伊勢 いせ 生没年未詳

伊勢の御、伊勢の御息所(みやすどころ)とも称される。藤原北家、内麻呂の裔。伊勢守従五位上藤原継蔭の娘。歌人の中務の母。生年は貞観十六年(874)、同十四年(872)説などがある。没年は天慶元年(938)以後。
若くして宇多天皇の后藤原温子に仕える。父の任国から、伊勢の通称で呼ばれた。この頃、温子の弟仲平と恋に落ちたが、やがてこの恋は破綻し、一度は父のいる大和に帰る。再び温子のもとに出仕した後、仲平の兄時平平貞文らの求愛を受けたようであるが、やがて宇多天皇の寵を得、皇子を産む(『古今和歌集目録』には更衣となったとある)。しかしその皇子は五歳(八歳とする本もある)で夭折。宇多天皇の出家後、同天皇の皇子、敦慶(あつよし)親王と結ばれ、中務を産む。
延喜七年(907)、永く仕えた温子が崩御。哀悼の長歌をなす。天慶元年(938)十一月、醍醐天皇の皇女勤子内親王が薨じ、こののち詠んだ哀傷歌があり、この頃までの生存が確認できる。
歌人としては、寛平五年(893)の后宮歌合に出詠したのを初め、若い頃から歌合や屏風歌など晴の舞台で活躍した。古今集二十三首、後撰集七十二首、拾遺集二十五首入集は、いずれも女性歌人として集中最多。勅撰入集歌は計百八十五首に及ぶ。家集『伊勢集』がある。特に冒頭部分は自伝性の濃い物語風の叙述がみえ、『和泉式部日記』など後の女流日記文学の先駆的作品として注目されている。三十六歌仙の一人。

伊勢寺 大阪府高槻市
伊勢寺 大阪府高槻市奥天神町。伊勢晩年の住居跡と伝わる。

「伊勢集」 群書類従273(第15輯)・三十六人集 全(博文館)・私家集大成1・新編国歌大観3・和歌文学大系18

  9首  2首  3首  28首 哀傷 6首  12首 計60首

帰雁をよめる

春霞たつを見すててゆく(かり)は花なき里に住みやならへる(古今31)

【通釈】春霞が立つのを見捨ててゆく雁は、花の無い里に住み慣れているのだろうか。

【補記】人々が待望する花の季節を見捨て、北の空へ飛び立ってゆく雁を訝ってみせた歌。不可思議な事象に着目してその原因・理由を探るという歌い方は古今集によく見られるもの。当時の流行であるが、この歌では理知や技巧がおもてにあらわれず、遠い旅に発つ雁への作者の思い遣り(それが擬人化という形をとる)に暖かみが感じられる。なお「花なき里」は、貫之の歌「霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける」にも見られるが、先後関係は明らかでない。

【他出】新撰和歌、伊勢集、古今和歌六帖、和漢朗詠集

【主な派生歌】
まだきより花を見すててゆく雁やかへりて春のとまりをば知る(藤原定家)
問はばやな花なき里に住む人も春は今日とやなほ眺むらん(〃)
秋によする心とや見む春霞たつを見すてて雁も来にけり(後水尾院)
かへる雁春をよそなる谷陰は花なき里としばしやすらへ(*石野広通)

水のほとりに梅の花咲けりけるをよめる (二首)

春ごとに流るる川を花と見て折られぬ水に袖や濡れなむ(古今43)

【通釈】春になる毎に、流れる川に映った影を花と見誤って、折ることのできない水に袖が濡れるのだろうか。

【補記】流れる川の水に映った梅の花を見て、思わず手折ろうとし、むなしく水に袖を濡らしてしまった。この岸辺に梅が咲くたびに、また花に欺かれ、袖を濡らすことだろうか。「春ごとに」すなわち来年も再来年も同じあやまちを犯しそうだ、と言うことで、水面の花の影がいかにリアルであるかを強調している。いかにも知的にひねくった歌だが、梅の花に対する耽美の思いを、そうした誇張と婉曲によって表現しているのだ。水辺に佇む女のしぐさを思い浮かべるのも、艶な風情を添えるだろう。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、古来風躰抄、定家八代抄、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
影みえて汀にたてる白菊は折られぬ波の花かとぞ見る(村上天皇[新勅撰])
花の色の折られぬ水にさす棹の雫も匂ふ宇治の河長(*藤原定家[続古今])
龍田河折られぬ水の紅に流れてはやき秋の影かな(〃)
波かくる井手の山吹さきしより折られぬ水に蛙鳴くなり(土御門院[続後撰])
石ばしる滝つ岩根の桜花折られぬ水に枝なびきけり(藤原為家)
吉野川折られぬ水に袖ぬれて浪にうつろふ岸の山吹(藤原知家[続拾遺])
岸かげや折られぬ花のにほひをも波によせくる春の川水(村田春海)

 

年を経て花の鏡となる水はちりかかるをや曇ると言ふらむ(古今44)

【通釈】永年のあいだ、花を映す鏡となっている水は、普通の鏡とは違って塵がかかるのを曇るというのでなく、花が散りかかるのを曇ると言うのだろうか。

【補記】上の歌と同題。今度は川の水面を「花の鏡」に見立て、さらに凝った趣向へと進めている。「散りかかる」に「塵かかる」を掛け、年を経て古びた鏡なら塵がかかって曇るだろうが、花の鏡ならば花が散りかかるのを「曇る」と言うのだろう、と洒落た。知的な面白みが主眼の歌だが、「鏡」を持ち出してきたのは女らしい発想で、そんなところがまた歌に色気を添えているのだ。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、和歌体十首、和歌十体、定家八代抄、六華集

【主な派生歌】
かげきよき花の鏡と見ゆるかな長閑にすめる白川の水(源有仁[千載])
梅が香やまづ映るらむ影きよき玉島川の花の鏡に(藤原定家)
春をへて門田にしむる苗代に花の鏡の影ぞかはらぬ(〃)
ゆく水の花の鏡の影もうしあだなる色のうつりやすさは(〃)
散りかかる花の鏡の水の面にかさねてくもる春の夜の月(源資平[続古今])
散りかかる影もはかなく行く水に数かきあへぬ花の白波(憲実[続拾遺])

春の心を

青柳の糸よりはへて織るはたをいづれの山の鶯か着る(後撰58)

【通釈】青柳の糸をねじり合わせて延ばして織った布を、どこの山の鶯が着るのだろうか。

【補記】「青柳の糸」という詞から発想し、その糸を撚(よ)り延ばして織った布なら、さぞかし美しいだろう、と想像を広げた。きっと、どこかの深山に住む鶯が、そんな衣を織って着ているのではないか。古今集の神遊び歌(下記参考歌)にインスピレーションを得た歌かと思われるが、鶯はメルヘン風の空想を誘う鳥であるらしい。

【参考歌】「古今集」神遊歌
青柳を片糸によりて鶯のぬふてふ笠は梅の花笠

寛平御時后宮の歌合歌

水のおもにあやおりみだる春雨や山のみどりをなべて染むらん(新古65)

【通釈】水面に綾を乱すように織る春雨が、山の緑をすべて染め上げるのだろうか。

【補記】これも「花の鏡」の歌などと同様、水面の影像に着目した歌。春雨が水面に描く波紋を「綾織り乱る」と見、山の若葉の緑色をいちめんに染めているのか、と見なした。表層的なイメージの戯れへの嗜好は古今的だが、さらに色彩感を添えたことで、いかにも新古今入集歌にふさわしくなった。寛平四年(892)頃、宇多天皇の母であり先帝光孝天皇の女御であった班子女王の宮で行なわれた歌合に出された作。

【他出】寛平御時后宮歌合、新撰万葉集、伊勢集、古今和歌六帖、綺語抄、新撰朗詠集、和歌童蒙抄、定家八代抄

【参考歌】紀友則「後撰集」(先後関係は不明)
水のおもにあや吹きみだる春風や池の氷を今日はとくらむ

【主な派生歌】
春雨のあやおりかけし水のおもに秋はもみぢの錦をぞしく(道命[詞花])
しづたまき夕はたぐものたてぬきにあやおりみだる春雨の空(藤原秀能)
夕がすみ消えゆく雁や雲とりのあやおりみだる春の衣手(順徳院)
春雨も山のみどりをそめぬまに霞ぞはやく深さまされる(契沖)

斎院の屏風に山道ゆく人ある所

散り散らず聞かまほしきをふるさとの花見て帰る人も逢はなむ(拾遺49)

【通釈】散ったか、散っていないか、尋ねたいのだが。古里の花見から帰る人にでも、出逢えないものだろうか。

【補記】賀茂斎院の屏風絵に添えた歌。「斎院」は誰とも確定できないが、同じ拾遺集に紀貫之の延喜十五年の屏風歌があり、これと同じ時であれば、醍醐天皇の皇女恭子内親王と推測される。画中の人物の心になって詠んだ歌。平明な歌いぶりゆえか、古今・後撰には漏れたが、のち藤原公任撰「三十六人撰」「金玉集」などに採られて高い評価を得た。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、拾遺抄、金玉集、全十五番歌合、三十六人撰、和歌体十種

【主な派生歌】
行き行かず聞かまほしきをいづかたにふみさだむらんあしうらの山(藤原定頼)
散り散らずおぼつかなきは春霞たなびく山の桜なりけり(祝部成仲[新古今])
散り散らず人もたづねぬ古郷の露けき花に春風ぞ吹く(慈円[新古今])

やよひにうるふ月ありける年よみける

さくら花春くははれる年だにも人の心に飽かれやはせぬ(古今61)

【通釈】桜の花は、ひと月余分に春が多い年でさえ、人の心に満足されずに散ってしまうのか。飽きるまで咲いていておくれ。

【語釈】◇飽かれやはせぬ どうして飽かれるまで咲かないのか。飽かれるまで咲いておくれ。「春の久しき年だに、人にあかれよとをしふる心也」(僻案抄)。「やはせぬ」は反語でなく、勧誘・希望の心をあらわす。

【補記】詞書の「弥生に閏月ありける年」とは、一年に三月が二度あった年。それを歌では「春くははれる年」と言っている。そんな稀な年でさえ、おまえはやはり人々が堪能しないうちに慌ただしく散ってしまうのか、と桜に呼びかけた趣向。古今集では落花の歌群の前に置かれているので、満開の桜に向かって「今年くらいは長く咲いていてくれないものか」と願う心持を読むべきであろう。なお、古今集撰進の勅が下された前年の延喜四年(904)が閏三月のあった年にあたる。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、和歌色葉、古来風躰抄、定家八代抄、僻案抄

【主な派生歌】
さくら花春くははれる年しもぞ常よりもなほ散りまさりける(藤原高遠)
常よりものどけくにほへ桜花春くははれる年のしるしに(藤原顕季[風雅])
世の人の心の花もあひにあひぬ春くははれる春を待ちえて(烏丸光広)

題しらず

山桜ちりてみ雪にまがひなばいづれか花と春に問はなむ(新古107)

【通釈】山桜が雪と見分けがたく舞い散るのであれば、どれが花かは春に問いましょう。

【補記】延喜二十一年(921)、京極御息所歌合の出詠歌。藤原忠房が京極御息所(藤原時平女、褒子)に献じた二十首の歌の返歌を女房たちに詠ませ、それらの歌を左右に分けて勝負を競うという変わった趣向の歌合であった。掲出歌は忠房の「みゆきふる春日の山の桜花えこそ見わかねこきまぜにして」に対する返歌として詠まれたものである。桜の花は春のものだから、春に訊けば判定してくれるだろう、と興じた。

亭子院歌合の時よめる

見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむのちぞ咲かまし(古今68)

【通釈】見る人もない山里の桜花よ、おまえ以外の花がすっかり散ってしまったあとに咲けばよいのに。

【補記】延喜十三年(913)三月十三日、宇多法皇の御所で催された歌合に出された作。古今集春上の巻末歌である。遠い山里に、眺める人もいないまま咲いている桜を思いやって、そこ以外の花がすっかり散ってしまったあとに咲けばよいのに、と呼びかけた趣向。そうであれば、都の人も出かけていって花見をするだろうにと、甲斐もなく咲いている花を憐れんでいる。山の桜は平地の桜に遅れて咲くのが普通だが、この歌では山里と都を一般論として対比しているのではない。人知れず咲いているどこかの山里の桜を想像し、その桜への深い思い入れを詠んでいるのである。

【他出】新撰和歌、伊勢集、古今和歌六帖、和歌用意条々、桐火桶

【主な派生歌】
みる人もなき山里の花の色はなかなか風ぞ惜しむべらなる(藤原道信)
みる人もなき山里の秋の夜は月のひかりもさびしかりけり(藤原範永)
中々にをしみもとめじ我ならで見る人もなき宿の桜は(藤原定家)
光なき谷には春もおそ桜ほかの散りなむ後やみるべき(花山院長親母[新葉])
かたみには外の散りなむとばかりに教へし花のかげもいつまで(三条西公条)

女の物見にいでたりけるに、こと車かたはらに来たりけるに、物など言ひかはして、後につかはしける

時鳥(ほととぎす)はつかなるねを聞きそめてあらぬもそれとおぼめかれつつ(後撰189)

【通釈】ほととぎすのかすかな鳴き声を初めて聞いて、それからというもの、何を聞いてもほととぎすの声かと聞き違えられて、いったいどうしたのかと思っています。

【補記】詞書の「女」は作者の伊勢を指す。車に乗って物見に出かけたところ、別の車がそばに寄せて来た。その車に乗っていた人と言葉を交わした後、歌を書いて贈った、という。時鳥の声に寄せて、あなたの声が忘れられない、と言い遣ったのである。「おぼめく」は「はっきりせず、不審に思う」ほどの意。時鳥の鳴く季節といえば、賀茂祭の見物の時であろうか。

(題欠)

宵のまに身を投げはつる夏虫は燃えてや人に逢ふと聞きけむ(伊勢集)

【通釈】夜の間に火中へ身を投げて命果てた夏虫は、身を燃やすことで恋しい人に逢えると聞いたのだろうか。

【語釈】◇夏虫 夏に現れる虫。特に蛍を指すこともあるが、この歌では蛾など火中に飛び入る虫。

【補記】『伊勢集』に「夏虫の身をも惜しまで魂(たま)しあらば我もまねばむ人目もる身ぞ」(大意:夏虫は身を惜しまず燃やしても魂だけは残っているのなら、私も真似よう、人目を憚る恋をしている身なのだから)という歌があり、併せて味読したいところ。

法皇、伊勢が家の女郎花を召しければ、たてまつるを聞きて   枇杷左大臣

女郎花折りけむ枝のふしごとに過ぎにし君を思ひいでやせし

【通釈】折り取った女郎花の枝の節ごとに――折節折節、去って行かれた法皇様のことを思い出したでしょうか。

返し

をみなへし折りも折らずもいにしへをさらにかくべきものならなくに(後撰350)

【通釈】折るも折らないも、女郎花は昔のことを思い出させる花では全くありませんのに。

【補記】宇多法皇が伊勢に命じて自家の女郎花を献上させた。それを聞いた枇杷左大臣藤原仲平――伊勢の若き日の恋人である――が歌を贈り、かつて寵愛を受けた法皇への思いを尋ねて来た。それに対する返しの歌。女郎花は「昔の人の袖の香ぞする」と歌われた橘などとは違う。私は今更心にかけてなどいないし、これを機会に昔を懐かしむこともない、ときっぱり言い遣ったのである。いつ頃の贈答とも知れないが、宇多天皇の譲位は寛平九年(897)で、伊勢はまだ二十代半ば。仲平はかつての恋人への未練がましさを示したわけだが、伊勢の「いにしへ」は仲平との関係も含めてのことだったのかどうか。

(題欠)

萩の月ひとへに飽かぬものなれば涙をこめてやどしてぞみる(伊勢集)

【通釈】萩の花に照る月影は、ひたすらに見ても飽きないものなので、目に涙を籠めておいて、その中に宿していつまでも眺めるのだ。

【補記】初句「秋の月」、第三句「ものならば」とする本もある。

前栽に鈴虫をはなち侍りて

いづこにも草の枕をすず虫はここを旅とも思はざらなむ(拾遺179)

【通釈】どこにあっても草を枕とする鈴虫だが、放ちやったこの庭を旅の宿とは思わないでほしい。どうか我が宿と思って、ここに居着いてほしいものだ。

【語釈】◇草の枕 草を枕に寝ることから、旅を意味する。◇すず虫 動詞「す(為)」を掛けて、前句から「草の枕をす」とつながる。

題しらず

忘れなむ世にもこしぢの(かへる)山いつはた人に逢はむとすらむ(新古858)

【通釈】忘れてしまおう。まさかあの人は来るまい――遠い越路の帰山・五幡山から、いつまた帰って私に逢おうというのか。

【語釈】◇忘れなむ きっと忘れてしまおう。「なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」が付いたもの。◇世にもこしぢの 「世にも来じ」(決して来ないでしょう)の意が掛かる。◇帰山 越前国の歌枕。福井県南条郡今庄町帰の山。動詞「帰る」との掛詞。◇いつはた いつまた。越前国の歌枕「五幡」(敦賀市五幡の山)との掛詞。

【補記】越の国の歌枕に寄せて、つれない恋人への恨みを詠む。『伊勢集』の古歌集混入部分と考えられている箇所にあり、伊勢の真作かどうか疑問だが、当面新古今集に従い伊勢の作としておく。

【他出】伊勢集、定家十体(幽玄様)、桐火桶、心敬私語、歌枕名寄

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻十八
かへるみの道ゆかむひは五幡の坂に袖振れ我をし思はば

題しらず

わが恋はありその海の風をいたみしきりによする浪のまもなし(新古1064)

【通釈】私の恋心といったら、休む暇もない。有磯海(ありそうみ)に吹く風が激しいために、頻りに寄せる大波に絶え間がないように。

【語釈】◇ありその海 越中国の歌枕。「荒磯の海」ではない。万葉集で大伴家持が詠んで以後「あゆの風」と呼ばれる風が吹くことで都の人にも知られた。参考:歌枕紀行

【補記】前歌と同じく『伊勢集』の古歌集混入部分と考えられている箇所にあり、伊勢の真作かどうか疑問だが、当面新古今集に従い伊勢の作としておく。

【他出】伊勢集、秀歌大躰、歌枕名寄

思ふことありけるに

身の憂きをいはばはしたになりぬべし思へば胸のくだけのみする(伊勢集)

【通釈】我が身のつらさを口に出したいけれど、言えば中途半端になってしまうにちがいない。かと言って心の中で思っていれば、胸が砕けるばかりなのだ。

【補記】後撰集では「身の憂きを知らばはしたになりぬべみ思ひは胸の焦がれのみする」。

【主な派生歌】
ともかくも言はばなべてになりぬべしねになきてこそ見せまほしけれ(*和泉式部)

題しらず

知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名の空にたつらむ(古今676)

【通釈】恋の秘密は枕が知るというので、枕さえしないで寝たのに。枕に積もる塵が目に立つというが、どうして塵ならぬ噂が根拠もなしに立つのだろう。

【補記】古今集巻十三、恋三巻末。枕はそこに頭を載せて寝る人の心を知るものとされたので、はずして寝ていた。にもかかわらず、忍ぶ恋の思いは世間に漏れてしまったという惑乱。「塵」は名が「立つ」ことの引き合いとして出したものであるが、枕に積もった塵(男の訪問が途絶えたしるし)をも暗示していよう。

【主な派生歌】
枕だに知らねばいはじ見しままに君かたるなよ春の夜の夢(*和泉式部)
知るやとて枕だにせぬ宵々のこころの外にもる涙かな(藤原知家[続後撰])
我が涙露ももらすな枕だにまだしらすげの真野の秋風(後嵯峨院[続拾遺])

しのびて知りたりける人を、やうやう言ひののしりければ、(かうぶり)の箱に玉を入れたりければ、それに、女の()ひつけたりける

たきつせと名のながるれば玉の緒のあひ見しほどを比べつるかな(伊勢集)

【通釈】噂が激流となって流れましたので、玉の緒のように短い逢瀬と、程度の差を比べてしまいました。

【補記】ひそかに愛し合うようになった相手との仲が、次第にうるさく評判に立つようになった。その頃、男の冠をしまう箱に宝玉を入れて、歌を結びつけておいた。噂と事実の食い違いの大きさに呆れつつ、なかなか逢えぬ辛さを男に訴えかけている。「玉の緒」は、詞書にあるように、歌を「玉」に「結ひつけ」たことの縁から持ち出した語だが、下記本歌により逢瀬の短さを暗示することになる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
逢ふことは玉の緒ばかり名のたつは吉野の川の滝つ瀬のごと

題しらず

夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝なわがおもかげに恥づる身なれば(古今681)

【通釈】夢でさえ逢ったとは見られたくない。毎朝、鏡に映った自分の面ざしに恥じ入る身であるから。

【補記】現実には逢い難い恋人に、せめて夢で逢えることは嬉しいはずなのだが、しかし作者は「見ゆとは見えじ」(逢ったとは見られたくない)と言う。朝毎に鏡に映す我が面影は恋にやつれ、人に見せるのは恥ずかしいから、というのがその理由。「面影に恥づる身」は決して卑下でなく、愛しい人にこんな自分の顔は見せたくない、という女らしい矜持と羞らいであろう。それはまた、恋の苦しみを婉曲に相手へ訴えかけていることになる。知的なひねりがあって、しかも艶な歌いぶりに、この作者らしさが見られる。

【補記】『伊勢集』には「人の見つとだにいへとありしかば」の詞書で「夢にても見つとはいはじ朝な朝なわがおもかげにはづる身なれば」とする。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖

【参考歌】賀茂女王「万葉集」
大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜にただにあへりとも

【主な派生歌】
夢をだにみつとは言はじ難波なる葦のしのやの夜はの秋風(*二条為氏[続千載])
夢にだにみつとは言はじおのづから思ひあはする人もこそあれ(源俊定[風雅])

心のうちに思ふことやありけむ

見し夢の思ひ出でらるる宵ごとに言はぬを知るは涙なりけり(後撰825)

【通釈】恋しい人に逢った夢が思い出される宵ごとに、涙がこぼれてしまう。誰にも告げていない秘めた思いを知るのは、涙であったのだ。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中のうきもつらきもつげなくにまづしる物は涙なりけり

【主な派生歌】
秋きぬといはぬをしるは吹く風の身にしむ時の心なりけり(少将内侍[続古今])

題しらず

わたつみとあれにし床を今更にはらはば袖やあわとうきなむ(古今733)

【通釈】恋人に去られ、海の如くに濡れ荒れた寝床を、今更払おうとしたところで、私の袖は泡のように涙の海に浮き漂うだけだろう。

【語釈】◇わたつみと 海の如くに。涙で濡れた寝床の喩え。◇あれにし床 荒れてしまった寝床。「あれにし」には「離(あ)れにし」が掛かり、男の訪れが絶えていることを暗示する。◇今更にはらはば 今更(あの人が来るかと)床を払えば。◇袖やあわとうきなむ 我が袖は(床を払うことなどできず)泡のように涙の海に浮き漂ってしまうだろう。

【補記】この歌は後撰集では枇杷左大臣(仲平)の「よひの間にはやなぐさめよいその神ふりにし床もうちはらふべく」への返歌として載る。

【主な派生歌】
天の河あれにし床をけふばかりうちはらふ袖のあはれいくとせ(藤原定家)
山風のあれにし床をはらふ夜はうきてぞこほる袖の月影(〃)

題しらず

ふるさとにあらぬものから我がために人の心のあれて見ゆらむ(古今741)

【通釈】人の心は、荒れて行く古里でもないのに、どうして私にとっては、疎遠になってゆくように見えるのだろうか。

【語釈】◇ふるさと 寂れた里。◇あらぬものから 「ものから」はこの場合逆接条件を示す助詞。「…なのに」の意。◇我がために 私にとって。◇人の心 この「人」は恋の相手。◇あれて見ゆらむ 「あれて」は「荒れて」「離れて」の両義。

題しらず

あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるる顔なる(古今756)

【通釈】よくもまあ合いにも合って――物思いに耽っている時分の私の袖では、宿っている月さえ濡れた顔をしていることよ。

【補記】「あひにあひて」は「合ひ」を強調する言い方。「よくもぴったり合って」ほどの意になり、以下の句全体にかかっている。ちょうど恋に悩んで物思いをしている頃だから、私の袖は涙に濡れて月を映しているが、見れば私同様、月までも濡れた顔をしている。よくも似通っていることよ、との心。直接「涙」を言わず、月の顔から自身の泣き濡れた顔をイメージさせているところに、奥床しさと可憐さを感じる。暗示的表現を好んだ新古今歌人に愛誦されたらしく、さかんに本歌取りされている。伊勢の恋歌の代表作の一つ。

【補記】後撰集にも載る。第四句は「わが袖は」。

【他出】後撰集(重出)、伊勢集、古今和歌六帖、俊成三十六人歌合、定家八代抄、時代不同歌合

【主な派生歌】
あひにあひて物思ふ春はかひもなし花も霞もめにしたたねば(*和泉式部)
をみなへし池のさ波に枝ひちて物思ふ袖のぬるる顔なる(西行)
あひにあひて物おもふ比の夕暮に鳴くやさ月の山ほととぎす(藤原家隆)
秋はまた濡れこし袖のあひにあひて雄島の海人ぞ月になれける(藤原定家)
なれし夜の月ばかりこそ身にはそへ濡れても濡るる袖にやどりて(〃)
秋の月袖になれにし影ながら濡るる顔なる布引の滝(〃)
袖のうへにぬるる顔なる光かな月こそ旅の心しりけれ(藤原俊成女)
すがまくら玉ちる閨の袖のうへにぬるるがほなる床の月かげ(後鳥羽院)
何となく昔恋しき我が袖のぬれたるうへにやどる月影(藤原秀能[風雅])

まかる所知らせず侍りける頃、又あひ知りて侍りける男のもとより、「日頃たづねわびて、失せにたるとなむ思ひつる」と言へりければ

思ひ川たえずながるる水のあわのうたかた人に逢はで消えめや(後撰515)

【通釈】思い川の絶えず流れる水――そこに浮かぶ泡のようにはかなく、あなたと逢わずして消えるなどということがあるでしょうか。

【補記】どこに出かけたとも知らせずにいた頃、交渉のあった男から「あなたを探しあぐねて、もう死んだものと思いました」と言って来たのに歌で答えた。「思ひ川」は絶えず涙を流させる恋の思いを川になぞらえたものであろうが、後世、筑前国の染川と同一視されて歌枕となった。「ながるる」は「泣かるる」と掛詞。「うたかた」は泡と同義だが、「うたがた」(かりそめにも、の意)と掛詞になる。多くの秀歌撰に採られた、伊勢の代表作。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、俊成三十六人歌合、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、定家十体(幽玄様)、時代不同歌合、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
今ぞ知るあひそめ川の水上はたえずながるる涙なりけり(源仲綱)
思ひ川身をはやながら水のあわの消えても逢はむ波のまもがな(藤原家隆)
夏虫の身よりあまれる思ひかは逢はで消えめや波のうたかた(後鳥羽院)
おのづからむすぶ契りも夏川のうたかた人に消えつつぞふる(順徳院)
めぐりゆく床の涙のうたかたに秋さへ冬に逢はで消えめや(正徹)

すまぬ家にまで来て紅葉に書きて言ひつかはしける   枇杷左大臣

人すまず荒れたる宿を来て見れば今ぞ木の葉は錦おりける

【通釈】(通いが途絶えていた女の家にやって来て、紅葉に歌を書いて贈った。)人も住まずに荒れた家に来てみましたら、今まさに木の葉が錦を織ったように美しく紅葉していたことです。

返し

涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色もこさまさりけり(後撰459)

【通釈】時雨が降るのに伴って、涙さえしきりと落ちる古里は、血の涙に染まって紅葉の色もいっそう濃くなったことです。

【語釈】◇ふるさと 昔馴染みの里。古びた里の意にもなる。伊勢の実家は奈良にあった。「降る」を掛ける。

【補記】後撰集では秋歌としているが、『伊勢集』では仲平との恋の経緯を描く歌物語の冒頭に位置する贈答。ひとたび恋仲となった仲平は他家の聟となってしまい、伊勢の家への通いは途絶えていた。久々に訪れた仲平が、紅葉を詠んで婉曲に伊勢の美しさを讃え、未練の情を示したのに対し、紅葉の色がまさったのはあなたのせいで流した紅涙ゆえだ、と恨んだ歌である。

【主な派生歌】
あはれなる時を夕べと思ふより時雨にそひてふる涙かな(心円[玉葉])

仲平の朝臣あひしりて侍りけるを、()れがたになりにければ、父が大和の守に侍りけるもとへまかるとて、よみてつかはしける

みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今780)

【通釈】三輪山で、どのように待って、あなたに逢えるというのだろうか。たとえ何年経とうとも、訪ねてくれる人などあるまいと思うので。

【語釈】◇みわの山 奈良県桜井市の三輪山。円錐形の美しい山容をもつ。日本最古の神社とも言われる三輪神社(大神神社)があり、大物主神を祀る。◇たづぬる人 仲平を指す。

【補記】傷心のすえ、大和守であった父のもとに移り住もうと決心した時、仲平に書き送った歌。大和国府は三輪山麓にあった。しかもこの山は、古歌に「恋しくはとぶらひ来ませ」と詠まれ、大和国のシンボル的な山でもあるから、歌い起しに用いるには恰好であった。「いかに待ち見む」には、男の訪問へのかすかな期待に縋る心情と、どのように待ち暮らそうとも結局虚しいだろう、との諦念がせめぎあって哀れ深い。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門

【他出】新撰和歌、伊勢集、古今和歌六帖、金玉集、深窓秘抄、三十人撰、三十六人撰、俊成三十六人歌合、近代秀歌、定家八代抄、時代不同歌合、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
たづねてもいかに待ちみむほととぎすみわの山べの夕暮の空(藤原家隆)
我が身なほいかにまちみむ三輪の山つれなくてのみすぎのむらだち(藤原雅経)
木がらしやいかにまち見むみわの山つれなき杉の雪折のこゑ(源具親)
うつつにはとはで年ふるみわの山いかに待ちみむ夢のかよひぢ(源資平[新拾遺])
尋ねてもいかに待ちみむ郭公初音つれなき三輪の山本(宗尊親王[新続古今])

女につかはしける      贈太政大臣

ひたすらに厭ひはてぬる物ならば吉野の山にゆくへ知られじ

【通釈】貴女が私をひたすら最後まで厭い続けるのなら、私は世を厭い、吉野の山に籠って行方をくらましてしまおう。

返し

我が宿とたのむ吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ(後撰809)

【通釈】私の住み処も吉野をあてにしていましたので、あなたが隠れ住むのでしたら、名高い吉野の桜の枝で仲良く同じ挿頭をさして山人になりましょう。

【補記】藤原時平との贈答。『伊勢集』によれば、仲平との仲が絶えていた頃、兄の時平に言い寄られたが、伊勢は逢おうとしなかった。世をはかなんだ時平が隠棲をほのめかしたのに対し、応えた歌。「かざし」は頭髪に花の枝などを挿すこと。

にごり江のすまむことこそ難からめいかでほのかに影をだに見む

【通釈】濁り江だから、澄むことは難しいのでしょう。なんとか水面に映ったあなたの影だけでも、ほのかに見たい。

返し

すむことのかたかるべきに濁り江のこひぢに影のぬれぬべらなり(伊勢集)

【通釈】おっしゃるように、すむことは難しいのでしょう。それで、泥水に映った私の影は濡れている様子です。

【補記】男から歌を贈って来た。「すむ」に「住む」(女の家に通う意)を掛け、通うことは許されないまでも、一目逢いたい、と言って来たのである。対して伊勢の答えた歌。「こひぢ」(泥水)に「恋路」を掛けて、「あなたの逢いたがっている私は、この辛い恋に泣き濡れています」と言い遣った。当意即妙、しかも情の籠った返歌。

【補記】玉葉集には「題しらず」として次のように載る。
すむ人のかたかるべきに濁り江は恋路にかげもみえぬなりけり

人の返り事せざりければ、かへでを折りて、時雨のする日

ことのはのうつろふだにもあるものをいとど時雨のふりまさるらむ(伊勢集)

【通釈】ただでさえ楓の葉がうつろうのに、さらに時雨が激しさを増して降るのだろうか。

【語釈】◇ことのは 男の手紙の意に、楓の「葉」をかける。◇うつろふ 楓の葉が紅葉したことに掛けて、男の手紙が来なくなったこと、すなわち男が心変わりをしたことを言う。◇時雨 涙を暗示。

【他出】新古今集に入集。詞書は「題しらず」。

【参考歌】小野小町「古今集」
今はとて我が身しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり

人に忘られたりと聞く女のもとにつかはしける   よみ人しらず

世の中はいかにやいかに風のおとをきくにも今は物やかなしき

【通釈】どうお過ごしですか。お二人の仲は、いかがなりましたこと。吹きつのる風の音を聞くにつけても、今は物悲しいのでは。

返し

世の中はいさともいさや風のおとは秋に秋そふ心地こそすれ(後撰1293)

【通釈】二人の仲は、さあ、どうでしょうか。風の音は秋に秋が添う心地がしますけれど。

【補記】伊勢が男に捨てられたと噂を聞きつけて、知合いが歌を贈って来たのに対し、伊勢が返した。「秋」に「飽き」(男に飽きられる意)を掛け、「おっしゃる通り、物悲しい気持で過ごしています」と答えたのである。親しい女友達とのやりとりであろう。『伊勢集』では立場が逆になっていて、友達が悩んでいることを聞いて挨拶の歌を贈ったのは伊勢であり、それに相手が答えたことになっている。拾遺集雑恋では伊勢の歌が読人不知として載っている。

題しらず (二首)

みくまのの浦よりをちに漕ぐ舟の我をばよそにへだてつるかな(新古1048)

【通釈】熊野の浦を遠く離れて漕いでゆく舟のように、あの人は私を他人として隔ててしまったのだ。

【補記】「みくまのの浦」は紀伊国の歌枕。今の熊野市から新宮市にかけて、弓なりの長大な海岸線を形成する。万葉集には「み熊野の浦の浜木綿」を詠んだ歌がある(4-496)。なおこの歌は『伊勢集』の古歌集混入部分にあり、伊勢の作とすることは疑問視されている。

【主な派生歌】
なれきつる霞の衣たちわかれ我をばよそにすぐる春かな(藤原教実[新勅撰])
あま小舟我をばよそにみ熊野の浦より遠に遠ざかりつつ(藻壁門院但馬[新拾遺])

 

難波潟(なにはがた)みじかき(あし)のふしのまも逢はでこの世をすぐしてよとや(新古1049)

【通釈】難波潟――その水辺に生える短い蘆の節の間のような、ほんのわずかの間さえ、あなたと逢わずに、この世をむなしく終えてしまえとおっしゃるのですか。

短き蘆の節の間
短き蘆の節の間 春先の生えて間もない短い蘆は節も短い。

【語釈】◇難波潟 いまの大阪市中心部あたりには、当時、水深の浅い海や、蘆におおわれた低湿地が広がっていた。その辺を難波潟とか難波江とか呼んだ。◇みじかき蘆の この句までが「ふしのま」を導く序詞。「ふしのまといへばすなはちみじかき心あれども、わきて『みじかき蘆の』とよめるは其みじかきが中のみじかきほどをいはむとてなり」(改観抄)。◇ふしのまも 前の句からの続きとしては「(蘆の)節と節の間も」の意になるが、後の句へのつながりとしては「ほんのわずかな時間も」の意になる。「ふし」には「臥し」が掛かる。◇逢はでこの世を 逢わずにこの世を。「世」は「人生」の意だが、「男女の仲」の意も含む。また「節(よ)」と掛詞になり、「ふし」と共に蘆の縁語。◇すぐしてよとや 過ごしてしまえとおっしゃるのですか。

【補記】この歌は『伊勢集』の古歌集混入部分にあることから、伊勢の作とすることを疑問視する説もある。なお、天理図書館蔵定家等筆本の『伊勢集』では「秋ごろうたて人の物いひけるに」の詞書が付く。

【他出】伊勢集、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌(自筆本)、百人一首、歌枕名寄

【主な派生歌】
立ちかへり逢はでこの世を杉のとのたてながらのみくちやはてなん(藤原家隆)
難波なる身をつくしてのかひもなし短き蘆の一夜ばかりは(藤原定家[続後拾遺])
あしの屋のかりねの床のふしのまもみじかくあくる夏の夜な夜な(藤原定家)
夏の夜はみじかき蘆のふしの間にいつしかかはる秋の初風(飛鳥井雅経)
難波江やうきてものおもふ夏の夜のみじかき蘆のふしのまもなし(〃)
難波江やみじかき蘆のよとともにおつる涙を知る人ぞなき(道珍[遠島歌合])
世世かけていひしにかはる契りゆゑみじかきあしのねをのみぞなく(藤原為家)
つひにさて逢はで此世を過してはたがつれなさの名をか残さむ(洞院公宗母[新続古今])
みるほどはみじかきあしのふしのまもなみに入江のみか月のかげ(本居宣長)

(題欠)

沖つ藻をとらでややまむほのぼのと舟出しことは何によりてぞ(伊勢集)

【通釈】沖の海藻を取らずにやめたりしようか。ほのぼのと明ける頃、船出したのは何ゆえだったのか。

【語釈】◇沖つ藻(も) 沖に生える海藻。これを刈るのは若い女性の仕事であったらしい(【参考歌】)。

【補記】古歌集が混入したと推測される部分にある歌。沖つ藻に寄せて恋の成就の決意を詠んだ歌か。

【校異】『伊勢集』西本願寺本では「うきつつもかくてややまむこぐふねのふなでしこともなにゆゑにぞは」とある。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
梶の音ぞほのかにすなる海人をとめ沖つ藻かりに船出すらしも

(題欠)

空蝉の()におく露の()がくれてしのびしのびに濡るる袖かな(伊勢集)

【通釈】蝉の羽におく露が木の間に隠れて人に見えないように、自分も人に隠れて忍び忍びに涙に袖を濡らすことよ。

【補記】これも古歌集混入部分にある歌。「空蝉の羽におく露」という美しくも果敢ないものに寄せて、忍ぶ恋の悲しみを詠む。『源氏物語』に空蝉が源氏に返した歌として引かれている。通釈文は『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より借りた。

【他出】源氏物語、物語二百番歌合、源氏物語歌合、風葉集、歌林良材

【主な派生歌】
木がくれて物をおもへば空蝉の羽におく露のきえやかへらん(源実朝)
あふことも今はむなしき空蝉の羽におく露のきえやはてなん(宗尊親王)

物いみじうおもひはべりしころ

わびはつる時さへ物のかなしきはいづこをしのぶ涙なるらむ(伊勢集)

【通釈】くよくよと悩んで疲れ切ってしまった時でさえ、何となく心が悲しいのは、どの人を偲んで流す涙ゆえなのだろうか。

【語釈】◇いづこをしのぶ涙なるらむ どこ(の人)を偲んで流す涙ゆえなのだろうか。「しのぶ」は「恋い慕う・思慕する」ほどの意。「涙なるらむ」は、涙を流す理由をさぐる気持で言う。

【他出】古今集813には読人不知の歌として載る。また後撰集936には伊勢の作とするが、詞書は「男の忘れ侍りにければ」、結句は「心なるらむ」となっている。

物思ひけるころ、ものへまかりけるみちに野火のもえけるをみてよめる

冬がれの野べとわが身をおもひせばもえても春を待たましものを(古今791)

【通釈】我が身を冬枯れの野辺と思うことができるなら、このように恋の苦しさに焼かれながらも、新しい草が育つ春を待とうものを。

【語釈】◇おもひせば 思ったならば。「せ」は記憶の助動詞「き」の未然形。接続助詞「ば」と結び付いて、現実にはあり得ない(現実とは正反対の)事態を仮定する。

【補記】恋に悩んでいた頃、どこかへ行く道で、野火を見て詠んだ歌。「野火」は枯草を焼く火で、若芽の生育を促すためのもの。「枯れ」に「離(か)れ」を掛け、「冬枯れの野」は男から忘れられつつある我が身の暗喩となる。「待たましものを」の「まし」は現実に反する仮想を言うときの助辞で、実際には春という喜ばしい季節――新しい恋の暗喩――を待望する気持にはなれない、ということである。

【他出】『伊勢集』には第四句「もえむはるをも」。

題しらず

人知れず絶えなましかば侘びつつも無き名ぞとだに言はましものを(古今810)

【通釈】世間の人に知られることのないままこの恋が終わったのだったら、歎きつつも、事実無根の噂だったとだけでも言おうものを。すでに知られてしまった仲なのだから、そんな言い訳もむなしい。恋人を失った上に、世間の噂の種にまでなってしまうとは…。

題しらず(三首)

年月の行くらむ方もおもほえず秋のはつかに人の見ゆれば(拾遺906)

【通釈】歳月はいつの間に移ってゆくのだろう――その感覚も失っている。秋の果てようかという頃、ほんの僅かにあの人に逢ったので。

【補記】秋の終りのはかない逢瀬。その後、季節がいつの間に過ぎてしまったか、その頃合も覚えていない、ということ。「行くらむ方」の「方」は時間的な意味で用い、「頃」「時分」ほどの意。「はつか」は「僅か」の意に「果つか」を掛ける。

 

思ひきやあひ見ぬほどの年月をかぞふばかりにならむものとは(拾遺907)

【通釈】思いもしなかった。逢わなくなってどれ程経ったか、その年月を数えるほどになろうとは。

【補記】後撰集に源信明のよく似た歌「思ひきやあひ見ぬことをいつよりとかぞふばかりになさむ物とは」がある。勅撰入集は信明の歌が先になったが、伊勢の方が時代的には先んじる。

 

遥かなる程にもかよふ心かなさりとて人の知らぬものゆゑ(拾遺908)

【通釈】遥かな距離まで通う私の心であるよ。とは言え、あの人は知りもしないのだけれど。

【補記】「遥かなる」はもとより物理的な距離ではない。心が遠く隔たった恋人に、それでも思いを寄せている。「ものゆゑ」はここでは逆接。

題しらず

思ひいづや美濃のを山のひとつ松ちぎりしことはいつも忘れず(新古1408)

【通釈】あなたも思い出すでしょうか。美濃の御山の一つ松――その枝を結んで誓い合ったことは、片時も忘れずにいます。

【語釈】◇思ひいづや 別れた恋人に対して言う。◇美濃のを山 美濃の御山。美濃国一宮、南宮神社の南にある南宮山。山頂に目印になる一本松があったらしい。◇ちぎりしこと 長寿の松によせて、愛情の永続を約束したのである。

【補記】『伊勢集』では結句「またもわすれず」。この歌も古歌集混入部分にある。

【他出】伊勢集、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】
かずならぬみののを山のひとつ松ひとりさめてもかひやなからむ(兼好)
いくかへりみののを山のひとつ松ひとつしも身の為ならなくに(細川幽斎)
一つ松枝ふりさけて二もととみののを山の雪の夕暮(木下長嘯子)

哀傷

大和に侍りける母みまかりてのち、かの国へまかるとて

ひとりゆくことこそ憂けれふるさとの奈良のならびて見し人もなみ(後撰1403)

【通釈】一人で行くことが辛いのです。昔住んでいた奈良――その古京を二人並んで見物した人も今はいないので。

【語釈】◇ふるさと 「古い由緒のある里」「馴染みの里」の両義。◇奈良のならびて 同音反復の技巧。◇ならびて見し人もなみ 二人並んで(奈良の古京を)見物した人もいないので。この「人」は母を指す。

【補記】実家に住んでいた母が亡くなり、大和国へ行く時の作。『伊勢集』では下句「むかしならひてみし人もなく」。

題しらず

ほどもなく誰もおくれぬ世なれども留まるは行くをかなしとぞ見る(後撰1419)

【通釈】遅かれ早かれやがては誰も死んでゆくこの世だけれども、留まる者は逝く者を悲しいと見るのである。

【語釈】◇留(と)まるは行くを この世に留まる者は、あの世へ逝く者を。

【補記】『伊勢集』では詞書「人のはらからなくなりたる、とぶらふとて」などとある。誰かの兄弟が亡くなった時、弔問に詠んだ歌。

【主な派生歌】
思ひとけばとまるは行くをしたふこそはかなきよりもはかなかりけれ(藤原隆祐)
露わけぬ人もや袖をぬらすらむとまるはゆくををしむ涙に(宗良親王[新葉])

一つがひ侍りける鶴のひとつがなくなりにければ、とまれるがいたく鳴き侍りければ、雨の降り侍りけるに

なく声にそひて涙はのぼらねど雲のうへより雨とふるらむ(後撰1423)

【通釈】[詞書] つがいで飼っていた鶴の片方が死んでしまって、生き残った方がひどく鳴くので、雨が降っていたのに寄せて
[歌] 涙は、鳴き声に添って空へのぼってゆくわけでもないのに、雲の上から雨となって降るのだろうか。

産みたてまつりたりける御子の亡くなりて、又の年時鳥を聞きて

しでの山こえてきつらむ時鳥(ほととぎす)こひしき人のうへかたらなむ(拾遺1307)

【通釈】死出の山を越えてやって来たのだろうか。ほととぎすよ、恋しい我が子の身の上を語ってほしい。

【語釈】◇御子(みこ) 宇多天皇との間の子。五歳で亡くなった。◇又の年 翌年。◇しでの山 冥土へ行く時、死者が越えるとされた山。郭公は冥土からこの山を越えて飛んで来ると考えられた。◇こひしき人のうへ 「人」は亡き我が子をさす。冥土で亡き子がいかに過ごしているかを語ってほしい、ということ。

【主な派生歌】
わがせこがうへかたらなむ都鳥さこそむかしの人もとひけれ(藤原実定)
時鳥はな橘の枝にゐてむかしの人のうへかたらなむ(慈円)
しでの山おくりやきつる郭公魂(たま)まつる夜の空に鳴くなり(細川幽斎)

七条の后うせたまひにけるのちによみける

沖つ浪 荒れのみまさる 宮の内は 年へて住みし 伊勢のあまも 舟流したる 心地して 寄らむかたなく かなしきに 涙の色の くれなゐは 我らがなかの 時雨にて 秋のもみぢと 人々は おのがちりぢり わかれなば たのむかげなく なりはてて とまるものとは 花すすき 君なき庭に むれたちて 空をまねかば 初雁の なき渡りつつ よそにこそ見め(古今1006)

【通釈】沖の浪が荒いように、荒れてゆくばかりの宮殿の内では、長年住んだ伊勢の海女とも言うべき賤しい私も、舟を流して失ったような心地がして、寄る辺もなく悲しくて――涙の色の紅は、私たちの間に降る時雨のようで、雨に色を増す秋のもみじ葉のように、人々は散り散りに別れてしまったなら、寄りすがる木陰がないように、頼りとする人もなくなってしまって、ここに留まるものと言えば、花薄ばかりが、あるじのいない庭に、群がり立っていて、空を招くように揺れると、空には初雁が鳴いて渡りながら何処かよそへと去ってゆく――そのように私も、これからはよそながら御殿を拝見するのでしょう。

【補記】延喜七年(907)、長年仕えた藤原温子が亡くなった時の歌。前半は「沖つ浪」「あま」「舟」「かた(潟)」と海の縁語を織り込み、後半は「もみぢ」「ちりぢり」「かげ」など木の縁語を織り込んでいる。『古今和歌六帖』などにも伊勢の作として見える。

みかどの御国忌に

花すすき呼子鳥にもあらねども昔恋しきねをぞなきぬる(伊勢集)

【通釈】呼子鳥ではないけれども、昔を恋しさに声あげて泣いているのです。

【語釈】◇みかど 宇多法皇・醍醐天皇両説ある。◇花すすき 穂の出た薄のことだが、ここでは「呼ぶ」を導く枕詞。風に靡く様が人を招いているように見えることから。◇呼子鳥(よぶこどり) 鳴き声が人を呼んでいるように聞える鳥。カッコウかと言う。

五条内侍のかみの賀、民部卿清貫し侍りける時、屏風に

大空に群れたるたづのさしながら思ふ心のありげなるかな(拾遺284)

【通釈】大空に群らがっている無心の鶴も、一つの方向を指しながら飛んでゆく――さながら彼らにも長寿を祝う心があるかのようだ。

【語釈】◇たづ 鶴。長寿のめでたい鳥。◇さしながら 然しながら。さながら。「指しながら」の掛詞か。◇思ふ心のありげなるかな 無心であるはずの鶴に祝賀の心があるかのように見ている。

【補記】延喜十三年(913)、五条尚侍(ないしのかみ)すなわち藤原満子(北家高藤の娘)の四十賀を、民部卿清貫(きよつら)(藤原南家)が催した時、屏風絵のために作った歌。『伊勢集』によれば画題は「たづむれて雲にあそぶところ」。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、定家八代抄、歌林良材

からさき

浪の花おきからさきて散りくめり水の春とは風やなるらむ(古今459)

【通釈】浪の花は沖から咲いて散って来るようだ。水の上の春とは、風がそうなるのだろうか。

【語釈】◇からさき 志賀の唐崎。滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸。◇浪の花 白い波頭を花に喩える。◇散りくめり 散ってくるようだ。波しぶきを花の散るさまに喩える。◇水の春 水上の春。水にも四季があると見做した。◇風やなるらむ 風が(水の春と)なるのだろうか。波を起こす風が湖上の春をなした、と見る。

【補記】第二句「沖から咲きて」に地名「唐崎」を詠み込んだ物名歌。

龍門にまうでて、滝のもとにてよめる

たちぬはぬ(きぬ)きし人もなきものをなに山姫の布さらすらむ(古今926)

【通釈】裁ちも縫いもしない衣を着た仙人もいないのに、なぜ山の女神は布をさらすのだろうか。

【語釈】◇龍門 吉野竜門岳の中腹にあった寺。寺跡の近くには、数段に別れて流れ落ちる龍門の滝がある。◇たちぬはぬ衣 仙人や仙女の衣服を言う漢語「無縫天衣」に由る。◇山姫 山をつかさどる女神。◇布さらすらむ 滝の流れ落ちる様を白布に喩えて言う。

【主な派生歌】
むかしべやなに山ひめのぬのさらすあとふりまがへつもるはつ雪(藤原定家)
たちぬはぬもみぢの衣そめはててなに山ひめの布びきの滝(順徳院)
たちぬはぬ霞の衣春きては花のにしきをおりかさねつつ(藤原知家[新千載])
たちぬはぬたがいにしへの衣とてなほ布さらす谷の卯の花(藤原行家)
秋の色のかぎりと見るもかなしきになに山姫の木の葉そむらん(宗尊親王)

賀茂に詣でて侍りける男の見侍りて、「今はな隠れそ、いとよく見てき」と言ひおこせて侍りければ

そらめをぞ君はみたらし川の水あさしやふかしそれは我かは(拾遺534)

【通釈】あなたは見間違いをなさったようです。御手洗川の水は浅いのか深いのか。あなたの見たとおっしゃるのは本当に私でしょうか。

賀茂神社 御手洗川
糺の森を流れる御手洗川

【語釈】◇みたらし川 下鴨神社の御手洗川(通称「瀬見の小川」の上流)か。「見たらし(見たるらし)」の意が掛かる。

【補記】賀茂詣の時に出遭った男が、伊勢をじろじろと見ていた。その後、「もう隠れたりなさるな。お顔はじっくりと拝見しましたよ」と手紙を寄越してきた。この愛想も風流もない物言いを、伊勢は怒る様子もなく軽妙にはぐらかす。賀茂神社を流れる御手洗川にかけて「空目を見たらし」と洒落たのである。「あさしやふかし」は川の縁語として言っているので、大した意味はない。強いて附会すれば、私は用心深いから、たやすく人目に触れたりなどしませんよ、ということか。いかにも相手の心浅さをからかう調子が出ている。

今は道に出でて、越部といふ所に宿りぬ。かの御寺のあはれなりしを思ひ出でて

みもはてず空に消えなでかぎりなく厭ふ憂き世に身のかへりくる(伊勢集)

と一人ごちて、袖もしぼるばかりに泣きぬらしけり。

【通釈】趣ある寺を見尽くしもせず、この身を捨て果てもせず、仙人のように空に消え去りもしないで、限りなく厭うこの現世に我が身は帰って来てしまった。

【語釈】◇越部(こしべ) 奈良県吉野郡大淀町。吉野川沿いの地。伊勢は龍門寺参詣の帰路、ここに宿りを取った。◇かの御寺 吉野の龍門寺。◇みもはてず 「見も果てず」「身も果てず」の掛詞。◇空に消えなで 久米仙人で知られる龍門寺に掛けてこのように言った。◇身のかへりくる 出家しなかった後悔の気持。

桂に侍りける時に、七条の中宮のとはせたまへりける御返り事にたてまつれりける

久方の中におひたる里なれば光をのみぞたのむべらなる(古今968)

【通釈】月の中に桂が生えているという伝説に因む桂の里ですので、皇后様に喩えられる月の光の御恵みばかりを頼りにするようでございます。

【通釈】月の中に桂が生えているという伝説に因む桂の里ですので、皇后様に喩えられる月の光の御恵みばかりを頼りにするようでございます。

【語釈】◇久方の中におひたる里 「久方の」は月の枕詞を転用して「月の」の意としたもの。月の中に桂の樹が生えているという中国の伝説に由り、桂の里をこう呼んだ。また月は后の暗喩でもある。◇光 月光により中宮の威光・恩恵を暗示している。

【補説】伊勢が桂の里(京都市西京区。桂川西岸の地)にいた時、七条中宮(宇多天皇女御、のち皇太夫人となった藤原温子)から手紙を貰い、返事として詠んだという歌。「伊勢は宇多天皇の御子を産みその御子を桂の宮に置いて中宮温子に仕えた」(新古典大系注)。

長恨歌の屏風を、亭子院のみかど描かせたまひて、その所々詠ませたまひける、みかどの御になして(二首)

もみぢ葉に色みえわかずちる物はもの思ふ秋の涙なりけり(伊勢集)

【通釈】紅葉した葉と色が区別できずに散るものは、物思いに耽る私の秋の涙であったよ。

 

かくばかりおつる涙のつつまれば雲のたよりに見せましものを(伊勢集)

【通釈】このほどまで流れ落ちる涙が包めるものなら、雲の上への便りに贈って見せるだろうに。

【補記】宇多院が絵師に描かせた長恨歌の屏風に、所々の場面にあわせて詠んだ十首のうち最初の二首。「みかどの御になして」は、伊勢が宇多院の代作をしたということ。いずれも楊貴妃の死を悲しむ玄宗皇帝の立場で詠んだ歌である。一首目は紅葉を血の涙に見立て、二首目はその涙を包んで送り雲上の楊貴妃に見せたいとの願望。(→資料編

亭子のみかどおりゐたまうける秋、弘徽殿の壁に書きつけ侍りける

別るれどあひも惜しまぬももしきを見ざらむことやなにか悲しき(後撰1322)

【通釈】別れても、一緒に惜しんでくれる者などいない宮中ですから、見ることができなくなっても悲しくなどありません。

【補記】寛平九年(897)、宇多天皇の譲位が近づき、宮中を離れることになった際の歌。弘徽殿(こきでん)は宇多天皇の女御温子の御所であったが、天皇が御覧になることを予め想定して、その壁に歌を書き付けておいたのである。譲位と共に伊勢の御息所としての立場も解消される運命であった。「あひもをしまぬ」には帝への婉曲な恨みがこもっているようにも聞こえるが、下句に気丈なところを見せているのが却ってあわれ深い。御返しは「身ひとつにあらぬばかりをおしなべてゆきめぐりてもなどか見ざらむ」、別れを惜しむのはそなた一人だけではないぞ。皆が皆、巡り巡って、またいつか再会しようではないか。『大和物語』第一段などにも見える、名高い贈答。

歌召しけるときに、たてまつるとて、よみて奥に書きつけてたてまつりける

山川の音にのみ聞くももしきを身をはやながら見るよしもがな(古今1000)

【通釈】今やお噂に聞くばかりの大宮を、我が身を昔ながらに戻して拝見するすべがほしいものです。

【語釈】◇山川の 山の谷川は水音が高いことから、「音」の枕詞◇身をはやながら 「水脈速ながら」「身を早ながら」の掛詞。水脈は山川の縁で言っているので、作者の真意は後者の方にある。

【補記】宮廷より命ぜられて歌集を献上した時、末尾に書き添えた歌。宇多天皇の代に宮仕えしていた昔に戻って、再び華やかな宮中を拝見したいものです、と感懐を記したもの。古今集巻十八雑歌下の巻末を飾るが、後撰集にも重出している。後撰集の詞書は「むかしあひしりて侍りける人の、内にさぶらひけるがもとにつかはしける」。

【主な派生歌】
おもひ河身をはやながら水の泡のきえてもあはむ浪のまもがな(藤原家隆[新勅撰])
くまの川みをはやながらめぐりあはむ音にのみ聞くみづからぞうき(順徳院)
いかにせむ身をはやながら思ひ川うたかたばかりあるかひもなし(飛鳥井教定[続拾遺])

題しらず

もろともにありし昔を思ひ出でて花見るごとにねこそ泣かるれ(続古今1524)

【通釈】ご一緒しておりました昔を思い出して、桜の花を眺めるたびに声をあげて泣いてしまうのです。

【補記】『伊勢集』の題詞は「宮に」。この「宮」は藤原温子か敦慶親王のいずれかだろうという(和歌文学大系注)。また『伊勢集』では第二句は「をりし」、第五句は「ねぞ泣かれける」。

題しらず

難波なるながらの橋もつくるなり今は我が身をなににたとへむ(古今1051)

【通釈】難波にある長柄の橋も新造すると聞く。今となっては、古びた我が身を何に喩えようか。

【語釈】◇ながらの橋 摂津国の歌枕。淀川の河口付近に架けられていた橋らしい。たびたび壊れて架け替えられたようで、朽ち果てた様子や橋柱のみ残っている様などがよく歌に詠まれた。また「永らえ」と音が重なることもあって、古びたものの喩えとして用いられた。◇つくるなり 新造するとのことだ。「なり」は伝聞の助動詞。「尽くる」と解する説もあり、この場合連体形接続となるので「なり」は指定の助動詞、すなわち「尽きるものである」の意となる。元永本・清輔本などは「つくるめり」とする。

【補記】『伊勢集』の詞書は「長柄の橋つくるを聞きて」。また、初句を「つのくにの」として重出している。

【他出】伊勢集、古今和歌六帖、金玉集、三十六人撰、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、定家八代抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中にふりぬるものは津の国のながらの橋と我となりけり

【主な派生歌】
我ばかり長柄の橋はくちにけりなにはのこともふるる悲しな(*赤染衛門[後拾遺])
はるかなる大江の橋はつくりけむ人の心ぞ見えわたりける(源俊頼)
人しれず恋ひわたるまに朽ちにけり長柄の橋を又やつくらむ(藤原隆房[続古今])
聞きわたる長柄の橋も朽ちにけり身のたぐひなる古き名ぞなき(西園寺実氏[続拾遺])
かくこそは春まつ梅は咲きにけれたとへむ方もなき我が身かな(源行宗[風雅])
朽ち残る板田の橋もかよふなりたえにし中を何にかけまし(二条満基[新続古今])


公開日:平成12年04月18日
最終更新日:平成23年05月25日

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