News

ニュースとはいっても、かなり私見が入っています。バレーボール日記をかねている側面もあります。

Vリーグ女子外国人選手枠復活(2000/11 - 12)
日立女子バレー部廃部(2000/11 - 12)
新日鐵バレー部、子会社化(2000/11/27)
ビーチバレー大幅ルール改変(2000/10 - 11)
ユニチカ女子バレー部、東レに全体移籍(2000/6 - 7)
久光製薬、オレンジアタッカーズに出資(2000/6 - 7)
帰化選手制限(2000/4 - 6)

99年のニュース
98年7〜12月のニュース
98年1〜6月のニュース


Vリーグ女子外国人選手枠復活(2000/11 - 12)

Vリーグ女子日立の廃部、男子新日鐵のクラブ化が発表されるのとほぼ同時に、Vリーグが大幅な改革を検討していることがわかった。11月27日、岡野Vリーグ実行委員長が明らかにした。

いずれも必然と思われる内容である。私にとっては、かなり昔に書いた話であり(日本バレーは、これでよいのか参照、98年世界選手権前後に書いたものである)、正直なところ、遅きに失したと言わざるを得ない。

この改編の内容は、実は第4回以前に戻る部分も相当含まれる。第4回Vリーグは、ホームアンドアウェーこそ採用されていなかったものの、外国人選手出場1人(登録は2人まで)、8チーム3回戦総当たり21試合で行われていた。こうなると、時代の必然に逆行する形で費やした数年間(特に、外国人選手を禁止した第6,7回)が悔やまれてならない。

この後、12月6日の会議で、「8チーム4回戦制、ホームアンドアウェー」方式を翌シーズン(第8回)のVリーグで行うことは見送られた。リーグ下位のチーム(親会社)から強い抵抗があったことは想像に難くない。開催会場の確保が難しいという問題も指摘された。

12月13日の理事会で、外国人選手の導入は承認された。
ファンの間では、なおも賛否両論がある。外国人選手の導入に反対する理由は、以下の2点に集約される。

  1. 外国人の大砲を入れれば、そのエースに高いトスを上げて打たせれば勝てるというバレーになってしまう。そのため、セッターが育たない。
  2. ただでさえ経費削減のために企業スポーツ部の活動停止が相次ぐ中、よけいに費用がかかる外国人選手を入れることなどできない。
しかし、私の結論は簡単である。外国人選手を導入することにはもちろん賛成だし、それ以前に、外国人選手は必要なのだ。外国人選手を入れて、それをプラスに生かせなければ、日本女子バレーそのものが滅ぶ。

ほかのページの記事でたびたび書いているように、バレーボールという競技は、守備ができなければ攻撃の機会自体がないという競技である。現在世界の上位のチームは、男女ともいずれのチームも守備が堅い。それは偶然ではなく、競技の本質に照らして必然であり、例外はあり得ないのだ。
そして日本はその守備ができていないことが、世界最終予選あるいはワールドグランプリでもはっきり示されている。守備ができなければ、いくらよいセッターがいたとしても、意味がない。
世界の強い攻撃に対する守備力を養うには、まず慣れることが第一歩であり、そしてそれ以外の対策はないはずである。守備という観点で、第6回Vリーグで外国人選手を禁止したことが悪影響を及ぼしたことは、間違いない。リーグ戦を日本人選手だけでやっていては、国際大会になったときに、どれだけ守備が通用するのか判断のしようがない。

もっと言えば、外国人の大砲を連れてくることに問題があるのではなく、その使い方に問題があるわけである。例えば、'98-99シーズン(当時V1リーグ)のJTがよい見本であろう。当時、ナターリャ・サフローノワという大砲はいたものの、何が何でもナターシャというバレーはしなかった。日本人アタッカーへの速いトスを非常に多く用いた。そのシーズン、チーム全体のアタック決定本数に占めるナターシャの割合は、30%程度、普通のエースの使い方である。同じシーズンのVリーグの上位チームで40〜60%に達したのと比べて著しく少ない。

さらに付け加えるとすれば、何もエースの大砲の外国人選手ばかり連れてくるとは限らない。経験豊富で攻撃力のあるセンターを増強すれば、むしろセッターを育てるにも極めて有効であろう。最終予選以降のクロアチアを見ればよい。
日本のセンター攻撃は、世界最終予選でも、中国・韓国あるいはイタリア・オランダと比較してさえ、著しく見劣りした。(もちろんセンターだけの責任ではなく、サーブレシーブが悪くセンター線が使えないことにも相当の問題はあるし、セッターが小さすぎることもその一因である。セッターが小さすぎると、トス自体合いにくいし、センターの高さに届くまでに時間がかかる。)ことあるごとに、30歳過ぎたロートルの選手の復活論が蒸し返されるほど、攻撃のできる(特に、クイックがきちんと打てる)センターが不足している。その中で、セッターを育てていくことができるのか。むしろ疑問である。

外国人選手が認められると、外国人選手を増強するだけの資金的な余力がないチームは、成績が下がり、ひょっとすると活動停止に追い込まれることがあるかもしれない。(本当はあってはならないことだが)しかし、日本人選手だけでちまちまとしたリーグ戦をこれ以上続ければ、日本女子バレーそのものが滅ぶだろう。

もっと長期的な観点で考えても、外国人選手禁止の悪影響は計り知れない。
国内リーグには外国人選手はいない。海外リーグで武者修行をするにしても、海外のチームに所属の選手は日本代表になれないという規定がある。これで全日本が世界トップレベルならまだしも、五輪出場さえ難しく、世界選手権ベスト16がおそらくぎりぎりのレベルだろう。要するに、バレーに進んでも、その先に世界が全く見えてこないのである。世界の頂点に通じる道がない。
このような状況で、いったいどれだけの子供が、バレーにあこがれ、将来バレー選手になりたいと志すだろうか。優れた素材をほかの競技に奪われるのも、これでは当然である。

全日本が男女とも五輪出場を逃すに至り、バレーの人気は急激に低下している。これを書いている時点で、すでに第7回Vリーグが始まっているが、全日本女子の成績が上向いたワールドカップ直後の前年と比べて、半分かそれ以下の客足と思われる。
事態を打開するためには、本物のファン、すなわちバレーという競技のファンを増やすことを目指すしかない。そのためには、レベルの高いプレー、レベルの高い試合を見ていただく、ということが遠回りのように見えて最も効果的であり、またそれしか方法はないはずである。バレーボールという競技そのもののファンなら、日本が弱かろうと選手が入れ替わろうと、レベルの高い試合なら見てくれるはずである。また、一度でも世界のトップを知ったファンは、日本人選手だけでレベルの低いリーグを続けている限り、二度と戻ってこないだろう。
そのためには、当然ながら、レベルの高い選手をリーグに入れることが必要である。この観点でも、外国人選手を導入するのは、必然である。(外国人選手締め出し決定当時の記事を参照)

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


日立女子バレー部廃部(2000/11 - 12)

日立は、女子バレー部(日立ベルフィーユ)の廃部を、11月24日の役員会で決定。11月27日に発表した。第7回Vリーグが終了する2001年3月末をもって活動を停止する。
選手に廃部が知らされたのは26日の夜のこと。この春高校を卒業し入社する予定の内定選手4人を含め、選手と監督・スタッフは、チームごとの移籍を目指し移籍先を探すことになる。

日立は1964年、山田重雄監督(故人)のもとで、日立武蔵として創部。1974年世界選手権、76年モントリオール五輪、77年ワールドカップの三冠達成の全日本は、その山田監督が率い、白井貴子をはじめ日立中心のチームだった。Vリーグの前身である日本リーグでは18回、全日本選手権では17回の優勝、いずれも最多優勝という栄光の歴史を持つチームである。
しかし、94年にVリーグが開始されてからは、他のチームが外国人選手を増強したのに対し日本人選手のみで戦ったことなどもあり、成績が低迷。97年には実業団リーグ(現V1リーグ)に転落した。98年Vリーグに復帰したが、廃部を示唆され初めて外国人選手を増強、準優勝したという経歴もあった。

日本女子が五輪に出られなかったことで、大変なことが起こるかも知れない。
あるいは、日立かユニチカがやめるときは、日本の女子バレーが終わるときだろう。そういう認識もあった。しかし、五輪に出られなかったその年のうちに、その両方が起きるとは、さすがに予想できなかった。
実際のところ、これまでも噂はたびたび出ていたし、日立は女子バレーに嫌気がさしたというのが本当のところだろう。日本女子の弱体化、過去のスキャンダル、協会の利権体質、etc.

旧ユニチカのときも多数の企業が名乗りを上げたことが明らかになっている。日立ベルフィーユが放っておかれることはまず考えられない。
しかし、全体移籍という形で存続できたとしても、協会の責任とか指導者の責任が、うやむやで終わってしまうことはあってはならない。今書けることはそれだけである。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


新日鐵、男子バレー部を分社・クラブ化(2000/11/27)

新日鐵は、11月27日、男子バレーボール部を分社・クラブ化し、運営会社「ブレイザーズスポーツクラブ」を12月5日に設立すると発表した。新日鐵バレー部の選手・スタッフは、この会社へ出向という形になる。この運営会社は、各種スポーツ教室やイベントの企画・運営も行う。また、経営に参加する個人・法人の「ソシオ会員」を募る。企業チームから、地域密着型のスポーツクラブに転換することで、存続をはかる。

景気が低迷し、企業のスポーツ部の休廃部が相次ぐ中で、クラブチームとして再出発する事例も増えている。しかし、その先行きは決して明るくない。サッカーの横浜FCはまだ成功している部類で、アイスホッケーの日光は結局活動休止に追い込まれた。女子バレーでは、同じくクラブチーム化したオレンジアタッカーズが久光製薬に事実上買収され、シーガルズも経営は苦しい。
救いがあるとすれば、企業スポーツが休廃部に追い込まれてクラブチームにするのではなく、体力が残っているうちの経営形態転換なので、時間が残されていることである。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


ビーチバレー大幅ルール改変(2000/10 - 11)

FIVBは、ビーチバレーのルールを次のように大幅に変更することを決定した。

このルールは、2000年最後のワールドツアーとなる11月のブラジル大会ですでに適用されている。正式に採用するかどうかは2002年のFIVB総会で決定する。

現行の9メートル四方のコートでは、ビーチバレーはインドア以上にサイドアウトの確率が高い。15点サイドアウト制1セットで、女子でも1時間前後の試合が珍しくない。ビーチでもラリーポイント制導入という話は前から出ていたが、先行したチームが有利になり逆転が難しくなることは、インドア以上に顕著になり、単調でつまらない試合が増えると、そのときから危機感はあった。
インドアと同じ広さのコートを2人で守る、それゆえ、相手の守備のないところへ打てば、ボールが落ちる可能性は非常に高い。高さやパワーで劣っても、世界のトップレベルに伍していくことができる大きな理由はそこにあると思う。
そのコートの広さが8メートル四方になる、守らなければならない面積は2割以上狭くなる。高さとパワーがものを言う流れになる可能性が大きいと思う。この改変によって、インドアとは異なるビーチバレー独特の面白さが損われ、単にインドアの2人制で行う縮小版みたいになるのではないか。
ラリーポイント導入のためには、サイドアウトの割合を低くすることが必要で、そのためにはこのような変更が同時に必要なのだろう。しかし、そもそもつまらなくなる改変を取り繕おうとして、さらに競技の内容をゆがめる結果になることを危惧している。

インドアで、全セットラリーポイント制に移行してつまらなくなったという人はたくさんいるが、より面白くなったという意見は、お目にかかったことがない。(思ったほどつまらなくはない、あるいは、こういうのもあり、という意見はあるが)
全セットラリーポイント制により、先行したチームが有利でセットの流れが単調になるのは、もともと予想された。しかも、セットが短くなっているにもかかわらず、選手交代が非常に激しくなり、テクニカルタイムアウトの制度も取り入れられている。そのため、試合時間は短くなっても、中断が増え、スピード感は逆に失われたと思う。
しかも、試合時間自体思ったほど短くなっていない。というのは、1ラリーの平均時間が長くなっているからである。この時間は、サイドアウト制最後の世界選手権で、24〜25秒。それに対し、現行ルールでは30秒近くにまで長くなっている。全セットラリーポイント制に移行して、ラリーが長く続くようになったわけではなく、特に女子では、男子並みに速攻一本で切れる場面が急激に増えている。したがって、長くなった時間は、大筋でボールが動いていない時間である。
残念ながら、バレーボールをサービスと考えるなら、この変更によってそのサービスの内容が著しく貧困になった、と言わざるを得ないのだ。一定以上点差がついてセットポイントに近づくと、事実上逆転は不可能で、緊張感は全くなくなってしまう。点数としては競り合っているように見えても、実際に試合を見ると、盛り上がりに欠ける場合が非常に多い。

今回ビーチバレーのルール改変は、インドアのルール改変以上に重大かつ致命的なものではないか、と危惧している。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


ユニチカ女子バレー部、東レに全体移籍(2000/6 - 8)

オレンジアタッカーズに久光製薬が出資という話とほぼ前後して、さらに衝撃的な事態が発生した。この7月いっぱいで、ユニチカ女子バレー部は活動を停止する。チームごとの移籍を目指し、その間に交渉を進める。
第7回Vリーグの最終登録締め切りは8月1日。岡野昌弘Vリーグ実行委員長らが、男子バレーシドニー五輪最終予選に7月19日から同行することを考えれば、残された時間は少ない。いずれにせよ、8月1日がフェニックス存続のタイムリミットとなると考えられた。

結局のところ、旧ユニチカ女子バレー部は、すでにVリーグに男子バレー部を持っている東レへの全体移籍が決まった。本拠地は滋賀県大津の事業所におく。第7回のVリーグに参加することも承認された。後から明らかにされたところによると、さすがに名門の女子バレー部だけに、移籍に名乗りを上げた、あるいは興味を示した企業は少なくなかったようである。
愛称は「アローズ」である。個人的な感想としては、男子と全く同じ名前だけはやめてほしかった。やはりどうにも紛らわしいのだ。せめてNECのようにブルーとレッドつけるくらいの区別がないと困る。

噂がなかったわけではない。この年度は新人を獲得していないことなどからも、不安は感じられた。それ以上に、ユニチカの株価は、バレー部を維持していること自体が奇跡と言える水準にあった。
ユニチカは97年度に赤字に転落。前年の春には、女子バスケット部が日本リーグから撤退した。(現在でこそ、女子バスケはシャンソン化粧品とジャパンエナジーのイメージしかないが、ユニチカ女子バスケ部もシャンソン全盛時代以前には最多優勝を誇った強豪だった。)社員の基本給が一律10%カットされ、前年冬の一時金は史上最低。それでも会社の象徴である女子バレー部だけは存続させると、労使の意見は一致していた。しかし、この春に経営部が刷新され、状況が変わった。女子バレー部の廃部には、「過去の価値観や伝統にこだわらないというメッセージが含まれている」という。
廃部の決定を下す最後のきっかけが、全日本の五輪予選敗退であったことは、間違いない。廃部が決まったのは、その予選敗退の4日後、6月29日の役員会でのことだった。

これまでも、Vリーグ女子では、97年度にダイエー、98年度には小田急・東芝の休廃部があった。しかし、ユニチカが廃部ということは、これらのチームの休廃部とも全く違う重みがある。いうまでもなく、ユニチカは東京五輪金メダルの「東洋の魔女」の伝統を引き継ぐチームであり、日立とともに日本女子バレーの牽引車であったチームである。日立かユニチカがやめるときは、日本の女子バレーが終わるときだ、多くのファンがそう思っていただろう。そのときがきてしまった。女子バレー界の顔であったユニチカの廃部は、他の企業にも決断を促し、雪崩現象を起こすおそれもある。

全日本女子が五輪出場を逃し、さらに名門の廃部に至り、文化としてのバレーをどのように持続・発展させていくか、という視点で考えるしかない。言い換えれば、バレーという競技のファンをどうやって育てるか、ということでもある。
しかし、最近の日本バレー協会のやり方を見ると、世界を意図的に見せないようにしようという意志が強く感じられた。メディアと手を組んで、日本は強い、という幻影を作り維持するよう努力しているようだった。みんなで沈めば怖くない、ともとれる。女子Vリーグの鎖国はその典型だと思う。さらに、国際大会のたびに、アイドルを利用し、客を呼び寄せようとしてきた。その場だけ客が入ればいい、もっと言えば、日本戦だけ客が入ればいい、というやり方を続けてきた。
これらは、文化としてのバレー、という観点とは全く逆行する。日本だけよければいい、ということだ。それを続けてきたつけは途方もなく大きい。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


久光製薬、オレンジアタッカーズに出資(2000/6 - 7)

バレーボールVリーグ女子のオレンジアタッカーズの新たなスポンサーに、久光製薬が名乗りを上げていたことが、7月1日に明らかになった。同社は同チームと近くスポンサー契約を結ぶ。久光製薬は、チームの運営費2〜3億円を出資する。チームの運営はこれまで通りダイエーコミュニケーションズが行い、活動も神戸を拠点に行うが、実質的には久光製薬がオーナー企業となる。なお、久光製薬は佐賀を拠点とするチーム「久光製薬スプリングス」をV1リーグに持っているが、このチームは「久光製薬九州」という名称で別チームとして存続する。
これに伴い、チーム名に「久光製薬」の名前が冠せられ、「久光製薬スプリングアタッカーズ」となる。同日、東京で開かれた日本バレーボール協会理事会で、名称変更が承認された。

オレンジアタッカーズは旧ダイエー時代の98年に休部の危機に陥ったが、グループ企業の広告代理店、ダイエーコミュニケーションズを経営母体とする再建策を図り、Vリーグに残留。しかしその後も累積赤字が増加し、新たな広告主を探していた。6月のシドニー五輪最終予選期間中に、ファンクラブの活動停止が知らされるなど、存続が危ぶまれる状況にあった。
久光製薬側によると、5月中旬に、合併という話が持ち込まれたとのことである。しかし、従来の久光製薬スプリングスは1955年創部、会社の顔という存在のため、2チーム所有を選択した。ただし、ここ数年従来の久光スプリングスの成績は今ひとつである。将来的には合併の可能性はかなり高いと思われる。見方によっては、久光九州に最後のチャンスが与えられた、ともとれる。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る


帰化選手制限(2000/4 - 6)

国際バレーボール連盟は13日、ローザンヌで開いた実行委員会で、ナショナルチーム代表として国際大会に参加し、その後国籍を変更した選手に対する国際大会への参加を制限すると決定した。今回の決定は、即効力を持ち、男子ワールドリーグ、女子ワールドグランプリ、男女五輪最終予選、シドニー五輪でも適用される。

この件に関しては、たびたび混乱させて申し訳なかったと思う。まずは、その国籍変更選手に対する制限の内容を、きちんと整理して書くところからはじめる。

  1. 他国からの移籍選手(変更前の国籍の代表チームでプレーしたことのある選手)は、登録・出場は1人しか認められない。この制限は無期限。
  2. 国籍を変更し、正当な手続きが完了してから2年間は一切出場不可。上記1の1人として登録することも認められない。

この決定に関する私の見解を、最も短くまとめると、次のようになる。
決定の経緯には多くの問題があるが、決定の内容はそれなりの正当性を持つ。(というか、必要な規制である、もっと言えば、であったと過去形にすべきか?)したがって、政治的な圧力で特定のチームないし選手が犠牲になったという見方はできない。

真剣に議論すると、今回の決定が制限対象となる選手の人権を不当に侵害したかどうか、ここが結局のところ今回の決定が正当か否かを判断する根拠になると思われる。ただし、人権侵害かどうかを真っ向から判断するのは、それこそ法律の専門家でもなければとてもできない。その人がどこを重視するかで判断が別れることになる。もっと言えばそれは立場というか気持ちの問題でもある。決定の経緯の異常さ、あるいは不自然な意図が見え隠れすることを追及するなら、当然、人権侵害という結論に達することになる。この決定で出場できなくなる選手に思い入れがあれば、当然そのような見方になるはずである。一方、それ以前にナショナルチームのあり方という点を重視すれば、人権侵害という見方はできなくなるだろう。

参考として、プレスリリースが出た直後に、後者の立場から議論を進めたものを、模擬裁判の項目にまとめておく。(プレスリリースが出た直後の議論なので、上記2.の条項は出ていなかった時点での議論であることを気にとめていただきたい。)私としてはなぜナショナルチームのあり方という議論にこだわるのか。それはクロアチアのチームというか、正しくはクロアチアの特定選手に極めて強い思い入れがあるからだ。これまで帰化選手に頼るだけで、クロアチア生え抜きの選手を育てる努力をしてこなかった、とは言いすぎにしても、その努力がおろそかにされてきたことに、非常に忸怩たる思いがある。そしてこれだけ悪い結果が出ていながらいまだに何も変われないことにも。

FIVBもでたらめだが、クロアチアのチーム、というより、チームの責任者を擁護する気には間違ってもならない。彼らは、シドニー五輪を目指すチーム作りに関して、およそ無計画・無責任だった。迷走を繰り返した挙げ句の果て、肝心の五輪最終予選を、これまでで最もでたらめなチームで戦うことになった。
全く別の観点として、本当に代表チームを五輪出場させたいのなら、クロアチア協会がなぜ裁判に訴えないのか、というくらいの気持ちもあった。千葉すずの件で出てきた「スポーツ仲裁裁判所」に訴えればいい。制限の内容の是非はともかくとして、制限が決まった経緯はあまりにも異常かつでたらめである。裁判をやれば絶対に勝てると思った。クロアチア協会はいったいどういうつもりだったのか。要するに、何もやる気がないのか。
ならば、今回の制限がいかに理不尽なものとしても、これでチームが変わるきっかけになれば、その方がいい。もっと言えば、このようなきっかけでもなければ変われないだろう。そして、結果としてはその通りだったわけである。

制限の内容および経緯
露呈したFIVBの体質的問題
模擬裁判

制限の内容および経緯

そもそもことの始まりは、2000年4月13日の国際連盟の実行委員会で、次のような制限が決定されたことである。その内容が14日付のプレスリリースに出ている。

他国からの移籍選手(変更前の国籍の代表チームでプレーしたことのある選手)は、登録・出場は1人しか認められない。今回の決定は即効力を持ち、男子ワールドリーグ、女子ワールドグランプリ、男女五輪最終予選、シドニー五輪でも適用される。

この決定が重大な問題となったのは、この制限の対象が事実上1チーム4選手に絞られてしまうためである。すなわち、クロアチア女子チームの、チェブキナ・キリロワ・シドレンコ・リヒテンシュタイン(いずれも旧ソ連またはロシアから帰化)の各選手である。
五輪最終予選間際という土壇場で、しかも即有効という異常な経緯がまかり通った背景として、帰化選手がいるナショナルチームがほとんどないことがあると思われる。それゆえ、一般の認識としても、帰化選手が帰化した先の国のチームで戦っている状況に違和感を感じやすい。そして、不利益を被るのが実質1カ国だけでほかの国にとっては有利になるか無関係となれば、決定が簡単に通っても不思議はない。もしいろいろなチームに帰化選手が入っていて、この決定で影響を受けるチームが多数あれば、このような土壇場の決定は通らなかった(少なくとも決定までに時間がかかる)のではないか。

ところが、肝心の女子五輪予選直前になって、また極めて不可思議な話が出てきた。最初の出所はJVA(JVAのWebページおよびVクラブ会員に配布されたパンフレット)である。JVA(日本バレーボール協会)のページから引用する。(JVAホームページ→五輪予選→クロアチアチームのページとたどる)
「他国からの移籍選手は正当な手続きを完了した2年後から出場可能となり、それ以外は1名のみしか出場できない」
つまり、この文を読む限りは、移籍手続きが認められて2年を経過すれば、自由に出場できる、と解釈できる。期限を限ってというのと無期限の制限ではあまりにも大きな違いで、当然簡単には信用できなかった。

内容も問題だが、それ以前に問題なのは、プレスリリースにはどこにも書いていないことがいきなり出てきたことである。FIVBの4月14日付のプレスリリースには、どこをどう読んでもこのようなことは書いてない。プレスリリースからは、帰化選手を1チーム1人に制限する、としか読めない。

ところが、さらに後にわかったのだが、これは英文の誤訳らしいのである。

(誤)「他国からの移籍選手は正当な手続きを完了した2年後から出場可能となり、それ以外は1名のみしか出場できない」
(正)「他国からの移籍選手は正当な手続きを完了して2年間は出場できない。それ以外(移籍手続きから2年以上を経過した選手)は1名のみしか出場できない」
(正)のほうに書いたけれども、おそらく、原文の第一文は「2年間は出場不可」と書いてあったのだろう。それを「2年後から出場可能」と訳した。ところが、第二文の「それ以外」以下をそのまま訳したために、とんでもない誤解を招く表現になったのだと思う。
JVAの誰も誤訳に気がつかなかったのだろうか、という疑問はある。しかし、この件に関しては、責任の大元はJVAではない。そもそも原文が明らかにされていないのだから、誤訳と気づくはずはない。


露呈したFIVBの体質的問題

そもそも、最初に書いた第1項の制限自体、かなり急に出てきたものだ。その証拠として、プレスリリースが出る10日ほど前(4月4日)、世界最終予選の対戦順を選択した葛和監督のコメントがある。「クロアチアはベテランが多いので、疲れが出る後半がいいと考えて第6日にした。」つまり、この時点ではこのような制限の話は全く出ていなかった。五輪最終予選さらに本大会が直後に迫っている時期に、どうしてこのような重大な規約変更がされるのか。しかも、無期限に出場1人のみに制限、さらに決定即有効と、常識破りの乱暴な経緯である。(ただし、日本を出場させたいだけというのもややうがった見方と思われる。というのは、日本も有利になることは間違いないが、各チームの予想を立てて考えてみるに、この決定で最も有利になるのは同じ欧州のイタリアとオランダだからである。)
当然、各方面から疑問の声が出るだろう。五輪憲章との関係上「違憲」ではないか、等々。それが出ないとすれば、そのほうが異常である。だから、無期限の制限はやめるとか、制限を緩和する方向に修正するのであれば、経緯としてはまだ理解できないでもない。
* なお、五輪憲章では、「国籍を変更した選手は、母国側の許可がない限り3年間は出場不可」という制限とのことである。裏を返せば、3年経過すれば無制限に出場できる、さらに、母国側の許可があれば即出場も可能、ということである。
ところが、さらに厳しくする方向の制限が後付けで付け加えられた。しかも、その条項2は、プレスリリースにはいまだに出ていない。「後付け」と断定した根拠は、6月初めのBCVマスターズではリヒテンシュタインは出場していたことである。さらに、五輪予選直前の(雑誌に出ていた)日本側のコメントでさえ、セッターは当然リヒテンシュタインが予想されていた。このあたりの経緯は、私の理解力を完全に超えている。

また、移籍手続きから2年という規則とは関係ないが、細かい話を議論すると、プレスリリースを読む限り、帰化選手は登録も1人しかできない、と思われる。しかしクロアチアチームの五輪最終予選の登録メンバー(18人まで)には、旧ソ連(ロシア)4選手のうちシドレンコを除く3人がエントリーされていた。

もう一つ言えば、これはまだ問題にはなっていないが、「制限の対象となる帰化選手」の範囲についても、厳密な規定が必要で、細かい場合を想定すれば、きりがないくらいである。

要するに、これだけ重要な規則について、プレスリリースにない条項がいきなり出てきたり、解釈の曖昧さが残るような書き方だったりしては困る、ということだ。このあたりの詰めのいい加減さからして、結論が先にありき、細部をきちんと検討せずに五輪直前に駆け込みで決めた、ということがうかがえる。

このような決定で、本来五輪に出場すべき選手が出場できなくなっても、それはそれでかまわないと考えているとすれば、それは非常に危険なことである。というか、おそらくそのことには頭が回っていないのだろう。しかし、もしそのようなことがあれば、バレーボールという競技の普及とかそのような観点からも、要するに長期的な見方で見れば、絶対プラスにはならないはずだ。

このあたりに、FIVBという組織の体質が見えてくる。会長(とその一部の側近)の独裁で、誰もその決定に反対できない。近年のルール改変、ことに全セットラリーポイント・サーブのネットインOKの件にしても、まず決定の経緯が異常である。ネットインOKなど、いってみれば完全な不意討ちである。ルールの本質がどのようなものかわからないうちに、委員会が決めたことだからこの通りにやれ、ということである。
最近のFIVBの重要な決定の経緯を見ると、できる限り反論させないようなやり方をしているという印象が、非常に強く感じられる。

その会長は、要は、目先の金のことしか見えていないようだ。放映権料がほしい、そのためにはメディアのいうことを聞かなくてはならない。日本のスポンサーのお金がないと困る、そのためには何としても日本に五輪出場してもらわなくてはならない、ということである。
しかし、競技の人気の原点は、いかにレベルの高いプレーを見せるか、いかに面白い試合を見せるか、というところにあるはずだ。そのような短絡的な思考で、その原則から遠ざかれば、バレーという競技そのものがだめになる。現在、放送の技術革新、余暇の過ごし方の多様化の中で、コンテンツの競争、ということが必ず起こるはずである。できる限り面白いものを見せなければ、当然ファンはついてこない。(なお、誤解のないように書いておくが、帰化選手制限自体は、その原則からもむしろ何らかの形で必要だと考える。)


模擬裁判

  1. 国内から選手(の素材)を集めて育てて、チームを組織として作り上げる。それがナショナルチームの当然の姿である。帰化選手の制限というのは、その当然のことをルールで決めたものである。
    その立場から見れば、今回の制限は、完成した選手が国籍を変更することに対する制限、と考えられる。未完成の段階で国籍を変更して、新しい国籍で育てられた選手については、制限の対象としない。完成した選手かどうかの基準が、「ナショナルチーム代表として国際大会に参加し、その後国籍を変更した選手」ということである。

  2. 帰化選手の制限自体は一般に必要とされている以上、国籍を変更すれば帰化した国のナショナルチームにも参加できない可能性は覚悟の上で、帰化という選択をしているはずである。もし国籍を変えた時点でその制限がなかったとしても、後に制限される可能性も推測できるはずである。

  3. 検討が必要な部分は残されているが、今回の決定は十分とは言えないにしても相当の合理性を持つ。昔からこのような制限があったとしてもそれは不合理ではない。昔からあったとしても当然の制限が、今(五輪直前にしても)できたから不当であるとは言えない。

以下、もう少し詳細に議論したい。

国内から選手(の素材)を集めて育てて、チームを組織として作り上げる。それがナショナルチームのあるべき姿である。国内で育てる環境が不十分としても、留学に出すなり、他国のリーグに挑戦させるなり、育てる方法はいくらでもある。制限が特になくてもそうするのが当然であって、実際ほとんどの国はそうしてきた。帰化選手の制限とは、その当然のことをルールで決めたに過ぎない、と考えられる。また、母国側が苦労して育てた選手が、無制限に国を出ていってよいとなれば、選手育成の努力がされなくなってしまうおそれがある。

今回の制限は、完成した選手が国籍を変えて帰化した先の国のチームで出場することに対する制限、と考えられる。素材から育てた選手を出すのならかまわない、ということである。制限の対象が、「ナショナルチームに参加して国際大会に出場した選手」となっているのは、完成した選手かどうかの基準であると考えられる。国際大会に出場したことのない選手が国籍を変えて、変えた先の国でナショナルチームに参加して国際大会に出場したのであれば、新しい国で(一部にせよ)育てられたことになる、という判断であろう。
バレーがチームスポーツ、それも比較的少人数の競技であることを考えれば、人数制限があるのも(1人という人数は少なすぎるかもしれないが)必然であろう。

実際、これまでも、コート6人のうち3人が帰化選手なんて反則だ、と思っていた人がいることは(どの程度の割合かはわからないにせよ)確かであり、そう言われれば反論はできない。かつてクロアチアチームを応援していた立場としても、そのようなチームのあり方には疑問を抱かざるを得なかった。

この制限に反対するというか許せないという意見ももちろんある。その理由を最も短く言えば、特定のチームあるいは選手を犠牲にした、権利を不当に侵害したということになるだろう(しかもその理由としては、別のチームを有利にしたいという意図が当然に見えてきて、さらにその裏にはFIVBの金権体質もうかがわれる。)。
実際、人権という観点では、非常に難しい問題を含むことは間違いない。実際に制限の対象となるクロアチアの選手は、国籍を変わって短い選手でも2年。なぜ今さら帰化選手だから出るなということになるのか、という疑問はある。特に、キリロワ、チェブキナの両選手は93年時点ですでに帰化しており、クロアチアチームの選手として大会に参加している。クロアチアが独立してチームが結成された実質上当初からいる選手であり、その観点では、帰化選手であるという理由で区別すること自体疑問がある。また、この時代は、旧ソ連および社会主義体制の崩壊から、旧ユーゴの崩壊・独立戦争へとつながっていく時代であったことも考える必要がある。
しかし、ほかの競技では、以前から一般に帰化選手に対する制限が何らかの形であったわけで、かつての社会主義圏では、国家が消滅したり体制が全く変わったりする、それがどんな変化かは我々には想像できないわけだが、その中で厳しい選択を余儀なくされたはずである。ある選手は国に残り、ある選手は制限があることを知った上で国を変わり、またある選手は引退せざるを得なかったかもしれない。
どのような競技でも、帰化選手に対する制限はあるのが当たり前と考えられる。とすれば、国を移った時点では制限がないとしても、後に制限ができて、その結果国際大会に出場できなくなるかもしれない。それは当然に合理的に推測されることであって、国籍を変えるということは、それを覚悟した上での選択のはずである。帰化した当時に帰化選手であるという理由で出場が制限されたとしたら問題ではなく、同じ理由で現在出場できなくなるのは基本的人権の侵害というのは、これも論理としては疑問がある。

前の段落は、選手の権利という観点での議論である。しかし、バレーボールがチームでの競技である以上、国際大会は純粋に国対国の対戦である。そのため、ナショナルチームにおいては、「国内から素材を集めて育てる」という原則が厳格にされるべきだと考えている。それに加えて、帰化選手がいなくて国内から集めた選手を育てて戦っているチームを考えなくてはならないのではないか。チームの半分が帰化選手というチームが世界の上位に入ってきたら、ほかの(帰化選手なしで戦っている)チームから「そんなの反則だ」という異議が出ても不思議ではない。つまり、母国と帰化した先の国、選手に加え、それ以外の国も考える必要があるということである。

もう一つ考えなければならないのは、単に自国出身の選手に実力がないからオンコートが帰化選手というだけでなく、帰化選手に頼ってしまい、その結果プロパーの選手の育成がおろそかにされる、ということがあり得ることである。そうなれば全体のレベルアップという観点でもマイナスになる。
もっと具体的に突っ込んでしまえば、これまでのクロアチアチームはそうだった、ということである。93年ないし95年の時点で、旧ソ連出身の帰化選手とクロアチアプロパーの選手を比較すれば、帰化選手が上回ることは当然だろう。しかし、近いうちに帰化選手に頼らなくとも世界で戦えるチームを作るために、(遅くとも旧ソ連出身選手の力が落ちるまでに)、明確なヴィジョンを持って、クロアチア生え抜きの選手を発掘・育成し、実戦経験も積ませなければならない。ところが、実際は99年ワールドカップになって、やっとユース程度のレベルに達したに過ぎない。世界的に見れば平々凡々の選手(エース一人除く)でどう戦っていくのか、その方向性も感じられない。(高さはあるし、打たせれば結構決まるが、特に守備面では日本の高校生と同程度かもっと悪い。)イタリアなど、前回五輪予選では「教えてください」というレベルだったのに、わずか2年半で世界の5位(98年世界選手権)にまで上り詰めた。それに比べれば、クロアチアが努力していなかったことは明白だと思う。95年ワールドカップから数えても、時間は十分にあったはずだ。
そしてこれらの観点では、帰化して何年経過したからかまわない、という議論は成り立たない。

(以下、2000年12月追記)
結果を言ってしまうと、突然この制限が決められたにもかかわらず、クロアチア女子チームは五輪出場を果たした。五輪世界最終予選、および本戦を通じて、これまでフル代表の試合出場さえ一度もないセッターをはじめ、多くの若い選手が、これまでにはなかった真剣勝負の経験を積むことができたのである。もしこの制限がなければ、おそらくクロアチアは、旧ソ連時代からの帰化選手を入れて予選を戦っただろう。たとえそれで五輪出場できたとしても、この先につながるものは何もない。この制限ができたがために、結局クロアチアも、極めて得難い財産を得たのである。

例えば、話は極めて変わるが、現在ドーピング検査においては、「物質が体内に入った経緯は何であれ、禁止物質が体内から検出された時点で違反である」という原則が用いられている。この決め方は、人権に触れるおそれは大いにある。しかし、そうでないとドーピングの取り締まりができない。それと類似の考え方をするなら、「国籍を変更した理由がいかなるものであっても、帰化選手を代表チームに加えることは厳しく制限する」という考え方があっても、不思議ではない。もし、母国側あるいは第三国のチームの権利を守る、あるいは各国で選手育成の努力がなされるという点で、そのほうが望ましい結果になるのであれば、規則としては合理性があると主張できるのである。

ページの先頭に戻る
Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る