藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか) 応保二〜仁治二(1162〜1241) 通称:京極中納言

応保二年(1162)、藤原俊成(当時の名は顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。同母兄に成家、姉に八条院三条(俊成卿女の生母)・高松院新大納言(祗王御前)・八条院按察(朱雀尼上)・八条院中納言(建御前)・前斎院大納言(竜寿御前)がいる。初め藤原季能女と結婚するが、のち離婚し、建久五年(1194)頃、西園寺実宗女(西園寺公経の姉)と再婚した。子に因子(民部卿典侍)・為家ほかがいる。寂蓮は従兄。御子左家系図
仁安元年(1166)、叙爵し(五位)、高倉天皇の安元元年(1175)、十四歳で侍従に任ぜられ官吏の道を歩み始めた。治承三年(1179)三月、内昇殿。養和元年(1181)、二十歳の時、「初学百首」を詠む。翌年父に命ぜられて「堀河題百首」を詠み、両親は息子の歌才を確信して感涙したという。文治二年(1186)には西行勧進の「二見浦百首」、同三年には「殷富門院大輔百首」を詠むなど、争乱の世に背を向けるごとく創作に打ち込んだ。
文治二年(1186)、家司として九条家に仕え、やがて良経慈円ら九条家の歌人グループと盛んに交流するようになる。良経が主催した建久元年(1190)の「花月百首」、同二年の「十題百首」、同四年の「六百番歌合」などに出詠。ところが建久七年(1196)、源通親の策謀により九条兼実が失脚すると、九条家歌壇も沈滞した。建久九年、守覚法親王主催の「仁和寺宮五十首」に出詠。同年、実宗女との間に嫡男為家が誕生した。この間、文治五年(1189)、左権少将に任ぜられ、建久六年(1195)、従四位上に昇る。
正治二年(1200)、後鳥羽院の院初度百首に詠進し、以後、院の愛顧を受けるようになる。後鳥羽院は活発に歌会や歌合を主催し、定家は院歌壇の中核的な歌人として「老若五十首歌合」「千五百番歌合」「水無瀬恋十五首歌合」などに詠進する。建仁元年(1201)、新古今和歌集の撰者に任命され、翌年には念願の左近衛権中将の官職を得た。承元四年(1210)には長年の猟官運動が奏効し、内蔵頭の地位を得る。建暦元年(1211)、五十歳で従三位に叙せられ、侍従となる。建保二年(1214)には参議に就任し、翌年伊予権守を兼任した。
この頃、順徳天皇の内裏歌壇でも重鎮として活躍し、建保三年(1215)十月には同天皇主催の「名所百首歌」に出詠した。同六年、民部卿。ところが承久二年(1220)、内裏歌会に提出した歌が後鳥羽院の怒りに触れ、勅勘を被って、公の出座・出詠を禁ぜられた。
翌年の承久三年(1221)五月、承久の乱が勃発し、後鳥羽院は隠岐に流され、定家は西園寺家・九条家の後援のもと、社会的・経済的な安定を得、歌壇の第一人者としての地位を不動のものとした。しかし、以後、作歌意欲は急速に減退する。安貞元年(1227)、正二位に叙され、貞永元年(1232)、七十一歳で権中納言に就任。同年六月、後堀河天皇より歌集撰進の命を受け、職を辞して選歌に専念。三年後の嘉禎元年、新勅撰和歌集として完成した。天福元年(1233)十月、出家。法名明静。嘉禎元年(1235)五月、宇都宮頼綱の求めにより嵯峨中院山荘の障子色紙形を書く(いわゆる「小倉色紙」)。これが小倉百人一首の原形となったと見られる。延応元年(1239)二月、後鳥羽院が隠岐で崩御し、その二年後の仁治二年八月二十日、八十歳で薨去した。
家集『拾遺愚草』『拾遺愚草員外』がある。千載集初出、勅撰入集四百六十七首。続後撰集・新後撰集では最多入集歌人。勅撰二十一代集を通じ、最も多くの歌を入集している歌人である。編著に『定家八代抄(二四代集)』『近代秀歌』『詠歌大概』『八代集秀逸』『毎月抄』などがある。古典研究にも多大な足跡を残した。また五十六年に及ぶ記事が残されている日記『明月記』がある。

「定家は、さうなき物なり。さしも殊勝なりし父の詠をだにもあさあさと思ひたりし上は、まして餘人の哥、沙汰にも及ばず。やさしくもみもみとあるやうに見ゆる姿、まことにありがたく見ゆ。道に達したるさまなど、殊勝なりき。哥見知りたるけしき、ゆゆしげなりき。ただし引汲の心になりぬれば、鹿をもて馬とせしがごとし。傍若無人、ことわりも過ぎたりき。他人の詞を聞くに及ばす。(中略)惣じて彼の卿が哥の姿、殊勝の物なれども、人のまねぶべきものにはあらず。心あるやうなるをば庶幾せず。ただ、詞姿の艶にやさしきを本躰とする間、その骨(こつ)すぐれざらん初心の者まねばば、正躰なき事になりぬべし。定家は生得の上手にてこそ、心何となけれども、うつくしくいひつづけたれば、殊勝の物にてあれ」(『後鳥羽院御口伝』)。
 
「風体義理を存して意深く詞妙なり。けどほきものから又面白く侍り。昔にはぢぬ歌人なるべし。造りある家の庭の面に玉を磨ける心ちするに、楽屋の内より陵王の舞ひ出でたらむとやいふべからむ」(『続歌仙落書』)。
 
「此道にて定家をなみせん輩は、冥加も有るべからず。罰をかうむるべき事也」「恋の哥は、定家の哥ほどなるは、昔より有るまじき也」(『正徹物語』)。

定家の伝記として現在入手しやすいものに村山修一『藤原定家』(吉川弘文館 人物叢書)があります。彼自身の遺した日記『明月記』は、国書刊行会版の三巻本、先年出版された『冷泉家時雨亭叢書』の影印版、また漢文を訓み下した今川文雄訳『訓読 明月記』全六巻(河出書房新社)、及びその抄録である同氏編訳『明月記抄』(河出書房新社)などで読むことができます。この日記をもとにした伝記風の書として、堀田善衛『定家明月記抄(全)』(新潮社)、山中智恵子『「明月記」をよむ 藤原定家の日常』(三一書房)があります。
家集『拾遺愚草』(員外を含む)は岩波文庫『藤原定家歌集』で読めますが、自筆本を底本としていないのが残念です。時雨亭叢書8・9には定家自筆本の影印が収められています。中世の注釈書は、三弥井書店「中世の文学」シリーズ『拾遺愚草古注』全三巻にまとめられました。また久保田淳訳注『藤原定家全歌集』上・下(河出書房新社)があります。定家自撰の「定家卿百番自歌合」は『中世和歌集 鎌倉篇』(岩波新日本古典文学大系)に収められています。秀歌を抄出した評釈書としては、安東次男『藤原定家』(筑摩書房「日本詩人選」シリーズ、のち講談社学術文庫に収録)、恂{邦雄『定家百首 良夜爛漫』(河出書房新社)の二冊が代表的なものでしょうか。
定家の歌論は『中世歌論集』(岩波文庫)、『歌論集 能樂論集』(岩波古典大系)、『歌論集』(小学館日本古典文学全集)などに主なものが収録されています。影印版では武蔵野書院「近代秀歌」が定家自筆本を収め、見逃せません。また冷泉家時雨亭叢書37『五代簡要 定家歌学』に同家伝来の定家歌学書がまとめられています。
「百人一首」は関連書が多くとても紹介しきれませんが、定家自身の解釈・評価に重点を置いた石田吉貞『百人一首評解』(有精堂)・島津忠夫『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫)、『百人秀歌』の排列に着目した安東次男『百首通見』(集英社)は、定家の歌観を窺う上でも画期的な評釈書でした。



  21首  10首  17首  10首  26首  5首  12首

かすみあへず猶ふる雪にそらとぢて春ものふかきうづみ火のもと(風雅34)

おほぞらは梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春のよの月(新古40)

梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古44)

花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな

霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞふる(新古63)

くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん

鳥のこゑ霞の色をしるべにておもかげ匂ふ春の山ぶみ(玉葉180)

霞たつ峰の桜の朝ぼらけくれなゐくくる天の川浪(新拾遺95)

屋戸ごとに心ぞみゆるまとゐする花のみやこの弥生きさらぎ

山のはの月まつ空のにほふより花にそむくる春のともし火(玉葉211)

花の色のをられぬ水にこす棹のしづくもにほふ宇治の河をさ(続古今116)

おのづからそこともしらぬ月は見つ暮れなばなげの花をたのみて

花の香はかをるばかりを行方とて風よりつらき夕やみの空

桜色の庭の春風あともなしとはばぞ人の雪とだに見む(新古134)

なとり川春の日数はあらはれて花にぞしづむせぜの埋れ木(続後撰135)

きのふまでかをりし花に雨すぎてけさは嵐のたまゆらの色

春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古38)

ふりにけりたれか砌のかきつばたなれのみ春の色ふかくして

にほふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ(続古今167)

春はいぬあを葉の桜おそき日にとまるかたみの夕ぐれの花

わがこころ弥生ののちの月の名に白き垣根のはなざかりかな

まきの戸をたたくくひなの明ぼのに人やあやめの軒のうつりが

たまぼこの道行きびとのことづてもたえてほどふる五月雨のそら(新古232)

夕暮はいづれの雲のなごりとてはなたちばなに風の吹くらん(新古247)

さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな

うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば

夕立のくもまの日影はれそめて山のこなたをわたる白鷺(玉葉416)

立ちのぼり南のはてに雲はあれど照る日くまなき頃の大空(玉葉417)

松風のひびきも色もひとつにてみどりに落つる谷川の水

泉川かは波きよくさす棹のうたかた夏をおのれ()ちつつ

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の杜の露の下草(続後撰248)

天の原おもへばかはる色もなし秋こそ月の光なりけれ(新勅撰256)

明けば又秋の半ばも過ぎぬべしかたぶく月のをしきのみかは(新勅撰261)

こしかたはみな面影にうかびきぬ行末てらせ秋の夜の月(玉葉688)

しのべとやしらぬ昔の秋をへておなじ形見にのこる月影(新勅撰1080)

いこま山あらしも秋の色にふく手ぞめの糸のよるぞかなしき

夕づく日むかひの岡の薄紅葉まだきさびしき秋の色かな

おのづから秋のあはれを身につけてかへる小坂の夕暮の歌(玉葉1966)

見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮(新古363)

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫(新古420)

ひとりぬる山鳥のをのしだりをに霜おきまよふ床の月影(新古487)

夕づく日うつる木の葉や時雨にしさざ浪そむる秋の浦風

小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉(続後撰418)

時わかぬ浪さへ色に泉河ははその杜にあらし吹くらし(新古532)

吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて峯たしかなるあらし山かな

秋はいぬ夕日かくれぬ峰の松四方の木の葉の後もあひ見ん

ただいまの野原をおのがものと見て心づよくもかへる秋かな

花すすき草のたもとも朽ちはてぬなれて別れし秋を恋ふとて(新続古今648)

風のうへに星のひかりは冴えながらわざともふらぬ霰をぞ聞く

冴えくらす都は雪もまじらねど山の端しろきゆふぐれの雨(続古今639)

かきくらす軒端の空に数みえてながめもあへずおつるしら雪(玉葉979)

をはつせや峰のときは木ふきしをり嵐にくもる雪の山もと(続古今649)

駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮(新古671)

待つ人の麓の道やたえぬらん軒端の杉に雪おもるなり(新古672)

白妙のいろはひとつに身に沁めど雪月花のをりふしは見つ

おもひいづる雪ふる年よ己のみ玉きはるよの憂きに堪へたる

昨日けふ雲のはたてにながむとて見もせぬ人の思ひやはしる(風雅964)

心からあくがれそめし花の香になほ物思ふ春の曙(続拾遺979)

初雁のとわたる風のたよりにもあらぬ思ひを誰につたへん

うへしげる垣根がくれの小笹原しられぬ恋はうきふしもなし(続後拾遺632)

年もへぬ祈る契りは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮(新古1142)

こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ(新勅撰849)

あぢきなく辛きあらしの声もうしなど夕暮に待ちならひけん(新古1196)

風つらきもとあらの小萩袖に見てふけゆく夜はにおもる白露

帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月(新古1206)

久方の月ぞかはらで待たれける人には言ひし山の端の空

夜もすがら月にうれへてねをぞなく命にむかふ物思ふとて(続後撰733)

わすれずは馴れし袖もや氷るらん寝ぬ夜の床の霜のさむしろ(新古1291)

契りおきし末のはら野のもと柏それともしらじよその霜枯

消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの杜の下露(新古1320)

むせぶとも知らじな心かはら屋に我のみ消たぬ下の煙は(新古1324)

面影も別れにかはる鐘の(おと)にならひ悲しきしののめの空

思ひいでよ誰がきぬぎぬの暁もわがまたしのぶ月ぞ見ゆらん(新後撰1066)

白妙の袖の別れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(新古1336)

なく涙やしほの衣それながら馴れずは何の色かしのばむ

かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ(新古1390)

たづね見るつらき心の奥の海よ潮干のかたのいふかひもなし(新古1332)

心をばつらきものとて別れにし世々のおもかげ何したふらん

忘れぬやさは忘れける我が心夢になせとぞ言ひて別れし

芦の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひも恋も夜はもえつつ(続後撰915)

白玉の緒絶の橋の名もつらしくだけておつる袖の涙に(続後撰915)

面影のひかふるかたにかへりみる都は山の月繊くして

こととへよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でし跡の月かげ(新古934)

秋の日のうすき衣に風たちて行く人またぬをちの白雲(玉葉1162)

旅人の袖ふきかへす秋風に夕日さびしき山のかけはし(新古953)

都にもいまや衣をうつの山夕霜はらふ蔦の下道(新古982)

たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人こふる宿の秋風(新古788)

下もゆるなげきの煙空に見よ今も野山の秋の夕暮

忘るなよ宿るたもとはかはるともかたみにしぼる夜はの月影(新古891)

藻塩くむ袖の月影おのづからよそに明かさぬ須磨の浦人(新古1557)

見るも憂し思ふも苦し数ならでなど(いにしへ)を偲びそめけむ

思ひかね我が夕暮の秋の日に三笠の山はさし離れにき

思ふことむなしき夢の中空に絶ゆとも絶ゆなつらき玉の緒

たらちめや又もろこしに松浦舟今年も暮れぬ心づくしに

ももしきのとのへを出づる宵々は待たぬに向かふ山のはの月(新勅撰1168)

契りありてけふみや河のゆふかづら永き世までにかけてたのまむ(新古1872)

つくづくと明けゆく窓のともし火の有りやとばかりとふ人もなし(玉葉2167)

しるや月やどしめそむる老いらくのわが山のはの影やいく夜と


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成24年04月26日

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