遊義門院 ゆうぎもんいん 文永七〜徳治二(1270-1307) 諱:姈子

後深草天皇の皇女。母は西園寺実氏女、東二条院公子。後宇多天皇の皇后。後二条天皇の准母。伏見天皇の異母妹。
文永八年(1271)、内親王宣下。弘安八年(1285)、後宇多天皇の第一皇子邦治親王(のちの後二条天皇)の准母として皇后の尊称を受ける。正応四年(1291)八月、院号宣下。永仁二年(1294)、初めて後宇多院の仙洞に入る。徳治二年(1307)七月二十四日、崩御。三十八歳。墓所は嵯峨今林陵。
大覚寺統の皇后でありながら持明院統とも親交を保ち、伏見院・永福門院との贈答歌がある。新後撰集初出。勅撰入集は二十七首。うち玉葉集では十一首入集と評価が高い。後深草院二条の『とはずがたり』では重要な登場人物の一人。

  1首  8首  6首 計15首

秋夕を

花すすき穂ずゑにうつる夕日影うすきぞ秋のふかき色なる(玉葉816)

【通釈】薄の穂末に反映する夕日は淡い――その薄い色こそが、秋も深まったしるしなのだ。

【補記】晩秋の衰えてゆく太陽光の「うす」さに、季節の情趣の「ふか」さを見ている。光のうつろいへの繊細な感受性を見せ、玉葉集に採られたのも尤もと思われる。

恋御歌の中に

夕暮はかならず人を恋ひなれて日もかたぶけばすでに悲しき(玉葉1342)

【通釈】夕暮になると、決まって人を恋しく待つのが癖になってしまって、日が傾いただけでもう心が切なくなる。

【補記】副詞「すでに」は万葉集に見えるが、勅撰和歌集ではこの歌が初例。この作者の言選りのセンスは特異である。

恋御歌の中に

ながむらん人の心もしらなくに月をあはれと思ふ夜はかな(玉葉1364)

【通釈】あの人もこの月を眺めているだろう、そして何を思っているだろうか――その気持も分かりはしないのに、月をいとしいと思う夜だなあ。

【参考歌】紀貫之「拾遺集」
来ぬ人を下に待ちつつ久方の月をあはれと言はぬ夜ぞなき

夕恋

泣きなげきさも人恋ひてながめしと思ひ出でよよ夕暮の空(玉葉1462)

【通釈】泣き、歎き、あんなにも人を恋しがって空を眺めていたと、おまえだけでも思い出してくれよ、夕暮の空よ。

【補記】「思ひ出(い)でよよ」は、「思ひ出づ」の命令形「思ひ出でよ」に終助詞「よ」を付けたもの。かかる語法は他例を知らない。

恋歌の中に

いかにせむつらき限りをみてもまたなほ慕はるる心よわさを(新後撰1106)

【通釈】どうすればよいのか。あの人のこの上なく無情な態度を見ても、それでもなお慕わずにいられない、この心弱さを。

恋御歌の中に(二首)

思はじと思ふばかりはかなはねば心のそこよ思はれずなれ(玉葉1585)

【通釈】恋人のことを思うまいと思うばかりでは叶わないから、私の心の底よ、自然と思わずにすむようになってくれ。

【補記】意思の力ではどうしようもない恋心。仏教の唯識説の影響下、心理作用を分析的に表現した京極派ならではの恋歌であろう。

【参考歌】本院侍従「万代集」「玉葉集」
世の中を思ふもくるし思はじと思ふも身には思ひなりけり

 

なにごとのかはるとなしに変はり行く人の心のあはれ世の中(玉葉1586)

【通釈】これと言って何かが変わるともなしに、いつの間にか変わってゆく人の心の、ああ果敢ないことよ、世の中は。

【参考歌】蝉丸「新古今集」
秋風になびく浅茅の末ごとにおく白露のあはれ世の中

別恋を

ゆくすゑのふかき(ちぎり)もよしやただかかる別れの今なくもがな(続千載1349)

【通釈】将来にわたる前世からの深い因縁など、どうでもよい。ただ、このように悲しい別れが、今なければよいのに。

【補記】恋人と結ばれるかどうかは、前世からの契り(因縁)に懸かっている。そう見るのが当時の常識であった。この恋は、後世(ごせ)において成就するだろう。しかし今生の別れの悲しさにとって、そんなことは慰めにもならぬ。

恋御歌の中に

逢ふたびにこれや限りとおぼえしをげにありはてぬ中となりぬる(玉葉1816)

【通釈】逢瀬のたびにこれが最後かと感じたけれど、本当に添い遂げられない仲で終わってしまった。

【補記】副詞「げに」(語源は「現に」の転かという)は和歌では滅多に使われない語。因みに勅撰集での初例は後拾遺集の曾禰好忠詠「なけやなけ蓬が杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞ悲しき」。

旅の心を

したひ来てまだふみなれぬ山路にも都にて見し月ぞともなふ(続千載824)

【通釈】憧れて出て来たもののまだ足が慣れずに難渋する山道だが――ここにも都で見た月がついて来てくれるのだ。

秋さへ深くなりゆくままに、よとともの御涙、ひるまなくおぼしまどふ。遊義門院、

物をのみ思ひねざめにつくづくと見るもかなしき燈火の色(増鏡)

【通釈】あれこれと思いに耽るうち寝入ってしまい、夜中にふと目が覚め――灯し火をただじっと見つめていれば、その色さえ悲しくなる。

【補記】『増鏡』第十一「さしぐし」より。嘉元二年(1304)春に母の東二条院を亡くしたのに続いて、同年七月には父後深草院の崩御に遭う。御中陰(四十九日)の間、遊義門院は兄の伏見院ほかと共に伏見殿で過ごした。その頃の作。詞書の「よとともの御涙」は、古今集の「よとともに流れてぞ行く涙河冬もこほらぬみなわなりけり」(紀貫之)を踏まえた表現。

後深草院かくれ給ひての又の年の春、伏見院へ梅の花を折りて奉らせ給ふとて

ふるさとの軒ばに匂ふ花だにも物憂き色にさきすさびつつ(風雅1966)

【通釈】古なじみの里の軒端に匂う花でさえ、どこか辛そうな様子に荒んで咲いています。

【補記】父帝が亡くなった翌年(嘉元三年)、兄の伏見院に梅の花と共に贈った歌。院の御返しは「花はなほ春をもわくや時しらぬ身のみ物憂き頃のながめを」。

雑御歌の中に

うれしのやうき世の中のなぐさめや春のさくらに秋の月かげ(玉葉2442)

【通釈】嬉しいことだわ、辛い世の中の、嬉しい慰めだわ。春には桜が咲き、秋には明月が照ることは。

【補記】上句は「うれしのなぐさめや」の中間に「うき世の中の」を割り込ませた、破格の文体。歌意に沿って語句を並び換えると「憂き世の中の嬉しの慰めや」となる。

夢をよませ給うける

ありてすぎ見えてさめぬる後はただうつつも夢もかはらざりけり(玉葉2458)

【通釈】あったことが過去になり、夢を見て目がさめる――後になってみればもう、現実も夢も違いはないのだなあ。

【補記】現実も夢も、過ぎ去った後から見れば、いずれも自分が経験したことには違いなく、記憶のうちにのみ存在することにも違いはない。自分の心ひとつにとっての現実と夢の等価性。これも唯識説を思わせる。

【参考歌】伏見院「玉葉集」
夢はただぬる夜のうちのうつつにてさめぬる後の名にこそありけれ

雑御歌の中に

惜しむとも永かるまじき命もて世をとにかくに歎くはかなさ(玉葉2579)

【通釈】惜しんだところで永くはあり得ない命でありながら、世の中をあれこれと歎くことの果敢なさよ。


公開日:平成14年11月09日
最終更新日:平成19年10月18日