第3回Vリーグ - The Hornet in the "Bees"

私はずっと彼女を何とかしてもう一度見たいと思っていた。ところが、問題の最終予選から約半年後の96年12月、第3回Vリーグ開幕戦の記事で、彼女はまだ初年度と同じ「デンソー」にいることが判明したのだ。これはビデオに録画するしか!Vリーグの放送はないわけではない。問題は、放送されるチームがかなり偏っていることである。プロ野球にしろサッカーにしろ放送されるチームは偏っているから、これはしかたないといえばしかたないのだが。デンソーの放送はほとんどない。このチームに力のある日本人選手はいないからだ。こちらは、監督自身はっきり白状(?)している。
「拾って彼女につなぐだけ」
彼女の打った本数、ストレート勝ちの試合で71本、チーム全体の打った本数に対する割合は6割弱である。これは、打った本数に対する割合だから、決まった本数に対する割合をとるとおそらくもっと上がるだろう。相変わらず熱いらしいのである。どうして彼女は熱いチームにしか入らないだろうか。ひょっとすると、彼女はそのような環境が好きな人なのだろうか。それが彼女の一番の要点なのだが。

第3回Vリーグのレギュラーシーズン、デンソーも、衛星放送で1回だけ放送があった。ビデオだけはけちらないで衛星放送の受かるものを買うべきだったと、非常に後悔した。衛星放送の録画ができれば、バーバラのリソースもフルカラーのオクサナもばっちりだったのに。来シーズンまでには、実家に衛星放送の録画できるビデオが入る予定なので、来シーズンは実家に録画を頼むことができる。ただし、バーバラが来シーズンもVリーグのどこかのチームにいればの話だが。彼女が、もっとまともなチーム、優れた日本人選手のいるチームに移れば、それだけリソースを入手できる可能性は大きくなる。しかし、そうなれば、彼女の最も肝心のところが骨抜きにされてしまう。

それにしても、最下位JTですら2回放送があったのに、マジでひどい。今シーズン(レギュラーシーズン)の放送回数は間違いなくVリーグ女子8チームの最下位である*1。しかし、放送するほうも、日本人選手にばかり目を向けるのはいい加減やめにしたらどうか。世界一「熱い」エースアタッカーの放送がレギュラーシーズンで1回きりとは、あまりにもひどすぎはしないか。
*1 第4回のようにVリーグ放送がほとんどNHK-BSだけになると、チームの強さあるいは日本人スター選手の存在と放送回数とはあまり関係がなくなる(例えば、どのようなわけか、ユニチカの放送は第3回も第4回も極度に少なかった。)。しかし、第3回までは民放での放送がしばしばあった。民放での放送が多い場合は、日本代表選手が多いチーム、強いチームの放送回数が当然増える。

第3回Vリーグ女子では、かつての日本リーグで断然最多の18度の優勝を飾り、日本チームの中心選手を輩出してきた日立が7位に落ち、Vリーグから転落の危機に直面した(第3回までのVリーグでは、最下位のチームは自動的にVリーグの下にあたる実業団リーグに降格となった。7位のチームは実業団リーグ2位のチームと入れ替え戦を行い、勝てばVリーグに残留、負けると実業団リーグに降格となった。入れ替え戦は2試合で、1勝1敗になった場合は得セット、それも同じなら得点が多いほうが勝ちである。)。しかも日立は入れ替え戦にも連敗、実業団リーグへの降格となってしまった。日立は現在でも日本の主力選手を最も多く擁し、しかも、外国人選手抜きで戦い続けたのである。このチームの落日は、まさに日本女子バレーの落日をも意味している。
ところで、レギュラーシーズンの最終戦、日立を負かし7位を決定づけたのはデンソーだったのである。やはり悪役である。しかし、第3回のVリーグのチームを見ると、他のチームは(最下位JTは別にして)Vリーグの前身である日本リーグ時代から実績もそれなりにあり優勝経験もあるようなチームがほとんどである。そして、ほとんどのチームは、実業団リーグへの陥落の経験はない(ダイエー・NEC・ヨーカドーのように、結成が新しいチームの場合、日本リーグに上がる前に実業団リーグを経験しているが、そのようなチームでも日本リーグに上がった後は陥落はない。)。デンソー以外では、準優勝の東洋紡がVリーグ(かつての日本リーグ)と実業団リーグを行ったり来たりを繰り返した経験を持つが、東洋紡も優勝経験こそないものの準優勝はこれ以前にも何度もある。3位で過去最高の成績などというのはデンソーだけである。その中にこのチームが割って入りVリーグ残留を果たすためには、名門チームのどこかを蹴落とさなくてはならなかったという話である。

97年3月、新しい全日本のメンバー(合計18人)が発表された。高校生が3人というのにも驚いたが、それ以上に驚いたのはVリーグから選ばれた選手の所属チームが偏っていることである。第3回Vリーグの5位〜7位のチーム全てから9人が出ている一方で、2位〜4位のチームからは何と一人も選ばれていない。これも日本女子バレーの弱体化を如実に表している。日本代表選手が何人もいるチームが、いい日本人選手がいなくても強力な外国人エースのいるチームにかなわないというのだから。しかしそれは今さらがたがた騒ぐまでのことではない。アトランタ・オリンピック、いや、94年のアジア大会の頃から、とっくにはっきりしているはずのことなのだ。この年は、オリンピックの次のシーズンということもあり、今までの主力選手が相次いで引退を表明した。その意味からも、今日本女子バレーに必要なものは「ゼロからの再建」である。

一方、このことにはもう一つ別の意味があると考える。Vリーグは、世界の一流選手のプレーを見る場でもあり、その側面がもっと強調されてよいということである。

97年2月、Vリーグ女子は最終の3回戦を迎えていた(Vリーグは、8チームから構成され、1シーズンに総当たりのリーグ戦を3回行う)。その結果を新聞やテレビで見るとき、非常に緊張した。以前は、野球またはサッカーなどでひいきのチームの試合結果を見るときにも、そのような緊張を感じることはなかった。彼女を見てからおよそ8カ月、いまだにショック症状は残っている。彼女を見たせいで、私の頭の回路は、どうやら変なところで短絡してしまったらしいのだ。

2月21日、この日は、試合結果次第では最終順位決定戦(以下プレーオフと呼ぶ)出場の4チームが事実上全て決まるという大切な日だった。私は、この日の夜、ニュースまたはスポーツニュースを3つはしごしたのだが、どこもVリーグの結果をやらなかった。のみならず、3回戦の優勝がかかった最終試合さえ、30分の枠で扱わないスポーツニュースがあったのだ。結果自体は次の日の新聞を見ればわかるからいいけれども、Vリーグの注目度の低さがうかがえる。はたして、これほど人気がないから日本バレーボールが低迷しているのか、日本バレーボールが低迷しているから人気がないのか。どちらかといえば後者が正解だろうが、これはニワトリが先かタマゴが先かというのと全く同じ議論である。

結局デンソーは最後の最後で落ちた、と第6戦終了時には思わず書いてしまった。それほど絶望的な状況に思われた。しかし、第7戦で状況が一転、プレーオフ進出できたのである。しかし、実際のところ、デンソーのプレーオフ進出は、自身の勝ち負けよりもほかのチームの勝ち負けで決まってしまったのである。最終戦にこのチームは勝ったけれども、他の試合の結果によっては最終戦に勝ったとしてもプレーオフ進出はできない状況だった。
プレーオフに出場できるのは4チームである。各レグ(総当たり3回戦の1回ずつをレグと称する。)の優勝チームは、通算で7位以下に落ちない限りプレーオフに出場できる。それで決まらなかった枠は、プレーオフ出場が決定していないチームで通算成績が上位のチームから順に与えられる。各レグの優勝チームが全部異なればそれで3チームの出場が決まるわけだが、極端な場合、第1〜第3レグの優勝チームがすべて同じということもあり得る。その場合は、通算成績で決まる枠が3チームに増えることになる。
残り3試合の時点で、デンソーは5位に2勝差の4位、得失セット率でも優位に立っていた。通算の勝敗で逆転される可能性はこの時点で極めて低くなっていた。問題は、2回戦まで6位と低迷していたダイエーが、3回戦に入って快進撃を続けていたことである。ダイエーが3回戦優勝をとると、デンソーは、かりに通算順位4位でもプレーオフに進出できなくなる。つまり、ダイエーが3回戦優勝するかどうかが、デンソーのプレーオフ進出のカギを握っていたわけである。3回戦優勝の行方は最後までもつれたけれども、3回戦の始めは1勝2敗と出遅れた東洋紡が、その後勝ち続けた。そして、最終戦でも、この試合に勝てば3回戦優勝およびプレーオフ進出が決まるダイエーをストレートで粉砕した。これによって、3回戦は5勝2敗で3チームが並んだけれども、東洋紡が得失セット率でもトップに立ち優勝してしまった。これでデンソーは「命拾い」した形になったのである。

このころは私はとてもじっとしていられなかった。試験間近にもかかわらず、近くの図書館に行って新聞を調べ、プレーオフ進出を争っている各チームの勝敗と得失セットをまとめた(当時はインターネットに接続できる設備はまだなかった。)。さらに、通常リーグ最終戦の日には、わざわざ渋谷の電器店まで出かけて行き最終戦をチェックしようとした。しかし、そのときには肝心の試合は終わっていた。なんということだ。しかし、その後に「ステップラダー組み合わせ」が出てきた。その初戦は、「イトーヨーカドー対デンソー」。やった、決勝トーナメント進出だ!

そして待ちに待ったその日がやってきた。やっとバーバラを見られる!!

第3回Vリーグのプレーオフはステップラダー(注)という方式で行われた。デンソーは初戦に勝ったけれども、2試合目で負けたので、通算3位である。正直なところ、私は、初戦のイトーヨーカドー戦で負けることを覚悟していた。しかし、もし初戦に勝つことができれば面白いことになると思っていた。というのは、第2戦の相手、東洋紡にはレギュラーシーズンで3連勝したからだ。それだけに少し残念な面はある。しかし、よく考えてみれば、デンソーが東洋紡に3試合して3勝というほうが奇跡に近い。東洋紡のエースも、バーバラと並び世界ナンバーワンと言われる、ロシアのエースであるエフゲーニャ・アルタモノワである。百歩譲ってこの二人ではバーバラのほうが上としても、

個々の選手を見る限り、そう簡単にかなうはずのない相手なのだ。3試合ならデンソーの1勝2敗が妥当な線、勝ち越せば上出来である。それは別に東洋紡だけに言えたことではない。デンソーは、昨年は実業団リーグで戦っていた。実業団リーグで好成績をおさめて、今年Vリーグに戻ってきたチームなのだ。監督も、目標はVリーグ残留、願わくばプレーオフ進出と言っていた。そのチームが3位である。どう考えても、ここまできただけで出来過ぎである。最後の試合が終わった後外に食事に出るとか、会社からバリ島旅行をプレゼントされるとか、まるで優勝したかのごとき騒ぎである。
ところで、この試合は、イエリッチ封じが成功した一方で、アルタモノワがよく当たった、と言われた。しかし、はたしてそれで正しいのだろうか。両エースのこの試合のアタック決定率は、イエリッチが48%(52/108)、アルタモノワが45%(40/89)と、バーバラのほうが高い数字が出ている。特に、バックアタックだけを見ると、バーバラの決定率は5割を大きく超え、お世辞にも止めることができたとは言えない数字である。数字で全てがわかるものでないことはもちろんだが、少なくともこの数字は、上記の見方に疑問を呈するものである。この試合は、エースの出来のよし悪しよりも、サーブで相手を崩すこと、あるいは、きちんとレシーブしてエースにいいトスを上げることなど、流れというか組み立てがきちんとできたかどうかの差が出たような気がする。特に、この試合はデンソーのサーブレシーブが悪かった。アルタモノワのサーブで相当崩され、サービスエースも少なからずあった。(アルタモノワはそれほどサービス得点の多い選手ではない。)見方を変えれば、これで調子がいまいちと言われなければならないほど、まともに当たったときのバーバラはすごい、ということになるわけだが・・・。
(注)ステップラダー: 第3回以降Vリーグのプレーオフに導入された新方式。最初にリーグ戦通算3位と4位のチームが対戦、次にその勝者と通算2位のチームが対戦、最後にその試合の勝者と通算1位のチームが対戦し優勝を決める。リーグの黎明期ということもあり、優勝決定の制度は毎年猫の目のごとく変更されている。初年度は(ここに記憶違いがあった)初戦の組み合わせをレギュラーシーズン1位対4位、2位対3位とするトーナメント方式で順位を決定した(これはバスケットボールの日本リーグとほぼ同じ。ただし、バスケットボールでは一発勝負ではなく2試合先取で勝敗を決めているようである。)。2年目は上位4チームで再度リーグ戦を行い順位を決めた。しかし、この方式では、レギュラーシーズンの1位も4位も最終的な順位に全く関係しなくなってしまう(事実、最終結果の1位〜4位はレギュラーシーズンの1位〜4位と全く逆になった)という批判が起こり、新しい制度に変更された。

この方式で行われた初めてのプレーオフの結果は、男子まで含めて、初戦を除く(初戦は、片方のチームがもう一方のチームを迎え撃つ形にならない)4試合がいずれも迎え撃つチームの勝ちとなった。したがって、男子・女子とも、レギュラーシーズンの1位と2位のチームがそのまま最終結果でも優勝と準優勝となった。男子は完全にレギュラーシーズンの順位通り、女子も3位と4位が入れ替わっただけで決着した。この方式は万全の準備ができる迎え撃つ側に有利、と思われる結果である。この方式では、迎え撃つ側が力のあるチーム(上位チーム)となるが、レギュラーシーズンの個々の対戦を見ると、必ずしも上位チーム優勢となっているわけではなく、下位チームの3連勝という組み合わせすらあった(上記参照)。また、このシーズンの場合、ステップラダーの初戦は18時30分開始なのに、第2戦は14時、第3戦は12時と、開始時間が早くなっている。これは、すなわち、勝ち上がってきたチームにとっては前の試合と次の試合との間隔が短いということである。また、初日と2日目では試合開始時間が大きく違うため、コンディションの調整も難しくなるはずである。これらは迎え撃つ側に有利に働くはずである。

余談であるが、デンソー女子バレーボールチームの愛称は「エアリービーズ」という。応援用の横断幕に「ぶんぶん突き刺せ」とあるので、何のことかいな〜と思っていたのだが、まもなくその意味は判明した。この愛称の「ビーズ」とはbee、つまりミツバチのことなのだ。
それを最初に知ったときには、おい!何だよそれは!と思ってしまった。バレーボールにおける女王蜂でありたいという意味合いもある、と言われても、何だかなあ。今では慣れたというか違和感は感じなくなったけれども、やはり、ミツバチとは「強そうだ」という印象は全然受けない。
でもバーバラだけはhornet(スズメバチ)。ひょっとするとF-18 "Hornet"(アメリカの戦闘機)とミツバチくらい違うかもしれない。

あるとき、「バレーボールオールスターズ」というようなタイトルの本を見かけて、手にしてみると、何とバーバラのインタビューが!今でこそバレーボール関連のWebページを巡回して最新情報をいち早く集めることを覚えたけれども、当時はそのような手段はなく、どのような断片的なものでもいいからバーバラの情報がほしいと思っていたのである。しかも、外国人選手でインタビューを受けていたのは男女通じてバーバラただ一人である。さすが!と思ったものの、実態は次のようなところらしい。この本では、前回Vリーグでプレーオフに進出したチーム(男女とも)の代表選手一人ずつを取り上げ、その写真とインタビューを掲載していた。ほかのチームならそのときの日本代表選手あるいは代表でプレーした経験のある選手がいたからその選手がインタビューされたけれども、デンソーだけはそのような日本人選手がいないから、バーバラがチームの代表選手としてインタビューを受けたのである。

試合を見ることができて、バーバラがどのような選手かもう少し詳しくわかってきた。ボールの威力も世界一と言っていいだろうが、それに加えて、彼女には、ほかの選手にはおそらくないであろう次のような特長がある。

この二つは、実は同じことである。前にいようが後ろにいようが、常にバーバラにボールが回ってくる。ナショナルチームでもデンソーエアリービーズでもそうである。バーバラはずっとそのようなチームでプレーしてきたのだろう。
その一方で、この若きスーパーエースを使いこなすためには、おやじ*2と彼女をよく知っているコンビの選手の存在と、そして何よりチーム全体の一丸となったサポートが不可欠である、ということもわかった。
*2 バーバラの父親は、クロアチアのナショナルチームの監督であり、バーバラのコーチでもある。第3回までは、Vリーグの期間中は日本にきており、バーバラは、父親がうるさいとしばしばこぼしていたらしい。プレーオフの試合中、バーバラがしょっちゅう後ろの方を向くので、なぜかと不思議に思ったのだが、父親の方を見ているのだと後で気がついた。

デンソーエアリービーズは、日本人選手だけなら下から2番目くらいである。プレーオフに出場したほかのチームには、少なくとも2人くらいは、日本代表として名前を聞いたことがある選手がいる。5位〜7位のチームにも、プレーオフに進出したチームと同じかそれ以上に、日本代表としておなじみの名前がずらりと並ぶ。ところが、デンソーだけは、当時の日本代表どころか、日本代表経験者もほとんどいない。とにかくそのチームを彼女は3位まで引き上げたのである。日本の女子バレーボールにいかにかつての力がないとはいえ、Vリーグで外国人のエース一人に頼りきりになったら大筋で負けパターンである。ところが、このチームは、いつもそれに限りなく近いのである。それで半分以上の試合を勝ってきたのである。これも、彼女の力がいかに飛び抜けているかを証明しているだろう。

もちろん、バレーボール協会内に派閥があるとか、代表監督が自分のチームの選手を使いたがるなどで、デンソーのような日本リーグ・Vリーグでの実績が少ないチームの選手は選出されるのに不利である。また、いったん代表に選ばれながら会社の都合で辞退しなくてはならなかった選手がいたという指摘もある。
(そのような話がないスポーツはないと思うけれども、バレーボールはどろどろした話が多いと感じる。ダイエーの休部騒動から始まり男子実業団チームの休廃部が相次いだ98年前半にも、耳を疑うような話が続発した。そして98年7月には、それとも比較にならないほどの大スキャンダルが報じられた。その多くは事実に反するものだったけれども、事実無根の噂がまことしやかに流布してしまうのは、一方では、情報公開が不十分であることの表れでもあると考える。)
もう一つ、デンソーの選手にとって選出に不利となる要因として、デンソーの日本人選手は小さい選手ばかりということがある。私は、技術・精神力以前に体格と基礎的運動能力のギャップを埋めなければならない、とかねてから考えている人間だが、それはジュニア・ユース、あるいはもっと幼少の段階からの話である。そのような育成体制が整備されていないにもかかわらず、近年の代表選出には大型化の指向が非常に強い。このことが、95年のワールドカップで一躍スターとなった佐伯美香選手のインドア断念・ビーチ転向の一因となったといわれている。
しかし、それを考慮に入れても、「他のVリーグの上位チームに比べ、デンソーは日本人選手が弱かった」ということ自体は認めざるをえないと考える。

Barbara Jelic FanClubのホームページに戻る
制作者のホームページに戻る