堯孝 ぎょうこう 明徳二〜享徳四(1391-1455) 号:常光院

藤原南家の末裔、二階堂氏。頓阿の曾孫。経賢の孫。堯尋の子。晩年、権大僧都法印に叙せられた。
応永年間(1394〜1428)の後半頃から歌人としての活動が見られる。将軍足利義教に信任され、永享四年(1432)の富士遊覧、同五年の伊勢参宮に随行して各々『覧富士記』『伊勢紀行』を著した。新続古今集撰進時には、後花園天皇の命により和歌所開闔となった。嘉吉三年(1443)の一条兼良主催「前摂政家歌合」、宝徳元年(1449)〜二年頃の「後崇光仙洞歌合」など多くの歌合に出詠し、また題者・点者ともなって歌壇を指導した。公武に交際は広かったが、ことに飛鳥井雅世と親しく、飛鳥井家と二条派の結束は固かった。一方冷泉派とは対立関係にあり、正徹とは好敵手とも目される。享徳四年七月五日寂。六十五歳。
家集に『慕風愚吟集』がある(書陵部所蔵孤本。私家集大成五、新編国歌大観八所収)。また歌日記『堯孝法印日記』(一名堯孝法印集。群書類従325)、冷泉為広判の自歌合『堯孝法印自歌合』(群書類従221)がある。群書類従266には『堯孝法印集』と題する歌集が収められているが、他人歌の混入があり堯孝の純粋家集とは認めがたいと言う。弟子に東常縁・堯憲・堯恵らがいる。歌道所説は常縁著『東野州聞書』に、口伝・注釈は堯憲・堯恵ら門流の諸書に窺える。勅撰入集は新続古今のみ七首。

  3首  1首  2首  4首  1首  3首 計14首

けふいくか花にやどりを契りきぬ春はさながら旅ごこちして(慕風愚吟集)

【通釈】今日で幾日になるだろう、花のもとに宿を借りることを重ねて来た。春の盛りの季節は、もっぱら旅心地のうちにばかり過ごして。

【補記】応永二十八年三月十六日、将軍家御台所熊野参詣の道中、住吉法楽百首として詠まれたうちの一首。「やどりを契り」、花を異性に見立てている。

【参考歌】大江匡房「詞花集」
ももとせは花にやどりてすぐしてきこの世はてふの夢にざりける

左大臣よませ侍りし新玉津島社三十首歌に、夕落花を

鳥はいまねぐらをしむる梢にも花はとまらぬ春風ぞ吹く(新続古今168)

【通釈】鳥は今桜の枝にねぐらを占めているが、その梢にも花を留まらせず無情な春風が吹くことだ。

【補記】足利義教主催の新玉津島社三十首歌(散佚)。「とまらぬ」には「泊まらぬ」の意も掛かり、「ねぐら」の縁語になる。

【本歌】藤原伊尹「拾遺集」
花の色はあかず見るとも鶯のねぐらの枝に手ななふれそも

あけのとかやにて

分けゆかむ花にあけのの俤もかすみに残るしののめの道(伊勢紀行)

【通釈】野道を分けて行こう――おぼろに花を見せながら明けて行った明野――その面影を霞のうちにほのかに残す、東雲(しののめ)の道を。

【補記】「あけの」は伊勢国度会郡小俣町明野。伊勢参宮街道沿いにある。動詞「明け」を掛けている。永享五年(1433)、将軍義教の伊勢参宮に随行しての作。

【参考歌】藤原行能「道助法親王家五十首」
帰るかり霞みていぬる山のはにおもかげのこるしののめの月
  伏見院「御集」
しののめや外山のかすみほのぼのと花の色にぞあけうつりゆく

後小松院にて、人々題をさぐりて五十首歌つかうまつりし時、朝夏月といふことを

月もなほ残るみぎりの朝きよめ夏さへ霜をはらふとぞみる(新続古今311)

【通釈】月明かりもまだ残っている、真砂の庭の朝浄め――夏でさえ霜を払うかと見るよ。

【補記】「みぎり」は石を敷いた庭。「朝きよめ」は朝の清掃。玉石に射す有明の月の光を霜に見立て、宮中の清浄を讃美する。

【参考歌】大江千里「千里集」
月影になべてまさごの照りぬれば夏の夜ふれる霜かとぞみる

山月明

峰に生ふる松吹きこしていなば山月の桂にかへる秋風(東野州聞書)

【通釈】いなば山の峰に生えている松を吹き越して去り、月の桂へと帰ってゆく秋風。

【補記】行平の本歌は勿論、『竹取物語』をも暗示するか。月に桂の木が生えているとする唐土渡来の伝説を持ち出して、他界・異界としての月世界のムードを醸し出している。
なお出典の『東野州聞書』は堯孝の弟子東常縁の歌学書。宝徳元年(1449)から享徳元年(1452)頃に記されたものかと言う。掲出歌は「御所にての御月次に」として載る。

【本歌】在原行平「古今集」「百人一首」
立ちわかれいなばの山の峰におふるまつとしきかば今かへりこむ

百首歌たてまつりしとき、野月

ふけにけりおきそふ露も玉だれのこすのおほ野の夜はの月かげ(新続古今472)

【通釈】夜も更けたことだ。置き増さる露も玉のように垂れて――こすの大野の月影を映しながら。

【補記】「玉だれの」は地名「こす」(所在不明。万葉集の「越智」をこう訓んだか)の枕詞であると共に、露が玉のように垂れる様を表わす。「おほ野」には「多(おほ)」を掛ける。

【参考歌】柿本人麿「万葉集」2-194
(前略)…玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉裳はひづち 夕霧に 衣は濡れて…(後略)
  寛尊「新拾遺集」
いとはやも露ぞみだるる玉だれのこすのおほ野の秋の初風

嵐吹寒草

吹きにけりむべも嵐とゆふ霜もあへずみだるる野べのあさぢふ(慕風愚吟集)

【通釈】吹いたことだ、まことに「あらし」という名も尤もの烈しさで――夕霜も結ぶ暇がないほど乱れ靡く野辺の浅茅生に。

【補記】「嵐とゆふ霜」は「嵐と言ふ」(仮名違い)、「結ふ霜」、「夕霜」の掛詞。

【本歌】文屋康秀「古今集」「百人一首」
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

百首歌たてまつりし時、浅雪

ふる程もあさぢにまじりさく花のなびくとぞみる今朝の初雪(新続古今688)

【通釈】降り積もった程度と言えば浅く、浅茅に混じって咲く白い花が靡き伏すほどと見える、今朝の初雪よ。

【補記】雪を花に見立てる。「程もあさぢ」に「程もあさし」を掛ける。

【主な派生歌】
ふるほどは小野のあさぢふあさけれどあまりてつもる峰の初雪(木下長嘯子)

遠嶺雪

峰たかみ雪のひかりも月影もおなじ雲間に明ぼのの空(後崇光院歌合)

【通釈】峰が高いので、雪明かりも月の光も同じ雲間に融け合って見える曙の空よ。

【補記】宝徳元年(1449)〜二年頃、後崇光院の仙洞御所で催された歌合、三十三番右。一条兼良の判詞に「おなじ雲まにあけぼのの空などは優に侍れば、右かつべきにや」とある。

【参考歌】飛鳥井雅経「明日香井和歌集」
月はいまくもりはてぬとながむれば雪のひかりも有明の空

遠山朝雪

あくるよの雲にふもとはうづもれて空にぞつもる嶺のしら雪(慕風愚吟集)

【通釈】夜明け、遠山を眺めれば、麓は雲にすっかり埋もれて、あたかも空に積もっているかのような峰の白雪よ。

【補記】『堯孝法印自歌合』には同題で五番十首の歌が見え、「みよし野や明けゆく雪の山のはに面影残る月の色かな」「白雲のはれまもおなじ色ながら朝風寒き雪の遠山」「おきいづる昨日の暮の雨ならし外山をうづむ雪の白雲」など清雅な佳詠が多い。

寄月恋

しばしだにいかで重ねんよとともに月はこととふ袖の涙を(慕風愚吟集)

【通釈】毎夜、どうしたのかと尋ねるように月が宿る、私の袖の涙――その濡れた袖を、暫くの間だけでも、どうにかしてあの人と重ねたい。

【補記】「よとともに」は「夜と共に」で「毎晩」の意味になると共に、「世と共に」で「いつまでも」「恋人同士で」といった意味にもなり得る。また「こととふ」には「訪れる」「話しかける」等の意がある。応永二十八年八月、茂成朝臣月次三首。

左大臣よませ侍りし新玉津島社三十首歌に、羇旅

草枕わが故郷のほかにまたとほつ飛鳥のみやこ恋しも(新続古今962)

【通釈】旅をしていれば故郷の都が懐かしくなるけれども、こうして飛鳥の地にやって来ると、遠い昔ここにあった都もまた恋しく偲ばれることだ。

【補記】「とほつ飛鳥」は大和国の明日香。大阪府南河内郡の「近つ飛鳥」に対してこう言う。允恭天皇代に遠飛鳥宮が置かれ、いわゆる飛鳥時代にも都が置かれた。

おもへなほけふのうつつに身をかへて昨日の夢をわするべしやは(慕風愚吟集)

【通釈】よくよく考えよ。今日の現実に身をすり替えて、昨日見た夢を忘れてもよいものか。

【補記】夢は何らかの前兆と考えられることが多かった。応永二十八年十二月。「二十日、室町殿男山に御参籠。細川右馬助祗候して、百首歌法楽侍りしに」。

此集おほせいだされし時、和歌所の開闔(かいかふ)になさるるよしうけたまはりて、つかうまつり侍りし

なほまもれ和歌の浦波かかる世にあへるや道の神もうれしき(新続古今2138)

【通釈】さらに和歌の道をお守り下さい。和歌の浦に波が寄せかかるように、かくも和歌が顕彰される時代に出遭って、この道の神もお喜びです。

【補記】「此集」は新続古今集。「かかる」は「波が掛かる」「斯くある」の両義。「道の神」は和歌の神である玉津島明神(衣通姫)。

【参考歌】頓阿「続草庵集」
猶まもれ今も神代の名残とてさすがにたえぬ敷島の道


最終更新日:平成15年01月17日