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Renewal 99.10.15
Barbara Jelic FanClub
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警告(Warning)!!
このページは鳥脇泰の個人のページであり、バーバラ・イエリッチ選手あるいは彼女の所属するチームから公認されたものではありません。私は彼女と何の関係もありません。
彼女へのファンメールをこちらに送らないでください。
( This site is Yasushi Toriwaki's Private one, and I have no connection with Barbara Jelic, Croatian national team, DENSO Airybees or the clubs on which she is or was.
Please do not E-Mail this site to Barbara or her team.
Thank you for your understanding. )
2000-01シーズン
1999-2000シーズン
'98-99シーズン
'97-98シーズン以前
なぜバーバラが最強なのか
全てはこの日から始まった
バーバラは2005年の欧州選手権を最後に引退した。彼女のプレーを見ることはもう二度とできない。
あまりにも早すぎると思う。バーバラは77年生まれだから本来なら今が一番選手として充実した時期のはずだった。リューバ・グリンカ・ルイザ・トグットあたりは、ほぼ同年代で世界のエースだ。バーバラより年長でも、例えばVictoria Ravvaは花盛りだしゼトバでさえセリエ最高のスーパーエースで健在だ。
94〜95年のVリーグから数えて、バーバラの世界レベルでの実働はざっと8シーズンである。2001年以降まともに続けて試合に出たのは'03-04のトルコリーグだけである。今はスポーツ科学の進歩などもあって選手寿命は延びている。それを思えばあまりにも短い。
しかしそれは必然なのだろう。世界最高の選手をもってして本来15年か20年近くで成し遂げるべきことを、バーバラはその8年に凝縮してしまったのだ。それくらい、バーバラの現役時代の活躍は密度が濃かった。1試合で2試合分以上打ちまくっていた。のみならず信じ難いほど劇的だった。悲劇的な敗戦か奇跡の勝利かのどちらかしかなかった。
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バーバラとアル
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その衝撃的な選手を見たのは1996年6月1日のことであった。
女子バレーボールのアトランタ五輪世界最終予選が日本で開かれていた時期である。その日の午後6時半から、私は、前日までと同じようにそれを見た。例のごとく、日本チームを応援するばか騒ぎがあり、その後に試合が始まった。試合を見ているうちに、私の視線は、一人の選手、しかも日本の選手ではなく、クロアチアの選手に釘付けになってしまった。ほかの選手には目もくれない。得点経過もどうでもよくなった。
その選手の名前は Barbara Jelic (バーバラ・イエリッチ)という。
その衝撃は、全く経験したことのない激しいものだった。次の日もその次の日も、まともな思考力が全くはたらいていないことが自分でもはっきりとわかった。激しいショックが約1週間続いた。そして、この日以来、私は完全に道を踏み外した。
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