頓阿 とんあ(とんな) 正応二〜応安五(1289-1372) 俗名:二階堂貞宗

下総守二階堂光貞の子(作者部類)。二階堂家は藤原南家の末裔で、源頼朝家政所執事となった行政以後、代々鎌倉幕府の執事をつとめた家系である。藤原北家師実の子孫とする伝(『実隆公記』など)もあるが、現在では否定的な意見が多い。子に経賢がいる。
二十歳頃出家し、比叡山・高野山で修学。のち京都四条道場金蓮寺の浄阿に入門、時衆僧となって東国・信州を行脚する。京では西行の跡を慕って東山双林寺に庵居したり、仁和寺に住んだりした。歌人としては、応長年間(1311-1312)に百首歌を詠んで本格的な活動を始める。正和元年(1312)頃、すでに二条家に接近し、元応元年(1320)には二条為世から古今伝授を受けたとも言う(『伝心集』)。やがて歌人としての名声高まり、慶運浄弁兼好と共に為世門の和歌四天王と称せられるに至った。南北朝時代になっても、足利尊氏義詮らの寵遇を受け、歌壇の重鎮として二条家を守り立てる。関白二条良基の信任も厚く、貞治二年(1363)、良基の問いに答えた歌論書『愚問賢註』を著す。新拾遺集撰集の際は、撰者為明の没後、その業を引き継いで貞治三年(1364)に完成させた。応安五年(1372)三月十三日、没。八十四歳。双林寺に墓がある。二条家断絶後は、頓阿の子孫が二条派道統の後継者として歌壇に重んじられることとなる。
正和四年(1315)の花十首寄書、元亨年間(1321-1324)の聖護院二品親王家五十首、建武二年(1335)の内裏千首など、数多くの和歌催事に参加。家集・詠草には、延文三年(1358)頃までの歌を収める自撰家集『草庵集』、その続編『続草庵集』、延文二年(1357)に新千載集の撰歌資料として自撰した秀歌撰(通称『頓阿法師詠』)などがある。続千載集初出。勅撰集入集は計四十九首。著書は前記のほか歌論書『井蛙抄』、紀行『高野日記』などがある。連歌も能くし、『菟玖波集』に入集。

「頓阿はかかり幽玄にすがたなだらかに、ことごとしくなくて、しかも歌ごとに一かどめづらしく当座の感も有りし」(二条良基『近来風体抄』)
「近代は歌の聖の如くに頓阿法師をば人々存じて、草庵集とかいふ歌集をのみ、或はへつらひ、或はぬすみ詠むともがらも侍るにや。さるはかの法師も只一節詠みたる姿のほかをば、つやつやとよみ侍らず」(今川了俊『落書露顕』)
「又御門人某、頓阿が草庵集の事いかにしても花やかに見えず、耳に面白からぬやうに申し上げければ、あれは玉と玉とのよりあひたるやうにうつくしく、何とも見ることかたし。あれがよきと見ゆれば、歌の合点ゆきたるなりと仰せられしと」(『烏丸光雄卿口授』)

「草庵集・続草庵集」私家集大成5、新編国歌大観4
「草庵集玉箒・続草庵集玉箒」本居宣長全集2(筑摩書房)
「頓阿法師詠」中世和歌集室町篇(岩波新日本古典大系47)
「井蛙抄」続群書類従462、歌学大系5
「愚問賢註」続群書類従459、歌学大系5
『頓阿法師詠と研究』井上宗雄他編著(未刊国文資料)
『頓阿・慶運』石田吉貞著(三省堂)

頓阿法師の墓(左) 京都市東山区 双林寺

  10首  3首  7首  5首  2首  9首 計36首

建武三年内裏千首に、春天象

朝ぼらけ霞へだてて田子の浦に打ち出でてみれば山の端もなし(草庵集)

【通釈】ほのぼのと夜が明ける頃、霞に視界を遮られて、田子の浦に出て見れば富士山の稜線もありはしない。

【補記】白皚々の冬富士を詠んだ赤人の本歌を一ひねり、朝霞で春の富士山をすっぽり覆ってしまった。見えない富士を詠んで芭蕉の「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」の先駆とも言える、俳諧的な発想の作。

【本歌】山部赤人「万葉集」巻三
田子の浦に打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

古き詩の句を題にて百首歌よみけるに、遥峰帯晩霞といふことを

菅原や伏見の暮の面影にいづくの山もたつ霞かな(新続古今33)

【通釈】菅原の伏見の夕暮の――古歌に「霞にまがふ小初瀬の山」と詠まれた情景を髣髴させるように、見渡す限りどの山も霞が立ちこめていることよ。

【語釈】◇遥峰帯晩霞 遥かなる峰、晩霞を帯ぶ。出典未詳の詩句。◇菅原や伏見 大和国菅原の伏見の里。

【本歌】よみ人しらず「後撰集」
菅原や伏見の暮に見わたせば霞にまがふを初瀬の山

民部卿十首に、夜梅

梅の花にほひや空にみちぬらむ夜わたる月に春風ぞ吹く(草庵集)

【通釈】梅の花の匂いは天に満ちただろうか。夜空を渡る月に春風が吹いている。

【補記】二条為藤邸での十首歌会。春夜の情趣をスケール大きく描いた。

【参考歌】安倍広庭「万葉集」
子らが家路やや間遠きをぬば玉の夜渡る月にきほひあへむかも
  藤原定家「新古今集」
おほ空は梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月

月前梅を

槙の戸をささでぬるよの手枕に梅が香ながら月ぞうつれる(草庵集)

【通釈】槙の板戸を閉ざさずに独り寝る夜――庭先の梅の香をともなって月の光が射し込んで来、手枕をする私の袖に美しく映えるのだ。

【補記】「槙の戸」は杉檜の類で作った板戸。これをささずに寝たということは、本歌により恋人を待つ風情を添える。「うつれる」は「(梅の香が)移る」「(月光が)映る」の両義。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
君や来む我や行かむのいさよひに槙の板戸もささず寝にけり

霞中帰雁

遠ざかる声をしるべにながめずはかすみやはてむ雁の一つら(草庵集)

【通釈】遠ざかって行く声をたよりに眺めなかったとしたら、雁の一群は霞のうちに見失ってしまうだろうよ。

【補記】鳴き交わす声によって辛うじて見当をつけながら、霞のなか故国へ帰って行く雁を見送っている。その名残惜しさが余情となる。

前藤大納言家旬会に、春夕月

立ちこめて暮れぬる空も春の月かすむにつけて影ぞ見えゆく(草庵集)

【通釈】霞が立ちこめたまま日は暮れてしまったが、春の夕月は、空がますます朦朧としてくるにつれて、はっきりと姿を見せるようになるのだ。

【補記】昼間から出ていた夕月は、空が暗くなるにつれて輝き出す。詞書の「前藤大納言」は二条為世。

月前花といふことを

白妙の高嶺の桜咲きしより霞みもやらぬ月のかげかな(新続古今142)

【通釈】真っ白な高嶺の桜が咲いてからというもの、すっかり霞みきることはない月の姿であるなあ。

【補記】「白妙の」は桜の白さを言うために枕詞風に用いた。山桜の花と月の光が映発しあい、月の姿を明るく見せるので、春とはいえ霞みきることはないと言うのである。『草庵集』では詞書「花山院大納言家題をさぐりて歌よみ侍りしに、月前花」とあり、花山院師賢邸歌会での作。

山路花

分けきつる山はいくへと知られぬに花の香ふかく袖ぞなりゆく(草庵集)

【通釈】山を幾重分けて来たことか、それと気づかぬうちに、袖に染み付いた花の香はいよいよ深くなってゆく。

【補記】「花に心をうつせる故に、山路のふかくなる事を覺えぬ心ふくみておもしろし」(本居宣長『草庵集玉箒』)。

見花日暮

暮れなばと思ひし花の()のもとに聞きすてがたき鐘の音かな(頓阿法師詠)

【通釈】暮れたならばここを頼ろうと思っていた木のもとに、なお桜を眺めて佇んでいると、やがて聞き捨てようにも聞き捨てがたいそれほど情趣ある入相の鐘の音が聞こえてくることよ。

【補記】『草庵集』は結句「鐘のこゑかな」。

【本歌】素性法師「古今集」
いざ今日は春の山べにまじりなむ暮れなばなげの花の陰かは

聖護院二品親王家五十首、見花

惜しからぬ身をいたづらに捨てしより花は心にまかせてぞ見る(草庵集)

【通釈】惜しくもない身を無用なものとして捨ててからというもの、桜の花は心のままに見ることだ。

【補記】身を捨てて心の自由を得た境地を詠う。作者の西行思慕を窺わせる作。元亨年間(1321-1324)頃、覚助法親王主催の五十首歌に詠進したもの。

【参考歌】藤原俊成「玉葉集」
世を憂しとなに思ひけむ秋ごとに月は心にまかせてぞ見る
  西行「千載集」
花にそむ心のいかで残りけむ捨てはててきと思ふ我が身に

藤原基任よませ侍りし三首、夜時鳥

いく里の夢のまくらを過ぎぬらむまだふかき夜の山ほととぎす(草庵集)

【通釈】幾つの里の、幾人の夢見る枕の上を通り過ぎたのだろうか。まだ夜深い時間、鳴きながら飛んでゆく山郭公よ。

【補記】時鳥は夜によく鳴く。作者自身も深夜に寝覚め、夢うつつのうちに鳥の声を聞いた、という設定であろう。二条派の先輩歌人藤原基任(もととう)の歌会での作。

【参考歌】藤原為理「為理集」
ほととぎす夢のまくらを鳴き過ぎてききおくるねぞほのかなりける

前藤大納言家月次三首

時鳥夢うつつともわくべきをいま一声はとほざかりつつ(草庵集)

【通釈】最後の一声は朧ろげに遠ざかって行って――ほととぎすよ、もっと間近で聞けば、おまえの声が夢か現実か区別できるのになあ。

【補記】これも寝覚に聞いた、夢うつつの時鳥の声。

【参考歌】源雅兼「金葉集」
鶯のこづたふさまもゆかしきにいま一声は明けはててなけ
  二条為藤「文保百首」「新拾遺集」
さらでだにさだかならぬを郭公いま一声はとほざかりつつ

御子左大納言家旬十首に、おなじ心を

しづかなる心だにこそ涼しきにわがすむ里は山風ぞ吹く(草庵集)

【通釈】静穏に暮らす心持ちだけでも十分涼しいのに、私の隠棲する里は山風が吹いていっそう心地よいことだ。

【補記】「旬十首」は、二条為世が十日ごとに催した歌会。

鹿交草花

宮城野や朝たつ鹿も見ゆるまで花の千草に秋風ぞ吹く(草庵集)

【通釈】宮城野(みやぎの)では、早朝起きて野を行く鹿の姿がすっかり見えるほど、千草の花を靡かせて秋風が吹くことだ。

【補記】鹿は草むらに身を潜めて夜を過ごし、朝になると姿をあらわして餌などを求め野を歩く。それを「朝たつ」と言った。宮城野は陸奥の歌枕で、萩の名所として名高い。

【参考歌】大伴家持「万葉集」「新古今集」
さを鹿の朝たつ野べの秋萩に玉と見るまでおける白露
  藤原定家「名所障子和歌」「続後撰集」
うつりあへぬ花のちくさにみだれつつ風のうへなる宮城野の露

独吟百首

かぎりなき空もしられて富士のねの煙のうへにいづる月かげ(草庵集)

【通釈】富士山から立ちのぼる煙の、さらにその上に昇った月――天空は本当に無窮なのだと知られる。

【補記】『頓阿法師詠』には「山月」の題を付す。

里月

更くる夜の川音ながら山城のみづ野の里にすめる月かげ(草庵集)

【通釈】更けてゆく夜の澄みまさる川音を伴って、山城の美豆野の里にさやかに照り渡る月の光よ。

【補記】「清澄の視・聴覚の協奏曲」(岩波新古典大系注)。「みづ野」は山城国の歌枕、美豆野。淀川と宇治川の合流点に近く、牧草地が広がっていた。『正徹物語』に頓阿の曾孫堯孝がこの歌を理想と仰いだと伝える。

聖護院二品親王家五十首に、竹間月

さ枝より月はもりきて竹の葉のかげさへ窓にうつる夜半かな(草庵集)

【通釈】月の光は枝を交わす竹叢から漏れてきて、細い葉の影さえくっきりと窓の簾に映っている夜だことよ。

【補記】「竹の葉のかげさへ」に月光の明澄さを強調する。

月前擣衣

更くるまで誰を待ちてか月待つと言ひつる人の衣うつらむ(草庵集)

【通釈】月の出を待つと言っていた人は、とっくに月が昇り、夜が更けた今も衣を打ち続けている。月ならぬ誰を待っているのだろう。

【補記】月を待つことを口実として砧を打ち始めた女人。恋物語の興趣を添える。結句「衣うつなり」とする本もある。

【本歌】柿本人麻呂「拾遺集」
足引の山より出づる月待つと人には言ひて君をこそ待て

前関白家にて、菊

うすくこくうつろふ菊のまがきかなこれも千草の花と見るまで(草庵集)

【通釈】籬の菊は日に日に色を変えてゆき、薄かったり濃かったりばらつきがあるよ。これもまた秋の千草の花と見える程に。

【補記】白菊は萎れかけた後、赤や紫に変色する。そうした色のうつろいのバリエーションを多種多彩の花に見立てた。秋の千草が枯れ果てたのちに咲く花が菊であることも鑑賞のポイント。詞書の「前関白」は二条良基か。

【参考歌】紀貫之「貫之集」
うすくこく色も見えける菊の花露や心をわきておくらむ

前太政大臣家にて、菊籬月

うつろふもなほ白妙の色なれやまがきの菊をてらす月かげ(草庵集)

【通釈】籬の菊を月光が照らして、褪せたはずの花も、なおその色は純白ではないか。

【補記】前太政大臣は洞院公賢か(岩波新古典大系注)。

【参考歌】作者不明「撰集抄」
女郎花うゑしまがきの秋の色はなほ白妙の露ぞかはらぬ
  順徳院「紫禁和歌集」
置く霜もなほ白妙の菊の花いかなる色にうつりそめけむ

題しらず

つもれただ入りにし山の嶺の雪うき世にかへる道もなきまで(続千載1804)

【通釈】ひたすら積もれ、出家して入った山の頂に降る雪よ。浮世に帰る道もなくまるまで。

【補記】『草庵集』には詞書「二条大納言家にて、深山雪」。為世邸の歌会出詠歌。勅撰集初入選の記念すべき作となった。

【参考歌】藤原俊成「長秋詠藻」
つもれただ道は絶ゆとも山里に日をふる雪を友とたのまむ

民部卿家題を探りて歌合せられ侍りしに、曙山雪

関の戸のあくれば見えて足柄のやへ山とほくふれるしら雪(頓阿法師詠)

【通釈】夜が明けて関の戸を開けると、曙の光の中、足柄の重畳する山々遠く降り積もった白雪が望まれる。

【補記】「あくれば」は「関の戸を開ければ」「夜が明ければ」の両義。足柄は相模国の歌枕。関東との境をなす足柄の関があった。『草庵集』では初句を「天の戸の」とする本もある。

【参考歌】「万葉集」巻二十、郡司妻女等餞之歌
足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつしのはむ

源大納言詩歌合に、冬夜

野も山もさだかに見えてむば玉の闇のうつつにふれるしら雪(草庵集)

【通釈】真っ暗な現実の闇に雪が降り続け、野も山も白く覆われてくっきりと見える。

【補記】雪が野山に白いベールをかけ、夜の景色を鮮明な夢のように見せている。「闇のうつつ」は本歌によって「さだかなる夢」と対比される。北畠親房主催の詩歌合(漢詩と和歌を合わせる歌合)に出詠した作。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
むば玉の闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

暁雪

白妙のゆふつけ鳥もうづもれてあくる木末の雪に鳴くなり(草庵集)

【通釈】木々だけでなく鶏も真っ白な景色の中に埋もれてしまって――明けた朝、梢に積もった雪に鳴いているようだ。

【補記】「白妙の」は「ゆふ(木綿)」に冠した枕詞であると共に、「真っ白な」の意で「ゆふつけ鳥」を修飾する。「ゆふつけ鳥」は「木綿付け鳥」の意で、鶏のこと。

歳暮

ながめこし花より雪のひととせも今日にはつ瀬の入相の鐘(頓阿法師詠)

【通釈】春の花から冬の雪まで眺めてきた一年も、今日ついに果てると告げる、初瀬の入相の鐘よ。

【語釈】◇はつ瀬 初瀬。大和国の歌枕。長谷寺がある。「果つ」と掛詞。

【補記】この歌、『草庵集』には見えない。「(応長のころよみ侍りし百首)はつせ山花より雪にながめきて入あひの鐘に年ぞ暮れぬる」の改作か。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬときくぞかなしき

民部卿家十首に、霧中恋

ながめてもむなしき空の秋霧にいとど思ひのゆく方もなし(草庵集)

【通釈】思い屈して空を眺めても、虚しく秋の霧が立ちこめているばかりで、私の心は一向に晴れる方途がない。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし

冬恋

水鳥の下やすからぬわが中にいつか玉藻の床をならべむ(草庵集)

【通釈】水鳥が水面の下でせわしなく足掻いているように、表向きは何ごともないふりをしている私たちの仲だが――いつかは鳥たちのように美しい藻の床を並べて寝よう。

【参考歌】大江匡房「千載集」
水鳥の玉藻の床のうき枕ふかき思ひは誰かまされる

西行上人すみ侍りける双林寺といふ所に、庵結びてよめる

跡しめて見ぬ世の春をしのぶかなその如月の花の下かげ(草庵集)

【通釈】西行法師の住んだ跡に我が庵を結んで、自分が生まれる前の遠い昔の春を偲ぶことよ。時あたかも法師が亡くなった二月、花の下陰で。

西行堂 京都市東山区 円山公園傍

【語釈】◇跡しめて 西行の住んだ跡をおのれの居所として。◇見ぬ世の春 自分が経験しなかった時代(西行が生きた時代)の春。

【補記】双林寺は延暦寺の別院として栄えた天台宗の大寺院。今は円山公園内に本堂一宇と飛地境内に西行堂を残す程度。

【参考歌】西行「山家集」
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

秋旅を

雁の来る朝けの霧に嶺こえて思ひつきせぬ旅のそらかな(草庵集)

【通釈】早朝の霧の中、峰を越えて行けば、雁が鳴きながら飛んで来て――しきりと故郷が偲ばれ、物思いが尽きることのない旅の空であることよ。

【補記】故郷を後にした渡り鳥と旅人が峰で交差する、というシチュエーションの妙。しかも本歌の厭世感を、旅の辛さに巧みに転じている。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
雁の来る峰の朝霧はれずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ

将軍家にて、羈中嵐

暮るるまで嵐に越ゆる宇津の山さぞな今宵も夢は見ざらむ(続草庵集)

【通釈】日が暮れるまでずっと嵐に吹かれながら越えて来た、宇津の山。今宵も激しい風の音に、故郷の夢を見ることは叶うまい。

【補記】「宇津の山」は今の静岡市宇津ノ谷(うつのや)あたり。東海道の難所として名高く、伊勢物語第九段によって歌枕となる。「うつつ」を連想させ、「夢」が喚起される。詞書の「将軍」は足利尊氏。

【本歌】在原業平「新古今集」、「伊勢物語」第九段
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

旅行

隔てきてそなたと見ゆる山もなし雲のいづこか故郷の空(草庵集)

【通釈】遠く隔てて来て、あの辺がそうかと見える山もない。雲のいずこに故郷の空はあるのか。

【補記】山と雲に望郷の思いを馳せるという有りふれた発想を、典型にまで高め得た作。

母のおもひにて侍りし頃、兼好歌をすすめ侍りし返事に

思へただ常なき風にさそはれし歎きのもとは言の葉もなし(草庵集)

【通釈】無常の風に母を失った嘆きに、歌も詠むことができません。ただこの悲しみを思いやって下さい。

【補記】母の喪に服していた頃、歌友の兼好から歌を詠むよう勧められて、その返事として詠んだ歌。「歎き」に「木」、「もと」に「根もと」、「言の葉」に「葉」を掛け、木の縁語を列ねることで、風によって葉を落とした冬枯れの樹木に自らを擬えている。

【参考歌】藤原実行「詞花集」
思ひやれ心の水のあさければかきながすべき言の葉もなし

雪のふる日、母の墓にまかりて 二首

思ひやる苔の下だにかなしきにふかくも雪のなほうづむかな(草庵集)

【通釈】墓の下にいると思うだけでも悲しいのに、そのうえ深く雪が降り積もったことだなあ。

【補記】亡母との間を、冷たい雪がさらに隔てる。風雅集雑下に所収。

【参考歌】前大納言伊頼卿母「拾遺風体抄」
送りおきし苔の下だにかなしきに又いづ方に遠ざかるらむ

 

白雪のふりぬるわが身いつまでかのこりて人の跡をとはまし(草庵集)

【通釈】この雪はいつまで消えずに残っていることか――年老いた我が身も、いつまで生き残って亡き人の弔いをすることができるのだろうか。

【補記】「白雪の」は「降り」から同音の「古り」を導く枕詞。また「のこり」「跡」は雪の縁語と言える。なお『草庵集』はこのあと、弟子の墓に詣でた歌を載せる。「わが跡もとふべき人はさきだてて山路の雪をわくるかなしさ」。

寄市雑といふことを

後の世にこの身をかへて捨てしよりなかなか市の中もいとはず(続草庵集)

【通釈】世捨て人は市の中を厭うのが道理であるが、後世の果報のために身を捨てた私であるから、かえって賑やかな市の中も避けずに交わるのである。

【補記】白氏文集に「大隠在朝市」とあるのを踏まえるかという。

懐旧

憂き身には思ひ出ぞなき敷島の道に忘れぬ昔ならでは(続草庵集)

【通釈】つまらない我が身には思い出も無い。和歌の道に刻んだ昔のことだけは忘れないが、それ以外は何ひとつ思い出などありはしない。

【補記】歌道に打ち込んだ生涯を簡潔に言い尽くした一首であろう。


公開日:平成15年01月18日
最終更新日:平成21年07月22日