伊賀国上野の生れ。農業を営む松尾与左衛門の二男。母は梅。俳号は初め宗房、後に桃青を名のる。若くして伊賀国上野(津藩)の侍大将藤堂新七郎良精(よしきよ)に仕える。やがて北村季吟に師事して俳諧を学び、江戸に下って職業的な俳諧師となる。深川に草庵を結び、芭蕉庵と名付けた。生涯の多くを旅に費やし、紀行文『野ざらし紀行』『鹿島紀行』『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』などがある。元禄七年(1694)十月十二日、大坂で客死。享年五十一。大津膳所の義仲寺の木曽義仲の墓の隣に葬られた。
夜窃かに虫は月下の栗を穿つ
窃かに:ひそかに
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
野ざらしを心に風の沁む身かな(野ざらし紀行)
馬上吟
道の辺の木槿は馬に食はれけり(野ざらし紀行)
馬に寝て残夢月遠し茶の煙(野ざらし紀行)
蔦植ゑて竹四五本のあらしかな(野ざらし紀行)
不破
秋風や藪も畠も不破の関(野ざらし紀行)
曙や白魚白きこと一寸(野ざらし紀行)
旅人を見る
馬をさへながむる雪の朝かな(野ざらし紀行)
海辺に日暮らして
海暮れて鴨の声ほのかに白し(野ざらし紀行)
爰に草鞋をとき、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮れければ
年暮れぬ笠きて草鞋はきながら(野ざらし紀行)
奈良に出づる道のほど
春なれや名もなき山の薄霞(野ざらし紀行)
湖水の眺望
唐崎の松は花より朧にて(野ざらし紀行)
大津に至る道、山路を越えて
山路来て何やらゆかし菫草(野ざらし紀行)
よく見れば薺花咲く垣根かな
古池や蛙飛び込む水の音
初雪や水仙の葉のたわむまで
物皆自得
花に遊ぶ虻な食ひそ友雀
五七の日追善の会
卯の花も母なき宿ぞ冷じき
冷じき:すさまじき
時鳥今は俳諧師なき世かな
月はやし梢は雨を持ちながら(鹿島紀行)
草庵の雨
起きあがる菊ほのかなり水のあと
旅人と我が名呼ばれん初時雨(笈の小文)
富士
一尾根はしぐるる雲か富士の雪
あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上ぐる風いと寒き所なり
冬の日や馬上に氷る影法師(笈の小文)
馬上:ばしやう
骨山と云ふは鷹を打つ処なり。南の海の果てにて、鷹の初めて渡る所といへり。いらご鷹など歌にもよめりけりと思へば、猶あはれなる折ふし
鷹一つ見付けてうれし伊良湖崎
さまざまの事思ひ出す桜かな(笈の小文)
臍峠 多武峰より竜門へ越ゆる道なり
雲雀より空にやすらふ峠かな(笈の小文)
臍峠:ほそたうげ
西河
ほろほろと山吹散るか滝の音(笈の小文)
西河:にじかう。奈良県吉野郡川上村。吉野川の急流。
明日は檜とかや、谷の老木のいへる事あり。きのふは夢と過ぎて明日はいまだ来たらず。ただ生前一樽の楽しみの外に、明日は明日はといひ暮して、終に賢者のそしりをうけぬ。
さびしさや華のあたりの翌檜(笈日記)
翌檜:あすならう
芳野
花盛り山は日ごろのあさぼらけ
しばらくは花の上なる月夜かな
招提寺鑑眞和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち潮風吹入りて、終に御目盲ひさせ給ふ尊像を拝して
若葉して御目の雫拭はばや(笈の小文)
草臥れて宿借る比や藤の花(笈の小文)
降らずとも竹植うる日は蓑と笠(笈日記)
姨捨山
俤や姨ひとり泣く月の友(更科紀行)
身に沁みて大根からし秋の風(更科紀行)
冬籠りまた寄り添はん此の柱(曠野)
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家(奥の細道)
行く春や鳥啼き魚の目は泪(奥の細道)
あらたふと青葉若葉の日の光(奥の細道)
秋鴉主人の佳景に対す
山も庭も動き入るるや夏座敷
田一枚植ゑて立ち去る柳かな(奥の細道)
風流の初や奥の田植歌(奥の細道)
早苗とる手もとや昔しのぶ摺り(奥の細道)
笠島はいづこ五月のぬかり道(奥の細道)
夏草や兵どもが夢の跡(奥の細道)
五月雨の降り残してや光堂(奥の細道)
蚤虱馬の尿する枕もと(奥の細道)
尿:しと。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声(奥の細道)
五月雨を集めて早し最上川(奥の細道)
涼しさやほの三日月の羽黒山(奥の細道)
雲の峰幾つ崩れて月の山(奥の細道)
暑き日を海に入れたり最上川(奥の細道)
象潟や雨に西施が合歓の花(奥の細道)
象潟:きさがた 西施:せいし 合歓:ねぶ
汐越や鶴脛濡れて海涼し(奥の細道)
汐越:しほごし 脛:はぎ
荒海や佐渡に横たふ天の河(奥の細道)
曙や霧に渦巻く鐘の声(続句空日記)
一家に遊女も寝たり萩と月(奥の細道)
一家:ひとついへ
早稲の香や分け入る右は有磯海(奥の細道)
あかあかと日はつれなくも秋の風(奥の細道)
ある草庵にいざなはれて
秋涼し手毎にむけや瓜茄子(奥の細道)
瓜茄子:うりなすび
むざんやな甲の下のきりぎりす(奥の細道)
甲:かぶと
石山の石より白し秋の風(奥の細道)
仲秋の夜は敦賀に泊りて、雨降りければ
月いづく鐘は沈める海の底(真跡短冊)
浪の間や小貝にまじる萩の塵(奥の細道)
蜻蜒やとりつきかねし草の上(笈日記)
蜻蜒:とんぼう
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ(奥の細道)
初しぐれ猿も小蓑をほしげなり(猿蓑)
何に此の師走の市に行く烏(花摘)
鐘消えて花の香は撞く夕かな(都曲)
湖水を望みて春を惜しむ
行く春を近江の人と惜しみける(猿蓑)
橘やいつの野中の郭公(卯辰集)
日の道や葵傾くさ月あめ(猿蓑)
京にても京なつかしやほととぎす(己が光)
合歓の木の葉越もいとへ星の影(猿蓑)
合歓:ねぶ 葉越:はごし
猪もともに吹かるる野分かな(江鮭子)
堅田にて
病鴈の夜寒に落ちて旅寝かな(猿蓑)
嵐山藪の茂りや風の筋(嵯峨日記)
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥(嵯峨日記)
竹の子や稚き時の絵のすさび(猿蓑)
牛部屋に蚊の声くらき残暑かな(三冊子)
座右の銘
人の短を言ふ事なかれ
己が長を説く事なかれ
物言へば唇寒し秋の風(芭蕉庵小文庫)
葱白く洗ひたてたる寒さかな(韻塞)
葱は「ねぶか」または「ねぎ」。
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店(薦獅子集)
店:たな
白露もこぼさぬ萩のうねりかな(真跡自画賛)
閉関の比
蕣や昼は鎖おろす門の垣(藤の実)
蕣:あさがほ 鎖:じやう
梅が香にのつと日の出る山路かな(炭俵)
五月雨の空吹き落せ大井川(真蹟懐紙)
嵯峨
六月や峰に雲置く嵐山(杉風宛書簡)
六月:ろくぐわつ
夏の夜や崩れて明けし冷し物(続猿蓑)
稲妻や顔のところが薄の穂(続猿蓑)
菊の香や奈良には古き仏達(杉風宛書簡)
所思
此の道や行く人なしに秋の暮(其便)
旅懐
此の秋は何で年よる雲に鳥(笈日記)
白菊の目に立てて見る塵もなし(笈日記)
畦止亭において即興 月下送児
月澄むや狐こはがる児の供(其便)
児:ちご
秋深き隣は何をする人ぞ(笈日記)
病中吟
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(笈日記)
清滝や波に散り込む青松葉(笈日記)
更新日:平成17年04月29日
最終更新日:平成18年09月03日
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