紀貫之 きのつらゆき 貞観十四?〜天慶八?(872-945)

生年については貞観十年・同十三年・同十六年など諸説ある。下野守本道の孫。望行(もちゆき)の子。母は内教坊の伎女か(目崎徳衛説)。童名は阿古久曽(あこくそ)と伝わる(紀氏系図)。子に後撰集の撰者時文がいる。紀有朋はおじ。友則は従兄。系図
幼くして父を失う。若くして歌才をあらわし、寛平四年(892)以前の「寛平后宮歌合」、「是貞親王家歌合」に歌を採られる(いずれも机上の撰歌合であろうとするのが有力説)。昌泰元年(898)、「亭子院女郎花合」に出詠。ほかにも「宇多院歌合」(延喜五年以前か)など、宮廷歌壇で活躍し、また請われて多くの屏風歌を作った。延喜五年(905)、古今和歌集撰進の勅を奉ず。友則の没後は編者の中心として歌集編纂を主導したと思われる。延喜十三年(913)、宇多法皇の「亭子院歌合」、醍醐天皇の「内裏菊合」に出詠。
官職は御書所預を経たのち、延喜六年(906)、越前権少掾。内膳典膳・少内記・大内記を経て、延喜十七年(917)、従五位下。同年、加賀介となり、翌年美濃介に移る。延長元年(923)、大監物となり、右京亮を経て、同八年(930)には土佐守に任ぜられる。この年、醍醐天皇の勅命により『新撰和歌』を編むが、同年九月、醍醐天皇は譲位直後に崩御。承平五年(935)、土佐より帰京。その後も藤原実頼忠平など貴顕から機会ある毎に歌を請われるが、官職には恵まれず、不遇をかこった。やがて周防の国司に任ぜられたものか、天慶元年(938)には周防国にあり、自邸で歌合を催す。天慶三年(940)、玄蕃頭に任ぜられる。同六年、従五位上。同八年三月、木工権頭。同年十月以前に死去。七十四歳か。
原本は自撰と推測される家集『貫之集』がある。三代集(古今・後撰・拾遺)すべて最多入集歌人。勅撰入集計四百七十五首。古今仮名序の作者。またその著『土佐日記』は、わが国最初の仮名文日記作品とされる。三十六歌仙の一人。

20首  6首  20首  6首  2首
離別 5首 羇旅 3首  27首 哀傷 6首  5首 計100首

春たちける日よめる

袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ(古今2)

【通釈】夏に袖が濡れて手に掬った水が、冬の間に氷ったのを、春になった今日の風が解かしているだろうか。

【語釈】◇袖ひちて 袖が水に漬かって。「ひち」は「濡れる」意の自動詞「ひつ」の連用形。◇むすびし水 手で掬った水。「し」は過去回想の助動詞「き」の連体形。◇こほれるを (冬の間に)氷ったのを。「る」は完了・存続の助動詞「り」の連体形。◇春立つけふ 立春の日である今日。◇風やとくらむ 風が(氷を)解かしているだろうか。「らむ」は推量の助動詞

【補記】立春の当日に詠んだという歌。夏の暑い日、山の清水などを飲んだ時を想起し、その水が冬の間に凍ったと想定した上で、立春の今日は温かい風がその氷を溶かしているだろうと想像した。春の初めの風が氷を解くという趣向は『礼記』月令篇の「孟春之月、…東風解凍」(→資料編)に基づくことが昔から指摘されている。理知的な発想を構成的に詠んで、古今集開巻直後、当時の新風を高らかに宣言するような一首。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、古来風躰抄、僻案抄

【主な派生歌句】
袖ひちて我が手に結ぶ水の面に天つ星合の空を見るかな(藤原長能[新古今])
夏の夜は岩がき清水月さえてむすべばとくる氷なりけり(賀茂重保[風雅])
袖ひちて結ぶしら波立ちかへりこほるばかりの松の夕風(藤原家隆)
筆ひぢてむすびし文字の吉書かな(伝山崎宗鑑)

雪のふりけるをよめる

霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける(古今9)

【通釈】霞があらわれ、木の芽も芽ぐむ春――その春の雪が降るので、花のない里でも花が散るのだった。

【語釈】◇このめもはるの 「はる」に「(木の芽が)張る」を掛けている。「木の芽も芽ぐむ、春の…」の意となる。

【補記】春になって雪が降っているさまを、まだ花の咲いていない里に花が散っていると眺めて興じた。「霞たちこのめもはる」までは「春」を導き出す序詞であるが、春めいた趣を盛り上げるはたらきをしており、本格的な春の到来を待望する気分を高めている。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄、色葉和難集

【主な派生歌】
天の下めぐむ草木の芽も春に限りも知らぬ御代の末々(式子内親王)
うちむれて若菜つむ野の花かたみこのめも春の雪はたまらず(藤原家隆[続古今])
霞たちこのめ春雨きのふまでふるのの若菜けさはつみてむ(藤原定家)
おしなべて木の芽も春のあさ緑松にぞ千世の色はこもれる(藤原良経[新古今])
松の葉の白きを見れば春日山木の芽もはるの雪ぞ降りける(源実朝)
ひと夜あけて四方の草木のめもはるにうるふ時しる雨ののどけさ(*中院通村)

歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ(古今22)

【通釈】春日野の若菜を摘みにゆくのだろうか、真っ白な袖を目立つように打ち振って娘たちが歩いてゆく。

春日野
春日野

【語釈】◇春日野(かすがの) 大和国の歌枕。奈良市の春日山・若草山の西麓の台地。若菜の名所。◇ふりはへ 「ふりはふ(振り延ふ)」は「ことさらにする」意の複合動詞。「ふり」に袖を振る意を掛けている。◇人のゆくらむ 若菜摘みは通常少女の業なので、「人」は少女たち。「らむ」は推量の助動詞であるが、「人のゆく」ことの原因が「若菜つみにや」であると推し量っていることを示しており、「人のゆく」こと自体を推量しているのではない。

【補記】天皇に歌を献上せよと命じられて詠んだという歌。若菜摘みの名所である奈良の春日野に、朗らかなしぐさで歩いてゆく少女たちを遠望する立場で詠んでいる。題材にふさわしく明るい調べがあり、「ふりはへて」の掛詞も自然で、飾り気のない、清らかでかつ華やかな一首の風情とよく釣り合っている。万葉集にも野遊びの地として詠まれた由緒ある歌枕を出したのは、当時の都人にとっても既に古風な趣で、郷愁を誘う風景であったに違いない。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、和歌体十種(古歌体)、綺語抄、五代集歌枕、古来風躰抄、定家八代抄、秀歌大躰、歌枕名寄

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十
春日野に煙立つ見ゆ乙女らし春野のうはぎ摘みて煮らしも
  素性法師「古今集」
春日野に若菜つみつつよろづ世をいはふ心は神ぞしるらむ

【主な派生歌】
白妙の袖にぞまがふ都びと若菜つむ野の春のあは雪(後鳥羽院[続拾遺])
誰が為とまだ朝霜のけぬがうへに袖ふりはへて若菜つむらん(藤原定家)
墨染の袖ふりはへて峰たかき夕の寺に帰る雲かな(正徹)
白妙の袖ふりはへて武蔵野にいざ雪見むとおもひ立たずや(荷田蒼生子)
ふりはへて若菜つみにと行く野辺の袂ゆたかに見ゆる春かな(本居大平)

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける(古今25)

【通釈】我が夫の衣を洗って張るというその「はる」さめが降るたびに、野辺の緑は色が濃くなってゆくのだ。

【語釈】◇はるさめ 「張る」「春雨」を掛ける。◇ふる 「衣」の縁で「(袖を)振る」意が響く。

【補記】春は叙任の季節なので、「わがせこが衣」を出したことで、春ごとに昇進して位階を示す衣服の色が「まさり」ゆくめでたさを含意している。官人の妻の立場から詠んだ、春の訪れの喜びと夫の昇進の喜びを重ね合わせた歌である。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、俊頼髄脳、袖中抄、定家八代抄、秀歌大躰、和歌密書、三五記

【主な派生歌】
春雨のふりそめしより青柳の糸の緑ぞ色まさりける(凡河内躬恒[新古今])
浅緑霞たなびく山がつの衣はるさめ色にいでつつ(藤原定家)
我がせこが衣春雨ふるさとにひとりながむる花ぞうつろふ(木下長嘯子)

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける(古今26)

【通釈】青々とした柳の葉が、糸を縒り合せるように絡まり合う春こそは、糸がほどけたように柳の花が開くのだった。

【語釈】◇青柳(あをやぎ)の糸 春浅い頃の柳の枝葉を言う。漢語の「柳糸」にあたる。◇よりかくる もつれ合い、ひっかかり合う。「糸を縒る」で、糸を捩じり合わせて一本にする意になる。◇花のほころびにける この「花」は柳の実から飛び散る綿毛のような種子を言う。漢語の「柳花」「柳絮」にあたる。

【補記】前歌と同じく天皇に命じられて奉った歌。糸・縒り・みだれ・ほころび、と衣に関する語を列ね、柳花の咲き初めるさまを、面白みのある表現で描き出している。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
青柳の糸のくはしさ春風にみだれぬいまに見せむ子もがも
  伝大伴家持「家持集」
青柳の糸よりかけて春風のみだれぬさきに見む人もがな

【主な派生歌】
山おろしにみだれて花の散りけるを岩はなれたる滝と見たれば(西行)
春風の霞吹きとく絶え間より乱れてなびく青柳の糸(殷富門院大輔[新古今])
青柳の糸を緑によりかけて逢はずは春に何を染めまし(西園寺公経[続拾遺])

初瀬にまうづるごとに宿りける人の家に久しく宿らで、程へて後に至れりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむ宿りはあると、言ひいだして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる

人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(古今42)

【通釈】[詞書]初瀬の寺に参詣するたび宿を借りていた人の家に、長いこと宿らず、時を経て後に訪れたので、その家の主人が「このように確かにあなたの宿はあるのに」と中から言って来ましたので、そこに立っていた梅の花を折って詠んだ歌。
[歌]住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。人の心はうつろいやすいとしても、花は以前と変らぬ様で私を迎え入れてくれるのだ。

【語釈】◇初瀬 奈良県桜井市初瀬。長谷寺があり、観音信仰で賑わった。◇かくさだかになむ宿りはある 「かの家のあるじ」の言葉。久しく訪わなかったので、「このようにちゃんとあなたの宿はあるのに」と疎遠を恨んだのである。◇人はいさ 人はさあどうか。この「人」は婉曲に、詞書にある「家のあるじ」を指している。◇ふるさと 馴染みの里。具体的には詞書の「やどりける人の家」がある里を指す。京から初瀬の途上のどこか、おそらくは奈良旧京か。

【補記】長谷寺詣でのたび世話になっていた人の家に久しぶりに宿を借りたところ、家の主人が疎遠を恨んだので詠んだという歌。人の心と花を対比的にとらえ、あてにならない前者に対して後者は不変であると言って、相手の恨みごとをひねりかえすような機知をはたらかせている。当意即妙の挨拶歌である。『貫之集』には相手の返歌「花だにもおなじ心に咲くものを植ゑたる人の心しらなむ」(意訳:花でさえ昔と同じ心で咲くというのに、ましてやその木を植え育てた人の心が変ることなどあろうか――私の心を知ってほしい)を載せている。

【他出】貫之集、定家八代抄、詠歌大概、百人一首、平家物語(延慶本)、源平盛衰記

【参考歌】奈良の帝「古今集」
ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり

【主な派生詩歌】
君恋ひて世をふる宿の梅の花昔の香にぞなほ匂ひける(読人不知[続後撰])
すむ人もうつればかはる古郷の昔ににほふ窓の梅かな(*藤原家隆)
花の香も風こそよもにさそふらめ心もしらぬ古里の春(藤原定家)
散りぬればとふ人もなし故郷は花ぞ昔のあるじなりける(源実朝)
里はあれて春は幾世か霞むらん花ぞむかしの志賀の古郷(藤原行能)
人はいさ心もしらずとばかりににほひ忘れぬ宿の梅が香(正徹)
ことの葉の花ぞ昔の春になほにほふ初瀬の里の梅が香(三条西実隆)
にほひをば風こそおくれ人はいさ心もしらぬ宿の梅が枝(足利義尚)
人はいさ心もしらず我はただいつも今宵の月をしぞおもふ(松永貞徳)
阿古久曽の心も知らず梅の花(芭蕉)

家にありける梅の花の散りけるをよめる

暮ると明くと目かれぬものを梅の花いつの人まにうつろひぬらむ(古今45)

【通釈】日が暮れれば眺め、夜が明ければ眺めして、目を離さずにいたのに、梅の花は、いつ人の見ていない間に散ってしまったのだろう。

【語釈】◇目かれぬ 目が離れない。◇人ま 人のいぬ間。人の見ぬ間。◇うつろひぬらむ 花が「うつろふ」と言うとき、古くは盛りが過ぎて衰えることを言ったが、古今集の頃には散る意にも用いた。

【補記】家の庭に咲いていた梅の花が散ってしまったのを詠んだ歌。常に目を離さぬよう賞美していたにもかかわらず、自分の知らないうちに散ってしまったことを訝り、あたかも花が人目を忍んで散ったかのように見なしている。

【他出】古今和歌六帖、綺語抄、定家八代抄

【主な派生歌】
暮ると明くと見ても目かれず池水の花の鏡の春の面影(藤原実有[万代集])
暮ると明くと目かれぬ花に鶯の鳴きてうつろふ声なをしへそ(藤原定家)
暮ると明くと目かれぬ空も霞みけりいつの人まに春はきぬらむ(宗良親王)

歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

桜花咲きにけらしもあしひきの山のかひより見ゆる白雲(古今59)

【通釈】桜の花が咲いたらしいなあ。山の峡を通して見える白雲、あれがそうなのだ

【補記】下記参考歌「み吉野の…」で始まる二首と共に、花を白雲に見立てる趣向の最初期の例。初二句の万葉調の語勢が歌柄を大きくして、大景を眺めやった時の感動によく叶っている。いわゆる「丈高き」歌。

【校異】第二句を「さきにけらしな」とする本もある。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、古来風躰抄、定家八代抄、詠歌大概、西行上人談抄、秀歌大躰、竹園抄、愚見抄、悦目抄

【参考歌】伝大伴家持「家持集」
足引の山のまてらす桜花この春雨に咲きにけらしも
  作者不明記「新撰和歌」(「古今和歌六帖」は作者を紀友則とする)
み吉野の山べにたてる桜花白雲とのみあやまたれつつ
  よみ人しらず「後撰集」
み吉野の吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつ

【主な派生歌】
桜花咲きぬる時はみ吉野の山のかひより波ぞこえける(*源俊頼[新後拾遺])
あしひきの山のかひより吹く風に雪と見るまで花ぞ散りける(藤原家隆)
春もなほ雪はふれれどあしひきの山のかひより霞たつらし(九条道家[続後撰])
桜花咲けるやいづら時鳥山のかひよりいづる初こゑ(木下長嘯子)

春の歌とてよめる

三輪山をしかも隠すか春がすみ人にしられぬ花や咲くらむ(古今94)

【通釈】三輪山をこんなふうに隠すものか。春霞よ。人に知られない花が咲いているのだろうか。

【語釈】◇三輪山 奈良県桜井市の三輪山。三諸山・御諸山とも。神体山で、祭神を大物主神とする大神(おおみわ)神社がある。◇しかも隠すか このように隠すか。春霞に対する呼びかけ。

【補記】三輪山を覆うように立ち籠める春霞を心有るものとし、ひっそりと咲く桜の花を隠しているのかと見た。擬人化というものではない。言葉のもとには山川草木も人間も区別がなくなる、古今集の詩的世界観。

【他出】家持集、五代集歌枕、歌枕名寄、僻案抄

【本歌】額田王「万葉集」巻一
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

【主な派生歌】
吉野山たえず霞のたなびくは人にしられぬ花や咲くらむ(中務[拾遺])
いかさまに待つとも誰か三輪の山人にしられぬ宿の霞は(藤原定家)
み吉野の山のあなたの桜花人にしられぬ人や見るらむ(順徳院[玉葉])

題しらず

花の香にころもはふかくなりにけり()の下かげの風のまにまに(新古111)

【通釈】花の香に衣は深く染みとおってしまった。木の下陰を風が吹くままに。

【語釈】◇花の香 梅の香を指すことも多いが、新古今集ではこの歌を桜の歌として排列している。「香」は何となく漂う気(き)のようなものを指すこともあり、必ずしも嗅覚的なものに限られない。尤も桜の中には芳香を漂わせる種もある。

【補記】伝存する『貫之集』には見えない歌で、新古今集がこの歌を何処から採ったか不明である。

【参考歌】紀有朋「古今集」
さくら色に衣はふかくそめてきむ花の散りなむのちのかたみに
  能因「能因法師集」
庭のおもぞ夜のあやとはなりにける木の下陰の月のまにまに

比叡(ひえ)にのぼりて、帰りまうで来てよめる

山たかみ見つつわが()し桜花風は心にまかすべらなり(古今87)

【通釈】山が高いので、私はただ遠く眺めるのみで帰って来た桜の花――あの花を、風は思いのままに散らすに決まっているのだ。

【語釈】◇山たかみ (桜の咲いている)山が高いので。「たかみ」の「み」は上代のミ語法と呼ばれ、形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわす。◇心にまかすべらなり 心のままに散らしているであろう。「べらなり」は「きっと〜しそうだ」「〜するに決まっている」といった意を表わす助動詞。

【補記】比叡山延暦寺に参詣し、帰って来てから詠んだという歌。峰に咲く桜の花を遠く眺めながら山を降りて来た後で、触れ得なかった花が風に散るさまを思い遣ったのである。地上を歩くしかない人である己と、空をあたかも自由に行くかのごとき風とを対比し、風に対する羨望に似た心情と、高嶺の花に対する儚い憧れが歌い籠められている。万葉集の家持詠(下記参考歌)からの影響が顕著であるが、下句の婉曲な表現は時代の風である。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻二十
龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

【主な派生歌】
信濃路や見つつ我がこし浅間山雲は煙のよそめなりけり(*宗良親王)
山たかみ見つつこえゆく峰の松かへりこむまで面がはりすな(*長慶天皇)
山たかみかかれる雲の消えゆくは見つつ我がこし花やちるらむ(花山院長親)

亭子院歌合に

桜ちる()の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける(拾遺64)

【通釈】桜が散る木の下を吹いてゆく風は寒くはなくて、天の与かり知らぬ雪が降っているのだ。

【語釈】◇木の下風 木の下を吹く風。◇空にしられぬ雪 天空が承知して降らせているのではない雪。落花を雪に喩えている。

【補記】「霞たち…」が雪を花に擬えていたのに対し、この歌は花を雪に擬え、雪でないことを「空にしられぬ雪」と婉曲に言いなして興じている。延喜十三年(913)三月十三日、宇多法皇が御所の亭子院で催した大規模な歌合に出詠された作。掲出歌は十三番左勝。

【他出】新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、前十五番歌合、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、金玉集、和漢朗詠集、和歌体十種(華艶体)、俊頼髄脳、袋草紙、古来風躰抄、和歌肝要、桐火桶、和歌大綱、悦目抄、和歌口伝抄

【参考歌】承均「古今集」
桜ちる花の所は春ながら雪ぞふりつつきえがてにする

【主な派生歌】
今朝みれば宿の梢に風過ぎてしられぬ雪のいくへともなく(*式子内親王[風雅])
ほととぎす卯の花山のあかずして空にしられぬ月に鳴くなり(守覚法親王)
花ざかり空にしられぬ白雲はたなびきのこす山のはもなし(藤原定家)
花のゆき空にしられぬ色ながら木の下風に月ぞさえゆく(飛鳥井雅経)
雪のあした木の下風は寒けれど桜もしらぬ花ぞ散りける(後鳥羽院)
思ひきや空にしられぬ雪も猶雲のうへまでちらむものとは(蓮生[玉葉])
春ふかき木の下風は名のみして空にしらるる花のしら雪(堯孝)

志賀の山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける

あづさゆみ春の山べをこえくれば道もさりあへず花ぞ散りける(古今115)

【通釈】春の山を越えて来ると、よけきれないほど道いっぱいに花が散り敷いているのだった。

【語釈】◇志賀の山ごえ 京の北白川から比叡山・如意が岳の間を通り、志賀(大津市北部)へ抜ける道。志賀寺(崇福寺)を参詣する人々が往来した。◇あづさゆみ 春の枕詞。弓を「張る」と言うことから、同音の「春」を導く。◇花ぞ散りける 詞書によればこの「花」は志賀寺参詣の女たちの譬え。

【補記】志賀の山越えで、女性の集団に出逢い、贈ったという歌。相手は顔見知りの女官であろう。道で出くわした女たちを散り乱れる美しい花に喩え、挨拶としたものと思われる。

【他出】古今和歌六帖、袖中抄、定家八代抄、歌林良材

【主な派生歌】
みよし野に春の嵐やわたるらむ道もさりあへず花のしら雪(後鳥羽院)
さして行く道もさりあへず三笠山紅葉ぞぬさと散りまがひける(越前)

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

春の野に若菜つまむと()しものを散りかふ花に道はまどひぬ(古今116)

【通釈】春の野に若菜を摘もうとやって来たのに、散り乱れる花に道は迷ってしまった。

【補記】寛平四年(892)頃、宇多天皇の母后班子女王の御所で催された歌合に出された歌。貫之は二十代になったばかりであったが、十首近くを詠進し、相当の力倆を発揮している。掲出歌は山部赤人と在原業平の歌(下記参照)をミックスしたようなところがあり、万葉集の大歌人と古今集の先輩歌人、両方の影響が窺えて興味深い。

【他出】寛平御時后宮歌合、古今和歌六帖、定家八代抄

【参考歌】山部赤人「万葉集」巻八
春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける
  在原業平「古今集」
桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに

【主な派生歌】
春の野にはなるる駒は雪とのみ散りかふ花に人やまどへる(藤原定家)
かり人のいる野の露を命にて散りかふ花にきぎすなくなり(藤原良経)
かへるさや散りかふ花にまがふらむ若菜つむ野の春のあは雪(順徳院)
春の野に若菜摘まむときて見れば浅沢水はいまだ氷れり(熊谷直好)

亭子院歌合歌

さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける(古今89)

【通釈】風が吹き、桜の花が散ってしまった――その風が去って行ったあとのなごりには、水のない空に波が立つのだった。

【語釈】◇風のなごり 風が去った、あるいは静まったあとの名残り。「なごり」は「余波」とも書くように、風が止んだあともしばらく立っている波のことをも言う。

【補記】風に舞う桜の花びらを、空に立つ波に見立てている。花の白さが波頭の白さに通ずるだけでなく、花びらの群の波打つように漂う動きをも感じさせる、「美しく大きな光景」(窪田空穂『評釈』)。きわめて理知的な技法によって耽美を極めた一首であり、古今集和歌の美の一極致をなす。延喜十三年(913)三月十三日、宇多法皇が御所の亭子院で催した歌合に出詠した歌で、仮名序・真名序において古今集奉勅(または奏覧)の年とする延喜五年より八年も後の作であるが、古今集に入選している。実際にはこの頃まで古今集に手が加えられていたらしいと判る。

【他出】亭子院歌合、新撰和歌、万葉集時代難事、定家八代抄、桐火桶

【主な派生歌】
こむらさきにほへる藤の花みれば水なき空に波ぞたちける(大中臣能宣)
月すめば冬の水なき空とぢて氷をはらふ夜はの木枯(正徹)
こほりとく池のさざ波今朝見えて水なき空も春風ぞふく(飛鳥井雅親)
春はいぬくらまの山の雲珠(うず)桜水なき空にのこる色かな(木下長嘯子)
天つ風さえくらしたるなごりには水なき空にあわ雪ぞふる(下河辺長流)
霧の海はれゆく風の名残にはちぐさの波のよする野辺かな(大国隆正)

山寺にまうでたりけるによめる

やどりして春の山べに寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける(古今117)

【通釈】宿を取って春の山に寝た夜は、夢の中でも花が散るのだった。

【語釈】◇山べ 山。この「へ」は漠然と場所を示す語。

【補記】山寺に参詣した時に詠んだという歌。「…夜は夢のうちに」と言って、昼間の現(うつつ)にも花の散るのを見たことが知れ、また夜の今の現実においても花の散り続けていることが暗示される。そして結句「花ぞ散りける」と夢の内容を事実として言い切ったことで、夢も現も一体となった、ただすべてが落花に満たされた世界が現出した。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
旅の世にまた旅寝して草枕夢のうちにも夢を見るかな(*慈円)
散りまがふこのもとながらまどろめば桜にむすぶ春の夜の夢(藤原定家)
駿河なる宇津の山べにちる花よ夢のうちにも誰惜しめとて(*順徳院)
やどりして春の山べに見し夜半の夢もまさしき朝嵐かな(本居大平)

〔題しらず〕

春なれば梅に桜をこきまぜて流すみなせの河の香ぞする(曲水宴)

【通釈】春の真っ盛りなので、梅の花に桜の花をまぜこぜにして流す水無瀬の川の香りがする。

【語釈】◇みなせの河 地名とすれば摂津国三島郡の水無瀬川になるが、ここは庭の曲水をこう呼んだか。「みなせ」は「水な瀬」で、水の浅く流れる瀬のこと。

【補記】梅は早春、桜は盛春の花とするのが常識であるが、稀に梅と桜の花期が重なることもある。貫之が延喜二年(902)または三年に催した歌会での作で、「紀師匠曲水宴和歌」として伝わる。貫之は三十歳頃。友則・躬恒・忠岑といった当時の主要歌人が参加している。

【参考歌】素性法師「古今集」
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける

吉野川の辺に山吹の咲けりけるをよめる

吉野川岸のやまぶき吹く風にそこの影さへうつろひにけり(古今124)

【通釈】吉野川の岸の山吹は、吹きつける風によって、水底の影さえどこかへ行ってしまった。

【語釈】◇そこの影 水底の影。物が水に反映して見える像を、当時は水底にまで映っているものと考えたらしい。

【補記】吉野川のほとりに山吹の花が咲いているのを詠んだ歌。あるいは屏風絵に添えた歌か。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、五代集歌枕、定家八代抄、歌枕名寄

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
花ざかりまだもすぎぬに吉野川影にうつろふ岸の山吹

【主な派生歌】
吉野川岸の山吹さきにけり嶺の桜や散りはてぬらむ(*藤原家隆[新古今])
吉野川はやくも暮れてゆく春に花はさかりの岸の山吹(足利尊氏)

延喜御時、春宮御屏風に

風吹けば方もさだめず散る花をいづかたへゆく春とかは見む(拾遺76)

【通釈】風が吹くと、方向も定めず散る花――春はどこへ去ってゆくのか、花の行方によって確かめようとしても、知ることなどできようか。

【補記】延喜十九年(919)、東宮(醍醐天皇の皇子、保明親王)の御屏風に添えた歌。『貫之集』にはこの時の貫之の歌が十六首収められており、掲出歌の詞書は「三月花散る」。

【主な派生歌】
山桜かたもさだめずたづぬれば花より先にちる心かな(源雅実[新勅撰])
忘れじの雁は越ぢにかへるなりかたも定めず花は散りつつ(藤原家隆)
神な月かたもさだめずちる紅葉けふこそ秋のかたみとも見め(藤原定家)
いかにせむ春もいくかの桜花方もさだめぬ風のにほひを(藤原定家)

縁起御時月次御屏風に

花もみな散りぬる宿はゆく春のふる里とこそなりぬべらなれ(拾遺77)

【通釈】花も皆散ってしまった家は、去りゆく春があとにして行った故郷ということになってしまいそうだ。

【語釈】◇ゆく春のふる里 去り行く春にとっての古郷。春があとにして行った故郷。

【補記】延喜六年(906)、醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。題は「三月晦」。『貫之集』によればこの時貫之は四十五首を献上している。古今集には洩れたが、藤原公任が高く評価して多くの秀歌選に収めている。

【他出】新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、金玉集、三十人撰、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰

【主な派生歌】
花もみな散りにし宿の深みどり惜しまぬ色を春雨ぞふる(順徳院[新続古今])

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

夏の夜のふすかとすれば時鳥(ほととぎす)鳴く一声に明くるしののめ(古今156)

【通釈】夏の夜は、寝るか寝ないかのうちに、たちまち時鳥が鳴き、その一声に明けてゆく、しののめの空よ。

【語釈】◇夏の夜の 「夏の夜が」の意で、結句の「あくる」に続くとする横井千秋の説が宣長の『古今集遠鏡』に紹介されている。「寛平御時后宮歌合」など初句を「夏の夜は」とする本もある。◇ふすかとすれば 横になったかならぬかのうちに。

【補記】二十代初め頃の作。夏の夜の短さを誇張的に詠むが、明快で強い調子を有し、既に貫之の本領は発揮されている。『古今和歌六帖』は「ほととぎす」題に、『和漢朗詠集』は「夏夜」題に含める。

【他出】寛平御時后宮歌合、寛平御時中宮歌合、新撰万葉集、新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、袖中抄、定家八代抄

【主な派生歌】
さらぬだにふす程もなき夏の夜を待たれても鳴く時鳥かな(藤原俊成[新勅撰])
時鳥鳴くや五月の玉くしげ二声聞きて明くる夜もがな(藤原雅経[新勅撰])
時鳥ただ一こゑと契りけり暮るれば明くる夏の夜の月(藤原良平[続拾遺])

ほととぎすの鳴くを聞きてよめる

五月雨の空もとどろに時鳥(ほととぎす)なにを憂しとか夜ただ啼くらむ(古今160)

【通釈】さみだれの降る空もとどろくばかりに、時鳥は何が辛いというので夜ひたすら鳴くのだろうか。

【語釈】◇五月雨(さみだれ) 陰暦五月頃に降り続く長雨。すなわち梅雨のこと。

【補記】さみだれの頃は忌み籠りをしたので、夜はことに憂鬱な時間であった。そんな折、空を響かせるように鳴く時鳥の声に共鳴して、悲哀を感じ取っている。

【他出】古今和歌六帖、綺語抄、奥義抄、和歌童蒙抄、万葉集時代難事、僻案抄、色葉和難集、歌林良材

【主な派生歌】
しのびねははや過ぎにけりほととぎす空もとどろに啼き渡らなむ(源経信)
をりはへて今ぞ啼くなる時鳥五月のさよの空もとどろに(覚性法親王)
時鳥空もとどろに啼くころは夜ただ雨ふる袖のうへかな(慈円)

山にほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる

ほととぎす人まつ山になくなれば我うちつけに恋ひまさりけり(古今162)

【通釈】ほととぎすが、人を待つ松山に鳴くので、私はにわかに恋しい思いが増さったのだった。

【語釈】◇人まつ山 (私が)人を待つ、松山。松山は松の多く生えている山。◇うちつけに 突然に。不意に。

【補記】山で時鳥の声を聞いて詠んだという歌。山寺に独り参籠していて、人恋しい思いがしていた頃、あたかも時鳥の声を聞いて、恋心が増したというのだろう。『貫之集』では第三句「なく時は」。

【参考歌】伝大伴家持「家持集」
ほととぎすひとり山辺に鳴くなれば我うちつけに恋ひまさるなり

【主な派生歌】
うちつけにそれかとぞきく時鳥人まつ山にしのびねのこゑ(藤原家隆)

延喜御時、月次御屏風に

五月山(さつきやま)()の下闇にともす火は鹿のたちどのしるべなりけり(拾遺127)

【通釈】五月の山、その木陰の暗闇にともす火は、鹿が立っている場所を知らせる導きなのであった。

【語釈】◇五月山 陰暦五月(仲夏)の、木々が盛んに繁った山。万葉集に見える語。鎌倉時代の『歌枕名寄』などは摂津国の歌枕とする。兵庫県池田市に同名の山がある。◇木の下闇 繁った木々の下の暗がり。◇ともす火 照射(ともし)のこと。暗夜、鹿の通り路のそばに篝火を焚き、鹿の目がその炎に反射する瞬間を狙って矢を放つ。◇たちど 立っている所。

【補記】延喜六年(906)、醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。『貫之集』によれば題は「五月ともし」。夏の夜、木々の繁った山を遠望し、ひときわ暗い木下闇に火の明りを見つけて訝り、鹿を射るための照射の火であると気づいた、という歌。闇の中の一点の炎が印象的。晴の歌にふさわしい格調も具えている。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】
あやしくも鹿のたちどの見えぬかなをぐらの山に我や来ぬらむ(*平兼盛[拾遺])
五月山弓末ふりたてともす火に鹿やはかなく目をあはすらむ(*崇徳院)
荒ち男がゆつきが下にともす火に鹿の立ちどのしるくもあるかな(藤原家隆)

延喜御時御屏風に

夏山の影をしげみや玉ほこの道行き人も立ちどまるらむ(拾遺130)

【通釈】夏山の木陰はよく繁っているので、道を行く人も涼もうとして立ち止まるのだろうか。

【語釈】◇玉ほこの 「道」の枕詞。

【補記】『貫之集』によれば、延喜五年(905)二月に奉った藤原定国四十賀屏風歌。「夏山の影」に繁栄の祝意を籠めている。『貫之集』の巻頭歌。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄、秀歌大躰

【主な派生歌】
夏草はしげりにけりな玉鉾の道行人も結ぶばかりに(*藤原元真[新古今])

六月祓

みそぎする川の瀬見れば唐衣(からころも)ひもゆふぐれに波ぞ立ちける(新古284)

【通釈】人々が夏越の祓えをしている川の浅瀬を見ると、美しい衣の紐を「結う」ではないが、夕暮になって、波が立っているのだった。

【語釈】◇六月祓(みなづきはらへ) 夏越(なごし)の祓(はらへ)とも。旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日(みそか)に行なわれた大祓。◇唐衣 「紐」にかかる枕詞。「紐・結ふ」「日も・夕」と掛かる。◇暮れ 「くれなゐ」のクレを掛ける。

【補記】「唐衣ひもゆふ」は「ゆふぐれ」を導く序であるが、川面に夕日が唐衣のように鮮やかな 紅を映しているさまも連想される。「波ぞ立ちける」は夕風の涼しさを匂わせ余情を籠めた結句。延喜六年(906)、醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。新古今集夏巻末。

【他出】貫之集、古今和歌六帖

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
唐衣ひもゆふぐれになる時は返す返すぞ人は恋しき

【主な派生歌】
おのづから凉しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残に(藤原清輔[新古今])
見るからにかたへ涼しき夏衣日も夕暮のやまとなでしこ(後鳥羽院)

秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遥しける供にまかりてよめる

川風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ(古今170)

【通釈】川風が涼しく吹いていることよ。その風に立って打ち寄せる波と共に、秋は立つのだろうか。

【語釈】◇涼しくもあるか 「もあるか」は万葉集に多く見える詠嘆の結び方。平安以後は「もあるかな」の方が普通となる。◇秋は立つらむ 季節が秋に改まるのだろうか。「立つ」は波の縁語。

【補記】立秋の日、鴨川の川辺に遊んだ殿上人にお供しての詠。涼しさをもたらす川風によって波が「立つ」ことに秋が「立つ」ことを掛け、技巧を効かせた歌であるが、即興詠らしいさり気ない歌いぶりで嫌味はない。作者の資質・技倆が遺憾なく発揮された一首。

【他出】古今和歌六帖、貫之集、新撰朗詠集、古来風躰抄、秀歌大躰、定家八代抄

【主な派生歌】
おのづから凉しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残に(*清輔[新古今])
よる波の涼しくもあるか敷妙の袖師の浦の秋の初風(藤原信実[新勅撰])
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(*源実朝)

延喜の御時、御屏風に

秋風に夜のふけゆけば天の川かは瀬に波の立ちゐこそ待て(拾遺143)

【通釈】秋風の吹くままに夜が更けてゆくので、天の川の川瀬に波が立つではないが、私は立ったり座ったりしながらあなたを待っているのです。

【語釈】◇かは瀬 川瀬。人が立てるほど水深の浅いところ。◇立ちゐこそ待て (織姫が彦星を川瀬で)立ったり座ったりしながら待つ。「たち」には「(波が)立ち」の意が掛ける。

【補記】延喜六年(906)の月次屏風歌、題は「たなばた」。牽牛の訪れを待つ織女の身になって詠む。

【他出】家持集、新撰和歌、貫之集

七月八日のあした

朝戸あけてながめやすらむ織女(たなばた)はあかぬ別れの空を恋ひつつ(後撰249)

【通釈】朝戸を開けて、織女は眺めているのだろうか。昨夜、牽牛と満たされずに別れた空を慕いながら。

【補記】七夕の翌朝を迎えた織女を思い遣っての詠。「あけて」「あかぬ」の言葉遊びがある。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)

題しらず

秋風に霧とびわけてくるかりの千世にかはらぬ声きこゆなり(後撰357)

【通釈】秋風の中、霧を分けて飛んで来る雁の、永遠に変わることのない声が聞こえる。

【補記】「かり」には「仮」の意が掛かり、「かりの千世」には「かりの世」がかぶさる。この世は仮の世であるが、毎秋訪れる雁の声は永久不変である、という言葉遊びは、またパラドキシカルな世界の成立ちへの着目でもある。

朱雀院の女郎花合によみてたてまつりける

誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花(をみなへし)なぞ色にいでてまだきうつろふ(古今232)

【通釈】秋は誰のものでもなく、すべてに訪れるというのに、女郎花よ、どうしておまえだけが目に見えて早くも衰えるのか。

女郎花の花 鎌倉市二階堂にて

【語釈】◇誰(た)が秋にあらぬものゆゑ 秋は誰かのものでなく、誰にでも訪れるものであるのに。「秋」には「飽き」の意が掛かり、「誰かに飽きられたわけでもないのに」の意を帯びる。「ものゆゑ」は逆接の接続助詞。◇女郎花 オミナエシ科の多年草。秋の七草の一つ。野原や川原に生息し、晩夏から秋にかけて黄色い花が咲く。「をみな」は古くは美女を意味し、和歌では佳人の風情を持つ花として詠まれることが多い。◇色にいでて 表面に現わして。「色」には「顔色」「表情」「容姿」など多様なニュアンスを含む。◇うつろふ 花の色が褪せる意に容色が衰える意が掛かる。

【補記】晩夏に咲き始めた女郎花が秋になって早くも衰えを見せるさまに、恋人に飽きられて悄気ている女人のイメージをかぶせているのだろう。秋が誰にも訪れるように、恋には必ず倦怠期が来るのだからと、言い聞かせるような調子が面白い。昌泰元年(898)秋、宇多上皇が朱雀院で催した女郎花合に奉ったという歌。女郎花合とは、おみなえしの花と歌を持ち寄って、優劣を競い合った遊戯である。

【他出】古今和歌六帖、和歌一字抄、袋草紙、定家八代抄、桐火桶
(第二句を「あらぬものから」として載せる本もある)

【主な派生歌】
たが秋にあらぬ光をやどしきて月よ涙に袖ぬらすらむ(藤原家隆)
色変はる野原の小萩たが秋にあらぬものゆゑ鹿のなくらむ(藤原為氏[続古今])

藤袴をよみて人につかはしける

やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ(古今240)

【通釈】我が家に宿った人の残した形見か、ふじばかまの花は、忘れ難い香に匂い続けて…。

藤袴 鎌倉市の長谷寺にて

【語釈】◇藤袴 キク科の多年草。万葉集由来の「秋の七草」の一つ。和歌では芳香のある花として詠まれる。

【補記】家に泊って行った人に贈った歌。藤袴の花を、その名の通り「藤色の袴」の意に取り、宿った人が忘れて行ったのかと戯れた。

【他出】古今和歌六帖、新撰朗詠集、定家八代抄

【主な派生歌】
袖ふれし人の形見かふるさとににほひをのこす軒の橘(西園寺実材母)
おきて行く人のかたみか唐ころも手もたゆきまで打ち明かすらむ(源通親[新千載])

延喜の御時、御屏風に

逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒(拾遺170)

【通釈】逢坂の関の清らかな泉に影を映して、今頃牽いているのであろうか、望月の駒を。

【語釈】◇逢坂(あふさか) 山城・近江国境の峠。東国との境をなす関があった。◇影見えて この「影」は、清水に映った馬の姿。月影の意を重ねて、「望月の駒」を導く。◇望月の駒 信濃望月の牧場産の馬。

【補記】延喜六年(906)、醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。諸国から献上される馬を八月望月の頃、逢坂の関で迎える行事「八月駒迎え」を描いた屏風絵に添えた一首である。「望月」は信濃の馬の産地の名であるが、同時に満月をも言い、清水に映る「影」とは馬の影であると共に月の光でもある。万葉集の歌(下記参考歌)に文体を借りつつ、凝った趣向をさわやかな調べで歌い上げて、晴の歌にふさわしい。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、金玉集、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、九品和歌、古来風躰抄、六華集

【参考歌】厚見王「万葉集」巻八
かはづ鳴く神奈備川に影見えて今や咲くらむ山吹の花

【主な派生歌】
逢坂の杉のむらだち引くほどはをぶちに見ゆる望月の駒(*良暹[後拾遺])
逢坂の関立ち出づる影見ればこよひぞ秋の望月の駒(源雅具[続後撰])
相坂の関のむら杉葉をしげみ絶間にみゆる望月の駒(源国信[続後拾遺])
世にたえし道踏み分けていにしへのためしにもひけ望月の駒(後水尾院)

月に琴弾きたるを聞きて、女(二首)

弾く琴の()のうちつけに月影を秋の雪かとおどろかれつつ(貫之集)

【通釈】あなたが弾く琴の音に聴き入るうち、突然月影が秋の雪のように見えて驚かれて…。

【語釈】◇音のうちつけに 「音のうち」「うちつけに」の掛詞であろう。

【補記】『貫之集』巻四、「同じ年、宰相の中将の屏風の歌三十三首」と詞書された屏風歌群の一首。「同じ年」とは天慶二年(939)、「宰相の中将」は藤原敦忠。月影を浴びて男が弾く琴に耳を傾けている女――そんな情景を描いた絵に添えた歌である。白々とした月光を雪かと見まがう趣向は貫之自身他にも試みている(参考歌)。逆に雪を月光かと見たのが百人一首にも取られた坂上是則詠「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪」である。

【他出】古今和歌六帖、夫木和歌抄

【参考歌】紀貫之「貫之集」
ふりしける雪かと見ゆる月なれど濡れて冴えたる衣手ぞなき
  紀貫之「後撰集」
衣手はさむくもあらねど月影をたまらぬ秋の雪とこそ見れ

 

月影も雪かと見つつ弾く琴の消えて積めども知らずやあるらむ(貫之集)

【通釈】月の光も雪かと眺めながら、あなたが弾いている琴――あたかも雪が消えては積もり、消えては積もりするように、私の心に琴の音が積もってゆくけれども、あなたはそれを知らないのだろうか。

【補記】下句は難解。女が男に対して詠みかけた歌であることは、続いて「男」とだけ詞書した返歌一首を載せていることから明らかである。男の返歌は「弾く琴の音ごとに思ふ心あるを心のごとく聞きもなさなむ」(意:私が弾く琴の一音一音に心を籠めているのを、あなたは心のままに聞きなしてほしい)。月光のもとで琴を弾く男と、それに聴き入る女の問答という特異な趣向のうちに、幻想的な恋物語の一場面が浮かび上がる。

【校異】『夫木和歌抄』では第三句以下「弾く琴を聞きてめづとは知らずやあるらむ」(意:弾いている琴を聞いて月光を愛でているとは、人は知らないであろうか)。

石山にまうでける時、音羽山のもみぢをみてよめる

秋風の吹きにし日より音羽山峰のこずゑも色づきにけり(古今256)

【通釈】秋風が初めて吹いた日から、その音がしていた音羽山の峰の梢も、色づいたのだった。

【語釈】◇石山 近江国の石山寺。今の滋賀県大津市。観音信仰で名高い。◇音羽山(おとはやま) 京都市と大津市の境、逢坂山の南に続く山。標高593メートル。紅葉の名所。「(秋風の)音」を響かせる。

【補記】石山寺に参詣した時、途中の音羽山の紅葉を見て詠んだという歌。音羽山の「音」に寄せて、秋風が梢に音を立てて吹き始めた時を思い、いち早く秋風に反応した音羽山であるから、早くも紅葉したのだと思い巡らした。

【参考歌】山上憶良「万葉集」巻八
秋風の吹きにし日よりいつしかと我が待ち恋ひし君ぞ来ませる
  作者未詳「万葉集」巻十
雁がねの寒く鳴きしゆ春日なる三笠の山は色づきにけり

【主な派生歌】
秋風のよそに吹きくる音羽山なにの草木かのどけかるべき(曾禰好忠[新古])
あすよりは秋も嵐の音羽山かたみとなしに散る木の葉かな(藤原定家)
けさかはる秋とは風の音羽山おとに聞くより身にぞしみける(亀山院[続拾遺])

もる山のほとりにてよめる

白露も時雨もいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり(古今260)

【通釈】白露も時雨もひどく漏るという名の(もる)山は、木立の下葉がすっかり色づいたのであった。

【語釈】◇時雨(しぐれ) ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。◇もる山 守山。近江国志賀郡。今の滋賀県守山(もりやま)市。東山道の宿場。但し『五代集歌枕』など遠江国の歌枕とする書もある。◇下葉 木立の下の方の葉。和歌では特に萩の下葉がいちはやく紅葉するものとして詠まれた(「白露は上より置くをいかなれば萩の下葉のまづもみづらむ」藤原伊衡、拾遺集)。

【補記】白露は初秋からの、時雨は晩秋からの風物。露や雨に濡れることで葉は色づくものとされたので、「もる山」の名に掛け、雨露が梢から「漏る」ゆえ上葉でなく下葉が紅葉したという洒落である。季節の風物と歌枕を巧みに織り交ぜ、しかも調べが優美なためであろう、中世にかけて極めて高い評価を得た一首。

【他出】古今和歌六帖、貫之集、和漢朗詠集、俊頼髄脳、五代集歌枕、和歌色葉、俊成三十六人歌合、定家八代抄、近代秀歌、詠歌大概、八代集秀逸、時代不同歌合、歌枕名寄、桐火桶、歌林良材

【主な派生歌】

露しぐれ下葉のこらぬ山なれば月も夜をへて洩りまさりけり(藤原定家)
白露も時雨もいたくふる里は軒の梢も濃さまさりけり(後鳥羽院)
時雨のみもる山影の下葉かは物おもふ袖も色はかはらず(順徳院)
物思へば雲のはたてをかぎりにて時雨もいたくふる涙かな(藤原信成)
この秋は時雨もいたく染めてけりあかみの山の峰の紅葉ば(笠間時朝)
およばじな袖より外にもる山の下葉のこさぬ露も時雨も(中院通勝)

神の社のあたりをまかりける時に、斎垣(いがき)のうちの紅葉を見てよめる

ちはやぶる神の斎垣にはふ(くず)も秋にはあへずうつろひにけり(古今262)

【通釈】神社の垣にまつわりつく葛も、秋には堪え切れずに紅葉してしまったのだ。

【語釈】◇ちはやぶる 神の枕詞。◇斎垣(いがき) 神社の垣。「い」は「神聖な」ほどの意。

【補記】神社の神聖な垣根に這う葛であれば、神の力によって常緑でありそうなものなのに、秋という自然の力には抵抗できずに色を変え、やがて枯れてしまう。「神威と自然力を比較して、自然力の強さを感じているところに、時代の心の窺われる歌である。良い意味での理知的な歌というべきである」(窪田空穂『古今和歌集評釈』)。

【他出】古今和歌六帖、古来風躰抄、定家八代抄、秀歌大躰、色葉和難集、歌林良材

屏風の絵に

つねよりも照りまさるかな山の端の紅葉をわけて出づる月影(拾遺439)

【通釈】いつもよりひときわ照り輝いていることよ。山の端の紅葉を分けて昇る月の光は。

【語釈】◇山の端(は) 山を遠くから眺めたとき、山の、空との境目をなすあたりをこう言った。今言う「山の稜線」に近いが、「線」として意識されていたのではない。

【補記】『貫之集』によれば、延喜十四年(914)十二月、醍醐天皇の第一皇女勧子内親王の御屏風のために作った歌。秋の月の光は他の季節よりも明るいものとされたが、山の端の紅葉の反映によってより美しく照り輝くとした。月の出の瞬間を捉えて印象はひときわ鮮明。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺抄、和歌童蒙抄

【主な派生歌】
暮れにけり秋の日かずもあらし山もみぢをわけて入あひの鐘(後鳥羽院)
秋山の麓の小田のかりいほに紅葉をわけて月ぞもりける(俊成卿女)

世の中のはかなきことを思ひける折に、菊の花を見てよみける

秋の菊にほふかぎりはかざしてむ花より先としらぬわが身を(古今276)

【通釈】秋の菊の花が咲き匂っている間はずっと挿頭(かざし)にしていよう。花が萎むのより先に死ぬかどうか、分からない我が身であるものを。

【語釈】◇かざしてむ きっと挿頭にしよう。「かざす」とは髪に飾ったり、冠に挿したりすること。

【補記】人の生のはかなさを思っていた折、菊の花を見て詠んだという歌。花を挿頭すのは、その植物の生命力を自身の魂に移すことを意味したから、菊の花が生き生きと咲き匂っている間は、はかない己の命のいわば御守りとして挿頭しておこうというのである。人生の無常を見つめつつ、香り高い菊の花の霊力にすがる心である。

北山にもみぢ折らむとてまかれりける時によめる

見る人もなくて散りぬる奧山の紅葉は夜の錦なりけり(古今297)

【通釈】見る人もないまま散ってしまう奥山の紅葉は、甲斐のない「夜の錦」なのであった。

【語釈】◇夜の錦 史記の項羽本紀の「富貴不帰故郷、如衣繍夜行、誰知之者(富貴にして故郷に帰らずんば、繍を衣て夜行くが如し、誰か之を知る者ぞ)」、あるいは漢書項羽伝の「如衣錦夜行」などに由る表現という。すなわち甲斐のないことの喩えであるが、「夜の錦」と言えばおのずと夜が擬人化され「夜がまとう錦の衣」の意を帯びて、豪奢な美のまぼろしが描かれることになる。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、金玉集、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄

【参考歌】伊勢「亭子院歌合」「古今集」
見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむのちぞ咲かまし
  凡河内躬恒「躬恒集」
声にのみ散ると聞こゆるもみぢ葉の夜の錦はかひなかりけり
(いずれも掲出歌との先後関係は不明。)

【主な派生歌】
見ぬほどの紅葉は夜の錦にて秋さへ過ぎむと思ひけむやは(村上天皇)
見る人もなくて散りにき時雨のみふりにし里に秋萩の花(*源実朝)
折りつくす紅葉は夜の錦にて君をぞ恋ひし秋の山かげ(平清親四女)

題しらず

うちむれていざわぎもこが鏡山こえて紅葉のちらむかげ見む(後撰405)

【通釈】皆で連れ立って、さあ、鏡山を越えて、紅葉の散るありさまを見よう。

【語釈】◇わぎもこが 「鏡」に掛かり、「鏡山」の枕詞風に用いている。◇鏡山 近江国の歌枕。三上山北東の小山。古来信仰の山。その名の通り「鏡」に掛けて詠まれることが多い。◇ちらむかげ見む 散っている姿を見よう。「かげ」は鏡の縁語。

【参考歌】伝大伴家持「家持集」
くしげなる鏡の山を越えゆかむ我は恋しき妹が夢みたり

延喜御時、秋の歌召しありければ、奉りける

秋の月ひかりさやけみ紅葉ばのおつる影さへ見えわたるかな(後撰434)

【通釈】秋の月の光が鮮明なので、紅葉した葉の落ちる姿さえ隅々まで見えることよ。

【語釈】◇ひかりさやけみ 光が鮮明なので。◇みえわたる 隅々まで見える。葉が枝から落ち、地上に届くまで、すっかり見えることをも言うか。

擣衣の心をよみ侍りける

唐衣うつ声きけば月きよみまだ寝ぬ人をそらに知るかな(新勅撰323)

【通釈】衣を打つ音を聞くと、月が美しく輝いているので、まだ寝ずにいる人がそれとなく知れるのであるよ。

【語釈】◇擣衣 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。「中国詩で擣衣は留守の夫を偲ぶ女の行為であるが、砧に衣をのせて打つと衣を返しながら打つことになるので別れている人を呼び寄せる呪術になる」(和漢文学大系『貫之集』25番歌脚注)。◇唐衣(からころも) もともと大陸風の衣裳を言うが、衣服の美称ともなった。なお擣衣の音は「カラコロ」と聞えるので、擬音が掛詞になっていると思われる(「きぬたうつ音はからころ唐衣ころもふけゆく遠の山ざと」大田垣蓮月)。

【補記】延喜十三年(913)十月十四日、尚侍藤原満子の四十の賀の屏風歌。『貫之集』によれば題は「月夜に衣うつところ」。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、撰集抄

秋のはつる心を龍田川に思ひやりてよめる

年ごとにもみぢ葉ながす龍田川みなとや秋のとまりなるらむ(古今311)

【通釈】毎年、紅葉した葉を流す龍田川――その河口の水門が秋の果てなのだろうか。

【語釈】◇龍田川 生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川。古くは龍田地方を流れる大和川を言ったとも。万葉集に由来する歌枕で、紅葉の名所。立田川とも書く。◇みなと 川から海への船の出入口。◇とまり 「止まり」「泊り」の掛詞。去りゆく秋の行き着く先・終着点といった意と共に、木の葉を舟に見立て、停泊する場所の意にもなる。

【補記】秋が終わる時の感慨を、紅葉の名所とされた龍田川に思いを馳せて詠んだ歌。川面を覆うように流れる紅葉も、やがて海へ出れば、その跡を消してしまう。其処が秋の果てであろうと想像をめぐらしたのである。木の葉を舟に擬える「見立て」は言わば一首の副旋律となっているのであり、そちらに眼目があるのではない。

【他出】寛平御時中宮歌合、五代集歌枕、歌枕名寄、桐火桶

【参考歌】紀貫之「貫之集」「金葉集三奏本」
落ちとまる紅葉をみればももとせに秋のとまりは嵐なりけり
  作者不明(或本躬恒)「古今和歌六帖」
もみぢ葉の流れてよどむ湊をぞ暮れゆく秋のとまりとは見る

【主な派生歌】
惜しめども四方の紅葉は散りはてて戸無瀬ぞ秋のとまりなりける(藤原公実[金葉])
高砂のをのへの松の秋風に泊りもしらず散る紅葉かな(藤原家隆)
涙やはもみぢ葉ながす龍田川たぎるとすれば変はる色かな(藤原定家)

長月のつごもりの日、大井にてよめる

夕づく夜をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(古今312)

【通釈】小暗い小倉山に鳴く鹿の声――この声のうちに、秋は暮れるのだろうか。

【語釈】◇夕づく夜 夕月の出た夜は「小暗い」ので、「をぐら山」を導く枕詞として用いたのであろう。但し正徹は枕詞と見ず、「ただ夕暮からやうやう暗くて夜になるをゆふづくよといふ也」と言い、「夕月夜」でなく「夕付夜」の意だとした(正徹物語)。◇をぐらの山 京都嵐山あたりの山々。鹿と取り合わせて詠まれることが多い。

【補記】陰暦九月の晦日、すなわち秋の終りの日に、大井(京都嵐山の大堰川に沿った里)で詠んだという歌。万葉集に由来する小倉山と鹿の取合せを借りて、ほの暗い夕暮、長く余韻を引く鹿の鳴き声(物悲しいものと聞くのが通例であった)のうちに、去りゆく秋への惜別の思いを歌い上げた。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、如意宝集、和漢朗詠集、五代集歌枕、古来風体抄、定家八代抄、歌枕名寄、正徹物語

【本歌】舒明天皇「万葉集」
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも

時雨し侍りける日

かきくらし時雨(しぐ)るる空をながめつつ思ひこそやれ神なびの森(拾遺217)

【通釈】空を暗くして時雨の降る空を眺めながら、今頃散ってはいないかと思い遣るのだ、神奈備の森を。

【語釈】◇神なびの森 「かむなび」はもともと「神の坐(ま)すところ」を意味する普通名詞。その後、特に奈良県生駒郡の龍田神社あたりの森を指すようになった。紅葉の名所。

【補記】時雨は木々の葉を色づかせるものとされたが、また参考歌「龍田川もみぢば流る…」のように、紅葉を散らすものともされた。掲出歌は拾遺集では冬歌とするので、後者としての時雨を詠んだものと取れる。季節の風物から名所歌枕を思い遣り、当時の人の歌枕に寄せる心がよく窺われる一首である。

【他出】拾遺抄、五代集歌枕、歌枕名寄、題林愚抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
龍田川もみぢば流る神なびのみむろの山に時雨ふるらし
  よみ人しらず「古今集」
神な月時雨もいまだ降らなくにかねてうつろふ神なびの森

【主な派生歌】
神なびのみむろの山のいかならむ時雨もてゆく秋の暮かな(藤原定家)

題しらず

思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり(拾遺224)

【通釈】恋しい思いに耐えかねて愛しい人の家へ向かって行くと、冬の夜の川風があまり寒いので、千鳥が鳴いている。

【補記】『貫之集』によれば承平六年(936)春、左衛門督藤原実頼の屏風歌として作った歌。題は「冬」。切なる恋情と寒夜の千鳥の鳴き声とが響き合う。貫之六十代の作。

【他出】古今和歌六帖、貫之集、拾遺抄、新撰髄脳、三十人撰、三十六人撰、金玉集、深窓秘抄、和漢朗詠集、和歌体十種(余情体)、俊頼髄脳、奥義抄、古来風躰抄、無名抄、定家十体(麗様)、定家八代抄、西行上人談抄、三五記、桐火桶、井蛙抄、東野州聞書

【主な派生歌】
冬の夜の川風さむみ氷して思ひかねたる友千鳥かな(後鳥羽院)
人待たばいかにとはましさ夜千鳥川風さむみ冬の明ぼの(宮内卿)
うちわたす川風さむみ鳴く千鳥たがゆく袖の夜半にきくらむ(藤原為家)
み吉野や石跡柏(いはどがしは)もうづもれて河風さむみふれる白雪(頓阿)
水こほり月のながるる汀にて思ひかねてや千鳥なくらむ(常縁)
冬の夜も千鳥はきかず思ひかね我が泣き明かす袖の川風(大内政弘)

冬の歌とて

雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞ咲きける(古今323)

【通釈】雪が降ると、冬ごもりしている草も木も、春に気づかれない花が咲いているのだった。

【語釈】◇冬ごもりせる 冬の間活動を休止している。◇春にしられぬ花 春に気づかれないまま咲いている花。春と関係なく咲いている花。

【補記】草木に積もった雪を「春にしられぬ花」と言いなしたのは、落花を「空にしられぬ雪」と言いなした(「桜散る…」)のと対称をなしている。貫之のきわめて好んだ理知的な趣向である。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄、桐火桶

雪の木にふりかかれりけるをよめる

冬ごもり思ひかけぬを木の間より花とみるまで雪ぞふりける(古今331)

【通釈】冬籠りしていて、花など思いもかけなかったのに、木と木の間から、花かと思うほど雪が降っていた。

【補記】前歌と同じ趣向であるが、こちらは降る雪を散る花に擬えた。しかも「春にしられぬ花」という理知的な捉え方でなく、より実感に即して、驚きを歌い留めている。

【他出】古今和歌六帖、和歌初学抄

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻八
さを鹿の朝たつ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露

尚侍(ないしのかみ)の右大将藤原朝臣の四十賀しける時に、四季の絵かけるうしろの屏風にかきたりける歌

白雪のふりしく時はみ吉野の山下風に花ぞちりける(古今363)

【通釈】白雪が降りしきる時は、吉野の山から吹き降ろす風に花が散るのだった。

【補記】延喜五年(905)二月、尚侍(藤原満子か)が右大将藤原定国の四十賀(四十歳を祝う賀宴)を催した時に奉った屏風歌。題は「雪の降りたるところ」。雪の降り積もった吉野山の絵に添える歌として、花の名所ゆえに雪を落花になぞらえた。古今集に作者名表記はないが、『貫之集』に見えるので、貫之の作と見て間違いない。拾遺集も貫之作とする。

【参考歌】文武天皇「万葉集」巻一
み吉野の山下風の寒けくにはたや今夜も我が独り寝む
(「山下風」は現在は「やまのあらし」と詠むのが普通。「やましたかぜ」は旧訓。)

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、綺語抄、五代集歌枕、定家八代抄、歌枕名寄

題しらず

ふる雪を空に(ぬさ)とぞ手向けつる春のさかひに年の越ゆれば(新勅撰442)

【通釈】降る雪を、空に捧げ物として手向けたのだった。冬から春への境の節分に年が越えるので。

【語釈】◇幣とぞ手向けつる 神への捧げ物として手向けた。主語は「年」。◇春のさかひ 冬から春への境界。節分。

【補記】峠を越える時道祖神に幣を手向けるという風習になぞらえて、節分の夜に降る雪を幣に見立てた。延喜十七年(917)八月、醍醐天皇の命により作った歌。

【他出】貫之集、古今和歌六帖

本康親王(もとやすのみこ)の七十の賀のうしろの屏風によみてかきける

春くれば宿にまづ咲く梅の花きみが千年(ちとせ)のかざしとぞみる(古今352)

【通釈】春が来ると、真っ先に家の庭に咲く梅の花、これをあなたの千年の長寿を約束する挿頭と見るのです。

【語釈】◇本康親王 仁明天皇の皇子。◇千年のかざし 「千年(ちとせ)」は長寿の例えとして言う。「かざし」は髪飾りまたは冠飾りのことで、本来、植物を挿してその生命力を自身の魂に移すための行為。

【補記】本康親王は延喜元年(901)十二月十四日没。生年は未詳であるが、承和十五年(848)に元服しているので、仮にこの年を十八歳とすると、天長八年(831)生れとなり、七十賀は薨去前年の昌泰三年(900)となる。

【参考歌】山上憶良「万葉集」
春さればまづ咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日くらさむ

左大臣家のをのこ子おんな子、(かうぶり)し、裳着(もぎ)侍りけるに

大原や小塩(をしほ)の山の小松原はやこだかかれ千代の蔭みむ(後撰1373)

【通釈】大原の小塩山の小松の群生よ。早く木高くなれ。千年にわたって栄え繁った木蔭を見よう。

【語釈】◇左大臣家 藤原実頼◇をのこ子をんな子 男児女児。◇冠し、裳着 それぞれ男女の成人式を言う。◇大原 大原野神社。藤原氏の氏神。◇小塩の山 大原野神社の背後の山。

【補記】藤原実頼の男子・女子が成人式を挙げた時に詠んだ賀歌。『貫之集』によれば承平五年(935)十二月の作。藤原氏の氏神である大原野神社が鎮座する小塩山、その小松原に寄せて、子らの成長と長寿を言祝ぐ。松・千代・蔭と縁のあるめでたい語を連ねた。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、金玉集、新撰朗詠集、奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、六百番陳状、和歌色葉、定家八代抄、歌枕名寄、東野州聞書

【主な派生歌】
三笠山はや木高かれ峰の松ちよのかげとぞ神もまつらむ(高階宗成)
うゑし植ゑばはや木高かれ山桜白雲まがふ花とみるまで(正徹)

離別

陸奥国(みちのくに)へまかりける人によみてつかはしける

白雲の八重にかさなる(をち)にても思はむ人に心へだつな(古今380)

【通釈】白雲が幾重にも重なるほど遠くにあっても、あなたを思っている人に対して心を隔てないでおくれ。

【語釈】◇思はむ人 あなたを思うだろう人。作者自身を指す。助動詞「む」はその行為が将来においてなされることを示す。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄、詠歌大概

【参考歌】柿本人麻呂歌集歌「万葉集」
雲隠れ小島の神し畏くは目はへだつとも心へだつな

【主な派生歌】
われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花(*和泉式部)
別れても心へだつな旅衣いくへかさなる山ぢなりとも(藤原定家[千載])
岩根ふみいく重の峰をこえぬとも思ひもいでむ心へだつな(源実朝)

人を別れける時によみける

別れてふことは色にもあらなくに心にしみてわびしかるらむ(古今381)

【通釈】人と別れるということは、色でもないのに、どうして心に染みて侘しいのだろう。

【他出】貫之集、古今和歌六帖

【主な派生歌】
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる(*醍醐天皇[新古今])
浅茅原かつ霜がれて別れてふことは色にも見ゆる秋かな(慶雲)
草も木もうつろひはてて別れてふことは色にもくるる秋かな(姉小路基綱)

(かむなり)の壺に召したりける日、大御酒(おほみき)などたうべて、雨のいたく降りければ、夕さりまで侍りてまかりいでける折に、さかづきをとりて

秋萩の花をば雨にぬらせども君をばまして惜しとこそ思へ(古今397)

【通釈】秋萩が雨に濡れるのも惜しいけれど、あなた様とのお別れが更に惜しまれます。

【語釈】◇雷の壺 襲芳舎の別称。内裏の北西隅。落雷した木があったのでこの名がついたという。◇君をばまして惜しと… あなたとお別れすることが、萩が雨に散るのにも増して、心残りに感じられる。「君」はこの歌を贈った相手である兼覧王(惟喬親王の子)を指す。「をし」は「愛しい」という意味合いも含む。

【補記】醍醐天皇に召され、雷壺で酒を賜った貫之が、辞去の際、同席していた兼覧王に贈った歌。兼覧王の返しは「惜しむらん人の心をしらぬまに秋の時雨と身ぞふりにける」(大意:惜しんで下さる貴方のお気持を知らない間に、秋の時雨が「降る」ように我が身は「古」びてしまったことです)。

藤原惟岳(これをか)が武蔵の介にまかりける時に、おくりに逢坂を越ゆとてよみける

かつ越えてわかれもゆくか逢坂(あふさか)は人だのめなる名にこそありけれ(古今390)

【通釈】逢坂の関を一方では越えて、また同時に別れてゆくのでもあるよ。逢坂とは、人を期待ばかりさせる名であった。

【語釈】◇藤原惟岳 贈太政大臣長良の孫。大宰少弐などを歴任。◇逢坂 既出。当時、東国へ旅立つ人を逢坂の関まで送るという慣わしがあった。◇人だのめなる名 人を期待させる名。「逢ふ」に因む名なのに、名だけで実はない、という気持。

【補記】友人の藤原惟岳が武蔵介として赴任する時、逢坂まで見送りに行って、惜別の挨拶として詠んだ歌。例えば同時代の源公忠の歌に「思ひやる心はつねにかよへども逢坂の関こえずもあるかな」とあるように、逢坂を越えるとは、人と「逢ふ」願いを遂げることの喩えであった。しかし見送りの立場からすれば、坂を越えると言いながらも、それは同時に人との別れを意味する。貫之はじめ古今集の歌人たちはこうした言葉と現実の二律背反に対して強い興味、というより反感や不満を示している。それは言葉と現実とが麗しく調和することを理想とする彼らの世界観の裏返しであって、単なる洒落と解するのは当たっていない。

【他出】新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、五代集歌枕、歌枕名寄

【主な派生歌】
頼めこしいづら常磐の森やこれ人だのめなる名にこそありけれ([狭衣物語])
逢坂は行くもかへるも別れ路の人だのめなる名のみふりつつ(藤原為家)
花を待つ外山の梢かつ越えて別れもゆくか春の雁がね(宗尊親王)
雲の色にわかれもゆくか逢坂の関路の花のあけぼのの空(兼好)
かつこえて春にわかるる逢坂は人だのめなる花や散るらむ(宗良親王)

志賀の山越えにて、石井(いしゐ)のもとにて物いひける人の別れける折によめる

むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(古今404)

【通釈】掬い取る手のひらから落ちた雫に濁る、山清水――その閼伽(あか)とする清水ではないが、飽かずに人と別れてしまったことよ。

【語釈】◇志賀の山越え 京都の北白川から比叡山・如意が岳の間を通り、志賀(大津市北部)へ抜ける道。主として、天智天皇創建になる崇福寺を参詣する人々が往来した。◇山の井 山中の湧き水。古来の歌枕書は山城国あるいは近江国の地名としている。

【補記】近江へと志賀の山越えをしていた時、水汲み場のもとで人と会話を交わし、その人と別れる折に詠んだという歌。第三句「山の井の」までは、清らかな山清水を閼伽(仏にお供えする水)とすることから、「あかで」を導く序。しかし詞書に「石井のもとにて」とあることから、眼前の景を詠み込んでいることにもなる。山道で出逢った人との、語り尽くすこともないまま別れる名残惜しさが、あたかも山清水の波紋のように心に広がる。

【鑑賞】「此の歌『むすぶ手の』とおけるより、『しづくににごる山の井の』といひて、『あかでも』などいへる、大方すべて、言葉、ことのつゞき、すがた、心、かぎりなく侍るなるべし。歌の本體はたゞ此の歌なるべし」(藤原俊成『古来風躰抄』)

【他出】新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、綺語抄、奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、梁塵秘抄、定家八代抄、西行上人談抄、時代不同歌合、詠歌一体、歌枕名寄、了俊歌学書、歌林良材

【主な派生歌】
袖ひちてせく手ににごる山水の澄むを待つとや月のやすらふ(俊恵)
結ぶ手に影乱れゆく山の井のあかでも月のかたぶきにけり(慈円[新古今])
夏ぞ知る山井の清水たづねきて同じ木蔭にむすぶ契りは(藤原定家)
夏山やゆくてにむすぶ清水にもあかで別れし古里をのみ(藤原定家)
あかざりし山井の清水手にくめばしづくも月の影ぞやどれる(藤原定家)
手に結ぶ程だにあかぬ山の井のかけはなれ行く袖のしら玉(藤原定家)
夏の夜はげにこそあかね山の井のしづくにむすぶ月の暉も(藤原定家)
かはりゆく影に昔を思ひ出でて涙をむすぶ山の井の水(藤原親盛[新勅撰])
契りあらば又も結ばむ山の井のあかで別れし影な忘れそ(*少将内侍[続古今])
結ぶ手に月をやどして山の井のそこの心に秋やみゆらむ(源通方[風雅])
あかざりし雲と雨とのかたみかは花の滴ににごる山の井(正徹)

羇旅

土佐よりまかりのぼりける舟の内にて見侍りけるに、山の端ならで、月の浪の中より出づるやうに見えければ、昔、安倍の仲麿が、唐にて「ふりさけみれば」といへることを思ひやりて

都にて山の端に見し月なれど海より出でて海にこそ入れ(後撰1355)

【通釈】都では山の端に出入りするのを見た月だけれども、海から出て海に入るのだった。

【補記】出典は『土佐日記』(第四句は「波より出でて」)。国守として赴任していた土佐から都へ帰る航路にあって、月が海から昇り、海へ没するのを見た感動。

【他出】土佐日記、古今和歌六帖

土佐より任果てて上り侍りけるに、舟の内にて、月を見て

照る月のながるる見れば天の川いづる湊は海にぞありける(後撰1363)

【通釈】照る月が流れるのを見ると、天の川を出る河口は海なのであった。

【補記】これも『土佐日記』に見える歌。月が天の川を流れるように移動し、やがて海に没してゆくのを見、天の川の河口は海へと出ていたのだと言っている。

【他出】土佐日記、古今和歌六帖、夫木和歌抄

十七日、くもれる雲なくなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、舟を出だして漕ぎゆく。このあひだに、雲の上も海の底も、おなじごとくになむありける。むべも昔の男は「棹は穿つ波の上の月を、船はおそふ海のうちの空を」とはいひけむ。聞きざれに聞けるなり。またある人のよめる歌、
 みな底の月のうへよりこぐ舟の棹にさはるは桂なるらし
これを聞きて、ある人のまたよめる、

影みれば波の底なるひさかたの空こぎわたる我ぞわびしき(土佐日記)

【通釈】海に反映する月の光を見れば、私は波の底にある空を漕ぎ渡っているのだ――その私という存在の、なんと頼りなく、物悲しいことよ。

【語釈】◇棹は穿つ波の上の月を、船はおそふ海のうちの空を 唐代の詩人賈島の『漁隠叢話』前集巻十九等に見える「棹穿波底月、船圧水中天」による。

【補記】土佐からの帰路、正月十七日、暁月夜に出航した時、海に月の光が映じて、天と海とが同じようになった光景を見ての感慨。「ある人」が詠んだ最初の歌「みな底の月のうへよりこぐ舟の…」が賈島の詩句「棹は穿つ波の上の月を」を踏まえて詠まれたのに対し、別の「ある人」の唱和である掲出歌は同じ詩の下句「船はおそふ海のうちの空を」を踏まえいる。いずれも船頭の身になっての詠であるが、もとより貫之の創作に違いない。

【鑑賞】「賈島の詩の下句の表現を模して、その発想を原詩の内面反照に反転し、天地宇宙の間に浮遊する人間の弱小さを自覚するといつた深い思想性を持つに至つてゐる。貫之生涯の傑作の一つ」(萩谷朴『新訂土佐日記』)。

題しらず

吉野川いはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし(古今471)

【通釈】吉野川の岩波を高く立ててゆく水が速く流れる――早くから、あの人を思い始めたことであったよ。

【語釈】◇吉野川 奈良・三重県境の大台ヶ原山に発し、奈良県・和歌山県を流れて紀伊水道に注ぐ川。

【補記】「行く水の」までは「はやく」を導く序詞。水の流れる速力の「速く」から時間的な「早く」の意に転じて、ある人を恋している歳月の長さについての感慨を歌った。上句は詞の上だけの序詞、すなわち無心の序であるが、川の激流は奔騰する恋心の暗喩ともなり、一首の主題と全く無関係というのではない。類似の形式の恋歌は古歌に多いが(下記参考歌)、貫之の歌には序の部分から主の部分への転換に妙味があり、手練を感じさせる作である。

【補記】『貫之集』巻第五、恋歌の部の四首目に置かれている。

【他出】新撰和歌、貫之集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、五代集歌枕、定家八代抄、時代不同歌合、詠歌一体、歌枕名寄、心敬私語

【参考歌】鏡女王「万葉集」巻二
秋山の木下隠り行く水の我こそまさめ思ほすよりは
  作者未詳「万葉集」巻十一
あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも
高山の岩もとたぎち行く水の音にはたてじ恋ひて死ぬとも
  よみ人しらず「古今集」
吉野川いはきりとほし行く水の音にはたてじ恋ひは死ぬとも

【主な派生歌】
吉野川たぎつ岩波せきもあへずはやくすぎゆく花の頃かな(藤原定家)
夏はつるみそぎにちかき川風に岩波たかくかくる白木綿(藤原定家)
吉野川岩波たかくなる神に山風きほふ花の夕だち(正徹)

題しらず

世の中はかくこそありけれ吹く風の目に見ぬ人も恋しかりけり(古今475)

【通釈】人の世とは、かくも不思議なものであったのだ。吹く風のように目に見えない人も恋しいのだった。

【語釈】◇世の中 男女の仲を中心として見た人の世。◇吹く風の 吹く風のように。◇目に見ぬ人 たとえば、噂だけ聞いて実際見たことはない人。

【補記】当時の貴族の女性は、滅多なことでは他人に顔を見せなかったので、逢ったこともないままに恋が始まることが多かった。自身もそのような経験をして、事改めて不可解なことと見ている心である。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、奥義抄、和歌初学抄、定家八代抄、色葉和難集

【主な派生歌】
とこは荒れぬいたくな吹きそ秋風の目にみぬ人を夢にだに見む(藤原家隆)
吹く風の目に見ぬ人も軒端なる梅咲く頃は待たれけるかな(堯孝)

人の花摘みしける所にまかりて、そこなりける人のもとに、のちによみてつかはしける

山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ(古今479)

【通釈】山桜が霞の間からほのかに見えるように、かすかに見たばかりの人が恋しくてならないのです。

【補記】ある女性が花を摘んでいる所へ行って、そこにいた女性の家へ、後になって詠んで贈ったという歌。

【主な派生歌】
花の色にうつる心は山桜かすみのまより思ひそめてき(藤原隆信)
ほのみてし君にはしかじ春霞たなびく山の桜なりとも(藤原家隆[千五百番])
山桜霞のまよりうつろへば色のちくさに春風ぞ吹く(順徳院)
身にぞしむ霞にもるる面影のさだかに見えし花の下風(正徹)
たが春にあくまでかみし山桜霞のまよりそふおもひかな(後柏原院)

題しらず

逢ふことは雲ゐはるかになる神の音に聞きつつ恋ひ渡るかな(古今482)

【通釈】逢うことは、雲の上のように及び難いことで、雷鳴の音のように遠く噂を聞きながら恋し続けることであるよ。

【語釈】◇なる神 かみなり。「なる」に「(はるかに)成る」意を掛けるか。

【他出】新撰万葉集、貫之集、古今和歌六帖

【主な派生歌】
逢ふことは雲居はるかにへだつとも心かよはぬほどはあらじを(大中臣輔親[後拾遺])

題しらず

秋風の稲葉もそよと吹くなへに穂にいでて人ぞ恋しかりける(玉葉1645)

【通釈】秋風が稲の葉をよそがせて吹くにつれて、穂が出てそれと人目につくように、私も表情にあらわしてしまう程にあの人が恋しいのであった。

【他出】貫之集、万代集

【語釈】◇稲葉もそよと 「そよ」は風が稲葉を鳴らす擬音語に、「其(そ)よ」(そうだよ、の意)を掛ける。◇穂にいでて 稲が穂に出る意に、思いが表面にあらわれる意を掛ける。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
きのふこそ早苗とりしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く
(『新撰和歌』『古今和歌六帖』などでは第四句「いなばもそよと」とある。)

大空はくもらざりけり(かみ)な月時雨(しぐれ)心ちは我のみぞする(貫之集)

【通釈】時雨の降る季節だというのに、空は曇らないのだった。初冬十月、時雨の降りそうな心地がするのは私ばかりであるよ。

【補記】『貫之集』では恋人に逢えない悲しみを詠んだ歌群中にある。季節の自然と自身の心とが相照応しないことを言って、恋の苦しみに耐えている自身の孤絶感・弱小感が切々と歌い上げられている。拾遺集は「よみ人しらず」とするが、『古今和歌六帖』も作者貫之としており、貫之の作に違いない。

【他出】古今和歌六帖、拾遺集

【主な派生歌】
人しれぬ時雨ごこちに神な月われさへ袖のそほちぬるかな(具平親王[玉葉])
我もよにしぐれ心ちの晴れやらで三とせふり行く神無月かな(宗尊親王)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

君恋ふる涙しなくは唐ころも胸のあたりは色もえなまし(古今572)

【通釈】あの人を恋して流す涙がなかったなら、私の衣服の胸のあたりは、恋の火の色が燃えていたでしょう。

【語釈】◇唐(から)ころも もともと大陸風の華美な衣裳を言うが、のち衣服一般の美称としても用いられた。

【補記】涙の水が恋の炎を消すので、実際には衣服が燃えることはないというのである。

【他出】新撰万葉集、貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄

【参考歌】紀友則「宇多院歌合」
片恋をするがのふじの山よりも胸の火のまづ燃えまさるかな

題しらず

世とともに流れてぞ行く涙川冬もこほらぬ水泡(みなわ)なりけり(古今573)

【通釈】移りゆく世と共に流れて行く涙の川――それは、常に流れが激しいので冬も氷らない水の泡なのであった。

【語釈】◇世とともに 「世」には「男女の仲」の意があるので、「恋人との仲が変化してゆくに連れて」といった意味も暗示する。◇涙川 あふれてやまない涙を川に喩える。◇水泡 水面に浮かんでは消えてゆく泡。

【他出】貫之集、五代集歌枕

【参考歌】柿本人麻呂歌集出「万葉集」巻七
巻向の山辺とよみて行く水の水沫のごとし世の人我は

【主な派生歌】
月もなほつれなき人のかげとめよ冬もこほらぬ袖の涙に(西園寺実氏)
み吉野のたぎつ早瀬にすむ月や冬もこほらぬ氷なるらむ(素暹法師[続古今])
春秋のながれしままにあまの川冬もこほらぬ月をしぞ思ふ(三条西実隆)

題しらず

夢路にも露やおくらむ夜もすがらかよへる袖のひちてかわかぬ(古今574)

【通釈】夢の中で辿る道の草にも露は置くのだろうか。一夜をかけて往き来する私の袖は濡れて乾くことがない。

【語釈】◇夢路 夢の中で辿る道。◇露やおくらむ 露が置くのだろうか。露は涙を暗示。

【補記】恋人の夢を見て袖を涙で濡らしたことを、夢の通い路にも夜露が置くのかと婉曲に言いなした。

題しらず

五月山こずゑをたかみ時鳥なくねそらなる恋もするかな(古今579)

【通釈】五月の山は梢が高いので、ほととぎすの鳴く声は空高く聞こえる――そのように私もうわの空の恋をすることであるよ。

【語釈】◇五月山(さつきやま) 既出◇こずゑをたかみ 梢が高いので。夏には枝葉が繁るので梢が高くなる。◇そらなる 空にある。「そらなる恋」で、心ここにあらぬ恋、の意にもなる。

【補記】「なくね」までが「そらなる」を導く序で、一首の主意は「そらなる恋もするかな」のみに過ぎないが、あたかも時鳥の声に触発された感慨のようでもあり、無心の序とも言い切れない含みを持っている。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、歌枕名寄

【参考歌】伝大伴家持「家持集」
夏山のこずゑをたかみ時鳥鳴きてとよむる声の遥けさ
(原歌は万葉集の大伴家持作「夏山の木末の繁にほととぎす鳴きとよむなる声の遥けさ」。)

【主な派生歌】
夕暮はなくね空なるほととぎす心のかよふ宿やしるらむ(藤原定家)
初春のはつねのけふの百千鳥鳴くね空なる朝がすみかな(順徳院)
いづくよりあがるも見えず霞む日に啼く音そらなる夕雲雀かな(慶雲)

題しらず

真菰(まこも)刈る淀の沢みづ雨ふれば常よりことにまさる我が恋(古今587)

【通釈】真菰を刈る淀の沢水は、雨が降るのでいつもより水嵩が増す――そのように、雨が降る季節になると、あなたに逢えなくていつもより増さる私の恋心よ。

【語釈】◇真菰 浅い水中に群生するイネ科の多年草。食用。◇淀 今の京都市伏見区淀美豆町あたり。桂川と淀川の合流地で、水がよどむためこの地名があるという。

【補記】五月雨の季節には忌み籠りをするので、長いこと恋人に逢えない。それゆえに増さる恋心。初二句「まこもかる淀の沢水」は序詞と言うよりは「常よりことにまさる我が恋」の比喩となっている。但し「雨ふれば」までを「常よりことにまさる」を言うための序とする説(『古今余材抄』)、あるいは第四句までを序とし、主意は第五句「まさる我が恋」のみと解する説(窪田空穂『評釈』)などもある。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、歌枕名寄

【主な派生歌】
ほととぎすなく声きけば山里につねよりことに人ぞまたるる(源道済)

大和に侍りける人につかはしける

越えぬ間はよしのの山の桜花人づてにのみ聞きわたるかな(古今588)

【通釈】山を越えて、吉野の桜を実際この目で見ないうちは、その美しさを人伝にばかり聞くのであるよ。

【補記】大和国に住んでいた人に宛てた歌。大和の桜の名所である吉野のことを言った表面の意味に、「障害を乗り越えてあなたに逢わないうちは、噂にばかり聞いて過ごすのか」という恋の心を籠めている。「よしの」の「よし」には、桜を(そして相手の女性を)讃美する「美(よ)し」の意が響く。古今集巻十二恋歌二、「不逢恋」(逢わずして恋する心)を詠んだ歌群にある。『貫之集』では恋の巻の巻頭に置かれている。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、五代集歌枕、西行上人談抄、歌枕名寄、正徹物語

【主な派生歌】
思ひきや雲井の花の咲き咲かず人づてにのみ聞かむものとは(二条院讃岐)
越えぬまはくるしきものを吉野山いかにか匂ふ花の面影(三条西実隆)

弥生ばかりに、物のたうびける人のもとに、また人まかりつつ消息(せうそこ)すと聞きて、よみてつかはしける

露ならぬ心を花におきそめて風吹くごとに物思ひぞつく(古今589)

【通釈】花に置いた露は風が吹けば果敢なく散ってしまいますが、露のように仮初でない私の心を、花のような美しい貴女に置き始めてからというもの、風が吹くような事件が起きるたびごとに、悩ましい思いに取り付かれるのです。

【語釈】◇物のたうびける人 言葉をかけて下さった人。「のたうび」は「のたまひ」の転訛で、「物言ひ」の敬語。◇露ならぬ心 露のように果敢なくはない心。いい加減でない恋心。◇花 詞書「ものたうびける人」を擬す。◇おきそめて 恋心を抱き始めて。露の縁語として「おき」と言う。◇風吹くごとに 詞書の「また人まかりつつ消息すと聞きて」を具体的には指す。思い人に別の男が手紙をやった(または通い始めた)と聞いて、風に吹かれる露のように心を乱すことを言う。風には噂の意もある。◇物思ひぞつく 物思いが取りつく。

【補記】陰暦三月弥生は桜の散る季節。その頃、言葉をかけてくれた女性のもとへ、別の男が通い始めたと聞いて、贈ったという歌。季節柄、桜の花に置いた露になぞらえて、自身の深い思いと不安を訴えたのである。

【他出】貫之集、古今和歌六帖

【主な派生歌】
露ならぬ心を荻の上風にさのみくだけて物思ふかな(宗良親王)
ちらすなよ小萩が上の露ならぬ心も花に置きあまるまで(望月長孝)

題しらず

白玉と見えし涙も年ふればからくれなゐにうつろひにけり(古今599)

【通釈】初めは白玉と見えた私の涙も、年を経ると、紅の色に変わってしまったのだ。

【語釈】◇白玉 真珠など、白い宝玉の類。◇からくれなゐ 唐紅。大陸渡来の紅。深紅色。血涙の色をこう言っている。

【補記】涙の色の変化を言うことで、長い期間にわたって恋の苦しみが深まったことを暗示している。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
何ゆゑに思ひそめけむしら玉と見えし涙の色かはるまで(花山院師継)
つらさこそ色もかはらね白玉と見えしはいつの涙なりけむ(後水尾院)

題しらず

津の国の難波の蘆のめもはるにしげき我が恋人知るらめや(古今604)

【通釈】津の国の難波の蘆が芽をふくらませ、目も遥かに繁っている――そのように私の恋もひっきりなしなのだが、人は知っていようか、いや知りはすまい。

【語釈】◇難波の蘆(あし) 難波潟の蘆。今の大阪市中心部あたりには、当時、難波潟と呼ばれる浅海が広がり、蘆が生い茂っていた。◇めもはるに 見る目も遥かに。「芽も張る」の意が掛かる。◇人知るらめや 「人」は恋人。「や」は反語。

【補記】「めもはるに」までが「しげき」を導く序。ぎっしりと隙間もなく生える蘆に寄せて、恋情の絶え間ないことを訴えている。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、和歌色葉、定家八代抄、色葉和難集、歌枕名寄、歌林良材

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
春草の繁き我が恋大海の辺に行く波の千重につもりぬ

題しらず

手もふれで月日へにけるしら真弓おきふしよるはいこそ寝られね(古今605)

【通釈】手も触れずに、長い歳月を経た白真弓――弓を起こしたり臥したりすると言うが、私は起きたりまた横になったりして、夜はろくに眠れないのだ。

【語釈】◇しら真弓(まゆみ) 白い檀の木で作った弓。「知らず」(あの人はこの思いを知らない)の意を響かせるか。◇おきふしよるは 恋に悶え苦しみ、起きたり横になったりして、夜は。起き・伏し・寄る(すべて弓を使う際の動作にかかわる語)を掛ける。◇いこそ寝られね 「い」に、これも弓の縁語「射(い)」を掛ける。

【補記】「しら真弓」までが「おきふし」を起こす序であるが、「手もふれで月日へにける」は長の年月恋人に触れ得なかったことを暗に示してもいる。華麗な技巧を駆使して作者の技倆を発揮しているが、ややもすると技巧に引きずられるという古今集の歌の弊が出ている面も否定できない。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄、歌林良材

【主な派生歌】
かくしつついつをかぎりとしら真弓おきふしすぐす月日なるらむ(兼好)
思ひきや手もふれざりし梓弓おきふし我が身なれむものとは(*宗良親王)

題しらず

かけて思ふ人もなけれど夕されば面影たえぬ玉かづらかな(新古1219)

【通釈】心にかけて思う人もいないのだけれど、夕方になると、誰とはなしに女の美しい髪が絶え間なく面影に立つことよ。

【語釈】◇かけて思ふ 心にかけて思う。「かけて」は「玉かづら」の縁語。◇面影たえぬ 恋人の幻影が常に浮かぶ。玉鬘(髪飾り)は「かげ」とも呼び、玉葛(蔓草の美称)は絶えることなく長く続くので、「かげ」「絶えぬ」はいずれも「玉かづら」の縁語。◇玉かづら 髪飾り。また、髪の美称。

【補記】『貫之集』によれば天慶八年(945)二月、内裏の屏風のために奉った歌の一つで、題は「男なき家」。通って来る男のいない家で、女が片恋の男を想っている風情を詠んだ歌になる。但し題を消した新古今集の歌としては、源氏物語の「玉鬘」に連想がはたらくので、男の立場で女を想った歌として解釈し得る。この場合、「玉かづら」は髪の美称とも読める。これは作者貫之の意図から敢えて離れた読み方である。

【他出】貫之集、古今和歌六帖

【参考歌】作者未詳「伊勢物語」第二十一段
人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとど見えつつ

題しらず

しきしまや大和にはあらぬ唐衣ころもへずして逢ふよしもがな(古今697)

【通釈】日本のものではない唐衣――その「ころ」ではないが、頃すなわち日数を置かずに逢う手だてがほしいものだ。

【語釈】◇しきしまや 「やまと」の枕詞。「しきしまの」とする本もある。◇大和にはあらぬ 日本国ではないところの。ここまでは「唐」を導く序。◇唐衣 もともと外国製または外国風の衣裳を言う。ここでは同音反復で「ころ(頃)」を導くはたらきをする。◇ころもへずして あまり日にちを置かずに。幾日も経たずに。

【補記】再びの逢瀬を願う心を詠む。「唐衣」までは同音から「頃」を導く序。初句を「しきしまの」とする本もある。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、奥義抄、定家八代抄、西行上人談抄、色葉和難集、心敬私語

【主な派生歌】
敷島や大和とにはあらぬ撫子の花はむべこそ世に似ざりけれ(藤原公任)
我が恋はやまとにはあらぬ韓藍のやしほの衣ふかくそめてき(九条良経[続古今])
あしびきのやまとにはあらぬ唐錦たつたの時雨いかでそむらん(飛鳥井雅経[新勅撰])
敷島や大和にはあらぬ紅の色の千しほに染むる紅葉ば(藤原為家[新拾遺])

題しらず

色もなき心を人にそめしよりうつろはむとは思ほえなくに(古今729)

【通釈】色など無かった心を、人に染めてからというもの、色が褪せるように私の心が変わろうとは、思われもしないことよ。

【語釈】◇色もなき心 もともと色などない心。「色」は文字通り色を意味して「そめ」「うつろふ」と縁語になるが、また「色もなき」で「浮ついたところなどない」の意もなる。◇うつろはむとは 色が変ろうとは。「うつろふ」は心が変る(恋人に飽きたり、別の人に思いを掛けたりする)意が掛かる。◇思ほえなくに 動詞「思ほゆ」の未然形「思ほえ」に、打消の助動詞「ず」のク語法「なく」、そして助詞「に」の付いたもので、逆接または詠嘆の意が添わる。「思えもしないのに」「思えないことよ」などの意。

【補記】心は目に見えないもので、色も無いはずのものであるが、「染める」と言い「うつろふ」と言い、あたかも色を持つもののように言いなす。そのことに寄せて、自身の心は「色もなき」――浅はかでない心であり、一人の人に恋してからは、心変わりなどしないと、一途な恋心を歌った。

【補記】貫之集には末句「おもはざりしを」、拾遺集には詞書「女の許につかはしける」、末句「わがおもはなくに」とある。

【他出】新撰和歌、貫之集、拾遺集(重出)

題しらず

いにしへになほ立ちかへる心かな恋しきことに物忘れせで(古今734)

【通釈】昔の思いにまた立ち戻る心であるよ。恋しいことについては、うっかり忘れるということをしないで。

【語釈】◇いにしへ 初めて当人に恋した頃のことを言う。

【補記】昔のことは次々に忘れてゆくのが人の心というものであるが、こと恋に関しては、恋い初めた頃の思いを忘れることなく、繰り返し恋しさに身を焦がしてしまう。それを「いにしへになほたちかへる心」と言いなして、我が心ながら怪しんでいる。恋という情の不思議さが思われ、人の心の機微にふれた歌であると共に、女を口説く歌としても秀逸であろう。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
いにしへの春にもかへる心かな雲ゐの花に物忘れせで(*二条院讃岐[続後撰])
むかしいま思ひのこさぬ寝覚かな暁ばかり物忘れせで(西園寺実氏[続古今])
待ちしよにまた立ちかへる夕べかな入逢の鐘に物忘れせで(*二条良基[新拾遺])

言ひかはしける女のもとより「なほざりに言ふにこそあめれ」と言へりければ

色ならば移るばかりも染めてまし思ふ心をえやは見せける(後撰631)

【通釈】私の思いが色であるならば、あなたの心に移るほどにも染めましょう。しかし色ではないのですから、どうして思う心を見せることができたでしょう。

【補記】契りを交わした女から「いい加減な気持できっと言うのでしょう」と言って来たので、返事とした歌。心の深さを見せて証明することの難しさを「色」という語にからめて訴えている。拾遺集では結句「しる人のなき」(異本は「…なさ」)とあり、『定家八代抄』などは拾遺集から採っている。

【他出】深養父集、貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
もみぢ葉はうつるばかりに染めてけり昨日の色を身にしめしかど(藤原定家)
身にしみてふかきあはれの色ならばうつるばかりや春のあけぼの(宗尊親王)
色ならばうつるばかりに吹きかへて音ぞ身にしむ秋の初風(中院通村)
いかにして花にみえまし色ならば移るばかりに向ふ心も(武者小路実陰)

年久しく通はし侍りける人に遣はしける

玉の緒のたえてみじかき命もて年月ながき恋もするかな(後撰646)

【通釈】すぐに玉の緒が絶えてしまって、本当に短い人の命――そんなはかない命でもって、長い歳月に渡る恋をすることよ。

【語釈】◇玉の緒 魂と身体を結び付けていると考えられた緒。命そのものを指して言うこともある。当時、生命は、魂を身体に紐のように結びつけているものとして観念されていた。◇たえてみじかき 「たえて」は「絶えて」「全く」の両義。

【補記】長い年月手紙を交わしていた人に贈ったという歌。命ははかなく短く感じられるのに、片思いの歳月は長く感じられる、というパラドックス。『貫之集』には見えない歌。

【他出】定家八代抄

題しらず

風吹けばとはに波こす磯なれやわが衣手のかわく時なき(新古1040)

【通釈】風が吹くと常に波が越える磯だとでもいうのか。私の衣の袖は乾く時がない。

【補記】伊勢物語第百八段では男の心を恨んだ女の歌として出ている。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻七、坂上郎女「拾遺集」
潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き

【主な派生歌】
浦風やとはに浪こす浜松のねにあらはれて鳴く千鳥かな(藤原定家[続後撰])
風吹けばとはに波こすみ熊野の浦路の月に千鳥なくなり(源具親)
よしさらばこぬみの浜の浦松のとはに波越すねをもしのばじ(藤原為家)
風吹けばとはに波こす石見潟かたぶく月もぬるるがほなる(藤原隆祐)

人のもとより帰りてつかはしける

暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや(後撰862)

【通釈】もし暁がなかったならば、白露が置く時に起きて辛い別れなどしたでしょうか。

【語釈】◇なからましかば もし無かったならば。「ましかば」は反実仮想の助動詞「まし」の已然形「ましか」に接続助詞「ば」が付いたもので、現実に反する仮定条件を作る。◇おきて 「置きて」「起きて」の掛詞。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、和漢朗詠集、定家八代抄

【主な派生歌】
朝霜のおきて侘しき別れ路にしばしはたゆめ鴫のはねがき(藤原家隆)
しら露のおきてわびしき別れをもあふにぞかこつ在明の月(後鳥羽院)

題しらず

百羽(ももは)がき羽かく(しぎ)も我がごとく(あした)わびしき数はまさらじ(拾遺724)

【通釈】百度も羽を掻く鴫も、私ほど朝の辛いことの数は多くあるまい。

【語釈】◇百羽がき 数多い羽掻き。下記本歌に基づく。◇朝(あした)わびしきかず 朝の悲しい別れの数。いわゆる後朝(きぬぎぬ)の別れを言う。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺抄、和歌童蒙抄、袖中抄、定家八代抄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜はわれぞ数かく

【主な派生歌】
ももはかく鴫のはねがきいくかへり朝わびしき秋にあふらむ(藤原家隆)
庭もせにうつろふ比のさくら花あしたわびしき数まさりつつ(藤原定家)

題しらず

おほかたの我が身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな(拾遺953)

【通釈】おおよそのことは私一身の思うにまかせない憂鬱が原因であるのに、おしなべて世の中のせいにして恨んでしまうことよ。

【語釈】◇おほかた だいたいのところ。大部分。◇憂きからに 辛い境遇が原因であるのに。

【補記】拾遺集巻十五、恋五、恋の苦悩を詠んだ歌の一つとして排列されているので、「憂き」は恋愛にまつわる不充足感であり、「世」は「恋人との仲」の意に重心がかかる。但し『定家八代抄』は雑歌として採っており、この場合身の不遇を嘆いた述懐歌となる。『貫之集』には見えない歌。藤原公任撰『拾遺抄』では読人不知。

【他出】拾遺抄、俊頼髄脳、定家八代抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中は昔よりやは憂かりけむ我が身ひとつのためになれるか
  よみ人しらず「後撰集」
飛鳥川わが身ひとつの淵瀬ゆゑなべての世をも怨みつるかな

延喜十七年八月宣旨によりてよみ侍りける

来ぬ人を下に待ちつつ久方の月をあはれと言はぬ夜ぞなき(拾遺1195)

【通釈】訪れない人を心中に待ちながら、月をすばらしいと賞美しない夜とてない。

【補記】恋人を待っている内心を隠し、月を眺めているふりをしているのである。待つ女の心をきわめて婉曲に詠んでいる。この歌、拾遺集には雑賀の巻に載せるが、ここでは恋歌とした。延喜十七年(917)八月、天皇の命により奉った歌。

【他出】貫之集、三十人撰、深窓秘抄、三十六人撰、和歌体十種(写思体)、奥義抄、和歌十体(写思体)

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」、伝小野小町「小町集」
ひとり寝の侘しきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる

【主な派生歌】
ながむらん人の心もしらなくに月をあはれと思ふ夜はかな(*遊義門院[玉葉])

哀傷

紀友則が身まかりにける時よめる

明日知らぬ我が身と思へど暮れぬまの今日は人こそかなしかりけれ(古今838)

【通釈】私自身、明日の命も分からない身だと思うけれども、日が暮れるまでに残された今日という日のわずかな間は、人のことが悲しいのであった。

【語釈】◇暮れぬまの今日 まだ日が沈まないうちの、残された今日の日。「今日」とは友則の死去した日。

【補記】従兄の紀友則が死去した時に詠んだ歌。友則は古今集の撰者の一人であったが、その死を悼む歌が古今集に載っていることから、延喜五年(905)の古今集撰進奉勅の後まもなく、同集の完成を見ずして亡くなったものと思われる。貫之より二十歳近く年長で、彼にとっては敬愛する先輩歌人でもあった。仏教の説く無常観は重々承知の上、今日の残された僅かな時間はその人を思って悲しみに浸り切ろう、いや浸り切らずにはいられない、というのである。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、定家八代抄

【主な派生歌】
とりべ山あすをばしらで暮れぬ間のけふの煙をあはれとぞ見る(飛鳥井雅有)
暮れぬ間の今日をもしらぬ命もて明日より後を契るはかなさ(中院通村)

おもひに侍りける年の秋、山寺へまかりける道にてよめる

朝露のおくての山田かりそめにうき世の中を思ひぬるかな(古今842)

【通釈】朝露が置く、晩稲の山田を刈り始める季節――かりそめのものと、つらい世の中を思ったことであるよ。

【語釈】◇おくて 「置く」「晩稲」を掛ける。◇かりそめ 「刈り初め」「仮初」を掛ける。

【補記】詞書の「おもひ」は喪に服すること。山寺へ参籠に向かう道の途中、晩秋の山の風景に触発されての思いであろう。「朝露の置く」から「晩稲(おくて)」を導き出し、「晩稲の山田刈り初め」から「仮初に」を導き出して、二重の序を仕掛けた。『貫之集』では巻八の哀傷歌群にあり、友則を悼む前歌に続けて載せている。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
露霜のおくての山田かりねして袖ほしわぶるいほのさむしろ(藤原定家)
初霜のおくての山田もる庵にかりそめながら衣うつなり(今出河院近衛[続後拾遺])
東路のおくての山田かりにのみ思ひし庵もすみなれにけり(藤原為顕[新千載])

藤原高経(たかつね)朝臣の身まかりての又の年の夏、ほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる

ほととぎす今朝鳴く声におどろけば君に別れし時にぞありける(古今849)

【通釈】時鳥が今朝鳴く声にはっと気がつけば、昨年あなたと死に別れたのと同じ時節なのだった。

【語釈】◇藤原高経 贈太政大臣正一位藤原長良の子。右兵衛督などを歴任し、寛平五年(893)五月に死去。既出の惟岳の父。

【補記】寛平六年(894)夏、時鳥の声を聞いて、前年の同じ頃に亡くなった藤原高経を偲んだ歌。万葉集の額田王の歌に「いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が思へるごと」とあるように、時鳥は過去を偲んで悲しげに鳴く鳥と考えられ、また「死出の田長(たをさ)」の異名があるように、冥界から訪れる鳥とも考えられたので、単に季節の風物として言ったのではない。『貫之集』では「題しらず」。第四句を「君を別れし」とする本もある。

河原の左のおほいまうちぎみの身まかりてのち、かの家にまかりてありけるに、塩釜といふ所のさまをつくれりけるを見てよめる

君まさで煙たえにし塩釜のうらさびしくも見え渡るかな(古今852)

【通釈】あなたがいらっしゃらなくて、煙が絶えてしまった塩釜の浦――見渡せば、すっかりうら寂しく感じられることよ。

【語釈】◇塩釜(しほがま) 陸奥の歌枕。今の宮城県塩竈市の塩竈港・塩竈湾あたりを言うが、掲出歌では源融が自邸に塩竈の浦を模して造った庭を指す。◇煙たえにし 源融は自邸の池に海水を運び込み、それでもって塩を焼かせたという。その煙が絶えたことを言う。◇うらさびしくも 「うら」は「浦」「裏」の掛詞。「うらさびし」は心寂しい・何となく物寂しい意。

【補記】河原左大臣と呼ばれた源融が亡くなったのは寛平七年(895)。その後、融が遺した邸に出向くことがあり、陸奥の歌枕塩竈を模して造った庭を見て詠んだという歌。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、三十人撰、和漢朗詠集、三十六人撰、綺語抄、今昔物語、五代集歌枕、袖中抄、古本説話集、定家八代抄、歌枕名寄、歌林良材

【主な派生歌】
塩竈のうらがなしくも見ゆるかな霞にすける海人の釣舟(*藤原清輔)
須磨の海人のたく藻の煙たえだえにうらさびしくも見えまがふかな(慈円)

思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれしをんな子の、もろともにかへらねば、いかがは悲しき。舟人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきにたへずして、ひそかに心知れる人といへりける歌

生まれしもかへらぬものをわが宿に小松のあるを見るがかなしさ(土佐日記)

とぞいへる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ

見し人の松の千とせに見ましかば遠く悲しき別れせましや(土佐日記)

【通釈】(京のこの家で昔過ごした日々について)思い出さぬこととてなく、懐かしく恋しがるうちに、この家で生まれた女の子が、一緒に帰らないので、いかに悲しいことか。舟人も皆、子供が寄り集まって騒ぐ。そうこうするうちに、さらに悲しいのに耐えられず、気の置けない人(妻)とひそかに言い交わした歌、
(歌)この家で生まれた子も帰って来ないのに、庭に新しく生えた小松があるのを見るのは悲しいことよ。
と詠んだ。なお満足できなかったのか、またこのように。
(歌)死んだ子が松の木のようにいつまでもそばにいてくれたなら、遠くの土地で悲しい別れなどせずにすんだのに。

【補記】京の家に帰ってのち、家の庭に生えていた小松に寄せて、土佐で亡くした幼い娘を悲しんだ歌。

同じ御時、大井に行幸ありて、人々に歌よませさせ給ひけるに

大井川かはべの松にこととはむかかる行幸(みゆき)やありし昔を(拾遺455)

【通釈】大堰川の川辺の松に問うてみよう。このように盛大な行幸は昔もあったかと。

【語釈】◇大井川 大堰川。桂川の上流、京都嵐山のあたりの流れを言う。

【補記】詞書の「同じ御時」は延喜御時(醍醐天皇代)。延喜七年(907)九月十日、宇多上皇の大井川行幸の折の作。第五句を「ありし昔も」とする本もある。

【他出】拾遺抄、五代集歌枕、万葉集時代難事、六百番陳状、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】
打ちなびく蘆のうら葉にとひ見ばやかかるみゆきをいつかみしまえ(伊勢大輔)

越なりける人につかはしける

思ひやる越の白山しらねどもひと夜も夢にこえぬ夜ぞなき(古今980)

【通釈】遥かに思いやる越の白山――実際は知らないのだけれど、一夜として夢の中で越えない夜はありません。

【語釈】◇越(こし)の白山(しらやま) 加賀白山。「しらね」を導く。

【補記】越、すなわち北陸道にいた人に贈った歌。越の名所である白山に寄せて、毎夜夢でその人のもとに通っていると言い遣った。

【他出】貫之集、拾遺集(重出)、五代集歌枕、歌枕名寄

【参考歌】藤原兼輔「古今集」
君がゆく越の白山しらねども雪のまにまにあとはたづねむ

【主な派生歌】
もみぢ葉もましろに霜のおける朝は越の白嶺ぞ思ひやらるる(和泉式部)
ふりつもる都の雪をながめても思ひこそやれ越の山越え(九条良平)
雪つもる越のしら山冬ふかし夢にもたれか思ひおこせむ(*宗良親王)

元良親王、承香殿の俊子に春秋いづれかまさると問ひ侍りければ、秋もをかしう侍りといひければ、面白き桜をこれはいかがと言ひて侍りければ

おほかたの秋に心はよせしかど花見る時はいづれともなし(拾遺510)

【通釈】大体のところは秋に心を寄せたけれども、桜の花を見る時は、どちらとも言えません。

【補記】元良親王が承香殿の俊子(藤原千兼の妻で、醍醐天皇の承香殿女御源和子に仕えていたらしい女官)に、春と秋とどちらが優れているかと問うた時、俊子が「秋も素晴らしい」と言ったので、美しい桜を見せて「これはどうか」と尋ねたので、貫之が俊子に代わって詠んだ歌。春秋の優劣は万葉集の額田王の歌にも詠まれた、古くからの主題。この歌は『貫之集』に見えず、『延喜御集』(醍醐天皇の御集)では「大輔」が秋と答え、これに反問した天皇に応じて歌を詠んだのも「大輔」としている。

【参考歌】大輔「延喜御集」
ひとしれず秋に心はよせしかど花見る時はいづれともなし

やよひのつごもりの日、久しうまうで来ぬよし言ひて侍る文の奧にかきつけ侍りける

またも来む時ぞと思へどたのまれぬわが身にしあればをしき春かな(後撰146)

つらゆき、かくておなじ年になむ身まかりにける

【通釈】また行こうと思っていた時なのですが、頼みにならない私の身体ですので、再び巡って来る季節とは言え、悔いの残る春ですことよ。

【語釈】◇またも来む時 再び巡り来るだろう春。再びそちらへ行くだろう時。「来む」は「春が来るだろう」意と、相手の側に立って作者が「(そちらへ)行こう」意の両義。

【補記】弥生(陰暦三月)の末、長いこと会いに来ない旨言って来た手紙の奧に(返事として)書きつけたという歌。春の間に訪ねたかったのに、病身ゆえ果たせないまま春が終末を迎えてしまったのである。『貫之集』の詞書は「三月つごもりの日人にやる、兼輔のおとどのみたらかなり」とある。「みたらか」は「御太郎」からの誤写かという(和歌文学大系「貫之集」注)。とすれば親交のあった兼輔の息子に宛てた歌か。貫之の死去は天慶八年(945)かとされる。

【他出】躬恒集、貫之集、定家十体(幽玄様)、桐火桶

世の中心細く、つねの心地もせざりければ、源の公忠の朝臣のもとにこの歌をやりける。このあひだに病おもくなりにけり

手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ(拾遺1322)

後に人の云ふを聞けば、この歌は返しせむと思へど、いそぎもせぬほどに失せにければ、驚きあはれがりてかの歌に返しよみて、愛宕にて誦経して、河原にてなむ焼かせける。

【通釈】手に掬った水に映っている月の光のように、あるのかないのか、定かでない、はかない生であったことよ。

【補記】貫之が病を得て心細く思っていた時、源公忠に贈った歌。公忠が返歌をしようとする暇もなく、貫之は亡くなったという。これが貫之の辞世となった。

【主な派生歌】
灯し火のほかげにかよふ身をみればあるかなきかの世にこそありけれ(藤原高遠)

【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺抄、和漢朗詠集、袋草紙、宝物集、沙石集、保元物語

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中と言ひつるものかかげろふのあるかなきかの程にぞありける


公開日:平成12年04月03日
最終更新日:平成22年08月04日

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