式子内親王 しょくしないしんのう 久安五〜建仁一(1149〜1201)

式子は「しきし」とも(正しくは「のりこ」であろうという)。御所に因み、萱斎院(かやのさいいん)・大炊御門(おおいのみかど)斎院などと称された。
後白河天皇の皇女。母は藤原季成のむすめ成子(しげこ)。亮子内親王(殷富門院)は同母姉、守覚法親王・以仁王は同母弟。高倉天皇は異母兄。生涯独身を通した。
平治元年(1159)、賀茂斎院に卜定され、賀茂神社に奉仕。嘉応元年(1169)、病のため退下(『兵範記』断簡によれば、この時二十一歳)。治承元年(1177)、母が死去。同四年には弟の以仁王が平氏打倒の兵を挙げて敗死した。元暦二年(1185)、准三后の宣下を受ける。建久元年(1190)頃、出家。法名は承如法。同三年(1192)、父後白河院崩御。この後、橘兼仲の妻の妖言事件に捲き込まれ、一時は洛外追放を受けるが、その後処分は沙汰やみになった。
建久七年(1196)、失脚した九条兼実より明け渡された大炊殿に移る。正治二年(1200)、春宮守成親王(のちの順徳天皇)を猶子に迎える話が持ち上がったが、この頃すでに病に冒されており、翌年正月二十五日、薨去した。五十三歳。
藤原俊成を和歌の師とし、俊成の歌論書『古来風躰抄』は内親王に捧げられたものという。その息子定家とも親しく、養和元年(1181)以後、たびたび御所に出入りさせている。正治二年(1200)の後鳥羽院主催初度百首の作者となったが、それ以外に歌会・歌合などの歌壇的活動は見られない。他撰の家集『式子内親王集』があり、三種の百首歌を伝える(日本古典文学大系八〇・私家集大成三・新編国歌大観四・和歌文学大系二三・私家集全釈叢書二八などに所収)。千載集初出。勅撰入集百五十七首。

「彼女の歌の特色は、上に才氣溌剌たる理知を研いて、下に火のやうな情熱を燃燒させ、あらゆる技巧の巧緻を盡して、内に盛りあがる詩情を包んでゐることである。即ち一言にして言へば式子の歌風は、定家の技巧主義に萬葉歌人の情熱を混じた者で、これが本當に正しい意味で言はれる『技巧主義の藝術』である。そしてこの故に彼女の歌は、正に新古今歌風を代表する者と言ふべきである」(萩原朔太郎『戀愛名歌集』)

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『式子内親王集』と勅撰集を中心に、百首を抜萃した。歌の末尾に付した( )内は出典とした歌集を示す。アラビア数字は新編国歌大観番号である(勅撰集の場合のみ提示)。出典を記していない歌はすべて『式子内親王集』を出典とする。勅撰入集歌でも『式子内親王集』から採った歌は、末尾の〔 〕内に採録された勅撰集名と新編国歌大観番号を記した。
※注釈の付いていないテキストはこちら

  21首  10首  20首  10首  22首  17首 計100首

百首歌たてまつりし時、はるの歌

山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水(新古3)

【通釈】山が深いので春が来たとも知らない我が庵の松の戸――その戸に、途絶えがちに滴りかかる雪の雫よ。

【語釈】◇松の戸 松の木で作った板戸、または松の枝を編んだ枝折戸。いずれにしても山家の粗末な戸である。「松」には「待つ」が掛かる。◇たえだえかかる 間隔を置いて掛かる。どこから落ちてくるとも言っていないが、それゆえにかえって「雪の玉水」のイメージは鮮烈である。◇雪の玉水 雪が融けてできた雫。掲出歌以前の用例は見えず、おそらく式子内親王創意の語であろう。

【補記】正治二年(1200)、すなわち内親王薨去前年、後鳥羽院に詠進した百首歌「正治初度百首歌」。

【他出】式子内親王集、自讃歌、定家十体(有心様)、六華集、新三十六人撰、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
山ふかみなほ窓さむき風の音に春ともしらぬ竹の雪折れ(伏見院)

 

春もまづしるくみゆるは音羽山峰の雪より出づる日の色

【通釈】春でも真っ先にその兆候がはっきり見えるのは、音羽山の峰に積もった雪から姿をあらわす日の光の色である。

【語釈】◇音羽(おとは) 平安京の東、近江との国境にあたり、逢坂山の南に続く山。古今集以後、時鳥と紅葉の名所とされ、春歌に詠まれた例は比較的少ない。

【補記】「前小斎院(さきのこさいいん)御百首」の巻頭歌であり、式子内親王の御集の巻頭歌。「前小斎院御百首」は成立年不明。承安元年(1171)から同三年頃とする説や、文治三年(1187)頃から建久五年(1194)までの間と推測する説などがある。いずれにしても残存する内親王の百首歌では最初のもの。

【参考歌】藤原俊成「久安百首」「長秋詠藻」
春きぬと空にしるきは春日山嶺の朝日のけしきなりけり

 

雲ゐより散りくる花はかつ消えてまだ雪さゆる谷の岩かげ

【通釈】空から散って来る花はたちまち消えて、まだ残雪が寒々としている谷の岩蔭よ。

【語釈】◇散りくる花 雪を花と言っている。

【補記】家集に収められた二つめの百首歌の春歌。この百首歌には「建久五年五月二日」の跋があり、これが百首を読み終えた日時を示すのであれば、作者四十六歳の作ということになる。

 

峰の雪もまだふる年の空ながらかたへかすめる春のかよひ路

【通釈】峰の雪もまだ降っている、旧年のままの空であるが、片方では霞んでいる――そこが春のやって来る通り路なのだ。

【語釈】◇ふる年の 「ふる」は「降る」「旧」の掛詞。

【補記】冬から春へ、旧年から新年へ、空の霞に時の移りゆく兆しを見ている。下記躬恒詠の控えめな本歌取りである。正治二年(1200)秋、後鳥羽院に詠進した百首歌、いわゆる「正治初度百首」の冒頭歌。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風やふくらむ

【参考歌】平祐挙「拾遺集」
春立ちて朝の原の雪見ればまだふる年の心地こそすれ

 

色つぼむ梅の木のまの夕月夜春の光をみせそむるかな

【通釈】花の色が、まだ蕾のうちに潜んでいる梅――その木の間に夕月があらわれて、春めいた朧な光を見せ始めることよ。

【補記】「前小斎院御百首」。「夕月夜」は古く「夕月」の意でも用いられた歌語。

 

春くれば心もとけてあは雪のあはれふりゆく身をしらぬかな

【通釈】春が来たので、鬱結していた私の心も解ける、淡雪のように――そうして、ああ、愚かにも年老いてゆく我が身を忘れてしまうことよ。

【補記】「前小斎院御百首」。「あは雪の」は同音の「あはれ」を導くと共に、前句の「とけて」、後句の「ふり」と縁語になる。

 

見渡せばこのもかのもにかけてけりまだ(ぬき)うすき春の衣を

【通釈】野山を見渡すと、あちらこちらに掛けてあるのだった。まだ横糸の薄い春の衣を。

【語釈】◇このもかのも 此の面、彼の面。万葉集から見える語。◇緯(ぬき) 衣の横糸。うっすらとたなびく春霞を、横糸の薄い衣と言いなした。

【補記】「前小斎院御百首」。

【本歌】在原行平「古今集」
春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ

百首歌に

にほの海や霞のをちにこぐ舟のまほにも春のけしきなるかな(新勅撰16)

【通釈】琵琶湖に立ち込める霞――その彼方に漕いで行く舟が帆をいっぱい広げているのも、満ち足りて春らしい趣きであることよ。

【語釈】◇にほの海 鳰の海。琵琶湖の古称。◇まほ 真帆。「片帆」と対になる語で、いっぱいに広げた状態の帆。「真正面」「完全であること」などの意を持つ同音語「まほ」も響く。◇けしき 景色でなく気色。ありさま、兆し、情趣などの意。

【補記】「正治初度百首」と『式子内親王集』では第二句「霞のうちに」。

【主な派生歌】
住吉の霞のうちに漕ぐ舟のまほにもみえぬあはぢ島山(藤原秀能)

 

梅が枝の花をばよそにあくがれて風こそかをれ春の夕闇

【通釈】梅は花を遠く置き去りにして枝からさまよい出、風ばかりが香っている、春の夕闇よ。

【補記】「あくがれて」とは、梅の香りが花を離れて遠くさまよい出たことを言う。「春の夕闇」の中で、花の姿は見えず、ただ風だけが梅の香にかおっている。家集の二つめの百首歌。

【参考歌】藤原顕綱「拾遺集」
梅の花かばかりにほふ春の夜の闇は風こそうれしかりけれ
  源俊頼「千載集」
むめが香はおのが垣根をあくがれて真屋の余りにひまもとむなり

百首歌たてまつりしに、春歌

ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな(新古52)

【通釈】眺め入った今日は過去になるとしても、軒端の梅は私を忘れずにいておくれ。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、新三十六人撰

【参考歌】菅原道真「拾遺集」
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

【主な派生歌】
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな(*源実朝)

 

花はいさそこはかとなく見わたせば霞ぞかをる春の明けぼの

【通釈】花は咲いたかどうか、それはともかく、何ということもなく見渡すと、霞がほのぼのと香り立つ春の曙よ。

【補記】「前小斎院御百首」。

百首歌たてまつりしに

いま桜さきぬと見えてうすぐもり春にかすめる世のけしきかな(新古83)

【通釈】まさに今桜が咲いたと見えて、空はうっすらと曇り、春らしく霞んでいる世のありさまであるよ。

【補記】正治初度百首。

 

花ならでまたなぐさむる方もがなつれなく散るをつれなくぞ見む〔玉葉239〕

【通釈】花ではなく、ほかに心の慰む手立てがあってくれたらなあ。そうであれば、すげなく散る花を、こちらも冷淡に眺めていよう。

【補記】「前小斎院御百首」。玉葉集に結句「つれなくてみん」として採られている。

 

この世にはわすれぬ春の面影よおぼろ月夜の花のひかりに

【通釈】この世にある限りは忘れない春の面影よ。朧月夜の花が、ほのかな光に浮かんで――。

【補記】朧月の光に照らされた花を前にしての感慨として詠まれているが、花を確乎たる実在として眺めているのでなく、「面影」として――すなわちその花が現実には存在しなくなったのちも、ありありと目に浮かぶイメージとして――見ている。「ながむれば見ぬいにしへの春までも面影かをる屋戸の梅が枝」(万代集、新続古今集)にしても、常に時間の相のもとに事物を観照する態度が沁みついていた内親王であった。

百首歌に

はかなくてすぎにし方をかぞふれば花に物おもふ春ぞへにける(新古101)

【通釈】とりとめもなく過ぎてしまった年月を数えれば、桜の花を眺めながら物思いに耽る春ばかりを送ってしまった。

【補記】「数ふ」は「暦を読む、めくる」意にもなるが、ここは「何年経ったかと思い返せば」ほどの意。「前小斎院御百首」。

【参考歌】藤原時房「続詞花集」
花ゆゑに過ぎにし春をかぞふればあはれ八十路に成りにけるかな
  西行「山家集」
はかなくてすぎにしかたを思ふにもいまもさこそは朝顔の露

【主な派生歌】
うち忘れはかなくてのみ過ぐしきぬあはれと思へ身につもる年(*源実朝)

家の八重桜を折らせて、惟明親王のもとにつかはしける

やへにほふ軒ばの桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな(新古137)

【通釈】幾重にも美しく咲き匂っていた軒端の八重桜は、盛りの時を過ぎてしまいました。風より先に訪れてくれる人がいてほしいものです。

【語釈】◇家の八重桜 この「家」は、式子内親王が晩年住んだ大炊御門(おおいみかど)の邸。

【補記】惟明親王は高倉天皇の皇子で式子の甥にあたる。親王の返歌は「つらきかなうつろふまでに八重桜とへともいはですぐる心は」。因みに続後撰集には同じく大炊殿の八重桜を巡って式子内親王と九条良経とが贈答した歌を載せる(「ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見し世にかはらざるらむ」「八重桜をりしる人のなかりせば見し世の春にいかで逢はまし」)。

【本歌】源氏物語「若菜」
宮人にゆきて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく

 

夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたた寝〔続古今147〕

【通釈】夢の中でも、盛りの過ぎた花に風が吹いて、落ち着いた心もない春の日のうたた寝よ。

【補記】続古今集など第三句を「風ふけば」とする本もある。

【他出】正治初度百首、三百六十番歌合、秋風集、続古今集

【参考】孟浩然「春暁」(→資料編
春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少
  よみ人しらず「古今集」
鶯の鳴く野べごとに来てみればうつろふ花に風ぞ吹きける
  紀友則「古今集」
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
  凡河内躬恒「新古今集」
いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ

 

残りゆく有明の月のもる影にほのぼの落つる葉隠れの花

【通釈】空に残り続ける有明の月――漏れて来るその光によってほのかに照らされながら落ちてゆく、葉隠れに散り残っていた花よ。

【補記】「前小斎院御百首」。

正治二年、後鳥羽院にたてまつりける百首歌の中に

今朝みればやどの木ずゑに風過ぎてしられぬ雪のいくへともなく(風雅225)

【通釈】今朝見ると、庭の梢に風が吹き過ぎて行ったのだろう、空の与かり知らない雪が幾重ともなく地に積もっている。

【補記】「しられぬ雪」は下記本歌により「空に知られぬ雪」を意味し、散った桜の花を指す。

【本歌】紀貫之「拾遺集」
桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける

 

花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる〔新古149〕

【通釈】花は散り果てて、これというあてもなく眺めていると、空虚な空にただ春雨が降っている。

【語釈】◇その色となく これといった対象もなしに。この「色」は仏教用語「色(しき)」の影響を受けた使い方で、視覚的に認識可能な対象物を指す。但し前句からのつながりとしては「花の色もなく」の意を帯びる。◇むなしき空 漢語「虚空」を和語化したもので、やはり仏教的陰影を帯びる語。前句からのつながりとしては「舞い散っていた花びらも今はない」という心が籠る。

【補記】初句は新古今集では「花は散り」とあるが、「正治初度百首」『式子内親王集』はともに「花は散りて」。

【参考歌】「伊勢物語」
暮れがたき夏のひぐらしながむればそのこととなく物ぞかなしき
  藤原俊成「新古今集」
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞふる

やよひのつごもりによみ侍りける

ながむれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕暮の空(千載124)

【通釈】ぼんやり物思いに耽って眺めていると、鬱々とした思いをどこへ向かって放てばよいのか、そのあてもない、春の最後の夕暮の空よ。

【補記】三月晦、すなわち春の尽きる日に詠んだ歌。「思ひやる」は「思いを馳せる」「思いを晴らす」の両義を兼ねる。因みに式子内親王には「ながむれば」を初句に置いた歌がきわめて多い。ここに採らなかった歌では「ながむれば月はきえゆく庭の面にはつかに残る蛍ばかりぞ」「ながむれば木の間うつろふ夕月夜ややけしきだつ秋の空かな」「ながむればわが心さへ果てもなく行方もしらぬ月のかげかな」などがある。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
我が恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれども行く方もなし
  よみ人しらず「後撰集」(作者を在原業平とする本もある)
をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな
(「伊勢物語」九十一段には「昔、月日のゆくをさへなげく男、三月つごもりがたに」の詞書で同じ歌を載せている。)

【主な派生歌】
ながめつつ思ふもかなし帰る雁ゆくらむかたの夕ぐれの空(*源実朝)

斎院に侍りける時、神館(かんだち)にて

忘れめや(あふひ)を草に引きむすびかりねの野べの露のあけぼの(新古182)

【通釈】忘れなどしようか。葵の葉を草枕として引き結び、旅寝した野辺の一夜が明けて、露の置いたあの曙の景色を。

フタバアオイ
葵草(フタバアオイ)

【語釈】◇神館 賀茂祭(葵祭)の夜、斎院が潔斎のため籠る殿舎。上社の北の御阿礼野(みあれの)に仮設されたという。◇葵 ウマノスズクサ科のフタバアオイ。ハート型の青々とした葉をもつ。葵祭(下鴨神社・上賀茂神社の例祭)において衣装や車の飾りに用いられた。◇草に引きむすび 旅寝の際に草を編んで枕としたことから、神館での仮寝を、賀茂祭にゆかりのある葵に掛けて野宿のように言いなした。◇かりね 仮寝。「刈り」「根」の意が掛かり、いずれも草の縁語。◇露のあけぼの 野辺いちめんに露の置いた曙。「露」は神事の厳粛さにに感動しての涙を暗示しよう。

【補記】賀茂斎王は普段紫野の斎院を住居としたが、賀茂祭の時には華やかな行列を伴って神社に参向し、祭祀に奉仕した。その時の経験を回想しての作であろう。千載集所載の「神山のふもとになれし葵草…」(次項参照)にも斎院時代への懐古の情の強さが窺われる。なお初出の「前小斎院御百首」に詞書はない。

賀茂の斎院(いつき)おりたまひてのち、祭のみあれの日、人の(あふひ)をたてまつりて侍りけるに書きつけられて侍りける

神山のふもとになれし葵草ひきわかれても年ぞへにける(千載147)

【通釈】神山の麓で馴れ親しんできた葵草よ。別れ別れになってから、何年も経ってしまったことよ。

【語釈】◇祭のみあれ 上賀茂神社で葵祭の三日前の夜に行われる御阿礼(みあれ)。降臨した神を賀茂社に導く祭事。◇神山(かみやま) 上賀茂神社の背後の山。「こうやま」とも。◇葵草 既出◇ひきわかれ 別々の方向へと別れる。「ひき」は「草」の縁語。

【補記】賀茂斎院を退下してのち、賀茂祭の神事の日に、ある人が葵草を献上してきたのに対し、書き付けた歌。

 

いにしへを花橘にまかすれば軒のしのぶに風かよふなり

【通釈】昔の思い出を橘の花の香にまかせると、軒のしのぶ草に風が通って、その香が昔を語ってくれるのだ。

ノキシノブ
軒のしのぶ(ノキシノブ)

【語釈】◇しのぶ シノブ・ノキシノブなどの羊歯植物を指す。古家の軒などに着生する。「偲ぶ」意が掛かる。

【補記】下記本歌より、橘の花の香は昔を思い出すよすがとされた。ゆえに昔のことは「花橘にまかす」と言うのである。「正治初度百首」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
さ月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

【参考歌】源俊頼「散木奇歌集」「新古今集」
故郷は散るもみぢばにうづもれて軒のしのぶに秋風ぞふく

百首歌たてまつりし時、夏歌

かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘(新古240)

【通釈】再び戻って来ない昔を、今のことのように思いながら寝入ると、うつらうつら夢見る枕もとに匂ってくる、橘の花の香よ。

【補記】こちらは本歌取りというわけではないが、前歌同様「昔の人を思い出させる橘の花の香」という当時の常識を踏まえている。しかし古今集の読人不知歌が不意に思い出される過去を詠んだのに対し、掲出歌では「かへりこぬ昔」を自ら追い求める心情が強く出ている。「正治初度百首」。

【本歌】「伊勢物語」三十二段
いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな

【主な派生歌】
すぎにける昔を今とおもふまに今日も昨日となりぬべきかな(藤原為家)
かへりこぬ昔を花にかこちてもあはれ幾世の春か経ぬらむ(*西園寺実氏[続古今])
いかがしる昔を今と見る夢のたえて人なき床の秋風(正徹)
時しあればしづのをだまきくるる夜に昔を今と匂ふ橘(飛鳥井雅永[新続古今])
きし方を思ひ思へばまどろまぬ夢の枕にかよふ秋風(*田捨女)

花橘の心をよませ給ひける

(たれ)となく空に昔ぞ偲ばるる花橘に風過ぐる夜は(玄玉集)

【通釈】誰というわけではないが、空に昔が慕われる。橘の花に風が過ぎてゆく夜は。

【語釈】◇空に 眺める空に。「むなしく」「放心して」など、さまざまな意味も響く語である。

【補記】家集にも勅撰集にも見えない歌。『玄玉集』は建久二〜三年(1191〜1192)頃に成立したと推定されている私撰集。撰者は不明。

百首歌たてまつりしに

声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそく宵のむら雨(新古215)

【通釈】声は聞こえるものの姿は見えず、雲の中でむせぶように泣く時鳥よ。その涙がそそぐのか、今宵の驟雨は。

【補記】ほととぎすは雨の降る夜にもよく鳴く。「正治初度百首」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひつをからなむ

【主な派生歌】
夜もすがら涙やそそくほととぎす今朝は露けき軒のたち花(後鳥羽院)
初雁の涙やそそく朝露になほ色まさる真野の萩原(九条道家)

 

五月雨の雲はひとつにとぢはててぬきみだれたる軒の玉水

【通釈】さみだれを降らせる雲は一面に空を覆い尽くして、貫いていた糸が切れたように散り乱れている軒の雫よ。

【補記】天の静と地の動の対比が鮮やか。「正治初度百首」。

【参考歌】在原業平「古今集」
ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるか袖のせばきに

正治二年、後鳥羽院にたてまつりける百首歌の中に

すずしやと風のたよりを尋ぬればしげみになびく野べのさゆりば(風雅402)

笹百合
笹百合 本州中部以西の山に自生。初夏、淡紅色の花が咲く。

【通釈】風のたよりが届き、涼しいことよとそのゆかりを尋ねて行くと、繁みの中で靡いている野生の百合の花に出逢った。

【語釈】◇風のたより 風が届けてくれたもの。百合の花の香をこう言った。◇さゆりば 百合。「さ」は接頭語で、「さみだれ」「早苗」などの「さ」と同じく、陰暦五月(田植月)との関係を示す。「ば(葉)」は慣習的に付けただけで、葉を言っているわけではない。因みに古歌の「さゆり」は笹百合か姫百合を指すことが多かったようである(いずれも陰暦五月頃に咲く)。

【補記】「正治初度百首」。

【参考歌】作者未詳「古今和歌六帖」「和漢朗詠集」
すずしやと草叢ごとに立ちよれば暑さぞまさる常夏の花
  藤原俊成「文治六年女御入内和歌」
夏ふかみ野べのさゆりば風過ぎて秋おもほゆる森の蔭かな

百首歌の中に

夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声(新古268)

【通釈】夕立を降らせた雲ももう留まっていないこの山――暑かった夏の日が傾いたこの山で、いま蜩の声が響く。

【補記】「夕立の雲もとまらぬ」も「夏の日のかたぶく」も、「山」に掛かる。詞書の「百首歌」は不詳。

百首の歌たてまつりし時

窓ちかき竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢(新古256)

【通釈】窓近くの竹の葉に吹きすさぶ風の音のために、ますます短く醒めてしまった転た寝の夢よ。

【補記】詞書の「百首の歌」は不詳。「みじか夜の窓の呉竹うちなびきほのかにかよふうたたねの秋」など、作者には類想の歌がある。

【本説】白氏文集・和漢朗詠集「夏夜」(→資料編
風生竹夜窓間臥(風の竹に生る夜、窓の間に臥せり)

百首歌に

うたたねの朝けの袖にかはるなりならす(あふぎ)の秋の初風(新古308)

【通釈】転た寝した明け方の袖に、変わったと感じる。なれ親しんだ扇の風が、今年最初の秋風に――。

【語釈】◇かはるなり この「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。視覚以外の感覚に基づいて判断していることを表わす。◇ならす 「馴らす(使い馴らす)」と「鳴らす(ハタハタと音を立てて扇ぐ)」意を掛けているか。◇扇の この「の」は主格。

【補記】明け方、涼風を感じて短い眠りから目を醒ます。夏の間なら、床の辺の侍女が扇をあおいで風を送っていただろう。身体に馴れたその扇の風が、今や秋の初風に変わった――その趣の違いを袖に感じている歌。「正治初度百首」。

【本歌】藤原為頼「後拾遺集」
おほかたの秋来るからに身にちかくならすあふぎの風ぞかはれる

 

秋きぬと荻の葉風のつげしより思ひしことのただならぬ暮

【通釈】秋がやって来たと、荻の葉を吹く風が告げ知らせてから、予想していたことだが、愁いの尋常でない夕暮だことよ。

風に靡く荻の葉
風に靡く荻の葉

【補記】「ただならぬ」は下記参考歌を踏まえた言い方。秋思の尋常でないことを言う。「前小斎院御百首」。

【参考歌】藤原義孝「義孝集」「和漢朗詠集」
秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露

【主な派生歌】
袖の上につゆただならぬ夕かな思ひし事よ秋の初風(後鳥羽院)

百首歌の中に

ながむれば衣手すずしひさかたの天の河原の秋の夕暮(新古321)

【通釈】じっと眺めていると、自分の袖も涼しく感じられる。川風が吹く、天の川の川原の秋の夕暮よ。

【補記】まだ星は見えていない夕空を眺め、天の川に思いを馳せる。爽やかな涼感に焦点をしぼった、清新な七夕詠。「前小斎院御百首」。

【主な派生歌】
夕されば衣手すずし高円の尾上の宮の秋のはつかぜ(*源実朝)

 

夕まぐれそこはかとなき空にただあはれを秋の見せけるものを(三百六十番歌合)

【通釈】夕暮時、どうということもない空に、ただしみじみとした趣を秋が見せるのだなあ。

【補記】家集にも勅撰集にも見えず、建仁元年(1201)三月以後成立の紙上歌合『三百六十番歌合』に見える歌。「前小斎院御百首」には類想の「秋はただ夕の雲のけしきこそそのこととなく詠められけれ」が見える。

 

よせかへる波の花ずり乱れつつしどろにうつす真野の浦萩

萩の花
萩の花

【通釈】寄せては返す波に花が散り込み、あたかも乱れた摺り染めのようになって――しどろに色をうつす真野の浦萩よ。

【語釈】◇花ずり 花を衣に擦り付けて色を染めること。この歌では、岸辺の萩叢に打ち寄せる波に花が散り込むことを「花ずり」に見立てている。◇しどろにうつす 乱雑に、萩の花の紅を波に移す(写す)。◇真野(まの)の浦萩 真野の浦の岸辺の萩叢。真野の浦は近江の歌枕で、今の大津市真野町あたり。真野川が琵琶湖に注ぐところで、入江をなす。古く萩の名所とされた。

【補記】「正治初度百首」。

 

おしこめて秋のあはれに沈むかな麓の里の夕霧の底

【通釈】麓の里に夕霧がたちこめる。まるで、ああ、秋のあわれな情趣をその中にすべて押し包むようにして。この里も私も、その霧の底深くに、沈み込んでゆくのだ。

【補記】「前小斎院御百首」。

正治二年百首歌たてまつりける時

我がかどの稲葉の風におどろけば霧のあなたに初雁のこゑ(玉葉578)

【通釈】家の門先の稲葉を吹く風の音にはっとしていると、霧のかなたに初雁の声がする。

【語釈】◇おどろけば 古今集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を踏まえ、季節のうつろいへの「おどろき」を読み取るべきところ。◇初雁 その年初めて訪れる雁。仲秋の風物。

【補記】「正治初度百首」。初句を「我が宿の」とする本もある。

 

それながら昔にもあらぬ月影にいとどながめをしづのをだまき〔新古367〕

【通釈】それはそれ、月は同じ月であるのに、やはり昔とは異なる月影――その光に、いよいよ物思いに耽って眺め入ってしまった、繰り返し飽きもせず。

【語釈】◇しづのをだまき 倭文(しづ)を織るのに用いた苧環。苧環を繰ると言うことから「繰り返し」の意を呼び込む。「しづ」には「(ながめを)しつ」の意を掛ける。

【補記】「前小斎院御百首」。新古今集では詞書「秋の歌とてよみ侍りける」、第三句「秋風に」とある。

【他出】定家八代抄、詠歌大概、自讃歌、心敬私語、歌林良材

【本歌】「伊勢物語」第三十二段
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな
  在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

【主な派生歌】
くり返し昔にもあらぬ夕暮の色に思ひをしづのをだまき(正徹)

百首歌たてまつりし時、月の歌

ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん(新古380)

【通釈】つくづく眺め疲れてしまった。季節が秋でない宿はないものか。野にも山にも月は澄んでいて、どこへも遁れようはないのだろうか。

【語釈】◇ながめわびぬ 「ながむ」はじっとひとところを見たまま物思いに耽ること。「わぶ」は動詞に付いて「〜するのに耐えられなくなる」「〜する気力を失う」といった意味になる。◇月やすむらん 月は澄んでいるのだろうか。秋は月の光がことさら明澄になるとされた。「すむ」は「住む」と掛詞になり、「宿」の縁語。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、時代不同歌合、新三十六人撰、三五記、六華集、題林愚抄

【本歌】素性法師「古今集」
いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ
  相模「相模集」「新勅撰集」
いかにしてもの思ふ人のすみかには秋よりほかの里をもとめむ

題しらず

更くるまで眺むればこそ悲しけれ思ひも入れじ秋の夜の月(新古417)

【通釈】夜が更けるまで眺めていたからこそ悲しいのだ。もう深く心にかけることはすまい、秋の夜の月よ。

【補記】「『ふくるまで眺むればこそ悲しけれ』は、夜更けるまで眺めてゐると、月の面(おもて)が悲しくなつて來たといふのである。これはおのづからに、宵の程の月は、單にあはれなもので、悲しさはなかつたことを聯想させるものである。(中略)語(ことば)は單純で、餘情の多い歌といふべきである」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)。

【参考歌】藤原清輔「千載集」
今よりは更けゆくまでに月は見じそのこととなく涙落ちけり

【主な派生歌】
ながむれば涙しぐれと故郷に思ひもいれじ秋の夜の月(後鳥羽院)

百首歌たてまつりし秋歌に

秋の色は(まがき)にうとくなりゆけど手枕なるる(ねや)の月かげ(新古432)

【通釈】色々に咲いていた垣根の草花はうつろい、秋の趣は疎くなってゆくけれど、反対に、私の手枕に馴れてくる閨の月光よ。

【補記】「うとく」なる籬の秋の色と「なるる」閨の月影を対照させ、秋の深まりの中の孤閨を詠む。「正治初度百首」。

百首歌の中に

跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露の底なる松虫のこゑ(新古474)

【通釈】人の通った跡もなく生い茂る庭の浅茅――その草葉にぎっしりと絡みつかれ、露の底から聞こえてくる、人を待つような松虫の声よ。

【語釈】◇浅茅 丈の低いチガヤ。王朝文芸では、屋敷などの荒廃を表わすのに用いられた。◇むすぼほれ 「むすぼほる」は絡み合い結び合ってほどけない状態になること。心の鬱屈することにも言い、話手の心理状態をも暗示していよう。

【補記】「正治初度百首」。

【主な派生歌】
もみぢばをさそふ嵐にねをたえて露のそこなる庭の松虫(飛鳥井雅有

擣衣の心を

千たび()つきぬたの音に夢さめて物おもふ袖の露ぞくだくる(新古484)

【通釈】果てしなく擣つ砧の音に夢から醒めて、悲しい物思いに耽る私の涙が落ち、袖に砕け散る。

【語釈】◇きぬたの音 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩く音。女性の仕事であった。晩秋の風物。◇露ぞくだくる 露も秋の風物。「くだくる」は露(涙)が落ちて四方に飛び散るさま。「うつ」「くだく」は縁のある語。

【補記】『式子内親王集』の補遺の部(「雖入勅撰不見家集歌」)に載り、元来式子の家集には無かった作。

【他出】式子内親王集、定家八代抄、詠歌大概、時代不同歌合、題林愚抄

【参考】「白氏文集」「和漢朗詠集・擣衣」(→資料編
八月九月正長夜 千声万声無了時(八月九月正に長き夜 千声万声了(や)む時無し)

百首歌たてまつりし時

更けにけり山の端ちかく月さえて十市(とをち)の里に衣うつこゑ(新古485)

【通釈】夜は更けてしまった。山の稜線近くにある月の光は冴え冴えとして、十市の里に衣を打つ音が聞こえる。

【語釈】◇衣うつ声 前歌の「きぬたの音」に同じ。◇十市の里 大和国の歌枕。擣衣に因んで歌に詠まれることが多い(参考歌参照)。平安時代以降「とほち(遠地)」と混同され、鎌倉時代には「遠方」の意で用いていると見られる例も多くなるが、ここは由緒ある歌枕と見たい。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、定家十体(見様)、歌枕名寄

【参考歌】藤原長方「長方集」
寝覚してきけば物こそかなしけれとをちの里に衣うつ声
  済円「続詞花集」
秋の夜をねざめて聞けば風さむみとをちの里に衣うつなり

【主な派生歌】
ふけにけり外山の嵐さえさえてとをちの里にすめる月影(源実朝)

 

秋の夜のしづかにくらき窓の雨打ちなげかれてひま白むなり

【通釈】静かな秋の夜の暗い窓を雨が打ち、ふと溜息をついてしまう――そうして過ごしているうち、戸の隙が白んでくるようだ。

【語釈】◇打ちなげかれて 「打ち」は、「雨が窓を打ち」と接頭語「うち」の掛詞。「うちなげく」は「ふと溜息をつく」意。

【補記】「建久五年五月二日」の跋がある百首歌。

百首歌の中に

秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへもとぢよ蔦のもみぢ葉(新勅撰345)

【通釈】秋だというので――私に飽きたというわけで――人は訪ねて来ない我が家――その松の戸を、いっそ幾重にも閉じてしまえ、蔦の紅葉よ。

蔦紅葉
蔦紅葉

【語釈】◇松の戸 松の板戸。「待つ」の意が掛かる。◇蔦(つた) ブドウ科、つる性の落葉低木。晩秋、鮮やかに紅葉する。

【補記】式子内親王の激しいまでの自閉傾向を窺わせる歌としては、他に「あと絶えていくへも霞め深く我が世をうぢ山の奧の麓に」(前小斎院御百首)がある。なお、詞書の「百首歌」は不明。

【主な派生歌】
しじまこそ今は我が身のつとめなれ幾重もとぢよ軒の蓬生(伊達千広)

 

吹きとむる落葉が下のきりぎりすここばかりにや秋はほのめく

【通釈】風が吹き寄せ、ひとところに留まっている落葉――その下で鳴くこおろぎの声――ここだけに秋はかすかに残っているのだろうか。

【補記】家集に収められた二つめの百首歌。結句を「秋のほのめく」とする本もある。

百首歌たてまつりし秋歌

桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど(新古534)

【通釈】桐の落葉も踏み分け難いほど積もってしまったなあ。必ずしも人を待つというわけではないけれど。

黄葉した桐の葉
黄葉した桐の葉

【補記】桐の葉は一枚ずつふわりふわりと落ちる。「踏み分けがたく」なるまで相当の時間の経過が偲ばれる。その間、「人」は訪れなかったのである。余情あふれる秀歌で、古来式子内親王の代表作の一つとされた。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、女房三十六人歌合、六華集、心敬私語

【本説】「白氏文集・晩秋閑居」「和漢朗詠集・落葉」
秋庭不掃携藤杖 閑踏梧桐黄葉行(秋の庭は掃はず藤杖に携はりて、閑(しづ)かに梧桐の黄葉を踏んで行(あり)く)

【主な派生歌】
庭の雪もふみ分けがたくなりぬなりさらでも人をまつとなけれど(後鳥羽院)

 

とどまらぬ秋をや送るながむれば庭の木の葉のひと方へゆく

【通釈】留まりはしない秋の後を追うのだろうか。庭を眺めていると、散り積もった木の葉が一つの方向へ寄ってゆく。

【語釈】◇秋をや送る 秋の後を付いて行くのだろうか。「送る」は「後る・遅る」と同源で、「後からついてゆく」が原義。木の葉の動きを、秋との別れを惜しんで後を追っているのかと見たのである。「送る」主体を話手と見、《秋を送らねばならないのだろうか。そう思いつつじっと物思いに耽っていると…》との解釈(日本古典文学大系)は一首の本意を見誤っている。また、《風が秋を送り出す》との解釈(和歌文学大系)も誤り。風の存在はこの歌において消し去られているのである。

【補記】「前小斎院御百首」。

 

おもへども今宵ばかりの秋の空ふけゆく雲にうちしぐれつつ〔続拾遺377〕

【通釈】名残惜しく思っても、今宵限りの秋の空よ。更けてゆく夜の雲に、ぱらぱらと時雨が降って。

【補記】「雲うちしぐれつつ」と言ったのが趣深い。雲を眺めつつ涙を催す余情が籠るからである。藤原基家撰の私撰集『雲葉集』は「雲に」で採っているが、続拾遺集では「ふけゆく雲」と凡庸化してしまっている。「正治初度百首」。

題しらず

風さむみ木の葉はれゆく夜な夜なにのこるくまなき庭の月かげ(新古605)

【通釈】風が寒々と吹き、そのたびに木の葉が散ってゆく夜ごと、残る隈(くま)無く庭を照らし出す月の光よ。

【語釈】◇木の葉はれゆく 木の葉が散るにつれて、月光が遮られることなく射すようになる様を言う。

【補記】『式子内親王集』(補遺の部)では結句「ねやの月かげ」。

百首歌の中に

見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江のみぎはうす氷りつつ(新古638)

【通釈】見ている間に、もう冬は来ていたのだなあ。鴨の浮かんでいる入江の波打際が薄く氷りながら。

【補記】「正治初度百首」。

正治百首歌の中に、冬歌

時雨(しぐれ)つつ四方のもみぢは散りはてて(あられ)ぞおつる庭の木かげに(風雅803)

【通釈】時雨が何度も降るうち、周囲の紅葉は散り果ててしまい、霰が葉に遮られることなく庭の木陰に落ちるよ。

【補記】「竹の葉にあられふるなりさらさらに独りは寝(ぬ)べき心ちこそせね」(詞花集、和泉式部)のように、枯葉を打つ霰の寂しげな音を詠んだ歌は多いが、落葉した後の木陰に落ちる霰を詠んだ歌は珍しい。

 

荒れ暮らす冬の空かなかきくもり(みぞれ)よこぎる風きほひつつ

【通釈】荒れたまま暮れる冬の空であるよ。一面に曇り、みぞれが横ざまに降る風が先を争うように吹いて。

【補記】「正治初度百首」。

 

色々の花も紅葉もさもあらばあれ冬の夜ふかき松風の音

【通釈】色とりどりの花も紅葉も、どうでもよい――そう思えてしまうほど趣深いのは、冬の深夜に聞く松風の音。

【補記】「前小斎院御百首」。

【参考歌】藤原良経「秋篠月清集」(先後関係は不明)
おのれだにたえず音せよ松の風花も紅葉も見ればひととき

百首歌に

さむしろの夜半の衣手さえさえて初雪しろし岡の辺の松(新古662)

【通釈】寝床の上の夜の袖が冷え冷えとしていたが、今朝見れば初雪が白く積もっているよ、岡のほとりの松は。

【語釈】◇さむしろ 狭筵。「さ」は接頭語で特に意味は無く、寝床の粗末な敷物を言うが、「さむ」には「寒」が響くゆえか、冬歌に用いられることが多かった歌語である。

【補記】「正治初度百首」。

【参考歌】源頼綱「金葉集」
衣手に余呉の浦風さえさえてこだかみ山に雪ふりにけり

【主な派生歌】
あやしくも武庫の嵐のさえさえて初雪しろし猪名の笹原(藤原範宗)
あやしくも夜のまの風のさえさえて今朝雪しろし庭のあさぢふ(後鳥羽院)
むばたまのよはのさ衣さえさえてうらめづらしき今朝の初雪(飛鳥井雅有)

 

身にしむは庭火のかげにさえのぼる霜夜の星の明けがたの空

【通釈】身に沁みるのは、庭の篝火の照らす光のなか、冴え冴えと昇ってゆく星のある、霜夜が明けてゆく頃の空であるよ。

【補記】庭火は神楽の時などに焚く篝火を言うことが多い。その火明かりの中でもくっきりと見える星(明けの明星、金星であろう)によって霜夜の凄艶美を詠んだ。「正治初度百首」。

百首歌に

(あま)つ風氷をわたる冬の夜の乙女の袖をみがく月かげ(新勅撰1111)

【通釈】天の風が凍った水面を吹き渡る冬の夜にあって、舞姫の袖に月光が光彩を添えている。

【語釈】◇天つ風 宮中を吹き渡る風。内裏を天上になぞらえている。◇氷をわたる 「氷」は宮中の池の氷を思えばよいか。いずれにしても冬の夜風の冴え冴えとした感じを印象付ける。◇乙女 五節の舞姫を指す。新嘗祭では四人で舞った。◇袖をみがく 五節の舞姫は色あでやかな袖を廻らして踊る。その袖を月光が磨くかのように、ひときわ美しく輝かせている。

【補記】「正治初度百首」。

【参考歌】良岑宗貞(遍昭)「古今集」
あまつ風雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ
  清原深養父「後撰集」
幾世へてのちか忘れむ散りぬべき野辺の秋萩みがく月夜を

百首歌たてまつりしに

日かずふる雪げにまさる炭竈(すみがま)の煙もさびし大原の里(新古690)

【通釈】何日も続く雪模様で炭竈の煙が多くなるのも寂しげである。大原の里よ。

【語釈】◇大原の里 山城国の歌枕。今の京都市左京区北部、比叡山の麓に連なる丘陵地。世捨て人の隠棲地であり、また貴族の別荘地であった。炭焼の名所で、冬寒い土地として歌に詠まれることが多い。

【補記】「正治初度百首」。

【参考歌】西行「山家集」
炭竈のたなびくけぶり一すぢに心ぼそきは大原の里

【主な派生歌】
炭竈のけぶりもさびし大原やふりにし里の雪の夕ぐれ(源実朝)

せめてなほ心ぼそきは年月のいるがごとくに有明の空

【通釈】甚だしく、いっそう心細く感じられるのは、年月が矢を射ったごとく素速く巡り、一年も終りに近い月が山の端に入ろうとしている有明の空であるよ。

【語釈】◇せめて 語源は「責めて」。心をひどく苦しめるさまを言う。◇いるがごとくに 「いる」は「射る」「入る」の掛詞。◇有明の空 有明の月が残る空。月末に近ければ当然月は細く、「心ぼそき」の語句と響きあう。なお、前句からのつづきとしては「いるがごとくにあり」となり、「有明」の「あり」に動詞の意が掛かる。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
あづさゆみ春たちしより年月のいるがごとくも思ほゆるかな

 

尋ぬべき道こそなけれ人しれず心は慣れて行きかへれども

【通釈】あの人のもとへ訪ねてゆける道はないのだ。誰にも知られぬまま、私の心は何度も行き来して、通い慣れてしまったのだけれど。

【補記】「道」には「手段・方法」などの意もある。「前小斎院御百首」の恋部冒頭。

 

たのむかなまだ見ぬ人を思ひ寝のほのかになるる宵々の夢

【通釈】夢に縋るのだなあ。まだ逢ったこともないあの人を思いながら寝入る眠りの、ほのかに馴れ親しんでいる夜毎の夢に。

【補記】「前小斎院御百首」。主題は「未逢恋」であろう。

 

ほのかにもあはれはかけよ思ひ草下葉にまがふ露ももらさじ

【通釈】わずかにでも同情して下さい、思い草を――その下葉にまぎれて置いている露は、ほんの少しもこぼすまいと堪(こら)えているのです。

【語釈】◇思ひ草 ハマウツボ科の一年草ナンバンギセルのこととされるが、異説もある。ナンバンギセルには下葉がないので、この歌では別の植物を想定していたか。ともあれ、物思いに耽っているような風情の草花に、恋する己をなぞらえている。◇下葉にまがふ露 下葉にまぎれている露。堪えている涙を暗示。◇露ももらさじ 「露も」に「少しも」の意が掛かる。

【補記】「前小斎院御百首」。主題は「忍ぶ恋」。

百首歌の中に、忍恋を(三首)

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする(新古1034)

【通釈】私の玉の緒よ、切れてしまうなら切れてしまえ。もし持続すれば、堪え忍ぶ力が弱ってしまうのだ。

【語釈】◇玉の緒 魂と身体を結び付けていると考えられた緒。命そのものを指して言うこともある。◇絶えなば絶えね 絶えてしまうなら絶えてしまえ。「な」「ね」は、完了の助動詞「ぬ」のそれぞれ未然形・命令形。

【補記】『式子内親王集』には補遺の部(「雖入勅撰不見家集歌」)に載せ、元来式子の家集には無かった作。制作年、制作事情などは不詳である。

【他出】定家十体(有心様)、定家八代抄、別本八代集秀逸(家隆撰)、自讃歌、百人一首、新三十六人撰、歌林良材

【参考歌】作者未詳「万葉集」
息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも
(『古今和歌六帖』には第四句「絶えて乱るな」として載る)
  曾禰好忠『好忠集』
乱れつつ絶えなば悲し冬の夜をわがひとりぬる玉の緒よわみ

【主な派生歌】
いかにせむ絶えなば絶えね玉の緒は長き恨みに結ぼほれつつ(藤原範宗)
ひたすらに絶えなば絶えね憂き中の忘れ形見に残る面影(花山院師兼)
いかのぼり絶えなば絶えねなかぞらの父ひきしぼる春のすさのを(山中智恵子)

 

忘れてはうちなげかるる夕べかな我のみ知りて過ぐる月日を(新古1035)

【通釈】そのことをふと忘れては、思わず歎息してしまう夕べであるよ。この思いは私だけが知っていて、あの人に知らせず過ごしてきた長い月日であるのに。

【補記】「忘れて」の内容は、「我のみしりて過ぐる月日」であること。すなわち自分の思いを相手に知らせていないことをふと忘れ、恋人が来てくれるのではないかと期待しては、我に返って「うちなげかるる」と言うのである。制作年、制作事情など不詳。

【他出】式子内親王集、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、新三十六人撰、愚秘抄、桐火桶、題林愚抄

【主な派生歌】
なにとただ我のみしりて過ぐるまの憂きあらましに袖濡らすらむ(頓阿)
わすれては又なげかるる夕かな聞きしにもあらぬ入相の鐘(後光厳天皇)

 

わが恋はしる人もなしせく床の涙もらすなつげのを枕(新古1036)

【通釈】私の恋心は知る人とてない。堰き止めている床の涙を洩らすな、黄楊(つげ)の枕よ。

【語釈】◇つげのを枕 黄楊で作った木枕。枕は人の心を知るものとされたが、黄楊の木で作ったものはことに霊力が強いとされたらしい。万葉集巻十一に「夕されば床の辺去らぬ黄楊枕なにしか汝が主待ちかたき」と、やはり黄楊の枕に対し呼びかけた歌がある。なお、「つげ」を「告げ」の掛詞と見れば、その名を忌んでいることになろう。

【他出】正治初度百首、定家八代抄、六華集

【本歌】平貞文「古今集」
枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへずもらしつるかな

【主な派生歌】
おさふべき袖は昔にくちはてぬ我が黒髪よ涙もらすな(*少将内侍[続後撰])
夏ごろもひとへにうすき袂ぞよ我が忍びねの涙もらすな(今出川二条)
しるといふ枕も人にかたらずは涙もらすな夜々の黒髪(正徹)

題しらず

しるべせよ跡なき波にこぐ舟の行くへもしらぬ八重のしほ風(新古1074)

【通釈】案内してくれ。先を行った船の航跡も残らない波の上を漕いでゆく舟――その行方も知れず吹き渡る八重の潮風よ。

【語釈】◇跡なき波 下記本歌に縁る言い方で、船の航跡が残らないことを言う。◇八重のしほ風 「八重の潮路(しほぢ)」(いくつもの潮の流れ)を越え、海上を吹き渡る風。平康頼の「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重のしほ風」(千載集)が初例か。

【補記】恋心を不安な船路に託している。「正治初度百首」。

【本歌】藤原勝臣「古今集」
白浪の跡なき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける

百首歌の中に

夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖の気色は(新古1124)

【通釈】夢であの人にも見えているだろうに。歎きながら寝る今宵の、涙に濡れた私の袖のありさまは。

【語釈】◇見ゆらむものを 見えるだろうに。「らむ」現在の事態を推量する助動詞。将来夢に見るだろう、あるいは以前夢に見ただろうと言っているのでなく、今宵私はあの人を強く想っているのだから、あの人の夢に今頃見えているだろう、と推し量っている。相手を想えば相手の夢にあらわれるという古い信仰に基づく。「ものを」は詠嘆の終助詞であるが、逆接の言いさしとも取れる。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、自讃歌、定家十体(有一節様)、新三十六人撰、三五記、愚秘抄、桐火桶

【参考歌】和泉式部「和泉式部続集」
夢にても見るべきものを稀にても物おもふ人のいを寝ましかば
  藤原定家「二見浦百首」(掲出歌より先んじる)
おもふとは見ゆらむものをおのづから知れかし宵の夢ばかりだに

百首の歌読み給ひける時、恋の歌

はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにまよふ夢のかよひ路(千載677)

【通釈】果敢ないものだなあ、枕の場所を定めずに寝入ってしまった転た寝で、(恋人の家の方向が)はっきり見分けられずに迷う夢の通り路よ。

【補記】「枕さだめぬ」とは、下記古今集歌にあるように、枕の置き方によって夢見をコントロールできるという俗信に基づく。第四句「ほのかにかよふ」とする本も。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
宵々に枕さだめむ方もなしいかに寝し夜か夢に見えけむ
  小野小町「小町集」「玉葉集」
はかなくも枕さだめず明かすかな夢語りせし人を待つとて
  選子内親王「大斎院前御集」
こりずまにあだなる花のもとにしも枕さだめぬうたたねはせじ

恋の歌の中に

つかのまの闇のうつつもまだ知らぬ夢より夢にまよひぬるかな(続拾遺913)

【通釈】束の間の闇の中での逢瀬もまだ知らないで見る夢――そんな果敢ない夢の繰り返しに迷い込んでしまったのだ。

【補記】下記古今集歌の本歌取り。闇の中でのはかない逢瀬より、鮮明な夢のほうが増しだとした本歌を承け、現実の逢瀬を知らぬまま夢から夢へさまよい続ける恋の虚しさを詠んだ。「前小斎院御百首」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
むば玉の闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

 

見えつるか見ぬ夜の月のほのめきてつれなかるべき面影ぞそふ

【通釈】あの人が見えたのだろうか。逢えない夜の月がほのかに見えて、きっと冷淡に違いない面影がそこに重なる。

【補記】雲に隠れがちな月。ほのかにあらわれたその光に、まだ実際には逢瀬を遂げていない恋人の、つれない面差しを予め思い描いている。「前小斎院御百首」。

百首歌に

逢ふことをけふ松が枝の手向草いくよしほるる袖とかは知る(新古1153)

【通釈】初めての逢瀬を今日待つことになりましたが、これまで幾夜涙に濡れ弱った袖か御存知ないでしょう。

【語釈】◇松が枝の手向草 下記本歌に依拠し「いくよ」を導くために挿入された語句。「松」に「待つ」を掛ける。◇いくよしほるる 「いくよ」は「幾夜」と思われるが、川島皇子の本歌では「幾代」なので、本歌に従えば「何年も涙で濡らした」の意になる。

【補記】主題は「初逢恋」であろう。「正治初度百首」。

【他出】正治初度百首、式子内親王集、定家八代抄、新三十六人撰、東野州聞書

【本歌】川島皇子「万葉集」「新古今集」
白波の浜松が枝の手向くさ幾代までにか年の経ぬらむ

【主な派生歌】
待ちわびて独ながむる夕暮はいかに露けき袖とかはしる(宗尊親王[続拾遺])

 

ただ今の夕べの雲を君も見ておなじ時雨や袖にかくらむ

【通釈】今見えるこの夕べの雲をあなたも眺めていて、同じ時雨が袖に降りかかっているのだろうか。

【補記】「時雨(しぐれ)」に涙を暗示し、逢えなくても心は同じと恋人に思いを馳せる。家集に収められた二つめの百首歌。

待つ恋といへる心を

君待つと閨へも入らぬ槙の戸にいたくな更けそ山の端の月(新古1204)

【通釈】あなたを待つというので、寝間にも入らずに槙の戸のそばで過ごしている――その槙の戸にひどく更けた光を投げないでおくれ。山の端の月よ。

【語釈】◇槙(まき)の戸 杉・檜などの板で作った戸。◇いたくな更けそ あまりひどく更けないでくれ。月が没してしまえば恋人の訪れが絶望的になるゆえに言う。月が時間の進行を司っていると見ての、月への呼びかけである。◇山の端(は)の月 山の稜線近くの月。「いたくなふけそ」と言うからには、沈もうとしている月であろう。

【補記】『式子内親王集』の補遺の部(「雖入勅撰不見家集歌」)に載り、元来式子の家集には無かった作。

【他出】式子内親王集、自讃歌、定家十体(有一節様)、女房三十六人歌合、題林愚抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
君こずは閨へも入らじ濃紫わが元結に霜はおくとも

【主な派生歌】
君待つと幾夜の霜をかさぬらむ閨へも入らぬおなじ袂に(後醍醐天皇[続千載])
みる人とおなじ心にふけぬれどねやへもいらぬ秋のよの月(木下長嘯子)

 

待ち出でてもいかにながめむ忘るなといひしばかりの有明の空〔続後拾遺898〕

【通釈】待ったあげくに月が出たら、どんな思いで眺めるのだろうか。忘れてくれるなとあの人が言ったばかりに月の出を待ち続け、とうとう一夜を明かしてしまった有明の空を。

【語釈】◇忘るなといひしばかりの 素性法師の本歌では恋人が「今来む」と言ったのに対し、掲出歌の恋人は「忘るな」、すなわち「有明の月を見て、いつまでも私のことを忘れないでくれ」と言ったのであろう(有明の月に恋人を偲ぶのは当時の慣わし)。それゆえ有明の月が出るまで待ち続けたと言うのである。

【補記】「正治初度百首」。続後拾遺集は初句「まちいでて」、結句「有明の月」。

【本歌】素性法師「古今集」
今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

百首歌の中に

生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮をとはばとへかし(新古1329)

【通釈】よもや生きておられようか、明日まで――だからあの人も明日までは私に辛くあたるまい。訪ねるなら、今日の夕暮訪ねて来るがよい。

【補記】「明日まで人もつらからじ」とは、今日までで私の命は尽きようから、いくら無情な恋人も明日までは辛い態度を続けられまい、ということ。詞書の「百首歌」は不明で、家集にも見えない歌。第二句「明日まで人」とする本もある。

【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、時代不同歌合、新三十六人撰、三五記

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」(先後関係は不明)
きのふ今日とはばとへかし雲さえて雪ちりそむる峰の松風
ちりぬれば恋しきものを秋萩の今日のさかりをとはばとへかし

 

あはれとも言はざらめやと思ひつつ我のみ知りし世を恋ふるかな

【通釈】愛しいと言ってくれないはずがあろうか、そう思い込みつつ、人には告げず独り恋していた――あの頃を恋しく思うのだ。

【補記】「前小斎院御百首」。

恋歌の中に

君をまだ見ず知らざりしいにしへの恋しきをさへ歎きつるかな(続古今1316)

【通釈】あなたをまだ見知らなかった昔が恋しい――そんな気持さえ歎きの種になってしまうのだ。

【補記】『式子内親王集』(補遺の部)では「君をまづ」。

【参考歌】藤原俊成「久安百首」「新古今集」
思ひわび見し面影はさておきて恋せざりけむ折ぞ恋しき

【主な派生歌】
今はただ見ずしらざりしいにしへに人をも身をも思ひなさばや(今出川前右大臣室[風雅])

 

恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらむ

【通釈】恋し、恋して、その果てには――ままよ、見ておいでなさい。この世に生きていられようと私は言ったおぼえはありません。あなたも聞いて御存知でしょう。

【補記】第二句は「よし見よ」で切れる句割れ。屈折し飛躍し、反復する切迫したリズムが、恋に苦悶する息遣いを伝えるかのようだ。「前小斎院御百首」。

 

つらしともあはれともまづ忘られぬ月日いくたびめぐりきぬらむ

【通釈】辛いとも思い、愛しいとも思い、一向に忘れられない、あの頃の月日――あれから、幾たび月日が巡り来たことだろうか。

【補記】「月日」は過去の恋の日々を指すと同時に、恋が破れた後の月日を指すのだろう。「前小斎院御百首」。

題しらず

恋ひ恋ひてそなたになびく煙あらばいひし契りのはてとながめよ(新後撰1113)

【通釈】あなたを恋し、恋した挙句、そちらの方へ靡く煙があれば、私と言い交わした約束の果てと眺めて下さい。

【補記】「いひし契(ちぎ)り」とは、逢うと言った約束。その約束を破られた仕返しに、「煙」(火葬の煙)があなたのもとへ逢いにゆくというのである。「前小斎院御百首」。

【参考歌】小野小町「小町集」
はかなくて雲となりぬるものならば霞まむ空をあはれとはみよ

題しらず

君ゆゑやはじめもはても限りなきうき世をめぐる身ともなりなむ(新千載1034)

【通釈】あなたのせいで、始まりも終わりも限(きり)の無い六道三界をさまよい続ける身ともなってしまうのだろうか。

【補記】『式子内親王集』では補遺の部(勅撰に入れども家集に見えざる歌)に載せる。

いつきの昔を思ひ出でて

ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ(新古1486)

【通釈】ほととぎすよ、その昔、あの神山での旅枕に、おまえがほのかに何度か鳴いた空――決して忘れないのはあの空だ。

【語釈】◇いつきの昔 斎院時代。式子内親王が賀茂斎院として奉仕したのは、平治元年(1159)から嘉応元年(1169)まで、十一歳から二十一歳までの間。◇そのかみ山 「昔・往時」を意味する「そのかみ」に「神山」を掛けた。神山は既出◇旅枕 「旅」とは、斎院のある紫野を出、神山の神館で過ごした時のことを言う。◇ほのかたらひし ほのかに鳴き続けた。「かたらふ」は「語る」の継続態(「ふ」は動作の反復をあらわす助動詞)で、「語り続ける」「繰り返し語る」の意であるが、「語り合う」意も響く。「いにしへのこと語らひに時鳥いづれの里にながゐしつらむ」(『敦忠集』)のように、時鳥は昔のことを語る鳥とされた。

【補記】『式子内親王集』の補遺の部、「雖入勅撰不見家集歌」(勅撰に入ると雖も家集に見えざる歌)に載せ、元来は家集になかった歌。制作年などは不明。

【他出】式子内親王集、定家十体(幽玄様)、歌枕名寄

【参考歌】額田王「万葉集」巻二
古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が思へるごと
  藤原実方「実方集」
山里にほのかたらひしほととぎす鳴く音ききつと伝へざらめや
  「源氏物語・花散里」
をち返りえぞ忍ばれぬほととぎすほの語らひし宿の垣根に
  皇后宮美作「後拾遺集」
きかばやなそのかみ山のほととぎすありし昔のおなじ声かと

 

さかづきに春の涙をそそきける昔に似たる旅のまとゐに

【通釈】盃に春の涙を落としてしまった。昔を思い出させる、旅中の車座にあって。

【語釈】◇春の涙 「春の盃に涙をそそき」と言うところを、「盃に春の涙を…」と言い換えたことで、思いがけなく情趣豊かな言葉が生まれた。◇旅のまとゐ 旅の途上、一行の者が野に円座を組んで酒宴をしている情景を思い浮かべるべきところ。

【補記】「前小斎院御百首」。羇旅歌として仮構した歌であろうが、懐古の情が主題となっている。

【本説】「白氏文集」巻十七(→資料編
酔悲灑涙春盃裏(酔の悲しみ、涙そそく春の盃のうち)
  「源氏物語・須磨」
御かはらけまゐりて、「酔ひの悲しび涙そそく春の盃のうち」ともろ声に誦じたまふ。御供の人も涙をながす。おのがじしはつかなる別れ惜しむべかめり。

【主な派生歌】
むかしおもふ春の涙も岩そそくたるひの上の袖のさわらび(尭恵)

 

都にて雪まはつかにもえいでし草引きむすぶさやの中山〔続後拾遺559〕

【通釈】都を出た時、雪の間にわずかに萌え出ていた草を、今は引いて結び、旅の枕とする、小夜の中山よ。

【語釈】◇さやの中山 遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、街道の難所の一つ。「さよの中山」とも。

【補記】都を出てから月日が経ち、萌え出たばかりの草も「引きむす」べるほどに育ったのである。「正治初度百首」旅の部。続後拾遺集では第二句「雪まほのかに」。『三百六十番歌合』『秋風集』などにも採録されている。

 

つたへ聞く袖さへぬれぬ浪の上夜ぶかくすみし四つの緒のこゑ

【通釈】伝え聞く私の袖さえ濡れてしまった。波の上、夜更けに深く澄んだ琵琶の音よ。

【語釈】◇つたへ聞く 白氏の長編詩「琵琶行」に語られた、妓女の奏する琵琶の音を伝え聞く。◇四つの緒 四絃であることから、琵琶の異称。

【補記】「前小斎院御百首」。

【本説】「白氏文集」巻十二
四弦一声如裂帛 東船西舫悄無言(四弦の一声、裂帛の如し。東の船も西の舫(ふね)も、悄(ひそ)まりて言無く)

後白河院かくれさせ給ひて後、百首歌に

斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をもふるかな(新古1672)

【通釈】斧の柄が朽ちてしまう間に過ぎ去った昔は遥か遠いとは言え、それにしてもすっかり変わってしまった世に永らえることであるよ。

【語釈】◇斧(をの)の柄(え) 晋の王質の故事――王質が木を伐りつつ仙境に入り、童子が碁を打つのを見ている内に、気がつけば永い時が経ち、手にしていた斧の柄が朽ちてしまい、里に帰ると世は一変して知る人もいなかった――を踏まえる。

【補記】詞書によれば、父帝後白河院崩後の劇的な世の変化に対する感慨を詠んだ歌と解せる。但し「百首歌」は不詳。

【本歌】紀友則「古今集」
ふるさとは見しごともあらず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける

 

日に千たび心は谷に投げ果ててあるにもあらず過ぐる我が身は

【通釈】日に千度、我が身を谷底に投げ捨ててしまう――それほど心は絶望し、生きているとも言えない様子で過ごしているよ。

【補記】「前小斎院御百首」。

【本歌】作者未詳「九品和歌」
世中の憂きたびごとに身をなげば一日に千たび我や死にせむ

 

見しことも見ぬ行く末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中

【通釈】かつて経験したことも、まだ経験しない未来のことも、はかない夢の枕に浮かぶ幻以外のものでない。

【補記】「中」は「うち」と読むのだろう。「前小斎院御百首」。

 

浮雲を風にまかする大空の行方も知らぬ果てぞ悲しき

【通釈】浮雲を風の吹くままにまかせる大空の果ては知れない――そのように行方も知らず私はどこへ行き着くのか。その果てを思えば悲しくてならない。

【補記】「前小斎院御百首」。「大空の」までは「行方も知らぬ」を導く有心の序。

 

はじめなき夢を夢とも知らずしてこの終りにや覚めはてぬべき

【通釈】始めも無く遠い過去から続く夢――それを夢だとも気づかないで、この一生の終りには目覚めることができるのだろうか。

【語釈】◇はじめなき 仏教語「無始」を思わせる。遠い過去から続く輪廻の無限性をあらわす語。

【補記】「前小斎院御百首」。

 

あはれあはれ思へばかなしつひの果てしのぶべき人たれとなき身を

【通釈】ああ、ああ、思えば悲しい。死んだあと、偲んでくれる人が誰と言っていない我が身を。

【補記】家集の二つめの百首歌に見える歌。

【参考歌】和泉式部「後拾遺集」
しのぶべき人もなき身はある折にあはれあはれと言ひやおかまし

百首歌の中に

今はとて影をかくさむ夕べにも我をばおくれ山の端の月(玉葉2506)

【通釈】これが最期の時と、姿を隠す夕暮にも、私を見送っておくれ、山の端の月よ。

【補記】家集の二つめの百首歌の秋の部に見える。玉葉集では述懐歌として雑の部に収録している。因みに千載集には類想の「故郷をひとりわかるる夕にもおくるは月のかげとこそ聞け」が採られている。

【参考歌】和泉式部「拾遺集」
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山のはの月

百首歌たてまつりし時

天の下めぐむ草木のめもはるに限りもしらぬ御代の末々(新古734)

【通釈】天の下隅々まで、春雨の恵みを受けた草木が芽をふくらませ、目も遥か限りなく広がっているように、我が君の御代は末々まで永遠に続くだろう。

【語釈】◇天(あめ)の下 天皇の支配下にある日本国全土を言う。「あめ」には「雨」の意が掛かり、次句「芽ぐむ草木」と縁をもつ。◇めぐむ 「芽ぐむ」「恵む」の掛詞。春雨の恵みに、天皇の慈悲が含意される。◇めもはるに 「芽も張る」「目も遥に」の掛詞。ここまでが「限りもしらぬ」を導く有心の序。◇末々 「末」は草木の先端を意味するので、「草木」の縁語。

【補記】「正治初度百首」祝の部。

【本歌】在原業平「古今集」
紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける

 

幾とせの幾よろづ代か君が代に雪月花の友を待ちみむ

【通釈】何年の長きにわたり、君の治める御代にあって、風雅の友を待ち迎えるのだろう。

【語釈】◇幾よろづ代か 賀歌に特有の誇張表現。◇君が代 天皇の治める代。この歌は「正治初度百首」の祝歌であるから、「君」は百首の詠進を命じた後鳥羽院その人を意識していると見るのが常識。◇雪月花(ゆきつきはな)の友 四季折々の風雅を共にする友。白氏の詩に由る。

【補記】慈円・藤原定家・良経ら新風歌人が次々台頭していた後鳥羽院歌壇を言祝ぐか。「正治初度百首」。結句「ともをまちけん」とする本もある。

【本説】白居易「和漢朗詠集・交友」
琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君 (琴詩酒の友は皆我を抛(なげう)つ 雪月花(せつげつくわ)の時最も君を憶(おも)ふ)

百首歌に

暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふ枕に(新古1810)

【通釈】暁の鶏の声こそ身に沁みてあわれ深い。無明長夜の眠りを嘆かわしく思っている寝覚めの枕で。

【語釈】◇ゆふつけ鳥 鶏のこと。昔、鶏に木綿をつけて祓いをしたことから、鶏を木綿付け鳥と呼んだ。◇長きねぶり 仏教に言う「無明長夜(むみょうぢょうや)」のこと。迷妄と煩悩に満ちた世界を、長い夜の闇に喩えて言う。

【補記】「正治初度百首」。

阿弥陀を

露の身にむすべる罪は重くとももらさじものを花の(うてな)(新後撰672)

【通釈】露のようにはかない我が身に生ずる罪は重くとも、阿弥陀如来は蓮(はちす)の台(うてな)に衆生を漏らさず救い上げて下さるのだ。

【語釈】◇むすべる罪 露の縁から「結べる」と言っている。◇花の台 極楽浄土に往生した人が座る、蓮華の座。

【補記】釈教歌。『式子内親王集』には補遺の部(「雖入勅撰不見家集歌」)に載せ、元来式子の家集には無かった作。

百首歌たてまつりしに、山家の心を

今はわれ松の柱の杉の庵に閉づべきものを苔深き袖(新古1665)

【通釈】出家した今はもう、柱は松の木、屋根は杉の皮葺きの庵に、閉じこめるべきなのに。法衣をまとった我が身を。

【語釈】◇松の柱 松を丸木のまま用いた柱。◇杉の庵(いほ) 杉の皮で屋根を葺いた庵。「松の柱」とともに質素な造りであることを示す。◇苔深き袖 僧衣を示す。

【補記】「正治初度百首」山家の部。「松」に「待つ」、「杉」に「過ぎ」を読めば、人への思いを絶とうとの心が籠り、それも一つの読み方ではあろう。

百首歌の中に、毎日晨朝入諸定の心を

しづかなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞかなしき(新古1969)

【通釈】静かな暁ごとに、入定して世を見渡すと、衆生はまだ深い迷妄の夜の夢の中にあることが悲しい。

【語釈】◇毎日晨朝(じんでふ)入諸定(にふしよじやう) 毎日の卯の刻(早朝)、禅定に入る。『地蔵延命経』に見える句で、地蔵菩薩のことを言ったもの。◇深き夜の夢 深い迷妄の中にある現世の生活。

【補記】衆生が煩悩の中にあることを地蔵菩薩が悲しんでいる歌と読む。作者自身の感慨と読む説も多い。例えば『抄』は「観念思惟すれば、わが煩悩の夢の猶さめやらぬを歎く心成べし」と説く。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成29年4月27日

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