順徳院 じゅんとくいん 建久八年〜仁治三年(1197-1242) 諱:守成

後鳥羽天皇の第三皇子。母は贈左大臣高倉範季女、修明門院重子。姉の昇子内親王(春華門院)を准母とする。土御門天皇道助法親王の弟。雅成親王の同母兄。子に天台座主尊覚法親王、仲恭天皇、岩倉宮忠成王ほか。
建久八年(1197)九月十日、誕生。正治元年(1199)十二月、親王となり、同二年四月、兄土御門天皇の皇太弟となる。承元二年(1208)十二月、元服。同三年、故九条良経の息女、立子(東一条院)を御息所とした。同四年(1210)十一月、兄帝の譲位を受けて践祚(第八十四代天皇)。父の院と共に宮廷の儀礼の復興に努め、また内裏での歌会を盛んに催した。建保六年(1218)十一月、中宮立子との間にもうけた懐成親王(即位して仲恭天皇)を皇太子とする。
承久三年(1221)四月二十日、譲位し、翌月、後鳥羽院とともに討幕を企図して承久の変をおこしたが、敗北し、佐渡に配流される。以後、同地で二十一年を過ごし、仁治三年(1242)九月十三日(十二日とも)、崩御。四十六歳。絶食の果ての自殺と伝わる。佐渡の真野陵に葬られたが、翌寛元元年(1243)、遺骨は都に持ち帰られ、後鳥羽院の大原法華堂の側に安置された。建長元年(1249)、順徳院の諡号を贈られる(それ以前は佐渡院と通称されていた)。
幼少期から藤原定家を和歌の師とし、詠作にはきわめて熱心であった。その息子為家も近習・歌友として深い仲であった。俊成卿女とも親しく、建保三年(1215)、俊成卿女出家の際などに歌を贈答している。建暦二年(1212)の内裏詩歌合をはじめとして、建保二年(1214)の当座禁裏歌会、同三年の内裏名所百首、同四年の百番歌合、同五年の四十番歌合・中殿和歌御会、承久元年(1219)の内裏百番歌合など、頻繁に歌合・歌会を主催した。配流後の貞永元年(1232)には、佐渡で百首歌(「順徳院御百首」)を詠じ、定家と隠岐の後鳥羽院のもとに送って合点を請うた。嘉禎三年(1237)、定家はこの百首に評語を添えて進上している。
著作に、宮廷故実の古典的名著『禁秘抄』、平安歌学の集大成『八雲御抄』、日記『順徳院御記』がある(建暦元年-1211-から承久三年-1221-まで残存)。続後撰集初出(十七首)、以下勅撰集に計百五十九首入集。自撰の『順徳院御集』(紫禁和歌草とも)がある。新三十六歌仙小倉百人一首に歌を採られている。

真野宮 水垣所蔵古絵葉書
順徳院を祀る佐渡の真野宮(古い絵葉書より)

「順徳院御集(紫禁和歌草)」 続群書類従第15輯下 私家集大成4 新編国歌大観7
「順徳院百首」 新編国歌大観10

  15首  8首  9首  5首  8首  7首 計52首

題しらず

あら玉の年の明けゆく山かづら霞をかけて春は来にけり(続千載7)

【通釈】新年が明けてゆく暁の空――山の頂きに、美しい鬘(かづら)のような霞をかけて、春はやって来たのだ。

【語釈】◇あら玉の もともと「年」の枕詞だが、ここでは「あらたまの年」で新年の意になる。◇山かづら ヒカゲノカズラ。蔓性の羊歯(しだ)植物。古来、強い霊力を持つ植物と考えられ、神事に際し鬘(髪飾り)に用いられた。ここでは山の端にかかる朝霞を、山が頭につけた鬘に見なして言う。◇霞をかけて 「かけて」は「かづら」の縁語。

【補記】御集によれば、建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。『夫木和歌抄』には「百首御歌合」とある。

百首御歌の中に

ちくま川春ゆく水はすみにけり消えていくかの峰の白雪(風雅36)

【通釈】千曲川を春、流れてゆく水は澄み切っているのだった。消えて何日も経っていない、峰の雪――その雪解け水だからなのだ

【語釈】◇ちくま川 千曲川。古くは筑摩川と書き、また千隈川とも。甲武信ケ岳に発し、長野県・新潟県を流れて日本海に注ぐ。新潟県内では信濃川と呼ばれる。「信濃なるちぐまの川のさざれ石も君しふみてば玉とひろはむ」(万葉集東歌)など、さざれ石とともに詠まれることが多い。この歌でも、「すみにけり」「峰の白雪」の句に、白い細かな玉石のイメージの反映を見ることが出来る。

【補記】貞永元年(1232)、配流地の佐渡で編まれた百首歌。

【主な派生詩歌】
花の雲はや立ちかはれ白雪はきえていくかのみよし野の山(本居宣長)
水青し消えて幾日の春の雪(心敬)

早春のこころをよませ給うける

風吹けば峰のときは木露おちて空より消ゆる春のあは雪(新拾遺1532)

【通釈】暖かい春の風が吹くと、峯の常緑樹からは露が落ちて――そうか、地面に届く前に、空の上のほうで消えてしまうのだ、春の淡雪は。

【語釈】◇峯のときは木 山の高いところに生えている、常緑樹。◇露落ちて 露が(春風に吹かれ)落ちて。この「露」は、木の枝に積もった雪が融けて水滴と化したもの。◇空よりきゆる この「空」は、春風の吹く空。「より」は「きゆる」という作用の起点及び原因を示す。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

 

佐保姫の染めゆく野べはみどり子の袖もあらはに若菜つむらし(御集)

【通釈】春の女神である佐保姫が緑に染めてゆく野辺は、幼い娘たちが袖から腕もあらわにして、若菜を摘んでいるらしい。

【語釈】◇佐保姫 棹姫とも書く。大和の西境にあたる龍田山の龍田姫が秋の女神とされたのに対し、平城京の東側に位置した佐保山の佐保姫は春を司る女神とされた。◇みどり子 嬰児・幼児。ここでは年若い娘たちを言うのだろう。「みどり」は「若菜」の縁語。◇袖もあらはに 野辺の緑に、腕または袖の白さが対比される。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

題しらず

難波がた月のでしほの夕なぎに春の霞のかぎりをぞ知る(新後撰34)

【通釈】難波潟は、月の出とともに潮が満ちて、夕凪となった――穏やかな海に月の光がいちめん射して、たちこめる春霞がどこまで続いているか、その果てまで見極めることができるのだ。

【語釈】◇難波がた いまの大阪市中心部あたりには、水深の浅い海や、葦におおわれた低湿地が広がっていた。その辺を難波潟とか難波江とか呼んだ。◇月のでしほ 月が昇るとともに満ちてくる潮。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

建保四年内裏百番歌合に

ふる雪にいづれを花とわきもこが折る袖にほふ春の梅が枝(続後撰27)

【通釈】降りしきる雪に、どれが花だろうかと見分けがたいが、なんとか目当てをつけて、愛しいあの娘(こ)が手を伸ばして枝を折る――その袖が匂う、春の梅だよ。

【語釈】◇わきもこ 我が妹子(いもこ)。「妹子」は親密な女性に対する呼称。「分き」(見分ける・判断する)を掛ける。

【補記】建保四年(1216)閏六月九日、順徳天皇主催の内裏歌合、一番左勝。右方人は「左歌、更無其難上、似秀逸歟」と賞讃し、判者の定家も「まことに殊勝之由皆悉申之」と記している。

【本歌】紀友則「古今集」
雪ふれば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし

 

夢さめてまだ巻きあげぬ玉だれのひま求めてもにほふ梅が香(御百首)

【通釈】夢から覚め、まだ玉簾を巻き上げていないうちから――わずかな隙間を求めて匂ってくる梅の薫り。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。定家の評は「其心妖艶、其詞美麗候」。

【本説】「和漢朗詠集・鶯」(→資料編
幾処華堂 夢覚而珠簾未巻

【主な派生歌】
玉すだれまだまきあげぬ春の夜の夢の枕にうぐひすぞなく(藤原政範)
玉すだれ隙もとめてもかひぞなきかけはなれたる人の心に(花山院長親)

題しらず

秋風にまたこそとはめ津の国の生田の森の春のあけぼの(続古今1501)

【通釈】秋風の頃、きっとまた訪れよう。摂津の国の生田の森の春の曙の素晴らしさに、幾たびもまた行くことを誓ったのだ。

【語釈】◇生田(いくた) 摂津国八部郡生田。今の神戸市中央区三宮の生田神社あたり。「行く」「幾多」と掛詞になる。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

【本歌】清胤「詞花集」
君すまばとはましものを津の国の生田の森の秋の初風

題しらず

春よりも花はいく()もなきものをしひても惜しめ鶯の声(新後撰114)

【通釈】春にくらべ、梅の花の咲いている日は何日もないのだよ。がんばって、花を惜しみ声高く鳴いてくれ、鶯よ。

【語釈】◇春よりも花は… 春はまだしも、花の咲く期間は短い、という気持。◇しひても惜しめ 強いても惜しめ。無理しても惜しんで鳴け。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

【本歌】在原業平「古今集」
ぬれつつぞしひてをりつる年の内に春はいくかもあらじと思へば

題しらず

花鳥(はなとり)のほかにも春のありがほに霞みてかかる山の端の月(続後撰144)

【通釈】なにも花や鳥だけではない。ほかにも春の風情はあるのだと言いたげな顔で、朧ろに霞み、山の端に懸かっている月――。

【語釈】◇花鳥 梅桜、鶯など、春の風情を代表する花や鳥。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

建保三年名所百首歌めしける次によませ給うける

玉島や河瀬の波のおとはして霞にうかぶ春の月かげ(新続古今95)

【語釈】◇玉島 肥前国の歌枕。今の佐賀県東松浦郡浜玉町あたり。同地を玉島川(万葉集に詠まれた松浦川に同じ。但し今の松浦川は別)が流れる。若鮎が泳ぎ、あるいは乙女が漁をする清流として詠まれる。◇波のおとはして 波の音はさやかに聞こえるが、霞によって川のすがたはよく見えない、という気持を込める。◇霞にうかぶ… 川にたちこめた霞に、春の月が朧気に浮かんで見えるさま。

【補記】建保三年(1215)十月の名所百首歌。

春山といふことを

白雲や花よりうへにかかるらむ桜ぞたかき葛城の山(続古今91)

【通釈】白雲が花よりも上に懸かっているのだろうか、見分けはつかないが、桜が高々と咲いている、葛城の山よ。

【語釈】◇葛城(かづらき)の山 大和・河内国境の連山。今は「かつらぎ」とよむ。古くから修験の山で、役行者と一言主神の伝説で名高い。桜の名所でもあった。「鬘(かづら)」または動詞「かづらき」(鬘としてつける意)と掛詞になる。

【補記】承久元年(1219)八月、鴨社歌合。

建保二年二月廿四日、南殿にいでさせ給うて、翫花といへることをよませたまうける

ももしきや花も昔の香をとめてふるき梢に春風ぞ吹く(新千載102)

【通釈】内裏では、花も昔の香りが慕わしい。春風はそれを求めて、桜の古木の梢に吹いているのだ。

【語釈】◇建保二年 西暦1214年。順徳院は当時十八歳。◇翫花 花をもてあそぶ。花を賞翫する。◇ももしき 宮廷。上代、「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞であったが、のち大宮そのものを指すようにもなった。

百首歌めされし次に

花の色になほ折しらぬかざしかな三輪の檜原の春の夕暮(新後拾遺104)

【通釈】檜の中に交じって咲いている桜の花のあまりの美しさに、枝を折って季節知らずの挿頭をしてしまうなあ。三輪のヒノキ林での、春の夕暮時――。

【語釈】◇折しらぬ 時節を知らない。時節柄をわきまえない。三輪の檜の葉は、夏冬の祭りなどで挿頭にするのが通例だったらしい。例、「かざしをる人もかよはずなりにけり三輪の檜原の五月雨の空」(家隆)、「かざしをる袖もやけさはこほるらんみわの檜原の雪の明ぼの」(後鳥羽院)。なお「をり」は動詞「折り」と掛詞になり、「花」「かざし」の縁語となる。◇かざし 挿頭。◇三輪の檜原(ひばら) 大和国三輪山のヒノキ林。同地の檜は神聖視され、その葉を挿頭にすることは霊験があると信じられた。

【補記】建保三年(1215)十月の名所百首、「三輪山」。

【本歌】柿本人麻呂「拾遺集」(原歌は万葉集巻七の人麻呂歌集歌)
いにしへに有りけむ人もわがごとや三輪の檜原にかざし折りけむ

宇津山

駿河なる宇津の山べにちる花よ夢のうちにもたれ惜しめとて(御集)

【通釈】駿河の宇津の山のほとりで散る花よ。誰か夢の中でも惜しんでくれと、このように夢うつつともわかぬ様に散るのか…

【語釈】◇宇津の山 今の静岡市宇津ノ谷(うつのや)あたり。東海道の難所として名高く、伊勢物語第九段によって歌枕となる。「うつつ」と掛詞になり、「夢」と対比される。

【補記】建保三年(1215)十月、名所百首歌。

【本歌】紀貫之「古今集」
やどりして春の山べにねたる夜は夢の内にも花ぞちりける

 

蝉の()のうすくれなゐの遅桜をるとはすれど花もたまらず(御集)

【通釈】蝉の羽のように薄い、微かに紅色を帯びた、遅桜。手に折り取ろうとするけれども、花びらはとどまらず、枝から散り落ちてしまう。

【語釈】◇蝉の羽の 「うす」を導く。蝉の羽は薄い物の代名詞的に用いられ、特に夏衣の比喩に用いられた。例「蝉の羽の夜の衣はうすけれど移り香濃くもにほひぬるかな」(紀友則『古今集』)。色の薄さだけでなく、花びらの薄さをもあらわすか。◇遅桜 開花が遅い桜。◇花もたまらず 「たまる」は「じっと動かずにいる」意。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

【主な派生歌】
山桜おほふばかりのかひもなし霞の袖は花もたまらず(藤原家隆[道助法親王家五十首])
さかりをぞをるべかりける山桜うつろふ枝は花もたまらず(頓阿)

早苗を

峰の松入日すずしき山かげの裾野のを田に早苗とるなり(続後撰196)

【通釈】峰の松に日が沈む頃、涼しい山陰の裾野の小さな田では、早苗とりをしているのだ。

【語釈】◇早苗(さなへ)とる 若苗を田へ移し替えるために苗代から採る。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

題しらず

今来むといはぬばかりぞ郭公ありあけの月のむら雲の空(続後撰187)

【通釈】「すぐ行くよ」と口では言わないだけだよ、ホトトギス。有明の月が出ている、叢雲の空。その景色を眺めたら、おまえの声が聞きたくてたまらない気持なのだ。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

【本歌】素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな

承久元年十首歌合に、暁時鳥といふことをよませ給うける

暁と思はでしもやほととぎすまだ半天(なかぞら)の月に鳴くらむ(新拾遺218)

【通釈】暁になったと思わないからだろうか、ホトトギスは、まだ月が中空に残っている空に鳴いている。

【語釈】◇半天の月 空の中ほどに残っている月。明け方にも中天にかかっている月は、だいたい陰暦二十日以降の月ということになる。

【補記】承久元年(1219)七月の内裏百番歌合。

 

五月雨のはれまも青き大空にやすらひ出づる夏の夜の月(御集)

【通釈】梅雨の晴間の真っ青な夜空に、ためらいつつ出て来る、夏の夜の月よ。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

夏歌の中に

夕立のなごりばかりの庭たづみ日頃もきかぬかはづ鳴くなり(玉葉409)

【通釈】日照りが続いた後、久々に一雨あった。夕立のなごりを留め、庭にできた水たまり――この頃聞くことのなかったカエルが出てきて鳴いているなあ。

【語釈】◇なごりばかりの なごり程度の。◇庭たづみ 「雨水也」(和名抄)。ニハはニハカ(俄か)と同根で(岩波古語辞典)、急に降った雨によって地面にあふれた水を意味するのが本義らしいが、その後「庭只海」と理解されるようになり、庭に出来た水溜まりを意味した。◇かはづ 蛙を意味する歌語。特に万葉集では清流に棲むカジカガエルを指している場合が多いようであるが、この歌ではカエル一般を言っているのだろう。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

 

夏の日の木の間もりくる庭の(おも)にかげまでみゆる松のひとしほ(御百首)

【通釈】夏の陽射しが木の間を漏れてくる庭の地面――そこに、影までもうっすらと緑に染めて見える、松の一入(ひとしお)染めよ。

【語釈】◇ひとしほ 一入染め。布を染料に一度浸すだけの染め方。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

【参考歌】源宗于「古今集」
ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり
  藤原定家「建保百首」
それながら春は雲井に高砂の霞の上の松のひとしほ

六月祓を

みなと川夏のゆくては知らねども流れてはやき瀬々のゆふしで(風雅445)

【通釈】湊川での六月祓――夏がどこへ去ってゆくのかは知らないけれども、時が過ぎ去るのは早く、瀬ごとにたむけた白木綿も、瞬く間に流れ去ってゆく。

【語釈】◇六月祓 夏越(なごし)の祓(はらへ)とも。旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日(みそか)に行なわれた大祓。◇みなと川 湊川。六甲山地を水源とする川。寿永三年(1184)、源平合戦の舞台となった。◇ゆふしで 木綿でつくった四手(幣)。六月祓では、白木綿(楮-コウゾ-の繊維を細かく裂いて糸状にしたもの)をかけた麻の葉を流したらしい。例「みそぎするけふみな月の河の瀬にしらゆふかけて流す麻の葉」(藤原為世)。

【補記】出典不明。

【参考歌】藤原定家「寛喜元年十一月女御入内御屏風和歌」
夏衣おりはへてほす川浪をみそぎにそふる瀬々のゆふしで

百首御歌のなかに

かぎりあれば昨日にまさる露もなし軒のしのぶの秋の初風(続古今285)

【通釈】秋は露の多い季節というが、ものにも限度があるので、昨日にまさるほどの露は落ちてこない。古家の軒に繁ったしのぶ草を吹く、秋の初風よ。

【語釈】◇昨日 夏だった昨日。◇露 軒端のシノブ草から垂れ落ちる露。◇軒のしのぶ 古家の軒端にはシノブ草が生えるものとされた。

【補記】御集によれば、建保二年(1214)秋頃、当座(即詠)で詠まれた歌。

【他出】紫禁和歌集、雲葉集、三百六十首和歌、六華集

百首御歌のなかに

人ならぬ石木(いはき)もさらにかなしきはみつの小島の秋の夕暮(続古今1578)

【通釈】人ならば「見つ」と語りかけようものを、人ならぬ石や木があるばかりで、さらに悲しみを催させるのは、みつの小島の秋の夕暮だよ。

【語釈】◇みつの小島 古今集東歌の陸奥歌に見える「をぐろさきみつの小島」に同じ。「見つ」を掛ける。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。配流地佐渡での詠。定家は「此の卅一字、また字毎に感涙抑え難く候。玄の玄、最上に候」と絶賛している。

【他出】順徳院百首、雲葉集、歌枕名寄、井蛙抄

【本歌】作者未詳「古今集」
をぐろさきみつの小島の人ならば都のつとにいざといはましを

題しらず

秋風の枝吹きしをる木の間よりかつがつ見ゆる山の端の月(新後撰341)

【通釈】秋風が枝に吹きつけ、撓ませる――その木の間から、かろうじて見える、山の端の月。

【語釈】◇かつがつ 原義は「こらえこらえ」(岩波古語辞典)。

【補記】秋風に揺さぶられる木の枝の隙間に、見えそうでなかなか見えない月。これも佐渡での百首歌。定家の評は「姿ことばまことにうつくしくつづきて候。歌の詞、時の景気、かくこそあらまほしく候へ」。

秋御歌の中に

つま木こる遠山人は帰るなり里までおくれ秋の三日月(玉葉636)

【通釈】一日薪用の小枝を樵り集めていた山人は、住み家のある遠くの山里へと帰ってゆくようだ。集落まで送って行ってやれ、秋の三日月よ。

【語釈】◇つま木 薪にするためにきった小枝。◇遠山人(とほやまびと) 遠くの山里を住まいとする山人。「山人」は山または山里に住み、山でとれるもの(木や獣)によって生計を立てていた人々。木こり・猟師・炭焼など。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

【他出】順徳院百首、夫木和歌抄、六華集

題しらず

秋の日の山の端とほくなるままに麓の松のかげぞすくなき(新後撰1317)

【通釈】東の山から出た秋の陽が、山の端を遠ざかってゆくにつれ、麓の松の影は少なくなったことだ。

【補記】出典不詳。

百首御歌の中に 

霧はれば明日も来てみむ鶉鳴く石田(いはた)の小野は紅葉しぬらむ(続古今1603)

【通釈】この霧が晴れたら、明日も来てみよう。ウズラが鳴く石田(いわた)の小野は、木々が紅葉しているだろう。

【語釈】◇石田の小野 京都市伏見区石田(いしだ)から日野にかけての野。万葉集に「山科の石田の小野の柞原見つつや君が山道越ゆらむ」(藤原宇合)と詠まれている。「柞(ははそ)」は、楢や櫟など、落葉する喬木類。

【補記】貞永元年(1232)、佐渡で詠まれた百首歌。

【他出】順徳院百首、歌枕名寄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
霧たちて雁ぞ鳴くなる片岡のあしたの原は紅葉しぬらむ

 

風になびく雲のゆくてに時雨れけりむらむら青き木々の紅葉ば(御百首)

【通釈】風に靡く雲の進む方向に、時雨が降っていった。紅葉し始めた木々は、まだらに青葉が残っている。

【主な派生歌】
冬がれのもとのよもぎもまじりつつむらむら青き道の若草(冷泉為尹)
さえのこる雪まばかりは春めきてむらむら青き野辺の若草(蓮愉)

 

ひとめ見しとをちの村のはじ紅葉またも時雨れて秋風ぞ吹く(御百首)

【通釈】雲の切れ目に、一瞬見えた、遠くの十市の村の櫨紅葉(はぜもみじ)――またも時雨が降り秋風が吹いて、見えなくなってしまった。鮮やかな紅葉をもっとよく見たかったのに。

【語釈】◇とをち 大和国の歌枕。今の奈良県橿原市十市(とおいち)町。「遠(とほ)」と掛詞になる。◇はじ紅葉 ハゼノキ(ウルシ科の落葉小喬木)の紅葉。他の落葉樹に先がけて色づき、黒みがかった茜色から紅色へと美しく紅葉する。

【他出】秋風集、夫木和歌抄

 

谷ふかき八峰(やつを)の椿いく秋の時雨にもれて年の経ぬらむ(御百首)

【通釈】峡谷深い峰々の椿は、幾秋の時雨にも色を変えず、美しい緑のまま年を経てきたことだろう。

【語釈】◇八峰の椿 奥山の峰々に生える椿。万葉集巻十九「奥山の八峯の海石榴(つばき)つばらかに今日はくらさね大夫(ますらを)のとも」に由る。◇時雨にもれて 時雨は木の葉を紅葉させると考えられた。その時雨に当りながら、色を変えずに。

【補記】以上四首はすべて貞永元年(1232)の百首歌。定家の評「已上四首、詞花加光彩、景気銘心府候。毎度催感興候」。

夕残菊

(あま)つ星光をそへよ夕暮の菊は籬にうつろひぬとも(御集)

【通釈】空の星よ、光を添えてくれ。夕暮時の菊は、垣根で色を失ってゆくとしても。

【語釈】◇籬(まがき) 柴や竹で、間を粗くあけて作った垣。

【補記】建保五年(1217)十月十六日、当座歌合。

冬風

紅葉ばをあるかなきかに吹き捨てて梢にたかき冬の木枯し(御集)

【通釈】紅く色づいた葉をほとんど残さないほど吹き散らして、梢高く聞こえる、冬の木枯しよ。

【語釈】◇梢にたかき冬の木枯し 木枯しの音が、梢の高いところから聞こえるようになった、ということ。葉がついていた時は、もっと下の方に聞こえたのである。

【補記】建保五年(1217)十月十九日、当座歌合。

 

冬の色よそれとも見えぬささ島の磯こす浪に千鳥たつなり(御集)

【通釈】冬らしい景色は、どこと言って見えない小竹島の磯――そこに打ちつける波に、千鳥が立つのが聞こえる。その悲しげな鳴き声だけは、冬の風情を感じさせる。

【語釈】◇ささ島 小竹島。万葉集巻七の歌(本歌参照)に由来する歌枕であるが、所在等は未詳。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

【本歌】作者未詳「万葉集」巻七。
夢のみに継ぎて見えつつささ島の礒こす波のしくしく思ほゆ
(「ささ島」は原文の「小竹島」をこう訓んだもの。今では「小」は誤字で、「竹島」を「たかしま」と訓むのが普通。)

【主な派生歌】
夜もすがら潮風さえてささ島の磯こす浪にたつ千鳥かな(二条教頼)
ささ島の磯こす浪にたつ千鳥こころとぬれてなかぬ日ぞなき(藤原光経)
おきつ風あかつきかけてささ島の磯こす浪に千鳥なくなり(飛鳥井雅有)

交野

夕狩の交野の真柴むらむらにまだひとへなる初雪の空(名所百首)

【通釈】交野での夕狩――雑木の茂みに、雪がまだらに積もっている。まだ重なることなく、一重にうっすらと覆うばかりの初雪を降らせる、夕暮れ時の空…。

【語釈】◇交野(かたの) 大阪府枚方市あたり。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。◇真柴 小さい雑木。マは美称。

【補記】建保三年(1215)十月の内裏名所百首。御集では第三句「むらむらと」。

【本歌】安法法師「拾遺集」
夏衣まだひとへなるうたた寝に心して吹け秋の初風

 

里わかぬ春の隣となりにけり雪まの梅の花の夕風(御百首)

【通釈】どの里も、春は間近となったなあ。雪間に咲いた梅の花を吹く、香りよい夕方の風よ。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。定家の評「風情めづらしく、うつくしく候」。

名所百首歌人々に召しけるとき

神なびの磐瀬(いはせ)の森の初時雨しのびし色は秋風ぞ吹く(続古今991)

【通釈】岩瀬の森に初時雨が降って、色づいた木々の葉を秋風が吹き散らす――そのように、初めてこの想いを口に出し、忍んでいた恋情を洩らしてしまった。

【語釈】◇神(かむ)なび 神が降臨する場所。◇磐瀬の森 奈良県生駒郡斑鳩町の車瀬の森かという。「言は」を掛ける。

【補記】建保三年(1215)十月、名所百首。

【本歌】鏡王女「万葉集」
神奈備の石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ吾が恋まさる

題しらず

明日もまたおなじ夕べの空や見む憂きにたへたる心ながさは(続後拾遺805)

【通釈】明日もまた、今日のようにあの人に逢えず、同じ夕べの空を眺めるのだろうか。ずっとつれなさに耐えてきた、私の心の辛抱強さは、まあ…。

【主な派生歌】
おなじ世にまた夕暮をなげくかなこりぬうき身の心よわさは(西園寺実氏[続拾遺])

秋恋

忘ればや風は昔の秋の露ありしにも似ぬ人の心に(建保二年内裏歌合)

【通釈】忘れてしまいたい。風は昔の秋と変わらず、袖に露を置くけれども、あの人の心は往時とはすっかり変わってしまったのだから。

【語釈】◇風は昔の秋の露 下記本歌を踏まえる。昔ながらの風情に吹く秋風が涙を催させ、袖に置く涙の露。◇ありしにも似ぬ 以前とは見違えてしまった。

【補記】建保二年(1214)八月十六日の内裏歌合。六十一番左勝。

【本歌】小野小町「小町集」「新古今集」
吹きむすぶ風はむかしの秋ながらありしにも似ぬ袖の露かな

建保二年七月内裏歌合に、羈中恋といへる事をよませ給うける

命やはあだの大野の草枕はかなき夢も惜しからぬ身を(新続古今1331)

【通釈】命なんて露のようにはかないではないか、野に草枕を結び、はかない契りを交わした、あの一夜の夢にかえても、惜しくなどない我が身なのに。

【語釈】◇命やはあだの 下記本歌を踏まえる。命なんて何だ、露のようにはかないものなのに。「あだ」は地名「阿太」と掛詞になる。◇あだの大野 阿太の大野。いまの奈良県五条市あたり。◇草枕 旅寝のこと。

【補記】建保二年(1214)七月二日の内裏当座歌合。

【本歌】紀友則「古今集」
命やはなにぞは露のあだ物をあふにしかへばをしからなくに

名所百首歌めしける時

菅原や伏見の里のささ枕ゆめもいくよの人目よくらむ(続後撰730)

【通釈】菅原の伏見の里で、笹を枕に臥す――そうして見る夢でも、幾晩、人目を避けてあの人のもとに通うのだろう。

【語釈】◇菅原や伏見の里 奈良市菅原町。「臥し見」を掛ける。「いざここにわが世はへなむ菅原や伏見の里のあれまくもをし」(よみ人しらず「古今集」)以来、荒廃した土地のイメージで詠まれることが多い。

【補記】建保三年(1215)十月、名所百首。

【本歌】藤原敏行「古今集」
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ

題しらず

ことの葉もわが身時雨の袖の上にたれをしのぶの森の木枯し(続拾遺1016)

【通釈】時雨が降って木の葉の色が変わったところへ、木枯しの風が吹き付ける――ちょうどそのように、あの人の約束の言葉が変わってしまって、私は袖に涙をそそぎ――その上なお、身を焦がして人を恋い偲んでいるのだ。あの人の心はうつろってしまったというのに、一体誰を偲んでいるというのか。

【語釈】◇ことの葉 恋人の約束の言葉。下記本歌を踏まえる。「葉」は「時雨」「杜」などと縁語になる。◇わが身時雨の袖の上に 時雨のように涙にくれている私の袖の上に。ここも本歌を踏まえた表現。◇しのぶの森 陸奥国の歌枕「信夫の森」に、「恋い偲ぶ」意を掛ける。◇木枯(こがらし) 晩秋から初冬にかけて吹き、木の葉を散らす風。「身を焦がし」の意を掛ける。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

【本歌】小野小町「古今集」
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり

 

月もなほ見し面影はかはりけり泣きふるしてし袖の涙に(御百首)

【通釈】月は恋人の面影をとどめるというけれど、その月までもが、昔の面影とは変わってしまった。ずっと泣き続けてきた私の袖はもうぼろぼろで、涙に映る月の面影も、以前とはすっかり見違えてしまったのだ。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。続千載集では第二・三句「みし面かげやかはるらむ」。

 

暮をだになほ待ちわびし有明のふかきわかれになりにけるかな(御百首)

【通釈】あまりの悲しさに、再び夕暮が来るのを待つ気力さえなくしてしまった、有明――深い別れになってしまったものだ。

【語釈】◇有明 月が空に残ったまま夜が明けかけること。また、その頃の月。◇ふかきわかれ 悲しみの程度が甚だしい別れ、ということか。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。定家の評は「ふかき別れになりにける哉、又銘肝入骨。甚深無双候」。続千載集では第三句「ふるきわかれと」。

百首御歌の中に

夕づく日山のあなたになるままに雲のはたてぞ色かはりゆく(風雅1651)

【語釈】◇夕づく日 夕方にさす陽。紅く染まった夕陽。◇山のあなた 山の彼方。日が沈む、向こう側。◇雲のはたて 雲の果て。但し定家著と伝わる『僻案抄』には「雲の旗手とは、日のいりぬる山に、ひかりのすぢすぢたちのぼりたるやうに見ゆる雲の、はたの手にも似たるをいふ也」とあり、『新古今集聞書』にも「村々立たる雲はたをひろげたるやうなりといふ事也」とある。

【補記】貞永元年(1232)の百首歌。

羈中夕

暮れぬともなほ行末は空の雲何をかぎりの山路なるらむ(御集)

【通釈】日が暮れてしまっても、なお行き先は遥か雲の彼方だ。何を区切りとして目指してゆけばいいのだろう、この山路をゆく旅は。

【補記】建暦二年(1212)八月頃の当座詠。

江上霞

難波江の潮干のかたや霞むらん蘆間に遠きあまのいさり火(御集)

【通釈】これは、難波江の潮が引き、干潟があらわれたのか――それが霞んでいるのだろうか。葦の間に、遠く漁師の灯す篝火が見える。

【語釈】◇難波江 難波潟に同じ。既出。◇塩干(しほひ)のかた 潮が引いた潟。◇かすむらん 「らん(らむ)」は現在の事態を推量する気持をあらわす助動詞。海人の漁火が遠くに見えることから、難波江が干潟になったらしい(それが霞んで見える)と推測しているのである。

【補記】建保三年(1215)六月の歌合。続古今集では結句が「あまの釣ぶね」。

 

憂しとても身をばいづくにおくの海の鵜のゐる岩も波はかからむ(御集)

【通釈】生きるのが辛いと言っても、この身をどこに置けばいいというのか。沖の海の、鵜のとまっている離れ岩にだって、波はかかるだろう。そのように、いくら遠くへ去ろうと、憂いの涙から逃れることはできないのだ。

【語釈】◇おく 置く・奥、の掛詞。◇う 鵜。鴨などより大きめの、黒っぽい水鳥。「憂」を響かせる。

【補記】続古今集、結句「波はかくらむ」。建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。

社頭風

神垣のよもの木陰を頼むかなはげしき頃の嵐なりとも(御集)

【通釈】神垣の四方の木陰に身を寄せるように、ひたすら神の恵みを頼むことだ。嵐がどんなに激しく吹く頃であっても。

【語釈】◇神垣 神域を隔てる垣。また神社も指す(この場合、賀茂神社)。

【補記】承久元年(1219)八月、鴨社歌合。

後鳥羽院かくれさせ給うて、御なげきの比、月を御覧じて

同じ世の別れはなほぞしのばるる空行く月のよそのかたみに(新拾遺918)

【通釈】隠岐と佐渡と、はるか遠くの国に離れていても同じこの世には生きておりましたのに、今や父帝とは今生(こんじょう)の世でもお別れすることとなり、いっそう思慕されてなりません。空をゆく月はたった一つ、それを父帝の面影と偲んでおりましたが、御身はこの世の外へ逝かれ、もはや月を形見と眺めるばかりでございます。

【語釈】◇同じ世の別れ 離れ離れではあっても、同じ世に生きていたが、その同じ世からも別れることになった、ということ。

【補記】後鳥羽院は延応元年(1239)二月二十二日、隠岐国海部郡刈田郷の御所にて崩御。

【主な派生歌】
雲ゐぢもなほ同じ世とたのみしをさてだにあらで別れぬるかな(契沖)

題しらず

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり(続後撰1205)

【通釈】大宮の古び荒れた軒端の忍草――いくら偲んでも、なお偲び尽くせない昔の御代なのであった。

ノキシノブ
軒端のしのぶ(ノキシノブ)

【語釈】◇ももしき 宮廷。上代、「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞であったが、のち大宮そのものを指すようにもなった。◇古き軒端 古び、荒れた屋敷の軒端。百人一首の注釈の多くは、「古き軒端のしのぶ」に宮廷の衰微の象徴を見る。◇しのぶ 忍草。荒れた家の軒端に生える草とされた。偲ぶ(恋い慕う)・忍ぶ(堪え忍ぶ)両義を掛けるか。◇なほあまりある いくら偲んでも、偲び尽くせない。「堪え忍んでも、恋慕の情が外に漏れてしまう」意を掛ける。◇昔 王朝の権威が盛んだった聖代。

【補記】建保四年(1216)頃の「二百首和歌」。承久の乱の五年前である。

【他出】百人一首、紫禁和歌集、万代集、新時代不同歌合

【参考歌】源等「後撰集」
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき

【主な派生詩歌】
秋をへてふるき軒ばのしのぶ草忍びに露のいくよ置くらむ(禅信)
小泊瀬やふるき軒端のむかしをも忍ぶの露に匂ふむめがか(源高門)
月うすくふるきのきばの梅にほひ昔しのべとなれる夜半かな(*源親子)
都にはありし忍ぶのみだれよりふるき軒ばのまれになりぬる(姉小路基綱)
いにしへをふるき軒端のしのぶ夜はもらぬ袂もうちしぐれつつ(本居宣長)
今歳水無月のなどかくは美しき。/軒端を見れば息吹のごとく/萌えいでにける釣しのぶ。/忍ぶべき昔はなくて/何をか吾の嘆きてあらむ。(伊東静雄「水中花」より)


更新日:平成15年01月07日
最終更新日:平成21年01月11日