウヤ国立公園。ガウヤ川沿いに点在するスィグルダ城、グートゥマニャ洞穴、トゥライダ城を訪れる。90〜100の村が点在するという広大なガウヤ国立公園、新緑の候には少し早かったが、スィグルダ城址から遠くに見えるトゥライダ城は、木々に囲まれ浮かび上がる赤レンガがとても美しい古城だ。国立公園内ではリュックを背に歩いている人達と出会う。森林の中、綺麗な空気に明るい陽ざしが気持よさそうだ。

スィグルダ城 1207年から建設されたが度重なる戦争で城壁が残るだけの廃墟となっている。すぐそばにある市役所は、お城のくずれた石を使って建てられている。
1207年に建てられた城壁が残るだけの廃虚
スィグルダ城址
城址の石を使って建てられた市役所
城址の石を使った建物は市役所
城址に造られた音楽堂
音楽堂

グートゥマニャ洞穴 高さ9m、深さ14mの赤砂岩の洞穴。規模はあまりにも小さいが上から下までびっしりと書かれた文字にビックリ。綺麗な雪解け水が流れている。
清水が湧き出す赤砂岩の洞穴
グートゥマニャ洞穴
洞穴にびっしり埋め尽くされた寄せ書き?落書き?
16世紀のものもある寄せ書き

トゥライダ城 スィグルダ城から遠くに見えるトゥライダ城は赤レンガの古城が森の中に浮かび美しい眺めだ。塔の上まで上ると素晴らしい景色が一望のもとに見渡せる。本丸は現在博物館となってスィグルダの歴史の資料が展示されている。
スィグルダ城の向こうの方に見えるトゥライダ城を望遠で撮りました
赤レンガが映えるトゥライダ城
左手に本丸と見張りの塔
左手に本丸と塔
塔の上からは素晴らしい景色が見渡せます
塔に上り見る景色

リーガ
ラトヴィアの首都「リーガ」はドイツ語で「リガ」、ラトビア語で「リーガ」といい、70万人が暮らすハンザ都市の栄光を宿すバルト最大の都市。新市街は都会の活気があり、人々が行き交い、アールヌーボー建築の建物や新しい近代的なビルがある。一方旧市街の世界遺産地区を歩くとリーガ城や大聖堂、教会などがあり、中世から現代までの時の経過を実感する。「バルトの貴婦人」と讃えられる首都リーガ、私の出身地・神戸と姉妹都市である。

世界遺産リーガ歴史地区 中世からの時を刻む旧市街は猫の家〜火薬塔〜城壁〜スウェーデン門〜三人兄弟〜リーガ城〜英国教会〜リーガ大聖堂〜聖ペテロ教会〜ドイツ・ブレーメンから贈られた「音楽隊」〜市庁舎広場など石畳の細い道を歩いて観光する。
(写真の上にカーソルを乗せていただくと小さな説明文がご覧いただけます)
背伸びする猫が屋根の上にいる、この屋根の上の猫の話はお楽しみに…
猫の家
アマトウゥ通りのきれいな建物、「職人」の通りでギルド会館だった
さまざまな装飾のギルド会館
時計の役目、建物の壁に大きな砂時計がある
ビルにある大きな砂時計
高さ25.5m、外壁の暑さ3mの火薬の保管に使われた塔、現在はラトヴィア軍事博物館
17世紀に再建の火薬塔
18世紀の黄色い長い建物は兵舎
旧ヤコブ兵舎
リーガに唯一残るかっての城門、周りにスウェーデン人が多く住んでいた。入り口に巨砲が残されている。
28あった城壁の一つ、スウェーデン門
13世紀に登場する古い教会。塔は80mの高さがある。
聖ヤコブ教会
本当に兄弟のように肩を寄せ合って建っている中世の三人兄弟の石造り住宅、一番右が長男の家
三人兄弟の家
1330年に建てられ、4つのパートに分かれている。現在大統領官邸や美術館。
宮殿のようなリーガ城
高さ123.25m。72mの所までエレベーターで昇りリーガの町を一望
18世紀に改築された聖ペテロ教会
彫金細工と彫刻の外観と大時計、下にはハンザ同盟の4つの都市の紋章。14世紀に建てられたギルド協会の会館
2001年に再建・ブラックヘッドの会館
姉妹都市ドイツ・ブレーメンから贈られた「音楽隊」 鳥、サル、牛などさわるとリーガに戻ってこられると言われているのでしっかりさわりました
ブレーメンから贈られた「音楽隊」

2連泊した新市街の「ラディソン BLU ラトヴィア ホテル」の近くには、19世紀の末から20世紀の初めにかけてドイツに起こりヨーロッパに流行した建築の新様式、ユーゲントシュティール様式「アールヌーボー」の優雅な芸術品のような建物が多く建てられている。
ホテルの前の広いエスプラナーデ公園では移動遊園地が造られ、手に汗にぎるスリル満点の遊具に若い人達が乗って楽しんでいる。行き交う人々の中に入ってブラブラ町歩き。大きなスーパー(Gulleria Gya)のショッピングモールに入ると夕方の時刻、多くの買い物客で賑わっていた。治安も良くゆっくり出来たひと時でした。
ユーゲントシュティール様式の芸術品のような素晴らしい建物
アールヌーボーの建物
ゆっくりベンチでくつろぐ人々
町の風景
自由時間に町の中を歩く
前方に見える「ラトヴィア ホテル」


ラトヴィアの料理
白身魚
お米のリゾット、タラ?、西洋ネギ、複雑なソース、レモンきれいで美味しい
デザート
アイスクリームにチェリー、くるみ
サラダ
いつもサラダが供されるが、同じものはなく美味しいです
ビーフ
朝食以外一度もバイキングがなく、食べやすいし嬉しい。ビーフ、キッシュ、温野菜
サラダ
白いお皿に色とりどりの野菜、ナッツ、ドレッシング
カーボストゥ・ティーテンス
ラトヴィアのロールキャベツ、いいお味で夫が作ってほしいと言いました
デザート
食後のアイスクリーム
サラダ
野菜、オリーブ、ナッツ
ポークピカタ
千切り人参の甘酢漬け、西洋ネギ、ポークピカタ



エストニア
Eesti
エストニア国旗
正式国名…エストニア共和国
面 積…4万5227平方km(北海道の約半分)
人 口…約130万人
首 都…タリン
言 語…エストニア語
通 貨…今年からユーロに 1ユーロ≒120円

バルト三国の中で一番北に位置する共和制国家・エストニアは南にラトヴィア、東にロシアと接している。スエーデンやソビエト連邦、ナチスドイツによる占領抑圧をうけたが、ソ連崩壊直前の1991年に独立。2004年EUに加盟し、2011年1月から通貨がユーロになったばかりで使いやすくなっている。。ヘルシンキまでフェリーで2時間半という近さ。ヘルシンキの百貨店「ストックマン」のスーパーもあり、住民はフィンランド系エストニア人が主でロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人。私が出会った人はロシア人の容姿に似ていると思った。

第6日目 4月16日(土曜日) リーガから最後の都市・エストニアの首都「タリンへ」向かう。約310q、5時間のバス移動。国境までは約1時間半、国境の町アイナジを通過。左手にバルト海をみながら夏の避暑地「パルム」をさらに北上。道路がよく、バスの一番後ろの席でも心地よい揺れで疲れない。内陸部に入ると白樺並木、やはり山はなく延々と続く平地、農耕地、所々に残雪…。1時過ぎタリンの中心地ラエコヤ広場にある「レストラン トロイカ」で美味しいランチ。さあタリン旧市街観光です。

世界遺産タリン歴史地区 タリン旧市街は13世紀初頭からの歴史を持ち、まるで中世の趣がそのまま残るような港町。石畳を歩き、坂道を上り、山の手のトームペアの丘の展望台から眺めるタリンの下町の景色はおとぎの国のように美しい。旧市庁舎前のラエコヤ広場〜アレクサンドル・ネフスキー聖堂〜トームペア城とエストニアの三色旗がたなびく円筒形の「のっぽのヘルマン」の塔などを見学。自由時間には旧市街の13世紀〜15世紀の建築群、新市街のエストニア劇場などのモダンで近代的な建築、たくさんの綺麗なお花を売っているお店など見ながらここでもぶらり町歩きを楽しむ。 
旧市庁舎の前のラエコヤ広場はタリンの顔
タリンの中心地・ラエコヤ広場
北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の傑作
ラエコヤ広場に面して建つ旧市庁舎
1901年に建てられたロシア正教教会
アレキサンドル・ネフスキー聖堂
代々の支配者が住んだ13世紀に建てられた騎士団の城。南側にある50.2mの「のっぽのヘルマン」にはエストニアの3色旗がたなびく国を象徴する存在だ
トームペア城とのっぽのヘルマンの塔
エストニア本土では最古の教会
大聖堂
かわいい女性がアーモンドなどのナッツを売っている。美味しいので買いました。
ナッツ類を売っているお店
トームペアの展望台から見た風景は→
トームペアの丘から下町をみると→
まるでおとぎの国のような景色で→
赤い屋根に教会の塔が並び→
城壁と塔が立ち並ぶ景色、向こうの方にバルト海と流氷が見える
向こうの方にバルト海が見える
20世紀の近代ヨーロッパの趣のビル
新市街のエストニア劇場の建物
町のお花屋さん
綺麗なお花がいっぱい
ラエコヤ広場のレストランのテラス、楽しそうだ
ラエコヤ広場のレストランのテラス

 世界遺産タリン歴史地区の観光を終え宿泊するホテル「ラディソン BLU オリンピア」へ行く途中、添乗員小澤和博さんとドライバーさんの計らいで、スケジュールに無いバルト海の流氷を見ることが出来ました。
1980年モスクワオリンピックのボート会場だったタリンの港です。ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で西側諸国が集団ボイコット、日本も棄権し、優勝と言われていたマラソンの瀬古や柔道の山下をはじめ、多くの選手が涙をのんだ姿は印象的でした。
私は接岸している流氷を見たいと思っていたのですが、そのチャンスが無いままで、まさか今回の旅で流氷が見えるなんて…大感激です。タリンの町は事前の情報では10℃以下で寒いと思っていましたが10℃以上あり晴天に恵まれたのか寒くありません。流氷は接岸したまま、モコモコと雲の塊のような流氷をさわったり上に乗り写真を撮りました。北海道でなくバルト海で見た流氷…嬉しい想定外の出来事でした。
ワー流氷を初めて見ると、モコモコと雲のような氷の塊!!
初めて見た流氷に感激!!
流氷の上に乗ってみる
流氷の上に乗って記念撮影


エストニア料理
セリヤンカ
レストラントロイカでトマト、オリーブ、ベーコン、玉ねぎ、レモン、キュウリのトマトスープ
ビーフストロガノフ
ビーフストロガノフにジャガイモ、玉ねぎ、パセリ、サワークリームを添えて、
デザート
チェリー
サラダ
レタス、チシャ、プチトマト、チーズ、アルファルファ、ペンネ
ライ麦パン
中は柔らかいライ麦パン

マッシュポテトとブロッコリーを添えて


(update:2011/05/20)
旅の撮影:CASIO EXILIM-Z300 10.1MEGA PIXELS


 

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