AT互換機の「道」
1995年1月 KUMA-1建造 OS/2 Ver2.11J 486SX33 RAM 16M HDD 420M
当時としては16MのRAMは高く、6万円もするぜいたく品。でも、動かした時の感覚は、「おっ、早いマシンだ。SX33でもRAMが乗っていると快適だなぁ」というものだった。でも、ここから始まったAT互換機いじりは、とめどもない泥沼の道であった・・・
0.プロローグ
それは一冊の本から始まった
1.1998年の記録
16.腐ってもAGPであーる
31.バラックATは大事な仲間であーる
1.連休じゃあ、秋葉じゃあ
17.難波の夏はやっぱり暑い
32.VineLinuxでXFBBに挑戦
2.部屋の掃除をするとマシンが増える!?
18ハムフェアフィルムスキャナ狂想
曲
33.ダイエーが優勝するとパソコンが増える!?
3普通の週末は町田へ
19.すべては下駄からはじまった
3.2000年の記録
4.CD−Rでアール
20.魔の一週間
34.ああ、JUNKよ、VAIOよ
5.CD−Rでアール(その2)
21.またしてもフィルムスキャナ
35.えーい、意地でもAT!!セレロン667M!
6.平日も厚木に・・・
22.MPG−BOXをGET!!
36.第二次MUGEN改造計画!!
7.J3100は不滅です(その1)
2.1999年の記録
4.2001年の記録
8.J3100は不滅です(その2)
23正月はデジカメとプリンターの季節
37.二万円PCの組みたて
9.K6−300 GET!!
24.2月の秋葉を歩く
5.,2003年の記録
10.K6−300 起動!!
25.HDD交換でインストール地獄に
38.XFBB移設計画
11.キャプチャ・ボードとDirectDraw
26.連休の秋葉は空がにあう
39.ターミネーターが死ぬ日
12.DVDと言えば、やっぱりあれでしょう
27.風が吹けば散財が進む・・・
13.PC−CARDドライブをGE
T
28.秋葉の顔も三度
14.元祖ウッディのジャンクを拾う
29.ああ、楽しきかな、ゴミ集め人生
15.とりあえずWIN98
30,.WOODYをMM−PCに