荷田蒼生子 かだのたみこ 享保七〜天明七(1722-1786)

民子とも。荷田春満の弟高惟の娘。在満の妹。幼名は楓里(ふり)
兄と共に春満の養子となる。江戸で結婚するが夫は早世し、その後紀州藩に仕える。四十九歳の折、紀州家を辞去し江戸浅草に住む。歌名高く、土佐や姫路などの諸侯に請われ、夫人や息女に歌を指導した。天明六年(1786)二月二日、六十五歳で没。門人の菱田縫子が編んで寛政七年(1795)に刊行した家集『杉のしづ枝』がある。

「杉のしづ枝」 校註国歌大系15・続歌学全書6

海辺初春

青海原霞みわたりてちはやぶる神代のままの春を見るかな(杉のしづ枝)

【通釈】青海原はすみずみまで霞が立ち込めて、神代さながらの春を見るようだなあ。

【語釈】◇ちはやぶる 「神」の枕詞

【参考歌】中院通勝「通勝集」
わがくにの神代のままの春なれや霞みそめたるあはぢ島山

海辺霞を詠める

春なれや白浪わけてかづきする海人も霞の衣きてけり(杉のしづ枝)

【通釈】春なのだなあ。白波を押し分けて潜水する海人も、霞の衣をまとっているよ。

【補記】海人の姿が海上の霞に包み隠されているさまを「霞の衣」を着ていると見立てた。「霞の衣」と言えば春山か佐保姫が着るものとするのが和歌の常套であった。

路梅

誰が袖もうべこそ薫れ行きかひの大路にたてる梅さきてけり(杉のしづ枝)

【通釈】誰の袖も道理で薫っていたはずだ。人々が行き交う大路に立っている梅の木が花咲いたのだなあ。

【補記】「行路梅」などは中世以来好まれた歌題であるが、当詠は春の大路の賑いが髣髴とし、時代の風も感じられる。

春述懐の心を

みだれつつ物思ふ頃は常よりもうちまもらるる青柳の糸(杉のしづ枝)

【通釈】心乱れて思いわずらう頃は、平生にも増してじっと見つめずにいられない青柳の糸よ。

【補記】「青柳の糸」は萌え出て間もない柳の枝葉を糸に喩えた言い方。

夜五月雨

夜もすがらふるともよしや五月雨のしめやかにだに語りあかさば(杉のしづ枝)

【通釈】五月雨が一晩中降るとしても、かまうものか、その雨音のように、せめて物静かにしんみりと語り明かすことができたなら。

【補記】「五月雨の」は倒置で第三句「ふるともよしや」に掛かると共に、「五月雨のように」の意で次句「しめやかに」を導く働きもする。

秋夕

ながむれば心の外のあはれさへ空に数そふ秋のゆふぐれ(杉のしづ枝)

【通釈】眺めれば、私の心に備わっていない深い情趣さえ空に加わって感じられる秋の夕暮よ。

【語釈】◇心の外(ほか)のあはれ 自分の心にはない、しみじみとした趣き。古来風雅の人々が秋の夕暮に寄せた思い。

【補記】同題の歌「秋といへば憂しとあはれとふたしへに夕べの空をながむるやなぞ」「秋といへば夕べの風のなにすとか恋せぬ人の身にもしむらん」も印象深い。

【参考歌】冷泉院「新古今集」
うつろふは心のほかの秋なれば今はよそにぞ菊の上のつゆ

月に翫ぶといふことを

まちをしむ心々を夜もすがら月に言ひつつめで明かすかな(杉のしづ枝)

【通釈】月の出をいとしく待つ夜毎の心――その思いを一晩中、月に語り聞かせつつ、賞美して明かすのだなあ。

【補記】秋の明月の頃、月の出を待ち惜しみ、愛で明かす夜々。月が渇愛の恋人であるかのような詠みぶり。

暮秋

あかず見し千種の花もうつりゆきて紅葉になげく秋の暮かな(杉のしづ枝)

【通釈】飽きず眺めた多彩な花々も時と共に散り過ぎて、紅葉に嘆息する秋の暮であるなあ。

【補記】「紅葉になげく」で額田王の面影が呼び起こされる。

【参考歌】額田王「万葉集」巻一
(前略)秋山の 木の葉を見ては もみつをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く(後略)

片恋を

ほのにだに逢ひ見ぬ程は三日月のわれやまめやは片恋にして(杉のしづ枝)

【通釈】ちょっとだけでも逢瀬を遂げないうちは、どうして終りになどしようか、片恋のままで。

【補記】「三日月の」は下記本歌より「われ」の枕詞として用いている。また三日月の光がほのかなことから「ほの三日月」などと言うので、初句とも響き合う。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
宵の間に出でて入りぬる三日月のわれて物思ふ頃にもあるかな


公開日:平成18年04月24日
最終更新日:平成18年04月24日