紀友則 きのとものり 生没年未詳

宮内少輔紀有朋の子。貫之の従兄。子に淡路守清正・房則がいる(尊卑分脈)。系図
四十代半ばまで無官のまま過ごし(後撰集)、寛平九年(897)、ようやく土佐掾の官職を得る。翌年、少内記となり、延喜四年(904)には大内記に任官した。歌人としては、宇多天皇が親王であった頃、すなわち元慶八年(884)以前に近侍して歌を奉っている(『亭子院御集』)ので、この頃すでに歌才を認められていたらしい。寛平三年(891)秋以前の内裏菊合、同四年頃の是貞親王家歌合・寛平御時后宮歌合などに出詠。壬生忠岑と並ぶ寛平期の代表的歌人であった。延喜五年(905)二月二十一日、藤原定国の四十賀の屏風歌を詠んだのが、年月日の明らかな最終事蹟。おそらくこの年、古今集撰者に任命されたが、まもなく病を得て死去したらしい。享年は五十余歳か。紀貫之・壬生忠岑がその死を悼んだ哀傷歌が古今集に見える。
古今集に四十七首収録(作者名不明記の一首を含む)。その数は貫之・躬恒に次ぐ第三位にあたる。勅撰入集は総計七十首。家集『友則集』がある。三十六歌仙の一人。小倉百人一首に歌を採られている。

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6首  3首  5首  2首 離別 1首
物名 5首  20首 哀傷 2首  4首 計48首

初春の歌とて

水のおもにあや吹きみだる春風や池の氷を今日はとくらむ(後撰11)

【通釈】水面に吹き乱れて文様を描く春風よ、その紋(あや)を解くわけではあるまいが、立春の今朝は、池に張った氷を解かしているのだろうか。

【語釈】◇あや 文様。波紋。◇吹きみだる 吹き乱す。「みだる」は四段動詞連体形。◇とく 氷を融かす。また、「あや」と縁語になって、織物の文様をほどく意が掛かる。

【補記】春の訪れを讃美する歌。趣向・表現において漢詩の影響が顕著で、自然の美を理知的に捉えた、当時の典型的な新風である。『友則集』巻頭歌(詞書は「立春日」)。結句を「今朝はとくらむ」として載せる本もある。

【他出】友則集、古今和歌六帖、和歌色葉

【参考】「白氏文集」巻二十八・府西池
池ニ波文有テ氷尽(コトゴト)ク開ク
  伊勢「寛平御時后宮歌合」「新古今集」
水のおもにあやおりみだる春雨や山のみどりをなべてそむらん
  紀貫之「古今集」
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
(伊勢・貫之の作と掲出歌との先後関係は不明)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしるべにはやる(古今13)

【通釈】梅の花の香を、風の便りに添えて、鶯をいざなう案内として送る。

【語釈】◇風のたよりにたぐへて 「たぐへ」は、「二つの物を一緒にする」「添わせる」程の意。風を使者とし、花の香を添わせて。また、「風の便り」は手紙のことでもあるから、「花の香を手紙に添えて」といった意にもなり得る。◇しるべにはやる 案内として送るのだ。この助詞「は」は「しるべに」を取り立てて強めるはたらき。

【補記】鶯は春が来るまで谷に籠っているものとされた。その鳴き声を待望する心を、擬人法を駆使して詠んでいる。寛平四年(892)頃、宇多天皇の母后、班子女王の邸で催された寛平御時后宮歌合の巻頭歌。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、綺語抄、新撰朗詠集、定家八代抄

【主な派生歌】
むめがえに鶯さそふたよりにや谷の氷も風にとくらむ(藤原家隆)
谷ふかく鶯さそふ春風にまづ花の香や空にとぶらむ(藤原定家)
今日ぞとふ志賀津のあまのすむ里を鶯さそふ花のしるべに(〃)
谷風の鶯さそふたよりをや山里人も春をしるらむ(後鳥羽院)

梅の花を折りて人に贈りける

君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(古今38)

【通釈】あなた以外の誰に見せよう。この梅の花を――すばらしい色も香も、わかる人だけがわかるのだ。

【補記】梅の花を折って人に贈った時、添えた歌。歌に言う「知る人」は、花を贈った相手を指すと同時に、風雅の心を共有する自身をも暗に指していよう。梅を通して、その人の趣味の高さを賞賛し、共感を訴えた歌である。「見せむ。梅の花。」と二句・三句で切れ、「色をもをも」、「知る人ぞ知る」と繰り返すリズムが躍動的で、花を贈った相手に対する強い思いが生き生きと感じられる。

【他出】友則集、信明集、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
君こずは誰にみせまし我が宿の垣根に咲ける朝がほの花(読人不知[拾遺])
つらからむ方こそあらめ君ならで誰にか見せむ白菊の花(*大弐三位[後拾遺])
梅の花なににほふらむ見る人の色をも香をも忘れぬる世に(*大弐三位[新古今])
ひとりのみ眺めて散りぬ梅の花しるばかりなる人はとひこず(*八条院高倉[新古今])

さくらの花のもとにて、年の老いぬる事をなげきてよめる

色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(古今57)

【通釈】桜の花は、色も香も昔と同じに咲いているのだろうけれど、年を経て老いてゆく人は、以前とは変わってしまったのだ。

【語釈】◇さくらめど 咲いているのであろうけれど。「桜」を掛けている。◇年ふる人 年と共に老いてゆく人。花に対し「人」一般を指し、また話手その人をも指す。◇あらたまりける 年老いて別人のようになってしまうということ。

【補記】回帰的な自然と非回帰的な人生を対比し、老いという人の宿命の悲しみを歌う。白氏文集巻十六「逐処花皆好、随年貌自衰(処を逐うて花皆好し、年に随つて貌自づから衰ふ)」や劉庭芝「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同(年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず)」など漢詩からの影響が指摘されている。

【他出】友則集、古今和歌六帖、定家八代抄、桐火桶

【主な派生歌】
をる人の袖こそかはれ色もかもおなじ昔ににほふ梅がえ(寂身)
花やただ年ふる人ぞあらたまるなごりはしらむ春の木の本(三条西実隆)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

み吉野の山べに咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける(古今60)

【通釈】吉野の山に咲いている桜の花は、雪かとばかり見間違いされてしまうのだった。

【補記】山桜の白い花を、枝に積もった雪かと見まがう。吉野は山深いゆえ春の訪れが遅く、桜の季節でも雪が消え残っていることが多い。そうした都人の常識を踏まえての詠。

【他出】寛平御時后宮歌合、寛平御時中宮歌合、友則集、五代集歌枕、歌枕名寄

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
みよしのの吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつ

桜の花の散るをよめる

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(古今84)

【通釈】日の光がやわらかにふりそそぐ今日――風もなく穏やかなこの春の日にあって、落ち着いた心なしに、どうして桜の花が散ってゆくのだろう。

【語釈】◇ひさかたの 「久方の」「久堅の」とも書かれる。元来は天(あま/あめ)に掛かる枕詞であったと思われるが、日・雨・月・都などの枕詞としても用いられた。光の枕詞として用いる例は稀で、おそらくこの歌が初例。「日の光」の「日の」を略した形と見る説もある。「久し」の語感が響き、永々と穏やかに続く春の日のイメージを強めるはたらきをしている。◇光のどけき 日の光がやわらかな。◇しづ心 安定している心。平静な心。「しづ」は静か・沈む・鎮め・雫などのシヅと同根。この心は花の心であり、人の心と解する説は認められない。◇花の散るらむ なぜ花が散るのだろうか。助動詞「らむ」は、疑問の意を表わす語を伴わなくても、「どうして…なのだろう」の意をあらわす場合がある。例「春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ」(古今集よみ人しらず)。

【補記】花の散る理由を探る知的な心がはたらいているところ、当時の歌の特色を具えているが、理よりも明らかに情がまさった歌で、古今集の歌としては珍しいほど抒情的な詠みぶりの歌である。おおどかな調べの美しさも特筆さるべきであろう。

【他出】古今和歌六帖、友則集、定家八代抄、秀歌大躰、近代秀歌(自筆本)、詠歌大概、百人一首

【主な派生歌】
見るほどに散らば散らなむ梅の花しづ心なく思ひおこせし(和泉式部)
夢のうちもうつろふ花に風吹けばしづ心なき春のうたたね(*式子内親王[続古今])
ひさかたの光のどかに桜花ちらでぞ匂ふ春の山風(藤原家隆[新後撰])
いかにしてしづ心なく散る花ののどけき春の色と見ゆらむ(藤原定家)
よもの海風をさまりてひさかたの光のどけき春は来にけり(宗尊親王)
さらでだにしづ心なくちる花をあかずや風のなほさそふらむ(性助親王[続古今])
ひとり見てなぐさみぬべき花になどしづこころなく人を待つらむ(北畠親房)
いづる日も光のどけき久方の天の宮人春を知るらし(正徹)
木の間より花にかすみて久堅の光のどけき鳥の声かな(〃)
今日いくか散らぬ盛りも久かたの光のどけき花のこの頃(冷泉為村)

音羽山をこえける時に、時鳥の鳴くを聞きてよめる

おとは山けさ越え来ればほととぎす梢はるかに今ぞ鳴くなる(古今142)

【通釈】音羽山を今朝越えて来ると、時鳥が遠くの梢から今しも鳴いている。

【語釈】◇おとは山 京都市と大津市の境、逢坂山の南に続く山。京と近江の境をなした。「音」の意が掛かる。◇梢はるかに 遠い梢から声が直接響いてくるさまを言う。「はるかに」は、間に隔てるものがなく、遠くのものが見えたり聞こえたりする場合に使われる語。

【補記】京から東国へと旅立ち、音羽山を越えた時、時鳥の声を聞いて詠んだという歌。その年初めて聞く時鳥の声だったことが「今ぞ鳴くなる」という言い方から窺われる。実体験に触発されて興のままに作った歌らしく直截な詠みぶりであり、万葉集の歌を思わせるところがあるが、「音」を含む「音羽山」という歌枕の名に対する興味が一首の中心にある点、やはり紛れもない古今集の歌である。

【他出】友則集、古今和歌六帖、五代集歌枕、歌枕名寄

【主な派生歌】
かくばかり待つとしらずやほととぎす梢はるかに鳴きわたらなむ(清原元輔)
ほととぎす逢坂こえてたづぬれば今ぞ音羽の山に鳴くなる(慈円)
雲のゐる梢はるかに霧こめてたかしの山に鹿ぞ鳴くなる(*源実朝)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌 (二首)

五月雨に物思ひをれば時鳥(ほととぎす)夜ぶかく鳴きていづちゆくらむ(古今153)

【通釈】五月雨に物思いをしていると、時鳥が夜の深い時間に鳴いて――どこへ行くのだろうか。

【語釈】◇五月雨(さみだれ) 陰暦五月頃に降り続く長雨。すなわち梅雨のこと。◇夜ぶかく鳴きて 夜の深い時間に鳴いて。「呼ぶ」を掛けるか。

【補記】陰暦五月は忌み籠りの季節。しかも夜となれば、「物思ひ」にはやはり恋の趣が添う。夜空を飛び去ってゆく時鳥の声を聞いて、そのあとを慕い、憧れる心が余情となる。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖、桐火桶

【主な派生歌】
いづ方になきてゆくらむ郭公よどのわたりのまだ夜ぶかきに(壬生忠見[拾遺])
いかでかく思ふ心をほととぎす夜ぶかくなきてきかせやはせぬ(村上天皇)
五月雨に物おもふやどは時鳥なく一こゑもなほぞ夜ぶかき(慈円)

 

夜やくらき道やまどへるほととぎすわが宿をしも過ぎがてになく(古今154)

【通釈】夜の闇が暗いのか。道に迷ったのか。時鳥は、ちょうど我が家のあたりを通り過ぎにくそうに鳴いている。

【補記】時鳥の声を聞いている自身もまた、人生に行き悩み、惑いを抱えているからこそ、「我が宿をしも」なのであり、鳥と人との間に共感が成立している。

【他出】寛平后宮歌合、友則集、古今和歌六帖、綺語抄

【主な派生歌】
我が宿の花橘や匂ふらむ山ほととぎす過ぎがてに鳴く(藤原顕季[風雅])
ほととぎす五月の空やなつかしき雲にむつれて過ぎがてに鳴く(源仲正)
夕やみのたづたづしきにほととぎす声うらがなし道やまどへる(源実朝)

寛平の御時なぬかのよ、うへにさぶらふをのこども歌たてまつれとおほせられける時に、人にかはりてよめる

天の川あさ瀬しら波たどりつつ渡りはてねば明けぞしにける(古今177)

【通釈】天の川の浅瀬がどこか知らずに、白波を辿りながら、渡り切れないのに、夜が明けてしまった。

【語釈】◇寛平の御時なぬかのよ 宇多天皇の御代のある年の七夕の夜。◇人にかはりてよめる 友則が誰かのために代作したということ。『兼輔集』に同じ歌(語句に小異あり)が載っているので、この「人」は藤原兼輔か。◇あさ瀬しら波 浅瀬・白波。「しら」に「知ら」(「知る」の未然形で、否定の辞が続くことを予想させる)を掛け、どこに浅瀬があるか分からずに、の意を兼ねる。◇渡りはてねば 渡り切らないのに。この「ば」は打消を伴って逆接条件句をつくる。

【補記】彦星が天の川を渡り切らない内に夜が明けてしまった。裏には「天皇から七夕の歌を詠むよう命ぜられ、苦労するうちに夜が明けてしまった」の意を隠し、詞書の「人」をからかう歌になっている。

【他出】友則集、兼輔集、古今和歌六帖、俊頼髄脳、秀歌大躰、八雲御抄

【参考歌】「人丸集」
天の河あさせ白波たかければただわたりなむ待てばすべなし

【主な派生歌】
吉野山あさせ白浪いはこえて音せぬ水は桜なりけり(鴨長明)
秋はなほ浅瀬しら波たどるまで霧立渡るかささぎの橋(順徳院)
夕闇にあさせ白波たどりつつみをさかのぼる鵜飼舟かな(後嵯峨院[続拾遺])
天の川あか月闇のかへるさにまたたどらるる浅瀬しらなみ(一条家経[続古今])

題しらず

声たてて泣きぞしぬべき秋霧に友まどはせる鹿にはあらねど(後撰372)

【通釈】声を立てて、泣いてしまいそうだ。秋霧のために、友を行方不明してしまった鹿ではないけれど。

【語釈】◇友まどはせる 友を見失わせている、行方不明にしている。

【補記】秋という季節にあって孤独を感じている心を、霧の立ち込める野で友を見失った鹿の悲しみになぞらえている。

【他出】新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖

【参考歌】作者不詳「寛平后宮歌合」
秋山に恋する鹿の声たてて鳴きぞしぬべき君が来ぬ夜は

【主な派生歌】
ねにたかく泣きぞしぬべきうつせみのわが身からなる憂き世と思へば(読人不知[玉葉])
さを鹿の朝たつ山のとよむまで泣きぞしぬべき妻恋ひなくに(和泉式部)
草深き狩場の小野をたちいでて友まどはせる鹿ぞなくなる(素覚[新古今])
さを鹿の友まどはせる声するはつまや恋しき秋の山べに(恵慶)

是貞のみこの家の歌合の歌

秋風に初雁がねぞ聞こゆなる()が玉づさをかけて来つらむ(古今207)

【通釈】秋風の吹く中に、初雁の鳴き声が聞こえる。雁は誰の手紙をたずさえて来たのだろうか。

【語釈】◇玉づさ もとは「使ひ」の枕詞であったが、その後手紙を意味するようになった。原義は「玉梓」。昔、使者は玉梓(梓の木で作った杖)を持つ風習があったことから。雁が手紙を携えて来るとするのは『漢書』などに見える故事から。

【補記】秋風と初雁というしみじみとした季節の情趣が、物寂しさを誘う。「玉づさ」への思いは、雁の声を聞いている人自身の、便りを待望する心を暗示して、余情に富む。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖、三十人撰、三十六人撰、俊頼髄脳、綺語抄、奥義抄、和歌童蒙抄、宝物集、和歌色葉、定家八代抄、秀歌大躰、色葉和難集

大和の国にまかりける時、佐保山に霧のたてりけるをみてよめる

誰がための錦なればか秋霧の佐保の山べをたちかくすらむ(古今265)

【通釈】誰のために織った錦だからというので、秋霧は佐保の山を隠すのだろうか。

【語釈】◇誰(た)がための錦なればか 誰のために織った錦だからか。紅葉を錦と言っている。◇佐保の山 大和国の歌枕。紅葉の名所。◇たちかくす 霧が立って隠す。「たち」には「裁ち」の意が掛かり「錦」の縁語。

【補記】せっかく美しく紅葉した佐保の山が、霧によって見えないことを惜しむ心。紅葉を錦と言いなし、霧が隠すと自然を擬人化しているところ、時代の詠風に沿ったものである。

【他出】家持集、友則集、新撰和歌、三十人撰、和漢朗詠集、五代集歌枕、歌枕名寄

【主な派生歌】
紅葉見にやどれる我と知らねばや佐保の河霧たちかくすらむ(恵慶[拾遺])
誰がための錦も見えぬ秋霧にそめし時雨の山ぞかひなき(藤原定家)

是貞のみこの家の歌合の歌

露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく(古今270)

【通釈】露をつけたまま折り取って頭髪に挿そう――菊の花を。年老いない秋がいつまでも続くようにと。

【語釈】◇露ながら 露が付いたままで。菊の花に置いた露には延命の霊力があるとされた。◇老いせぬ秋 年老いない秋。

【補記】寛平四年(892)頃、是貞親王(宇多天皇の兄)の家で催された歌合に初出。陰暦九月九日、重陽の節句の時の歌であろう。盛りの花を折って髪に飾るのは、その花の霊力を自身に付着させるための昔からの風習であるが、菊の花ばかりでなく「露ながら」挿頭そうと言ったところ、新鮮な表現として時人の耳目を惹いたことだろう。

【他出】是貞親王家歌合、友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
露ながら折りやおかまし菊の花霜にかれては見るほどもなし(藤原定家)
折る人の老いせぬ秋の露の間に千歳をめぐる菊のさかづき(藤原俊成女)
白菊の花の鏡の池水に老いせぬ秋のかげぞ久しき(藤原範宗)

題しらず

夕されば佐保の川原の河霧に友まどはせる千鳥鳴くなり(拾遺238)

【通釈】夕方になると、佐保の川原に河霧が立ちこめ、友を行方不明にしてしまった千鳥が鳴いている。

【語釈】◇佐保の川原 佐保川は大和国の歌枕。万葉集より千鳥と共に詠まれることが多い。

【補記】古今・後撰と洩れ続け、拾遺集で勅撰入集を果たした歌。藤原公任が高く評価し、多くの秀歌選に採っている。

【他出】友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、拾遺抄、金玉集、前十五人歌合、三十人撰、深窓秘抄、三十六人撰、五代集歌枕、歌枕名寄

雪のふりけるをみてよめる

雪ふれば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし(古今337)

【通釈】雪が降り積もったので、どの木にも花が咲いた。どれを本当の梅と区別して手折ろうか。

【語釈】◇木ごとに 漢詩の離合詩を真似、《木》《毎》で《梅》の字をあらわしていると見る説がある。◇わきて折らまし 雪から梅を区別して折ろうか。

【補記】枝に積もった雪は実際花のように見えるものであるが、それを耽美的に誇張して詠んでいる。「木毎(ごと)」に「梅」の字を詠み入れたと見る説は、当時の漢詩摂取の流行からすればあり得べき説ではあるが、古くから否定説もあった。「木毎にを、梅といふ文字といへど、是は自然と見えたり」(季吟『八代集抄』)、「木毎は、梅の字をよみ入れたりと云ふは過ぎたり」(真淵『古今集打聴』)など。いずれにせよ雪と花を紛らせる趣向に一首の主旨があるので、字遊びの有無は鑑賞の上で肝要なこととも思われない。

【他出】友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、定家八代抄、題林愚抄

【主な派生歌】
いづれをかわきてとはまし山里の垣根つづきに咲ける卯の花(大江匡房[金葉])
白雲のたなびく山のやま桜いづれを花と行きて折らまし(*藤原師実[新古今])
春の夜は吹きまふ風の移り香を木ごとに梅と思ひけるかな(*崇徳院[千載])
梅が枝のにほひうれしき直路かな木ごとに花の雪のあけぼの(慈円)
野も山もおなじ雪とはまがへども春は木ごとに匂ふ梅が枝(藤原定家)
冬ごもる雪も木ごとに吹く風の匂ふや梅のたち枝なるらむ(藤原為家)
ふる雪にいづれを花とわきもこが折る袖にほふ春の梅が枝(*順徳院[続後撰])
花といふはなの木ごとにうつしてもあまりやあらむ梅の匂ひは(三条西実隆)
こころおそき花の木ごとに梅が香の春をつたふる苑の朝風(橘千蔭)

離別

道に逢へりける人の車に物を言ひつきて、別れける所にてよめる

下の帯の道はかたがた別るとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ(古今405)

【通釈】下着の帯紐がそれぞれの方向に別れても一巡りしてまた出逢うように、あなたと今別の道を行ってもいつかきっとお逢いしようと思います。

【語釈】◇下の帯 下袴などにつけてある紐。◇かたがたわかるとも それぞれの方向に別れても。◇行きめぐりても ぐるりと一周してでも。下帯が身体を一回りして出会うことに喩えて言う。

【補記】偶然道で出逢った人の車に言い寄って、別れる時に贈った歌。「下の帯」の両端は一度は離れて胴体を廻り、再び巡り合って結び合わされる。そのことに掛けて、今は別れても、後には再会しようとの思いを述べた。「下の帯」という語から、肉体関係を持った間柄であることが窺われる。

【他出】友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、奥義抄、定家八代抄、色葉和難集、雲玉集

【主な派生歌】
常陸帯の道のおくなる遠妻にゆきめぐりてもあはむとぞ思ふ(藤原基俊)
思ひおくる心ばかりは下帯の道はかたがたゆきめぐるとも(藤原雅経)

物名

をがたまの木

みよしのの吉野の滝にうかびいづるあわをかたまのきゆと見つらむ(古今431)

【通釈】吉野川の急流に浮かび出ては消える泡を、玉が消えると見ているだろうか。

【語釈】◇みよしのの吉野 地名を重ねて言う。吉野を詠む場合の慣用的な言い方。◇あわをかたまの 泡をか玉の。「をがたま」を隠している。「をがたま」はモクレン科の香木。「めどのけづりばな」「かはなぐさ」と共に古今伝授の「三木」の一つ。◇きゆと見つらむ 消えると見ているだろうか。助動詞「らむ」は現在の事態を「今〜しているだろう」と想像する心をあらわす。

【補記】急流に浮かび出ては消えてゆく泡を宝玉と見立てた。吉野の滝の景観は古来賞美されてきたので、泡も玉のように美しいのだろうと、かの地を旅する人を思いやっているのだろう。第四句から五句にかけて「をかたまのき」を隠している(このような歌を「物名歌(もののなうた)」と言った)。名を詠み込んでいるだけで、「をがたまの木」そのものは歌と関係がない。

をみなへし (二首)

白露を玉にぬくとやささがにの花にも葉にもいとをみなへし(古今437)

【通釈】白露を数珠つなぎにしようというので、蜘蛛は女郎花のどの花にもどの葉にも糸を架け渡したのだろうか。

【語釈】◇ささがに 蜘蛛。◇いとをみなへし 糸を皆綜し。「へ」は縦糸を織機に掛けることであるが、この場合蜘蛛が糸を架け渡すこと。女郎花の名を隠す。

【補記】女郎花の花と葉に蜘蛛が巣をかけ渡し、その巣にびっしり露が置いているを、蜘蛛が露を数珠つなぎにしたかと見なした。「をみなへし」という名を詠み入れるだけでなく、女郎花そのものを内容的にも詠み込んでいる物名歌である。

 

朝露をわけそほちつつ花見むと今ぞ野山をみなへしりぬる(古今438)

【通釈】朝露を分け行き、濡れそぼちながら、女郎花の花を見ようとして、今や野山という野山は皆通って知ってしまった。

【語釈】◇わけそぼちつつ 分け行き、濡れそぼちつつ。◇みなへしりぬる 皆経知りぬる。どこもかしこも経て知った。

【補記】第四句から五句にかけて「をみなへし」を詠み込んでいる。「花見むと」の「花」は、秋の草花全般とする説と、題の女郎花を指すとする説とがあるが、前歌と同様、女郎花は一首の主題ともなっていると見るのが自然であろう。「朝露」の多い季節は秋であり、当時は秋の花として女郎花がことに好まれたからである(古今集秋の部に女郎花の歌は十三首あり、萩の九首よりも多い)。

【主な派生歌】
朝露をわけそほちつつ夕月夜かすむ山路の花の面影(肖柏)

きちかうの花

秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく(古今440)

【通釈】野は秋も近くなったのだ。白露の置いた草葉も色が衰えてゆく。

桔梗 鎌倉海蔵寺にて
桔梗の花

【補記】初句から二句にまたがって「きちかうのはな」を隠す。きちかうは桔梗。「涼しさの増した晩夏の野では、毎朝白露に濡れる草の葉も色が衰えてゆく」というのは表面の歌意で、永く咲き続けた桔梗の花がついに萎れてゆくことを愛惜したのがこの歌の真意であろう。「草葉も」の「も」にも「花」が隠されているのである。

【他出】友則集、古今和歌六帖、俊頼髄脳、奥義抄、和歌童蒙抄

【主な派生歌】
秋ちかう野はなりぬとて常夏のつゆもおよばぬ花の色かな(下冷泉政為)
秋ちかう成りも行くかな故郷の野らにと宿はすみはそめねど(上田秋成)

りうたむの花

わがやどの花ふみしだく鳥うたむ野はなければやここにしも来る(古今442)

【通釈】うちの庭の花を踏みにじる鳥を懲らしめてやろう。野には花がないからというので、ここにやって来るのだろうか。

リンドウの花 鎌倉市海蔵寺にて
竜胆の花 鎌倉市海蔵寺にて

【語釈】◇りうたむ 竜胆(りんどう)。リンドウ科の多年草。秋、青紫の花を咲かせる。◇鳥うたむ 鳥打たむ。「りうたむ」が詠み込まれている。ここで句切れ。◇野はなければや 野には花がないからなのか。「のはな」を隠す。

【補記】棹など抱えて「鳥打たむ」と家を飛び出してゆく男の姿が想像されて可笑しいが、「わがやどの花」は外ならぬ竜胆を指し、彩りの少なくなる季節に咲くこの花への激しい愛着が詠まれている。

寛平御時きさいの宮の歌合の歌 (五首)

宵の間もはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな(古今561)

【通釈】短い夏の宵の間にも、はかなく見える蛾――それにもまして惑う、そんな恋を私はすることであるよ。

【語釈】◇はかなく見ゆる 蛾は灯火に寄って命を落すことから「はかなく」と言っている。◇夏虫 夏の虫。蛾・蛍など。ここは灯火に寄って来る蛾であろう。◇まどひまされる 夏虫よりも、もっとひどく迷う。

【補記】鏡女王の「秋山の樹の下隠り行く水の我こそまさめ思ほすよりは」のように、自然物を引き合いに出して心を詠むというやり方は万葉集の初期から見えるが、掲出歌のように婉曲な対比の仕方は古今集の時代になって初めて出て来たものである。よひ・まどひ・こひ、と「ひ(火)」を繰り返しているのは意識的か。しんみりとした調べには作者友則の個性がかすかに滲んでいる。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖

【主な派生歌】
鶯の来やどる花に飛ぶ蝶はいづれ心のまどひまされる(契沖)

 

夕されば蛍よりけに燃ゆれどもひかり見ねばや人のつれなき(古今562)

【通釈】夕方になると、私の思いは蛍よりひどく燃えるけれども、蛍と違って光は見えないので、恋人は冷淡な態度をとるのだろうか。

【補記】当時の常識からすると、夕方に男の訪れを待つ女の立場で詠んだ歌ということになる。心は蛍に劣らず燃えているのに、光を発するわけではないので、人にはこの思いが伝わらない。そのことを悲しむ心が余情になっている。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖、俊成三十六人歌合、定家八代抄、時代不同歌合、歌林良材

 

笹の葉におく霜よりもひとりぬるわが衣手ぞさえまさりける(古今563)

【通釈】笹の葉に置く霜よりも、独り寝をしている私の袖の方が、ずっと冷たいのであった。

【語釈】◇さえまさりける さらに冷たく凍ってしまった。

【補記】やはり自然物を引き合いに出すことで、境遇の辛さ(この場合寒夜の独り寝の侘しさ)を訴えている。笹の葉に置く霜との対比から、衣手に置いた涙も凍っていることが想像される。古今集では、恋の悲しみを歌ってもどこか調子が高く明るい歌が多いのであるが、掲出歌は沈痛な調べが印象的である。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖、定家八代抄

 

わが宿の菊の垣根におく霜の消えかへりてぞ恋しかりける(古今564)

【通釈】我が家の菊の垣根に置く霜のように、消え入りそうなほどに恋しいのであった。

【語釈】◇消えかへりて 消え入りそうな思いで。「かへり」は元の状態に戻る意で、どこからともなく現われた霜が再び無に帰すということ。

【補記】上三句は「消えかへり」を導く序詞としてはたらき、万葉集以来の技法に則ったものであるが、初句に「わが宿の」と置いたために嘱目の景とも見え、話手が実際菊に置いた霜を見ながらの感慨を詠んだ歌としても読めるようになっている。菊の花に置いた霜という白を重ねた微妙なイメージも意図されているに違いなく、万葉歌にはなかった複雑な味わいを出している。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
春されば水草の上に置く霜の消につつも我は恋ひわたるかも

【主な派生歌】
ものおもへば壁にそむくるともしびの消えかへりてぞあかしかねつる(藤原実定)

 

川の瀬になびく玉藻のみがくれて人に知られぬ恋もするかな(古今565)

【通釈】川の瀬に靡く藻が水中に隠れて見えないように、人に知られない恋を私はしていることであるよ。

【語釈】◇玉藻 藻(も)は水生植物。「玉」は美称。◇みがくれて 水隠れて・身隠れての掛詞。◇人に知られぬ 「人」は、前句からのつながりとしては世間の人を指すが、次句「恋もするかな」へのつながりからは恋愛の相手と取れる。

【補記】「みがくれて」までは「人に知られぬ」を導く序詞としてはたらく。しかし「川の瀬になびく玉藻」のイメージは鮮やかで、乱れる恋心の暗喩ともなっているかのようである。

【他出】寛平后宮歌合、友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄、歌林良材

【主な派生歌】
早瀬川なびく玉藻の下乱れ苦しや心みがくれてのみ(藤原良経)
我が袂さて山河の瀬になびく玉藻かりそめにかわくまぞなき(後鳥羽院)
乱れゆく蛍のかげや河の瀬になびく玉藻の光なるらむ(細川幽斎)
水を浅みちひさき魚も河の瀬になびく玉藻の影たのむなり(中院通勝)

題しらず (四首)

宵々にぬぎて我がぬる狩衣かけて思はぬ時のまもなし(古今593)

【通釈】毎晩、私が脱いで寝る狩衣――それを衣桁に掛けるように、あの人のことを心にかけて思わない時は、わずかもない。

【語釈】◇我がぬる狩衣(かりころも) 私が(脱いだのを身体に掛けて)寝る狩衣。「狩衣」は貴族の略服。ここまでが「かけて」を導く序。◇かけて思はぬ時のまもなし 心にかけて思わない時は、わずかもない。「時のま」は、ほんの少しの間。

【補記】狩衣は男性の衣裳なので、男の立場で詠んだ歌と判る。「狩衣」までが「かけて」を導く序詞であるが、恋の心は夜寝る時にまさるものなので、無心の序というわけではない。「恋の歌としては軽いものであるが、実感の伴っているもので、魅力のある作である」(窪田空穂『古今和歌集評釈』)。

【他出】友則集、古今和歌六帖、定家八代抄

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十二
浦廻こぐ熊野舟つきめづらしくかけておもはぬ月も日もなし

 

東路(あづまぢ)のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ(古今594)

【通釈】東海道にある小夜の中山ではないが、なまなかに、どうして人を恋し始めてしまったのであろう。

【語釈】◇東路 東海道。あるいは東国。◇さやの中山 遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、街道の難所の一つ。「なかなかに」を導く。◇なかなかに なまじっか。中途半端に。どうせ思いを遂げられはしないのに…といった気持を含む。

【補記】初二句は同音の繰り返しから「なかなかに」を導く序。同時代に全く同じ序詞を用いた歌が他にもあり(【参考歌】)、流行句となっていたことが窺われる。「さやの中山」は街道の難所として知られていたため、初二句は恋路の苦しさの暗喩ともなっている。

【他出】友則集、五代集歌枕、俊成三十六人歌合、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄

【参考歌】作者不明「寛平御時中宮歌合」
東路のさやの中山なかなかに見えぬものから恋しかるらむ
  源宗于「後撰集」
東路のさやの中山なかなかにあひ見てのちぞわびしかりける
(いずれも掲出歌との先後関係は明らかでない。)

 

しきたへの枕の下に海はあれど人をみるめはおひずぞありける(古今595)

【通釈】枕の下に涙の海はあるけれども、人を見る目という名の海松布(みるめ)は生えないのであった。

【語釈】◇しきたへの 枕の枕詞◇海 涙の海。◇みるめ 見る目(人に逢う機会)・海松布(海藻の一種)の掛詞。海の縁語。

【補記】寝床に溜まった涙を「海」と言いなしたのは甚だしい誇張であるが、下句を読むと、その譬えが「みるめ」という掛詞を出すための用意であったことが分かる。

【他出】友則集、如意宝集

【主な派生歌】
しきたへの枕の下にみなぎりてやがても下すみなの川かな(藤原定家)
しきたへの枕のうへにすぎぬなり露をたづぬる秋の初風(*源具親[新古今])

 

年をへて消えぬ思ひはありながら夜の袂はなほこほりけり(古今596)

【通釈】長い年月を経ても消えない思いの火はあるものの、独り寝の夜の衣の袖はなお凍るのだった。

【語釈】◇消えぬ思ひ ヒに火を掛け、末句の「こほり」と対照をなす。◇夜の袂 独り寝の夜の衣の袖。◇こほりけり 袖を濡らす涙が凍ることを言う。

【補記】「思ひ」の「ひ」に火の意を掛けて袖の氷と対照させ、寒夜を泣いて明かす恋の辛さを印象付ける。袖の涙が凍るといった表現は誇張的な修辞と受け取られがちであるが、当時の人の感情の振幅の激しさや、暖房に恵まれなかった事情を考えるべきであろう。香川景樹はこうした表現が「只いひなせる物」ではないことに注意を促し、「其外も枕のつららなど言へるは、皆世に其さま有りて言ひならへるより、うつして云へるもの也。冬夜に泣き明かしたるさま見る心地す」と評している(『古今和歌集正義』)。

【他出】友則集、古今和歌六帖

題しらず

ことにいでて言はぬばかりぞ水無瀬川したにかよひて恋しきものを(古今607)

【通釈】言葉に出して言わないだけなのだ。一見、水がないように見える水無瀬川のように、心だけは思う人のもとへ通って恋しいのに。

【語釈】◇ことにいでて 言葉に出して。◇水無瀬川(みなせがは) 表面は水がないように見えて、下を水が通っている川。伏流水。「下にかよひて」を導く枕詞的なはたらきをする。◇したにかよひて 心だけは思う人のところへ通って。

【補記】人に知られぬ恋の心を詠む。枕詞風の序を用い、やはり万葉集の手法に倣っているが、下記の笠女郎の歌と比較すると、友則の作では「水無瀬川」とそれに続く語句「下にかよひて」とがイメージとしてより緊密に通い合っている。繊細巧妙な詞遣いが、万葉歌の強さとは異なる、しなやかな強さを生んでいる。

【他出】友則集、古今和歌六帖、歌枕名寄

【参考歌】笠女郎「万葉集」巻四
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆあれ痩す月に日にけに

題しらず

命やは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに(古今615)

【通釈】命なんて、何だというのだ。露のようにはかないものではないか。逢うことに換えるのなら、惜しくなどないのに。

【語釈】◇命やは 「やは」は反語をあらわす係助詞であろう。「命やは何ぞ」で、「命は何だというのだ、何でもありはしない」の意。「やは」を終助詞と見、初句切れとする説もある。◇何ぞは 「は」は強調のために添えた終助詞であろう。

【補記】恋人と逢えない苦しみを詠む。第二句が「何ぞは。露の」と句割れを起こし、さらに「あだものを」と第三句で切れて、切迫した心情が歌のリズムとして表れているかのようである。古今集巻十二、恋歌二の巻末を飾る。

【補記2】『友則集』『古今和歌六帖』など初句を「いのちかは」とする本もある。

【他出】友則集、古今和歌六帖、宝物集、定家八代抄

【参考歌】「伊勢物語」六十五段、在原業平「新古今集」
思ふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ

【主な派生歌】
いたづらにたびたび死ぬと言ふめれば逢ふには何をかへむとすらむ(*中務[後撰])
桜花なにそは露のあだ物をおなじいのちにかへてとどめむ(藤原家隆)
いのちやはなにぞは露のあだしのにあふにしかへぬまつむしの声(〃)
ほどもなき同じ命を捨てはてて君にかへつる憂き身ともがな(藤原定家)
命やはあだのおほ野の草枕はかなき夢もをしからぬ身を(*順徳院[新続古今])

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

(くれなゐ)の色には出でじ隠れ()の下にかよひて恋ひは死ぬとも(古今661)

【通釈】紅の色のように目立たすまい。隠れ沼のようにひそかに思って、恋い死にしようとも。

【語釈】◇紅の色 紅のような、目立つ色。「紅」は色の名であると共に、花の名(ベニバナ)でもある。◇かくれぬの 隠れ沼のように。「隠れ沼」は、草に覆われて表面が見えない沼。◇下にかよひて 「かよひとは、ただ沼水の縁の詞にていへるのみにて、歌の意は、ただ下に思ふこと也」(『古今集遠鏡』本居宣長)。

【補記】忍ぶ恋の心を詠む。二句で切れ、腰の句に枕詞を置き、四・五句は初二句と倒置の関係にあるという構成は、二つ前の歌「ことにいでて…」と同じである。

【他出】寛平御時后宮歌合、新撰万葉集、友則集、古今和歌六帖

【参考歌】作者不明「万葉集」巻十
こいまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顏の花
  作者不明「万葉集」巻十二
(こも)り沼(ぬ)の下ゆ恋ひあまり白浪のいちしろく出でぬ人の知るべく

題しらず

下にのみ恋ふれば苦し玉の緒の絶えて乱れむ人なとがめそ(古今667)

【通釈】心の中でばかり恋していると苦しい。そのうち玉の緒が切れて乱れてしまうだろう。世の人よ、非難なさるな。

【語釈】◇玉の緒 魂を身体につなぎとめているもの。また、宝玉を貫いた緒のことも言う。掲出歌では両意を掛けて、苦しくて我慢しきれなくなる心の状態と、緒が切れて散乱する玉のイメージとを重ね合わせている。

【補記】下記万葉歌二首を合成したような歌。古今集がどれほど万葉集の大きな影響下にあったかを端的に示す一首である。

【他出】友則集、古今和歌六帖、俊成三十六人歌合、定家八代抄、時代不同歌合

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十六
下にのみ恋ふれば苦し山のはに出で来る月のあらはればいかに
(旧訓による。現在は初句「こもりのみ」と訓むのが普通。)
  作者未詳「万葉集」巻十一、人麿「続後拾遺集」
息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな(古今684)

【通釈】春霞がたなびく山の桜の花はいくら見ても見飽きない――そのように、いくらあなたと逢瀬を重ねても、私の心は満ち足りることがない――それほど恋しいあなたであるよ。

【補記】恋四の部にあり、既に契りを結んだ後の段階の恋の歌として古今集に収められている。その排列を重視するなら、「見れどもあかぬ」は「何度逢瀬を重ねても満足できない」といった意に取るべきであろう。

【参考歌】作者未詳「家持集」
奧山の岩ほの苔の年ひさに見れどもあかぬ君にもあるかな

【主な派生歌】
風ふけば磯うつ波の立ちかへり見れどもあかぬ君にもあるかな(藤原仲実)
ほのみてし君にはしかじ春霞たなびく山の桜なりとも(藤原家隆)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

蝉の声きけばかなしな夏衣うすくや人のならむと思へば(古今715)

【通釈】蝉の声を聞くと悲しいことよ。秋も近づき、今着ている夏衣ではないが、あの人の心も薄くなるだろうと思うので。

【語釈】◇夏衣(なつごろも) 夏の薄い衣。「うすく」を導く。◇うすく 薄情に。疎遠に。蝉の羽は薄いので、蝉の縁語になる。

【補記】蝉は晩夏の頃に最もよく鳴くので、その声に秋の近いことを感じて「かなしな」と言っているのであろう。秋は「飽き」、人の心もうつろう季節とされたからである。「夏衣」は「うすく」を導く単なる枕詞と見る説もあるが、いずれにせよ時節のものを出して「うすし」という感覚を実感的に強めるはたらきをしている。きわめて手の込んだ歌で、しかも調べが美しく、友則の恋歌の代表作と言えよう。

【他出】寛平后宮歌合、新撰万葉集、友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、新撰朗詠集、和歌初学抄、定家八代抄

【主な派生歌】
夏衣うすくや人のおもふらむわれはあつれてすぐす月日を(曾禰好忠)
夏衣うすくや人のなりぬらむうつせみのねにぬるる袖かな(俊成女)
うらみむと思ひしものを夏衣ひとへにうすくなりにけるかな(藤原秀能)
虫の声聞けばかなしな秋の夜のながきおもひのたぐひと思へば(花山院長親)

題しらず

雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみよをばへぬらむ(古今753)

【通釈】雲もなく穏やかな朝が私なのだろうか、それであの人から「厭われて」ばかりのまま幾年も過ぎたのだろう。(ずっと「いと晴れて」一夜を経た朝のように。)

【語釈】◇なぎたる朝の 凪いでいる朝が。◇いとはれて 「いと晴れて」「厭はれて」の両意を掛ける。◇世 歳月を意味すると共に、男女関係をも意味する。また「夜(よ)」を掛ける。

【補記】自然を引き合いに出して人の心情を詠むのは万葉集から引き継いだ当時の常套手法であるが、空という大きな自然を自身の境遇に比して意表を衝き、掛詞で「落ち」をつけている。

【他出】友則集、古今和歌六帖、定家八代抄、色葉和歌

【主な派生歌】
雲もなくなぎたる空の浅緑むなしき色も今ぞしりぬる(皇嘉門院別当[続後撰])
雲もなくなぎたる波にけさぞみるしらぬ千里の沖つ島山(武者小路実陰)

題しらず

秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心のそらになるらむ(古今787)

【通釈】秋風は雲や霧を分けて吹くけれども、人の身を分けて、心の中まで入り込むわけではあるまいに。秋になると、あの人の心の中に「飽き」風が吹いて、私への思いが空っぽになってしまうのは、どういうことだろう。

【語釈】◇身を分けて 身体の内を分け入って。解釈は諸説あるが、ここでは本居宣長の説に拠った。「秋風は、雲や霧などを吹き分くるやうに、人のからだを分けて腹の内へ吹いてはいるものでもないに」(『古今集遠鏡』)。◇人の心の 恋人の心が。◇そらになるらむ どうして虚ろになるのだろうか。推量の助動詞「らむ」は、疑問をあらわす語を伴わなくても「どうして…」という心をあらわすことがある。

【補記】古今集恋歌五、変わりゆく恋人の心を悲しむ歌群にある。秋に「飽き」の意を掛け、秋風が吹くと人の心もうつろうものだという当時の詩的常識を踏まえている。

【主な派生歌】
梅の花にほふ夕べは身を分けて空にこころの春風ぞ吹く(*肖柏)

題しらず

水のあわの消えでうき身といひながら流れて猶もたのまるるかな(古今792)

【通釈】水の泡のようにはかなく、しばし消えずに浮いて漂うような我が身とは言いながら、水の上を流れて――時が流れてのちはと、なおあの人の心に期待をかけてしまうのだ。

【語釈】◇うき身 憂き身に「浮き」が掛かる。◇流れて 「泣かれて」を掛けるか。

【補記】「消え」「うき」「流れ」と、「水の泡」の縁語を連ね、恋人に翻弄されながらも将来に期待をかけずにはいられない恋心を詠んでいる。同様の趣向で作られた同じ作者の歌に「うきながら消(け)ぬる泡ともなりななむ流れてとだにたのまれぬ身は」がある(古今827)。

女をはなれてよめる

(かり)()(とを)づつ十はかさぬとも人の心はいかがたのまむ(古今六帖)

【通釈】たとえ雁の卵を百箇重ねることはできても、人の心はどうして信用できましょうか。

【語釈】◇十づつ十はかさぬとも 百箇重ねても。不可能なことの喩え。人の心を頼むことは、それよりもっと難しい、というのである。

【補記】この歌は『友則集』に見えないが、『古今和歌六帖』に友則の作としている。同書によれば、予め「人のこころをいかがたのまむ」という下句を定め、これに付ける上句を貫之や躬恒と競作したものらしい。

【参考歌】「伊勢物語」第五十段
鳥の子を十づつ十は重ぬとも思はぬ人をおもふものかは

題しらず

たちかへり思ひすつれどいそのかみ古りにし恋は忘れざりけり(続千載1538)

【通釈】何度も繰り返し思い切ろうとしたけれど、長い年月を経た恋は忘れられないのだった。

【語釈】◇いそのかみ 「古り」に掛かる枕詞。

【補記】『友則集』(西本願寺本)には「うちかへしおもひいづればいその神ふりにしこひはわすられにけり」とあり、『古今和歌六帖』には「をちかへりおもひいづればそのかみのふりにしことはわすれざりけり」とある。続千載集は『万代集』から採ったか。

【他出】友則集、古今和歌六帖、万代集

哀傷

藤原敏行の朝臣の身まかりにける時に、よみてかの家につかはしける

寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたは空蝉の世ぞ夢にはありける(古今833)

【通釈】寝てもあの人を見ますが、寝なくても面影にあの人が見えるのです。だいたいのところ、寝ていようが起きていようが、現世こそが夢なんでしたよ。

【補記】延喜元年(901)、先輩歌人の藤原敏行が亡くなった時、遺族に宛てて贈った歌。現世が夢であるとは仏説に基づく当時の常識であるが、それを初二句の対句によってこの上なく簡潔に証明している。詞書によれば遺族を慰めることを主とした歌と見るべきであろうが、むしろ自身に言い聞かせるような、切なる響きを持っている。

【他出】友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、綺語抄、定家八代抄

【主な派生歌】
寝ても見ゆゐても見えけり桜花はかなの春の夢の枕や(藤原家隆)
寝ても夢ねぬにも夢の心ちしてうつつなる世を見るぞかなしき(*雅成親王[続後撰])
夢路にはたれ植ゑおきて桜花ねても見ゆらむ春の夜すがら(長慶天皇)

惟喬のみこの、父の侍りけむ時によめりけむ歌どもと乞ひければ、かきておくりける奥によみてかけりける

ことならば言の葉さへも消えななむ見れば涙のたぎまさりけり(古今854)

【通釈】どうせなら、父の遺したこの詠草も一緒に消えてほしい。見ると、ますます涙が滾り流れるのです。

【語釈】◇ことならば どうせなら。同じことなら。◇言の葉 父有朋の遺した詠草。「さへも」というのは、父は亡くなったが、いっそその歌までも…という気持。

【補記】文徳天皇の皇子で、業平や遍昭ら歌人と交流が深かった惟喬親王から、父有朋の遺した詠草を求められ、書写して送った。その本の末尾に記したという歌。

紀友則まだ官たまはざりける時、事のついで侍りて、「年はいくら許りにかなりぬる」と問ひ侍りければ、「四十余なむなりぬる」と申しければ   贈太政大臣

今までになどかは花の咲かずして四十年(よそとせ)あまり年ぎりはする

【通釈】今までどうして花が咲かずに四十年余りも実を結ばなかったのか。

【語釈】◇年ぎり 樹木が年によって実を結ばないこと。友則が官職を得なかったことを喩えて言う。

返し

はるばるの数は忘れずありながら花咲かぬ木をなにに植ゑけむ(後撰1078)

【通釈】毎年、春は忘れずにやって来るのに、私のような花の咲かない木をどうして植えたのでしょう。

【補記】四十歳半ばに至って未だ無官だった友則に、贈太政大臣(藤原時平)が「なぜ四十年余りも年ぎり(樹木が実を結ばない年)が続いたのか」と問うたのに対し、「春の除目の季節がやって来ても、一向に官職に恵まれないのは何故でしょう」と逆に質問し返した歌。

方たがへに人の家にまかれりける時に、あるじの衣を着せたりけるをあしたに返すとてよみける

蝉の()の夜の衣はうすけれど移り香こくもにほひぬるかな(古今876)

【通釈】蝉の羽のような夜着は薄いけれど、薫き染めた香の移り香は我が身に濃く匂っているのでした。

【補記】外出の際、「方違へ」と言って、方角の吉凶を占い、悪い方角を避けて一晩別の方向の家に泊めてもらう風習があった。その家の主人に借りた夜着を翌朝返す時、心遣いに感謝をこめた歌。こまやかな情が籠っており、挨拶の歌にもこの作者らしい特色が十分出ている。

【主な派生歌】
秋のきてほころびにける藤袴うつり香こくも猶にほふかな(藤原俊成)
ふく風に移り香こくも匂ふかなはな橘のよその衣手(藤原家隆)

筑紫に侍りける時に、まかりかよひつつ碁うちける人のもとに、京にかへりまうできてつかはしける

ふるさとは見しごともあらず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける(古今991)

【通釈】帰って来た故郷の京は、以前とは違ってしまいました。斧の柄が朽ちるまであなたと碁に耽った所――筑紫の方が恋しいのでした。

【語釈】◇ふるさと 京を指す。◇斧の柄の朽ちし所 筑紫を指す。『述異記』に描かれた故事――王質が木を伐りつつ仙境に入り、童子が碁を打つのを見ている内に、気がつけば永い時が経ち、手にしていた斧の柄が朽ちてしまっていた――に基づく。

【補記】筑紫にいた時碁仲間だった友人のもとへ、帰京後に贈った歌。京と筑紫を対比し、漢土の故事に託して、共に過ごした時を懐かしんでいる。

【他出】友則集、新撰和歌、古今和歌六帖、新撰朗詠集、奥義抄、和歌色葉

【主な派生歌】
斧の柄のくちし昔は遠けれど有りしにあらぬ世をもふるかな(式子内親王[新古今])
ふるさとは見しごともあらず荒れにけり影ぞ昔の春の夜の月(源実朝)

題しらず

とりもあへぬ年は水にや流れそふ老いの心の浅くなりゆく(友則集)

【通釈】ちゃんとつかみ取ることもできぬまま、年は水といっしょに流れ去ってゆくのか。老いを重ねるごとに、私の心は深くなるどころか、浅くなってゆく。

【語釈】◇とりもあへぬ 取ろうとしても取れない。「とる」は「年」の縁語。

【補記】年をとることを水の流れにからめて言い、老後の心境を自嘲的に述懐している。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成23年12月28日