殷富門院大輔 いんぷもんいんのたいふ 生没年未詳(1130頃-1200頃)

藤原北家出身。三条右大臣定方の末裔。散位従五位下藤原信成の娘。母は菅原在良の娘。小侍従は母方の従姉にあたる。尊卑分脈には「道尊僧正母」とある。
若くして後白河天皇の第一皇女、亮子内親王(のちの殷富門院。安徳天皇・後鳥羽天皇の准母)に仕える。建久三年(1192)、殷富門院の落飾に従い出家したらしい。
永暦元年(1160)の太皇太后宮大進清輔歌合を始め、住吉社歌合、広田社歌合、別雷社歌合、民部卿家歌合など多くの歌合に参加。また俊恵の歌林苑の会衆として、同所の歌合にも出詠している。自らもしばしば歌会を催し、文治三年(1187)には藤原定家家隆隆信寂蓮らに百首歌を求めるなどした。源頼政西行などとも親交があった。非常な多作家で、「千首大輔」の異名があったという。また柿本人麿の墓を尋ね仏事を行なった(玉葉集)。
家集『殷富門院大輔集』がある。千載集に五首入集したのを始め、代々の勅撰集に六十三首を採られている。女房三十六歌仙小倉百人一首にも「見せばやな…」の歌が採られている。

鴨長明『無名抄』には小侍従と共に「近く女歌よみの上手」とされ、同時代の名声の程が知られる。親交があった藤原定家の評価はことに高く、定家単独撰の新勅撰集には十五首の多きを採られている。女流では相模に次ぎ第二位の入集数である。「古風をねがひて又さびたるさまなり」(『歌仙落書』)。「古風」「さびたる」は歌の全体的な印象を言っているが、技法的には本歌取りや初句切れを多用し、俊成に学んだ当時先進的な詠みぶりであった。

  3首  1首  1首  12首  3首 計20首

春歌の中に

春たつと聞くにも物ぞあはれなる花待つほどもしらぬ命は(玉葉1831)

【通釈】春になったと聞くにつけても物悲しいよ。花が咲くのを待つ間さえ、生きられるかどうかわからない私の命だから。

【参考歌】上東門院中将「後拾遺集」
思ひやれ霞こめたる山里の花待つほどの春のつれづれ

百首歌よみ侍りける時、春の歌とてよめる

春風のかすみ吹きとくたえまより乱れてなびく青柳の糸(新古73)

【通釈】春風が吹き、立ちこめた霞をほぐしてゆく。その絶え間から、風に乱れて靡く青柳の枝が見える。

【補記】「とく」「たえ」「より(縒り)」は糸の縁語。

【本歌】藤原元真「後拾遺集」
浅緑みだれてなびく青柳の色にぞ春の風も見えける

花歌とてよめる

花もまたわかれん春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを(新古143)

【通釈】桜の花も、私と死に別れる春は思い出してよ。咲いては散る、そのたびに私が心を使い果たしてきたことを。

【補記】寿永元年(1182)、賀茂重保の勧進により詠んだ、いわゆる寿永百首の一首。

【他出】殷富門院大輔集、時代不同歌合

題しらず

うき世をもなぐさめながらいかなれば物悲しかる秋の夜の月(続後拾遺1058)

【通釈】月は辛いことの多い現世を慰めてくれる――そうは言いながら、どうして物悲しいのだろうか、秋の夜の月を眺めるのは。

【本歌】大江為基「拾遺集」
ながむるに物思ふことの慰むは月は憂き世の外よりやゆく

寒草を

虫のねのよわりはてぬる庭のおもに荻の枯葉の音ぞのこれる(玉葉902)

【通釈】虫の声がすっかり弱くなった庭の地面には、荻の枯葉の風に鳴る音ばかりが残っている。

歌合し侍りける時、恋の歌とてよめる

見せばやな雄島(をじま)海人(あま)の袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず(千載886)

【通釈】見せたいものだ、私の袖を。雄島の海女の袖もさぞや濡れたことだろうが、それさえ色が変わることはないのに。私の袖は、涙でびしょ濡れになったばかりか、血の色に変わってしまった。

【語釈】◇歌合 いつの歌合か不明。◇見せばやな 見せたいものだ。「ばや」は「こうしたい」という自分の希望をあらわす助詞。初句切れ。◇雄島 陸奥国の歌枕。宮城県の松島群島の一つ。◇袖だにも 袖でさえも。破格の語法だが、この歌では第四句を飛び越して「色はかはらず」に掛かっている。海女の袖さえ色は変わらないが、私の袖は色が変わったのだ、の意を言外にこめている。◇ぬれにぞぬれし 同語を繰り返して強調する語法。濡れに濡れた。ここで再び句切れ。◇色はかはらず この「色」は所謂血涙の色。前句とは逆接的な関係にある。

【補記1】歌意に沿って語順を入れ替え語を添えると、こうなる。「見せばやな。雄島の海女の袖も、濡れにぞ濡れし(と言へど、)それだに、色はかはらず(ありけむ)」。
【補記2】源重之の歌(下記参照)の本歌取りであろう。現代の注釈書の多くが、重之の本歌に応答し切り返す形の表現であることを指摘しているが、重之の歌は初句「松島や」に「待つ」を含んでこれも女の立場で詠んだ歌であるから、本歌と当該歌の関係を男女の贈答になぞらえるのは、当時の常識としては無理である。

【本歌】源重之「後拾遺集」
松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか

【参考歌】藤原親隆「金葉集(一本)」「千載集」
しほたるる伊勢をのあまの袖だにも干すなるひまはありとこそきけ

【他出】殷富門院大輔集、歌仙落書、定家十体(面白様)、定家八代抄、百人一首、歌枕名寄

【主な派生歌】
松島や雄島のあまに尋ねみん濡れては袖の色やかはると(藤原知家[続千載])
限りあれば五月の田子の袖だにも降り立たぬよりかくはしぼらじ(小倉公雄[続千載])
思ひやれなれたる海士の袖だにも波のうき寝はぬるる習ひを(藤原忠基[新拾遺])
夕かけて帰る小島のあま衣ぬれにぞぬれし月やどれとは(藤原苫雄)

恋歌あまたよみ侍りけるに

もらさばや思ふ心をさてのみはえぞ山しろの井手のしがらみ(新古1089)

【通釈】ひそかに伝えたい、あの人を思うこの気持を。こうして堪え忍んでばかりは、とてもいられない。山城の井手のしがらみだって、水を漏らすではないか。

【語釈】◇もらさばや 洩らしたい。第二句と倒置の関係。ひそかな恋心を言葉や仕種によって伝えたい、ということ。なお「洩らし」は「しがらみ」の縁語。◇山しろ 山城。「やまじ」を掛ける。「えやまじ」は「(思いを)止めることは出来まい」の意。◇井手 山城国の歌枕。京都府綴喜郡井手町。木津川に注ぐ玉川が流れる。山吹や柵(しがらみ)がよく詠まれた。◇しがらみ 川などの流れを塞き止めるための柵。杙を打ち並べ、竹や木の枝を渡した。

題しらず

逢ひみてもさらぬ別れのあるものをつれなしとても何歎くらん(新勅撰749)

【通釈】逢って契りを交わしたところで、避け難い永遠の別れというものがあるのに。あの人がつれないと言って、私は何を歎いているのだろうか。

【本歌】業平母「古今集」
老いぬればさらぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな
    よみ人しらず「後撰集」
逢ひ見ても別るる事のなかりせばかつがつ物は思はざらまし

題しらず

いかにせん今ひとたびの逢ふことを夢にだに見てねざめずもがな(新勅撰976)

【通釈】どうしよう。なんとか、あの人に逢いたい。今一度あの人と逢うことを、せめて夢にだけでも見て、そのまま眠りから覚めずにいたい。

【本歌】和泉式部「後拾遺集」
あらざらんこの世の外の思ひ出に今一たびの逢ふこともがな

はかなしなただ君ひとり世の中にあるものとのみ思ふはや我(殷富門院大輔集)

【通釈】果敢ないことだ。この世界にあなた一人しか存在しないとでも思っているのだろうか、私は。

【補記】この「はかなし」は、「みじめで情けない」「愚かだ」といった意味合いが強いだろう。

題しらず

あすしらぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふよを待つにつけても(新古1145)

【通釈】明日も知れない命のことを思ってしまう。生きていれば、ひょっとしたらあの人に逢う折もあるかもしれない――その時を期待するにつけても。

【語釈】◇おのづから 自然のなりゆきで。偶然。「逢ふ」に掛かる。◇逢ふよ この「よ(世)」は時・折ほどの意。また男女関係を含意すると共に、「夜」と掛詞になって、「恋人と情事を遂げる夜」を暗示している。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
いかにしてしばし忘れん命だにあらば逢ふよのありもこそすれ

題しらず

何かいとふよもながらへじさのみやは憂きにたへたる命なるべき(新古1228)

【通釈】なにをわざわざこの世を厭うことがあるだろう。万一にも生き永らえることなどできやしない。こんなふうにばかり、辛い思いに堪えていられる命のはずがあるまい。

【語釈】◇何かいとふ どうして現世を厭うのだろうか、いや厭う必要などない。わざわざ死を願うまでもない、ということ。反語。初句切れ。◇よもながらへじ よもや、この上生き永らえることはあるまい。再び句切れ。◇さのみやは そんなふうにばかりは。「やは」は反語で、結句の「命なるべき」を否定する。

題しらず

かはりゆく気色(けしき)を見ても生ける身の命をあだに思ひけるかな(千載926)

【通釈】あの人の顔色やそぶりに、心変わりしたことが感じられる。それを見ても、私の命なんか、もうどうでもいいと思ってしまうのだ。

【語釈】◇命をあだに 命を粗末に。命が無用なものであると。

百首歌よみ侍りけるに

よしさらば忘るとならばひたぶるに逢ひ見きとだに思ひ出づなよ(続後撰995)

【通釈】それならいいわ。私を忘れるというのなら、徹底的に忘れてよ。逢ったとさえ思い出さないでよ!

題しらず

忘れなば生けらむものかと思ひしにそれも叶はぬこの世なりけり(新古1296)

【通釈】あの人に忘れられ、見捨てられたなら、生きてなどいられるものか。――そう思っていたのに、死ぬことも叶わないこの世なのだ。

【語釈】◇忘れなば 恋人が私のもとを去ったならば。

【補記】思っていた通り死んでしまえればいっそ楽なのに、それも叶わず、苦しみながら生き延びていることを歎く。

恋の歌とて

死なばやと思ふさへこそはかなけれ人のつらさは此の世のみかは(風雅1335)

【通釈】死んでしまいたいと思うことさえ虚しい。人の仕打ちが辛いのは、なにもこの世だけではないだろう。

【語釈】◇人のつらさ 恋人の薄情さに辛い思いをすること。

【補記】輪廻転生の観念を背景とした歌。後世(ごせ。死後に生まれ変わる世)でも、恋に辛い思いをすることに変わりはあるまいという詠嘆・諦念。

恋の歌とてよめる

なほざりの空だのめとて待ちし夜のくるしかりしぞ今は恋しき(千載945)

【通釈】いいかげんな空約束だったのだ――そう悔やみながら恋人を待っていた夜の苦しかったこと。それも今となっては恋しく思われるよ。

【語釈】◇空だのめ その気もないのに約束して相手をあてにさせること。

【補記】恋が完全に破綻した絶望の中にあって、空約束に辛い思いをしたことさえ恋しい記憶になってしまった、ということ。

【本歌】小弁「続詞花集」
なほざりの空頼めだにせざりせばなかなか今は恋ひもしなまし

題しらず

命ありてあひ見むこともさだめなく思ひし春になりにけるかな(新勅撰1028)

【通釈】去年、命があって、再び巡り逢うことはあるだろうかと、心もとなく思っていた春――どうにかに生き延びて、今年もその季節を迎えたのだ。

題しらず

今はとて見ざらん秋の空までも思へばかなし夜半の月影(新勅撰1090)

【通釈】これがもう最後と、ふたたび見ることのないだろう秋の夜空を眺める――私の死んだ後まで、こうして月は煌々と夜を照らしているのだろう。それを思えば、悲しくてならない。

【補記】晩年の述懐めくが、承安二年(1172)頃までに成立したと見られる『歌仙落書』に載るので、作者四十代の作であろう。同書は第二句「秋の末までも」とする。

【他出】歌仙落書、殷富門院大輔集、三十六人歌合、時代不同歌合

題しらず

きえぬべき露のうき身のおき所いづれの野辺の草葉なるらん(続古今1422)

【通釈】今にも消えてしまいそうな露のように果敢ない我が身の置き所は、どこの野辺の草葉になるのだろうか。

【主な派生歌】
露の身の消えてもきえぬ置き所草葉のほかにまたもありけり(木下長嘯子)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日