飛鳥井雅経 あすかいまさつね(-がけい) 嘉応二年〜承久三(1170-1221)

関白師実の玄孫。刑部卿頼輔の孫。従四位下刑部卿頼経の二男。母は権大納言源顕雅の娘。刑部卿宗長の弟。子に教雅・教定ほかがいる。飛鳥井雅有雅縁雅世雅親ほか、子孫は歌道家を継いで繁栄した。飛鳥井と号し、同流蹴鞠の祖。
少年期、蹴鞠の才を祖父頼輔に見出され、特訓を受けたという。治承四年(1180)十一月、叙爵。文治元年(1185)、父頼経は源義経との親交に責を負って安房国に流され、一度はゆるされて帰京するが、文治五年(1189)、今度は伊豆に流された。十代だった雅経は処分を免れたが、京を去って鎌倉に下向、大江広元のむすめを妻とし、蹴鞠を好んだ源頼家に厚遇された。建久八年(1197)二月、後鳥羽院の命により上洛。同年十二月、侍従に任ぜられ、院の蹴鞠の師を務める。同九年正月、従五位上。建仁元年(1201)正月、右少将に任ぜられる(兼越前介)。同二年正月、正五位下。元久二年(1205)正月、加賀権介。建永元年(1206)正月、従四位下に昇り、左少将に還任される。承元二年(1208)十二月、左中将。同三年正月、周防権介。同四年正月、従四位上。建保二年(1214)正月、正四位下に昇り、伊予介に任ぜられる。同四年三月、右兵衛督。建保六年(1218)正月、従三位。承久二年(1220)十二月、参議。承久三年(1221)三月十一日、薨。五十二歳。
建久九年(1198)の鳥羽百首をはじめ、正治後度百首・千五百番歌合・老若五十首歌合・新宮撰歌合など多くの歌会・歌合に参加。ことに「老若五十首歌合」では大活躍し、出詠歌五十首中九首もが新古今集に採られることになる。建仁元年(1201)、和歌所寄人となり、さらに新古今集撰者の一人に加えられた。その後も後鳥羽院歌壇の中心メンバーとして活躍、建仁二年(1202)の水無瀬恋十五首歌合・八幡若宮撰歌合、元久元年(1204)の春日社歌合、承元元年(1207)の最勝四天王院障子和歌などに出詠。順徳天皇歌壇の内裏歌合にも常連として名を列ねた。たびたび京と鎌倉の間を往復し、源実朝と親交を持った。定家と実朝の仲を取り持ったのも雅経である。建暦元年(1211)には鴨長明を伴って鎌倉に下向、実朝・長明対面の機会を作るなどした。
新古今集に二十二首。以下勅撰集に計百三十四首入集。家集『明日香井和歌集』(以下「明日香井集」と略)、著書『蹴鞠略記』などがある。

「雅経はことに案じかへりて歌よみしものなり。いたくたけある歌などはむねとおほくはみえざりしかども、手だりとみえき」(『後鳥羽院御口伝』)。
「風体およばすおもしろきさまなり。龍田山のゆふぐれ時、うち時雨れたるに、松にまじりたる紅葉をみる心地なむする」(『続歌仙落書』)。

  4首  1首  5首  6首  6首  5首 計27首

千五百番歌合に、春歌

白雲のたえまになびく青柳のかづらき山に春風ぞ吹く(新古74)

【通釈】白雲の絶え間に靡く、若葉の美しい柳――その青柳を鬘(かずら)にするという葛城山に、今まさに春風が吹いている。

【語釈】◇白雲(しらくも)のたえまになびく 青柳の序であるとともに、「春風の吹く葛城山」を修飾するはたらきをする。◇青柳の 葛城山の枕詞。柳を鬘(髪飾り)にした風習から。下記本歌参照。◇かづらき山 大和・河内国境の連山。主峰は葛木神社のある葛木岳(通称金剛山)。桜の名所とされた。今は「かつらぎ」と訓むが、昔は「かづらき」。鬘(かづら)の意が掛かる。

【補記】「白きと青きとを取り合はせたり」(『新古今増抄』)。雲の白と柳の青(若緑)を配合して春らしい彩り。丈高い姿。

【他出】千五百番歌合、自讃歌、定家八代抄、歌枕名寄、六華集

【参考歌】「柿本人丸集」
青柳のかづらき山にゐる雲のたちてもゐても君をこそおもへ

【主な派生歌】
みふゆつぎ春しきぬれば青柳のかづらき山に霞たなびく(源実朝)
春がすみ絶間になびく青柳のめより色にはあらはれにけり(香川景樹)

和歌所歌合に、羇旅花といふ事を

岩根ふみかさなる山をわけすてて花もいくへの跡の白雲(新古93)

【通釈】岩を踏み、重なる山を分け進み、振り返ってみると、私が過ぎて来た後には、花が幾重にも重なった白雲のように続いている。

【語釈】◇花もいくへの 重畳するのは山ばかりでなく、花もまた…という気持。

【補記】建仁元年(1201)三月、新宮撰歌合。題は「羇中見花」。

【他出】明日香井集、題林愚抄

【本歌】坂上郎女「拾遺集」
岩根ふみかさなる山はなけれども逢はぬ日数を恋ひやわたらむ

五十首歌たてまつりし時

たづねきて花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月(新古94)

【通釈】桜を尋ねて山に入り、一日中花を見て過ごしたが――日が暮れた木の間から、思いもかけず山の稜線に月がのぼるのを見たのだ。

【語釈】◇花に暮らせる 日が暮れるまで花を見て過ごした。◇待つとしもなき 待っていたわけでもない。花に夢中なあまり、月の出までは期待していなかったのである。

【補記】建仁元年(1201)二月の老若五十首歌合。

【他出】自讃歌、明日香井集、新三十六人撰

【参考歌】九条良経「南海漁夫百首」(建久五年-1194-)
またも来む花に暮らせるふるさとの木の間の月に風かをるなり

落花といふことを

花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風(新古145)

【通釈】花を誘って吹き散らした、春の山風よ――せめて名残りの花びらを雲のうちに吹きとめて、もうしばらく空を彩ってくれ。

【語釈】◇なごりを雲に吹きとめて 花の名残り(散った花びらであろう)を、雲に留めつつ吹いて。「雲は花にまがひて見ゆる物なる故に、雲にとはいへるなり」(本居宣長『美濃の家づと』)。

【補記】正治二年(1200)、仙洞十首歌合。

【他出】定家八代抄、明日香井集、題林愚抄

 

おほえ山こかげもとほくなりにけりいく野のすゑの夕立の空(明日香井集)

【通釈】涼んで一休みした大枝山の木陰も、遠く後にして来たことよ。行くての生野の野末には、夕立のけはいに曇る空……。

【語釈】◇おほえ山 大枝山。山城国と丹後国の国境。「多き枝の山」の意が響き、「こかげ」を深くする。◇いく野 生野。いまの福知山市に地名が残る。「行く野」「幾野」の意が掛かる。

【補記】建仁元年(1201)二月の老若五十首歌合、八十八番右持。

【本歌】小式部内侍「金葉集」
おほえ山いくのの道のとほければまだふみもみず天の橋立
【参考歌】藤原範兼「新古今集」
大江山こえていく野の末とほみ道ある世にもあひにけるかな

建保四年、後鳥羽院に百首歌奉りける時

秋の夜の月にいくたびながめして物思ふことの身につもるらむ(続千載468)

【通釈】これまで何度、秋の夜の月をじっと眺めることを繰り返したことか。さぞや物思いが我が身に溜まっているだろうよ。

【補記】建保四年(1216)、院百首。

【他出】明日香井集、時代不同歌合、万代集

【本歌】具平親王「拾遺集」
世にふるに物思ふとしもなけれども月にいくたびながめしつらむ

五十首歌たてまつりし時

たへてやは思ひありともいかがせむ(むぐら)の宿の秋の夕ぐれ(新古364)

【通釈】耐えられるものですか。恋しい思いがあるとしても、どうにもならないわ。こんな、葎の生えた侘び住居の秋の夕暮――とてもあなたの思いを受け入れることなどできない。

【語釈】◇たへてやは 耐えていられるだろうか、いやできない。◇思ひありとも 下記本歌を踏まえて言う。

【本歌】「伊勢物語」第三段
思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも

【補記】老若五十首歌合。伊勢物語の本歌は、男が懸想した女に「ひじき藻」を贈る時に「恋の思いがあるならば、葎の宿でもかまうものか。一緒に寝ましょう。敷きものには袖があれば十分ではありませんか」と言いやったもの。雅経の歌は、女が男に応答する形をとって、「いや、葎の宿であるばかりか、今は秋という季節なのだから、思いがあっても、侘しさには耐えられないだろう」と男の申し出を拒絶している。恋の思いを「秋思」によって否定しているのである。この歌が老若歌合でも新古今集でも恋歌でなく秋歌とされているのは、そのためであろう。

【他出】自讃歌、明日香井集、井蛙抄

五十首歌たてまつりし時

はらひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖のせばきに(新古436)

【通釈】払っても払いきれないほど、そんなに露がたくさんおいているにしても、よくまあ月の光が宿るものだわ、こんな狭い袖の上に。

【語釈】◇さこそは露のしげからめ 「こそ」と已然形の呼応によって、逆接の条件句をなす。「露」は秋の悲しさに流す涙。◇宿るか月の 「月の宿るか」の倒置。

【補記】老若五十首歌合。

【本歌】在原業平「古今集」
ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるか袖のせばきに

擣衣の心を

み吉野の山の秋風さ夜ふけて古郷さむく衣うつなり(新古483)

【通釈】吉野の山から吹き下ろす秋風――夜が更けるにつれて風も吹きつのり、古いゆかりのあるこの里は、寒々として衣を打つ音が聞えてくる。

【語釈】◇みよし野 吉野。奈良県の吉野地方。山深い、寒さのきびしい土地として詠まれる。桜の名所でもある。◇古郷 古い由緒があり、今はさびれている里。吉野は雄略天皇以下たびたび離宮が営まれた土地なのでこう言う。◇衣うつなり 「衣うつ」とは、布に艷を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。女性の仕事であり、晩秋の風物。「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。聞える音によって判断していることを示す。

【補記】建仁二年(1202)八月二十五日の日付がある百首歌。新古今集の写本には撰者名表記がなく、後鳥羽院によって切り入れられた歌と分かる。

【本歌】坂上是則「古今集」
みよしのの山の白雪つもるらしふるさとさむくなりまさるなり

【補記】「山」と「里」という構図は本歌を借りつつ、季を冬から秋へ移すとともに、夜という時刻に限定した。また、本歌における「寒さ」の体感を、「風」と「衣うつ」音という聴覚による把握に置き換えている。

【他出】定家八代抄、百人一首、明日香井集、歌枕名寄

【主な派生詩歌】
月の色も山のはさむしみよし野の故郷人や衣うつらん(順徳院)
みよし野の山した風のさむきよをたれ故郷に衣うつらん(源実朝)
故郷の月をいくよかみよし野の山風さむみ衣うつらん(藤原師信[続千載])
夜をさむみ誰かはひとりみよし野の山下風に衣うつらん(二条為定)
みよし野のすず吹く風は夜さむにてふもとの里に衣うつなり(源頼武)
衣うつよし野のおくの秋の風身にしむ色や花にふく声(三条西公条)
碪打ちて我にきかせよや坊が妻(芭蕉[野ざらし紀行])

秋の暮の歌

秋は今日くれなゐくくる立田川ゆくせの波も色かはるらむ(新勅撰359)

【通釈】秋は今日暮れてゆく――紅にくくり染めするという立田川は、散った紅葉を浮かべて、流れゆく瀬の波もあでやかな色に変わるだろう。

【語釈】◇くれなゐくくる 「暮れ」を掛ける。「くくる」は括り染めにする。布の所々を糸でくくって染め残しを作り、模様を出す染色法。◇立田川 生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川。または、龍田地方を流れる大和川をかつてはこう呼んだとも言う。紅葉の名所。龍田川とも書くが、掲出歌では「立つ」が「波」と縁語になるので、「立田川」と表記した。

【補記】建保二年(1214)八月、秋十首撰歌合。

【本歌】在原業平「古今集」
ちはやぶる神代もきかず立田川からくれなゐに水くくるとは

【主な派生歌】後鳥羽院「建保四年二月御百首」
秋はけふくれなゐくくるたつた川神よもしらずすぐる月かは

春日社歌合に、落葉といふことをよみてたてまつりし

うつりゆく雲に嵐の声すなり散るかまさきのかづらきの山(新古561)

【通釈】葛城山を見わたせば、嵐に吹かれ、雲が移動してゆく。その雲の中から、激しい風の音が聞えてくる――岩に絡みつく正木の葛も散っているか。

【語釈】◇まさきのかづら 真栄の葛。今のテイカカヅラ、またはツルマサキ。木や岩に絡まり付く、蔓性の植物。「かづら」は葛城山と掛詞になっている。◇葛城山 大和・河内国境の連山。古くから修験の山で、役行者と一言主神の伝説で名高い。

【補記】元久元年(1204)十一月、和歌所での歌合。多くの秀歌選に採られた、雅経の代表作。

【他出】春日社歌合、自讃歌、定家十体(長高様)、明日香井集、新三十六人撰、歌枕名寄、三五記、桐火桶、耕雲口伝、冷泉家和歌秘々口伝、心敬私語、題林愚抄

【鑑賞】「いとめでたし、詞めでたし、葛城山を見渡せば、嵐にふかれて、うつりゆく雲に、その嵐の聲のするは、まさきのかづらのちるかと也、下句勢ひあり、此卿の得られたる所なり」(本居宣長『美濃の家づと』)。

題しらず

雲かかるみ山にふかき槙の戸の明けぬ暮れぬと時雨をぞ聞く(続後拾遺416)

【通釈】雲がかかっている奥山深く、庵を結んでいる――しぐれがちのこの頃は、住家の槙の戸を「あけ」ることもなく、ただ夜が「あけ」た、日が暮れたと、そんなことを思うばかりで、雨音を聞きながら閉じこもって過ごしている。

【語釈】◇み山 接頭語「み」は「『山神(やまつみ)』の『靈(み)』と同根の語」(『字訓』)で、もともと霊威あるものに対する敬虔の念をあらわす。「み山」は本来「敬うべき神秘的な山」の意であったが、のち、「木の繁った奥深い山」一般を指すようになった。◇槙の戸の ここまでが「あけ」を導く序。

【補記】「院百首」建保四年(1216)。

【参考歌】「浜松中納言物語」
かきくらし晴れせぬ雪の中にただ明けぬ暮れぬと詠めてぞ経る
  藤原定家「拾遺愚草」
思ひいるみ山にふかきまきのとのあけくれしのぶ人はふりにき

葦辺ゆく鴨の羽風もさむき夜にまづ影こほる三島江の月(明日香井集)

【通釈】葦辺を泳いでゆく鴨の、羽ばたきの音も寒ざむしい――そんな夜、真っ先に凍るのは、三島江の水に映った冬の月なのだ。

【語釈】◇三島江 摂津国の歌枕。現在の大阪府高槻市の淀川沿岸にあたる。周辺に葦や菰が繁茂する浅湖(あさうみ)

【補記】「院百首」建保四年(1216)。

【本歌】志貴皇子「万葉集」
葦辺ゆく鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ

五十首歌たてまつりし時

かげとめし露のやどりを思ひいでて霜に跡とふ浅茅生の月(新古610)

【通釈】冬枯れの浅茅原――秋の間、月はチガヤの露にかりそめの宿を借りて、光を映し留めていたが――冬になった今、その頃を思い出して、昔の跡を訪ねるかのように霜に射している。

【語釈】◇かげとめし (月が)光を留めていた。◇露のやどり 露という宿。「露の」は、「かりそめの」「はかない」程の意味を添える。◇霜に跡とふ かつては露が置いていた浅茅に、冬になった今は霜が置いている。それを昔の跡として懐かしみ、訪ねる。◇浅茅生(あさぢふ) 浅茅の生える野。浅茅は丈の低いチガヤ。

【補記】建仁元年(1201)二月の老若五十首歌合、百六十七番右勝。

【他出】三百六十番歌合、明日香井集

【本歌】『源氏物語』「賢木」
浅茅生の露のやどりに君をおきて四方の嵐ぞしづ心なき

建保五年四月庚申に、冬夕といへる心を

霰ふるまさきのかづら暮るる日の外山にうつる影ぞみじかき(続拾遺433)

【通釈】霰に降られ、まさきの葛も色づいている――その葛を「繰る」ではないが、暮れてゆく日が外山に映る――その日足のなんと短いことだ。

【語釈】◇霰(あられ)ふる… 初二句は「暮る」を導く序。また紅葉によって夕日の紅さを暗示する。◇まさきのかづら テイカカズラの古称であろうと言う。つる性の植物。◇外山(とやま) 深山(みやま)の反意語。山地の外側をなし、平地と接している山々。◇影ぞみじかき 日足が速い。山に反映する夕日が、短時間に退いてゆくさま。

【補記】『明日香井和歌集』では末句「影ぞさびしき」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
み山には霰ふるらし外山なるまさきのかづら色づきにけり

【主な派生歌】
山里のまさきのかづら暮るる日のそともがくれに嵐吹くなり(道助法親王)

建保六年内裏歌合、冬歌

狩衣すそ野もふかしはし鷹のとがへる山の峰のしら雪(新勅撰431)

【通釈】冬の鷹狩をする我らの狩衣は、裾まで雪に埋まる。すっかり毛の生え替わった箸鷹が飛んでゆく山――その頂きを覆った雪は、ずっと裾野の方まで深く積もっているのだ。

【語釈】◇狩衣(かりころも) 狩をする時の衣裳。衣の裾と言うことから「すそ野」を導く働きもしている。◇はし鷹 箸鷹。狩猟用の小鷹。冬の鷹狩に用いられる。◇とがへる 鳥屋がへる。鷹は晩夏に換羽期が訪れ、鳥屋に入って餌を食べなくなる(「鳥屋入り」)。冬までに羽がきれいに生え替わることを「鳥屋がへる」と言い、換羽期が終わると山での狩に用いられるようになる。

【補記】建保四年(1216)閏六月、内裏百番歌合。

【参考歌】大江匡房「金葉集」
はし鷹のしらふに色やまがふらんとがへる山にあられふるらし

後朝

面影はなほあり明の月草にぬれてうつろふ袖の朝つゆ(明日香井集)

【通釈】恋人の面影がなお残る有明の月を眺めながら、明け方の道を帰る――すると道端の月草に濡れて、袖に朝露がついた。いやそれは私の落とした涙なのだ。

【語釈】◇あり明 「有明」に「(面影はなほ)あり」の意を掛ける。◇月草 ツユクサの古名。「月」は前句の「有明の」を受け、「有明の月が月草にぬれて…」という文脈になる。◇うつろふ 月草に付いていた露が、袖に移る。「うつろふ」には「影が映る」意もあり、恋人の面影を宿す有明の月が袖の露に映っている、というイメージが重なる。

【補記】新勅撰集には藤原教雅(雅経の子)の作として載る。

和歌所歌合に、忍恋の心を

消えねただしのぶの山の峯の雲かかる心の跡もなきまで(新古1094)

【通釈】いっそもう、思い死んでしまえ。信夫の山の頂きにかかっている雲ではないが、こんな忍びに忍んでいる心が、跡形もなく消え果てるまで!

【語釈】◇消えねただ 「死ねを、雲の縁にてきえねとはいへるなり」(宣長)。◇しのぶの山 信濃国の歌枕、信夫山。動詞「忍ぶ」を掛ける。

【補記】建仁二年(1202)二月、影供歌合。

【他出】自讃歌、明日香井集、新三十六人撰、歌枕名寄、和歌口伝抄

【主な派生歌】
消えねただしのぶの山の木隠れに袖のみぬらす下草のつゆ(本居宣長)

水無瀬恋十五首歌合に

草枕むすびさだめむかた知らずならはぬ野辺の夢のかよひ路(新古1315)

【通釈】草の枕をどう結んで寝ればよいのか、わからない。馴れないこの野辺の夢の通い路よ――旅寝の夢で、あなたに逢えるためには、どんな結び方をすればよいのだろう…

【語釈】◇草枕 草を結んでつくる枕。万葉集では「旅」にかかる枕詞。◇夢の通ひぢ 恋人との間を往き来する時、魂が通ると考えられた、夢の中の道。

【補記】古今集の本歌(下記参照)によれば、枕の置き方などによって夢見をコントロールできるという「まじない」があったらしい。雅経の歌は、枕を草枕に置き換え、野辺の仮寝を「夢の通ひ路」という決まり文句に流麗に繋げて、旅人の夢に託する心情を趣深く詠んだ。建仁二年(1202)九月十三日の水無瀬恋十五首歌合、三十二番右勝。

【他出】若宮撰歌合、水無瀬桜宮十五番歌合、自讃歌、明日香井集、続歌仙落書

【本歌】よみ人しらず「古今集」
宵々に枕さだめむ方もなしいかに寝し夜か夢に見えけむ
(雅経本古今集では第三句「かた知らず」)

【主な派生歌】
いかにねて夢もむすばむ草枕あらしふく夜のさやの中山(宗尊親王)
いかにして結びさだめむ波枕うきたる舟の夜の契を(花山院家賢[新葉])

水無瀬恋十五首歌合に

見し人の面影とめよ清見がた袖にせきもる波のかよひ路(新古1333)

【通釈】都で愛し合ったあの人の面影が、清らかに見え続けるよう、記憶にとどめてくれ、清見潟よ。波に打たれつつ通るこの関路、私は波のように寄せて来る涙を、袖で必死に抑え止めているのだ。

【語釈】◇清見がた 駿河国の歌枕。清見が関がある。「清く見る」意を掛ける。◇袖にせきもる 袖で涙を堰き止めることを、清見が関の縁で「関守る」と言った。

【補記】建仁二年(1202)の水無瀬恋十五首歌合、題は「関路恋」、五十二番右持。

【他出】明日香井集、歌枕名寄

承元二年住吉社歌合に、寄旅恋

忘れじの契りばかりをむすびてや逢はむ日までの野べの夕露(新続古今1330)

【通釈】「忘れない」という約束だけを結んで、旅に出た――せめて再び逢える日までは生き延びよう、野辺の夕露のようにはかない私の命だとしても。

【語釈】◇野べの夕露 「野べ」に「延べ」(持続させる意)を掛ける。旅先の情景を詠むと共に、命のはかなさを暗示する。

入道二品親王家五十首、寄煙恋

恨みじな難波の御津に立つけぶり心からたく海人の藻塩火(新勅撰761)

【通釈】あの人を恨むことはするまいよ。難波の湊に立つ煙が、海人がおのれの意思で焚く藻塩火から発するように、この咽ぶような苦しい思いは、ほかならぬ私の心から出たものなのだから。

【語釈】◇難波(なには)の御津(みつ) 難波の港。古く皇室の港だったことから敬称が付く。◇藻塩火(もしほび) 塩をとるために海藻を焼く火。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
おしてるや難波の御津に焼く塩のからくも我は老いにけるかな

五十首歌たてまつりし時

影やどす露のみしげくなりはてて草にやつるる故郷の月(新古1668)

【通釈】秋も末になり、光を宿す露ばかりはすっかり多くなったが、その露が置いている草は伸び放題の雑草で、すっかり荒廃した故郷――草の露に宿る月は、見違えるほど弱よわしい。

【補記】故郷の荒廃を月光の衰えによって詠む。老若五十首歌合、二百九番右持。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける

建久三年正月十四日、賀茂社へまうでけるに、月はくまなくて雪うちちりければ

まだしらずそのかみかけてふりぬれど月と雪との夜半の白木綿(明日香井集)

【通釈】いまだ知らないことだ。ここはその昔からずっとあって古びた社であるし、月光も雪も昔から地上に降り注いでいたものであるけれども、夜半、このように月と雪とが白木綿をかけているさまは。

【語釈】◇そのかみかけて その昔からずっと。「神かけて」(知らず)を掛ける。◇ふりぬれど (賀茂社が)古びたけれど、(雪が)降ったけれど、の掛詞。◇白木綿(しらゆふ) 楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を裂いて糸状にした物。榊などに垂らす。

九月十五夜、亡者の小手箱を布施にしけるに、なかによみて入れける

いかにせむ行方もしらぬ玉くしげふたたび逢はぬこの世なりけり(明日香井集)

【通釈】どうしよう。行方もわからない娘の魂よ。再び逢うことのできないこの世なのだなあ。

【語釈】◇九月十五日 承久元年(1219)。この年の七月、雅経は十三才の娘を亡くした。◇布施しける お布施として差し出した。◇たまくしげ 次句「ふたたび」の「ふた」に掛かる枕詞。また「魂(たま)」の掛詞。

最勝寺の桜は、鞠のかかりにて久しくなりにしを、その木年ふりて、風にたふれたるよし聞き侍りしかば、をのこどもにおほせて、こと木をその跡にうつしうゑさせしとき、まづまかりて見侍りければ、あまたのとしどし、暮れにし春までたちなれにける事など思ひ出でて、よみ侍りける

なれなれて見しはなごりの春ぞともなどしら川の花の下かげ(新古1456)

【通釈】すっかり馴れ親しんで来て、あの時見たのが最後の別れとなる春だったと、どうして気づかなかったものか。白河の花の下陰で…。

【語釈】◇最勝寺 京都東山、白河にあった寺。鳥羽天皇勅願寺。◇鞠のかかり 蹴鞠の庭の四方に植えてある木。◇しら川 洛東白河。「知らざりき」の「しら」を掛ける。

【補記】最勝寺の蹴鞠場の四隅に植えていた桜の古木が風に倒れた由聞いて、別の木を移植させた時、自ら見に行き、毎春その場に立ち慣れたことを思い出して詠んだという歌。作者は蹴鞠の名手。

【他出】自讃歌、明日香井集、続歌仙落書、新三十六人撰、撰集抄、歌枕名寄、太平記

【主な派生歌】
なれなれて見しはなごりのふることもさすがに花の春は忘れず(飛鳥井雅康)

和歌所にて、述懐の心を

君が代にあへるばかりの道はあれど身をばたのまず行末の空(新古1763)

【通釈】幸いなことに、我が君の御代にお仕いするだけの方途は持ち合わせておりましたが、その道を辿ってどこまで行けますやら。我が身を頼みにできず、心もとない限りです。

【語釈】◇道 作者自身に即して言えば、この「道」は和歌や蹴鞠などの芸道を指すことになろう。それがあったからこそ後鳥羽院の側近として取り立てられたのだが、将来もその道を自恃することはしない。頼みとするのは院のご慈悲のみである、という気持。

【補記】『明日香井集』によれば、建永元年(1206)八月の卿相侍臣嫉妬歌合。

【他出】自讃歌、定家十体(有心様)、明日香井集、続歌仙落書、題林愚抄


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月01日