備中国小田郡小田庄、神戸山城主小松康清(または秀清)の子と伝える。幼名は尊明または尊明丸。長じて正清(信清とも)と名のった。
幼くして父母に従い上洛。十四五歳の頃、冷泉派の歌会に交わり、やがて冷泉為尹・今川了俊に師事する。若くして仏道に志し、東山霊山称名寺に草庵を構えるなどしていたが、応永十七年(1410)以後、東福寺に入り、東漸和尚に師事した(寺では書記を勤めたため、「徹書記」と通称される)。東福寺の塔頭の一つ栗棘庵の一室を松月庵と名付けて住んだ(のち招月庵と改める)。この間歌道にも精進し、同二十一年(1414)四月、頓証寺法楽一日千首には著名歌人と共に出詠し、ひとかどの歌人と認められていたことが窺える。やがて春日西洞院に住み、今熊野の草庵に移ったが、この草庵は永享四年(1432)四月火災に遭い、三十余帖に書写した二万六七千首の自作和歌が灰燼に帰したと言う。
若い頃は冷泉家の歌学に影響を受けたが、その後藤原定家の風骨を学び、夢幻的・象徴的とも評される独自の歌境を切り拓くに至った。一条兼良の信任を受け、上流武家歌人との交友は広く、京洛歌壇で抜きん出た存在となるが、永享期に六代将軍足利義教の怒りに触れ、草庵領小田庄を没収されるという憂き目に遭った。永享十一年(1439)に完成した新続古今集の撰に漏れたのも、義教の忌避の影響が及んだものであろうと言う。義教の死後は歌壇に復帰し、京都・堺周辺の公家・武家・寺社で催された歌合・歌会で活躍した。八代将軍義政には厚遇され、源氏物語を講義するなどした。康正二年(1456)、義教によって没収されていた小田庄を恢復。長禄三年(1459)五月九日、七十九歳で死去した。
弟子に正広・心敬・宗砌・智蘊・細川勝元などがいる。弟子の正広が編纂した家集『草根集』に和歌一万千余首を収める。また同集の抄出本『正徹千首』(一条兼良編か)がある。歌論書に永享元年(1429)頃執筆の『正徹物語』、紀行文に『なぐさめ草』がある。草仮名の書家としても名をなす。古典の書写は多く残るが、ことに『徒然草』正徹本は名高い。勅撰集への入集は無い。
『草根集』丹鶴叢書・ノートルダム清心女子大学古典叢書・私家集大成5・新編国歌大観8
『正徹物語』群書類従297(第16輯)・中世歌論集(岩波文庫)・日本歌学大系5・歌論集能樂論集(日本古典文学大系65)
「正徹千首」続群書類従380(第14輯下)・新編国歌大観4
「正徹百首」続群書類従396(第14輯下)
「招月正徹詠草(永享五年正徹詠草)」私家集大成5・新日本古典文学大系47
「永享九年正徹詠草」私家集大成5・新日本古典文学大系47
「月草」私家集大成5
「なぐさみ草」小学館日本古典文学全集48
『正徹顕論』 藤原隆景編、昭2
『正徹論』児山敬一、昭17 三省堂
『新撰正徹千首』 藤原隆景編、昭34(正徹五百回忌に刊行)
『正徹の研究 中世歌人研究』稲田利徳、昭53 笠間書院
『歌人正徹研究序説』白井忠功、平6 勉誠社
春 17首 夏 13首 秋 20首 冬 17首 恋 17首 雑 16首 計100首
おしなべて霞みにけりな海山もみなわが国と春やたつらん
春来てはまづ咲く花の都ぞと思ひなしにも空ぞのどけき
風やしるいづくにさける梅ならんただ香ばかりの春のよの闇
天の原春のみどりの色にすむ月の光はかすむともなし
春の夜にくもると見つつまどろめば夢ぢかすめる在明の月
いくさとの花鳥の音もかすむ日の光のうちに籠る春かな
夕まぐれ野がひの牛は歩みきてかすめる道に逢ふ人もなし
山おろし初瀬の霞吹きまよひこもりもはてぬ花の色々
しら雲の八重山遠く匂ふなり逢ふをかぎりの花の春風
おくれ猶まだ花の香もとどまらぬ山路暮れ行く袖の月影
朝露はかかれとてしも消えざりし夕の風に散るさくらかな
山風の松に木ぶかき音はして花の香くらき明ぼのの雨
高ねこす木のまの夕日影消えて桜にかへる花の色かな
まぎるべき風さへふかで散りかかる花の音きく窓のうちかな
咲けばちる夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ嶺の白雲
さくら花ちりかひかくす高ねより嵐をこえていづる月かげ
山ざくら苔の莚にちりぞしく夢はふたたびかへる枕を
つれなくて有明過ぎぬ郭公この三か月にきえし一こゑ
光もて卯月の月のしらがさねかさねようすし夜はのさ衣
涼しさはま清水あさみさざれ石もながるる月の有明のこゑ
いづれうき入りぬる磯の夏の夜はみらくすくなき月と夢とに
小百合葉のしられぬし水くみたえて野中の草を結ぶ山風
風さそふ花橘をそらにしておほふも雲の袖の香やせん
樗さく雲一村のきえしよりむらさき野ゆく風ぞ色こき
五月雨はむら雲いでてくらき夜の北にながるる星のかげかな
吹きしをり野分をならす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
山づたひ夕立うつる風さきに木の葉も鳥もふかれてぞ行く
時のまに明くるは五月さまざまに見えてのこらぬ夢は秋の夜
学びえよこひねがはしきみな月の風のすがたを大和ことのは
沖つ風西ふく浪ぞ音かはる海の宮古も秋やたつらん
友ぞなき
みるままにむなしき空の秋の風さはる声なき雲ぞ身にしむ
秋草の露とこたふる風もなしただしら玉をみがく月かげ
露霜にあへずかれ行く秋草の糸よりよわき虫のこゑかな
夕暮はそれしもかなし秋の色のかくれかねたる山のうす霧
うしとてもよもいとはれじわが身世にあらむ限の秋の夕暮
うかびきぬうきを心にかさぬれば去年の夕の秋の面かげ
身のうさも今いくほどとなぐさめて思ひすつれば秋の夕ぐれ
さそふともいなばにさむき初霜よからずは何の夢の秋かぜ
友ぞなきさらむ此世も生れしもよしや独と月をのみみて
すみのぼる心にすめる月をみて月をわするる秋のさ夜中
にほの海の霧ふきたつる程ばかり月に見えたる秋のしほかぜ
窓の月にいとまありともむかはめやおのれにくらき文字の関守
むかしよりいく世の人かあかずしてながめすてけん故郷の月
しろたへの色とも見えず朝ぼらけ音ゆく水のあやの河霧
白玉かなにぞととへば萩のうへの影はこたへずふるさとの月
秋やときはじめは雨をしぐれとも思はぬ月のはれくもり行く
したふとや翅はやめて行く秋のみねの入日にくもる雁がね
まどろまでさ夜もはるかに竹のはの霜にさえたる風の音かな
嵐ふく空は木の葉の村立にこの比雲のゆききをも見ず
山嵐峰の白雲ふきまぜてくれなゐうすく行くもみぢかな
風きけば峰の木の葉の中空に吹きすてられて落つるこゑごゑ
月のうちにひびきのぼると思ふまで霜夜の鐘に影ぞさえ行く
月すめば冬の水なき空とぢて氷をはらふ夜はの木枯
やきはつるまきの炭がまぬりこめて煙たえ行く山のさびしさ
風まぜにあらく落ちしはしづまりてこまかにつもる庭の白雪
梢もる入日の影は消えながらゆふぐれとほきみねのしら雪
わたりかね雲も夕を猶たどる跡なき雪の嶺のかけはし
時雨までくもりてふかくみし山の雪におくなき木々の下折
しら鷺の雲ゐはるかに飛びきえておのが羽こぼす雪のあけぼの
くる人のむかふふぶきに物いはで雪ふむ音のさゆる道のべ
さ夜風はただ一足にしづまりてをち方きけば雪折の声
黒髪もさやけかりきやたく櫛のほかげにみえし夜はの乙女子
しらざりき緑の空にあふぎても遠きを冬といへる心を
となふてふ三世の仏の道はあれどくる春もなくさる年もなし
くるるまの花のおもかげ身にそはばねても別れじ春のよの夢
ゆふしでも我になびかぬ露ぞちるたがねぎごとの末の秋風
宿りかる一村雨を
ゆきて我が心のおくをかたらばやたとへばえぞが千島なりとも
おもひねの夢路を遠み覚めゆけば分けこしむねにさわぐささはら
よりあはん契とまではかけざりきまだあげまきの年の思ひを
夕ま暮それかと見えし面影も霞むぞかたみ在明の月
二たびの名残もかなしおき出でて別ると見しは夢に別れて
しののめの道のべ遠く行きつれて衣々よりもうき別かな
花の香もうつろふ月の手枕に覚めざらましの春のよの夢
わたつ海の雲のはたてに消えかへる心よせなむ
身にぞしむむなしき雲の塵ばかりはらふたよりの床のあき風
はらへ風ゆるさぬ中のゆかりうきははその森のあらき言の葉
人ぞうき待つと別の二道にうらみられても月ぞ残れる
おくれ風花さくら戸のやすらひに出で行く袖のあかぬ匂を
人心うつろふ花に遠ざかるうき身や風の姿なるらん
哀にも鳥のしづまる林かな夕とどろきの里はのこりて
むら雨のふる江をよそに飛ぶさぎの跡まで白きおもだかの花
月くもる千里しづかに音もせず明くるさかひや人もまどろむ
おもひ入る心の色も暮ごとに遠ざかるなり山はうごかで
住みすててのこる庵もかたぶきぬかり田さびしき四方の嵐に
物毎に心をとめし山里の岩木もしるや人のはかなさ
ひとり立つ波やのどけき世の中をはなれ小島の松の心は
あふげとてむなしき空にさす指をまもりて月をみる人もなし
こゑぞせぬ三世の仏の名をとへばたれぞ心のおくにこたふる
かつみゆる月にこの手をあはせても先づ立ちむかへ出づる山のは
中空の月まちえてぞ四方の人匂へる花の光をもみる
おもひつつかたりいださぬ
ことのはをえらぶ数にはいらず共只かばかりを哀ともみよ
世々を見し夢の面影たつちりのいそぢの床をはらふ松かぜ
あととめてさむるか夢の中空に
くもりなきただ大空にむかひても君を八千代と祈るばかりぞ
更新日:平成16年02月29日
最終更新日:平成19年02月17日