木下長嘯子 きのしたちょうしょうし 永禄十二〜慶安二(1569〜1649) 号:挙白堂・天哉翁・夢翁

本名、勝俊。木下家定の嫡男(養子)。豊臣秀吉夫人高台院(北政所ねね)の甥。小早川秀秋の兄。秀吉の愛妾松の丸と先夫武田元明の間の子とする伝もある。歌人木下利玄は次弟利房の末裔。
幼少より秀吉に仕え、天正五年(1587)龍野城主に、文禄三年(1594)若狭小浜城主となる。秀吉没後の慶長五年(1600)、石田三成が挙兵した際には伏見城を守ったが、弟の小早川秀秋らが指揮する西軍に攻められて城を脱出。戦後、徳川家康に封地を没収され、剃髪して京都東山の霊山(りょうぜん)に隠居した。本居を挙白堂と名づけ、高台院の庇護のもと風雅を尽くした暮らしを送る。高台院没後は経済的な苦境に陥ったようで、寛永十六年(1639)頃には東山を去り、洛西小塩山の勝持寺の傍に移る。この寺は西行出家の寺である。慶安二年六月十五日、八十一歳で没。
歌は細川幽斎を師としたが、冷泉流を学び、京極為兼正徹などに私淑した。寛永以後の地下歌壇では松永貞徳と並称される。中院通勝・冷泉為景・藤原惺窩らと親交があった。門弟に山本春正・打它公軌(うつだきんのり)岡本宗好などがいる。また下河辺長流ら長嘯子に私淑した歌人は少なくなく、芭蕉ら俳諧師に与えた影響も大きい。他撰の家集『若狭少将勝俊朝臣集』(『長嘯子集』とも)、山本春正ら編の歌文集『挙白集』(校註国歌大系十四・新編国歌大観九などに所収)がある。

古典文庫刊『長嘯子全集』全六巻より六十首を抜萃した。他本を参照し、語句を改めた箇所もある。

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月前梅

春の夜のかぎりなるべしあひにあひて月もおぼろに梅もかをれる(挙白集)

【通釈】これが春の夜の情趣の極限にちがいない。合いも合ったり、月も朧なら梅も香っている。

【補記】古歌の修辞を巧みに取り入れて、春夜の情趣を調べ高く歌い上げている。同題に「ねやの外もさながらみつる梅が香や色によこぎる月のうす雲」など。

【参考歌】伊勢「古今集」
あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるるかほなる
  和泉式部「和泉式部続集」
夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ

寛永十六年正月十日、公軌もとにて人々一つ題にて五首の歌よみしに、おなじこころを

梅が香に窓もる月をかた敷きて半ばさめゆく春の夜の夢(挙白集)

【通釈】梅の香にさそわれ、窓から漏れる月明かりを敷いて独り寝していると、うとうと夢を見たが、はかない春の夜の夢、中途で覚めていってしまう。

【補記】寛永十六年(1639)初春、門弟の打它公軌(うつだきんのり)のもとで歌会を催した折の作。

ただならぬ朧月夜のかげ更けて袖にほのめく(をち)の梅が香(挙白集)

【通釈】ただならない朧月夜の光が、夜更けていっそう趣深くなり、袖にほのかに匂う、遠くの梅の香りよ。

【補記】朧月の「ただならぬ」光が袖に映ると、匂うはずもない遥かな梅の香も「ほのめく」という。

故大閤秀吉公より花歌五十首めしけるとき、一夜によみはべりける

月の比夜はすがらにわぎも子が手枕かれて花をみるかな(挙白集)

【通釈】月が明るい頃、夜は一晩中、妻の手枕から離れて花を眺めるのだなあ。

【補記】妻の愛情より花見を選ぶ風狂。豊臣秀吉より花の歌を召され、いくら発奮したとて一晩に秀吟五十首を詠んだのも常軌を逸している。ここには二首のみ採った。

むらさきも(あけ)もみどりも春の色はあるにもあらぬ山桜かな(挙白集)

【通釈】紫も、朱色も、緑も、春の色はあるとも言えないほどの山桜であるよ。

【補記】山桜は葉芽と花がほぼ同時に開く。若葉は朱色・紫色・緑色などさまざまな色を帯びる。花は白か淡紅色であるが、やや紫色を帯びたものなどもあり、ソメイヨシノなどに比べ色彩は変化に富み微妙である。

春夜

よもの空はふけしづまりて花の上にただおぼろなる月ひとりのみ(挙白集)

【通釈】夜空は見わたす限り更け静まって、花の上にただ朦朧と光る月が掛かっているばかりである。

【補記】初句・三句字余りなど京極派の影響が見える。作者は正統的な和歌の教養も身につけていたが、京極派や冷泉派など異端の歌風をより好んだ。因みにこの歌は作者の自讃歌で、色紙を人に請われるとこの歌をよく書いたという。

【参考歌】光厳院「新拾遺集」
くれはてて色もわかれぬ花の上にほのかに月の影ぞうつろふ

【主な派生詩歌】
しばらくは花の上なる月夜かな(芭蕉)

暮山花

なべて世は花咲きぬらし山の端をうすくれなゐに出づる月影(挙白集)

【通釈】世はあまねく桜の花が咲いたようだ。山の端から、薄紅の色に映えて昇る月の光よ。

【補記】上句は二句切れで大胆な推定を下し、下句は理屈でなくイメージの喚起力の強さによってその推定を確かなものに感じさせている。

【参考歌】藤原良経「千五百番歌合」「秋篠月清集」
桜花うつろはんとや山のはのうすくれなゐに今朝はかすめる

「あさぼらけ」より

しづかなる庭の木の間にかげおちて夜ふかき花に月わたる見ゆ(挙白集)

【通釈】静かな庭の木の間を光が漏れ落ちて、夜もすっかり更けた花の上を月が渡ってゆくのが見える。

【補記】『挙白集』の文集の部収録「あさぼらけ」に見える歌。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
さ夜なかと夜はふけぬらし雁がねのきこゆる空に月わたる見ゆ

春の歌の中に

主なしと花をや思ふ雨そそぐ桜が枝にかかるみの虫(長嘯子集)

【通釈】花には主人がいないと思うのだろうか、雨が降り注ぐ桜の枝に我が物顔でぶらさがっている蓑虫よ。

【補記】小動物に対し親密に心を寄せている。「主」を『長嘯子全集』は「あるじ」と訓むが、「ぬし」とする本もある。

春の歌の中に

鶯のこゑのひびきに散る花のしづかに落つる春のゆふぐれ(挙白集)

【通釈】鶯の鳴く声の響きに散る花が、音もなく落ちる春の夕暮よ。

【補記】『挙白集』で一つ前に置かれた「恨みじな世のはなかさを添へて咲く花はまことに思ふ心あり」という思想的な歌も、この作者の到達した一境地。

【参考詩歌】昭訓門院権大納言「風雅集」
一しきり嵐はすぎて桐の葉のしづかにおつる夕ぐれの庭

【主な派生歌】
時鳥こゑのひびきにゆく雲のとまるとみればむらさめの空(下河辺長流)
山に鳴く鳥の音にさへ散る花のむなしき色は見えて淋しき(後水尾院)

春の歌の中に

古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(挙白集)

ナズナ
なづな アブラナ科の越年草。

【通釈】古里の家の垣根は野良となり広漠と荒れ果てて、摘む人も無しに薺の花が咲いている。

【語釈】◇なづな 若芽は食用になるが、茎が伸びてしまうと食べられない。

【参考】「白氏文集」巻十七(→資料編
惆悵去年牆下地 今春唯有薺花開(惆悵す去年牆下の地、今春唯だ薺の花の開く有り)
  遍昭「古今集」
里はあれて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる
  中山兼宗「御室五十首」
故郷のあさぢが下のつぼすみれつむ人なしに花やさくらん
  後鳥羽院「増鏡」
水無瀬山我がふる里は荒れぬらむまがきは野らと人もかよはで

題しらず

音もせず春日のどけし時守のつづみや今日はうち忘るらむ(長嘯子集)

【通釈】物音もせず、春の日の光はのどかである。時守(ときもり)の時刻を報せる太鼓はどうしたのか、今日は打ち忘れているのだろうか。

【参考歌】正徹「草根集」
常よりもをしき春かな時守のうつやつづみも今日なきかせそ

山家の歌の中に

鳩のなく外面(そとも)の杉の夕がすみ春のさびしき色は見えけり(挙白集)

【通釈】鳩が鳴く家の外の杉林に夕霞がかかっていて、春の寂しい色が見えるのだった。

【補記】山家の侘び住まいを主題とする歌。下記参考歌のように古人は鳩の鳴く声を友を呼ぶ寂しげな声と聞きなした。

【参考歌】西行「新古今集」
古畑のそはの立木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮
  藤原良経「玉葉集」
夕まぐれこだかき森にすむ鳩のひとり友よぶ声ぞさびしき
  花園院一条「風雅集」
鳩のなく杉の木ずゑのうす霧に秋の日よわきゆふぐれの山

「花山のことば」より

のがれいでし焼野の雉子(きぎす)峰にまたおどろくばかりさく躑躅かな(挙白集)

【通釈】焼野から遁れ出た雉がいる峰――そこにまた驚くばかり咲いているつつじの花よ。

【補記】『挙白集』文集の部に収録された歌文「花山のことば」より。晩春、遍昭ゆかりの花山を訪れた時の漫録で、「かしこには岩躑躅さきみちて、一山を照らし、分け入る袖も錦を着る心地して、うちむれつつ遊ぶ」といった閑雅な文章に続き、唐突に「焼野の雉子」が詠まれている。川田順編『戦国時代和歌集』によればこの歌は「関原軍記大成巻十」の「伏見城落城鳥居内藤以下戦死」に引用されている由。「のがれいでし焼野の雉子」に戦を生き延びた自身の姿を見ていたかとも思えてくる。続く一首は「わが心いくしほ染めつ岩躑躅いはねばこそあれ深き色香に」。

寛永十九年卯月二日、くらま山にいたりて

うず桜のこる鞍馬のつづらをり行くかとみれば帰る春かな(挙白集)

【通釈】雲珠桜の咲き残る鞍馬山のつづら折り――山道が先へ進むかと思えばまた戻って来るように、行ったかと見ればまた帰って来る春であるよ。

【語釈】◇うず桜 雲珠桜。鞍馬山の桜をこう呼び習わした。「鞍馬」に因み、鞍の後ろに付ける飾り金具「雲珠」に桜の花をなぞらえての名か。◇つづらをり 九十九折。幾重にも折れ曲がる坂道。

【補記】暦の上ではすでに夏であるが、桜が咲いているので、春が戻って来たように感じた。それを山道のつづら折に掛けて詠んだ。下河辺長流編『林葉累塵集』にも収録。

夏の歌の中に

夢路よりまづ聞きそめて時鳥遠ざかるままに声ぞきえゆく(挙白集)

【通釈】夢の中で最初聞き始めて、時鳥(ほととぎす)が遠ざかってゆくにつれ、その声は消えてゆくのだ。

【補記】夢とうつつの境に聞く時鳥。

【参考歌】伊勢「後撰集」
郭公はつかなるねをききそめてあらぬもそれとおぼめかれつつ
  藤原定家「拾遺愚草」
まどろむとおもひもはてぬ夢路よりうつつにつづく初雁のこゑ

ある人のもとにて

あはれにもうち光りゆく蛍かな雨のなごりのしづかなる夜に(挙白集)

【通釈】しみじみとした趣で、光を放ちながら飛んでゆく蛍であるよ。雨のなごりが漂う、静かな夜に。

【補記】技巧が目立たず、平明で情趣深い。即興の作だからこそ、長嘯子の歌才と資質が最もよく発揮された例ではないか。『林葉累塵集』にも採録。

【参考歌】源俊頼「千載集」
あはれにもみさをにもゆる蛍かな声たてつべき此の世と思へば

嵯峨にて夏草の花を

夏草の花にぞのこる野宮やふりはへ問ひし神のうつり香(挙白集補遺)

【通釈】夏草の花に残っているのだ、野宮の跡よ――つとめて神意を問うた、神の移り香は。

【補記】「野宮(ののみや)」とは斎宮に卜定された皇女が伊勢に向かう前、潔斎のために籠った宮。占いによって地を定めたが、通例、嵯峨野に設けられた。南北朝時代に斎宮制度が途絶すると共に、野宮の跡も夏草に埋もれたが、その中に咲く小さな草花の香に、かつて斎宮が仕えた「神」(言うまでもなく天照大神)の移り香を嗅いだのである。彰考館本『挙白集』の補遺の部に見られる歌。

夕立

夕立の杉の梢はあらはれて三輪の檜原ぞまたくもりゆく(挙白集)

【通釈】夕立の過ぎた杉の梢は、ひと時あざやかに目に見えて、三輪山の檜林はまた雲に覆われてゆく。

【語釈】◇杉の梢 杉に「過ぎ」を掛けているのだろう。因みに三輪山の杉は霊木として崇拝された。◇あらはれて 「現はれて」「洗はれて」の掛詞か。夕立に洗われて鮮やかな姿を現わす神杉。◇三輪の檜原 大和国の歌枕。三輪山の針葉樹林。

【補記】三輪山に立ちのぼる雲や霧は古来神霊の顕現と見られた。同題の「山風に先づさそはれて夕立の雲の行くてにさわぐ群鳥」も捨て難い。

【参考歌】額田王「万葉集」
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

【主な派生歌】
すまの浦や夕立つ浪のたちまちにうしろの山ぞ又くもり行く(契沖)

(題欠)

夕顔のさける軒ばの下涼み男はててれ()はふたのもの(長嘯子集)

右天下至楽也。有誰如之。

【通釈】夕顔の咲いている軒端の下で家族が夕涼みしている――とうちゃんはふんどし、かあちゃんは腰巻姿で。

【語釈】◇ててれ ててら。褌。◇ふたのもの 二布物。腰巻。

【補記】久隅守景はこの歌を画題に名作「夕顔棚納涼図屏風」を描いたと言われる。

秋の歌の中に

今朝よりはものあぢきなく心ぼそし人わびさする秋や来ぬらん(挙白集)

【通釈】今朝からというもの、何か遣る瀬なく、物寂しい。人の気分を沈ませる秋が来たのだろうか。

【補記】敢えて風物を出さず、心の内の変化に絞ることで、秋という季節の情趣の本意に迫ろうとしている。

【参考歌】正徹「草根集」
露となる風となりてやなべて世の人わびさする秋はきぬらん

秋のはじめつかた、ほたるのたかくとぶをみて

衣手の涼しくもあるかさ夜更けて蛍とぶなり秋風のうへに(挙白集)

【通釈】袖のあたりが涼しいことよ。夜が更けて、蛍が飛んでいるのだな、秋風の上高く。

【補記】「とぶなり」の「なり」は伝聞推定の助動詞。断定を避ける程度の軽い気持で添える。

【主な派生歌】
色かはる木の葉ばかりの命もて蝉ぞなくなる秋風の上に(契沖)

ひぐらしのなきければ

ひぐらしの声もなれたる山里に今一入のさびしさもがな(挙白集)

【通釈】蜩の声にも馴れた山里の住まいでは、もうひと重ねの寂しさがあってほしい。

【補記】「一入(ひとしお)」は本来染物を染液に一回だけ浸すことを意味したが、「ひときわ、一層」などの意に転用された。烏丸光広の『黄葉和歌集』にはよく似た作「日ぐらしのこゑも稀なる山里に今ひとしほの寂しさもがな」を載せるが、長嘯子の作が誤って混入したものらしい(『長嘯子全集』解説)。

ある人のもとにて、露如玉を

秋の野に千はこの玉をなげすててとる人なしにみゆる白露(挙白集)

【通釈】秋の野に千の箱の玉を投げ捨てて、取る人もいないと見える白露よ。

【補記】古今風の見立て(なぞらえ)の技法を大胆に進めて、超現実的なイメージにまで突き抜けてしまった。同題の詠「末なびく浅茅が露やこぼるらん風の行く手にひろふ白玉」も面白い。『林葉累塵集』秋上巻末歌。

【参考歌】文室朝康「後撰集」「百人一首」
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
  藤原清輔「千載集」
竜田姫かざしの玉の緒をよわみ乱れにけりとみゆるしら露

秋の歌の中に

山こえて入りぬと見えし秋の日のまたいづくよりてらす麓田(挙白集)

【通釈】山を越えて没したと見えた秋の太陽が、再びどこからか照らす、山の麓の田よ。

【参考歌】三条西実隆「雪玉集」
一とほり時雨つきぬとみえし雲の又いづくより曇りきぬらん

古郷月

里は荒れて燕ならびし梁の古巣さやかにてらす月かげ(挙白集)

【通釈】里は荒れ果て、かつて雌雄の燕が並んで棲んだ梁(うつばり)の古巣を、月光がさやかに照らすばかりである。

【補記】「燕ならびし梁(うつばり)」は下記白楽天の詩を踏まえ、かつて仲睦まじい夫婦が暮らしていた里の家の、今や住む人もない荒廃した有様をしみじみと印象づける。『林葉累塵集』に採録。

【参考】白居易「上陽白髪人」
梁燕雙栖老休妬(梁燕、双栖するも、老いては妬むを休む)
  正徹「草根集」
宿は猶燕ならびしうつはりに荒れてぞ月のひとりかかれる

海辺月

はるばると敷津の浦の月の夜は氷にうかぶ淡路しま山(挙白集)

【通釈】遥々と光を敷き詰めた敷津の浦の月夜にあっては、氷の上に浮かんで見える淡路島山よ。

【補記】「敷津」は摂津国住吉の歌枕。動詞「敷き」と掛詞になり、月の光が海面に行き渡る意が掛かる。古今集以来の見立ての技法で描いた一幅の幻想画。

【参考】藤原俊成「新後撰集」
月の影しきつのうらの松風にむすぶ氷をよする波かな

八月十五夜公軌驚月庵にて人々よめる歌の序

天地(あめつち)やさらにひらくる海山も玉もてつくる秋の夜の月(挙白集)

【通釈】天地はさらに再び開闢するのだろうか、海も山も玉で以て新たに造ったかのような秋の月夜よ。

【補記】「玉」は真珠・水晶・瑠璃・瑪瑙といった宝玉のこと。『挙白集』文集の部に収録。弟子の公軌の驚月庵での歌会に寄せた序文の添え歌。『林葉累塵集』にも収録。初句「天地も」とする本が多い。

ある人のとぶらひきて、よもすがら月見侍りしに

枝も葉もかぞふばかりに月すめば影たしかなる庭のときは木(挙白集)

【通釈】枝も葉も数が数えられるばかりに月の光が澄んでいるので、庭の常緑樹はくっきりとしたすがたを見せている。

【補記】樹木の影の「たしか」さによって月光の清澄を際立たせた。

【参考歌】藤原俊成「千載集」
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影
  藤原定家「拾遺愚草」
吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて峯たしかなるあらし山かな

九月十三夜

わがものと大和もろびとおごり見よ(ほか)に知られぬ秋の夜の月(挙白集)

【通釈】自分たちだけのものだと、日本の諸人よ、誇って見よ。――他では知られていない秋の夜の月。

【補記】八月十五夜の宴は大陸から渡来したものであるが、九月十三夜の月を愛でるのは宇多法皇に始まると伝わり、我が国独自の風習である。この歌、烏丸光広の『黄葉和歌集』にも見えるが、長嘯子の作と考えてよいようである。

杜月を

さ夜ふけて逢ふ人もなし月かげのところどころに森の下みち(挙白集)

【通釈】夜が更けて、出遭う人もない。月の光が、森の下道のところどころに漏れ射している。

【補記】同集「東山にて月の歌あまたよみ給ひし中に」ある「あはれとも誰にか言はむさよふけて独りかげふむ道のべの月」などと共通する情趣が感じられる。

月前虫

すべてただこれ皆秋のすることぞ月も夕べも虫も憂からず(長嘯子集)

【通釈】おしなべて、これは皆秋という季節のなせるわざなのだ。月も夕方も虫も、それ自体として物憂いのではない。

【補記】題からすると、夕月のもとで鳴く虫を聞いての感慨として読むべきであろう。しかしそうした風物でなく、秋という季節そのものが心に悲哀をもたらす、と見た歌。旧来の和歌にも詠まれた趣向ではあるが、「することぞ」「憂からず」と断定する強さは、王朝和歌には見られない「ますらをぶり」(万葉集の益荒男ぶりとはまた異なる)である。

時雨

散りつもる庭の枯葉のそよそよとまだふりしめぬ村時雨かな(挙白集)

【通釈】散り積もった庭の枯葉がそよそよと風に揺れて――まだ水分を浸み透らせていない時雨なのだなあ。

【補記】落葉を打つ時雨の乾いた音を詠んだ歌は古来少なくないが、散り積もった枯葉のそよぎに着目した趣向は新鮮。木の葉がすっかり落ち、時雨が降り出して間もない頃の季節感をみごとに捉えている。日ごろ自然に深く沈潜していなくては出来ない歌であろう。『林葉累塵集』にも収載。

【参考歌】惟宗隆頼「詞花集」
風ふけば楢のうら葉のそよそよと言ひあはせつついづち散るらん
  源顕仲「永久百首」
朝まだき楢のかれ葉をそよそよと外山をいでてましら鳴くなり

それながら雨とも言はじ初時雨いかに聞くべき夜半の寝覚ぞ(挙白集)

【通釈】雨は雨であるものの、雨とも言うまい。初時雨よ、どのように聞けばよいのか、この夜の寝覚に。

【補記】深夜の寝覚に、その年初めての時雨を聞く。雨の音というには余りに深く心に響くというのである。同題に「ちりちらず木の葉夢とふ槙のやに時雨をかたる軒の玉水」。

寒樹交松

冬枯れの梢を松に吹きまぜてこまかにかはる風の音かな(挙白集)

【通釈】冬枯れした落葉樹の梢の中に、常緑樹の松を吹き交ぜて、細かに変わる風の音よ。

【補記】松の混生する落葉樹林を風が吹き抜ける――その時の音の微妙な変化を聴き取っている。玉葉風雅の影響が顕著であるが、「こまかにかはる」は前例のないこまやかな表現。

【参考歌】藤原為家「玉葉集」
おのづから染めぬ木の葉を吹きまぜて色々に行く木がらしの風

中院権中納言通勝卿玄旨法印などまうで給ひし時、暁望山雪をよみ侍りし

峰しらむ雪の光におき出でて後はるかなる鳥のはつ声(挙白集)

【通釈】峰が白くなる雪の光に夜が明けたのかと起き出てのち、はるか遠くから聞こえる一番鶏の声よ。

【補記】山の峰近くに庵を結んでいる人の立場で詠む。峰に積もった雪のため、下界の人里より朝が早く訪れるので、「鳥のはつ声」は、「起き出でてのち」、麓の方から「はるか」に聞こえてくるのである。『林葉累塵集』にも収録。

【参考歌】藤原良経「六百番歌合」「新後撰集」
雲ふかき峰の朝明のいかならん槙の戸しらむ雪の光に

冬の歌の中に

白妙にいくへかさなる色ならん氷の上の雪の夜の月(挙白集)

【通釈】真っ白に、幾重かさなった色なのだろう。氷の上に積もった雪、それを照らす夜の月よ。

【補記】白い氷の上にさらに雪が降り敷いて、そこに冷え冷えとした冬の月光。

【参考歌】藤原良経「玉葉集」
山かげや友を尋ねし跡ふりてただいにしへの雪の夜の月

一色に玉しきかへて天地のまたひらく世や雪の明けぼの(長嘯子集)

【通釈】白一色に玉砂を敷き換えて、天地が新たに始まる世であろうか、雪の積もった曙よ。

【補記】『挙白集』には見えず、『長嘯子集』に「雪五首」として纏められたうちの一首。

やどりをば明けぬと出でて雪も夜も深きにまよふ野べの旅人(挙白集)

【通釈】夜が明けたと宿りを出で、雪も深く、夜も深い中、野辺に迷う旅人よ。

【補記】雪明かりのために夜が明けたと勘違いしてしまったのである。「やどり」は無論宿屋でなく、仮の寝床を造って野宿した場所を言う。『挙白集』冬の部に載るが、主題から旅歌とすべきだろう。旅の苦しみを詠むのが羇旅詠の伝統であるが、極限的に困難な状況を仮構している。

【参考歌】藤原定家「続古今集」
夕つゆのいほりは月をあるじにてやどりおくるる野辺のたび人

夕恋

日暮るればたつ面影を身にそへてそのままにこそ打ちふされけれ(挙白集)

【通釈】日が暮れれば、心に浮かぶ面影――その面影を我が身に添えて、そのままの状態で打ち臥してしまうのだ。

【補記】男を待つ女の立場で詠んだ優艷な歌。しかし長嘯子の恋歌は総じて保守的で、四季詠や述懐詠に見られるような大胆さは見られない。

【参考歌】西行「新古今集」
なきあとの面影をのみ身にそへてさこそは人の恋しかるらめ

冷泉為景朝臣、夢想の歌をかしらにすゑて三十二首、北野の社に奉納ありしに、恨絶恋を

(らに)の花うらむらさきの色に出でてうつり香さへもたえし中かな(挙白集)

【通釈】藤袴の花はうら紫の色に咲き出て、あたかも私の恨みの色を見せるかのようだ。あの人との仲は、移り香さえも絶えてしまったなあ。

【語釈】◇冷泉為景(れいぜいためかげ) 下冷泉家。藤原惺窩の子。◇蘭 藤袴の異称。秋、薄紫の花を咲かせる。香料とされる。◇うらむらさき 紫色。「うら」は末の意かという。「恨む」を掛ける。

【補記】「恋人との仲が絶えたことを恨む」という状況設定で詠んだ歌。

月の歌の中に

世々のひとの月はながめしかたみぞと思へば思へば物ぞかなしき(挙白集)

【通釈】それぞれの世を生きた人々も、こうして思いに耽り月を眺めた――月はその人たちを思い出すよすがなのだ。そう思えば思うほどに物悲しいことよ。

【補記】「思へば思へば」は俗に墜ちず口語調を取り入れた未曾有の句。『挙白集』雑歌の部に収録。『集外三十六歌仙』では結句「ぬるる袖かな」。

【主な派生歌】
おもふまじ思ふかひなき思ひぞとおもへばおもへばいとど恋しき(*徳川尋子)

題しらず

あらぬ世に身はふりはてて大空も袖よりくもる初しぐれかな(挙白集)

慶長はじめつかた、世をのがれたまふ時の歌となん

【通釈】思いがけぬ世の中に我が身はすっかり過去の人となり、大空も我が袖から曇り始めるかと見える初時雨よ。

【語釈】◇あらぬ世 思っていたのとは異なる世。◇袖よりくもる 袖を濡らす涙から曇る。

【補記】慶長五年(1600)、長嘯子は関ヶ原の役に際して徳川方に属し、伏見城守備の大将となったが、三成軍の攻撃に遭い、戦わずして城を脱出したと伝わる。ゆえに敵前逃亡の汚名を着るが、三成軍の副将が弟の小早川秀秋であったこと等に言及し、長嘯子に同情を寄せる人も少なくない。掲出歌は、役後、出家した折の作と伝わる。

かたぶきたる酒徳利に、痩せ僧と言ふ名をつけて

(なれ)よなれ汝はやせ僧時にあはず首うちなげて物欲しげなる(長嘯子集)

【通釈】おまえよおまえ、おまえの名は痩せ僧。時流に合わず、首を傾げて、物欲しそうであるよ。

【語釈】◇かたぶきたる酒徳利(さかとつくり) 直立せず斜めにかしいでいる酒徳利。◇首(くび)うちなげて 徳利が一方にかしいでいるさま。

【補記】晩年の肖像画を見ると、長嘯子自身も痩身の人であった。

高台寺にまうでて、豊国明神の像を拝して

亡き影にまた袖ぬれて仕へけん昔を今のしづのをだ巻(長嘯子集)

【通釈】遺影にまた私の袖は濡れて――仕えた昔を今になして、繰り返し亡き人を偲ぶことよ。

【語釈】◇高台寺 豊臣秀吉の菩提を弔うために慶長十年(1605)開創された寺。京都市東山区。◇亡き影 秀吉の遺影。◇しづのをだ巻 倭文(しづ)を織るのに用いた苧環。下記本歌から借りた詞。「しづ」は「賤」と掛詞になって卑下の意を帯び、また苧環を繰ると言うことから「繰り返し」の意を呼び込む。

【本歌】「伊勢物語」第三十二段
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな

むすめの身まかりて後、うなゐ松といふ文つくりて、あまたの歌どもよめる中に

黒髪もながかれとのみ掻き撫でしなど玉の緒のみじかかりけん(挙白集)

【通釈】黒髪も長くあれとばかり思って掻き撫でた娘の、どうして玉の緒は短かったのだろうか。

【補記】『挙白集』巻十の歌文「うなゐ松」より。寛永四年(1627)、むすめの春光院万花(ばんか)紹三(じょうさん)を十七歳で亡くした時の歌。「うなゐ松」には八十首に及ぶ哀傷歌群を収め、『挙白集』全巻を通しての圧巻である。なお詞書は下河辺長流編『長秋哥選』より借りた。

【参考歌】遍昭「後撰集」
たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ

うつつとも夢ともわかん折までは亡き人を我が亡き人にせじ(挙白集)

【通釈】現実なのか夢なのか、はっきり区別がつくまでは、亡き人を私は亡き人とするまい。

【補記】悲しみゆえの惑乱が現実と夢との境も曖昧にしている。その区別がはっきりとつくまでは、亡き子を死者と認めないというのである。

【参考歌】花山院「千載集」
うつつとも夢ともえこそわきはてねいづれの時をいづれとかせん

思ひつつぬる夜も逢ふとみえぬかな夢まで人やなき世なるらん(挙白集)

【通釈】亡き子を思いながら寝入った夜も、逢うと見えないよ。夢の中まであの子のいない世界なのだろうか。

【参考歌】小野小町「古今集」
思ひつつぬればや夢に見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

せめてわがぬる夜な夜なは逢ふとみえよ夢にやどかる君ならば君(挙白集)

【通釈】せめて私が寝る夜々は逢うと見えてくれ。夢に宿を借りているあなたならば、あなたよ。

【補記】「似たる人また世にあれなたづねゆきて慰むばかり見ても帰らん」に続く一首。

すべて人をいかなる時にしのばざらんあはれ日又日あはれ夜また夜(挙白集)

【通釈】まったく亡き子をどのような時に偲ばずにいるのだろうか。ああ日はまた日に、ああ夜はまた夜に。

【補記】百箇日に詠んだ歌。

あらき風ふく夕暮はまづぞおもふ今よりたれにあてじとすらん(挙白集)

【通釈】荒い風が吹く夕暮は、真っ先に思うのだ。風をあてまいと――あの子がいない今はこれから誰に当てまいとするのだろうか。

年の暮に

なき人の来る夜と待ちし袖の上に涙の外の玉は見ざりき(挙白集)

【通釈】亡き人の魂が帰って来る夜であると待っていた私の袖の上に、涙以外の「たま」は見えなかった。

【補記】娘を亡くした年の暮。大晦日には故人の霊が家に帰って来ると信じられた。

【参考歌】和泉式部「後拾遺集」
なき人の来る夜と聞けど君もなし我が住む宿やたまなきの里

挙白堂にて、子どもなど、彼此つどひて遊びけるに、紹三のことまづ思ひ出でて

遊ぶ子の数にも入らで君ひとり苔の下にや今は歎かん(長嘯子集)

【通釈】遊ぶ子供たちの仲間にも入らないで、おまえ独り、苔に埋もれた下で今は歎いているのだろうか。

【補記】これも若くして亡くなった娘を思っての作。紹三の遺骸は本人の遺言により火葬されず挙白堂の敷地内に土葬された。

むすめの身まかりける又の年の春、花をみて

まづ悲し花を見月をながめてもその面影はむかひ消えつつ(挙白集)

【通釈】まず何より悲しい。花を見ても、月を眺めても、その子の面影は真向いに現れては消えて…。

【補記】結句「うかび消えつつ」とする本もある。

おもひをのぶる歌

ありて憂き身の思ひ出の月なればながめても又またもながめん(挙白集)

【通釈】不本意にも生き延びた我が身にとっては、月ばかりが昔を思い出すよすがなのだから、眺めてもまたさらに眺めよう。

【補記】月を見れば辛い思い出ばかり浮かぶ、しかしそれが我が身の思い出であるなら、耐えて月を眺め続けよう、ということか。下句の放胆な表現は独特で、これを長嘯子調と呼びたい。

寄花述懐

山桜みれど心はなぐさまず花にもあまる憂き身なりけり(挙白集)

【通釈】山桜を見ても心は慰まない。花も持て余すほど辛いことの多い我が身であったよ。

【参考歌】恵子女王「新古今集」
よそへつつ見れどつゆだに慰まずいかにかすべき撫子の花

身のほどを忘れてむかふ山桜花こそ人を世にあらせけれ(挙白集)

【通釈】自分の境遇を忘れて向かう山桜よ――花こそ人を世に生き長らえさせるのだ。

【参考歌】藤原有綱「和漢朗詠集」
春はただ花こそ人をとどめけれ関守なゐそ不破の中山

閑居花

誰をまつ花ともなくてしづけさの老にかなへる浅茅生の宿(挙白集)

【通釈】誰かと一緒に見ようと思って待つ花ということもなくて、その孤独な閑けさが老年の私によく適った浅茅生の宿よ。

【語釈】◇浅茅生(あさぢふ)の宿 丈の低いチガヤなどが繁った荒れた家。

【補記】『挙白集』春の部に載るが、老いの感慨の歌としてここに移した。

【参考歌】頓阿「草庵集」
誰をまつ宿ともみえぬ浅ぢふにくるれば人のころも打つなり
  三条西実隆「雪玉集」
たれを待つ誰をさそはむ老が世に独りがための花のかげかな

八十一になりたまひける年

今年わがよはひの数を人問はば老いてみにくくなると答へん(挙白集)

【通釈】今年私の年の数が幾つになったか、人が問うならば、老いて醜くなった――身に九九、八十一――と答えよう。

【補記】長嘯子は慶安二年(1649)六月十五日、八十一歳にて没。晩年には「老いらくの世も憂く人も情なしさもあらばあれ幾ほどの身ぞ」など厭世的な歌が多い。詞書に敬語が用いられているのは、『挙白集』を編纂したのが彼を慕ってやまなかった門弟たちだったからである。長嘯子自身は歌を遺すつもりがなく、ただ詠み捨てにしていたという。

【参考歌】平定文「拾遺集」
いなり山社のかずを人とはばつれなき人をみつとこたへむ

はちたたき

鉢叩あかつき方の一こゑは冬の夜さへもなくほととぎす(挙白集)

【通釈】明け方の鉢叩きの一声は、冬の夜にも時鳥が鳴くような憂わしさである。

【補記】『挙白集』文集の部、最晩年の短文「はちたたき」に添えられた歌。「鉢叩」とは念仏を唱えながら托鉢して廻った僧。長嘯子曰く「いつも冬になれば、さむき霜夜のあけがた、なにごとにかあらん、たかくののしりて大路をすぐる。かれが声いと耐へがたく目ざめて、ふと聞きつけたるは、卯の花のかげに隠るる心地す」。「卯の花のかげに隠るる」とは、藤原敦忠の歌「わがごとく物思ふときやほととぎす身をうの花のかげになくらん」に由る。

【主な派生詩歌】
長嘯の墓もめぐるかはち敲き(芭蕉)

  辞世
王公といへども、あさましく人間の煩をばまぬがれず何の益なし。すべて身の生まれ出でざらんには如かじ。まして卑しく貧しからんは言ふに足らず。されば死はめでたきものなり。ふたたびかの古郷にたちかへりて、はじめもなく、をはりもなき楽しびを得る。この楽しみをふかく悟らざる輩、かへりて痛み歎く。をろかならずや。

露の身の消えてもきえぬ置き所草葉のほかにまたもありけり(挙白集)

あとまくらも知らず病み臥せりて、口に出るをふと書きつくる。人わらふべきことなりかし。

【通釈】(文)王や大臣と言えども、浅ましくも人間の煩わしさを免れず、地位などは何の益もない。大体、生まれて来ないのに越したことはあるまい。まして私のように身分卑しく貧しい者は言うまでもない。だから死はめでたいものである。生まれ出た原郷に再び帰って、始まりもなく終りもない楽しみを得る。この楽しみを深く悟らないやからは、かえって嘆き悲しむ。愚かではないだろうか。

(歌)露のようにはかない身が消えても、消えずに残る置き所。草葉のほかにもまたあるのだった。我が袖に置いた涙の露よ。

(文)前後もなく病み臥せって、口をついて出たのをふと書き付けておく。お笑い種にちがいない。

【補記】『挙白集』最終巻(巻十)の巻末に収められた歌文。長嘯子はその後まもなく死去し、遺言に基づき一本の松のもとに葬られたという。

【本歌】殷富門院大輔「時代不同歌合」「続古今集」
きえぬべき露の憂き身のおき所いづれの野辺の草葉なるらん


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成29年08月09日