源経信 みなもとのつねのぶ 長和五〜永長二(1016-1097) 号:桂大納言

宇多源氏。民部卿道方の子。は播磨守源国盛の娘で、家集『経信卿母集』(『帥大納言母集』とも)をもつ歌人である。母方の先祖には公忠信明がいる。経長・経親の弟。俊頼の父。
長元三年、十五歳で叙爵。三河権守・刑部少輔・左馬頭・少納言・右大弁などをへて、治暦三年(1067)、参議。民部卿・皇后宮大夫などを兼任し、承保四年(1077)、正二位。寛治五年(1091)、大納言。同八年、大宰権帥を兼ね、翌年七月下向。赴任三年目の永長二年閏正月六日、薨ず。八十二歳。桂に別業を営んだことから、桂大納言と号される。
生前より歌人としての名声は高く、永承四年(1049)の内裏歌合などに参加。後冷泉朝歌壇において指導的立場にあったが、白河朝では冷遇され、後拾遺集の撰進は若い藤原通俊に命が下った。晩年の堀河天皇代には歌壇の重鎮として、嘉保元年(1094)の関白師実歌合などの判者を務めた。歌人の出羽弁は若い頃の年上の恋人。また伊勢大輔相模とも歌のやりとりがある。歌論書『難後拾遺』の作者とされる。他撰の家集『経信集』がある。博学多才で、詩歌管弦、特に琵琶にすぐれ、有職故実にも通じた。『本朝無題詩』『本朝文集』に漢詩文を残し、また日記『帥記』がある。後拾遺集初出、勅撰入集八十六首。

「大納言経信集」日本古典文学大系80・私家集大成2・新編国歌大観3

「かの大納言の歌の風体は、又殊にたけをこのみ、ふるき姿をのみこのめる人とみえ」(俊成『古来風体抄』)
「大納言経信、殊にたけもあり、うるはしくして、しかも心たくみに見ゆ」(『後鳥羽院御口伝』)

  8首  6首  12首  7首  3首  6首 計42首

帰雁を

古里とあはれいづくをさだめてか秋こし(かり)の今日かへるらむ(玉葉107)

【通釈】ああ、どこを自分の故郷と定めて、秋にやって来た雁は春の今日北へ帰って行くのだろう。

【補記】『経信集』では詞書「伏見にて帰雁を」。

水上落花をよめる

みなかみに花や散るらむ山川の堰杙(ゐくひ)にいとどかかる白波(金葉62)

【通釈】川上で花が散っているのだろうか。谷川の井堰の杭に、ますます盛んな勢いでかかる白波よ。

【語釈】◇堰杙 井堰に打ち並べた杭。◇白波 散り流れる桜の花びらを白波に見立てた。

【主な派生歌】
吉野山花やちるらむあまの川雲のつつみをくづす白波(藤原俊成)
みなかみに花やちるらむ吉野山にほひをそふる滝の白糸(藤原定家)
春たけて紀の川しろくながるめり吉野のおくに花や散るらむ(*北条泰時)

殿上花見

春風の山の高嶺を吹き越せば梢も見えぬ花ぞ散りける(玉葉258)

【通釈】春風が山の高い頂きを吹き越すので、梢がどこにあるとも知れない花が散っているのだった。

【主な派生歌】
ふきのぼる木曾の御坂の谷風に梢もしらぬ花をみるかな(鴨長明[続古今])

山花未落といふ事を

うらみじな山のはかげの桜花おそく咲けどもおそく散りけり(風雅259)

【通釈】恨みはすまいよ。山の端の葉陰の桜花――遅れて咲いたけれども、散るのも遅いのであった。

【語釈】◇山のはかげ 「山の端」「葉陰」の掛詞であろう。山桜は普通葉が出るのと同時に花が咲く。

【補記】『夫木和歌抄』は詞書「伏見にて山花未落」とある。

見山花といへる心を

山ふかみ杉のむらだち見えぬまで尾上の風に花の散るかな(新古122)

【通釈】山が深いので、群生する杉木立も見えないほど、尾上を吹く風によって花が散り乱れている。

【語釈】◇尾上(をのへ) 山の峰つづき。尾根。

題しらず

ふるさとの花の盛りは過ぎぬれど面影さらぬ春の空かな(新古148)

【通釈】古里の花の盛りは過ぎてしまったけれど、その幻影が消え去ることのない春の空であるなあ。

【語釈】◇ふるさと 昔馴染みの懐かしい里、あるいは古い由緒のある里。

【補記】『経信集』では題「未忘春意(未ダ春ノ意ヲ忘レズ)」とある。『経信集』では第四句を「おもがはりせぬ」とする本もある。

【他出】経信集、和歌一字抄、定家八代抄、続歌仙落書

【主な派生歌】
草枕おもかげさらぬ古郷の夢路になどか遠ざかるらむ(頓阿)

後冷泉院の御時、御前にて翫新成桜花といへる心ををのこどもつかうまつりけるに

さもあらばあれ暮れゆく春も雲の上に散ること知らぬ花し匂はば(新古1463)

【通釈】どうとでもなれ、暮れてゆく春も――。「雲の上」すなわち内裏で、散ることを知らぬ桜の花が色美しく咲いているのなら。

【語釈】◇後冷泉院 第七十代天皇。在位は寛徳二年(1045)から治暦四年(1068)。◇翫新成桜花 新成ノ桜花ヲ翫(モテアソ)ブ。天喜四年(1056)閏三月二十七日の中殿(清涼殿)の御会に飾られた桜の新しい造花を賞翫しての作。

【補記】『経信集』では詞書「内裏にてつくりばなをよまれしに」。新古今集巻十六雑歌上に所収。

【他出】経信集、定家八代抄、八雲御抄、和歌口伝、歌林良材

春の田をよめる

あら小田に細谷川をまかすればひく注連縄(しめなは)にもりつつぞゆく(金葉73)

【通釈】新しい田に谷川の細流の水を引けば、引き巡らした注連縄を越えて水が溢れてゆくのだ。

【語釈】◇あら小田(をだ) 新小田。新しく開いた田。荒小田(荒れた田)とする説もある。◇細谷川 大和および備中の歌枕があるが、ここでは谷の細流を意味する一般名詞。◇まかす 水を引く。◇もりつつ 注連縄を越えて水が漏れる。田を「守(も)る」意をかける。

卯花

しづの()が葦火たく屋も卯の花の咲きしかかればやつれざりけり(金葉103)

【通釈】賤しい女が葦火を焚く小屋も、卯の花が咲き掛かっているので、みすぼらしくはないのだった。

【語釈】◇葦火(あしび) 葦を薪代りに燃やす火。◇やつれざりけり (卯の花が咲き懸かっているお蔭で)卑しい様子にはならなかった。

【補記】従来なら野卑と見過ごされたような状景を敢えて歌にしている。そこに当時としては新味があった。

応徳元年四月、三条内裏にて庭樹結葉といへる事をよませ給けるに

玉がしは庭も葉広になりにけりこや木綿(ゆふ)しでて神まつる頃(金葉97)

【通釈】柏の木が庭にも葉を広げるようになった。これはまあ、榊に木綿(ゆう)を垂らして神を祭る頃というわけか。

【語釈】◇玉がしは 柏の木の美称。◇葉広(はびろ) 葉が広く育った状態。繁栄を讃める心が籠る。◇木綿(ゆふ) 楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を裂いて糸状にした物。◇しでて 榊などに垂らす。

【他出】経信集、和歌一字抄、定家八代抄、六華集、題林愚抄

五月五日、薬玉つかはし侍りける人に

あかなくに散りにし花の色々は残りにけりな君が袂に(新古222)

【通釈】見飽きないままに散ってしまったさまざまな色の花は、あなたの袂のうちに残っていたのですね。

【語釈】◇薬玉(くすだま) 種々の香料を入れた錦の袋に菖蒲や蓬を添えた造花を結びつけ、五色の糸を垂らしたもの。端午の節句に邪気を払う具とされた。

【補記】五月の節句、薬玉を贈ってくれた人に届けた歌。薬玉は袖から肩に廻して結ぶので、袂に花が残っていると言ったのだろう。

永承四年殿上根合に、菖蒲をよめる

よろづ代にかはらぬものは五月雨のしづくにかをる菖蒲なりけり(金葉128)

【通釈】万代にわたって不変のものは、五月雨の雫に濡れて香る、軒の菖蒲草なのだなあ。

【語釈】◇永承四年殿上根合(てんじやうねあはせ) 四年は六年の誤り。永承六年(1051)五月五日、後冷泉天皇主催の菖蒲根合。根合とは、左右に分かれて菖蒲の根の長短などを競い合った遊戯。◇菖蒲(あやめ) サトイモ科のショウブ。花の美しいアヤメ科のアヤメ・ハナショウブとは全く別種。端午の節句に邪気を祓う草として軒端に葺くなどした。◇五月雨(さみだれ) 今の梅雨にあたる。

【補記】人の世は移ろうとも、毎年のゆかしい行事に飾られる菖蒲の瑞々しい美しさは変わらない、と褒め讃えた。

山畦早苗といへる心を

早苗とる山田のかけひもりにけり引くしめなはに露ぞこぼるる(新古225)

【通釈】早苗を取る山田に引いた樋(とい)――その水が漏れてしまったな。引き渡した注連縄に露がこぼれている。

【語釈】◇早苗(さなへ)とる 若苗を田へ移し替えるために苗代から採る。◇かけひ 懸樋。水を通す樋(とい)

【他出】経信集、定家十体(見様)、定家八代抄、和漢兼作集、題林愚抄

題しらず

三島江の入江のまこも雨ふればいとどしをれて苅る人もなし(新古228)

【通釈】三島江の入江の真菰(まこも)は、雨が降るので、ますます萎れて、刈る人もいない。

【語釈】◇三島江 かつて河内平野を満たしていた湖のなごり。現在の大阪府高槻市の淀川沿岸にあたる。◇まこも 浅い水中に群生するイネ科の多年草。食用。

【補記】『定家十体』には「ひとふしある様」の例歌とされている。

【他出】経信集、定家十体(有一節様)、定家八代抄、歌枕名寄

筑紫に侍りける時、秋野を見てよみ侍りける

花見にと人やりならぬ野辺に来て心のかぎりつくしつるかな(新古342)

【通釈】花を見ようと、人に行かされたのでなく自分の意志で野辺までやって来て、心の限界まで尽くして花を愛で憔悴してしまった。

【語釈】◇つくしつるかな 「尽くし」に「筑紫」を掛ける。

【補記】景を言わずただ心を詠むことで、野一面を埋め尽くす秋の花々のイメージが髣髴する。少年時、大宰権帥であった父と共に筑紫に滞在していた頃の作か。

桂にて稲花風を

ひたはへてもる注連縄(しめなは)のたわむまで秋風ぞ吹く小山田の庵(続古今455)

【通釈】引板(ひた)を張り巡らして稲を守る注連縄(しめなわ)――それも撓むまで秋風が吹きつけている、山の田の庵よ。

【語釈】ひた 引板。鳴子(なるこ)の一種。縄を引くと板が鳴り響くように工夫したもの。田畑を荒らす鳥獣よけ。

【補記】『経信集』は結句「をやまだのいね」。但し流布本は続古今集に同じ。

師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家秋風といへる事をよめる

夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く(金葉173)

【通釈】夕方になると、吹きつのる秋風は、門田の稲葉を音立てて訪れ、葦で作った仮小屋の中まで吹き入って来る。

【語釈】◇師賢(もろかた)朝臣 源師賢(1035-1081)。経信と同じ宇多源氏。後拾遺集初出歌人。◇梅津 京都市右京区。桂川の北。風光明媚で、貴族の別荘地であった。◇夕されば 夕方がやって来ると。「さる」は時が移り来る意。◇門田(かどた) 門前に広がる田。◇おとづれて 「音をたてる」「訪れる」両方の意味がある。◇芦のまろ屋 田のほとりに建てた、葦葺きの仮小屋。「まろ屋」とは、形が丸みを帯びている小屋とも、葦を「まる」のまま用いた小屋とも言う。

【補記】源師賢の梅津の山荘に親しい仲間が集い、歌会を開いた時、「田家秋風」という題で詠んだ歌。

【参考】耿湋「秋日」(→資料編
返照入閭巷 憂來誰共語 古道少人行 秋風動禾黍
(返照閭巷に入る 憂へ來たりて誰と共にか語らむ 古道人の行くこと少に 秋風禾黍を動かす)

【他出】経信集、古来風躰抄、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、定家十体(麗様)、時代不同歌合、百人一首、和漢兼作集、六華集

【主な派生歌】
門田吹く稲葉の風や寒からむ葦のまろ屋に衣うつなり(藤原家隆[新後撰])
幾世とも宿はこたへず門田吹く稲葉の風の秋のおとづれ(藤原定家)
山里の門田ふきこす夕風に仮庵のうへもにほふ秋萩(藤原定家)
野中なる葦のまろ屋に秋すぎてかたぶく軒に雪おもるなり(藤原良経)
稲葉吹く葦のまろ屋の秋風に寝ぬ夜をさむみすめる月かげ(藤原行家)
夜半の風麦の穂だちにおとづれて蛍とぶべく野はなりにけり(香川景樹)
夕されば雲雀の声のさざなみを麦生によせて春風ぞ吹く(*加納諸平)

経長卿の桂の山里にて人々歌よみけるによめる

今宵わが桂の里の月を見て思ひのこせることのなきかな(金葉191)

【通釈】今宵、私は桂の里の月を眺めて、心に思い残すことは何もないよ。

【語釈】◇経長(つねなが) 経信の兄。桂の山荘は歌人たちの集いの場となっていた。◇桂 京都市西京区。桂川の西。月には桂の樹が生えているとの大陸渡来の伝承から、桂は月の縁語となる。

【補記】『経信集』では詞書「伏見にて望月」。

伏見にて望月

さすらふる身はなにぞとよ秋深み生駒の山の月しみつれば(経信集)

【通釈】流浪する我が身は何だというのだ。秋も深まった頃、生駒の山に昇った満月を見たのだから。

【語釈】◇生駒(いこま)の山 大阪府と奈良県の境をなす山。◇みつれば 見つれば・満つれば。

永承四年内裏哥合に

月影のすみわたるかな天の原雲吹きはらふ夜はの嵐に(新古411)

【通釈】月の光が澄み渡っていることよ。大空の雲を吹き払う夜の嵐によって。

【補記】永承四年(1049)十一月九日、後冷泉天皇が主催した内裏歌合、第三番左負。判者は源師房。経信は左方の講師(歌を朗吟して披露する役)を勤めた。

【主な派生歌】
なごりなく夜半の嵐に雲晴れて心のままにすめる月かな(源行宗[金葉])
天の原雲吹きはらふ秋風に山の端高く出づる月影(後鳥羽院[続拾遺])
おのづから月の光となりにけり雲ふきはらふ夜はの秋風(村田春海)

題しらず

秋ふかみ山かたぞひに家ゐして鹿の音さやに聞けばかなしも(続詞花集)

【通釈】秋も深まった季節、山の片側に家住まいして、鹿の声をきわやかに聞くと切ないことよ。

【補記】結句「聞けばかなしも」など万葉調と言え、経信が万葉集に親しんでいたことが窺える一首。なお『続詞花集』は永万元年(1165)頃、藤原清輔が編んだ私撰集。『経信集』では題「山家聞鹿」、第四句「鳴けば悲しも」とある。

【参考歌】作者不明「万葉集」巻十
梓弓春山近く家居して継ぎて聞くらむ鶯の声(西本願寺本の訓)

擣衣をよみ侍りける

ふるさとに衣うつとは行く雁や旅の空にも鳴きてつぐらむ(新古481)

【通釈】故郷で私が衣を打っているとは、飛び行く雁よ、旅の空にある夫にも鳴いて告げてくれるだろうか。

【補記】旅する夫の帰りを待つ妻の立場で詠む。「擣衣(たうい)」とは、布に艷を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。晩秋の風物。

宇治前太政大臣、大井川にまかりたりける、供にまかりて、水辺紅葉といへることをよめる

大井川いは波たかし筏士(いかだし)よ岸の紅葉にあからめなせそ(金葉245)

【通釈】大井川は岩に寄せかかる波が高い。筏士よ、岸の紅葉にわき目をふるな。

【語釈】◇宇治前太政大臣 藤原師実◇大井川 大堰川とも。桂川の上流、京都嵐山のあたりの流れを言う。◇あからめ わき目。よそ見。

深山紅葉といへる事をよめる

山守よ斧の音たかくひびくなり峰の紅葉はよきてきらせよ(金葉249)

【通釈】山の番人よ、斧の音が高く響いて聞こえる。峰の紅葉した樹は避けて切るようにさせよ。

【補記】「よきて」は「避けて」。「よき」は斧の別称でもあり、掛詞になっている。

後冷泉院御時、うへのをのこども、大井川にまかりて、紅葉浮水といへる心をよみ侍りける

ちりかかる紅葉ながれぬ大井川いづれ井せきの水のしがらみ(新古555)

【通釈】散り落ちる紅葉が一向に流れない大井川――どこに水を堰き止める柵(しがらみ)があるのだろうか。

【本歌】春道列樹「古今集」
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり

承暦三年おなじ逍遥に、水上落葉を

嵐吹く山のあなたのもみぢ葉を戸無瀬の滝におとしてぞ見る(続古今565)

【通釈】嵐が吹く山の彼方の紅葉を、戸無瀬の滝に落として眺めるのだ。

【語釈】◇おなじ逍遥 続古今集の一つ前の歌の詞書を承け、大井川を指す。◇戸無瀬(となせ)の滝 京都嵐山のあたりの急流。

【補記】奥山の紅葉が、嵐に散らされ、滝を流れ落ちるゆえに目に見ることができる。『経信集』では流布本にのみ見える歌。

落葉をよめる

三室山もみぢ散るらし旅人の菅のを笠に錦織りかく(金葉263)

【通釈】三室山では紅葉が散っているらしい。旅人の菅笠(すげがさ)に錦を織って掛けているよ。

【語釈】◇三室山(みむろやま) 奈良県生駒郡斑鳩町の神奈備山。紅葉の名所。

【参考歌】藤原公任「拾遺集」
朝まだき嵐の山のさむければ紅葉の錦きぬ人ぞなき

【主な派生歌】
木の葉ちる下やすぎつる旅人の菅のを笠に錦かけたり(藤原教長)
志賀のやま花の下ゆく旅人のすげのを笠につもる白雪(後鳥羽院)

承保三年十月、大井川の逍遙につかうまつりて詠みてたてまつりける

古のあとをたづねて大井川もみぢのみ船ふなよそひせり(新千載623)

【通釈】昔の跡を求めてやって来た大井川――紅葉が水面に浮かんで船出の用意をしています。

【語釈】◇古(いにしへ)のあと 延喜七年(907)九月の宇多法皇の大井川行幸。◇もみぢのみ船 水面に浮かんだ紅葉を船になぞらえる。天皇の乗るべき船に見立てて「み船」と呼ぶ。◇ふなよそひ 万葉集にみえる語。船出の用意。

【補記】承保三年(1076)、白河天皇の大井川行幸に供奉しての作。この時経信に対し、詩歌管弦の三舟のいずれに乗るかと天皇の仰せがあり、管弦の舟に乗って詩歌を献じたと伝わる(『袋草紙』『古今著聞集』など)。

月網代をてらすといふことをよめる

月きよみ瀬々の網代による氷魚(ひを)は玉藻にさゆる氷なりけり(金葉268)

【通釈】月の光が清らかに澄んでいるので、網代に寄って来る氷魚は、美しい藻に冴え冴えと光っている氷であったよ。

【語釈】◇網代(あじろ) 氷魚(鮎の稚魚)を獲るための仕掛け。冬季のみ用いられる。

題しらず

初雪になりにけるかな神な月朝くもりかと眺めつるまに(経信集)

【通釈】初雪になったなあ。神無月の今日、朝曇りかと眺めているうちに。

山家の雪の朝といへる心をよみ侍りける

朝戸あけて見るぞさびしき片岡の楢のひろ葉にふれる白雪(千載445)

【通釈】朝起き抜けの戸を開けて見るそれが何とも寂しい気持にさせる――片岡の楢の広葉に降り積もっている白雪よ。

【語釈】◇朝戸(あさと) 朝起きて開ける戸。記紀万葉から見える語。◇片岡 「半端な丘陵」ほどの意。ただ「岡」と言えば、普通なだらかに続く丘陵地を意味するが、野中にぽつんとあるような小さな岡や、山へとそのままつながっている傾斜地などを「片岡」と言った。

【補記】『経信集』などは第四句「ならのかれはに」とする。

【他出】経信集、和歌一字抄、続詞花集、題林愚抄

初雪をよめる

初雪は槙の葉しろく降りにけりこや小野山の冬のさびしさ(金葉280)

【通釈】初雪は槙の葉を真っ白にして降り積もった。これが世に言う小野山の冬の寂しさなのか。

【語釈】◇槙(まき) 杉・檜など、幹が直立する針葉樹の類。◇小野山 山城国愛宕郡小野郷の山。比叡山の西の丘陵。炭焼の名所であり、また惟喬親王隠棲の地としても名高い。在原業平の名歌「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは」(古今・伊勢物語)は冬に小野の親王邸を訪ねた時の作である。

雲はらふ比良の嵐に月さえて氷かさぬる真野のうら波(経信集)

【通釈】雲を吹き払う比良山おろしの風に月は皓々と冴えて、氷を重ねるように打ち寄せる真野の浦波よ。

【語釈】◇比良 滋賀県滋賀郡志賀町北比良・南比良のあたり。琵琶湖の西岸。山々が連なり、主峰は標高1214メートルの武奈ヶ岳(ぶながたけ)◇氷かさぬる 冷え冷えとした月光を映す波が繰り返し寄せることをこう言いなした。◇真野(まの) 大津市真野町。真野川が琵琶湖に注ぐあたり。

【補記】流布本にのみ見える歌。続古今集に「題しらず」、第二句「比良山風に」として撰入。

題しらず

葦垣にひまなくかかる蜘蛛の()の物むつかしくしげる我が恋(金葉446)

【通釈】葦の垣根に隙間なくかかる蜘蛛の巣のように、鬱陶しく募る我が恋よ。

【補記】ことさら野鄙な表現を用いることに興じている気味もあるが、胸中に蔓延ってゆく恋心の厄介さを言い得て妙であろう。

雪のあしたに、出羽弁がもとより帰り侍りけるに、おくりて侍る   出羽弁

おくりては帰れと思ひし魂のゆきさすらひて今朝はなきかな

【通釈】あなたを送り終えたら帰っておいでと――そう思っていた私の魂ですが、まだ雪の中をさ迷っていて、戻りません。今朝の私は死んでしまったように過ごしています。

返し

冬の夜の雪げの空に出でしかど影よりほかにおくりやはせし(金葉474)

【通釈】冬の夜の雪模様の空に出て、見送ってくれたことは知っていましたが、あなたの姿ばかりでなく魂までが送ってくれたのでしょうか。知りませんでしたよ。

寄物見恋

忘れずやかざしの花の夕ばえも赤紐かけし小忌(をみ)の姿は(経信集)

【通釈】忘れないよ。髪に挿した花が夕影に美しく映えていたのも。赤紐を肩からかけて垂らした、小忌衣(おみごろも)の姿は。

【語釈】◇忘れずや このヤは自己に対する命令ないしは問いかけと見、「忘れるなよ、ああ忘れないよ」の意に解したが、やや疑問が残る。「忘れめや」(忘れるものか)、「忘れずよ」(忘れないよ)などとありたいところ。◇夕ばえ あたりが薄闇に包まれる頃、ものの色や形が陰翳を深く帯び、明るい時よりも却ってくっきりと美しく見えることを言う。◇小忌衣 神事に奉仕する官人が着用する服。装束の上から着る単(ひとえ)で、白麻に青摺で模様を付けた。赤紐を右肩から網代に結ぶ。女官も着用した。

【補記】経信集の流布本にのみ見える歌。

承暦二年内裏歌合によみ侍りける

君が代はつきじとぞ思ふ神風や御裳濯川(みもすそがは)のすまむかぎりは(後拾遺450)

【通釈】我が君の御代はいつまでも続くことと思います。伊勢神宮の御裳濯川の流れが澄んでいる限りは。

【語釈】◇御裳濯川 五十鈴川に同じ。歌枕紀行参照。

【補記】詞書の「承暦二年内裏歌合」とは、白河天皇が承暦二年(1078)四月二十八日に清涼殿で催した晴儀歌合。掲出歌は十四番左勝。題は「祝」。作者名は道時とあり、息子のために経信が代作した歌である。

【他出】承暦二年内裏歌合、経信集、古来風体抄、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、定家十体(麗様)、時代不同歌合

【主な派生歌】
さらでだにつきじとぞ思ふ君が代を御裳すそ川になほ祈るかな(宗尊親王)
君が代はあまつ日影のくもりなく照らむかぎりはつきじとぞ思ふ(後崇光院)

延久五年三月に住吉にまゐりて、帰さによめる

沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづ枝をあらふ白波(後拾遺1063)

【通釈】沖では風が吹いたらしいな。住吉の岸辺の松の下枝を洗う白波よ。

【補記】『袋草紙』によれば経信の自讃歌。なお後拾遺集の詞書は後三条院御製にかかるため敬語が用いられているが、不相応なので改変した。

【他出】経信集、栄花物語、古来風躰抄、近代秀歌、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合

【参考歌】凡河内躬恒「古今集」
住の江の松を秋風ふくからに声うちそふる沖つ白波

【主な派生歌】
なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふ沖つ白波(徳大寺実定)
春の色はけふこそ三津のうらわかみ葦のうら葉をあらふ白波(藤原定家)
谷河のいはねかたしく青柳のうちたれ髪をあらふ白波(藤原良経[新千載])
かもめなく入江に潮の満つなへに蘆のうら葉をあらふ白波(後鳥羽院)
立ちよればすずしくなりぬ松かげのきよき渚をあらふ白浪(蓮愉)
わたの原とほき磯辺の岩こえてこゆるは雲をあらふ白浪(正徹)

(あづま)に侍りける人につかはしける

東路(あづまぢ)の旅の空をぞ思ひやるそなたに出づる月をながめて(後拾遺725)

【通釈】東国の旅の空を遥かに思い遣ります。そちらの方に昇った月を眺めて。

【補記】康資王母へ贈った歌。返しは「思ひやれ知らぬ雲路もいるかたの月よりほかの眺めやはする」。後拾遺集では恋の巻に入れているが、本来恋歌として詠まれたものとは思われない。

題しらず

み山路に今朝や出でつる旅人の笠しろたへに雪つもりつつ(新古928)

【通釈】深山の道に今朝出たばかりなのだろうか。旅人のかぶる笠が真白になって雪が降り積もっている。

【補記】旅歌。結句「雪つもりつる」「雪はふりつつ」とする本もある。

家にて、月照水といへる心を、人々よみ侍りけるに

すむ人もあるかなきかの宿ならし蘆間の月のもるにまかせて(新古1530)

【通釈】住む人もいるのかいないのか分からない家と見える。蘆の繁る隙間から月の光が池に漏れ射すままに放置して。

【補記】家には「住む」人も「守(も)る」人もなく、ただ月だけが「澄み」「漏る」ばかり。下句は荒れた庭の池に月が射している状景。

【他出】経信集、和歌一字抄、定家十体(長高様)、詠歌一体、三五記、題林愚抄

むかし道方卿に具して筑紫にまかりて、安楽寺にまゐりて見侍りける梅の花の、我が任にまゐりて見れば、木の姿は同じさまにて花の老木になりて所々咲きたるをみてよめる

神垣に昔わが見し梅の花ともに老木(おいぎ)になりにけるかな(金葉516)

【通釈】神社の垣で昔私が見た梅の花は、私が老いるのと共に、老木になったのだなあ。

【補記】長元二年(1029)春、父通方(みちかた)は大宰権帥として筑紫に赴任し、十四歳であった経信も同行した。それから六十六年後の嘉保二年(1095)七月、経信は父と同じく大宰権帥に任命され、再び筑紫の地を踏む。翌年春、かつて安楽寺(大宰府天満宮の神宮寺)で見た梅の花が老木となって咲いているのを見て感慨を催し、詠んだ歌である。経信はこの時八十一歳。亡くなるのは翌年春のことである。

【主な派生歌】
もろともに老木の梅の陰にきてまたこの春も花をみるかな(玄誉)


公開日:平成12年04月22日
最終更新日:平成21年01月05日