千人万首 資料編 漢詩文四書五経 諸子百家 六朝詩賦 唐詩 宋詩 日本漢詩 ※工事中未校正

和歌に影響を与えた漢詩文

四書五経詩経 論語
諸子百家荘子 孟子 老子 韓非子
六朝詩賦文選 玉台新詠 陶淵明 梁武帝
唐詩李嶠 劉廷芝 孟浩然 李白 杜甫 李嘉祐 張継 耿湋 白居易 柳宗元 元稹 許渾 劉得仁 杜牧 于武陵 作者不明
宋詩徐元杰
日本漢詩菅家文草 本朝麗藻 和漢朗詠集

四書五経

詩経 論語 礼記

詩経

詩經 國風 卷耳

采采卷耳    巻耳けんじるも
不盈頃筐    頃筐けいきやうたず
嗟我懷人    ああ我人をおもひて
寘彼周行    周行しうかう
 
陟彼崔嵬    崔嵬さいくわいのぼれば
我馬虺隤    我が馬虺隤くわいたいたり
我姑酌彼金罍  我しばらく金罍きんらい
維以不永懷   れを以て永くおもはざらん
 
陟彼高岡    高岡かうかうのぼれば
我馬玄黄    我が馬玄黄げんくわうたり
我姑酌彼兕觥  我しばらくくわう
維以不永傷   れを以て永くいたまざらん
 
陟彼砠矣    のぼれば
我馬瘏矣    我が馬めり
我僕痡矣    我がぼくめり
云何吁矣    云何いかんせん ああ

【通釈】(女)はこべを摘んでも摘んでも、
籠に一杯にならない。
ああ私は旅にある人を思って、
摘んだ草を大道のほとりに置く。
 
(男)険しい山に登ると、
私の馬は疲れ果てた。
しばらく酒壺に酒を酌んで飲み、
いつまでも思い悩むまい。
 
高い岡に登ると、
私の馬は疲れて毛も色褪せた。
しばらく酒器に酒を酌んで飲み、
いつまでも悲しむまい。
 
岩山に登ると、
私の馬は病み疲れた。
私の供人は病み苦しむ。
ああどうすればよいのか。

【語釈】◇卷耳 はこべの類と言う。◇頃筐 一方が低いかご。草摘みなどに用いる。◇周行 周の都に通ずる大道。「巻耳を摘み終えてそれを周行におくのは、その道の果てにある遠人への魂振りのためである」(白川静『詩経』)。◇崔嵬 石のある険しい山。◇虺隤 病み疲れること。◇金罍 金属製の壺型の酒器。◇玄黄 馬の毛が疲労のため褪せたさま。◇兕觥 流し口のある酒器。

【補記】周南。女の草摘み歌と、男の登高飲酒の歌の「互唱の形式をもつ歌謡」(白川静『詩経』)。同書によれば、「草摘みは会うための予祝であり、また遠くにある思う人への魂振りとしての行為でもあった」「登高飲酒の俗は、のち九月九日重陽の節句の行事となった。遠く旅路にある人びとは、この日附近の小高い山に登って、頭にはぐみをかざし、菊酒を酌み、遙かに故郷を望んで魂振りをする」。

【主な派生歌】
草枯れの野原の駒もうらぶれて知らぬさかひの長月の空(藤原定家『拾遺愚草』)

詩經 國風 摽有梅
ちて梅あり

摽有梅   ちて梅あり
其實七兮  其の七つ
求我庶士  我を求むるの庶士しよし
迨其吉兮  其のきちおよ
 
摽有梅   ちて梅あり
其實三兮  其の実三つ
求我庶士  我を求むるの庶士しよし
迨其今兮  其の今におよ
 
摽有梅   ちて梅あり
頃筐塈之  頃筐けいきやうこれ
求我庶士  我を求むるの庶士しよし
迨其謂之  其のこれふにおよ

【通釈】梅が落ちてます。
その実は七つ。
私めあての殿御方、
吉日選んでおいでなさい。
 
梅が落ちてます。
その実は三つ。
私めあての殿御方、
おいでになるなら今のうち。
 
梅が落ちてます。
手かごはからっぽ。
私めあての殿御方、
言い寄りなさい口づから。

【語釈】◇摽 「ちて」は旧訓で、現在では誤りとされている。「投果の俗を歌うものである」(白川静『字通』)。今では「つ」と訓むのが普通。補記参照。◇迨 ことを成し遂げる意。◇頃筐 一方が低いかご。草摘みなどに用いる。

【補記】歌垣などで謡われた詩かという。女が男に果物を投げて誘い、当てられた男はぎょくなどを贈り返して夫婦の契りを交わすという風習があったらしい。かつては「摽有梅」を「ちて梅あり」と訓み、熟して落ちる梅の実に婚期の過ぎてゆく娘を喩えたものと解釈された。下記象山・曙覧詠いずれも旧訓を踏まえたものである。

【影響を受けた和歌の例】
我ほしといふ人もがな梅の実の時し過ぎなば落ちや尽きまし(佐久間象山『省諐録』)
雨つつみ日を経てあみ戸あけ見ればちて梅ありその実三四みつよつ(橘曙覧『志濃夫廼舎歌集』)

詩經 國風 七月(抄)

五月斯螽動股  五月斯螽ししうを動かし
六月莎鷄振羽  六月莎鶏さけいはねふる
七月在野    七月野に
八月在宇    八月に在り
九月在戸    九月に在り
十月蟋蟀    十月蟋蟀しつしゆつ
入我牀下    我が牀下しやうか
穹窒熏鼠    穹窒きゆうちつしてねずみくん
塞向墐戸    まどふさ
嗟我婦子    ああ我が婦子ふし
曰爲改歳    ここ改歳かいさいを為さんとし
入此室處    此のしつに入りて

【通釈】五月になればきりぎりすが股を動かして鳴き、
六月にはこおろぎが羽を振わして鳴く。
七月、彼らは野にあり、
八月、軒下にあり、
九月、家の戸口にあり、
十月になると、こおろぎは、
私の床の下に入り込む。
さて家を掃除して鼠をいぶし、
天窓を塞いで戸の隙間を塗る。
ああ、我が家族たちよ、
無事年越しをするために
この居間に籠っておりなさい。

【語釈】◇五月 陰暦五月、仲夏。新暦ではおおよそ六月中頃~七月頃に当たる。◇斯螽 螽斯とも。きりぎりす。◇莎鷄 きりぎりす・こおろぎの類。◇宇 屋根に覆われたところ。軒下。◇蟋蟀 こおろぎの類。よく人家に入って来るのはカマドコオロギである。カマドコオロギは「キリキリキリ…」と鳴くので、昔日本ではこれを「きりぎりす」と呼び、コオロギ類の総称ともした。因みに今キリギリスと呼ばれる虫は古くは機織(はたおり)・機織虫と呼ばれたらしい。◇穹窒 室を掃除する。◇熏鼠 煙で鼠をいぶし出す。◇向 天上につけた明り取りの窓。◇墐戸 土を塗って戸の隙間をふさぐ。◇改歳 年越し。

【補記】中国最古の詩集『詩経』、国風のうち豳風ひんぷうの「七月」八連の第五連のみを抄出した。暦に従って農民のあるべき暮らしを歌った詩である。

【影響を受けた和歌の例】
秋ふかくなりにけらしなきりぎりす床(ゆか)のあたりに声聞こゆなり(花山院『千載集』)
露しげき野辺にならひてきりぎりす我が手枕の下になくなり(前斎院六条『金葉集』)
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく(西行『新古今集』)
きりぎりす草葉にあらぬ我が床の露をたづねていかでなくらむ(藤原良経『千五百番歌合』)
きりぎりす我が床ちかし物思ふと寝ぬ夜の友はなれも知りきや(中院通勝『通勝集』)
きりぎりす霜の下葉を我が床のよさむにかへて鳴きや寄るらん(中院通村『後十輪院内府集』)
松にふく風もあらしになりにけり北窓ふたげ冬籠りせん(小沢蘆庵『六帖詠草』)
注:西行の歌は、虫はだんだん人に近づいて来るのにその声は遠ざかってゆくと聞いているところに哀れがある。掲出詩に詠まれたような生態を踏まえてこそ味読し得る歌であろう。

詩經 小雅 鶴鳴かくめい

鶴鳴于九皐  鶴九皐きうかうに鳴き
声聞于野   声野に聞こゆ
魚潛在淵   魚潜んで淵に在り
或在于渚   或いは渚にあり
楽彼之園   楽しきかな彼の園
爰有樹檀   ここ樹檀じゆたん有り
其下維蘀   其の下これたく
佗山之石   佗山たざんの石は
可以為錯   以てさくすべし

鶴鳴于九皐  鶴九皐に鳴き
聲聞于天   声天に聞こゆ
魚在于渚   魚は渚に在り
或潛在淵   或いは潛んで淵に在り
樂彼之園   楽しきかな彼の園
爰有樹檀   ここ樹檀じゆたん有り
其下維穀   其の下これ穀
佗山之石   佗山たざんの石は
可以攻玉   以て玉ををさむべし

【通釈】鶴が奧深い沢で鳴くと、
その声が野にまで聞こえる。
魚が潜んで淵にいることもあれば、
渚にいることもある。
かの楽しい園よ、
立派な檀の木がある。
その下には落葉が積もる。
よその山の質の悪い石でも、
玉を磨くのに役立てることができる。
 
鶴が奧深い沢で鳴くと、
その声が天にまで聞こえる。
魚は渚にいることもあれば、
潜んで淵にいることもある。
かの楽しい園よ、
立派な檀の木がある。
その下にはからたちがある。
よその山の質の悪い石でも、
玉を磨くのに役立てることができる。

【補記】「鶴鳴于九皐 声聞于天」は、賢人は身を隠しても、その名声は広く世間に知れ渡る例えとされる。和歌などで沢辺の鶴の鳴き声に不遇の思いを託したのはこれに由来するようである。また「佗山之石」の句は諺「他山の石」のもととなった。

【影響を受けた和歌の例】
…たれ九つの 沢水に 鳴くたづのねを 久方の 雲のうへまで かくれなみ たかく聞ゆる かひありて いひながしけん…(源順『拾遺集』)
沢にのみ年はへぬれど葦鶴のこころは雲のうへにのみこそ(藤原師輔『拾遺集』)
沢水におりゐるたづは年ふとも馴れし雲居ぞこひしかるべき(橘為仲『後拾遺集』)
沢にすむ鶴のなく声いたづらに空に聞えぬ歎をぞする(隆源『堀河百首』)
昔みし雲ゐをこひて葦鶴の沢辺になくやわが身なるらん(藤原公重『詞花集』)
沢水になくたづのねやきこゆらん雲ゐにかよふ人にとはばや(藤原清輔『清輔集』)
霜ふかき沢辺のあしに鳴くつるの声もうらむる明暮の空(藤原定家『拾遺愚草』)
君が代に霞をわけしあしたづのさらに沢辺のねをやなくべき(同上)

論語

學而編 有朋自遠方來

子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

子の曰く、学びて時にこれを習ふ、またたのしからずや。とも有り遠方よりきたる、また楽しからずや。人知らずしてうらみず、また君子ならずや。

【通釈】先生が言われた、「学んだのち、折々復習する。なんとも楽しいことではないか。友が遠方から訪ねて来てくれる。なんとも楽しいことではないか。人が知らなくても不満に思わない。なんとも君子ではないか」。

【語釈】◇亦 強調の助辞。「不亦…乎」の形で「なんとも…ではないか」といった意になる。◇説 悦に通じ、よろこぶ意。◇有朋自遠方來 古くは「朋遠方より来る有り」とも訓まれた。◇慍 心中に不満を抱く。

【補記】論語巻頭。

【影響を受けた和歌の例】
語らはむ友にもあらぬ燕すら遠く来たるはうれしかりけり(香川景樹『桂園一枝』)

爲政編 一

子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。

子の曰く、政を為すに徳を以てすれば、たとへば北辰ほくしんの其の所に居て衆星のこれにむかふがごとし。

【通釈】先生が言われた、「政治を行うのに、道徳を以てすれば、あたかも北極星が常にその位置に居て、衆星がこれに恭順しているようなものだ」。

【語釈】◇共 「鄭注は拱(手を前にくむ礼)」と同じとみて衆星が挨拶していると解した」(岩波文庫『論語』注)。

【影響を受けた和歌の例】
すべらぎのあまねき御代を空に見て星のやどりのかげもうごかず(藤原定家『拾遺愚草』)

雍也編 知者樂水

子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、

子ののたまはく、知者は水を楽しび、仁者はを楽しぶ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しび、仁者は寿いのちながし。

【通釈】先生が言われた、「智の人は(絶えず動く)川を楽しみ、仁の人は(不動の)山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は生を楽しみ、仁の人は生を久しうする」。

【語釈】◇知者(ちしゃ) 道理を知る人。雍也編に孔子の曰く、「民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知と謂ふべし」。◇水 「山」と対比されることで「川」の意となる。◇仁者(じんしゃ) 仁徳をそなえた人。顔淵編に「仁」を問われて孔子の曰く、「人を愛す」「己れにち礼にかへるを仁となす」。また雍也編に曰く、「仁者はかたきを先にしてるをのちにす。仁と謂ふべし」。◇山 「水」と対比されることで不動のものの象徴となる。◇知者樂 この「樂」は「壽」と対比されることによって、一時的な、永続きしない娯楽・快楽といった意味を帯びる。◇壽 命が長い。長生きをする。

【補記】知者と仁者をくらべ、それぞれ水(川)と山、動と静、楽(一時的な快楽)と寿(持続的な幸福)によって対比した。論語には他にも知者・仁者を対比した教えが見え、たとえば顔淵編には仁者を問われ「人を愛す」、知者を問われ「人を知る」。里仁編には「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす」(仁の人は仁に満ち足りている、智の人は仁を利用する)。また子罕編には「知者は惑はず、仁者は憂へず、勇者はおそれず」。

【影響を受けた和歌の例】
見吉野之みよしのの 芳野乃宮者よしののみやは 山可良志やまからし 貴有師たふとくあらし 水可良思かはからし 清有師さやけくあらし 天地与あめつちと 長久ながくひさしく 万代尓よろづよに 不改将有かはらずあらむ 行幸之宮いでましのみや(大伴旅人『万葉集』)
山を我がたのしむ身にはあらねどもただ静けさをたよりにぞ住む(細川幽斎『衆妙集』)
注:旅人詠の「山可良志 貴有師 水可良思 清有師」の対句について論語の「知者樂水、仁者樂山」からの影響を指摘する説がある。幽斎の歌は題「閑居」、晩年、京都吉田山麓に隠棲していた頃の作と思われる。

【参考】芭蕉「洒楽堂の記」
山は静かにして性を養ひ、水は動いて情を慰す。静・動二つの間にして、住みかを得る者あり。浜田氏珍夕といへり。目に佳境を尽し口に風雅を唱へて、濁りを澄まし塵を洗ふがゆゑに、洒楽堂といふ。

述而編 不義而富且貴

子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴於我如浮雲、

子ののたまはく、疏食そしくらひ水を飲み、ひぢを曲げてこれを枕とす。楽しびまた其のうちり。不義にして富みたつときは我に於いて浮雲ふうんの如し。

【通釈】先生が言われた、「粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を枕にして寝る。楽しみはやはりそんな暮らしにもあるものだ。義に背いて富を得、高い地位を得ても、そんな生活は浮雲のようにはかないものだ」。

【補記】述志編第七の十五。里仁編にも富についての言及があり「富と貴きは、是れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、らざるなり」(富と地位は人の願うものであるが、正しい手段で得たのでなければ保つことはできない)。また述志編に「富にして求むべくんば、執鞭しつべんの士と雖も、吾亦これを為さん。し求むべからずんば、吾が好む所に従はむ」(富というものが追求してよいものなら、御者にもなろう。もし追求すべきものでないなら、私の好きな生活に向かおう)。また秦伯編には「くにに道なきに、富みて且つ貴きは恥なり」(正しい道が行われていない国にあって、富みかつ高い地位にあることは恥である)。
「不義而富且貴於我如浮雲」を句題とした和歌が南北朝時代の勅撰集『新千載和歌集』に見える。

【影響を受けた和歌の例】
身にたへぬ我が名もよしや半天なかぞらにうかべる雲のありてなければ(惟宗光庭『新千載集』)


礼記

禮記卷六 月令 東風解凍

東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來。

東風とうを解き、蟄虫ちつちゆう始めてうごき、魚こほりのぼり、だつ魚を祭り、鴻雁こうがんきたる。

【通釈】正月には東風が氷を解かし、土にもぐっていた虫が動き出し、魚は氷の上に姿をあらわし、かわうそは魚を岸に並べて祭をし、おおとりや雁が飛来する。

【補記】「月令」(「がつりょう」または「げつれい」と読む)は一年間の暦や恒例行事、季節の変化を月順に述べたもの。『呂氏春秋』の十二紀とほぼ同じ記述である。引用部分はその冒頭、孟春之月(旧暦正月)における自然の変化の特徴を述べた部分である。「東風解凍」を踏まえた和歌は夥しい数に上る。

【影響を受けた和歌の例】
雪のうちに春は来にけり鶯の氷れる涙いまやとくらむ(藤原高子『古今集』)
水のおもにあや吹きみだる春風や池の氷をけふはとくらむ(紀友則『後撰集』)
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ(紀貫之『古今集』)
谷風にとくる氷のひまごとに打ち出づる波や春の初花(源当純『古今集』)
氷とも人の心を思はばや今朝たつ春の風にとくべく(能因『後拾遺集』)
春のくる夜のまの風のいかなれば今朝吹くにしも氷とくらん(前斎宮内侍『金葉集』)
凍りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房『詞花集』)
春風の吹くにもまさる涙かなわがみなかみに氷とくらし(藤原伊尹『新古今集』)
氷とく春の初風たちぬらし霞にかへる志賀の浦波(藤原定家『拾遺愚草』)
うれへある我が心のみとけがたみ池のこほりも春風ぞ吹く(『伏見院御集』)
氷よりうち出づる波の初尾花春立つけふの真野の秋風(正徹『草根集』)



諸子百家

荘子 孟子 老子 韓非子

荘子

斉物論編 第二 昔者荘周夢為胡蝶

昔者、莊周、夢爲胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與、不知周也、俄然覺、則蘧蘧然周也、不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與、周與胡蝶、則必有分矣、此之謂物化、

昔者むかし、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩くくぜんとして胡蝶なり。自らたのしみてこころかなふか、周なることを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然きよきよぜんとして周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為れるか。周と胡蝶とは、すなはち必ず分有らん。此れをこれ物化ぶつかふ。

【通釈】昔、荘周は蝶となる夢を見た。蝶となって浮き浮きと飛びまわった。愉しくて快適だったからか、おのれが周であることを自覚しなかった。にわかに目が覚めてみれば、驚いたことに周であった。周が夢で蝶となったのか、いま蝶が夢で周になっているのか、分からなかった。周と蝶とは、しかし必ず区別があるだろう。万物の変化とはこういうことを言うのである。

【語釈】◇栩栩然 喜び遊ぶさま。◇蘧蘧然 はっと驚くさま。「明確にはっきりとしたさま」の意ともいう。◇物化 物の変化。荘周と蝶のように、物は別の物へと変化するが、それは現象的なことに過ぎず、その区別は絶対的なものではない。人であろうと蝶であろうと《おのれ》であることに変わりはないからである。氷になろうが水蒸気になろうが水が《水》であることに変わりはないように。

【補記】『荘子』内篇斉物論編の十三、「荘周の夢」「胡蝶の夢」として名高い寓話の全文を引用した。物象の分別が如何に不確実なものであるかを説き、万物斉一の理を明かしている。『摩訶止観』に「荘周夢為胡蝶、翔翔百年、悟知非蝶」と引かれ、これと併せて我が国では夢と現実の区別のつけがたさ、あるいは人生のはかなさの寓話として受け取られる傾向が強かった。この話を踏まえた和歌は夥しく、以下にはごく一部を収載するのみである。

【影響を受けた和歌の例】
ももとせは花にやどりて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞありける(大江匡房『詞花集』)
花園の胡蝶となると見し夢はこはまぼろしかうつつとやせん(肥後『堀河百首』)
思ひわびぬせめて小蝶の夢もがな心の花のたのしみにせん(宗良親王『宗良親王千首』)
かりの世の色をはかなみ散る花にまじる胡蝶も夢をみよとや(正徹『草根集』)
虫のこゑ草の花野の秋の夢たえし胡蝶のまよふ雪かな(正徹『草根集』)
あかず見る花になれゆく胡蝶とはたが見る夢かまよひきぬらん(姉小路基綱『卑懐集』)
みし夢も胡蝶の夢も何かいはん我が思ひ寝の我が身なりける(後柏原院『柏玉集』)
思はじよ花にこてふのももとせも逢ひみん程はうたたねの夢(肖柏『春夢集』)
花や夢ゆめや花ともわかなくにまたも胡蝶の春やおくらん(三条西実隆『雪玉集』)
おもほえず我を胡蝶になしはてて夢の内野の花やみゆらん(松永貞徳『逍遥集』)
やどりつる胡蝶の夢も覚めざらん寝よげにみゆる春の若草(後水尾院『後水尾院御集』)
見し春もまがきの蝶の夢にしていつしか菊にうつる花かな(後水尾院『後水尾院御集』)
ゆきとまる陰を宿とて花に寝ば胡蝶の夢や今宵見てまし(契沖『漫吟集』)
花にぬる小蝶の夢の覚めもあへず有りしやそれと匂ふ梅が香(武者小路実陰『芳雲集』)
華にのみなれし日数も時のまに胡蝶の夢と春ぞ暮れゆく(冷泉為村『為村集』)
をしみかねまどろむ夢のたましひや花の跡とふ胡蝶とはなる(小沢蘆庵『六帖詠草』)
志賀の浦や今もたはるる花園の胡蝶よ夢かありし昔は(本居宣長『鈴屋集』)
ながくのみ咲きのこらなん藤のはな春は胡蝶の夢となるとも(木下幸文『亮々遺稿』)
うつりきて秋の花野に飛ぶ蝶の夢の果こそはかなかりけれ(熊谷直好『浦のしほ貝』)
夢さめて蝶はいぬめり花むしろたちもはなれぬ酔のまぎれに(加納諸平『柿園詠草』)
うかれきて花野の露にねぶるなりこはたが夢の胡蝶なるらん(大田垣蓮月『海人の刈藻』)


韓非子

韓非子 説林上 第二十二(抄)

管仲隰朋從桓公伐孤竹、春往冬返、迷惑失道、管仲曰、老馬之智可用也、乃放老馬而隨之、遂得道

管仲くわんちゆう隰朋しふほう桓公くわんこうに従ひて孤竹こちくち、春きて冬かへるに、迷惑して道を失ふ。管仲曰く、老馬の智もちしと。すなはち老馬を放ちて之にしたがひ、遂に道を得たり。

【通釈】管仲と隰朋が斉の桓公に従って狐竹の地を征伐し、春に往って冬に帰って来る途中、雪で道に迷った。管仲が言うことには「老いた馬の智恵を用いましょう」と。そこで老馬を放って前を行かせ、これに付いて行くと、とうとう道を得ることが出来た。

【補記】諺「老馬之智」「老馬識途みちをしる」のもととなった話の部分だけ抄出した。

【影響を受けた和歌の例】
夕闇は道も見えねど旧里はもと来し駒にまかせてぞ来る(よみ人しらず『後撰集』)
都のみかへりみられて東路を駒の心にまかせてぞゆく(増基法師『後拾遺集』)
葦の屋の昆陽のわたりに日は暮れぬいづちゆくらん駒にまかせて(能因法師『後拾遺集』)
来馴れたる駒にまかせむ苗代の水に山路はひきかへてけり(藤原定家『拾遺愚草』)


六朝詩賦

文選 玉台新詠 陶淵明 梁武帝

文選

古詩十九首 宋玉 魏文帝

古詩十九首

古詩十九首 十

迢迢牽牛星  迢迢てうてうたる牽牛星けんぎうせい
皎皎河漢女  皎皎かうかうたる河漢かかんぢよ
纖纖擢素手  繊繊せんせんとして素手そしゆ
札札弄機杼  札札さつさつとして機杼きぢよろう
終日不成章  終日しゆうじつしやうを成さず
泣涕零如雨  泣涕きふていつること雨の如し
河漢淸且淺  河漢かかん清くつ浅し
相去復幾許  相去ること幾許いくばく
盈盈一水閒  盈盈えいえいたる一水いつすいかん
脈脈不得語  脈脈みやくみやくとして語るを得ず

【通釈】はるかに輝く彦星、
しらじら輝く織姫星。
しなやかに白い手を袖から抜き出し、
シャッシャッとはたを操る。
ところが今日は一日織っても綾を成さない。
涙ばかりが雨のようにこぼれる。
天の川は清らかで浅い。
距離にしてもどれ程か。
満々と湛えた一すじの川を挟んで、
延々と語り合えない日が続く。

【語釈】◇迢迢 遥かに遠いさま。◇牽牛星 わし座の首星アルタイルの漢名。◇皎皎 白く輝くさま。◇河漢女 織女星。琴座の首星ベガ。「河漢」は天の川。◇札札 を操る時に立てる音。「劄劄」とする本もある。◇機杼 機の。緯糸を通す操作に用いる具。◇章 織物のあや。◇脈脈 ある状態がひそかに持続するさま。

【補記】天帝に逢瀬を禁じられて嘆く織女を中心に七夕伝説を詠んだ詩。文選では作者不明とし、玉台新詠では前漢の枚乗ばいじようの作とする。牽牛・織女の名は詩経にも見えるが、二星を人格化し、普段逢瀬を禁じられているとした詩はこの「古詩十九首」が最初という。日本で二星の恋物語が盛んに歌に詠まれるようになるのは奈良時代以後で、山上憶良を始めとする多くの作が万葉集に残されている。

【影響を受けた和歌の例】
多夫手二毛たぶてにも 投越都倍吉なげこしつべき 天漢あまのがは 敝太而禮婆可母へだてればかも 安麻多須辨奈吉あまたすべなき(山上憶良『万葉集』)
かきくもりけふ降る雨はたなばたの暮待ちわぶる涙なるらし(飛鳥井雅有『隣女集』)
晴れながらふりくる雨はたなばたの逢ふ夜うれしき涙なるらし(香川景樹『桂園一枝』)

古詩十九首 十四

去者日以疎  去る者は日にもつうと
來者日以親  きたる者は日に以てした
出郭門直視  郭門かくもんを出でて直視すれば
但見丘與墳  だ丘とつかとを見るのみ
古墓犂爲田  古墓こぼかれて田と為り
松柏摧爲薪  松柏しようはくくだかれてたきぎと為る
白楊多悲風  白楊はくよう悲風多く
蕭蕭愁殺人  蕭蕭せうせうとして人を愁殺しうさつ
思還故里閭  もと里閭りりよかへらんことを思ひ
欲歸道無因  帰らんと欲するも道る無し

【通釈】死者は日に日に忘れられ遠い存在となり、
生者は日に日に親しみを増す。
城郭の門を出てまっすぐを見れば、
ただ盛り土した大小の墓があるばかり。
古い墓は鋤き返されて田となり、
常緑の松や檜もいつか砕かれて薪となる。
箱柳に悲しげな風がしきりと吹きつけ、
蕭々と音立てて人を愁いに沈める。
故郷の村里に再び住むことを思い、
帰ろうと願うが、戻るべき道はない。

【語釈】◇松柏 「柏」はカシワでなくヒノキ・サワラ・コノテガシワなど常緑樹の総称。◇白楊 ハコヤナギ。風に葉が鳴るので「山鳴らし」とも言う。ポプラの仲間。

【補記】諺「去る者は日々に疎し」のもととなった詩。和歌では「松柏摧爲薪」や「白楊多悲風」を踏まえた作が見られる。「松柏催爲薪」は劉廷芝の「代悲白頭翁」にも引かれて名高い。

【影響を受けた和歌の例】
下葉すく岸の柳を吹く風の身にしむからに秋ぞかなしき(直仁親王『崇光院仙洞歌合』)
露の間にうつろふ花よさもあらばあれ松もたきぎとなる世なりけり(村田春海『琴後集』)
古里は松もたきぎにくだかれて風のやどりもむなしかりけり(井上文雄『大江戸倭歌集』)

【参考】『徒然草』第三十段
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。

宋玉(前二九〇~前二三三)

楚の人。楚の頃襄王けいじょうおうに仕える。同郷の詩人屈原に私淑したという。「九辯」「招魂」「神女賦」などの作者とされる。

文選卷十九 高唐賦(序)
高唐の賦 序

昔者楚襄王、與宋玉遊於雲夢之臺、望高唐之觀、其上獨有雲氣、崪兮直上、忽兮改容、須臾之閒、變化無窮。王問玉曰、此何氣也、玉對曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲、玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢、夢見一婦人、曰、妾巫山之女也、爲高唐之客、聞君遊高唐、願薦枕席、王因幸之、去而辭曰、妾在巫山之陽高丘之阻、旦爲朝雲、暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下、旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲、

昔者むかし楚の襄王じやうわう宋玉そうぎよく雲夢うんぼううてなに遊ぶ。高唐かうたうくわんを望むに、其の上に独り雲気うんき有り。しゆつとして直ちにのぼり、こつとしてかたちを改む。須臾しゆゆかんに変化きはまり無し。王、ぎよくに問ひてのたまはく、「此れ何の気ぞ」と。玉こたへてまうさく、「所謂いはゆる朝雲てううんなる者なり」と。王のたまはく、「何を朝雲とふ」と。玉まうさく、「昔者むかし先王せんわうかつて高唐に遊び、おこたりて昼寝し、夢に一婦人を見るに、まうさく、『せふ巫山ふざんぢよなり。高唐のかくり。君の高唐に遊ぶを聞き、願はくは枕席ちんせきすすめんと』。王因りてこれかうす。去りて辞してまうさく、『せふは巫山のやう高丘かうきうに在り。あしたには朝雲てううんり、ゆふべには行雨かううりて、朝朝てうてう暮暮ぼぼ陽台やうだいもとにあり』と。旦朝たんてうこれるにげんの如し。ゆゑに為にべうを立て、号して朝雲てううんふ」と。

【通釈】昔、其の襄王は宋玉と共に雲夢沢の楼台に遊んだ。高唐の楼観を望むと、その上にだけ雲が湧いていた。高々とまっすぐに立ちのぼり、突然形を変えた。短い時間のうちに変化すること甚だしい。襄王が宋玉に「これは如何なる気か」と問うと、宋玉は「朝雲と呼ばれるものです」と答えた。王がまた「何を朝雲と言うか」と問うと、宋玉はこう答えた。「昔、先王が高唐に遊ばれました時、一休みされて昼寝をなさり、夢に一人の婦人を御覧になりました。その婦人が申すことには、『私は巫山の女でございます。いま高唐に滞在しております。王様が高唐に遊ばれると伺い、寝所に侍りたいと存じます』。そこで王はこの女を愛されました。辞去する時に女が申しますことには、『私は巫山の南、高い丘陵の険阻な地におります。夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、毎朝毎夕、あなた様の楼台のもとに参りましょう』と。翌朝、巫山の方を御覧になると、言葉通り雲が湧いておりました。そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです」。

【語釈】◇楚襄王 戦国時代の楚の国王、頃襄王。紀元前三世紀の人。◇宋玉 「高唐賦」の作者。◇雲夢 楚の広大な沼沢地、雲夢沢。◇高唐之觀 巫山の頂に建てられていた楼観。◇巫山 四川・湖北省の境にある山。長江三峡の一つ巫峡がある。◇陽臺 高唐の観に同じ。

【補記】「高唐賦」序文の前半を抄した。「高唐賦」は高唐の楼観までの険しい道程を描く賦で、作者は宋玉とされるが、序文の作者は不明である。「旦爲朝雲、暮爲行雨」を拠り所とした和歌が中世以後しばしば見られる。特に「寄雲恋」の題などでこの句を踏まえることが好まれた。

【影響を受けた和歌の例】
旅の空しらぬ仮寝にたちわかれあしたの雲の形見だになし(藤原定家『拾遺愚草』)
雲となり雨となりても身にそはばむなしき空を形見とや見む(小侍従『新勅撰集』)
ぬれぬれも花橘のにほふかな昔の人や雨となりけん(よみ人しらず『雲葉集』)
はかなしや夢の面影きえはつるあしたの雲は形見なれども(後嵯峨院『続後拾遺集』)
ふりまさる音につけても恋しきは昔の人や雨となりけむ(長慶天皇『長慶天皇千首』)
いかにせん夢の契りもなき中におくる朝の雲と消えなば(薬師寺公義『公義集』)
今朝も見よ夕べの雨とならぬまの雲とたなびく山の形見を(正徹『草根集』)
今朝の雲夕べは雨となる山もおなじ形見の撫子の露(正徹『草根集』)
面影を忘れんとすれば古へのあしたの雲ぞ峰にかかれる(正広『松下集』)
忘ればや契らぬ夢のゆくへだにあしたの雲の夕暮の雨(藤原惺窩『惺窩集』)
いかにせんあしたの雲の跡もなし見し世は夢の契りなれども(松永貞徳『逍遥集』)
見も果てぬ夢に別れて起き出づる朝の雲よ形見ともなれ(武者小路実陰『芳雲集』)

魏文帝(一八七~二二六)

曹丕そうひ。武帝(曹操)の長子。文学を尊重し詩を好み、「燕歌行」「短歌行」「寡婦」などの傑作詩を残す。

文選卷二十九 雜詩 魏文帝
雑詩    魏文帝

漫漫秋夜長  漫漫として秋夜しうや長く
烈烈北風涼  烈烈として北風ほくふうつめた
展轉不能寐  展転としてぬるあたはず
披衣起彷徨  きぬかづちて彷徨はうくわう
彷徨忽已久  彷徨たちますでに久しく
白露霑我裳  白露はくろ我がらす
俯視淸水波  しては清水せいすいの波を
仰觀明月光  あふぎては明月の光を
天漢迴西流  天漢てんかん西にめぐりて流れ
三五正縱横  三五さんごまさ縦横じゆうわう
草蟲鳴何悲  草虫さうちゆう鳴いて何ぞ悲しき
孤鴈獨南翔  孤雁こがん独り南にかけ
鬱鬱多悲思  鬱鬱うつうつとして悲思ひし多く
緜緜思故鄕  緜緜めんめんとして故郷こきやうを思ふ
願飛安得翼  飛ばんと願へどもいづくんぞ翼を得ん
欲濟河無梁  わたらんとすれども河にはし無し
向風長嘆息  風に向かひ長歎息ちやうたんそくすれば
斷絶我中腸  我が中腸はらわたを断絶す

【通釈】果てしない程に秋の夜は長く、
烈しい程に北風は冷たい。
寝返りばかりして眠ることも出来ず、
衣を引っ掛け、起き上がって庭をさまよう。
さまよううち、いつしか時間は過ぎ、
気づけば白露が私の袴を濡らしている。
俯いては清らかな川の波を見、
仰いではさやかな月の光を眺める。
天の川は西へまがって流れ、
三星・五星はまさに縦横に天を駆け廻る。
草叢の虫が鳴くと、なぜこうも悲しいのか。
雁が一羽、南の空を翔けてゆく。
私は鬱々と悲しい思いばかりして、
いつまでも故郷を偲び続ける。
飛ぼうにも、どうして翼を得られよう。
渡ろうにも、河に橋が無い。
風に向かって長嘆息すれば、
私のはらわたは千切れるのだ。

【語釈】◇裳 袴。腰から下の衣服。◇淸水 後の句「欲濟河無梁」から「水」は川を指すと判る。◇天漢 天の川。◇三五 『詩経』召南篇の「嘒彼小星 三五在東(けいたる彼の小星 三五 東に在り)」に拠る。三・五はいずれも小星の名らしいが、不詳。◇緜緜 綿綿に同じ。永くつづくさま。

【補記】特にどの句がどの歌に影響を与えたというよりも、全体としてこの詩の悲秋の趣向が日本文学に直接的・間接的に与えた影響は小さからぬものがあると思われる。「雑詩二首」の一。『藝文類聚』巻二十七にも所収。

【影響を受けた和歌の例】
秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫のわぶれば(よみ人しらず『古今集』)
露も袖にいたくな濡れそ秋の夜の長き思ひに月は見るとも(順徳院『紫禁和歌集』)

【参考】寂然『唯心房集』
ひとり物思ふ 秋の夜は まんまんとしてぞ 明けがたき またたくともし火 ほのかにて しづかに窓うつ 雨の声

玉台新詠

班婕妤

玉台新詠卷一 班婕妤 怨詩一首

新裂齊紈素 あらたに斉の紈素ぐわんそを裂けば
鮮潔如霜雪 鮮潔せんけつ霜雪さうせつの如し
裁爲合歡扇 さいして合歓扇がふくわんせんとなす
團團似明月 団団だんだん明月に似たり
出入君懷袖 君が懐袖くわいしう出入しゆつにふして
動搖微風發 動揺微風発す
常恐秋節至 常に恐る秋節至り
涼風奪炎熱 涼風炎熱を奪ひ
棄捐篋笥中 篋笥けふしの中に棄捐きえんせられ
恩情中道絶 恩情中道にして絶えんことを

【通釈】斉産の練絹を裂くと霜雪のように鮮やかに白い。それを裁って合わせ張りの扇を作ります。まるまるとして明月のよう。あなた様の袖懐に出入りして、動かすたびにそよ風が起こります。いつも怖れますのは、秋の時節となって、涼風が炎熱を奪い、この扇が箱の中に捨て置かれるように、あなた様のお情けが中途で絶えてしまうことです。

【語釈】◇紈素 白い練絹。◇團團 丸々としたさま。

【補記】漢の成帝に寵愛された班婕妤はんしょうよが趙飛燕姉妹に嫉まれて長信宮に退き、太后に仕えた頃に作ったという詩。「怨歌行」の名で知られ、文選にも見える。

【影響を受けた和歌の例】
手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞ吹く(相模『新古今集』)
手なれつる閨の扇をおきしより床も枕も露こぼれつつ(藤原定家『拾遺愚草』)
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風のゆくへ尋ねば(同上)
なれきつる扇の風もいかならむ夕べの木々に声はつる蟬(同上)
旅枕しろき扇の月影よなれてくやしき形見なりけり(同上)
なれなれて秋にあふぎをおく露の色もうらめし閨の月影(俊成卿女『新勅撰集』)
手にならす扇の風も忘られて閨もる月の影ぞすずしき(藻壁門院但馬『続拾遺集』)
手にとらば月をあげてやたとへましおき忘れにし秋の扇に(正徹『草根集』)
秋風に忘れし閨のあふぎをも月にたぐへて又やとらまし(三条西実隆『雪玉集』)

張華

玉台新詠卷二 淸風動帷簾

情詩五首より 張華

淸風動帷簾  清風せいふう 帷簾ゐれんを動かし
晨月燭幽房  晨月しんげつ 幽房いうばうらす
佳人處遐遠  佳人かじん 遐遠かゑん
蘭室無容光  蘭室らんしつ 容光ようくわう無し
衿懷擁虛景  衿懐きんくわい 虚景きよけいよう
輕衾覆空牀  軽衾けいきん 空牀くうしやうおほ
居歡惜夜促  よろこびに居てはよるそくなるを惜しみ
在戚怨宵長  うれひに在りては宵の長きを怨む
撫枕獨吟歎  枕をしては独り吟歎ぎんたん
綿綿心内傷  綿綿めんめん 心の内にいた

【通釈】すがすがしい風がとばりすだれをそよがせ、
有明の月が昏い室内を照らしている。
夫は遥か遠方にあって、
妻の部屋にその麗姿はない。
胸の中にむなしく幻影を抱きながら、
ただ薄い夜具に包まれて寝る。
嬉しい時には、夜の短かさを惜しみ、
悲しい時には、宵の長さを怨む。
枕を撫でては独り泣きうめき、
心のうちの苦しみは綿々とやむことがない。

【語釈】◇蘭室 蘭は香しい草花のことで、芳香のある室のことであるが、ここは女性の居室を言う。◇容光 (夫の)美しい姿。◇虛景 幻影。◇空牀 独り寝の床。

【補記】「情詩」五首の第三首。夫が遠方に赴任し空閨を守る妻の立場で詠んだ閨怨詩。文選巻二十九にも収められている。額田王の歌「君待つと…」はこの詩の冒頭句の影響を受けたとみる説がある。

【影響を受けた和歌の例】
君待跡きみまつと 吾戀居者あがこひをれば 我屋戸乃わがやどの 簾令動すだれうごかし 秋之風吹あきのかぜふく(額田王『万葉集』)
軒は荒れてすだれうごかし吹く風に閨のおくまで月ぞいざよふ(後崇光院『沙玉集』)
月にまくうてなのうへの玉すだれ風のひびきも清らかにして(加納諸平『柿園詠草』)

【作者】張華(232~300)は范陽方城(河北省固安県)の人。晋の武帝に仕えて中書令となり、恵帝の世には太子少傅となり、賈皇后の信任を得て政界に重きを置いたが、八王の乱で趙王倫に殺された。詩文の才に恵まれ、ことに詩「鷦鷯賦」や著書『博物誌』などが名高い。

陶淵明(三六五~四二七)

六朝時代の東晋の詩人。江西の人。貧しい貴族の家に生れ、江州の祭酒に就く。のち鎮軍・建威参軍を経て彭沢県令に移るが、四十一歳の時、故郷の田園に隠棲した。この時の心境を綴ったのが『帰去来の辞』。唐代、王維・孟浩然を始め多くの追随者が輩出した。

靖節先生集卷二 歸園田居五首(其一)
園田ゑんでんきよに帰る(其の一) 陶淵明

少無適俗韻  わかきより俗韻ぞくゐんかなふこと無く
性本愛邱山  せい邱山きうざんを愛す
誤落塵網中  誤つて塵網ぢんまううちに落ち
一去三十年  一たび去つて三十年さんじふねん
羈鳥戀舊林  羈鳥きてう旧林きうりんを恋ひ
池魚思故淵  池魚ちぎよ故淵こゑんを思ふ
開荒南野際  くわう南野なんやさいひらかむとし
守拙歸園田  せつを守つて園田ゑんでんに帰る
方宅十餘畝  方宅はうたくじふ余畝よほ
草屋八九間  草屋さうをく八九間はちくけん
楡柳蔭後簷  楡柳ゆりう後簷こうえんおほ
桃李羅堂前  桃李たうり堂前だうぜんつらな
曖曖遠人村  曖曖あいあいたり遠人ゑんじんの村
依依墟里煙  依依いいたり墟里きよりけむり
狗吠深巷中  いぬは吠ゆ深巷しんかううち
鷄鳴桑樹巓  とりは鳴く桑樹さうじゆいただき
戸庭無塵雜  戸庭こてい塵雑ぢんざつ無く
虛室有餘閒  虚室きよしつ余間よかん有り
久在樊籠裡  久しく樊籠はんろううちりしも
復得返自然  自然しぜんに返るを得たり

【通釈】少年の時から世間と調子の合うことがなく、
天性、丘や山を愛した。
誤って俗塵の網に落ち込み、
故郷を去ったきり三十年。
籠の鳥は昔棲んでいた林を恋い、
池の魚はかつて泳いだ淵を慕う。
さて私も南の荒野を開墾しようと、
愚かな性(さが)を押し通し田園に帰って来た。
宅地は十畝余り、
あばら家は八、九室。
(にれ)や柳の木が裏の軒を覆い、
桃や李(すもも)の木が母屋の前に列なっている。
遠く人が住む村はぼんやり霞み、
寂しげな里の炊煙がかすかにたなびいている。
路地の奥から犬の吠える声が聞こえ、
桑の梢から鶏の鳴く声が聞こえる。
この家は世俗の付合いがなく、
空虚な屋内にはゆとりがある。
久しく籠の中に囚われていたけれども、
今また自然に帰ることが出来たのだ。

【語釈】◇俗韻 世間の嗜好。◇三十年 「十三年」とする本もある。陶淵明は二十九歳で初めて役人として出仕し、四十二歳で隠棲したので、十三年の方が実際には適うが、約十年ほどの出仕を誇張して三十年としたとの説を採る。◇羈鳥 束縛された鳥、すなわち籠の中の鳥。◇墟里 荒れた里。◇樊籠 鳥かご。身を束縛する官職のことを言う。

【補記】義熙元年(405)十一月、異母妹の訃報に接した陶淵明は彭沢県令の職を辞し、江西の郷里に帰った。その翌年、四十二歳の作。名文『帰去来辞』の完成も同じ頃であった。

【影響を受けた和歌の例】
世の中にあはぬ調べはさもあらばあれ心にかよふ峯の松風(香川景樹『桂園一枝』)
世の中の調べによしやあはずとも我が腹つづみうちてあそばむ(秋園古香『秋園古香家集』)

靖節先生集卷三 己酉歳九月九日
己酉つちのととりとし九月九日 陶淵明

靡靡秋已夕  靡靡びびとして秋すで
淒淒風露交  淒淒せいせいとして風露ふうろゆきか
蔓草不復榮  蔓草まんさうた栄えず
園木空自凋  園木えんぼく空しくおのづかしぼ
淸氣澄餘滓  清気せいき余滓よしを澄まし
杳然天界高  杳然えうぜんとして天界高し
哀蟬無留響  哀蟬あいせん響きをとどむる無く
叢鴈鳴雲霄  叢雁そうがん雲霄うんせうに鳴く
萬化相尋繹  万化ばんくわあひ尋繹じんえき
人生豈不勞  人生に労せざらんや
從古皆有沒  いにしへより皆没する有り
念之中心焦  これおもへば中心こが
何以稱我情  何を以てか我が情をかなへん
濁酒且自陶  濁酒だくしゆしばみづかたのしまん
千載非所知  千載せんざい知る所にあらざれば
聊以永今朝  いささか以て今朝こんてうを永くせん

【通釈】力なく秋は衰え、既に暮れようとし、
さむざむと風が草木の露に吹きつける。
蔓延っていた草が再び栄えることはなく、
庭の樹々は裸になり自ずと生気を失った。
秋風が大気に残っていた汚れを清め、
天を見上げれば遥々と高い。
哀しげに啼いていた蟬の余響は消え、
代りに雁の群れが大空に鳴いている。
万物は次々に入れ替わってゆく。
人の命もまた疲弊せずにおろうか。
昔から生ある者は必ず死ぬさだめ。
それを思えば心中じりじりと焼かれるようだ。
何をもって我が心をなだめればよいか。
濁り酒を飲み、自ら楽しもう。
千年の寿命など知るところではないから、
とりあえず今朝をのんびり過ごすとしよう。

【語釈】◇靡靡 衰え、滅びゆくさま。◇雲霄 大空。◇尋繹 次々につらなる。推移する。

【補記】義熙五年(409)、作者四十五の年、重陽の節日の感慨を詠む。郷里に帰って四年目の秋である。

【影響を受けた和歌の例】
生者うまるれば 遂毛死つひにもしぬる 物尓有者ものにあれば 今生在間者このよなるまは 樂乎有名たのしくをあらな(大伴旅人『万葉集』)

梁武帝(四六四~五四九)

蕭衍しようえん。南朝梁の初代皇帝。雍州(湖北省襄陽)刺史であった時、南斉に兵を挙げ、天監元年(502)帝位に即いて梁朝を起こした。

佩文齋詠物詩選 夏類 夏日臨江
夏の日 江に臨む  梁武帝

夏潭蔭修竹  夏潭かたん 修竹しうちくかげ
高岸坐長楓  高岸かうがん 長楓ちやうふうに坐す
日落滄江靜  日落ちて滄江さうかう静かに
雲散遠山空  雲散じて遠山えんざんむな
鷺飛林外白  鷺飛びて林外りんぐわいに白く
蓮開水上紅  蓮開きて水上すいじやうくれなゐなり
逍遙有余興  逍遥せうえうするに余興有り
悵望情不終  悵望ちやうばうするにじようきず

【通釈】夏のふちは長い竹が蔭を落としている。
切り立った岸辺、丈高いふうの木のもとに坐す。
日は落ちて青々とした大河は穏やかに、
雲は散って遠くの山々は虚ろだ。
鷺が林の外へ白々と飛び、
蓮が水の上に紅々あかあかと咲いている。
散策すれば感興は余るほどあり、
眺望すれば哀情の尽きることがない。

【語釈】◇修竹 「修」は「脩」に通じ、長い竹の意。◇滄江 青々とした河。「江」は長江。

【補記】夏の日、長江に臨んで作ったという五言古詩。『古詩三百首』などは作者を隋煬帝(楊広)とする。大江千里の歌は「蓮開水上紅」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
秋近く蓮ひらくる水の上は紅ふかく色ぞみえける(大江千里『句題和歌』)
夕立の雲間の日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺(藤原定家『拾遺愚草』)



唐詩

李嶠 劉廷芝 孟浩然 李白 杜甫 李嘉祐 張継 耿湋 白居易
柳宗元 元稹 許渾 劉得仁 杜牧 于武陵 作者不明

李嶠(六四四~七一三)

趙州(河北省趙県)の人。唐高宗の竜朔三年(663)の進士。則天武后のもと宰相となるが、玄宗の即位と共に盧州に流される。我が国には早くから『李嶠百詠』が伝わり愛読された。『唐詩選』に二首採られている。

佩文齋詠物詩選 風
風  李嶠

落日正沈沈  落日正に沈沈ちんちん
微風生北林  微風北林ほくりんに生ず
帶花疑鳳舞  花を帯びてほうの舞ふかと疑ひ
向竹似龍吟  竹に向かつてりゆうぎんずるに似る
月影臨秋扇  月影げつえい秋扇しうせんに臨み
松聲入夜琴  松声しようせい夜琴やきん
蘭臺宮殿下  蘭台宮らんだいきゆう殿下てんが
還拂楚王襟  かへつて楚王そわうえりを払ふ

【通釈】日は落ち、ひっそりと静まり返る中、
北の林で風がそよぎはじめる。
花を帯びて吹けば、鳳凰が舞うのかと怪しみ、
竹に向かって吹けば、龍が嘯(うそぶ)くのに似る。
月影は、いたずらに置かれた秋の扇に射し、
松籟は、むなしく置かれた夜の琴に入って響く。
蘭台宮の殿堂の階下では、
一巡りした風が、楚王の襟を打ちはらう。

【語釈】◇鳳 想像上の瑞鳥。鳳は雄、凰は雌。◇秋扇 秋になって使われなくなった扇。寵愛を失った女性を暗示する。◇蘭臺宮 春秋・戦国時代の楚王の離宮。楚は周代から戦国時代にかけて存在した国。

【補記】我が国に早くから伝わった『李嶠百詠』収載の七言律詩。この詩の第六句「松聲入夜琴」(拾遺集の詞書には「松風入夜琴」とある)を句題として詠まれた斎宮女御徽子女王の作(下記参照)は名高い。

【影響を受けた和歌の例】
琴のねに峯の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(徽子女王『拾遺集』)
琴のねや松ふく風にかよふらむ千代のためしにひきつべきかな(摂津『金葉集』)

劉廷芝(六五一~六七九?)

劉廷芝りゅうていし穎川えいせんの人。別名、希夷。上元二年(675)の進士。詩「代悲白頭翁」を知った舅の宋之問より、発表前に譲るよう強要されたが拒絶し、ために二十代の若さで暗殺されたとの伝がある。そのためかこの詩は宋之問の作とされることもあるらしい。

唐詩選卷二 代悲白頭翁(抄)
白頭を悲しむ翁に代る(抄)  劉廷芝

古人無復洛城東  古人た洛城の東に無し
今人還対落花風  今人た対す落花の風
年年歳歳花相似  年々歳々花あひ似たり
歳歳年年人不同  歳々年々人同じからず

【通釈】洛陽の東に花を眺めた古人もすでに亡く
残された私たちは再びここに来て、花を散らす風に向かっている。
毎年毎年、美しい花は同じように咲くが
毎年毎年、花を見る人は変わってしまう。

【補記】「洛陽城東桃李花」に始まる劉廷芝「代悲白頭翁」より第九句から第十二句までを抄した。「れ昔紅顔の美少年」など名句に富む一篇である。和漢朗詠集巻下「無常」に「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」を引く。

【影響を受けた和歌の例】
色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(紀友則『古今集』)
花の色は昔ながらに見し人の心のみこそうつろひにけれ(元良親王『後撰集』)
昔みし花のとしとし似たれども同じからぬを思ひしらなん(藤原公任『公任集』)
かへりこぬ昔を花にかこちてもあはれ幾世の春か経ぬらむ(西園寺実氏『続古今集』)

【原詩全文】
洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家 洛陽女兒好顔色 行逢落花長嘆息 今年花落顔色改 明年花開復誰在 已見松柏催爲薪 更聞桑田變成海 古人無復洛城東 今人還對落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁 此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年 公子王孫芳樹下 淸歌妙舞落花前 光祿池臺開錦繍 將軍樓閣畫神仙 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲

孟浩然(六八九~七四〇)

盛唐の詩人。湖北襄陽の人。浩然は「こうぜん」とも「こうねん」ともよむ。官職を得られぬまま放浪し、王維・李白らと交流する。王維と共に王孟と並称される。『孟浩然集』四巻を残す。

唐詩選卷六 春暁
春暁しゆんげう   孟浩然

春眠不覺曉  春眠あかつきを覚えず
處處聞啼鳥  処々啼鳥ていてうを聞く
夜來風雨聲  夜来やらい風雨ふううの声
花落知多少  花落つること知んぬ多少ぞ

【通釈】春の眠りは、夜が明けるのも気づかない。
目覚めるとあちこちで鳥の鳴く声がしている。
昨夜は風雨の音がしていたが
花はどれほど散ったことだろう。

【語釈】◇知多少 「多少」は「どのくらい」を意味する疑問詞で、「知」と共に「いったいどれほどか」といった意味になる。「知」を「知んぬ」と訓むのは古来の訓み慣わしに従ったもの。

【補記】唐詩の五言絶句の中でも殊に名高い作であるが、和歌への影響は意外に少ない。式子内親王の歌の類似は偶然の一致かもしれない。

【影響を受けた和歌の例】
夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたた寝(式子内親王『続古今集』)
暁をしらずといへる春ながらことしは夢もやすくむすばず(明治天皇『御集』)

李白(七〇一~七六二)

盛唐の詩人。字は太白。号は青蓮居士。西域に移住した裕福な商人の家に生まれたかという。青少年期を蜀に過ごし、読書・剣術に励み、任侠の徒と交際した。四十二の年に長安へ出、詩名を挙げて玄宗の宮廷に招かれたが、数年で追放され、のちの生涯を放浪のうちに過ごした。絶句と歌行を得意とする。杜甫と併称され、後世「詩仙」と称される。詩文集『李太白集』三十巻がある。

唐詩選卷六 靜夜思
静夜思せいやし      李白

牀前看月光  牀前しやうぜん月光を
疑是地上霜  疑ふらくはれ地上の霜かと
擧頭望山月  かうべを挙げて山月さんげつを望み
低頭思故鄕  かうべれて故郷こきやうを思ふ

【通釈】寝台の前に射し込む月の光を見る。
もしやこれは地上に降った霜か。
頭を上げて、山の端の月を眺めやり、
頭を垂れて、故郷を思いやる。

【補記】五言絶句。韻脚は光・霜・鄕。開元十九年(731)三十一歳、放浪の旅のさなか、安陸の小寿山に滞在した時の作。この作に限るわけではないが、月の光を霜になぞらえるといった《見立て》の趣向は平安時代の和歌に大きな影響を与えた。

【影響を受けた和歌の例】
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪(坂上是則『古今集』)
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ(藤原定家『新古今集』)
あふぎみる高嶺の月にふる郷の草葉の霜の色をしぞ思ふ(松平定信『三草集』)

李白詩全集卷十九 陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至游洞庭 其四
族叔ぞくしゆく刑部けいぶ侍郎じらうえふ及び中書ちゆうしよ舍人しやじんばいして洞庭どうていあそぶ 其四  李白

洞庭湖西秋月輝  洞庭湖どうていこの西 秋月しうげつ輝き
瀟湘江北早鴻飛  瀟湘江せうしやうかうの北 早くこう飛ぶ
醉客滿船歌白苧  酔客すいきやく船に満ち白苧はくちよを歌ふ
不知霜露入秋衣  知らず 霜露さうろ秋衣しういるを

【通釈】洞庭湖の西には秋の月が輝き、
瀟水・湘水の北には早くも鴻が飛んでいる。
酒に酔った客が川船に満ち、白紵の歌に声を張り上げる。
露霜が秋服の中に落ち入ろうと、気づきもせずに。

【語釈】◇洞庭湖 湖南省北部の大湖。◇瀟湘江 洞庭湖の南の瀟水・湘水。八箇所の佳景は瀟湘八景と呼ばれた。◇鴻 大型の水鳥。ひしくい(大雁)や白鳥の類。。◇醉客 李白自身とその連れを客観視して言う。◇白苧 白紵歌。古くから伝わる歌曲。

【補記】李白の叔父だという李曄りようと中書舎人であった友人の詩人賈至かしと連れ立って洞庭湖に遊んだ時の詩、五編のうちの第四。定家の歌は給字により詩句を作り、これに韻字歌を添えたもので、詩句は明らかに李白の掲出詩第三句を踏まえている。歌の解釈はこちら

【影響を受けた和歌の例】
寞閨砧杵向霜怨、酔客徒誇白綺歌
おのづから秋のあはれを身につけてかへる小坂の夕暮の歌(藤原定家『拾遺愚草員外』)

杜甫(七一二~七七〇)

盛唐の詩人。字は子美、号は少陵。また杜工部とも。河南鞏県(河南省鞏義市)の人。仕官を願うも科挙に及第せず、人生の大半を放浪のうちに過ごし、長安へ戻る途次、客死した。律詩の完成者とされる。李白と並び李杜と称され、「詩聖」の称がある。

杜少陵詩集卷二十二 淸明
清明     杜甫

此身飄泊苦西東  此の身飄泊へうはくして西東さいとうに苦しむ
右臂偏枯半耳聾  右臂うひ偏枯へんこして半耳はんじろう
寂寂繋舟雙下涙  寂寂せきせき舟を繋げば涙なら
悠悠伏枕左書空  悠悠枕に伏してひだりてくうに書す
十年蹴鞠將雛遠  十年蹴鞠しうきくすうひきゐて遠し
萬里鞦韆習俗同  万里鞦韆しうせん習俗同じ
旅鴈上雲歸紫塞  旅雁雲に上り紫塞しさいに帰る
家人鑽火用靑楓  家人火をるに青楓せいふうを用う
秦城楼閣鶯花裏  秦城の楼閣鶯花あうくわうち
漢主山河錦繍中  漢主の山河錦繍きんしううち
春去春來洞庭闊  春去り春来りて洞庭どうていひろ
白蘋愁殺白頭翁  白蘋びやくひん愁殺しうさつ白頭翁はくたうおう

【通釈】この身はあてどなくさまよい、西に東に苦しむ。
右腕は固まって動かず、片耳は聞こえない。
ひっそりと舟を岸に繋げば、涙が両眼から落ちる。
ゆったりと枕に頭を休め、左手で空に文字を書く。
十年、幼い子を連れてさ迷い、蹴鞠のような遊戯から遠ざかっていた。
万里を旅して、春のぶらんこはどの土地も同じなわらしだが、私らとは無縁だ
旅をする雁は雲の上を行き、北方の万里の長城へと帰る。
妻は旅先にあって火を打ち出すのに青いふうの木を用いる。
長安の高殿は、鶯の声と花の色に籠められているだろう。
漢の皇帝が治めた山河は、錦織のような彩りのうちにあるだろう。
春が去りまた訪れて、洞庭湖の水面は広々とし、
うら白い水草はこの白頭翁を愁いに死なしめる。

【語釈】◇左書空 右腕が「偏枯」しているため、利き腕でない左手で書く。しかも紙は乏しいから空に書くというのである。◇鞦韆 ぶらんこ。清明節に若い娘がこれで遊ぶ風習があった。◇紫塞 万里の長城。唐の北辺にあり、雁はここを越えて故郷へと向かう。◇秦城楼閣 長安の重層建築。◇鶯花裏 「烟花裏」とする本もある。◇錦繍 花や新緑が織り成す美しい色彩を錦織物に喩えた。◇洞庭湖 中国湖南省の北部にある湖。◇白頭翁 頭髪が白い翁。詩人自身を指す。

【補記】死の前年、大暦四年(769)、五十八歳の作。四月五日清明節の日、人々が蹴鞠や鞦韆で遊ぶ中、宿に泊まることもできず、苫舟に寝泊まりしながら家族を連れて放浪するさまを詠む。同題二首の第二首。『新撰朗詠集』巻上「春興」に「秦城楼閣鶯花裏 漢主山河錦繍中」が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
春を待つ花のにほひも鳥の音もしばしこもれる山の奥かな(藤原良経『秋篠月清集』)
霞かは花うぐひすにとぢられて春にこもれる宿のあけぼの(藤原定家『六百番歌合』)

李嘉祐(生没年未詳)

嘉祐かゆうは中唐初期の詩人。越州の人。あざなは従一。大暦十才子の一人。天宝七年(748)の進士。『李嘉祐集』がある。

和漢朗詠集卷上 蟬 發靑泥店至長余縣西涯山口
青泥店を発して、長余県西涯山口に至る 李嘉祐

千峯鳥路含梅雨  千峯せんほう鳥路てうろ梅雨ばいうを含めり
五月蟬聲送麥秋  五月ごがつの蟬の声は麦秋ばくしうを送る

【通釈】数知れぬ峰々には梅雨を含んだ雲が垂れ込め、鳥の路を阻んでいる。
五月になって鳴き始めた蟬の声は、麦秋の季節の終りを告げる。

【語釈】◇五月 陰暦五月は仲夏。◇麥秋 陰暦四月、初夏。麦を収穫する季節なのでこの名がある。

【補記】『和漢朗詠集』巻上夏「蟬」。『千載佳句』には「夏興」の部に収め、題「發靑泥店至長余縣西涯山口」を記すが、詩の全容は知れない。『全唐詩』などにも見えず、早く散逸したものらしい。「五月蟬声送麦秋」を踏まえた和歌が見える。

【影響を受けた和歌の例】
おくるといふ蟬の初声きくよりぞ今かと荻の秋を知りぬる(藤原道綱母『道綱母集』)
神まつる卯月もたてば五月雨の空もとどろに啼く蟬の声(藤原隆房『朗詠百首』)
五月かも麦の秋風蟬のこゑまじはる杜になく郭公(正徹『草根集』)

【参考】『平家物語』巻三
この島へ流されて後は、暦も無ければ、月日の立つをも知らず。只おのづから花の散り、葉の落つるを見ては、三年の春秋を弁へ、蟬の声麦秋を送れば夏と思ひ、雪の積るを冬と知る。

張継(生没年未詳)

中唐の詩人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。天宝十二年(753)の進士。塩鉄判官などを歴任し、唐朝の検校祠部郎中に至る。博識で公正、すぐれた政治家であったという。『張祠部詩集』一巻に三十余首を残すばかりであるが、『唐詩選』に唯一採られた七言絶句「楓橋夜泊」は傑作として名高い。

唐詩選卷七 楓橋夜泊
楓橋ふうけう夜泊やはく  張継

月落烏啼霜滿天  月落ちからすいてしも天に満つ
江楓漁火對愁眠  江楓かうふう漁火ぎよくわ愁眠しうみんに対す
姑蘇城外寒山寺  姑蘇こそ城外寒山寺かんざんじ
夜半鐘聲到客船  夜半やはん鐘声しようせい客船かくせんいた

【通釈】月は西に沈み、烏が啼いて、霜の気が天に満ちている。
川辺のふう漁火いさりびが赤々と、愁いに眠れぬ私の眼前にある。
姑蘇こその街の郊外、寒山寺――
夜半にく鐘の響きが、私を乗せた旅の船に届く。

【語釈】◇楓橋 江蘇省蘇州の西郊、楓江に架けられた橋。もと封橋と呼ばれていたが、この詩に因み楓橋と呼ばれるようになったという。◇烏啼 夜に啼く烏は昔から詩材とされた。◇霜滿天 地上に降る前の霜の気が天に満ちている。古人は霜は天から降るものと考えた。◇江楓 川辺のふうの木。楓はカエデでなくマンサク科の落葉高木フウ(タイワンフウ)。橙色に美しく紅葉する。◇漁火 漁船の灯火。闇の中に赤く輝いている。◇愁眠 旅の愁いのために寝付けず、まどろんではすぐ目が覚めるような浅い眠り。◇姑蘇 蘇州の古名。◇寒山寺 蘇州の郊外にある寺。寒山拾得の住んだ寺として名高い。◇客船 旅人を乗せる船。詩の話手が乗って夜泊している。

【補記】船旅の途中、蘇州西郊、楓江に架かる橋のほとりに夜泊した時の作。七言絶句。韻脚は天・眠・船。初句「月落烏啼霜滿天」の悽愴たる冬の夜の情趣が歌人に愛され、この句を踏まえた多くの歌が作られた。

【影響を受けた和歌の例】
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける(伝大伴家持『新古今集』)
月に鳴くやもめがらすのねにたてて秋のきぬたぞ霜にうつなる(藤原為家『新撰和歌六帖』)
あけがたのさむき林に月おちて霜夜のからす二声ぞ鳴く(伏見院『伏見院御集』)
月落ちてこほる入江の蘆の葉に鶴のつばさもさやぐ夜の霜(正徹『草根集』)
鳥のこゑに月落ちかかる山の端の木の間の軒ぞ白く明けゆく(正徹『草根集』)
山里はやもめ烏の鳴くこゑに霜夜の月の影をしるかな(心敬『心敬集』)
月落ちて明くる外山の友がらす啼く音も寒き空の霜かな(武者小路実陰『芳雲集』)
待つ頃は杉の葉しろく置く霜に月さへ落ちてからすなくなり(松永貞徳『逍遥集』)

耿湋(七三四頃~七八七以後)

耿湋こういは中唐の詩人。河東(山西省永済)の人で、宝応二年(763)の進士。長安の都で詩人として活躍し、大暦十才子の一人。

唐詩選卷六 秋日
秋日しうじつ    耿

返照入閭巷  返照へんせう閭巷りよかう
憂來誰共語  うれきたりてたれと共にか語らむ
古道少人行  古道こだう人の行くことまれ
秋風動禾黍  秋風しうふう禾黍くわしよを動かす

【通釈】夕日が村里に射し込むと、
悲しみが湧いて来て、この思いを誰と共に語ろう。
古びた道は人の往き来もなく、
ただ秋風が田畑の穂を揺らしている。

【語釈】◇返照 夕日の光。「へんじょう」(字音仮名遣では「へんぜう」)とも読まれる。◇閭巷 村里。◇憂來 「憂へ来たるも」と訓む本もある。◇禾黍 稲と黍(きび)

【補記】五言絶句。田園の秋の夕暮の憂愁を詠む。芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮」はこの詩に発想の契機を得たと言われる。

【影響を受けた和歌の例】
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く(源経信『金葉集』)
道もせにしげる蓬生うちなびき人かげもせぬ秋風ぞ吹く(藤原定家『拾遺愚草』)
夕日さす田面の稲葉打ちなびき山本とほく秋風ぞ吹く(二条為氏『新拾遺集』)
秋の日も夕の色になら柴の垣ねの山ぢ行く人もなし(肖柏『春夢草』)
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし(会津八一『鹿鳴集』)

白居易(七七二~八四六)

中唐の詩人。字は楽天、号は香山居士。鄭州(河南)に生れる。科挙の進士科に合格し、翰林学士などに任じられるが、のち江州(現江西省九江市)の司馬に左遷される。その後、杭州・蘇州の刺史などを経て、刑部尚書の官に就く。生前、詩文集『白氏文集』七十五巻を完成させた。同集は間もなく日本に渡来して愛読され、以後の日本文学に多大の影響を与えた。

白氏文集 目次(巻数は那波本による)
卷三 卷四 卷五 卷六 卷八 卷九 卷十 卷十一 卷十二 卷十三 卷十四 卷十五 卷十六 卷十七 卷十八 卷十九 卷二十 卷五十一 卷五十三 卷五十四 卷五十五 卷五十六 卷五十八 卷六十五 卷六十六 卷六十七 

卷三 諷喩三

白氏文集卷三 上陽白髮人
上陽じやうやう白髪人はくはつじん  白居易
愍怨曠也           怨曠ゑんくわうあはれむなり

上陽人      上陽じやうやうの人
紅顏暗老白髮新  紅顔こうがんあんに老い 白髪はくはつ新たなり
緑衣監使守宮門  緑衣りよくい監使かんし 宮門きゆうもんを守る
一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少たせうの春
玄宗末歳初選入  玄宗げんそう末歳まつさい 初めて選ばれて
入時十六今六十  りし時は十六 今は六十
同時采擇百餘人  同時に采択さいたくせらるるもの百余人ひやくよにん
零落年深殘此身  零落れいらくふかくして此の身を残す

【通釈】上陽の人は、
紅顔もいつか老い、白髪が生え初めた。
緑衣の見張り番が宮門を固めている。
上陽宮に幽閉されてから幾年の春が過ぎたことか。
玄宗の末の世、初めて選ばれて後宮に入った。
輿入れの時は十六歳、今は六十歳。
同じ時に召された側女は百余人いたが、
皆亡くなり、この身ばかりが久しく生き残っている。

【補記】元和四年(809)に成った「新楽府」五十編の其の七。唐の玄宗皇帝の時代、楊貴妃の嫉妬を受けて上陽宮(洛陽城の西南にあった宮殿)に閉じ込められた女性の悲劇を叙す。便宜上、ここでは五つの段落に分けた。

【影響を受けた和歌の例】
・「一閇上陽多少春」の句題和歌
そこばくの年つむ春にとぢられて花見る人になりぬべきかな(藤原高遠『大弐高遠集』)

 

憶昔呑悲別親族  おもふ昔 悲しみを呑みて親族に別れしとき
扶入車中不教哭  たすけられて車中に入りかしめず
皆云入内便承恩  な云ふ 内に入れば便すなはち恩を承けむと
臉似芙蓉胸似玉  かほ芙蓉ふように似 胸はぎよくに似たり
未容君王得見面  まだ君王くんわうめんを見るを得るをゆるさざるうちに
已被楊妃遥側目  すで楊妃やうひに遥かに目をそばめらる
妬令潛配上陽宮  ねたみてひそかに上陽宮に配せしめ
一生遂向空房宿  一生いつしやう 遂に空房に向かつて宿しゆく

【通釈】昔を思うに、悲しみをこらえて親族たちと別れた時、
支えられて車中に入り、泣くことも禁じられた。
皆が言った「後宮に入れば、きっと帝の寵愛を受けよう。
おまえの貌は蓮の花のように美しく、乳房は玉のように麗しい」。
まだ帝にまみえることを許されないうち、
早くも楊貴妃に遠くから横目でにらまれ、
妬んだ妃により、ひそかに上陽宮に遷された。
かくて生涯、空閨で独り寝することとなったのだ。

【影響を受けた和歌の例】
・「一生遂向空宿」の句題和歌
うちはへて空しき床のさびしさにしばしまどろむ時ぞ少なき(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「上陽人」の題詠
知らざりき塵も払はぬ床の上にひとり齢のつもるべしとは(藤原定家『拾遺愚草』)

 

秋夜長      秋夜しうや長し
夜長無寐天不明  夜長くしてぬる無く天明けず
耿耿殘灯背壁影  耿耿かうかうたる残灯 壁にそむく影
蕭蕭暗雨打窓聲  蕭蕭せうせうたる暗雨あんう 窓を打つ声
春日遲      春日しゆんじつ遅し
日遲獨坐天難暮  日遅くして独坐どくざすれば 天 暮れ難し
宮鶯百囀愁厭聞  宮鶯きゆうあう百囀ひやくてんするも 愁へては聞くをいと
梁燕雙栖老休妬  梁燕りやうえん双栖さうせいするも 老いてはねたむを

【通釈】秋の夜は長い。
夜は長く、眠られずに、いつまでも天は明けない。
燃え残りの灯が、壁に背を向けて煌々と明るい。
物寂しい闇夜の雨の、窓を打つ音が聞こえるばかり。
春の日は遅い。
日の進みが遅く、独り座っていると、いつまでも天は暮れない。
宮中の鶯があまたたび囀るのも、悲しくて聞く気になれず、
燕が梁に仲良く栖んでいるのも、老いて妬む気は失せた。

【補記】上陽人の幽閉生活を叙す。和漢朗詠集巻上秋の「秋夜」に「秋夜長 夜長無睡天不明 耿耿残燈背壁影 蕭蕭暗雨打窓声」が引かれ、ことに「蕭蕭暗雨打窓声」を踏まえた和歌は夥しい数にのぼる。以下にはそのごく一部を挙げるのみである。

【影響を受けた和歌の例】
・「秋夜長夜長無寐(睡)天不明」の句題和歌
秋の夜のながき思ひの苦しきは寝ぬには明けぬものにぞありける(藤原高遠『大弐高遠集』)
さらぬだに明くる久しき秋の夜を物思ふ人の心づよさよ(藤原隆房『朗詠百首』)
・「耿耿残灯背壁影」の句題和歌
ともしびの火影にかよふ身を見ればあるかなきかの世にこそありけれ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「蕭蕭暗雨打窓声」の句題和歌
恋しくは夢にも人を見るべきに窓うつ雨に目をさましつつ(藤原高遠『大弐高遠集』『後拾遺集』)
・「春日遅遅独坐難天暮」の句題和歌
ひとりのみながむる空の春の日はとく暮れがたきものにぞありける(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「宮鶯百囀愁猒聞」の句題和歌
物思ふ時はなにせん鶯の聞きいとはしき春にもあるかな(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
夜もすがら何事をかは思ひつる窓うつ雨の音をききつつ(和泉式部『和泉式部集』)
思ひ出でぬことこそなけれつれづれと窓うつ雨を聞きあかしつつ(藤原清輔『清輔集』)
つくづくと明けこそやらね秋の夜は窓うつ雨の音ばかりして(藤原公重『続詞花集』)
今はただ憂き身うき世にありかねて窓うつ雨ぞ友となりぬる(慈円『拾玉集』)
春の夜を窓うつ雨にふしわびて我のみ鳥の声を待つかな(藤原定家『拾遺愚草』)
暗き夜の窓うつ雨におどろけば軒ばの松に秋風ぞ吹く(藤原良経『新続古今集』)
年へたる思ひはいとど深き夜の窓うつ雨も音しのぶなり(宮内卿『水無瀬恋十五首歌合』)
秋の雨の窓うつ音にききわびて寝覚むる壁にともし火のかげ(西園寺公宗女『風雅集』)
いにしへを思へば身さへふりにけり窓うつ雨の夜半の寝覚に(平貞行『新続古今集』)
きえねただ身は光なき閨のうちに暗き雨聞く窓の灯(正徹『草根集』)
人ならぬ身を梁のつばめだに心やすめてならひやはせぬ(同上)
灯の壁にそむける影深けてくらき窓うつ秋の夜の雨(大内政弘『拾塵集』)

 

鶯歸燕去長悄然  鶯帰り燕去りてとこしへに悄然せうぜん
春往秋來不記年  春往き秋来りて年をせず
唯向深宮望明月  深宮しんきゆうに向かつて明月を望む
東西四五百迴圓  東西 四五しご百迴ひやつくわいまどかなり
今日宮中年最老  今日こんにち 宮中きゆうちゆう 年 最も老い
大家遥賜尚書號  大家たいか遥かにたま尚書しやうしょの号
小頭鞵履窄衣裳  小頭せうとう鞵履けいり 窄衣裳さくいしやう
青黛畫眉眉細長  青黛せいたい眉をゑがきて 眉は細長さいちやう
外人不見見應笑  外人がいじんは見ず 見なばまさに笑ふべし
天寶末年時世粧  天宝末年てんぽうまつねん時世粧じせいしやう

【通釈】鶯が谷に帰り、燕が南へ去れば、上陽人の心はずっと悄然としたまま。
いくたび春が往き、秋が来たのか、年を記さないので知れない。
ただ奧深い宮殿で明月を望むばかり。
東から昇り西へ沈み、月は四五百回も満ちただろうか。
今では宮中で上陽人が一番の年寄。
おかげで天子より遥かに尚書の称号を賜わった。
先のとがった靴、幅の狭い衣裳、
青い眉墨で眉を描き、その眉は細長い。
世間の人は見ないけれど、見たら笑うに違いない。
天宝の末の世に流行った、時代遅れの粧いだ。

【影響を受けた和歌の例】
・「唯向深窓望明月」の句題和歌
見る人もなき宿てらす月かげの心細くも見えわたるかな(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「春往秋来不記年」の句題和歌
春秋のゆきかへり路も知らなくに何をしるしに年を数へむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「外人不見見応」の句題和歌
玉だれの御簾の間うとく人は見む見えなんのちはくやしかるべく(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「上陽人」の題詠
眉墨もうつりかはりてあらぬ世のうとき人には見えんものかは(三条西実隆『雪玉集』)
・その他
いくめぐりすぎゆく秋に逢ひぬらむ変はらぬ月の影をながめて(小侍従『新勅撰集』)

 

上陽人         上陽じやうやうの人
苦最多         苦しみ最もおほ
少亦苦         わかきにもた苦しみ
老亦苦         老いてもた苦しむ
少苦老苦兩如何     少苦老苦せうくらうく ふたつながら如何いかんせむ
君不見昔時呂向美人賦  君見ずや 昔時せきじ 呂向りよきやう美人びじん
又不見今日上陽白髮歌  又た見ずや 今日こんにち 上陽白髪の歌

【通釈】上陽の人は、
誰よりも苦しみが多い。
若い時も苦しみ、
老いてまた苦しむ。
老若問わぬ苦しみ、どうすればよいのか。
諸君、昔呂向が「美人の賦」を作って玄宗の猟色を諷諌したことをお読みだろうか。
今また私が作った上陽白髪人の歌をお読み下されぬか。

【補記】施政者が美女を求めることがもたらす不幸を述べる。結末部で詩の志を明らかにするのは諷喩詩の常套。

白氏文集卷三 五絃彈(抄)
五絃弾(抄)   白居易

五絃彈      五絃弾ごげんだん
五絃彈      五絃弾ごげんだん
聽者傾耳心寥寥  聴く者耳を傾けて心寥寥れうれうたり
趙璧知君入骨愛  趙璧てうへきは君が骨に入りて愛するを知り
五絃一一爲君調  五絃 一一いちいち 君が為に調ととの
第一第二絃索索  第一第二の絃は索索さくさくたり
秋風拂松疏韻落  秋の風松を払つて疏韻そいん落つ
第三第四絃泠泠  第三第四の絃は泠泠れいれいたり
夜鶴憶子籠中鳴  夜の鶴子をおもうてうちに鳴く
第五絃聲最掩抑  第五の絃の声は最も掩抑えんよくせり
隴水凍咽流不得  隴水ろうすいこほむせんで流るること得ず

【通釈】五絃琵琶の弾奏よ、
それに聴衆が耳を傾ければ心は荒涼とする。
趙璧は諸君が骨身に沁みて彼の演奏を愛することを知り、
五絃の一つ一つに調子を整える。
第一・第二の絃は不安な調べである。
秋の風が松を払ってまばらな響きを立てるかのよう。
第三・第四の絃は凄まじい調べである。
夜の鶴が子を慕って籠の中で鳴くかのよう。
第五の絃の声は最も鬱々としている。
隴山の谷川が凍って咽び、滞るかのよう。

【語釈】◇趙璧 五絃琵琶の名手。◇泠泠 冷冷。冷え冷えとしたさま。◇掩抑 心を覆い抑えつけるさま。◇隴水 隴山(甘粛省にある山)の山水。

【補記】「惡鄭之奪雅也(鄭の雅を奪ふをにくむなり)」と自注するように、五絃のような俗な楽器が雅楽に取って代わる風潮を悪んだ詩。白氏は心を掻き乱すような五絃琵琶の弾奏を非難する一方、上古の清廟(祖先祭の時に演奏した歌)は人を元気にし心を平和にするとして賞賛している。和漢朗詠集巻下「管絃」に「第一第二絃索索」から「隴水凍咽流不得」までの六句が引かれている。高内侍(高階貴子)が「夜鶴憶子籠中鳴」の句を踏まえ「夜の鶴」に子を恋うる心を託して以後、しばしば和歌に「夜の鶴」が用いられるようになった。以下にはその一部のみ引く。

【影響を受けた和歌の例】
夜の鶴みやこのうちに放たれて子を恋ひつつも啼き明かすかな(高内侍『詞花集』)
子を思ふことは変はらじ夜の鶴いかで雲居に声きこゆらん(藤原俊成『長秋詠藻』)
夜の鶴の都のうちを出でであれなこの思ひには惑はざらまし(西行『西行法師家集』)
和歌の浦の蘆辺に浪のよるの鶴更け行く月に子をおもふなり(藤原有家『最勝四天王院和歌』)
夜の鶴なくねふりにし秋の霜ひとりぞほさぬ和歌の浦人(藤原定家『拾遺愚草』)
夜の鶴の心のいかにとまりけん衣の色にたれもなくねを(同上)
笛の音をふきつたへても夜の鶴子を思ふ声を哀とも聞け(源家長『洞院摂政家百首』)
君ゆゑも悲しきことのねはたてつ子を思ふ鶴にかよふのみかは(藤原良経『秋篠月清集』)
こにこもるわが身もしらず夜の鶴こころの闇のねこそなかるれ(藤原為家『新撰和歌六帖』)
子をおもひ道をもおもふよるの鶴玉津島まで声もきかなん(藤原為家『為家集』)
いかにせん和歌の浦ぢの夜の靏こはよにしらず悲しかりけり(『安嘉門院四条五百首』)
和歌の浦にひとり老いぬる夜の鶴のこのため思ふねこそなかるれ(二条為氏『新後撰集』)
和歌の浦に道ふみまよふ夜の鶴このなさけにぞねはなかれける(京極為教『玉葉集』)
子を思ふ涙くらべは夜の鶴われおとらめやねにたてずとも(藤原公教『新千載集』)
思はじよ心の闇の夜の鶴こはおろかなる道につけても(飛鳥井雅世『雅世集』)
子を思ふ道にはあらで夜の鶴のたつてふ葦のねをのみぞなく(正徹『草根集』)
夜の鶴八十島かけてすむ月の秋をかなしむ遠かたの松(肖柏『春夢草』)
子を思ひおきつの浜の夜の鶴やみは雲井の月もはれずや(三条西公条『称名院集』)
夜の鶴の闇になくねをいかばかり苔の下にも悲しとや聞く(木下長嘯子『挙白集』)
ひとりねの枕さびしき夜の鶴子を思ふ声に夢もさそひて(冷泉為村『為村集』)
降る雪に羽ぐくみかぬる夜の鶴悲しき声も天に聞えむ(上田秋成『藤簍冊子』)

【原詩全文】
五絃彈 五絃彈 聽者傾耳心寥寥 趙璧知君入骨愛 五絃一一爲君調 第一第二絃索索 秋風拂松疏韻落 第三第四絃泠泠 夜鶴憶子籠中鳴 第五絃聲最掩抑 隴水凍咽流不得 五絃並奏君試聽 淒淒切切複錚錚 鐵擊珊瑚一兩曲 冰瀉玉盤千萬聲 殺聲入耳膚血寒 慘氣中人肌骨酸 曲終聲盡欲半日 四坐相對愁無言 座中有一遠方士 唧唧咨咨聲不已 自歎今朝初得聞 始知孤負平生耳 唯憂趙璧白髮生 老死人間無此聲 遠方士 爾聽五絃信為美 吾聞正始之音不如是 正始之音其若何 朱絃疏越清廟歌 一彈一唱再三歎 曲淡節稀聲不多 融融曳曳召元氣 聽之不覺心平和 人情重今多賤古 古琴有絃人不撫 更從趙璧藝成來 二十五絃不如五

卷四 諷喩四

白氏文集卷四 牡丹芳(抄)
牡丹のはな(抄)  白居易

衞公宅靜閉東院  衛公の宅静かにして東院を閉ざし
西明寺深開北廊  西明寺さいみやうじ深くして北廊を開く
戲蝶雙舞看人久  戯蝶ぎてふ双舞さうぶしてる人久しく
殘鶯一聲春日長  残鶯ざんあう一声いつせいして春日しゆんじつ長し
共愁日照芳難住  共に愁ふ 日照らしてはうとどがたきを
仍張帷幕垂陰涼  つて帷幕ゐばくを張りて陰涼いんりやうを垂る
花開花落二十日  花開き花落つ二十日にじふにち
一城之人皆若狂  一城の人皆狂へるがごと

【通釈】ひっそりとした衛公の邸宅は東院を閉ざしているが、
奧深い西明寺の境内では北の廊下を開放している。
牡丹の上を蝶が双つ戯れて舞い、人々はいつまでも花を眺めている。
里に留まっている鶯が一声鳴いて、春の日は長い。
人々は共に嘆く、日が照りつけて牡丹の色香の保ち難いことを。
そこで垂れ幕を張って涼しい影を落とす。
花が咲いて花が落ちる、その間二十日、
城中の人は皆物の怪に憑かれたかのようだ。

【語釈】◇衞公宅靜 「衛公」が誰を指すかは不明。「宅靜」と言うのは、家族総出で牡丹の花見に出かけているため。◇西明寺 長安にあった大寺院。牡丹の名所。◇残鶯 晩春になっても人里に留まっている鶯。

【補記】長編の新楽府より第二十五句から第三十二句までを抄出した。一首の主題はこの後にあり、「人心重華不重實(人心は華を重んじて実を重んぜず)」と当時の世相を批判し、諸士が農業の振興に取り組むべきことを諷している。「花開花落二十日」の句を踏まえたとおぼしい和歌が幾つか見られる。

【影響を受けた和歌の例】
咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて二十日はつか経にけり(藤原忠通『詞花集』)
植ゑたつる籬のうちの茂りあひてはつかに見ゆる深見草かな(源師光『正治初度百首』)
二十日まで露もめかれじ深見草さきちる花のおのが色々(藤原重家『重家集』)
見る人の心ぞうつる紅のたまの花ぶさ咲きそめしより(藤原政範『政範集』)
咲き散るは程こそなけれ深見草はつかの月ぞおそく出でぬる(頓阿『続草庵集』)
夏のうちは花に色こきふかみ草はつかの露は月や待ちけん(三条西公条『称名院集』)
行く春をしたふ心のふかみ草花もはつかになりぬと思へば(三倉宜隆『大江戸倭歌集』)

【原詩全文】
牡丹芳 美天子憂農也
牡丹芳 牡丹芳 黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛 百枝絳點燈煌煌 照地初開錦繡段 當風不結蘭麝囊 仙人琪樹白無色 王母桃花小不香 宿露輕盈泛紫豔 朝陽照耀生紅光 紅紫二色間深淺 向背萬態隨低昂 映葉多情隱羞面 臥叢無力含醉妝 低嬌笑容疑掩口 凝思怨人如斷腸 穠姿貴彩信奇絶 雜卉亂花無比方 石竹金錢何細碎 芙蓉芍藥苦尋常 遂使王公與卿士 游花冠蓋日相望 庳車軟輿貴公主 香衫細馬豪家郎 衛公宅靜閉東院 西明寺深開北廊 戲蝶雙舞看人久 殘鶯一聲春日長 共愁日照芳難駐 仍張帷幕垂陰涼 花開花落二十日 一城之人皆若狂 三代以還文勝質 人心重華不重實 重華直至牡丹芳 其來有漸非今日 元和天子憂農桑 恤下動天天降祥 去歳嘉禾生九穗 田中寂寞無人至 今年瑞麥分兩歧 君心獨喜無人知 無人知 可歎息 我願暫求造化力 減卻牡丹妖豔色 少回卿士愛花心 同似吾君憂稼穡

白氏文集卷四 賣炭翁
炭を売る翁     白居易
苦宮市也         宮市に苦しむなり

賣炭翁      炭を売るおきな
伐薪燒炭南山中  たきぎを伐り炭を焼く南山のうち
滿面塵灰煙火色  満面の塵灰ぢんくわい 煙火えんくわの色
兩鬢蒼蒼十指黑  両鬢蒼蒼りやうびんさうさう 十指じつし黒し
賣炭得錢何所營  炭を売り銭を得て何のいとなむ所ぞ
身上衣裳口中食  身上しんじやうの衣裳 口中こうちゆうの食
可憐身上衣正單  憐むし 身上 正にひとへなり
心憂炭賤願天寒  こころ炭のやすきを憂へ天の寒からんことを願ふ
夜來城外一尺雪  夜来やらい 城外 一尺の雪
曉駕炭車輾氷轍  暁に炭車をして氷轍ひようてつきしらしむ
牛困人飢日已高  つかれ 人飢ゑて 日すでに高く
市南門外泥中歇  市の南門がいにて泥中にやす
翩翩兩騎來是誰  翩翩へんぺんたる両騎りやうき 来たるはたれ
黄衣使者白衫兒  黄衣くわういの使者と白衫はくさん
手把文書口稱敕  手に文書をり口にちよくと称し
迴車叱牛牽向北  車をめぐらし牛をしつしていて北に向かはしむ
一車炭重千餘斤  一車いつしやの炭 重さは千余斤せんよきん
宮使驅將惜不得  宮使きゆうし駆りりて惜しみ得ず
半匹紅綃一丈綾  半匹はんびき紅綃こうせう 一丈の綾
繋向牛頭充炭直  けて牛頭ぎうとうに向かつて炭のあたひ

【通釈】炭を売る翁、終南山で薪を伐り炭を焼く。
顔じゅう塵芥に汚れ、肌は煤けた色。
両の鬢は白髪交じり、両手の指は皆真っ黒。
炭を売って銭を得、どうしようというのか。
一人分の衣服と、口を満たす食事のためだ。
不憫に思わずにいられようか。身に付けた衣は単衣ひとえのみ。
心中、炭の値が安いことを憂え、天気が寒くなることを願う。
幸い昨夜来、郊外では一尺の雪が積もった。
暁、翁は牛車に炭を積み込み、氷った道を軋らせて行く。
牛は疲れ、人は飢えて、日は既に高く、
市の南門の外、泥まみれの道で一休みする。
その時威勢よく二人の騎手が駆けてくる。いったい何者か。
黄色の服を着た宮中の宦官と、白い上着を着た若者だ。
手に文書を持って、口に勅命だと抄し、
車を廻らし、牛を叱り立てて北の宮殿の方へと牽かせる。
車いっぱいの炭は、重さ千余斤。
宮使はそれを駆り立て、もはや惜しんでも仕方ない。
半匹の紅い生絹きぎぬと一丈の綾絹と。
二つを牛の頭に向かって懸け、炭の代価だという。

【補記】官吏の横暴に泣く炭売りの翁に同情し、世の不正を糾弾した諷刺詩。

【影響を受けた和歌の例】
みやま木を朝な夕なにこりつめて寒さをこふる小野の炭焼(曾禰好忠『拾遺集』)
炭竈にさむさをこふる人までや秋のわかれを思ひわぶらむ(寂蓮『夫木和歌抄』)
身をしをる炭のやすきを憂へにて氷をいそぐ麻の衣手(藤原定家『拾遺愚草』)

白氏文集卷四 李夫人
李夫人       白居易
鑒嬖惑也          嬖惑へいわくかんがみるなり

漢武帝      漢の武帝
初喪李夫人    初めて李夫人りふじんうしな
夫人病時不肯別  夫人 病める時へて別れず
死後留得生前恩  死後とどめ得たり 生前の恩
君恩不盡念不已  君恩尽きず ねん いままず
甘泉殿裏令寫眞  甘泉殿かんせんでん しんを写さしむ
丹靑畫出竟何益  丹青たんせい えがだすもつひなんえき
不言不笑愁殺人  言はず 笑はず 人を愁殺しうさつ
又令方士合靈藥  また方士はうしをして霊薬れいやくがつせしめ
玉釜煎錬金爐焚  玉釜ぎよくふ煎錬せんれん金炉きんろかしむ
九華帳中夜悄悄  九華きうか帳中ちやうちゆう悄悄せうせう
反魂香降夫人魂  反魂香はんこんかうくだす 夫人のこん

【通釈】漢の武帝は、
先頃李夫人(注:武帝に仕えた楽人李延年の妹)を亡くした。
夫人は、病床にあった時、帝にまみえて別れを告げることを拒み、
その死後も、帝のいつくしみは生前と変わりがなかった。
帝の情愛は尽きることなく、夫人を思慕する思いはなおやまない。
そこで甘泉殿(注:陜西省咸陽の北西の甘泉山にあった離宮)の内で画師に似姿を描かせた。
しかし美しい絵に描き出したところで、なんの益があろう。
物も言わず、笑みもせず、ただ人を悲しみの淵に落とすだけだ。
さらにまた方士に命じて霊薬を調合させ、
玉の釜で煎じ錬り、金の炉で焚かせた。
美しい帳の中で、夜、あたりが静まる頃、
反魂香を焚いて夫人の魂を呼び寄せた。

【補記】作者三十八の年に成った「新楽府」五十首の一つ。忌憚のない政治批判、社会批評を盛り込んだ諷喩詩である。掲出詩は漢の武帝の故事に寄せて施政者の女色に耽ることを諌める詩という体裁を取る(ここでは便宜上、三つの段落に分けた)。李夫人を主題とした和歌は数多く見られ、多くは白詩の影響下にあるが、中には伝奇小説など物語類を踏まえた作もあるようである。

【影響を受けた和歌の例】
あかざりし昔語りの聞えぬは言葉は絵にやかかれざるらむ(平経正『治承三十六人歌合』)
なかなかに散りなん後のためとてか萎れし花の顔も恥ぢける(藤原長方『月詣和歌集』)

 

夫人之魂在何許  夫人のこん 何許いづこにか
香煙引到焚香處  香煙かうえん引きて到る 焚香ふんかうの処
既來何苦不須臾  既にきたる 何を苦しみてか須臾しゆゆせざる
縹緲悠揚還滅去  縹緲へうべう悠揚いうやうとしてめつし去る
去何速兮來何遲  去ることなんすみやかに きたること何ぞ遅き
是邪非邪兩不知  ふたつながら知らず
翠蛾髣髴平生貌  翠蛾すいが 髣髴はうふつたり 平生へいぜいばう
不似昭陽寢疾時  昭陽せうようやまひねし時に似ず
魂之不來君心苦  こんきたらざるや 君が心苦しみ
魂之來兮君亦悲  こんきたるや 君た悲しむ
背燈隔帳不得語  とうそむちやうを隔てて語るを得ず
安用暫來還見違  いづくんぞしばらきたりてらるるを用ゐん

【通釈】夫人の魂はどこにあるのか。
芳しい煙がたなびき、方士が香を焚く場所に至る。
もうやって来た。ところが何を厭うてか、暫しも留まろうとせず、
微かに、ふわふわと、消えるように去ってゆく。
去る時はなぜこうも速く、来る時はなぜ遅いのか。
本当に夫人なのかどうか、どちらとも判断はつかなかったが、
みどりの蛾眉は、平生見慣れた夫人を髣髴とさせるものだった。
昭陽殿(注:後宮の代名詞)で病に臥せっていた時とは全く違う。
魂が来ないからとて、帝は苦悩し、
魂が来たからとて、帝はまた悲しむ。
灯し火に背を向け、帳を間に隔てて、語ることも出来ない。
僅かの間だけ来てすぐに去られては、何の役に立とう。

【補記】方士によって降霊がなされるが、かえって苦悩する帝。煙となって現れる李夫人の魂を主題に少なからぬ和歌が詠まれた。下に引用したのは、ほとんどが「李夫人」の題で詠まれたものである。

【影響を受けた和歌の例】
うつつとも夢ともなくて逢ひ見れどかたらふ事のあらばこそあらめ(藤原実定『林下集』)
ほのかなる煙はたぐふほどもなしなれし雲井にたちかへれども(藤原定家『拾遺愚草』)
思ひあまり壁にそむくるともし火のかげにうかれし魂ぞかなしき(藤原政範『政範集』)
亡き魂のかへるけぶりのあとにこそいとど思ひはたちまさりけれ(藤原政範『政範集』)
おなじくはけぶりにかよふ面影に心のうちをはるけましかば(洞院公賢『公賢集』)
なにかせん煙のうちの面影の消えてむなしき後の思ひは(正徹『草根集』)
なき人はかくる煙もたてぬべし生けるつらさぞ面影も見ぬ(飛鳥井雅有『夫木和歌抄』)
物言はぬ嘆きをさらにたきそへて煙のうちの面影も憂し(三条西実隆『雪玉集』)
はかなさや夢にまさらむ面影のけぶりに消ゆる闇のうつつは(元政『草山和歌集』)
中々に終のけぶりのままならば二たび世にはこがれざらまし(香川景樹『桂園一枝』)
はかなさをせめて思へば有りし世も煙のうちの姿なりけり(香川景樹『桂園一枝拾遺』)

 

傷心不獨漢武帝   心をいたましむるは独り漢の武帝のみならず
自古至今皆如斯   いにしへより今に至るまで皆かくくの如し
君不見穆王三日哭  君見ずや 穆王ぼくわう三日さんじつこく
重璧臺前傷盛姫   重璧ちようへき台前だいぜん盛姫せいきいたみしを
又不見泰陵一掬涙  又見ずや 泰陵たいりよう一掬いつきくの涙
馬嵬坡下念楊妃   馬嵬ばかい坡下はか楊妃やうひおもふを
縱令妍姿豔質化爲土 縦令たとひ妍姿けんし豔質えんしつしてるも
此恨長在無銷期   此の恨みとこしへにりてゆるとき無からん
生亦惑       生にもまど
死亦惑       死にもまど
尤物惑人忘不得   尤物ゆうぶつは人をまどはして忘れ得ず
人非木石皆有情   人は木石ぼくせきあらず 皆じやう有り
不如不遇傾城色   かず 傾城けいせいの色にはざらんには

【通釈】愛人の死に心を傷めたのは漢の武帝ばかりではない。
古今、誰しもかかる経験をしたのだ。
諸君は御存知だろう、穆王が三日間泣き続け、
重璧台の前で盛姫の死を嘆き悲しんだことを。
また御存知だろう、玄宗皇帝が両手に溢れんばかりの涙を流し、
馬嵬の土手の下で楊貴妃を偲んだことを。
たとえあでやかな姿、天成の美貌が土に帰ろうとも、
愛しい人と死に別れた恨みは永遠に続き、消える時はないだろう。
生きていても惑わされ、
死んでからも惑わされる。
絶世の美女は人を惑わし、いつまでも忘れ得ぬものだ。
人は木や石と違って、誰も情を持ち、それに左右される。
さすれば城を傾けるような美女に出逢わないことが何よりだ。

【補記】物語を叙し終え、話手が前面に出て、志を述べる。和漢朗詠集巻上秋の「十五夜」に源順の「楊貴妃帰唐帝思 李夫人去漢皇情(楊貴妃帰つての唐帝の思ひ 李夫人去つての漢皇の情)」が引かれ、以下には「李夫人去漢皇情」を句題和歌とした作を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
たまかへす草をも植ゑじ中々にみるに思ひのしげさまされば(藤原隆房『朗詠百首』)
あくがるる心のうちのけぶりにもまづ俤は立ちかへりけむ(香川景樹『桂園一枝』)

白氏文集卷四 陵園妾
陵園りようゑんせふ     白居易
憐幽閉也          幽閉を憐れむなり

陵園妾      陵園りようゑんせふ
顔色如花命如葉  顔色がんしよくは花の如く 命は葉の如し
命如葉薄將奈何  命は葉の如く薄し まさ奈何いかんせん
一奉寢宮年月多  一たび寝宮しんきゆうほうじてより年月ねんげつ多し
年月多      年月多し
春愁秋思知何限  春愁しゆんしう 秋思しうし 知らず何の限りぞ
靑絲髮落叢鬢疎  青糸せいしの髪は落ちて叢鬢そうびんまばらに
紅玉膚銷繋裙縵  紅玉こうぎよくはだえて繋裙けいくんゆる
憶昔宮中被妬猜  おもふ昔 宮中に妬猜とさいせられ
因讒得罪配陵來  ざんに因つて罪を りように配せられきたりしを
老母啼呼趁車別  老母は啼呼ていこして車をひて別れ
中官監送鏁門迴  中官ちゆうかんは監送して門をじてかへ

【通釈】帝の御陵に仕える宮女、
顔色は花のように美しいが、運命は木の葉のようだ。
木の葉のように薄命で、これからどうなるのだろう。
寝宮(注:天子の居処になぞらえ、御陵の脇に造った御殿)に仕えてから長い年月が経った。
春の愁い、秋の悲しみを、どれほど味わったことか。
碧なす黒髪は落ち、豊かな鬢の毛もまばらになり、
紅玉のような肌は痩せて、腰にまとう裳が緩い。
昔を思えば、宮中にあって嫉妬を受け、
讒言によって罪を得、御陵に流されて来た。
泣きながら名を叫び、車のあとを追った老母と別れ、
宦官は送り届けると門を閉ざして帰って行った。

【補記】讒言により御陵の宮殿に幽閉された宮女の悲歎を叙す(ここでは便宜上三段落に分けた)。「陵園妾」を主題に、あるいはこれを暗示して詠まれた和歌は多数あり、直接間接に、全て白詩の影響下にあると言って過言でない。

【影響を受けた和歌の例】
春の愁へ秋の思ひのつもりつつ三代にも今はなりにけるかな(藤原長方『万代集』)

 

山宮一閉無開日  山宮さんきゆう一たび閉ざされてひらく日無く
未死此身不令出  未だ死せざれば此の身でしめず
松門到曉月徘徊  松門しようもん暁に到るまで月は徘徊し
柏城盡日風蕭瑟  柏城はくじやう 尽日じんじつ 風は蕭瑟せうしつたり
松門柏城幽閉深  松門しようもん 柏城はくじやう 幽閉深く
聞蟬聽燕感光陰  蟬を聞き 燕を聴きて光陰くわういんに感ず
眼看菊蕊重陽涙  眼に菊蕊きくずいては重陽ちようやうの涙あり
手把梨花寒食心  手に梨花りかりては寒食かんしよくの心あり
把花掩涙無人見  花をり涙をおほふも人の見る無く
綠蕪牆繞靑苔院  緑蕪りよくぶ しやうめぐ青苔せいたいの院
四季徒支粧粉錢  四季 いたづらせらる 粧粉しやうふんせん
三朝不識君王面  三朝さんてうらず 君王のめん

【通釈】御陵の宮殿は一度閉ざされたきり開く日は無く、
死なない限りこの身を外に出すことはできない。
門墻をなす松林に、夜すがら月は徘徊し、
城塞をなす柏林に、ひねもす風は物寂しい音を立てる。
松の門と柏の城によって深く幽閉され、
ただ蟬や燕の声を聞いて歳月の移り行きを感じるばかり。
菊の花を見ては重陽の節句かと涙し、
梨の花を取っては寒食の候かと思う。
かように花を取り涙を隠したところで見る人は無く、
雑草の生えた垣根が苔むした庭を取り囲んでいる。
四季折々、僅かな化粧代が空しく支給される。
もはや帝の顔も知らず三代経つというのに。

【補記】以下はほとんどが「陵園妾」を主題とする歌であるが、特に「松門柏城幽閉深」「松門到曉月徘徊」「眼看菊蕊重陽涙」などの句を踏まえた作が多い。

【影響を受けた和歌の例】
松の戸をさしてかへりし夕べよりあけるめもなく物をこそ思へ(登蓮法師『続詞花集』)
ひぐらしの鳴くにつけても悲しきはさしこもりにしすみかなりけり(藤原実定『林下集』)
山ふかくやがてとぢにし松の戸にただ有明の月やもりけん(式子内親王『式子内親王集』)
なれきにし空の光の恋しさにひとりしをるる菊のうは露(藤原定家『拾遺愚草』)
菊の露なみだ落ちそふ松の戸にまた袖ぬらす有明の空(源有長『秋風抄』)
とぢはつる深山のおくの松の戸をうらやましくも出づる月かな(源光行『新勅撰集』)
雲の上の昔をかけてきくの露あはれ幾秋袖ぬらしけむ(藤原政範『政範集』)
とぢはつる松のとぼその光とてたのむもかなし菊のうへの露(冷泉為秀『新続古今集』)
思ひきや松の戸ぼそに身をとぢて独りうき世を嘆くべしとは(後崇光院『沙玉集』)
たをやめがつらき心もうつろはで挿頭むなしき園の白菊(正徹『草根集』)
月もまたいかに見ざらむ松の門いでやと思へど消えはてぬ身を(三条西実隆『雪玉集』)
松の門月にたたずむ暁も空のひかりをなほ思ふかな(大内政弘『拾塵集』)
見るにこそ哀れもかけめ花の色をおほふ袂の露こぼるとも(烏丸光広『黄葉集』)
松の門さしもいく世かへにけらしもろき木の葉を身のたぐひにて(村田春海『琴後集』)

【参考】『源氏物語・手習』
松門に暁到りて月徘徊すと、法師なれど、いとよしよししく恥づかしげなるさまにてのたまふことどもを、思ふやうにも言ひ聞かせたまふかなと聞きゐたり。

 

遙想六宮奉至尊  遥かに想ふ 六宮りくきゆうの至尊に奉ずるを
宣徽雪夜浴堂春  宣徽せんき雪夜せつや 浴堂の春
雨露之恩不及者  雨露うろの恩の及ばざる者
猶聞不啻三千人  なほ聞く だに三千人のみならずと
三千人      三千人
我爾君恩何厚薄  我となんぢと君恩の何ぞ厚薄こうはくある
願令輪轉直陵園  願はくは輪転りんてんして陵園りやうゑんちよく
三歳一來均苦樂  三歳一たびきたりて苦楽をひとしうせしめんことを

【通釈】後宮の帝に仕える人々を遥かに思う、
宣徽殿の雪の夜に、あるいは浴堂殿の春の日に。
雨露に譬えられる帝の恩愛は誰にも注がれるものだが、それが及ばない者もいる。
その数は三千人以上と聞く。
私とあなたたちとで、君恩に厚い薄いがあってよいものか。
願わくば後宮の女官たちを交代で御陵に宿直させ、
三年に一度はここに来て、苦楽を平等にしてほしいものだ。

卷五 閑適一

白氏文集卷五 永崇裡觀居
永崇裡えいすうり観居くわんきよ  白居易

季夏中氣侯  季夏きか中気ちゆうきの侯
煩暑自此收  煩暑はんしよこれより収まる
蕭颯風雨天  蕭颯せうさつたる風雨の天
蟬聲暮啾啾  蟬声ぜんせい暮に啾啾しうしうたり
永崇裡巷靜  永崇裡えいすうり かう静かに
華陽觀院幽  華陽観くわやうくわん いんかすかなり
軒車不到處  軒車けんしや到らざるところ
滿地槐花秋  満地まんち槐花くわいくわの秋
年光忽冉冉  年光ねんくわう忽ち冉冉ぜんぜん
世事本悠悠  世事せいじ悠悠いういう
何必待衰老  何ぞ必ずしも衰老すいらうを待ちて
然後悟浮休  然る後に浮休ふきゆうを悟らん
眞隱豈長遠  真隠しんいん長遠ちやうゑんならんや
至道在冥搜  至道しだう冥捜めいしう
身雖世界住  身は世界に住むといへど
心與虛無遊  心は虚無と遊ぶ
朝飢有蔬食  朝飢てうき蔬食そし有り
夜寒有布裘  夜寒やかん布裘ふきう有り
幸免凍與餒  幸ひにとうたいとをまぬか
此外復何求  此のほかた何をか求めん
寡欲雖少病  欲をすくなくして 少しく病むといへど
樂天心不憂  天を楽しみて心憂へず
何以明吾志  何を以てか吾がこころざしを明かさん
周易在床頭  周易しうえき床頭しやうとう

【通釈】晩夏も中気の候となり、
暑苦しさもこれから収まってゆく。
物寂しい音を立てて風が吹き雨が降り、
夕暮になると蟬の声が盛んだ。
永崇坊の路地はひっそりとして、
華陽観の中庭は奥深く静まっている。
馬車が乗りつけることもなく、
あたり一面えんじゆの花が咲いている。
歳月はたちまち過ぎ去り、
世の雑事はもとより限りが無い。
人生無常を悟るのに、
わざわざ老衰を待つ必要があろうか。
真の隠逸は決して遠い彼方にあるのでなく、
まことの道は何処までも捜し求めることにある。
この身は俗世間に住むといえども、
心は虚無と遊ぶ。
朝の空腹には粗末な野菜の食事があり、
夜の寒さには綿入りの着物がある。
さいわい寒さと飢えは免れている。
これ以上に何を求めよう。
欲を減らしているから、少々病気があっても、
天命を楽しみ、心は憂えない。
どうやってこの我が志を証明しよう。
周易の書が、常に寝床のほとりにある。

【語釈】◇季夏中気 季夏は晩夏(陰暦六月)、中気は大暑にあたる。2010年の大暑は7月23日。◇啾啾 蟬の声の多いさま。◇永崇 長安の永崇坊。◇華陽観 代宗の五女、華陽公主の旧宅。白居易は元稹と共にここに住み、制科の受験に備えていた。◇軒車 身分の高い人の乗る車。馬車。◇冉冉 次第に進んでゆくさま。◇浮休 人生のはかないさま。荘子に拠る。◇冥捜 奧深く探究すること。◇虛無 道教に言う虚無。有無相対を超越した境地。◇朝飢 朝の空腹。◇蔬食 疏食とも。野菜ばかりの粗末な食事。論語述志篇・郷党篇に見える語。◇布裘 綿入りの着物。◇餒 飢え。◇周易 易経。陰陽説を基に天地の現象を明かし、吉凶禍福の循環を説く。◇床頭 寝床のほとり。

【補記】永貞元年(805)、友人とともに長安の華陽観に住み、制科の受験準備をしていた頃の作。作者三十四歳。「蟬声暮啾啾」あるいは「蕭颯風雨天 蟬声暮啾啾」を句題とする和歌が見える。

【影響を受けた和歌の例】
くれはどりあやにくに降る夕立にぬれぬれはるる蟬の声かな(慈円『拾玉集』)
空蟬の夕の声はそめかへつまだ青葉なる木々の下陰(藤原定家『拾遺愚草員外』)
小倉山岑の梢に啼く蟬もこゑしほれぬる夕立の空(八条院高倉『夫木和歌抄』)
暮るる日の山陰おほくなるままに梢の蟬は声たてつなり(一条実経『円明寺関白集』)

白氏文集卷五 贈呉丹(抄)
呉丹ごたんに贈る(抄)  白居易

冬負南榮日  冬は南栄の日を負ひ
支體甚溫柔  支体したい甚だ温柔をんじうなり
夏臥北窗風  夏は北窓ほくさうの風に臥し
枕席如涼秋  枕席ちんせき涼秋りやうしうの如し
南山入舎下  南山なんざん舎下しやか
酒甕在床頭  酒甕しゆをう床頭しやうとう
人閒有閑地  人間じんかん閑地かんち有り
何必隱林丘  何ぞ必しも林丘りんきうに隠れん

【通釈】冬は南側の軒で陽を浴びて、
全身この上なく温かくほぐれる。
夏は北側の窓の風に当たって臥し、
枕もとは秋のような涼しさだ。
終南山の姿は官舎からも視界に入り、
酒の甕は寝台のほとりに置いてある。
俗世間の中にも心静まる場所はあるのだ。
どうして林や丘に隠れる必要があろう。

【語釈】◇南榮 南側の軒。◇南山 終南山。長安の南東にある山。

【補記】元和五年(810)、友人の呉丹に贈った全三十二句の閑適古調詩より、第十七句~第二十四句のみを抄出した(全体の「転」の部に当たる)。呉丹は白居易と同年の進士の試験に受かった、年長の同輩。当年、太子通事舎人となった。狡智を働かせず悠々と官吏の道を歩むこの友人を賞賛し、自らも閑職を願う心情を伝えた詩である。因みに当時の白氏は翰林学士の職にあった。以下の和歌はいずれも「夏臥北窓風 枕席如涼秋」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
さ夜ふけて窓おしあくるうたた寝の枕すずしき庭の松風(慈円『拾玉集』)
宿からに蟬の羽衣秋やたつ風の手枕月のさ莚(藤原定家『拾遺愚草員外』)
しきたへの枕に秋やちかからん風にみだるる夏の夜の夢(寂身『寂身法師集』)

【原詩全文】
巧者力苦勞 智者心苦憂 愛君無巧智 終歳閑悠悠 嘗登禦史府 亦佐東諸侯 手操糾謬簡 心運決勝籌 宦途似風水 君心如虛舟 泛然而不有 進退得自由 今來脫豸冠 時往侍龍樓 官曹稱心靜 居處隨跡幽 冬負南榮日 支體甚溫柔 夏臥北窗風 枕席如涼秋 南山入捨下 酒甕在床頭 人間有閑地 何必隱林丘 顧我愚且昧 勞生殊未休 一入金門直 星霜三四周 主恩信難報 近地徒久留 終當乞閑官 退與夫子游

白氏文集卷五 秋山
秋山しうざん    白居易

久病曠心賞  久しく病みて心賞しんしやうむな
今朝一登山  今朝こんてうひとたび山に登る
山秋雲物冷  やまあきにして雲物うんぶつひややかに
稱我淸羸顏  我が清羸せいるいの顔にかな
白石臥可枕  白石はくせきして枕とす
靑蘿行可攀  青蘿せいらきて
意中如有得  意中ることるがごと
盡日不欲還  尽日じんじつかへるをほつせず
人生無幾何  人生幾何いくばくも無く
如寄天地閒  天地てんちかんに寄るが如し
心有千載憂  心は千載せんざいうれひ有り
身無一日閑  身は一日いちじつかん無し
何時解塵網  いづれの時にか塵網ぢんまう
此地來掩關  此の地にきたりてくわんおほはん

【通釈】長く病床にあって、心から景色を賞することがなかった。
今朝、久しぶりに山に登ってみると、
山は秋、雲気が冷やかで、
私の痩せ衰えた顔に似つかわしい。
白い石は横になって枕にするのに丁度よく、
青いつたは攀じ登ってゆくのに都合がよい。
心中に何かを得た気がして、
終日、山を去り難かった。
人の一生は何ほどもなく、
天と地の間にひととき身を寄せるようなものだ。
なのに心は千年の果てしない愁いを抱え、
体は一日として休まることがない。
いつになったら俗世のしがらみを断ち、
このような浄地に門を閉ざして暮らせるだろうか。

【補記】五言古詩による閑適詩。病が癒えて秋の山に遊び、隠棲の願望を述べる。元和五年(810)か翌年、作者三十九歳か四十歳頃の作。

【影響を受けた和歌の例】
・「山秋雲物冷」の句題和歌
秋山の岩ほの枕たづねてもゆるさぬ雲ぞ旅心ちする(藤原定家『拾遺愚草員外』)
心なき雲とは誰かいは木にも思ひあれなと秋ぞ知らるる(三条西実隆『雪玉集』)
・「人生無幾何 如寄天地間 心有千載憂 身無一日閑」の句題和歌
ながむれば天つみ空に風たちてただ何事もゆふ暮の空(慈円『拾玉集』)
下むせぶ色やみどりの松風のひと日やすめぬ身をしをりつ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・「何時解塵網 此地来掩関」の句題和歌
いつよりかすむべき山の庵ならむかつがつとまるわが心かな(慈円『拾玉集』)
峰にゐる雲のさかひは遠けれど入るべき山と松風ぞ吹く(寂身『寂身法師集』)

卷六 閑適二

白氏文集卷六 首夏病閒
首夏の病間  白居易

我生來幾時  我生まれてよりこのかた幾時ぞ
萬有四千日  万有まんいう四千日しせんにち
自省於其閒  自ら其のかんを省みるに
非憂即有疾  憂ひにあらざれば即ちやまひ有り
老去慮漸息  老去らうきよ おもんぱかやうや
年來病初愈  年来ねんらい やまひ初めて
忽喜身與心  たちまち喜ぶ 身と心と
泰然兩無苦  泰然としてふたつながら苦しみ無きを
況茲孟夏月  いはんや孟夏まうかの月
淸和好時節  清和せいわの好時節
微風吹裌衣  微風裌衣かふいを吹き
不寒復不熱  寒からずた熱からず
移榻樹陰下  たふを樹陰のもとに移し
竟日何所爲  竟日きやうじつ何の為す所ぞ
或飮一甌茗  或いは一甌いちおうめいを飲み
或吟兩句詩  或いは両句の詩を吟ず
内無憂患迫  内に憂患いうかんの迫る無く
外無職役羈  外に職役しよくえきほだす無し
此日不自適  此の日自適じてきせずんば
何時是適時  いづれの時かこれ適時てきじならん

【通釈】私が生まれてから幾時が経ったのか。
一万と四千日だ。
自らその間を省みれば、
心に悩みがあるか、さもなければ病に苦しんできた。
老いて以来、憂慮することもようやく無くなり、
この数年は、病も癒えてきた。
ゆくりなくも、身と心と、
落ち着きを得て、二つながら苦しみのないことを喜ぶ。
ましてこの初夏の月、
清らかで和やかな好い季節。
そよ風が袷の衣服を吹き、
寒くもなく、また暑くもない。
長椅子を木陰の下に移し、
終日、することと言えば、
あるいは一碗の茶を喫し、
あるいは両句の詩を吟ずるばかり。
我が心の内に不安が迫ることもなく、
我が身は外で職務に縛られることもない。
今この日々を悠々と楽しまずして
いつが自適の時であろうか。

【語釈】◇老去 年を取って。◇孟夏月 陰暦四月。夏の最初の月。◇裌衣 あわせの衣。初夏用の衣服。慈円・定家の「文集百首」には「袂衣」とある。◇榻 ベッド式の腰掛け。ソファ。◇一甌茗 一碗の茶。

【補記】元和六年(811)、四十の歳、病が癒え小康を保っていた頃の作。五言古詩による閑適詩。慈円・定家・寂身の作は「微風吹裌(袂)衣 不寒復不熱」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
夏の風になりゆく今日の衣手の身にしまぬ色ぞ身にはしみける(慈円『拾玉集』)
たちかふるわが衣でのうすければ春より夏のかぜぞすずしき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
朝まだき日影もうすき衣手にいつより風の遠ざかるらん(寂身『寂身法師集』)

白氏文集卷六 村雪夜坐
村雪そんせつ夜坐やざ  白居易

南窗背燈坐  南窓なんさうともしびを背にせば
風霰暗紛紛  風霰ふうさんやみ紛紛ふんぷんたり
寂寞深村夜  寂寞せきばくたる深村しんそんよる
殘鴈雪中聞  残雁ざんがん 雪中せつちゆうに聞こゆ

【通釈】南側の窓に、燈火を背にして座っていると、
風交じりの霰が闇の中を紛々と舞い飛ぶ。
静まり返った寒村の夜、
帰りそびれた雁の声が、雪の中に聞こえる。

【語釈】◇風霰 風に吹かれて舞う霰。◇残雁 渡らずに留まった雁。

【補記】五言古詩による閑適詩。元和七年(812)、作者四十一歳。故郷の渭村(今の陝西省渭南市北)に滞在していた時の作であろう。各句を題にした和歌が見られる。

【影響を受けた和歌の例】
・「南窗背燈坐 風霰暗紛紛」の句題和歌
思ひやれ風にあられの遠くちりて笹ひきむすぶ庵のともし火(慈円『拾玉集』)
風の上に星の光はさえながらわざとも降らぬ霰をぞ聞く(藤原定家『拾遺愚草員外』)
山めぐるあられの風もはれぬめりしばしは残れ宵のともし火(寂身法師『寂身法師集』)
・「風霰暗紛紛」の句題和歌
俄にも窓うちたたく夜あらしに竹をあまりてちる霰かな(木下幸文『亮々遺稿』)
・「寂寞深村夜 殘鴈雪中聞」の句題和歌
岡の辺の杉の木のまに雪ふかみ跡なき雁の雲に残れる(慈円『拾玉集』)
里遠き苑のむら竹ふかき夜の雪の雲間をわくる雁がね(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷六 東園翫菊
東園とうゑんに菊をぐわんす 白居易

少年昨已去  少年さくすでに去り
芳歳今又闌  芳歳はうさい今又たけなはなり
如何寂寞意  如何いかん寂寞せきばく
復此荒涼園  の荒涼のゑん
園中獨立久  園中に独り立つことひさ
日淡風露寒  日淡くして風露ふうろ寒し
秋蔬盡蕪沒  秋蔬しうそことごと蕪没ぶぼつ
好樹亦凋殘  好樹かうじゆ凋残てうざん
唯有數叢菊  数叢すうそうの菊有るのみ
新開籬落閒  新たに籬落りらくかんひら
携觴聊就酌  さかづきたづさへていささきて
爲爾一留連  なんぢが為にひとたび留連りうれん
憶我少小日  おもふ我が少小せうせうの日
易爲興所牽  興のく所と為り易し
見酒無時節  酒を見ては時節じせつ無く
未飲已欣然  未だ飲まずしてすで欣然きんぜんたり
近從年長來  近ごろとし長じてよりこのかた
漸覺取樂難  やうやく楽しみを取ることのかたきをおぼ
常恐更衰老  常に恐る 更に衰老すいらうせんことを
強醉亦無歡  ひてふもくわん無し
顧謂爾菊花  かへりみてなんぢ菊花きくくわ
後時何獨鮮  時におくれて何ぞ独り鮮やかなる
誠知不爲我  誠に我が為ならざるを知るも
借爾暫開顏  なんぢを借りてしばらく顔をひらかん

【通釈】青春時代は遠く去り、
男盛りの歳も最早過ぎようとしている。
どうしたことか、寂寞の思いが、
この荒れ果てた庭園に来ればよみがえる。
園中にひとり長く佇んでいると、
初冬の日は淡く、風や露が冷え冷えと感じられる。
秋の野菜はことごとく雑草に埋もれ、
立派な樹々もまた枯れ衰えた。
ただ数叢の菊が、
垣根の間に新しい花をつけている。
盃を手に、その前でひとまず酌むと、
菊よ、お前のために一時いっとき立ち去れずにいる。
思えば我が若き日々、
何事にもすぐ興味を惹かれたものだ。
酒を見れば、時節も関係なし、
飲まないうちからもう良い気分になっていた。
近頃、年を取ってからというもの、
次第に楽しみを得ることが難しくなってきた気がする。
更に老い衰えることを常に怖れ、
強いて酒に酔ったところで、やはり歓びは無い。
振り返って言う、菊の花よ、
時候に後れて、どうしてお前は独り色鮮やかなのか。
もとより私のためでないことは知っているが、
お前を力に、暫し私も顔をほころばせよう。

【語釈】◇芳歳 男盛りの年齢。◇蕪沒 蕪は荒々しく繁った雑草。その中にまぎれてしまったさま。◇籬落 まがき。

【補記】五言古詩による閑適詩。元和八年(813)、四十二歳の作。「唯有数叢菊、新開籬落間」を題に、慈円・定家・寂身が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
しら菊の霜にうつろふませの中に今はことしの花も思はず(慈円『拾玉集』)
咲く花の今はの霜におきとめて残る籬の白菊の色(藤原定家『拾遺愚草員外』)
のこる色は秋なき時のかたみぞと契りし菊もうつろひにけり(寂身『寂身法師集』)

白氏文集卷六 閑居
閑居    白居易

深閉竹閒扉  深く竹間ちくかんの扉
靜掃松下地  静かにはら松下しようかの地
獨嘯晩風前  独りうそぶ晩風ばんぷうの前
何人知此意  何人なにびとか此の意を知らん
看山盡日坐  山を尽日じんじつ坐し
枕帙移時睡  ちつを枕とし時を移してねむ
誰能從我遊  たれく我に従つて遊ばん
遣君心無事  君をして心にこと無からしめん

【通釈】竹林の中の扉を深く閉ざし、
松の下の地を静かに清掃して、
独り夕風に向かい詩を吟ずる。
なんぴとがこの胸の内を知ろう。
山を見て終日坐し、
書を枕に暫しまどろむ。
誰か私と共に遊ぼうという人はないか。
君の心を無為の境地にしてあげように。

【語釈】◇無事 『老子』の「無事を事とし、無味を味はふ」、『荘子』の「無事の業に逍遥す」、『臨済録』の「無事是れ貴人」など、道家・釈家の書に頻出する「無事」に通じ、「寂静無為」のことという(新釈漢文大系)。

【補記】元和七年(812)から同九年(814)までの作。五言古詩による閑適詩。慈円・定家の歌は「深閉竹間扉 静掃松下地 独嘯晩風前 何人知此意」の句題和歌。寂身のは「深閉竹間扉 静掃松下地」。

【影響を受けた和歌の例】
夕ざれのながめを人や知らざらむ竹のあみ戸に庭の松風(慈円『拾玉集』)
夕まぐれ竹の葉山にかくろへて独りやすらふ庭の松風(藤原定家『拾遺愚草員外』)
ならひある夕べの空をしのべとや竹のあみ戸に松風ぞ吹く(寂身『寂身法師集』)

白氏文集卷六 冬夜
冬夜とうや     白居易

家貧親愛散  家貧しければ親愛しんあい散じ
身病交遊罷  身病めば交遊
眼前無一人  眼前に一人いちにん無し
獨掩村齋臥  独り村斎そんさいおほひて
冷落燈火闇  冷落して燈火くら
離披簾幕破  離披りひして簾幕れんばくやぶ
策策窗戸前  策策さくさくたり窓戸さうこの前
又聞新雪下  又新雪のるを聞く
長年漸省睡  長年ちやうねんやうやねむりをはぶ
夜半起端坐  夜半やはん起きて端坐たんざ
不學坐忘心  坐忘ざばうの心を学ばずは
寂莫安可過  寂莫せきばくいづくんぞ過ごすけん
兀然身寄世  兀然ごつぜんとして身 世に寄せ
浩然心委化  浩然かうぜんとして心 くわゆだ
如此來四年  くの如くしてこのかた四年
一千三百夜  一千いつせん三百さんびやく

【通釈】家が貧しくなると、親しい肉親も離散し、
身体が病むと、友人たちとの交遊も止む。
こうして目の前には誰一人いなくなり、
独り村の家に引き籠って臥している。
落ちぶれて部屋の灯し火は暗く、
簾の垂れ布はばらばらに破れている。
窓の扉の前で、さくさくと
さらに新雪の降る音を聞く。
年を取ってから次第に睡眠が短くなり、
夜半起き上がっては茫然と坐している。
行禅の心を学ばなければ、
この寂しさをどうしてやり過ごそう。
ひっそりとこの世に身を置き、
ゆったりと自然のはたらきに心を委ねる。
このようにして四年、
千三百の夜を過してきた。

【語釈】◇村齋 村荘の一室。「齋」は引き籠る室。◇冷落 零落に同じ。落ちぶれたさま。◇離披 ばらばらになる。◇策策 雪の降る音の擬音語。◇坐忘 白氏文集巻七「睡起晏坐」に「行禅」に同じものとする。坐して無我の境地に入ること。◇兀然 孤独なさま。心寂しいさま。

【補記】五言古詩による閑適詩。元和九年(814)四十三歳、母の死後故郷渭村に退去していた時の作であろう。以下の和歌はすべて「策策窓戸前 又聞新雪下」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
槙の戸をおし明がたの空さえて庭白妙に雪降りにけり(慈円『拾玉集』)
初雪の窓のくれ竹ふしながらおも末葉うればの程ぞきこゆる(藤原定家『拾遺愚草員外』)
風さやぐ松のとぼその明け方に今年まだ見ぬ雪を見るかな(寂身『寂身法師集』)

卷八 閑適四

白氏文集卷八 秋蝶
秋蝶しうてふ    白居易

秋花紫蒙蒙  秋花しうか むらさきにして蒙蒙もうもう
秋蝶黄茸茸  秋蝶しうてふ黄にして茸茸じようじようたり
花低蝶新小  花ひくく蝶新小しんせう
飛戲叢西東  飛びたはむくさむら西東にしひがし
日暮涼風來  日暮れて涼風きた
紛紛花落叢  紛紛ふんぷんとして花くさむらに落つ
夜深白露冷  夜けて白露はくろひややかに
蝶亦死叢中  蝶叢中そうちゆうに死す
朝生夕倶化  あしたしやうゆふべともくわ
氣類各相從  気類きるい おのおの 相従あひしたが
不見千年鶴  見ずや千年せんねんつる
多栖百丈松  多く百丈ひやくぢやうの松にむを

【通釈】秋の花が紫に咲き乱れている。
秋の蝶が黄に飛び交っている。
花は丈低く、蝶は生れたばかりで小さく、
草叢の西を東を飛び戯れる。
日が暮れると涼しい風が吹いて来て、
乱れるように花が草叢に散る。
夜が更けると露が冷やかに置いて、
蝶もまた草叢に落ちて死ぬ。
花も蝶も、朝に生れ、夕に共に死ぬ。
気の通じた仲で、お互い従い合っているのだ。
知らないか、千年生きる鶴は、
百丈の松に棲むことが多いのを。

【語釈】◇蒙蒙 咲き満ちているさま。◇茸茸 ふつう草木の繁るさまを言うが、ここでは蝶の飛び交うさまであろう。◇気類 気を同じくするもの。気の合う同類。◇百丈松 丈高い松。

【補記】長慶二年(821)、長安から抗州に赴任する途上の作。久保田淳著『新古今歌人の研究』は定家若年の作にこの詩の影響を指摘する。

【影響を受けた和歌の例】
菊枯れて飛びかふ蝶の見えぬかな咲き散る花や命なりけん(藤原定家『拾遺愚草』)
朝露はかかれとてしも消えざりし夕の風に散るさくらかな(正徹『草根集』)

白氏文集卷八 翫新庭樹、因詠所懷
新庭樹しんていじゆで、因つておもふ所を詠ず 白居易

靄靄四月初  靄靄あいあいたり四月の初め
新樹葉成陰  新樹 葉は陰を成す
動搖風景麗  動揺して風景うるはしく
蓋覆庭院深  蓋覆がいふくして庭院深し
下有無事人  下に事無き人有り
竟日此幽尋  竟日きやうじつここ幽尋いうじん
豈唯翫時物  に唯だ時物じぶつづるのみならんや
亦可開煩襟  煩襟はんきんひら
時與道人語  時に道人だうじんと語り
或聽詩客吟  或いは詩客しかくの吟を聴く
度春足芳茗  春をわたりて芳茗はうめい足り
入夜多鳴琴  夜に入りて鳴琴めいきん多し
偶得幽閑境  たまた幽閑いうかんさかひを得て
遂忘塵俗心  遂に塵俗ぢんぞくの心を忘る
始知真隱者  始めて知る 真の隠者
不必在山林  必ずしも山林に在らざることを

【通釈】草木の気がたちこめる四月の初め、
新樹の葉は涼しい陰を成している。
風に揺れ動く風景はうるわしく、
緑におおわれた庭園は深々としている。
そのもとに無聊の人がいる。
終日、ここに幽趣を求めて過ごす。
何もただ季節の風物を賞美するだけではない。
悩みの多い胸襟を開くこともしよう。
時には僧侶と語り合い、
或いは詩人の吟に耳を傾ける。
春を過ぎても香ばしい茶は十分あり、
夜になればしきりと琴をかき鳴らす。
たまたま閑静な場所を手に入れて、
ついに俗世の汚れた心を忘れてしまった。
初めて知った、まことの隠者は、
必ずしも山林にいるわけでないことを。

【語釈】◇靄靄 草木の気が一面たちこめるさま。「藹藹」とする本もあり、その方が適切か。◇四月初 陰暦四月は初夏。その初めは、今のカレンダーで言えば五月中旬頃にあたることが多い。◇蓋覆 緑にすっかり覆われているさま。◇無事人 「無事の人」とも訓める。特にすることがない人。詩人自身を客観視して言う。◇幽尋 ひっそりとした趣を尋ねる。◇開煩襟 煩悶する胸の内を開いて人と接する。◇芳茗 「茗」は元来は茶の芽のこと。唐以後、茶を指す。◇真隱者 「真隱の者」とも訓める。白氏文集巻五の閑適詩「永崇裡觀居」には「真隱豈長遠」(真隠、豈に長遠ならんや)とある。

【補記】庭園の新樹をめで、感懐を詠じた、五言古詩による「閑適詩」。長慶四年(824)の作という。作者五十三歳。末四句「偶得幽閑境 遂忘塵俗心 始知真隠者 不必在山林」を句題に慈円・定家が、第二句「新樹葉成陰」を句題に三条西実隆が歌を残している。

【影響を受けた和歌の例】
柴の庵にすみえて後ぞ思ひ知るいづくもおなじ夕暮の空(慈円『拾玉集』)
つま木こる宿ともなしにすみはつるおのが心ぞ身をかくしける(藤原定家『拾遺愚草員外』)
浅みどり春見し色にひきかへてかへでかしはの露のすずしさ(三条西実隆『雪玉集』)

卷九 感傷一

白氏文集卷九 曲江早秋
曲江きよくかう早秋さうしう  白居易

秋波紅蓼水  秋波しうは紅蓼こうれうの水
夕照靑蕪岸  夕照せきせう青蕪せいぶの岸
獨信馬蹄行  独り馬蹄ばていまかせて行く
曲江池西畔  曲江きよくかうの池 西のほとり
早涼晴後至  早涼さうりやうは晴れてのちに至り
殘暑暝來散  残暑はきたりてさん
方喜炎燠銷  まさ炎燠えんいくゆるを喜ぶに
復嗟時節換  た時節のはるをなげ
我年三十六  我がとし三十六
冉冉昏復旦  冉冉ぜんぜんとして
人壽七十稀  人寿じんじゆ七十まれなり
七十新過半  七十 新たになかばを過ぐ
且當對酒笑  しばらまさに酒に対して笑ふべし
勿起臨風歎  臨風りんぷうの歎きを起こすことなか

【通釈】紅いたでの咲く池の汀に、秋風がさざ波を寄せ、
青い荒草の茂る岸に、夕日が射している。
私は独り、馬の蹄にまかせ、
曲江の池の西の畔を行く。
雨が晴れた後、早秋の涼しさが訪れ、
夕暮になって、残暑は散じた。
炎暑が消えたことを喜んだ途端、
今度は季節が移ろうことを嘆く。
私の歳は三十六。
日は暮れまた明けて、やがて年老いてゆく。
人生七十は稀という。
私は先頃七十の半ばを過ぎてしまった。
ともあれくよくよ悩まずに、酒を飲んで笑おう。
秋風に向かって歎息を発したりはするまい。

【語釈】◇曲江池 長安城の東南の人工の池。◇人壽七十稀 杜甫の詩「曲江」に「人生七十古来稀」とある。

【補記】古調詩。「二年作」(「三年作」とする本も)と自注があり、元和二年(809)、三十六歳の作。長安で官僚生活を始めて間もない頃である。実隆の歌は「早涼晴後至」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
鷺のとぶ川辺の穂蓼くれなゐに日影さびしき秋の水かな(衣笠家良『新撰和歌六帖』)
初風と思ひしよりも下荻のひとむらさめは秋をふかめて(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷九 出關路
関路を出づ  白居易

山川函谷路  山川さんせん函谷かんこくみち
塵土游子顏  塵土ぢんど游子いうしの顏
蕭條去國意  蕭条せうでうたる国を去るのこころ
秋風生故關  秋風しうふう故関こくわんしやう

【通釈】山が聳え、川が流れ、深い谷底をゆく函谷の道。
塵芥と土埃にまみれた旅人の顔。
国を去ってゆく、その侘しい心よ。
折しも秋風が古関に吹き始める。

【語釈】◇函谷路 函谷関への路。函谷関は古く河南省に設けられた関所。切り立った谷の底に関路がある。

【補記】長安を去り、函谷関を出る時のことを詠む。『新撰朗詠集』巻下雑の「行旅」の部に全詩が引用されている。中世以後「関路秋風」などの歌題が好まれたのは、この詩の影響であろう。

【影響を受けた和歌の例】
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関(能因法師『後拾遺集』)
故郷を思ひ出でつつ秋風に清見が関を越えむとすらん(能因法師『新千載集』)
秋風にけふ白河の関こえて思ふも遠し故郷の山(藤原基家『新拾遺集』)

白氏文集卷九 靑龍寺早夏
青龍寺せいりようじ早夏さうか  白居易

塵滅經小雨  塵はめつ小雨せううを経て
地高倚長坡  地は高し 長坡ちやうはりて
日西寺門外  日は西す 寺門じもんの外
景氣含淸和  景気 清和せいわを含む
閑有老僧立  かんにして老僧の立てる有り
靜無凡客過  せいにして凡客ぼんかくよぎる無し
殘鶯意思盡  残鶯ざんあう意思
新葉陰涼多  新葉しんえふ陰涼いんりやう多し
春去來幾日  春去りてこのかた幾日ぞ
夏雲忽嵯峨  夏雲かうんたちまちにして嵯峨さがたり
朝朝感時節  朝朝てうてう時節を感じ
年鬢暗蹉跎  年鬢ねんびん暗に蹉跎さたたり
胡爲戀朝市  胡為なんすれぞ朝市てうしを恋ひて
不去歸煙蘿  去りて煙蘿えんらに帰らざる
靑山寸歩地  青山せいざん寸歩すんぽの地
自問心如何  みづから問ふ 心如何いかん

【通釈】小雨を経て塵は洗い流された。
丘陵に寄り添ってこの地は高い。
日は寺の門のかなた、西へ傾いた。
景色は清らかで和やかな気を含んでいる。
境内はひっそりとして、老僧のたたずむ姿がある。
しんとした中、参拝客の通る姿はない。
里に留まっていた鶯も、啼く意思は尽き、
木々の若葉は繁り、涼しげな陰が多い。
春が去って以来、幾日が経ったろう。
夏雲がにわかに峨々と聳え立つ。
朝毎に移りゆく季節を感じ、
年と共に鬢の毛はひそかに少しずつ衰えてゆく。
何ゆえ私はいつまでも俗世に恋々とし、
煙霧に包まれた山奥へと帰らないのか。
青々とした山は目睫の地にある。
自らに問う、私はどうしたいのかと。

【語釈】◇長坡 長い坂。丘の斜面。◇嵯峨 高く険しいさま。入道雲が険しい峰のように見えることを言う。◇年鬢 年と共に白くなってゆく鬢の毛。◇蹉跎 「蹉」「跎」共につまずく意。ためらいつつ進行するさま。◇朝市 朝廷と市場。名利を追う俗世間。◇煙蘿 煙は霧・霞、蘿はツタ・カズラの類。霧に包まれた、蔦の這う山奥。隠棲に適した地。

【補記】長安にあった青龍寺の初夏の景を詠む。白居易が自ら「感傷詩」に分類した五言古詩。制作年は未詳であるが、元和五年(810)か(新釈漢文大系)。慈円・寂身が「残鶯意思尽 新葉陰涼多」を句題に、定家が「新葉陰涼多」を句題に和歌を詠んでいる。また実隆のは「夏雲忽嵯峨」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
鶯の夏のはつ音をそめかへてしげき梢にかへるころかな(慈円『拾玉集』)
陰しげき楢の葉がしは日にそへて窓より西の空ぞ少なき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
さそはれし花の香もなき夏山のあらぬみどりに鶯ぞ啼く(寂身『寂身法師集』)
おのづから雨をふくめる峰なれや照る日おさふる雲の一むら(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷九 新秋夕
新秋しんしうの夕べ   白居易

西風飄一葉  西風せいふう一葉いちえふひるがへ
前庭颯已涼  前庭ぜんていさつとしてもつて涼し
秋池明月水  秋池しうち 明月めいげつの水
衰蓮白露房  衰蓮すいれん 白露はくろばう
其奈江南夜  其れ江南の夜をいかんせん
綿綿自此長  綿綿めんめんとしてこれより長からん

【通釈】西風が一枚の木の葉をひるがえし、
庭先をさっと吹き過ぎて、涼しくなった。
秋の冷やかな池水は明月を映し、
衰えた蓮は実の穴に白露を宿している。
いったい江南の夜をどう過ごそう。
これから延々と長夜が続くのだ。

【語釈】◇西風 五行説では秋は西に当たるので、西風は即ち秋風である。◇前庭 庭前とする本もある。◇秋池 風池とする本もある。

【補記】早秋の夕べの情趣を詠んだ詩。那波本は題「新秋」。実隆・蘆庵の歌はいずれも初句「西風飄一葉」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
吹く風のたよりもいかで桐の葉のわが身ひとつの秋となりなん(三条西実隆『雪玉集』)
あへず散る桐の一葉のことわりも身にしる老の秋の初風(小沢蘆庵『六帖詠草』)

卷十 感傷二

白氏文集卷十 秋夕
秋夕しうせき    白居易

葉聲落如雨  葉の声は落つること雨の如く
月色白似霜  月の色は白きこと霜に似たり
夜深方獨臥  夜けてまさに独り臥す
誰爲拂塵牀  たれか為に塵のとこを払はん

【通釈】枯葉は雨のように音立てて落ち、
月影は霜に似て白々と床に射す。
夜更け、やっと独り寝につこうとするが、
誰が私のために塵の積もった床を払ってくれるだろう。

【補記】元和六年(811)から三年間、母の喪に服して渭村に滞在した時の作。自身の独り寝の侘しさを詠んだ詩であろうが、王朝歌人たちは「誰為払塵床」の句をもとに閨怨の情を詠んだ歌をなしている。

【影響を受けた和歌の例】
・「葉声落如雨 月色白似霜」の句題和歌
夜もすがら月に霜おく槙の屋にふるか木の葉も袖ぬらすらむ(慈円『拾玉集』)
こゑばかり木の葉の雨は古郷の庭もまがきも月の初霜(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・「夜深方独臥、誰為払塵床」の句題和歌
見せばやな塵もはらはぬ枕より夢の絶えぬる片敷きの袖(慈円『拾玉集』)
ふす床の涙の塵はつもれどもよそにふけゆく片敷きの袖(寂身『寂身法師集』)
・「誰為払床塵」の句題和歌
荒れはてぬ払はば袖のうき身のみあはれ幾よの床のうら風(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・その他
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影(藤原定家『新古今集』)
君こねば我さへうとく成りはてて塵もはらはぬ床のさむしろ(正親町実明女『延文百首』)

白氏文集卷十 孟夏思渭村舊居、寄舍弟
孟夏、渭村ゐそんの旧居を思ひ、舍弟に寄す  白居易

嘖嘖雀引雛  嘖嘖さくさくとして雀は雛を引き
稍稍笋成竹  稍稍せうせうとしてたけのこは竹と成る
時物感人情  時物じぶつは人の情を感ぜしめ
憶我故園曲  我が故園のくまおもはしむ
故園渭水上  故園は渭水ゐすいほとり
十載事樵牧  十載じつさい樵牧せうぼくを事とす
手種楡柳成  手づからゑし楡柳ゆりう成り
陰陰覆牆屋  陰陰として牆屋しやうをくを覆ふ
兔隱豆苗大  うさぎ豆苗とうべうの大となるに隠れ
鳥鳴桑椹熟  鳥は桑椹さうじんの熟したるに鳴く
前年當此時  前年此の時に当たりては
與爾同游矚  なんじともあそなが
詩書課弟姪  詩書弟姪ていてつに課し
農圃資僮僕  農圃のうほ僮僕どうぼくに資す
日暮麥登場  日暮るればむぎぢやう
天晴蠶坼簇  天晴るればかひこぞくひら
弄泉南澗坐  泉をでて南澗なんかんに坐し
待月東亭宿  月を待ちて東亭とうてい宿しゆく
興發飲數盃  きやう発すれば飲むこと数盃すはい
悶來碁一局  もんきたれば碁一局
一朝忽分散  一朝いつてう忽ち分散し
萬里仍羈束  万里羈束きそくせらる
井鮒思返泉  井のふなは泉にかへらんことを思ひ
籠鶯悔出谷  の鶯は谷を出でしことを悔ゆ
九江地卑濕  九江きうかうの地卑湿ひしつにして
四月天炎燠  四月の天炎燠えんいくたり
苦雨初入梅  苦雨くう初めてばいに入り
瘴雲稍含毒  瘴雲しやううんややく毒を含む
泥秧水畦稻  泥は水畦すいけいの稲を
灰種畬田粟  灰は畬田よでんあは
已訝殊歳時  すでに歳時をことにするかといぶか
仍嗟異風俗  ほ風俗をことにするをなげ
閑登郡樓望  かんに郡楼に登りて望めば
日落江山綠  日は落ちて江山かうざん緑なり
歸雁拂鄉心  帰雁は郷心きやうしんを払ひ
平湖斷人目  平湖は人目じんもくを断つ
殊方我漂泊  殊方しゆはうに我は漂泊へうはく
舊里君幽獨  旧里に君は幽独いうどくたり
何時同一瓢  いづれの時か一瓢いつぺうともにし
飲水心亦足  水を飲むも心た足らん

【通釈】やかましく鳴きながら雀は雛を連れて回り、
だんだんと竹の子は育って竹となった。
季節の風物は人の心を揺り動かし、
わが故郷の隅々を懐かしく思い出させる。
故郷と言うのは渭水のほとり、
この十年はもっぱら薪取りと牧畜を業とした。
手植えの楡や柳が成長して、
家屋をすっぽり陰で覆うほどになっていた。
菟は大きく育った豆の苗に隠れ、
鳥は熟した桑の実をついばんで鳴いていた。
先年のちょうど今頃は、
弟よ、おまえと一緒にあちこち遊び歩いたものだ。
詩経と書経を親戚の少年たちに教え、
田と畑で童僕らを働かせた。
日が暮れれば麦を広場に集め、
空が晴れれば蚕をまぶしに移した。
泉を眺めつつ南の谷川に座を設けたり、
月を待って東のあずまやに宿ったりした。
興が乗れば酒を飲むこと数杯、
気がふさげば碁をうつこと一局。
ところが或る朝、突然別れ別れになり、
万里を隔て、私は今も拘束された身だ。
井の中の鮒は泉に帰りたいと願い、
籠の中の鶯は谷を出たことを悔いる。
ここ九江は土地が低く湿っぽく、
初夏四月の天は既に炎暑だ。
重苦しい雨はとうとう梅雨に入り、
熱気を帯びた雲は少しずつ毒を含むようになる。
水田の泥の中に稲が植えられ、
焼畑の灰の中に粟が植えられている。
やはり南国は季節を異にするのかと疑い、
しかも風習が故郷と異なるのを嘆く。
閑な折、郡役所の楼に登って眺めると、
日は落ちて川も山も緑一色。
帰雁は郷愁の念を起こさせるが、
平かな湖水が私の目の前に立ちふさがっている。
異国に私はさすらい、
故郷に君はひとりぼっちだ。
いつの日か一つのひさごを共にしよう。
水を飲み交わすだけで心は満ち足りるだろう。

【語釈】◇嘖嘖 やかましいさま。◇稍稍 草木が次第に成長するさま。◇故園曲 「曲」は入り組んだ地形のすみずみ。◇坼簇 上蔟、すなわち熟蚕を集めて蔟(まぶし)に移すこと。「簇」を蔟とする本もある。蔟は蚕を移し入れて繭を作らせるためのもの。藁などで作る。◇九江 白居易の左降地、潯陽の別名。◇炎燠 炎暑。「燠」は暑い意。◇苦雨 長雨。◇入梅 梅雨、すなわち梅の実を熟させる長雨の季節に入る。◇瘴雲 「瘴」は炎暑の地に生じ、熱病などのもとになると考えられた気。◇拂鄉心 この「拂」は《ふるい起こす》といった意。◇瓢 ひょうたんの果実で作った器。飲み水や酒を入れる。

【補記】五言古詩による感傷詩。孟夏すなわち初夏陰暦四月、渭村の旧居を思い、弟に贈ったという。渭村(今の陝西省渭南市北)は白居易の家族が住んでいたところで、元和六年(811)母が亡くなった折、白居易はここに帰り、三年間喪に服していた。その後、江州司馬に左降されていた頃に作った詩である。第二句「稍稍笋成竹」、及び第二十七句「苦雨初入梅」の句題和歌がある。

【影響を受けた和歌の例】
・「稍稍(梢梢)筍成竹」の句題和歌
いつのまに根はふと見えし竹の子の梢におよぶ影と成るらん(三条西実隆『雪玉集』)
いつのまに憂き節しげくなりぬらむ竹のこのよはかくこそありけれ(香川景樹『桂園一枝』)
・「苦雨初入梅」の句題和歌
晴れぬ間をいかにしのばむ降りそむる今日だに木々のさみだれの宿(三条西実隆『雪玉集』)
軒くらく木々の雫のをやまぬは憂しや今日より五月雨の空(小沢蘆庵『六帖詠草』)
卯の花をくたすながめのさながらにいぶせさ添はる五月雨の空(橘千蔭『うけらが花』)

卷十一 感傷三

白氏文集卷十一 江上送客
江上に客を送る  白居易

江花已萎絶  かうの花はすでに萎え絶えたり
江草已銷歇  かうの草はすでみたり
遠客何處歸  遠客えんかく 何処いづくにか帰る
孤舟今日發  孤舟こしう 今日こんにち
杜鵑聲似哭  杜鵑とけんこくするに似たり
湘竹斑如血  湘竹しやうちく 斑らなること血の如し
共是多感人  共にこれ感多き人
仍爲此中別  すなは此中ここに別れを為す

【通釈】河辺の花はもう枯れ果ててしまった。
河辺の草はもう消え失せてしまった。
遠来の旅人はどこへ帰って行くのか。
君を乗せた一艘の舟が今日出航する。
ほととぎすは号泣するように鳴き、
湘竹のまだら模様は血の涙のようだ。
君も私も共に多感の人。
その二人が今ここに別れねばならぬとは。

【語釈】◇杜鵑 ほととぎす。我が国には初夏に渡来し、秋に中国南部に帰る。「杜」はこの鳥に化したとの伝がある蜀の望帝の名「杜宇」に由来する。◇湘竹 斑竹。舜の妃湘夫人が舜の死を傷み流した涙によって斑紋を生じたと伝え、この名がある。

【補記】長江のほとりで旅人を送ったことを詠んだ感傷詩。元和十四年(819)頃、忠州(四川省忠県)刺史時代の作。実隆・景樹の歌はいずれも「杜鵑声似哭」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
せきあへぬ思ひ有りともほととぎすふるさと人に心して啼け(三条西実隆『雪玉集』)
ほととぎす一むら雨のふりいでてなく涙さへ見ゆる空かな(香川景樹『桂園一枝』)

卷十二 感傷四

白氏文集卷十二 山鷓鴣
山鷓鴣さんしやこ   白居易

山鷓鴣      山鷓鴣さんしやこ
朝朝夜夜啼復啼  朝朝てうてう夜夜よよ
啼時露白風凄凄  啼く時露白く風凄凄せいせいたり
黄茅岡頭秋日晩  黄茅くわうばう岡頭かうとう秋日しうじつ
苦竹嶺下寒月低  苦竹くちく嶺下れいかに寒月
畬田有粟何不啄  畬田よでんぞく有り何ぞついばまざる
石楠有枝何不棲  石楠しやくなんに枝有り何ぞまざる
迢迢不緩復不急  迢迢てうてうとしてくわんならずた急がず
樓上舟中聲闇入  楼上ろうじやう舟中せんちゆうあん
夢鄉遷客展轉臥  きやうを夢みる遷客せんかく展転てんてんして
抱兒寡婦彷徨立  いだ寡婦かふ彷徨はうくわうして立つ
山鷓鴣      山鷓鴣さんしやこ
爾本此鄉鳥    なんぢもと此のきやうの鳥にして
生不辭巢不別群  生れて巣を辞せずぐんに別れず
何苦聲聲啼到曉  何をか苦しみて声声せいせいきてあかつきに到る
啼到曉      きてあかつきに到る
唯能愁北人    北人ほくじんを愁へしめ
南人慣聞如不聞  南人なんじんは聞き慣れて聞こえざる如し

【通釈】山鷓鴣よ、おまえは毎朝毎晩啼き続ける。
おまえが啼く頃、露は白く凝り、風は寒々と吹く。
色づいたちがやの靡く岡のほとりに秋の日は暮れ、
山麓の竹林に冷え冷えとした月明かりが射す。
畑には粟が生っているのに何故おまえは啄まない。
石楠花しゃくなげが咲いているのに何故その枝に棲み付かない。
遥か遠くから、のろくもなく、また速くもなく、
高殿の上にも、舟の中にも、その声は忍び込んで来る。
故郷を夢見る旅人は展転として床に臥し、
赤子を抱いた寡婦はうろうろと立ち歩く。
山鷓鴣よ、元来おまえはこの里の鳥で、
生れてから巣を離れたことはなく、群から別れたこともない。
なのに何を苦しんで声を限りに暁まで啼き続けるのか。
暁まで啼き続け、ひたすら北国生れの人を愁いに沈める。
南国の人はと言えば、聞き馴れて気にも留めない様子だが。

【語釈】◇山鷓鴣 山に住む鷓鴣。鷓鴣は中国南部に生息する雉の仲間。鶉より大きく、雉より小さい。下の動画を参照。◇黄茅 不詳。色づいたチガヤの類か。◇苦竹 真竹・呉竹。◇畬田 焼畑。◇石楠しゃくなげ。 ◇迢迢 遥かなさま。◇遷客 余儀なく故郷を離れた人。◇北人 北国生れの人。作者自身を客観視して言う。

【補記】「山鷓鴣」は朝廷で演奏された楽曲の題。慈円と寂身の歌は「黄茅岡頭秋日晩 苦竹嶺下寒月低」の、定家の歌は「黄茅岡頭秋日晩」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
宿しむる片岡山の浅茅原露にかたぶく月をみるかな(慈円『拾玉集』)
誰もさや心の色の変はるらむ岡の浅茅に夕日さす頃(藤原定家『拾遺愚草員外』)
夕露や岡の浅茅にのこるらん影こそなびけ山のはの月(寂身『寂身法師集』)

白氏文集卷十二 長恨歌
長恨歌ちやうこんか  白居易

漢皇重色思傾國  漢皇かんくわう色を重んじて傾国けいこくを思ふ
御宇多年求不得  御宇ぎよう多年求むれども得ず
楊家有女初長成  楊家やうかぢよ有り 初めて長成ちゃうせい
養在深窗人未識  深窓しんさうやしなはれて人いまらず
天生麗質難自棄  天生の麗質れいしつおのづかがた
一朝選在君王側  一朝いつてう選ばれて君王のかたはら
迴眸一笑百媚生  ひとみめぐらして一笑いつせうすれば百媚ひやくび生じ
六宮粉黛無顏色  六宮りくきゆう粉黛ふんたい顔色がんしよく無し

【通釈】漢の皇帝は猟色が甚だしく、絶世の美女を欲した。
即位してより長年尋ね探したが、見つからない。
楊家に娘があり、ようやく成長したばかり。
邸の奥深く大切に育てられて、世の人はまだ知らない。
天成の美貌は自然と捨て置かれずにはいず、
ある日選ばれて帝の側に仕えることとなった。
瞳をめぐらして一たび微笑めば、艶情限りなく溢れ、
後宮の女たちの化粧顔も見すぼらしいばかり。

【補記】元和元年(806)、長安西郊の地方事務官であった白居易三十五歳の時の長編叙事詩、全百二十句。ここでは便宜上、幾つかの段落に分けた。第一段落は冒頭八句、楊貴妃が後宮に入るまでの序章。「漢皇」とは、唐の玄宗を漢の武帝に仮託しての謂。以下に引用した三首は全て「養在深窓(閨)人未識」の句を主題としたものである。

【影響を受けた和歌の例】
唐櫛笥からくしげあけてし見れば窓深き玉の光を見る人ぞなき(藤原高遠『大弐高遠集』)
玉だれのすだれもすかぬねやのうちに君ましけりと人にしらすな(源道済『道済集』)
知るらめやしづがかふこの繭ごもりかしこ御衣みぞに織りあへむとは(加藤千蔭『うけらが花』)

 

春寒賜浴華淸池  春寒くしてよくを賜はる 華清くわせいの池
溫泉水滑洗凝脂  温泉をんせんなめらかにして 凝脂ぎようしを洗ふ
侍兒扶起嬌無力  侍児じじたすけ起こせどもけうとして力無し
始是新承恩澤時  まさしくれ新たに恩沢おんたくくる時
雲鬢花顏金歩搖  雲鬢うんびん 花顔くわがん 金歩揺きんほえう
芙蓉帳暖度春宵  芙蓉ふようとばりは暖かくして春宵しゆんせうわた
春宵苦短日高起  春宵しゆんせう短きに苦しみ 日高くして
從此君王不早朝  これより君王早くまつりごとせず

【通釈】まだ春寒い日、華清の池で沐浴を賜わった。
なめらかな温泉の湯が、つややかな白い肌をすすぎ清める。
侍童が助け起こすけれど、なまめかしくもぐったりとしている。
まさにこの日が新たに情愛を受けた時であった。
雲なす豊かな鬢の毛、花のかんばせ、歩めば揺れる金のかんざし。
蓮の花を縫い取った帳のうちは暖かで、春の宵は過ぎてゆく。
春の夜の短さが恨めしく、起きるのは日も高くなってから。
この時以後、帝は早朝のまつりごとを執らなくなった。

【補記】第九句より第十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝と結ばれ、皇帝の溺愛を受けるようになるまでを叙す。高遠の歌は「春宵苦短日高起」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
朝日さす玉のうてなも暮れにけり人と寝る夜のあかぬなごりに(藤原高遠『大弐高遠集』)

 

承歡侍寢無閑暇  くわんしんに侍して閑暇かんか無し
春從春遊夜專夜  春は春遊しゆんゆうに従ひ もつぱらにす
後宮佳麗三千人  後宮こうきゆう佳麗かれい三千人さんぜんにん
三千寵愛在一身  三千の寵愛ちようあい一身に
金屋粧成嬌侍夜  金屋きんをくよそほひ成つてけうとしてに侍し
玉樓宴罷醉和春  玉楼ぎよくろうえんんでひて春に
姉妹弟兄皆列土  姉妹しまい弟兄ていけいくにれつ
可憐光彩生門戸  憐れむし 光彩 門戸もんこに生ず
遂令天下父母心  つひに天下の父母ふぼの心を
不重生男重生女  だんを生むことを重んぜず ぢよを生むことを重んぜしむ

【通釈】は帝の歓びを受け、休みもなく寝所にはべる。
春は春の遊びに従い、夜は一晩じゅう帝を独り占めする。
後宮の美女はあわせて三千人、
三千人分の寵愛がただ一人に集まっていた。
黄金づくりの御殿で化粧を済ますと、あでやかに夜のお勤めをし、
玉楼の宴が終れば、酒に酔って春の夜気に溶け込んでいる。
の兄弟姉妹はつらねて領地を賜わり、
ああ、一族は光輝くような栄誉に包まれた。
遂には世の二親ふたおやをして、
男子より女子を生むことを尊ばしめた。

【補記】第十七句より第二十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛を一身に集め、一族が栄光に包まれるまでを叙す。高遠・道済の歌はいずれも「三千寵愛在一身」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
我ひとりと思ふ心も世の中のはかなき身こそうたがはれけれ(藤原高遠『大弐高遠集』)
ももしきの君が朝寝あさいの移り香はしみにけらしな妹が狭衣(源道済『道済集』)

 

驪宮高處入靑雲  驪宮りきゆう高きところ青雲せいうん
仙樂風飄處處聞  仙楽せんがく 風にひるがへりて処処しよしよに聞こゆ
緩歌慢舞凝絲竹  緩歌くわんか慢舞まんぶ糸竹しちくらし
盡日君王看不足  尽日じんじつ君主れども足らず
漁陽鼙鼓動地來  漁陽ぎよやう鼙鼓へいこ 地を動かしてきた
驚破霓裳羽衣曲  驚かし破る 霓裳げいしやう羽衣ういの曲

【通釈】驪山りざんの華清宮は頂上が雲に突き入るほど。
この世ならぬ音楽が風におどって処々に聞こえる。
ゆるやかな歌舞に合せ、琴や笛の音が長く引き、
終日、帝は御覧じて飽きることが無い。
その時、漁陽(注:今の北京あたり)からの陣太鼓が大地を轟かせてやって来、
霓裳げいしょう羽衣の曲(注:西域伝来の舞曲)を唐突に中断させた。

【補記】第二十七句より三十二句まで。歓楽の絶頂の時、安禄山の乱が起こり、叛乱軍が迫ったことを叙す。高遠の歌は「尽日君王看不足」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
見ても猶あかぬこころのこころをばこころのいかに思ふこころぞ(藤原高遠『大弐高遠集』)

 

九重城闕煙塵生  九重きうちよう城闕じやうけつ煙塵えんぢん生じ
千乘萬騎西南行  千乗せんじよう万騎ばんき西南に行く
翠華搖搖行復止  翠華すいくわ揺揺えうえうとして行きてた止まる
西出都門百餘里  西のかた都門ともんを出づること百余里
六軍不發無奈何  六軍りくぐん発せず 奈何いかんともする無く
宛轉娥眉馬前死  宛轉えんてんたる娥眉がび 馬前ばぜんに死す
花鈿委地無人収  花鉗くわでんは地にてられて人のをさむる無し
翠翹金雀玉掻頭  翠翹すいげう 金雀きんじやく 玉掻頭ぎよくさうとう
君王掩眼救不得  君王まなこおほひて救ひ得ず
迴看涙血相和流  かへ涙血るいけつ相如あひわして流る

【通釈】並び立つ宮門に煙塵が舞い上がり、
千の車と万の騎馬が蜀めざし西南へ落ちて行く。
天子の旗はゆらゆらと進んでは止まる。
都の城門を出て西へ百余里、
近衛軍は進発せず、なすすべもなく、
ゆるやかに弧を描く眉の佳人は、帝の馬前で息絶えた。
美しい金の髪飾りは地に捨てられ、拾う人もない。
翡翠の羽飾りも、黄金の孔雀飾りも、玉のかんざしも。
帝は目を覆ったまま、妃を救うすべもない。
かえりみる顔には、涙と血がひとつになって流れている。

【補記】第三十三句より四十二句まで。玄宗皇帝一行の都落ちと、馬嵬ばかい駅において楊貴妃が刑死に処せられる場面を婉曲に描いている。歴史の伝えるところでは、近衛兵らの要求に屈し、皇帝は楊貴妃を縊死せしめたという。

【影響を受けた和歌の例】
・「花鈿委地無人収」の句題和歌
はかなくて嵐の風に散る花を浅茅が原の露やおくらん(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王掩眼救不得」の句題和歌
いかにせん命のかなふ身なりせば我も生きては帰らざらまし(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
もみぢ葉に色見えわかず散るものは物思ふ秋の涙なりけり(伊勢『伊勢集』)
かくばかり落つる涙のつつまれば雲のたよりに見せましものを(伊勢『伊勢集』)
道の辺に駒ひきわたす程もなく玉の緒絶えむ契りとや見し(二条太皇太后宮大弐『夫木和歌抄』)
形見とて折々ごとに見る物は涙の玉のかざしなりけり(藤原光頼『続拾遺集』)

 

黄埃散漫風蕭索  黄挨くわうあい散漫さんまんとして風は薫索せうさく
雲棧縈廻登劍閣  雲桟うんさん縈廻えいくわいして剣閣けんかくを登る
峨嵋山下少行人  峨嵋がび山下さんかに行く人少なく
旌旗無光日色薄  旌旗せいきに光無く日色につしよく薄し
蜀江水碧蜀山靑  蜀江しよくかうは水みどりにして蜀山しよくざん青く
聖主朝朝暮暮情  聖主せいしゆ朝朝てうてう暮暮ぼぼの情
行宮見月傷心色  行宮あんぐうに月を見れば傷心しやうしんの色
夜雨聞猿斷腸聲  夜雨やうに猿を聞けば断腸だんちやうの声

【通釈】黄色い土埃が立ち込め、風が物凄く吹く中、
雲まで続く桟道は折り曲がりつつ剣閣山(注:蜀の北門をなす難所)を登ってゆく。
蛾嵋山麓の成都には道ゆく人も無く、
天子の旗に射す光も弱々しい。
蜀江の水は紺碧で、蜀の山々は青々としている。
帝は朝夕に眺めては思いに沈む。
仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、
夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。

【補記】第四十三句より五十句まで。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行と、亡き妃への思慕に明け暮れる皇帝の日常。和漢朗詠集巻下恋に「行宮見月傷心色 夜雨聞猿腸斷聲」が引かれ、これを句題に多くの歌が詠まれた。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・聖主朝暮之慕情
朝夕にしのぶ心のしるしには天がけりても君がしらなむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・行宮見月傷心色(行宮見月)
思ひやる心も空になりにけりひとり有明の月をながめて(藤原高遠『新勅撰集』)
見るままに物思ふことのまさるかな我が身よりる月にやあるらん(源道済『道済集』)
いかにせん慰むやとて見る月のやがて涙にくもるべしやは(慈円『拾玉集』)
浅茅生や宿る涙の紅におのれもあらぬ月の色かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うき色の草の葉ごとに見ゆるかな月もいかなる露にすむらん(寂身『寂身法師集』)
・夜雨聞猿断腸声
木の下の雨に鳴くなるましらよりもわが袖のうへの露ぞかなしき(慈円『拾玉集』)
恋ひてなく高嶺の山の夜の猿おもひぞまさる暁の雨(藤原定家『拾遺愚草員外』)

 

天旋日轉廻龍馭  天めぐり日転じて龍馭りうぎよかへ
到此躊躇不能去  ここに到りて躊躇ちうちよして去ることあたはず
馬嵬坡下泥土中  馬嵬ばくわい坡下はか 泥土でいどうち
不見玉顏空死處  玉顔ぎよくがんを見ず 空しく死せる処
君臣相顧盡霑衣  君臣あひかへりみてことごところもうるほ
東望都門信馬歸  東のかた都門ともんを望み馬にまかせて帰る

【通釈】やがて天下の情勢が一変し、帝の馬車は都へ取って返すが、
この場所に至って、足踏みして立ち去ることができない。
ここ馬嵬ばかいの土手の下、泥土にまみれて、
楊貴妃が空しく死んだ場所に、あの美しい顔を見ることは無い。
帝も臣下も、互いに振り返っては、一人残らず涙で衣を濡らす。
東の方へ、都の城門をめざし、馬の歩みにまかせて帰って行った。

【補記】第五十一句より五十六句まで。叛乱の首謀者安禄山が殺害され、長安が官軍によって恢復されると、玄宗一行は都への帰路に就くが、途中、楊貴妃が死んだ場所に戻ると、立ち去り難く、君臣こぞって涙に昏れる。長恨歌前半の山場であり、この場面を本説として多くの和歌が詠まれた。

【影響を受けた和歌の例】
・「不見玉顔」の句題和歌
思ひかね別れし人をきてみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『道済集』)
・「馬嵬坡下泥土中」の句題和歌
世中をこころつつみのくさのはにきえにしつゆにぬれてこそゆけ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王相顧尽霑衣」の句題和歌
せきもあへぬ涙の川におぼほれてひるまだになき衣をぞ着る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『詞花集』)
ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜すがら虫のねをのみぞなく(道命『後拾遺集』)
みがきおく玉のすみかも袖ぬれて露と消えにし野辺のかなしき(藤原定家『拾遺愚草』)

 

歸來池苑皆依舊  帰り来たれば池苑ちえんは皆旧に依り
太液芙蓉未央柳  太液たいえきの芙蓉 未央びあうの柳
對此如何不涙垂  これに対して如何いかんぞ涙垂れざらん
芙蓉如面柳如眉  芙蓉はおもての如く 柳は眉の如し
春風桃李花開日  春風しゆんぷう桃李たうり 花開く日
秋雨梧桐葉落時  秋雨しうう梧桐ごとう 葉落つる時

【通釈】都の宮殿に帰って来ると、林泉は皆昔のままで、
太液の池には蓮の花、未央の宮には柳の枝。
これらを目の前に、どうして落涙せずにおられよう。
蓮の花は亡き妃のかんばせのよう、柳の葉は眉のよう。
春風が吹き、桃やすももが花開く日も、
秋雨が降り、梧桐の葉が落ちる時も、妃を思わずにはいられない。

【補記】第五十七句より六十二句まで。乱が収まり長安の宮城に戻った皇帝の哀傷の日々。季節は春から秋へ移る。和漢朗詠集巻下恋に「春風桃李花開日 秋雨梧桐叶落時」が引かれている。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・帰来池苑皆依旧(池苑依旧)
からころも涙に濡れてきてみればありしながらの秋は変はらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
草も木も昔ながらの宿なれど変はらぬものは秋の白露(源道済『道済集』)
・太液芙蓉未央柳
はちすおふる池は鏡と見ゆれども恋しき人の影はうつらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
・春風桃李花開日
春風にゑみをひらくる花の色は昔の人の面影ぞする(藤原高遠『大弐高遠集』)
・秋梧桐葉落時
木の葉散る時につけてぞなかなかに我が身のあきはまづ知られける(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他(句題を提示していない歌)
帰りきて君おもほゆる蓮葉に涙の玉とおきゐてぞみる(伊勢『伊勢集』)

 

西宮南苑多秋草  西宮せいきゆう 南苑なんえん 秋草しうさう多く
落葉滿階紅不掃  落葉かいに満ちくれなゐはらはれず
梨園弟子白髮新  梨園りゑん弟子ていし 白髪はくはつ新たに
椒房阿監靑娥老  椒房せうばう阿監あかん 青蛾せいが老いたり

【通釈】西の内裏や南の庭園には秋の色づいた草が多く、
きざはしにいちめん降り積もった紅葉は掃除もされない。
歌舞団の練習生たちも白髪頭になり始め、
後宮の女房たちの青蛾の眉も老けてしまった。

【補記】第六十三句より六十六句まで。宮城の寂寞たる秋、そして歳月のうつろいを叙す。

【影響を受けた和歌の例】
・「西宮南門多秋草」の句題和歌
九重のたまのうてなもあれにけりこころとしける草の上の露(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「葉満階紅不掃」の句題和歌
落ちつもる木の葉木の葉はおのづから嵐の風にまかせてぞ見る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
くれなゐに払はぬ庭はなりにけり悲しきことの葉のみつもりて(伊勢『伊勢集』)
恋ひわぶる涙の色のくれなゐをはらはぬ庭の秋の紅葉ば(平親清四女『親清四女集』)
冬きては何を形見とながめまし浅茅が原も霜枯れにけり(平忠度『忠度集』)

 

夕殿螢飛思悄然  夕べの殿とのに蛍飛びて思ひ悄然せうぜんたり
秋燈挑盡未能眠  秋のともしびかかげ尽くして未だ眠るあたはず
遲遲鐘漏初長夜  遅遅ちちたる鐘漏しようろう 初めて長き夜
耿耿星河欲曙天  耿耿かうかうたる星河せいか けんとする天
鴛鴦瓦冷霜華重  鴛鴦ゑんあうかはらは冷ややかにして霜華さうかしげ
舊枕故衾誰與共  ふるき枕 ふるしとね 誰と共にせん
悠悠生死別經年  悠悠いういうたる生死 別れて年をたり
魂魄不曾來入夢  魂魄こんぱくかつきたりて夢にらず

【通釈】夕暮の御殿に蛍が舞い飛び、帝の思いは悄然とする。
秋の燈火は尽きて、なお眠りにつくことができない。
のろのろと時の鐘が鳴って、夜が長くなったと感じる。
天の川が煌々と輝く夜空を眺めるうち、ようやく明け方が近づく。
鴛鴦おしどりかたどった屋根瓦は冷え冷えと、霜の花を幾重も結び、
旧のままの枕と敷物、共にする人はもういない。
遥かに隔たる生と死。別れて幾年か経ったが、
妃の魂が夢に入って来たことは一度もない。

【補記】第六十七句より七十四句まで。秋の長夜を明かす皇帝の孤独。和漢朗詠集巻上秋「秋夜」に「遲遲鐘鼓初長夜 耿耿星河欲曙天」、巻下恋に「夕殿螢飛思悄然 孤灯挑盡未成眠」が引かれ、それぞれ多くの句題和歌が作られた。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・夕殿蛍飛思悄然
思ひあまり恋しき君が魂とかける蛍をよそへてぞみる(藤原高遠『大弐高遠集』)
・夕殿蛍飛思悄然、秋灯挑尽未能眠
君ゆゑにうちも寝ぬ夜の床のうへに思ひを見する夏虫のかげ(慈円『拾玉集』)
暮ると明くと胸のあたりも燃えつきぬ夕べのほたる夜はのともし火(藤原定家『拾遺愚草員外』)
夏虫の影にはまがふともし火もおよばざりける身の思ひかな(寂身『寂身法師集』)
・遅遅鐘漏初長夜、耿耿星河欲曙天
鐘の音をねざめてきくや秋ならむ袖にまぢかき天の川なみ(慈円『拾玉集』)
鳥のねをとしもふばかり待ちし夜の鳴きてもながき暁の空(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・耿耿星河欲曙天
七夕もしばしやすらへ天の河あくるも己が影ならぬかは(土御門院『土御門院御集』)
・旧枕故衾誰与共
うちわたし独りふす夜のよひよひは枕さびしきねをのみぞ泣く(藤原高遠『大弐高遠集』)
如何にせん重ねし袖をかたしきて涙にうくは枕なりけり(慈円『拾玉集』)
床の上に旧き枕も朽ちはててかよはぬ夢ぞ遠ざかりゆく(藤原定家『拾遺愚抄員外』)
露しげき蓬が閨のひまとぢてふるき枕に秋風ぞ吹く(寂蓮『千五百番歌合』)
・その他(句題を提示していない歌)
玉簾あくるもしらで寝しものを夢にも見じとゆめ思ひきや(伊勢『伊勢集』)

 

臨邛方士鴻都客  臨邛りんきよう方士はうし 鴻都こうとかく
能以精誠致魂魄  精誠せいせいを以て魂魄こんぱくを致す
爲感君王展轉思  君王が展轉てんてんの思ひに感ずるが為に
遂敎方士慇勤覓  遂に方士はうしをして慇勤いんぎんもとめしむ
排空馭氣奔如電  くうはいし気をぎよしてはしることでんの如く
昇天入地求之遍  天に昇り地にりてこれを求むることあまね
上窮碧落下黄泉  上は碧落へきらくきはめ 下は黄泉くわうせん
両處茫茫皆不見  両処茫茫ばうばうとして皆見えず

【通釈】ここに臨邛(注:四川省の邛州の県名)出身の方士(注:神仙の術を行う人)がいて、長安の都に仮寓していた。
すぐれた神通力で魂魄を招く術をよくする者であったが、
帝の展転反側として眠れぬ思いに感じ入ったというので、
遂にこの方士に妃の魂魄を詳しく探索させることとなった。
方士は虚空を押し開き、気を自由に操って、稲妻のごとく天がけり、
天に昇り地に潜り、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求めた。
上は蒼天の果てから、下は黄泉の国まで、
しかしいずれも茫々と広く、妃の姿は見つからない。

【補記】第七十五句より八十二句まで。物語は後半に入り、幻術士による楊貴妃の魂魄捜索のさまが叙される。

【影響を受けた和歌の例】
・「昇天入地求之遍」の句題和歌
思ひやる心ばかりはたぐへしをいかにたぐへむ幻の世を(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「露碧落不見」の句題和歌
やるかたもなかりし心まぼろしを待つにはまさる思ひそひけり(源道済『道済集』)
・その他
思ひあまりうちる宵のまぼろしも浪路を分けて行きかよひけり(鴨長明『千載集』)

 

忽聞海上有仙山  たちまち聞く 海上かいじやうに仙山有りと
山在虛無縹緲閒  山は虚無縹緲へうべうかんに在り
樓殿玲瓏五雲起  楼殿ろうでん玲瀧れいろうとして五雲起こり
其上綽約多仙子  其の上に綽約しやくやくとして仙子せんし多し
中有一人名玉妃  中に一人いちにん有り 名は玉妃ぎよくひ
雪膚花貌參差是  雪のはだへ 花のかんばせ 参差しんしとしてこれならん

【通釈】ふと耳にしたことには、海上に仙人の住む山があり、
縹渺と霞む太虚の間に浮んでいるという。
高殿は玉のように輝き、湧き上がる五色の雲の中に聳えて、
その上に嫋やかな仙女たちがあまた住んでいる。
中に一人、玉妃という名の者があり、
雪のように白い肌、花のような容貌、果たしてこれがその人であろうか。

【補記】第八十三句から八十八句まで。幻術により楊貴妃らしき仙女を探し当てるまでを叙す。「まぼろし」(幻術士)による魂の探索という主題の和歌は少なくなく、いずれも白詩の影響下にある。高遠の歌は「忽聞海上有仙山」の句題和歌。他の歌はいずれも白詩の幻術士の条を踏まえた作である。

【影響を受けた和歌の例】
しるべする雲の船だになかりせば世をうみなかに誰か知らまし(伊勢『伊勢集』)
尋ねずはいかでか知らむわたつうみの波間にみゆる雲の都を(藤原高遠『大弐高遠集』)
たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく(『源氏物語・桐壺』)
まぼろしのつてに聞くこそ悲しけれ契りしことは夢ならねども(藤原為忠『続詞花集』)
消えのこる露のうき身のおきどころ蓬が島をたづねてぞしる(藤原秀能『如願法師集』)
なき玉のありかは聞きついかにして身をまぼろしになしてゆかまし(三条西実隆『雪玉集』)

 

金闕西廂叩玉扃  金闕きんけつ西廂せいしやう 玉扃ぎょくけいを叩き
轉敎小玉報雙成  転じて小玉せうぎよくをして双成さうせいに報ぜしむ
聞道漢家天子使  聞くなら漢家かんか天子の使ひなりと
九華帳裡夢中驚  九華帳裡きうくわちやうり 夢中むちゆうに驚く
攬衣推枕起徘徊  ころもり枕をちて徘徊し
珠箔銀屏邐迤開  珠箔しゆはく 銀屏ぎんぺい 邐迤りいとしてひら
雲鬢半偏新睡覺  雲鬢うんびん 半ばかたむきて 新たにねむりより覚め
花冠不整下堂來  花冠くわくわん整はずして堂をくだりてきた

【通釈】方士は宮殿の西のひさしの間に来て、玉の門扉を開き、
さて小玉という少女をして腰元の双成に取り次がしめた。
漢の皇帝の使者であるとの知らせを聞き、
玉妃は花模様のとばりのうちで夢うつつに驚く。
上衣を取り、枕を押しのけ、起き上がってそぞろ歩き回り、
真珠のすだれ、銀の屏風がつぎつぎに押し開かれる。
雲のように豊かな鬢の毛が一方に片寄り、まだ眠りから醒めたばかりの様子で、
花の冠も整えずに、御殿を下りて来た。

【補記】第八十九句より九十六句まで。夢うつつのまま寝殿から出て来る妃のありさまを妖艶に叙す。高遠の歌は「九華帳夢中驚」の句題和歌。長方のは題「楊貴妃」。

【影響を受けた和歌の例】
うたた寝のさめてののちの悔しきは夢にも人を見さすなりけり(藤原高遠『大弐高遠集』)
まぼろしは玉のうてなに尋ねきて昔の秋の契りをぞきく(藤原長方『玉葉集』)

 

風吹仙袂飄颻舉  風吹きて 仙袂せんべい飄颻へうえうとして挙がり
猶似霓裳羽衣舞  霓裳げいしやう羽衣ういの舞に似たり
玉容寂寞涙瀾干  玉容ぎよくよう寂寞じやくまくとして涙瀾干らんかんたり
梨花一枝春帶雨  梨花りか一枝いつし 春 雨を帯ぶ

【通釈】風が吹いて、仙女の袂は踊るようにひるがえり、
かつて宮殿に奏した霓裳羽衣の舞を思わせる。
玉のかんばせは精気に乏しく、涙がとめどなく溢れ、
あたかも春雨に濡れた一枝の梨の花だ。

【補記】第九十七句から百句まで。仙宮を訪れた方士の前に、玉妃(楊貴妃の魂魄)が姿をあらわす。「梨花一枝春帯雨」の句は名高く、『平家物語』などの古典文学に引用されている。以下の歌はすべて同句を踏まえた歌である。

【影響を受けた和歌の例】
春の雨にひらけし花の一枝を波にかざして生の浦梨(俊成卿女『建保名所百首』)
聞きわたる面影見えて春雨の枝にかかれる山なしの花(藤原為家『新撰和歌六帖』)
露はらふ色しをれても春雨はなほ山なしの花の一枝(正徹『草根集』)

 

含情凝睇謝君王  情を含み ひとみを凝らして君王に謝す
一別音容兩眇茫  ひとたび別れてより音容おんよう ふたつながら眇茫べうばうたり
昭陽殿裡恩愛歇  昭陽殿裡せうやうでんり 恩愛
蓬莱宮中日月長  蓬莱宮中ほうらいきゆうちゆう日月じつげつ長し
迴頭下視人寰處  かうべめぐらして下に人寰じんくわんの処を視れば
不見長安見塵霧  長安を見ず 塵霧ぢんむを見る

【通釈】玉妃は思いを籠め、瞳を凝らして謝辞を述べる。
「ひとたびお別れしてから、お声もお顔も渺茫と霞んでしまいました。
昭陽殿(注:漢の成帝の故事に因み、後宮を指す)の内で頂いた恩愛は尽き、
ここ蓬莱宮の中にあって長い歳月が過ぎました。
頭をふりむけて、下の人間世界を望みましても、
長安の都は遠すぎて見えず、ただ塵と霞が立ち込めているばかり」。

【補記】第百一句から百六句まで。玉妃から帝への伝言を叙す。高遠の歌は「蓬莱宮日月長」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
ここにてもありし昔にあらませば過ぐる月日も短からまし(藤原高遠『大弐高遠集』)

 

唯將舊物表深情  旧物きうぶつちて深情しんじやうあらは
鈿合金釵寄將去  鈿合でんがふ 金釵きんさい 寄せちて去らしむ
釵留一股合一扇  さい一股いつこを留め がふ一扇いつせん
釵擘黄金合分鈿  さい黄金わうごんがふでんを分かつ
但敎心似金鈿堅  し心をして金鈿きんでんの堅きに似せしむれば
天上人閒會相見  天上 人間じんかん かなら相見あひみ

【通釈】「今はただ、昔の持ち物で、私の深い心をお示ししたく、
螺鈿らでんの小箱と金のかんざしを託して持って行かせます。
金のかんざしは二つに裂き、小箱は身と蓋に分けて、
かんざしの一つと、小箱の片割れを手許に留めます。
もしこのかんざしの金や小箱の螺鈿のように心が堅固でありましたなら、
天上界と人界と、別れていてもいつか必ずお会いできるでしょう」。

【補記】第百七句から百十二句まで。引き続き玉妃から帝への伝言を叙す。

 

臨別殷勤重寄詞  別れに臨んで殷勤いんぎんに重ねてことばを寄す
詞中有誓兩心知  詞中しちゆうに誓ひ有り 両心のみ知る
七月七日長生殿  七月七日しちげつしちじつ 長生殿ちやうせいでん
夜半無人私語時  夜半やはん 人無く 私語しごの時
在天願作比翼鳥  天に在りては 願はくは比翼ひよくの鳥と
在地願爲連理枝  地に在りては 願はくは連理れんりの枝とらん
天長地久有時盡  天長く地久しきも 時有りて
此恨綿綿無絶期  此の恨みは綿綿めんめんとして絶ゆるとき無からん

【通釈】別れに臨み、玉妃はねんごろに重ねて言葉を贈る。
その中に帝と交わした誓いごとがあった。二人だけが知る秘密だ。
ある年の七月七日、長生殿(注:華清宮の中の御殿)で、
夜半、おつきの人も無く、ささめごとを交わした時、
「天にあっては、願わくば翼をならべて飛ぶ鳥となり、
地にあっては、願わくば一つに合さった枝となろう」と。
天地は長久と言っても、いつか尽きる時がある。
しかしこの恨みはいつまでも続き、絶える時はないだろう。

【補記】第百十三句より百二十句まで。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の両句はことに名高く、これを踏まえた和歌は数多い。

【影響を受けた和歌の例】
・「誓両心知」の句題和歌
たなばたや知らば知るらん秋の夜のながき契りは君も忘れじ(源道済『道済集』)
・「七月七日長生殿」の句題和歌
かつ見るに飽かぬ嘆きもあるものを逢ふよ稀なる七夕ぞ憂き(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥」の句題和歌
おぼろけの契りの深きひととぢや羽をならぶる身とはなるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在地願為連理枝」の句題和歌
さしかはし一つ枝にと契りしはおなじ深山のねにやあるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の影響歌
木にも生ひず羽もならべで何しかも浪路へだてて君をきくらん(伊勢『拾遺集』)
君と我この世ののちののちもまた木とも鳥ともなりて契らん(二条太皇太后宮大弐『二条太皇太后宮大弐集』)
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(崇徳院『久安百首』)
鳥となり枝ともならんことのはは星のあふ夜や契り定めし(正徹『草根集』)
枝かはす木にだに生ひぬ山梨の花は涙の雨ぞかかれる(下河辺長流『林葉累塵集』)
・「此恨綿綿無絶期」「此恨綿綿」の句題和歌
ありての世なくてののちの世も尽きじ絶えぬ思ひの限りなければ(藤原高遠『大弐高遠集』)
岩根さす筑波の山は尽きぬとも尽きむ世ぞなきあかぬ我が恋(源道済『道済集』)
・その他
月も日も七日の宵のちぎりをば消えぬほどにもまたぞ忘れぬ(伊勢『伊勢集』)
七夕の逢ひ見し夜はの契りこそ別れてのちの形見なりけれ(藤原実定『林下集』)
七夕は今も変はらず逢ふものをそのよ契りしことはいかにぞ(藤原俊成『為忠家初度百首』)
ふみ月のそのかねごともまぼろしの便りよりこそ世に知られけれ(石野広通『霞関集』)

卷十三 律詩一

白氏文集卷十三 秋雨中贈元九
秋雨中、元九に贈る  白居易

不堪紅葉靑苔地  へず紅葉こうえふ青苔せいたいの地
又是涼風暮雨天  またこれ涼風りやうふう暮雨ぼうの天
莫怪獨吟秋思苦  怪しむなかれ独吟どくぎん秋思しうしの苦しきを
比君校近二毛年  君に比してやや近し二毛じもうの年

【通釈】感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは。
そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは。
怪しんでくれるな。独り秋思の苦しさを吟ずることを。
半白の髪になる年が君よりも少し近いのだ。

【語釈】◇二毛年 白髪混じりの毛髪になる年。潘岳の『秋興賦并序』に「晉十有四年、余春秋三十有二、始見二毛」とあり、三十二歳を指す。白居易の三十二歳は西暦803年。歌を贈った相手である元九こと元稹よりも七歳年上であった。

【補記】親友の元九こと元稹に贈った歌。和漢朗詠集に第一・二句が引かれている。謡曲『紅葉狩』にも引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
もみぢ葉も苔のみどりにふりしけば夕べの雨ぞ空にすずしき(相模『相模集』)
もみぢ葉を夕吹く風にまかすれば苔むす庭にうちしぐれつつ(慈円『拾玉集』)
苔むしろ紅葉吹きしく夕時雨心もたへぬ長月の暮(藤原定家『拾遺愚草員外』)

【参考】『狭衣物語』巻一
雨少し降りて、霧りわたる空のけしきも、常よりことにながめられたまひて、「またこれ涼風の夕べの天の雨」と、口ずさみたまふを、かの、常磐の森に秋待たん、と言ひし人に見せたらば、まいて、いかに早き瀬に沈み果てん。

白氏文集卷十三 酬哥舒大見贈
哥舒大かじよだいの贈られしにむくゆ 白居易

去歳歡遊何處去  去歳の歓遊何処いづくにか
曲江西岸杏園東  曲江きよくかう西岸せいがん杏園きやうゑんの東
花下忘歸因美景  花のもとに帰らむことを忘るるは美景につてなり
樽前勸酒是春風  そんの前に酒を勧むるはれ春の風
各從微宦風塵裏  おのおの微宦びくわんに従ふ風塵のうち
共度流年離別中  共に流年りうねんわたる離別のうち
今日相逢愁又喜  今日こんにちあひ逢ひうれへてた喜ぶ
八人分散兩人同  八人はちにん分散し両人りやうにんは同じ

【通釈】去年、皆で楽しく遊んだのは何処だったか。
曲江の西岸、杏園の東だった。
花の下で帰ることを忘れたのは、あまりの美景ゆえ。
樽の前で酒を勧めたのは、うららかな春の風だった。
今おのおのは微官に任じられて、俗塵のうちにある。
互いに別れたまま、一年は流れるように過ぎた。
今日君と出逢えて、寂しくもあり、嬉しくもある。
八人は各地に分散しているが、君と僕の二人は同じここにいるのだ。

【語釈】◇曲江 長安にあった池。杜甫の詩で名高い。◇杏園 杏の花園。杏は春、白または淡紅色の花をつける。◇微宦 微官に同じ。身分の低い官吏。◇八人 前年、共に科挙に及第した八人。

【補記】友人の哥舒大から贈られた詩に応えた詩。自注に「去年與哥舒等八人、同登科第。今叙會散之意(去年哥舒等八人と、同じく科第に登る。今会散の意を叙す)」とあり、共に科挙に及第した八人の仲間と杏の花園で遊んだ日々を懐かしんだ詩と知れる。和漢朗詠集の巻上「春興」に頷聯が引かれて名高く、第三句は謡曲『吉野夫人』『桜川』『鼓滝』『松虫』などにも引用されている。千里・慈円・定家の歌は「花下忘歸因美景」の句題和歌。それ以外は「花下忘歸」を題とする詠である。なお、白氏の詩では「花」はあんずの花を指すが、和歌では桜の花を指すことになる。

【影響を受けた和歌の例】
この里に旅寝しぬべし桜花ちりのまがひに家路わすれて(よみ人しらず『古今集』)
花を見てかへらむことを忘るるは色こき風によりてなりけり(大江千里『句題和歌』)
あづま路の老蘇の森の花ならば帰らむことを忘れましやは(源俊頼『散木奇歌集』)
花のもと露のなさけは程もあらじひなすすめそ春の山風(寂然法師『新古今集』)
春の山に霞の袖をかたしきていくかに成りぬ花の下臥し(慈円『拾玉集』)
時しもあれこし路をいそぐ雁がねの心しられぬ花のもとかな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
帰るさもいかがおぼえむ散らぬまは千世もへぬべき花の木のもと(藤原為家『為家集』)
みな人の家ぢわするる花ざかりなぞしも帰る春の雁がね(後嵯峨院『新後撰集』)
散るまでは花にかへらじ春の風我が家桜さくとつげずは(正徹『草根集』)
かへるべき道かは花のきぬぎぬを入相の鐘におどろかすとも(後柏原院『柏玉集』)
けふくらす名残のみかは花のもとに年のいくとせなれし老ぞも(肖柏『春夢草』)
ふる里よ花し散らずはいかならむ立ち出でしままの春の木のもと(三条西実隆『雪玉集』)
比もいま雲ゐの花におもなれてかへり見もせぬ我が宿の春(烏丸光広『黄葉集』)
かへるさはなき心ちする我が玉や花のたもとに入相の鐘(木下長嘯子『挙白集』)
木のもとに今いくかあらばかへるべき我がふるさとを花に思はむ(中院通村『後十輪院内府集』)

【参考】謡曲『右近』
げにや花の下に帰らん事を忘るるは美景によりて花心馴れ馴れそめて眺めん

白氏文集卷十三 春中與廬四周諒華陽觀同居
春中しゆんちう周諒しうりよう華陽観かやうかんに同居す 白居易

性情懶慢好相親  性情懶慢らんまんにしてく相親しみ
門巷蕭條稱作鄰  門巷もんかう蕭条せうでうとしてとなりすにかな
背燭共憐深夜月  ともしびそむけては共に憐れむ 深夜の月
蹋花同惜少年春  花をんでは同じく惜しむ 少年の春
杏壇住僻雖宜病  杏壇きやうだん住僻ぢうへきにしてやまひよろしといへど
芸閣官微不救貧  芸閣うんかく官微かんびにしてひんを救はず
文行如君尚憔悴  文行ぶんかう君の如くにして憔悴せうすい
不知霄漢待何人  知らず 霄漢せうかん何人なんびとをか待つ

【通釈】性質が懶惰で君とはよく気が合い、
近所の路地は物寂しげなので、隣付き合いにぴったりだ。
灯火を背にして共に深夜の月を賞美し、
散った花を踏んで共に青春を愛惜した。
杏の花咲くこの館は僻遠の地にあり、療養には持って来いなのだが、
御書所に勤める君の官位は低く、貧窮を救うことは出来ない。
詩文も徳行も君のようにすぐれた人が、なお困窮しているとは。
朝廷は如何なる人材を待望しているというのか。

【語釈】◇門巷 家門と近所の路地の家並。◇芸閣 御書所の唐名。朝廷所属の図書館。◇霄漢 大空。朝廷にたとえる。

【補記】友人の「盧四周諒」と華陽観に同居していた時の作。華陽観とは長安の道観(道士の住処)で、唐代宗の第五女華陽公主の旧宅。永貞元年(805)、白居易は友人たちと共ここに住んだ。和漢朗詠集巻上「春夜」に第三・四句が引かれている。また『采女』『西行桜』などの数多くの謡曲に第三・四句を踏まえた文句がある。下記の慈円・定家の歌はいずれもこの二句を句題とした作である。

【影響を受けた和歌の例】
あり明の月にそむくるともし火の影にうつろふ花を見るかな(慈円『拾玉集』)
そむけつる窓の灯ふかき夜のかすみにいづる二月の月(藤原定家『拾遺愚草員外』)
山の端の月待つ空のにほふより花にそむくる春のともしび(藤原定家『拾遺愚草』)
深き夜の花の木陰にそむけ置きてともにあはれむ春の灯(正徹『草根集』)
さても猶花にそむけぬ影なれやおのれかかぐる月のともしび(木下長嘯子『挙白集』)
灯火もそむけてやみん深き夜の窓の光は雪にまかせて(武者小路実陰『芳雲集』)

白氏文集卷十三 縣西郊秋寄贈馬造
県の西郊せいかうの秋、馬造ばざう寄贈きそうす  白居易

紫閣峯西淸渭東  紫閣峯しかくほうの西 清渭せいゐの東
野煙深處夕陽中  野煙やえん深きところ 夕陽せきやううち
風荷老葉蕭條綠  風荷ふうか老葉らうえふ蕭条せうでうとして緑なり
水蓼殘花寂寞紅  水蓼すいれう残花ざんくわ寂寞せきばくとしてくれなゐなり
我厭宦遊君失意  我は宦遊くわんいうを厭ひ 君は失意す
可憐秋思兩心同  あはれ秋思しうし 両心同じ

【通釈】紫閣峰の西、清らかな渭水の東、
野にけぶる靄の奧深く、夕暮の余光の中、
風に靡く蓮の枯葉は物寂しげに緑を残し、
水辺の蓼の残花はひっそりと紅を留めている。
私は役人暮らしに嫌気が差し、君は失意のうちにある。
ああ、秋の愁いは二人心を同じうする。

【語釈】◇紫閣峯 長安の西、陝西省県の東南にある峰。◇風荷 風に吹かれる蓮。◇水蓼 水辺の蓼。◇宦遊 役人暮らし。官吏としての生活。

【補記】盩厔ちゆうちつ県の西郊の秋の景を詠み、馬造なる人物(不詳)に贈ったという詩。元和元年(806)、白居易が盩厔県尉となって以後の作。和漢朗詠集巻上「蓮」に第三・四句が引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
枯れのこる茎うす赤きいぬたでの腹ばふ庭に霜ふりにける(橘曙覧『志濃夫廼舎歌集』)

白氏文集卷十三 邯鄲冬至夜思家
邯鄲にて冬至の夜家を思ふ  白居易

邯鄲驛裏逢冬至  邯鄲かんたん駅裏えき り 冬至に逢ふ
抱膝燈前影伴身  膝をいだきて燈前とうぜん影身にともな
想得家中夜深坐  想ひ得たり 家中 か ちう夜深よふけて
還應説著遠行人  まさ遠行ゑんかうの人を説著せつちやくすべし

【通釈】邯鄲の駅舎に泊まった夜、冬至に行き遭った。
独り膝を抱えて、燈火の前、おのれの影が身に添うばかり。
思えば、故郷の家族も、夜が更けて皆座につき、
やはり遠く旅する人のことを噂し合っているに違いない。

【語釈】◇邯鄲 中国河北省南部。春秋時代の衛、戦国時代の趙が都を置いた、古い由緒ある町。◇冬至 二十四節季の一つ。太陽暦十二月二十二日頃。一年で昼が最も短い日。中国では一陽来復の節日とし、家で御馳走を食べて祝ったという。◇説著 噂話をする。◇遠行人 自身を客観視して言う。

【補記】貞元二十年(804)、冬至の夜に古都邯鄲に宿り、家族を思って詠んだ歌。作者三十三歳。大江千里が第二句「抱膝燈前影伴身」を句題に歌を詠んでいる。三条西公条の歌は題「翫月」。

【影響を受けた和歌の例】
独りしてもゆる炎に向かへれば影を伴ふ身とぞなりぬる(大江千里『句題和歌』)
独りだに影を伴ひ明かす夜にましてにぎほふ月のさかづき(三条西公条『称名院集』)

白氏文集卷十三 長安閑居
長安の閑居    白居易

風竹松煙晝掩關  風竹ふうちく松煙しようえんくわんおほへば
意中長似在深山  意中いちゆう深山しんざんちやう
無人不怪長安住  人の怪しまざる無し 長安ちやうあんぢゆう
何獨朝朝暮暮閑  なんぞ独り朝々てうてう暮々 ぼ ぼ かんならんと

【通釈】風にそよぐ竹、松葉を焚く煙――昼間に閂をかけて家に閉じ籠れば、
心の中は深山にあるのにまさる。
誰も怪訝に思わぬ人はいない。長安に住んで、
どうして私独り朝な夕な閑静に過ごしているのかと。

【語釈】◇掩關 門にかんぬきをかけて閉じ籠る。

【補記】長安の街中にあって閑居している己を誇る。文選の「大隠隠朝市」が念頭にあるか。但し白居易は自身の立場を大隠でも小隠でもない「中隠」と呼んだ(白氏文集巻五十二「中隠」)。大江千里が『句題和歌』で第四句「何獨朝朝暮暮閑」を題に歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
はかもなくならむ我が身のひとりしてあしたゆふべにしづかなるらむ(大江千里『句題和歌』)

白氏文集卷十三 旅次景空寺宿幽上人院
景空寺に旅次りよじ幽上人いうしゃうにんの院に宿す 白居易

不與人境接  人境と接せず
寺門開向山  寺門じもん ひらきて山に向かふ
暮鐘鳴鳥聚  暮鐘ぼしよう 鳴鳥めいてうあつま
秋雨病僧閑  秋雨しうう 病僧びやうそうかんなり
月隱雲樹外  月は雲樹うんじゆそとに隠れ
螢飛廊宇閒  蛍は廊宇らううあひだに飛ぶ
幸投花界宿  さいはひ花界くわかいに投じて宿し
暫得靜心顏  暫く心顔しんがんを静むるを得たり

【通釈】景空寺は人里を遠く離れ、
寺の門は山に向かって開いている。
晩鐘が鳴ると、鳥たちが鳴きながらねぐらに集まり、
秋雨の降る中、病んだ僧が静かに坐している。
月は雲のように盛んに茂る樹の向こうに隠れ、
蛍は渡殿の廂と廂の間を舞い飛ぶ。
幸いにも浄土に宿を取り、
しばらく心と顔をなごませることができた。

【語釈】◇花界 蓮花界、浄土。景空寺をこう言った。

【補記】旅の途次、景空寺(不詳)に立ち寄り、幽上人(不詳)の僧院に泊った時の詠。「月隠(陰)雲樹外、蛍飛廊宇間」を句題に慈円と定家が歌をなしている。

【影響を受けた和歌の例】
秋の雨に月さへ曇る軒端より星とも言はじ蛍なるらん(慈円『拾玉集』)
時雨れゆく雲のこずゑの山の端に夕べたのむる月もとまらず(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷十三 除夜寄弟妹
除夜ぢよや 弟妹ていまいに寄す  白居易

感時思弟妹  時に感じて弟妹ていまいを思へば
不寐百憂生  ねられずして百憂ひやくいうしやう
萬里經年別  万里ばんり経年けいねんの別れ
孤燈此夜情  孤燈ことうじやう
病容非舊日  病容びやうよう旧日きうじつあら
歸思逼新正  帰思きし新正しんせいせま
早晩重歡會  早晩さうばん重ねて歓会くわんくわいせむ
羈離各長成  羈離きりなるもおのおの長成ちやうせい

【通釈】除夜にあって、ふと故郷の弟妹のことを思えば、
寝つかれず、次々に憂いが湧いてくる。
万里を隔て、年久しく別れたまま、
孤灯を前にして、今宵の哀れは深い。
病み衰えた私の姿、昔日の面影はなく、
帰郷の思いは、新年を迎えて募る。
いつの日か、再び楽しく団欒を囲もう。
遠く離れていても、皆それぞれ大きく育ってゆくのだ。

【語釈】◇新正 新年。

【補記】旅先で迎えた大晦日、故郷の弟や妹に思いを寄せた詩。第三句「萬里經年別」を句題として大江千里が歌を残している。

【影響を受けた和歌の例】
近からず遥けき程に年を経て別るることは苦しかりけり(大江千里『句題和歌』)

白氏文集卷十三 晩秋閑居
晩秋の閑居かんきよ    白居易

地僻門深少送迎  地はかたより門は深くして送迎そうげいまれ
披衣閑坐養幽情  ころも閑坐かんざし幽情を養ふ
秋庭不掃攜藤杖  秋の庭ははらはず藤杖とうぢやうたづさはりて
閑蹋梧桐黄葉行  しづかに梧桐ごとう黄葉くわうえふんであり

【通釈】わが家は僻地にあり、門は通りから引っ込んでいるので、客人の送り迎えもなく、
上衣を引っ掛けのんびり座ったまま、静かな心をはぐくむ。
秋の庭は掃除せず、藤の杖をひいて
ゆっくりと梧桐の黄葉した落葉を踏んで歩く。

【語釈】◇少送迎 「少」は否定の意であろう。◇梧桐 青桐。アオギリ科の落葉高木。葉は大きく、秋に黄葉する。

【補記】和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど(式子内親王『新古今集』)
人は来ず掃はぬ庭の桐の葉におとなふ雨の音のさびしさ(源通具『万代集』)
踏みわけて誰かとふべきふるさとの桐の葉ふかき庭の通ひ路(飛鳥井雅有『雅有集』)

白氏文集卷十三 冬夜示敏巢 時在東都宅
冬夜とう や 敏巣びんさうに示す 時に東都の宅に在り  白居易

爐火欲銷燈欲盡  爐火 ろ くわ消えなんとし尽きなんとす
夜長相對百憂生  夜長くして相對あひたいして百憂ひやくいうしやう
他時諸處重相見  他時たじ諸処に重ねて相見あひ み んも
莫忘今宵燈下情  忘るるなか今宵こんせう燈下とう か じやう

【通釈】炉の火は消えようとし、灯し火も尽きようとしている。
冬の夜長を君と相対し語り合っていると、次々に憂いが湧いてくる。
いつかどこかで再会できるとしても、
忘れないでくれ、今宵灯火の下で睦み合った心を。

【語釈】◇敏巢 伝未詳。友人であろう。◇東都 洛陽。隋までの都。たびたび副都ともされた。◇百憂 多くの憂い。「憂」とは、敏巣といずれ別れなければならないゆえの憂いである。◇諸処 他の場所。当時の俗語という。◇重相見 再び相まみえる。

【補記】洛陽にいた時、別れを惜しんで敏巣という人に示した詩。藤原基俊撰『新撰朗詠集』に初二句が採られ、慈円と定家がこれを句題とした和歌を残している。正徹の作は題「寄灯恋」。

【影響を受けた和歌の例】
消えぬるかほのめく夜半のともし火にたえぬ思ひはしぎの羽がき(慈円『拾玉集』)
暁は影よわり行くともしびに長き思ひぞひとり消えせぬ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
命かも消えなんとするともしびの光まされる夜々の思ひは(正徹『草根集』)

白氏文集卷十三 題李十一東亭
李十一りじふいち東亭とうていに題す 白居易

相思夕上松臺立  相思うてゆふべ松台しようだいのぼつて立てば
蛩思蟬聲滿耳秋  きりぎりすの思ひ 蟬の声 耳に満つる秋なり
惆悵東亭風月好  惆悵ちうちやうす 東亭 風月のきを
主人今夜在鄜州  主人今夜鄜州ふしう

【通釈】君を思いつつ、夕暮、松林の丘に登って立てば、
きりぎりすの悲しみと蟬の声が耳に満ちる――もう秋だ。
寂しいのは、東亭の清風・明月はかくも素晴らしいのに、
主人の君が今夜鄜州に出掛けていることだ。

【語釈】◇松台 松の生えた台地。◇蛩 コオロギ。日本では古くコオロギの類を「きりぎりす」と呼んだ。◇主人 友人の李十一を指す。◇鄜州 陝西省の地名。長安の北。

【補記】李十一(李建)の東亭に題した詩。和漢朗詠集巻上秋「秋晩」に「相思夕上松台立、蛬思蟬声満耳秋」が引かれ、両句を題にして詠んだ和歌が幾つか見られる。

【影響を受けた和歌の例】
きりぎりすよる松風に声わびて明くるよりまた日ぐらしの声(慈円『拾玉集』)
夕暮は物思ひまさるきりぎりす身をかへて啼くうつせみの声(藤原定家『拾遺愚草員外』)
蟬のこゑ虫のうらみぞ聞こゆなる松のうてなの秋の夕暮(藤原定嗣『新続古今集』)
きりぎりすうらむる庭の夕風に蟬の声さへ秋にかなしき(日野俊光『俊光集』)
蟬の声くるしきよりはきりぎりす秋の思ひの我やまされる(後柏原院『柏玉集』)
きりぎりすなく夕かげの秋風も心にかよふ蟬の声かな(三条西実隆『雪玉集』)
こぬ人をまつのうてなの夕ぐれにうたても啼くか虫の声々(加藤千蔭『うけらが花』)

【参考】「方丈記」
秋は日ぐらしの声耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。

卷十四 律詩二

白氏文集卷十四 八月十五日夜、禁中獨直、對月憶元九
八月十五日の夜、禁中に独りとのゐし、月に対して元九げんきうおも

白居易

銀臺金闕夕沈沈  銀台ぎんだい金闕きんけつ夕べに沈沈ちんちん
獨宿相思在翰林  独り宿り相思ひて翰林かんりん
三五夜中新月色  三五夜中さんごやちゆう新月の色
二千里外故人心  二千里にせんりほか故人こじんの心
渚宮東面煙波冷  渚宮しよきゆう東面とうめん煙波えんぱひややかに
浴殿西頭鐘漏深  浴殿よくでん西頭せいとう鐘漏しようろうは深し
猶恐淸光不同見  ほ恐る清光せいくわうは同じく見ざるを
江陵卑湿足秋陰  江陵こうりよう卑湿ひしつにして秋陰しういんおほ

【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。
私は独り翰林院に宿直し、君を思う。
十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、
二千里のかなたにある、旧友の心よ。
君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、
私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。
それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。
君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。

【語釈】◇銀台 銀作りの高殿を備えた建物。白居易が勤めた翰林院の南の銀台門のことかという。◇金闕 金づくりの楼門。◇翰林 皇帝の秘書の詰め所。翰林院。◇三五夜 十五夜。◇新月 東の空に輝き出した月。◇故人 旧友。◇渚宮 楚王の宮殿。水辺にあった。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇浴殿 浴堂殿。翰林院の東にある。◇鐘漏 鐘と水時計。いずれも時刻を知らせるもの。「鍾漏」とする本もある。◇淸光 月の清らかな光。◇秋陰 秋の曇り。

【補記】元和五年(810)の作。七言律詩。作者三十九歳。八月十五夜、中秋の名月の夜にあって、宮中に宿直した白居易が、親友の元九こと元稹を思って詠んだ詩。元稹は当時左遷されて湖北の江陵にあった。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。また源氏物語須磨帖には、源氏が十五夜の月を見て「二千里のほか、故人の心」と口吟んだことが見える。

【影響を受けた和歌の例】
月きよみ千里の外に雲つきて都のかたに衣うつなり(藤原俊成『玉葉集』)
月を見て千里のほかを思ふかな心ぞかよふ白川の関(藤原俊成『続千載集』)
ふす床をてらす月にやたぐへけむ千里のほかをはかる心は(藤原定家『拾遺愚草』)
雲きゆる千里の外の空さえて月よりうづむ秋の白雪(藤原良経『新後拾遺集』)
更けゆけば千里の外もしづまりて月にすみぬる夜のけしきかな(京極為兼『金玉歌合』)
思ひやる千里の外の秋までもへだてぬ空にすめる月かげ(日野俊光女『新拾遺集』)
月とともに千里の外もすみやゆかんかぎりあるべき鐘のひびきも(中院通勝『通勝集』)

【参考】『源氏物語』須磨
月、いとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しう、所々ながめ給ふらむかしと思ひやりたまふにつけても、月のかほのみ、まぼられ給ふ。「二千里のほか、故人の心」と誦じ給へる、例の、涙もとどめられず。
『徒然草』第百三十七段
望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁ちかくなりて待ち出でたるが、いと心ぶかう、青みたるやうにて、深き山の杉の梢にみえたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。

白氏文集卷十四 晩秋夜
晩秋の夜     白居易

碧空溶溶月華靜  碧空へきくう溶溶ようようとして月華げつくわ静かなり
月裏愁人弔孤影  月裏げつり愁人しうじん孤影こえいとむら
花開殘菊傍疎籬  花ひらきて残菊ざんぎく疎籬そり
葉下衰桐落寒井  葉ちて衰桐すいとう寒井かんゐに落つ
塞鴻飛急覺秋盡  塞鴻さいこう飛ぶこと急にして秋のくるを覚え
鄰雞鳴遲知夜永  鄰鶏りんけい鳴くこと遅くして夜のながきを知る
凝情不語空所思  情をらして語らず だ思ふ所あれば
風吹白露衣裳冷  風白露はくろを吹いて衣裳いしやうひややかなり

【通釈】紺碧の夜空は広々として、月が静かに照っている。
月明かりの中、愁いに沈む人は自らの孤影を悲しんでいる。
色褪せた残菊が疎らな垣に添って咲き、
衰えた桐の葉は寒々とした井戸の上に落ちる。
北辺の鴻が忙しげに空を飛び、秋も末になったと気づく。
隣家の鶏はなかなか鳴き出さず、夜が長くなったと知る。
物言わず一心に物思いに耽っていると、
風が白露を吹いて、いつか夜着は冷え冷えとしていた。

【語釈】◇溶溶 ゆるやかなさま。やすらかなさま。◇愁人 詩人自身を客観視して言う。◇塞鴻 北の辺塞の地から飛来した鴻。鴻は大型の水鳥。ひしくい(大雁)や白鳥の類。

【補記】「鴻飛急覚秋」を句題に大江千里が、「鴻飛急覚秋尽、隣鶏鳴遅知夜永」を句題に慈円と定家が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
ゆく雁の飛ぶこと速く見えしより秋の限りと思ひ知りにき(大江千里『句題和歌』)
いかにせん夜半に待たるる鳥のねをいそがぬ秋と思はましかば(慈円『拾玉集』)
槙の屋にとなりの霜は白妙のゆふつけ鳥をいつか聞くべき(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷十四 惜牡丹花
牡丹花を惜しむ  白居易

惆悵階前紅牡丹  惆悵ちうちやう階前かいぜん紅牡丹こうぼたん
晩來唯有兩枝殘  晩来ばんらい両枝りやうしのみ残れる有り
明朝風起應吹盡  明朝風起らばまさに吹き尽くすべし
夜惜衰紅把火看  夜衰紅すゐこうを惜しみて火をつて

【通釈】悲しいことだ、きざはしのほとりの紅い牡丹が
夕暮、もう二枝しか残っていない。
明朝、風が吹けば散り尽くしてしまうだろう。
夜、衰えてゆく花の色を惜しみ、灯を手に見守るとしよう。

【補記】同題二首の第一首。自注に「翰林院北廳花下作」とあり、翰林院(皇帝の秘書の詰め所)での作と知れる。白居易が翰林学士となったのは元和二年(807)、三十六歳。『千載佳句』に第三・四句が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
ふかみ草あかずや今日もくれなゐの花のともしび夜もなほ見む(中院通村『後十輪院内府集』)

白氏文集卷十四 秋思
秋思しうし     白居易

病眠夜少夢  病眠びやうみんの夜は夢少なく
閒立秋多思  間立かんりつの秋は思ひ多し
寂寞餘雨晴  寂寞せきばくとして余雨よう晴れ
蕭條早寒至  蕭条せうでうとして早寒さうかん至る
鳥棲紅葉樹  鳥は紅葉こうえふの樹に
月照靑苔地  月は青苔せいたいの地を照らす
何況鏡中年  何ぞいはんや鏡中きやうちうの年
又過三十二  た三十二を過ぎたるをや

【通釈】病がちの夜の眠りは夢みることも少なく、
しずかに立って秋の物思いに耽ることが多い。
いつの間にかひっそりと残り雨はやみ、
わびしくも初冬の薄ら寒さが訪れる。
鳥は紅葉の残る樹を選んで棲み、
月は青い苔に覆われた地を冷え冷えと照らしている。
まして言うまい、鏡に映った私の歳、
白髪が交じり始める三十二を過ぎたことなど。

【語釈】◇三十二 白髪混じりの毛髪になるとされた年。潘岳の『秋興賦并序』に「晉十有四年、余春秋三十有二、始見二毛」とある。

【補記】実際に白居易三十二歳の作とすれば、貞元十九年(803)の作。試判抜萃科に及第し、校書郎を授けられて長安常楽里に仮寓していた頃である。「鳥棲紅葉樹」を句題に千里が、「月照青苔地」を句題に実隆が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
秋すぎば散りなむものを啼く鳥のなど紅葉ばの枝にしもすむ(大江千里『句題和歌』)
山風の雲こそあらめ苔のうへの塵もくもらず宿る月かな(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷十四 暮立
暮に立つ     白居易

黄昏獨立佛堂前  黄昏くわうこん独り立つ仏堂の前
滿地槐花滿樹蟬  満地の槐花くわいくわ満樹の蟬
大抵四時心總苦  大抵おほむね四時しいじは心すべてねんごろなり
就中腸斷是秋天  就中このうちはらわたの断ゆることはこれ秋の天なり

【通釈】黄昏時、独り仏堂の前に立つと、
地上いちめん槐(えんじゅ)の花が散り敷き、樹という樹には蟬が鳴く。
おおむね四季それぞれに心遣いされるものであるが、
とりわけ、はらわたがちぎれるほど悲しい思いをするのは秋である。

【語釈】◇槐花 槐(えんじゅ)の花。中国原産のマメ科の落葉高木で、夏に白い蝶形花をつける。立秋前後に散る。◇心總苦 訓は和漢朗詠集(岩波古典大系)に拠る。「心すべて苦しきも」などと訓む本もある。◇就中 その中でも。とりわけて。「なかんづく」とも詠まれる。源氏物語には「中について」として出る(【参考】参照)。◇腸斷 腸が断ち切れる。耐え難い悲しみを言う。『世説新語』、子を失った悲しみのあまり死んだ母猿の腸がちぎれていたとの故事に由来するという。◇秋天 単に秋のことも言う。

【補記】元和六年(811)秋の作。作者四十歳。「大抵四時」以下の句は和漢朗詠集に引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり(読人不知『古今集』)
いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことの限りなりける(読人不知『古今集』)
おしなべて思ひしことのかずかずに猶色まさる秋の夕ぐれ(藤原良経『新古今集』)
さくら花山ほととぎす雪はあれど思ひをかぎる秋は来にけり(藤原定家『拾遺愚草員外』)

【参考】『源氏物語』蜻蛉
夕かげなるままに、花のひもとく御前のくさむらを見わたし給ふ、もののみあはれなるに、中についてはらわたたゆるは秋の天といふことをいと忍びやかに誦じつつ居給へり。

白氏文集卷十四 送王十八歸山寄題仙遊寺
わう十八じふはちの山に帰るを送り、仙遊寺せんゆうじに寄題す  白居易

曾於太白峯前住  かつ太白峰前たいはくほうぜんに住まひ
數到仙遊寺裏來  しばしば仙遊寺せんゆうじいたりてきた
黒水澄時潭底出  黒水こくすい澄める時潭底たんてい
白雲破處洞門開  白雲はくうん破るるところ洞門どうもんひら
林閒煖酒燒紅葉  林間りんかんに酒をあたためて紅葉こうえふ
石上題詩掃緑苔  石上せきじやうに詩をしるして緑苔りよくたいはら
惆悵旧遊無復到  惆悵ちうちやう旧遊きういうた到る無きを
菊花時節羨君廻  菊花きくかの時節君がかへるをうらや

【通釈】かつて太白峰の麓に住み、
しばしば仙遊寺まで出掛けて行ったものだ。
黒水が澄んでいる時は、ふちの底まで見え、
白雲のきれ目に、洞穴の門が開いていた。
林の中で、紅葉を焼いて酒を暖め、
石の上に、緑の苔を掃って詩をしるした。
嘆かわしいのは、あの旧遊の地を再び踏めないこと。
菊の咲くこの時節、山に帰る君が羨ましい。

【語釈】◇太白峰 長安西郊の山。◇仙遊寺 長安西郊にある寺。白居易は元和元年(806)地方事務官となった頃、この寺でしばしば遊んだ。◇黒水 渭水に流れ込む川。◇洞門 洞窟の入口。

【補記】山に帰棲する旧友の王十八すなわち王質夫おうしつぷを送り、かつて共に遊んだ仙遊寺に寄せて作った詩。翰林学士として長安に住んでいた頃の作という。和漢朗詠集の「秋興」の部に「林間煖酒」以下の二句が引かれて名高く、謡曲や俳諧など、この句を踏まえた文句はあまた見られる。

【影響を受けた和歌の例】
林あれて秋のなさけも人とはず紅葉をたきしあとの白雪(藤原定家『拾遺愚草』)
もとにつもる落葉をかきつめて露あたたむる秋のさかづき(藤原良経『秋篠月清集』)
あかなくの色の千しほも染めなすや紅葉のもとの秋のさかづき(中院通村『後十輪院内府集』)
誰か今紅葉をたかむ分け入れば跡なき雪の寒き林に(武者小路実陰『芳雲集』)
いつかまた酒あたためんこのもとの苔に色づく枝のもみぢ葉(松平定信『三草集』)

【参考】『平家物語』巻第六
残れる枝、散れる木の葉をば掻き集めて、風すさまじかりける朝なれば、縫殿の陣にて、酒煖めてたべける薪にこそしてげれ。(中略)天機殊に御快げに打ち笑ませ給ひて、「林間に酒を煖めて紅葉を焼くと云ふ詩の心をば、さればそれらには誰が教へけるぞや。優しうも、仕つたるものかな」。
『徒然草』五十四段
うれしと思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉をたかん人もがな」。

白氏文集卷十四 禁中夜作書、與元九
禁中にて夜ふみき、元九げんきうに与ふ  白居易

心緒萬端書兩紙  心緒しんしよ万端ばんたん両紙りやうしに書き
欲封重讀意遲遲  ふうぜんとして重ねて読みこころ遅遅ちちたり
五聲宮漏初鳴後  五声ごせい宮漏きゆうろう初めて鳴るのち
一點窗燈欲滅時  一点いつてん窓灯さうとうえなんとする時

【通釈】思いのたけを紙二枚にしたため、
封をしようとしては読み返し、心はためらう。
五更を告げる水時計が鳴り始めたばかりの頃
一点の窓のともし火が今にも消えようとする時。

【語釈】◇五聲 五更(午前三時~五時頃)を告げる音。◇宮漏 宮殿の水時計。

【補記】左拾遺として宮中に仕えていた三十八、九歳頃、湖北省江陵に左遷されていた親友の元九(元稹)のもとへ贈った詩。手紙の内容は言わず、友への思いはしみじみと伝わる。第三・四句が和漢朗詠集の巻下「暁」の部に採られている。但し「初鳴後」が「初明後」となっており、普通「初めて明けて後」と訓まれる。

【影響を受けた和歌の例】
これのみとともなふ影もさ夜ふけて光ぞうすき窓のともし火(道助親王『新勅撰集』)
つくづくと明けゆく窓のともし火のありやとばかりとふ人もなし(藤原定家『玉葉集』)

白氏文集卷十四 秋蟲
秋の虫   白居易

切切闇窗下  切切たり闇窓あんさうもと
喓喓深草裏  喓喓えうえうたり深草しんさううち
秋天思婦心  秋の天の思婦しふの心
雨夜愁人耳  雨の愁人しうじんの耳

【通釈】暗い窓の下、胸に迫るばかりに、
深い草の中で、虫が頻りに鳴いている。
秋の空に遠い夫を思う妻の心、
雨の夜の愁いに沈むその人の耳に。

【語釈】◇喓喓 虫が頻りに鳴くさま。◇思婦旅にある夫を思う妻。 ◇愁人 愁いをもつ人。「思婦」と同じ人を指す。

【補記】和漢朗詠集に全文引用されている。但し第一句「切切暗窓下」、第二句「喓喓深草中」。

【影響を受けた和歌の例】
草ふかき宿のあるじともろともにうき世をわぶる虫の声かな(慈円『続後撰集』)
くらき窓ふかき草葉に鳴く虫の昼はいづこに人めよくらむ(宗尊親王『竹風和歌抄』)
草ふかき陰をたのむもきりぎりす尚露けしとわびて鳴くなり(中院通勝『通勝集』)

白氏文集卷十四 南秦雪
南秦なんしんの雪   白居易

往歳曾爲西邑吏  往歳わうさいかつ西邑せいいふ
慣從駱口到南秦  駱口らくこうより南秦に到るに
三時雲冷多飛雪  三時さんじ雲冷やかにして多く雪を飛ばし
二月山寒少有春  二月にがつ山寒くして春有ること少なし
我思舊事猶惆悵  我は旧事を思ひて惆悵ちうちやう
君作初行定苦辛  君は初行しよかうして定めて苦辛くしんせん
仍賴愁猿寒不叫  さいはひ愁猿しうゑん寒うして叫ばず
若聞猿叫更愁人  し猿の叫ぶを聞かば更に人をうれへしめん

【通釈】往年、私は西邑の官吏となり、
駱口から南秦への道を通い慣れたものだ。
春夏秋の三時も雲は冷え冷えとして、雪を舞わせることが多く、
二月になっても山は寒々として、春らしい季節は短い。
私はその頃のことを思い出して、さらに嘆き悲しむ。
あなたは初めての旅で、さぞかし苦労していることだろう。
しかし幸いなことに、寒すぎて猿が悲しげに叫ぶことはない。
もし猿が叫ぶのを聞けば、ひとしお君を悲しませるだろう。

【語釈】◇西邑 長安西郊の盩厔県。白居易は元和元年(806)その県尉となり、翌年まで滞在した。◇駱口 蜀へ向かう南山路の入口にある駅。

【補記】元和四年(809)三月、元稹が監察御史として蜀の東川に派遣された時三十二首の詩を詠み、白居易はそのうち十二首に和して酬いた。その第二首。下に引いた枕草子の歌は、当詩の頷聯を踏まえる。下句は藤原公任が第四句の「少有春」を「少し春ある」と訓んで翻案したものであり、これに清少納言が付けた上句は第三句の「雲冷多飛雪」を翻案したものである。

【影響を受けた和歌の例】
空寒み花にまがへてちる雪にすこし春ある心ちこそすれ(清少納言・藤原公任『枕草子』)
うづみ火にすこし春ある心ちして夜ぶかき冬をなぐさむるかな(藤原俊成『風雅集』)

白氏文集卷十四 嘉陵夜有懷二首
嘉陵かりようよるくわい有り 白居易

露濕牆花春意深  露は牆花しゃうくわ湿うるほして春意しゆんい深し
西廊月上半床陰  西廊せいらうに月のぼ半床はんしやうかげなり
憐君獨臥無言語  憐れむ 君が独りして言語げんご無きを
唯我知君此夜心  だ我のみ君が此の夜の心を知る

其二
不明不暗朧朧月  明ならず暗ならず朧朧ろうろうたる月
不暖不寒慢慢風  暖ならず寒ならず慢慢まんまんたる風
獨臥空床好天氣  独り空床くうしやうに臥して天気
平明閒事到心中  平明間事かんじ心中しんちうに到る

【通釈】露は垣根の花を潤して、春のあわれが深い。
西の渡殿に月が昇り、寝床の半ばを照らしている。
悲しく思う、君が独り言葉も無く床に臥していることを。
ただ私だけが、君の今夜の心を知っている。
 
其の二
明るくもなく、暗くもない、おぼろな月。
暑くもなく、寒くもない、ゆるやなか風。
私は独り寝床に臥して、天気は穏やか。
明け方、つまらぬ事ばかり心に浮かんで来る。

【語釈】◇平明 夜明け。◇間事 無駄な心配事を言うのであろう。

【補記】元和四年(809)三月、元稹が監察御史として蜀の東川に派遣された時三十二首の詩を詠み、白居易はそのうち十二首に和して酬いた。その第八・九首。那波本白氏文集では其の二の初句は「不明不闇朦朧月」とする。ここでは『全唐詩』などに拠り、我が国でより流通している本文を採った。『千載佳句』巻上「春夜」、『新撰朗詠集』巻上「春夜」、いずれも「其二」の首聯を「不明不暗朧朧月、非暖非寒漫漫風」として引く。下記、大江千里・藤原隆房の歌はいずれも其二初句を題とした和歌である。また讃岐以下の歌は、直接的には千里の「照りもせず」歌の本歌取りであり、白氏の詩は間接的に影響を与えていると言うべきであろう。

【影響を受けた和歌の例】
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜づきよにしく物ぞなき(大江千里『句題和歌』『新古今集』)
暑からず寒くもあらずよきほどに吹き来る風はやまずもあらなむ(大江千里『句題和歌』)
くまもなくさえぬものゆゑ春の夜の月しもなぞやおぼろけならぬ(藤原隆房『朗詠百首』)
てりもせず雲もかからぬ春の夜の月は庭こそしづかなりけれ(讃岐『千五百番歌合』)
大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月(藤原定家『新古今集』)
吉野山てりもせぬ夜の月かげにこずゑの花は雪とちりつつ(後鳥羽院『千五百番歌合』)
志賀の浦のおぼろ月夜の名残とてくもりもはてぬ曙の空(後鳥羽院『元久詩歌合』)
てりもせぬ月のつくまも見ゆばかりあたら夜ごとに霞む空かな(藤原信実『洞院摂政家百首』)
てりもせずおぼろ月夜のこち風にくもりはてたる春雨ぞふる(藤原為家『夫木和歌抄』)
照りもせずかすめばかすむ月ゆゑは曇りもはてじ人の俤(順徳院『紫禁和歌集』)
月ぞ猶くもりもはてぬ山の端はあるかなきかに霞む夕べに(頓阿『草庵集』)
かすみつつ曇りもはてずながき日に朧月夜を待ちくらしぬる(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
吉野山咲きものこらぬ花の上にくもりもはてずあり明の月(松永貞徳『逍遥集』)
てりもせぬ春の月夜の山桜花のおぼろぞしく物もなき(本居宣長『鈴屋集』)
てりもせぬおぼろ月夜のをぐら山されどもあかず花かげにして(香川景樹『桂園一枝拾遺』)

白氏文集卷十四 贈内
ないに贈る     白居易

漠漠闇苔新雨地  漠漠ばくばくたる闇苔あんたい 新雨しんうの地
微微涼露欲秋天  微微びびたる涼露りやうろ 秋ならんとする天
莫對月明思往事  月明げつめいに対して往事わうじを思ふことなか
損君顏色減君年  君が顔色がんしよくを損じて君が年をげんぜん

【通釈】果てしもなく苔に覆われた、雨上りの大地。
うっすらと涼しげな露が降りる、秋になろうとする天。
月明かりに向かって、昔を偲んではいけない。
あなたの容色を損ない、あなたの寿命を縮めるだろうから。

【語釈】◇漠漠 果てしないさま。◇闇苔 びっしりと覆っている苔。

【補記】晩夏、妻を思い遣って贈った詩。『千載佳句』巻上晩夏の部に初二句が引かれている。在原業平の名高い歌は第三・四句と一見よく似ているの一応掲げておいたが、業平の歌は天体としての「月」と歳月としての「月」をわざと同一視してみせた諧謔的趣向に眼目があり、趣旨は白詩と全く異なるものである。土御門院の御製は第三句の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
おほかたは月をもめでしこれぞこのつもれば人の老いとなるもの(在原業平『古今集』)
袖の月に昔の秋な思ひ出でそそれゆゑにこそ影もやつるれ(土御門院『土御門院御集』)

白氏文集卷十四 王昭君
王昭君     白居易

滿面胡沙滿鬢風  めんに満つる胡沙こさ びんに満つる風
眉銷殘黛臉銷紅  眉は残黛ざんたいほほくれなゐせり
愁苦辛勤憔悴盡  愁苦しうく辛勤しんきんして 憔悴せうすゐし尽き
如今却似畫圖中  如今じよこん かへつて画図がとうちに似たり

【通釈】顔じゅうに砂漠の砂がくっつき、鬢の毛には絶えず風が吹きつけて、
眉墨も頬紅も、跡形なく消えてしまった。
愁いと苦しみの多い辛いお勤めで、憔悴し切り、
今や、絵師が偽って醜く描いた画中の姿に似てしまった。

【補記】王昭君は漢の元帝に仕えた数多の宮女の一人で、人並すぐれた美貌の持ち主であったが、画師に賄賂を送らなかったために肖像画を醜く描かれ、これを見た帝によって醜女と誤られ、匈奴の呼韓邪単于こかんやぜんうのもとに嫁として送られた。都からの迎えを待ち望みつつ、ついに異郷に骨を埋めた。和漢朗詠集巻下雑に「王昭君」の題があり、「愁苦辛勤顦顇尽 如今却似画図中」が引かれている。平安時代以後、「長恨歌」などと共に絵物語の題材として好まれた。和歌にも「王昭君」の題で詠まれた歌は数多いが、必ずしも白氏文集を踏まえているわけではない。

【影響を受けた和歌の例】
見るからに鏡の影のつらきかなかからざりせばかからましやは(懐円法師『後拾遺集』)
歎きつつおとろへにける我が身かなこや書替へし姿なるらん(源仲綱『治承三十六人歌合』)
うつすとも曇りあらじと頼みこし鏡の影のまづつらきかな(藤原定家『拾遺愚草』)
しらざりき鏡の影をたのみてもうつしかへける筆の跡まで(公朝『夫木和歌抄』)
さぞな憂き其のうつし絵にいつはりのなき世なりせばかからましやは(飛鳥井雅康『雅康集』)
紅のにほひも消えてます鏡見しにもあらぬ影やかなしき(肖柏『春夢草』)
まそ鏡むかふも憂しと忍ぶらん筆のすさみのさがにくき世に(村田春海『琴後集』)
うつし絵の筆のすさびのぬれ衣かさねて君が恨をぞみる(松平定信『三草集』)

卷十五 律詩三

白氏文集卷十五 苦熱題恆寂師禪室
熱に苦しみ、恒寂師こうじやくしの禅室に題す 白居易

人人避暑走如狂  人人しよを避け走りてきやうするが如し
獨有禪師不出房  独り禅師のばうを出でざる有り
不是禅房無熱到  れ禅房に熱の到ること無きにはあら
但能心靜卽身涼  く心静かなれば即ち身も涼し

【通釈】世の人々は暑さを避けて狂ったように家を逃げ出す。
独り禅師のみは房中に籠もったままでいる。
師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。
ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。

【補記】酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩。和漢朗詠集の巻上夏「納涼」に第三・四句が引かれている。那波本は第三句「可是…」とし、この場合「はたしてれ…」と訓まれる。大江千里と一条実経の歌は第四句の、他は第三・四句の句題和歌である。また為家の歌は「心静即身涼」の句題和歌。因みに第四句は荀鶴じゆんかくの「滅却心頭火亦涼(心頭滅却すれば火も亦た涼し)」に似るが、白詩の方が時代は先んじる。

【影響を受けた和歌の例】
我が心しづけき時は吹く風の身にはあらねど涼しかりけり(大江千里『句題和歌』)
心をや御法の水もあらふらむひとりすずしき松のとざしに(慈円『拾玉集』)
嵐山すぎの葉かげのいほりとて夏やはしらぬ心こそすめ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
しづかなる心ぞ夏をへだてけるてる日にもるる宿ならねども(寂身『寂身法師集』)
おのづから心しづけきむろの中は身さへ涼しき夏衣かな(藤原為家『為家集』)
人とはぬ深山の庵のしづけきに夏なきものは心なりけり(一条実経『円明寺関白集』)

白氏文集卷十五 燕子樓
燕子楼   白居易

滿窗明月滿簾霜  満窓まんさうの明月満簾まんれんの霜
被冷燈殘払臥床  は冷やかにとううすれて臥床ふしどを払ふ
燕子樓中霜月夜  燕子楼えんしろううち霜月さうげつ
秋來只爲一人長  秋きたつてただ一人いちじんの為に長し

【通釈】窓いっぱいに輝く月、簾いちめんに降りた霜。
掛布は冷ややかで、燈火は寝床をうすく照らしている。
燕子楼の中で過ごす、霜のように冴えた月の夜は、
秋になって以来、ただ私ひとりのために長い。

【語釈】◇燕子樓 徐州の長官、張氏の邸内の小楼。張氏の愛妓眄眄めんめんが、張氏の死後十余年ここに住んで独身を守った。楼の名は二夫を持たないという燕に因む。◇只爲一人長 自分にとってだけ長いのかと嘆く心。夫を失った独り身ゆえに、夜が一層長く感じられる。

【補記】「燕子楼」三首の一。燕子楼に孤閨を守る女性の身になって作った詩。楼に愛妓を囲っていた張氏は作者と旧知の間柄であり、実話に基づく詩である。和漢朗詠集の「秋夜」に第三・四句が採られている。

【影響を受けた和歌の例】
月みれば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(大江千里『古今集』)
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影(藤原定家『新古今集』)
ひとりのみ月と霜とにおきゐつつやがて我が世もふけやしにけむ(藤原良経『新続古今集』)

【参考】『狭衣物語』巻四
文のけしきなども、ただおほかたに思はせたるなつかしさをば、おろかならぬさまに言ひなさせ給へるさまなども、さし向かひ聞こえさせたる心地のみせさせ給ひて、いとど御とのごもるべうもなければ、「燕子楼のうち」とひとりごたれ給ひつつ、丑四つと申すまでになりにけり。

白氏文集卷十五 歳晩旅望
歳晩旅望     白居易

朝來暮去星霜換  朝来てうらい 暮去 ぼ きよ 星霜せいさうかは
陰慘陽舒氣序牽  陰惨いんさん 陽舒ようじょ 気序 き じよ
萬物秋霜能壞色  万物ばんぶつは秋の霜く色をやぶ
四時冬日最凋年  四時しいじは冬の日最も年をしぼましむ
煙波半露新沙地  煙波えん ぱ 半ばあらは新沙しんさの地
鳥雀羣飛欲雪天  鳥雀てうじやく群がり飛ぶ 雪ふらんとする天
向晩蒼蒼南北望  晩に向ひ蒼蒼さうさうとして南北を望めば
窮陰旅思兩無邊  窮陰きゆういん 旅思りよ し ふたつながら辺無し

【通釈】朝が来ては夕が去り、歳月は移り変わる。
陰気と陽気が往き交い、季節は巡る。
万物に対しては、秋の霜がひどくその色をそこなう。
四季のうちでは、冬の日が最も一年を衰えさせる。
煙るような水面に新しい砂地が半ばあらわれ、
小鳥たちが雪もよいの空を群なして飛んでゆく。
夕暮、蒼々と昏れた空に北方を望めば
冬の果ての陰鬱も旅の憂愁も、限りなく深い。

【語釈】◇朝来暮去 日々が繰り返すこと。◇星霜 年月。歳月。◇陰惨陽舒 陰気と陽気。曇って傷ましい気候と、晴れて穏やかな気候。◇気序 季節の順序。四季。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇新沙地 新しい砂地。◇鳥雀 雀など、里にいる小鳥の類。◇蒼蒼 夕空の蒼く澄み切ったさま。◇南北望 南北方向に望む。つまりは北の長安の都を望郷する。◇窮陰 冬の果ての陰気。◇旅思 旅愁。「離思」とする本もある。

【補記】元和十年(815)の暮、旅中にあって晩冬の景を眺め、旅の思いを述べた詩。「萬物秋霜能壞色 四時冬日最凋年」の二句が和漢朗詠集の巻上冬、「霜」の部に引かれる。次に引用する和歌は、すべて「萬物秋霜能壞色」を句題とした作である。

【影響を受けた和歌の例】
秋の色を冬の物にはなさじとて今日よりさきに霜のおきける(慈円『拾玉集』)
下草の時雨もそめぬ枯葉まで霜こそ秋の色はのこさね(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮れてゆく秋を思はぬ常磐木も霜にはもるる色なかりけり(寂身『寂身法師集』)
雲ゐゆくつばさも冴えて飛ぶ鳥のあすかみゆきのふるさとの空(土御門院『玉葉集』)
夕こりの雲もむれゐる雪もよにねぐらや鳥のおもひ立つらん(望月長孝『広沢輯藻』)

白氏文集卷十五 放言 其一
放言 其の一   白居易

朝眞暮僞何人辨  朝真てうしん暮偽ぼぎ 何人なんびとべんぜん
古往今來底事無  古往こわう今来きんらい 底事なにごとか無からん
但愛臧生能詐聖  だ愛す 臧生ざうせいせいいつはるを
可知甯子解佯愚  知る甯子ねいしいつはるを
草螢有耀終非火  草蛍さうけい耀ひかり有れどもつひに火にあら
荷露雖團豈是珠  荷露かろまどかなりといへどたまならんや
不取燔柴兼照乘  取らず 燔柴はんさい照乗せうじよう
可憐光彩亦何殊  あはれ光彩くわうさいた何ぞことならん

【通釈】朝と夕で真実と虚偽が入れ替わる。誰が真偽を弁別できよう。
昔から今に到るまで、そうでなかったためしなどあろうか。
ただ、臧の丈人が聖王を煙に巻いたのは愛すべきことであるし、
また甯武子が非道の世に愚者を装ったのも感じ入るところだ。
草葉の蛍は光り輝いても、結局本当の火ではない。
蓮の葉の露は丸いと言っても、本当の珠だろうか。
燔祭の炎も、照乗の珠も、私は取らない。
ああ、それらの美しい輝きも、蛍の火や蓮の葉の露と何の異なるところがあろう。

【語釈】◇朝眞暮僞 真と偽の見分け難いことを言う。◇底事無 この「底」は疑問や反語をあらわす副詞。ここは反語で、《どうして無いことがあろう、いやいつでもあったのだ》といった意になる。◇臧生能詐聖 「臧生」は『荘子』外篇「田子方篇」に見える臧の丈人。周の文王より師と仰がれ、無為自然の政治を尋ねられると、文王を煙に巻いて消息を絶った。「詐聖」はそのことを言う。◇甯子解佯愚 「甯子」は『論語』公治長篇に見える「甯武子(ねいぶし)」。「邦に道あれば則ち知、邦に道なければ則ち愚」(国に道が行われている時は智者で、行われていない時は愚者を装った)。◇荷露 「荷」は蓮の葉。◇燔柴 柴を敷いた上に犧牲を置き、燃やして神に捧げる儀式。◇照乘 照車とも。前後十二台の車を明るく照らしたという珠玉。『史記』などに見える。◇可憐 ここは歎息の心であろう。

【補記】元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第一首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。正義を求めた上訴を理由に、自身を左遷した朝廷に対する批判を籠めた詩である。元和十年(815)の作であろう。
露を珠に喩えたのはこの詩に限らないが、遍昭の歌はおそらく法華経湧出品と掲出詩を踏まえたものであろう。「荷露似珠」「荷露成珠」などの題で詠まれた和歌には、直接的・間接的に掲出詩を踏まえたと思われるものが多い。また「草蛍」などの題で詠まれた歌にも掲出詩の「草螢有耀終非火」の句の影響が窺える。『伊勢物語』の歌(新古今集では在原業平作)の類似は或いは偶然かも知れないが、当時流行した《まぎらわしさ》の趣向が漢詩の影響下にあることは間違いない。

【影響を受けた和歌の例】
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(遍昭『古今集』)
はるる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か(『伊勢物語』)
難波江の草葉にすだく蛍をば蘆間の舟のかがりとやみん(藤原公実『堀河百首』)
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影(源実朝『金槐和歌集』)
蛍ゐる蓮の上のしら露や色をかへたる玉みがくらん(正徹『草根集』)
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん(小沢蘆庵『六帖詠草』)

白氏文集卷十五 放言 其五
放言 其の五  白居易

泰山不要欺毫末  泰山たいざん毫末がうまつあざむくを要せず
顔子无心羡老彭  顔子がんし老彭らうはううらやむに心
松樹千年終是朽  松樹しようじゆ千年せんねんつひに是れ朽ち
槿花一日自爲榮  槿花きんくわ一日いちじつみづかえいと為す
何須戀世常憂死  何ぞもちゐむ 世をしたひて常に死をうれふるを
亦莫嫌身漫厭生  た身を嫌ひてみだりに生をいとふなかれ
生去死來都是幻  生去せいきよ死来しらい すべて是れ幻
幻人哀樂繋何情  幻人げんじんの哀楽 何のじやうにかけむ

【通釈】泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、
顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。
松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、
朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。
されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。
さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。
生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。
幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。

【語釈】◇泰山 五岳の一つ。太山とも書く。崇高壮大なものや大人物の譬えとされる。◇顔子 孔子の高弟、顔回。師より将来を嘱望されたが夭折した。◇老彭 彭祖。殷の時代の仙人で、八百歳の長寿を保ったという。◇槿花 木槿むくげの花。朝咲いて夕方には凋む。日本ではこれを朝顔(今のアサガオと同種)として受け取ったようである。◇生去死來 生死を繰り返すこと。

【補記】制作事情などは同題の其一を見られたい。第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「槿あさがほ」の部に採られている。為家の歌は「槿花一日」、橘忠能の歌は「槿花一日栄」を題とする。「敦盛」「関寺小町」など多くの謡曲に「槿花一日自爲榮」を踏まえた章句が見える。

【影響を受けた和歌の例】
千年ふる松だに朽つる世の中に今日とも知らでたてる我かな(性空上人『新古今集』)
朝顔の暮を待たぬもおなじこと千とせの松に果てしなければ(藤原清輔『久安百首』)
おのづからおのが葉かげにかくろへて秋の日くらす朝がほの花(藤原為家『為家集』)
あだなりや夕陰またず一時をおのが世とみる朝顔の花(橘忠能『難波捨草』)

卷十六 律詩四

白氏文集卷十六 江樓宴別
江楼かうろう宴別えんべつ   白居易

樓中別曲催離酌  楼中ろうちゆう別曲べつきよく離酌り しゃくうなが
燈下紅裙閒綠袍  燈下とうか紅裙こうくん緑袍りよくはうまじは
縹緲楚風羅綺薄  縹緲へうべうたる楚風 そ ふう 羅綺らき薄く
錚鏦越調管弦高  錚鏦さうさうたる越調ゑつてう 管弦くわんげん高し
寒流帶月澄如鏡  寒流かんりう月を帯びて澄めること鏡の如し
夕吹和霜利似刀  夕吹せきすい霜にくわしてきことかたなに似たり
尊酒未空歡未盡  尊酒そんしゆいまむなしからず くわんも未だ尽きず
舞腰歌袖莫辭勞  舞腰 ぶ えう 歌袖 か しう らうするなか

【通釈】楼閣の中、奏でる別れの曲が、訣別の盃を人々に促す。
燈火の下、妓女の紅の裳が、役人の緑衣と入り混じっている。
楚地のかすかな風に、翻る美女の衣服は薄く、
冴え冴えとした越の調べに、管弦の響きは高い。
寒々とした長江の流れは、月光を映して、鏡のように澄み切っている。
夕方の風は、霜の気と相和して、刀のように鋭い。
樽酒はまだ空にならず、交情もなお尽きない。
舞する腰も、歌うたう袖も、労を惜しんではならぬ。

【語釈】◇別曲 別れの曲。◇離酌 別れの盃。◇紅裙 紅の裳。妓女のスカート。◇緑袍 緑色の上着。色によって階級別に定められていた官吏の制服。◇楚風 楚の地を吹く風。楚は長江中流域を領有した国。◇羅綺 羅(うすもの)と綺(あやぎぬ)。美しい衣服のこと。◇錚鏦 金管楽器による冴えた音の響き。◇越調 唐楽の音調の一つ。強く、悲痛な調子。◇夕吹 夕風。◇尊酒 「尊」は樽に同じ。◇舞腰 舞う腰つき。◇歌袖 歌い舞う袖。

【補記】長江のほとりで送別の宴を催した時の作。「寒流帶月澄如鏡 夕吹和霜利似刀」の二句が和漢朗詠集巻上冬「歳暮」の部に引かれている。特に「寒流帶月…」は好んで句題とされた。下記引用歌のうち定家第一首と実陰の歌を除き、全て同句の句題和歌である。

【影響を受けた和歌の例】
氷わけ流れにすめる月影はたまくしげなる鏡とぞ見る(大江匡房『江帥集』)
月故ぞ水は鏡となりにける木の葉がくれをはらふ浪間に(慈円『拾玉集』)
にほの海や氷をてらす冬の月浪にますみの鏡をぞしく(藤原定家『拾遺愚草』)
山水にさえゆく月のますかがみ氷らずとても流るとも見ず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
いほさきのすみだ河原の川風に氷の鏡みがく月かげ(土御門院『土御門院御集』)
鏡かと氷れる枝の月寒し御室の榊霜白き夜に(武者小路実陰『芳雲集』)
冬の夜もこほらぬみをの一すぢをよすがにやどる月ぞさむけき(加藤千蔭『うけらが花』)
霜氷る葦の枯葉に風さえて月すさまじき淀の川なみ(村田春海『琴後集』)
枝かはす木々のこのはも散りはてて細谷川に月ぞやどれる(熊谷直好『浦のしほ貝』)

白氏文集卷十六 櫻桃花下歎白髮
桜桃あうたう花下くわか 白髪はくはつを歎ず 白居易

逐處花皆好  処をひて花皆
隨年貌自衰  年にしたがひてかたちおのづから衰ふ
紅櫻滿眼日  紅桜かうあう眼に満つる日
白髮半頭時  白髪かしら半ばになる時
倚樹無言久  樹にりてげん無きこと久しく
攀條欲放遲  えだぢて放たんとすること遅し
臨風兩堪歎  風に臨みてふたつながら歎くにへたり
如雪復如絲  雪の如くた糸の如し

【通釈】処々、花はみな美しいが、
年々、容貌は自然と衰える。
紅い桜桃ゆすらうめが満目に咲き誇る今日、
白い髪は既に頭の半ばを覆っている。
樹に寄りかかっては、久しく黙り込み、
枝を引き寄せては、いつまでも離さずにいる。
春風に吹かれて、二つながら嘆きに堪えない。
私の髪が雪のように白く、糸のように細いことに。

【語釈】◇逐處 どこへ行っても。至るところ。◇紅櫻 紅いユスラウメ。中国では桜はユスラウメを指す。

【補記】定家の歌は「逐処花皆好、隋年貌自衰」を句題とした作。

【影響を受けた和歌の例】
色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(紀友則『古今集』)
宿ごとに花のところはにほへども年ふる人ぞ昔にもにぬ(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷十六 晩春登大雲寺南樓、贈常禪師
晩春、大雲寺の南楼に登り、常禅師に贈る 白居易

花盡頭新白  花尽きてかしら新たに白し
登樓意若何  楼に登るもこころ若何いかん
歳時春日少  歳時春日しゆんじつ少なく
世界苦人多  世界苦人くじん多し
愁醉非因酒  愁酔しうすゐは酒にるにあらず
悲吟不是歌  悲吟ひぎんは是れ歌ならず
求師治此病  師に此の病をせんことを求むれば
唯勸讀楞伽  唯に楞伽りようがを読まんことを勧む

【通釈】花は散り果て私の頭は白髪が増えた。
高楼に登っても心は如何ともし難い。
一年の中で穏やかな春の日は少なく、
世の中には苦しむ人ばかりが多い。
憂鬱な酔いは単に酒のせいではない。
悲しみにひしがれて詠ずる歌は歌にならぬ。
禅師にこの病を治して頂くようお願いすると、
ただ楞伽経を読めと勧めて下さる。

【語釈】◇楞伽 楞伽経。楞伽(スリランカ)で説かれたという経典で、禅宗で重んじられた。

【補記】常禅師すなわち智常禅師に贈ったという歌。大江千里の歌はもと『句題和歌』に見える「歳時春少」を句題とする作。定家のは「歳時春日少」の、慈円のは「歳時春日少、世界苦人多」の句題和歌である。また頓阿以下の歌は全て『頓阿句題百首』所収歌で、「歳時春少」の句題和歌。同百首は貞治四年(1365)閏九月五日に周嗣が編集・書写したものという(新編国歌大観解題)。

【影響を受けた和歌の例】
年月にまさる時なしと思へばや春しもつねにすくなかるらん(大江千里『新勅撰集』)
暮れて行く春はかすみの色ながらあやしくぬるる人の袖かな(慈円『拾玉集』)
いたづらに春日すくなき一年のたがいつはりにくるるすがのね(藤原定家『拾遺愚草員外』)
をしまるる心なればやいつはりも春の過ぐるは程なかるらん(頓阿『頓阿句題百首』)
夢なれや春は幾日もあら玉の年にまれなる花の面かげ(良守上人)
尋ねばや花なき里にすむ人も過ぐる月日は春ぞ少なき(僧都良春)
春は猶あかで暮れぬと思へばやおなじ日数の分けて程なき(頓宗)
一とせの月日を春にすぐすとも花は別れや程なかるべき(周嗣)

白氏文集卷十六 春末夏初 閒遊江郭 其二
春末しゆんまつ夏初かしよ江郭かうくわく間遊かんいうす 其の二 白居易

柳影繁初合  柳影りうえい繁くして初めて合ひ
鶯聲澁漸稀  鶯声あうせい渋くしてややく稀なり
早梅迎夏結  早梅さうばい夏を迎へて結び
殘絮送春飛  残絮ざんじよ春を送りて飛ぶ
西日韶光盡  西日せいじつ韶光せいくわう尽き
南風暑氣微  南風なんぷう暑気しよきかすかなり
展張新小簟  新しき小簟せうてん展張てんちやう
熨帖舊生衣  旧き生衣せいい熨帖ゐてふ
綠蟻杯香嫩  緑蟻りよくぎさかづきかうわか
紅絲膾縷肥  紅糸こうし鱠縷くわいるこえたり
故園無此味  故園こゑんに此の味無し
何必苦思歸  何ぞ必しもねんごろに帰るを思はん

【通釈】柳の葉は盛んに繁って、その影はついに重なり合い、
鶯の声は滞って、しだいに稀になった。
早生りの梅は夏を迎えて結実し、
残りの柳絮は春を見送るように飛び漂う。
西日のうららかな光は尽きたが、
南風のもたらす暑気はまだかすかだ。
夏用の新しい茣蓙を敷いて、
旧年の夏衣にひのしをかける。
美酒を満たした杯の香は初々しく、
紅い糸のように切ったなますはよく肥えている。
故郷の長安にこの味は無い。
どうして帰りたいと悩む必要があろう。

【語釈】◇韶光 うるわしい光。春の陽光。◇小簟 「簟」は竹で編んだ莚。◇生衣 生絹で仕立てたひとえの衣服。夏用の衣服。◇熨帖 火熨斗ひのしをかける。今のアイロンにあたる。◇鱠縷 糸状に切ったなます(魚肉を酢に浸したもの)。「膾縷」とする本もある。

【補記】晩春から初夏にかけて江州(江西省と湖北省南部にまたがる地域)に遊んだ時の詠。二首あるうちの第二首。白居易が江州に左遷されていたのは元和十年(815)から十三年まで。第二句を句題として大江千里・小沢蘆庵が歌を作っている。

【影響を受けた和歌の例】
鶯はときならねばや鳴く声のいまはまれらに成りぬべらなる(大江千里『句題和歌』)
鳴きとめぬ花の梢はうぐひすのまれになりゆく声にこそしれ(小沢蘆庵『六帖詠草』)

白氏文集卷十六 階下蓮
きざはしもとはちす    白居易

葉展影翻當砌月  葉びては影ひるがへみぎりに当れる月
花開香散入簾風  花ひらけては散ず すだれる風
不如種在天池上  かず 天池てんちの上にゑて在らんには
猶勝生於野水中  まされり 野水やすいうちしやうずるには

【通釈】蓮の葉が伸びて、その影が翻っている――石畳に射す月光の下。
蓮の花が咲いて、その香がまき散らされる――簾へと吹き入る風の中。
天上の池に植えておくに如くはないが、
かと言って野中の泥水に生えるのよりはましだ。

【語釈】◇砌 池の岸などに石を敷いた所。石畳。◇天池 天上の池。◇野水 野中にある沼などを言う。

【補記】江州司馬に左遷されていた頃の作。自身を階下の蓮になぞらえ、「天池」に長安の都を、「野水」に左遷の地江州を暗に喩えたとみる説がある。和漢朗詠集巻上夏の「蓮」の部に初二句を採る。肥後の歌を始め「花入簾」「落花入簾」等の題で詠まれた歌は、おそらく掲出詩の第二句の影響を受けていると思われる(但し和歌では「花」は普通桜を指すことになる)。

【影響を受けた和歌の例】
玉簾ふきまふ風のたよりにも花のしとねを閨にしきける(肥後『肥後集』)
明け方は池の蓮もひらくれば玉のすだれに風かをるなり(藤原俊成『長秋詠藻』)
軒近き花橘の風ふれてすだれの内も香に匂ふなり(冷泉為村『為村集』)

白氏文集卷十六 香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁
香鑪峰下かう ろ ほう か 、新たに山居さんきよぼくし、草堂初めて成り、たまた東壁とうへきに題す  白居易

五架三閒新草堂  五架ごか三間さんげんの新草堂さうだう
石階桂柱竹編墻  石階せきかい 桂柱けいちう 竹編ちくへんしやう
南簷納日冬天煖  南簷なんえん日をれて 冬天とうてん あたたかに
北戸迎風夏月涼  北戸ほくこ風を迎へて 夏月かげつ涼し
灑砌飛泉纔有點  みぎりそそ飛泉ひせん わづかに点有り
拂牕斜竹不成行  窓を払ふ斜竹しやちく かうを成さず
來春更葺東廂屋  来春らいしゆん 更に東廂とうしやうをく
紙閣蘆簾著孟光  紙閣しかく蘆簾ろれん 孟光まうくわうけん

【通釈】新しい草堂は奧行五間、間口三間。
石段と香木の柱、竹で編んだ垣根。
南の軒から陽が射し込み、冬の日も暖かく、
北の戸から風を迎えて、夏の日も涼しい。
石畳にそそぐ泉のしぶきは、わずかに滴を飛ばす。
窓をこする竹は斜めに生えて、不揃いのまま。
来春には、更に東の廂の屋根を葺き、
紙障子の部屋に蘆のすだれを垂れて、細君の部屋としよう。

【語釈】◇桂柱 桂(常緑の香木の類)で造った柱。◇點 水しぶきのしずく。◇不成行 行列を成していない。生えるままに放置されているさま。◇紙閣 紙障子の部屋。◇孟光 『蒙求』『後漢書』などに見える後漢の梁鴻の妻。貧しい隠者の賢妻の代名詞として、詩人は自身の妻をこう呼んだ。

【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。同題四編あるうちの其一。『千載佳句』居宅に「南簷納日冬天 北戸迎風夏月涼」、同水竹に「灑砌飛泉纔有點 拂窗斜竹不成行」が引かれている。定家の歌は、直接的には源氏物語の本説取りであろう。

【影響を受けた和歌の例】
竹の垣松の柱は苔むせと花のあるじぞ春さそひける(藤原定家『拾遺愚草』)

【参考】『源氏物語』須磨
すまひたまへるさま、いはむ方なく唐めきたり。所のさま、絵に書きたらむやうなるに、竹編める垣しわたして、石のはし、松の柱、おろそかなるものから、珍らかにをかし。

重題
重ねて題す   白居易

日高睡足猶慵起  日高くねむり足るもほ起くるにものう
小閣重衾不怕寒  小閣せうかくしとねを重ねてかんおそれず
遺愛寺鐘欹枕聽  遺愛寺 い あい じ の鐘は枕をそばだてて聴き
香鑪峯雪撥簾看  香鑪峰かう ろ ほうの雪はすだれかかげて
匡廬便是逃名地  匡廬きよ ろ 便すなはれ名をのがるるの地
司馬仍爲送老官  司馬しばほ老いを送る官なり
心泰身寧是歸處  心やすく身やすきは帰処 き しよ
故鄕何獨在長安  故郷こきやうは何ぞひと長安てうあんにのみらんや

【通釈】日は既に高く、眠りはたっぷり取ったが、それでも起きるのは億劫だ。
高殿の部屋で掛布団を重ねているから、寒さは怖くない。
遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、
香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。
蘆山とはこれ名利を忘れ去るところ、
司馬とはこれ余生を過ごしやる官職。
心身ともに穏やかであることこそ、安住の地。
故郷はどうして長安に限られようか。

【語釈】◇香鑪峰 香爐峰とも。廬山(江西省九江県)の北の峰。峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。◇小閣 「閣」は高殿・二階造りの御殿。「小」は自邸ゆえの謙辞。◇遺愛寺 香鑪峰の北にあった寺。◇欹枕 枕を斜めに立てて頭を高くすることか。◇撥簾 簾をはねあげて。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また和漢朗詠集では「撥」を「卷」とする古写本がある。古人は「簾をまきて」と訓んでいたか。◇匡廬 蘆山。周代、匡俗先生と呼ばれた仙人がこの山に住んだことから付いた名という。◇逃名地 名誉・名声を求める心から逃れる場所。◇司馬 長官・次官より下の地位の地方官。

【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。同題四編あるうちの其三。和漢朗詠集巻下「山家」の部に「遺愛寺鐘敧枕聽 香爐峯雪撥簾看」の二句が採られ、『枕草子』を初め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出詩に由来する。

【影響を受けた和歌の例】
名にたかき嶺ならねども玉だれのあげてぞ見つる今朝の白雪(参河内侍『石清水若宮歌合』)
さむしろにあやめの枕そばだてて聞くもすずしき時鳥かな(藤原為忠『為忠家後度百首』)
暁とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな(藤原俊成『新古今集』)
玉すだれ巻きあげて見し峰の雪のおもかげながら向かふ月かな(三条西実隆『雪玉集』)
吹きおくる花はさながら雪なれや簾まきあげてみねの春風(三条西実隆『雪玉集』)
降りいるや簾を巻きて見る峰の雪もまぢかき花の下風(三条西公条『称名集』)
玉すだれ巻きなん雪の峰もなほ見やはとがめぬ山におよばじ(烏丸光弘『黄葉集』)
まきあげぬ宿はあらじな玉すだれひまよりしらむ雪の遠山(松永貞徳『逍遥集』)
わがをかにみ雪降りけり玉だれのをすかかぐらん都方びと(橘千蔭『うけらが花』)

【参考】『枕草子』
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、少納言よ、香爐峯の雪いかならんと仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。人々も、さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ、なほ此の宮の人にはさべきなめりといふ。
『源氏物語』総角
雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめ暮らして、世の人のすさまじき事に言ふなる十二月の月夜の、曇りなくさし出でたるを、簾捲き上げて見たまへば、向ひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、とかすかなるを聞きて、
 おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば

白氏文集卷十六 登西樓憶行簡
西楼せいろうに登りて行簡かうかんおもふ 白居易

每因樓上西南望  楼上ろうじやうりて西南を望む毎に
始覺人閒道路長  始めて覚ゆ 人間じんかん 道路の長きを
礙日暮山靑簇簇  日をさまたぐる暮山ぼざん青くして簇簇ぞくぞくたり
浸天秋水白茫茫  天をひた秋水しうすい白くして茫茫ばうばうたり
風波不見三年面  風波ふうは見ず 三年のめん
書信難傳萬里腸  書信しよしん伝へがたし 万里のはらわた
早晩東歸來下峽  早晩さうばん東に帰り来りてけふくだ
穩乘船舫過瞿唐  おだやか船舫せんばうに乗りて瞿唐くたうを過ぎん

【通釈】楼に登って西南を望むたびに、
改めて二人の間の距離の遠さを思う。
陽を遮る夕暮の山が青々と幾重にも連なり、
天を浸す秋の川が白々と遥かに流れている。
身辺の激変で、三年も顔を合せていない。
手紙も伝え難く、万里を隔てて断腸の思いだ。
おまえがいつか東に帰って来て、三峡を下り、
穏やかに船に乗って瞿唐峡を過ぎんことを。

【語釈】◇人間 人と人の間。ここでは作者と弟の行簡の間。◇簇簇 群がり集まるさま。◇風波 激しい変動。白居易が左遷されたことを暗に指す。◇早晩 いつ。当時の俗語という。◇船舫 船、特に筏船。◇瞿唐 長江の難所、三峡の一つ。四川省奉節県の東。杜甫「瞿唐両崖」などに詠まれている。

【補記】江州(江西省と湖北省南部にまたがる地域)に左遷されていた時(作者四十代半ば)、江州府の西楼に登り、弟の行簡を思い遣って詠んだ詩。行簡は当時蜀(四川省)にいたという。
和漢朗詠集巻下「山水」に第三・四句が引かれ、両句を題に詠んだ和歌が幾つか見られる。

【影響を受けた和歌の例】
・「礙日暮山青蔟蔟、浸天秋水白茫茫」の句題和歌
秋の水は秋の空にぞ成りにける白き波間にうつる山影(慈円『拾玉集』)
山をこそ露も時雨もまだ染めね空の色ある秋の水かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・「浸天秋水白茫茫」の句題和歌
すさまじと見る秋風の空の雲それもたちそふ水の白波(下冷泉政為『碧玉集』)
霧わたる水のながれ洲末晴れて明け行く波も秋風の空(後柏原院『柏玉集』)
月ぞすむ与謝の浦風はるばると秋なき波に秋をひたして(邦高親王『邦高親王御集』)
いつとなき富士のみ雪の面影もただ秋風の田子の浦波(三条西実隆『雪玉集』)

卷十七 律詩五

白氏文集卷十七 潯陽春 三首之一 元和十二年作 春生
しやうず   白居易

春生何處闇周遊  春しやうじていづれのところにかあんに周遊する
海角天涯遍始休  海角かいかく天涯てんがいあまねくして始めてきう
先遣和風報消息  和風くわふうをして消息せうそくはうぜしむ
續教啼鳥説來由  いで啼鳥ていてうをして来由らいいうかしむ
展張草色長河畔  草色さうしよく展張てんちやう長河ちやうかほとり
點綴花房小樹頭  花房くわばう点綴てんてい小樹せうじゆいただき
若到故園應覓我  故園こゑんに到らばまさに我をもとむべし
爲傳淪落在江州  為に伝へよ 淪落りんらくして江州かうしうりと

【通釈】春は発生してから、どこを秘かに周遊するのか。
海の果て、天の果てまであまねく行き渡って、初めて歩みを止める。
さてまずは穏やかな風によって春の到来を告げさせ、
次いで鳴く鳥に春の由って来たる所以を語らせる。
大河のほとりには草の緑を敷き広げ、
小さな樹々の梢には花の房を点々と添える。
春よ、もし故郷に至ったら、我が家も訪ねることだろう。
私の代りに伝えてくれ、私が今江州に落ちぶれていると。

【語釈】潯陽じんやう 現在の江西省九江市に潯陽県がある。◇海角 海の辺隅。◇故園 故郷。白居易の家族が住んだ渭北を指す。江州の北にあたり、春の訪れは遅い。◇江州 江西省と湖北省南部にまたがる地域の古称。

【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。「潯陽春」の総題のもと「春生」「春来」「春去」と三首連作したうちの第一首。第三・四句「先遣和風報消息 續教啼鳥説來由」が和漢朗詠集巻上「早春」の部に引かれる。『千載佳句』にも第三・四句、また第五・六句「展張草色長河畔 點綴花房小樹頭」が引かれている。下記後撰集の歌(『新撰万葉集』にも見える)は第三句と第六句を繋ぎ合せたような趣である。

【影響を受けた和歌の例】
吹く風や春たちきぬと告げつらむ枝にこもれる花咲きにけり(よみ人しらず『後撰集』)

白氏文集卷十七 東牆夜合樹去秋爲風雨所摧、今年花時、悵然有感
東牆とうしやう夜合樹やがふじゆ去秋きよしう風雨ふううくだく所と為る。今年こんねん花時くわじ悵然ちやうぜんとして感有り 白居易

碧荑紅縷今何在  碧荑へきてい紅縷こうるいづくにりや
風雨飄將去不迴  風雨ふうう飄将へうしやうし去つてかへらず
惆悵去年牆下地  惆悵ちうちやうす去年牆下しやうかの地
今春唯有薺花開  今春こんしゆん薺花せいくわひらく有るのみ

【通釈】碧い芽、紅い糸の合歓の花はどこに行ってしまったのか。
風雨に舞い上がり、去ったきり戻らない。
私は嘆き悲しむ。去年、垣根のほとりの地にあったのに
今年の春、そこにはただなずなの花が咲いているばかり。

【語釈】◇夜合樹 合歓ねむの木。夜に葉が重なり合うために「夜合樹」の名がある。初夏に赤い糸状の花をつける。◇碧荑 荑は茅花つばなであるが、ここは花芽をこう言ったか。合歓木の花芽は緑色である。◇飄將 ひるがえす。舞い上げる。「將」は飄の接尾辞で当時の俗語という。◇薺花 ナズナの花。春から初夏にかけて花をつける。

【補記】前年の秋の風雨に折れた合歓木。花の季節を迎えてその不在を悲しんだ詩である。芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」はこの詩を踏まえたものとする説がある。但し直接的には木下長嘯子の歌(下記引用歌)から影響を受けた可能性もある。

【影響を受けた和歌の例】
古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(木下長嘯子『挙白集』)

白氏文集卷十七 醉中對紅葉
酔中紅葉に対す  白居易

臨風杪秋樹  風にのぞめる杪秋べうしうの樹
對酒長年人  酒にむかへる長年ちやうねんの人
醉貌如霜葉  へるかたち霜葉さうえふの如し
雖紅不是春  くれなゐなりといへどこれ春ならず

【通釈】風に吹かれている、晩秋の樹。
酒と向き合っている、年たけた人。
酔った顔は、霜に色づいた葉のようだ。
紅とは言っても、春の花の色ではない。

【語釈】◇杪秋 晩秋。旧暦九月。◇長年人 年齢を重ねた人。話手自身を客観化して言う。◇霜葉 霜にあって紅葉した葉。

【補記】元和十二年(817)、四十六歳頃の作。人生の晩秋にあって、我が身を紅葉に対比する。和漢朗詠集の巻下「酒」の部に全文が引かれている。下記為家詠は「臨風杪秋樹」を句題とした作。

【影響を受けた和歌の例】
時のまの心の色ぞしられける秋の木の葉の風にまかせて(藤原為家『為家集』)

白氏文集卷十七 薔薇正開、春酒初熟。因招劉十九・張大・崔二十四同飮
薔薇さうび正に開き、春酒しゆんしゆ初めて熟す。りて劉十九・張大・崔二十四を招きてともに飲む  白居易

甕頭竹葉經春熟  もたひほとり竹葉ちくえふは春を経て熟し
階底薔薇入夏開  はしもと薔薇さうびは夏に入りてひら
似火淺深紅壓架  火に似て浅深しんせん くれなゐは架をあつ
如餳氣味綠粘台  あめの如き気味 みどりは台にねば
試將詩句相招去  試みに詩句をもつ相招去あひせうきよせん
儻有風情或可來  風情ふぜい有らばあるいきたるべし
明日早花應更好  明日みやうにち早花さうくわまさに更にかるべし
心期同醉卯時盃  心に期す とも卯時ばうじの盃に酔はんことを

【通釈】甕のほとりの竹の葉が緑を増したように、甕の中の酒は春を経て熟し、
きざはしのもとの薔薇は夏に入って開いた。
花は火に似て浅く深く紅に燃え、棚を圧するように咲いている。
酒は飴のように濃厚な風味で、その緑は甕を溢れ台に粘り付いている。
試みに詩句で以て客を招待してみよう。
もし情趣深ければ、あるいは訪ねてくれる人もあろう。
明朝の花は今日より更に美しいに違いない。
願わくば、共に朝酒の盃を交わし酔わんことを。

【語釈】◇竹葉 文字通り竹の葉を指すと共に、酒の異称でもある。和歌の掛詞の技法に同じ。◇早花 早朝に咲く花。◇卯時盃 卯時(午前六時頃)に飲む酒。

【補記】白氏版「酒とバラの日々」。『和漢朗詠集』巻上「首夏」に首聯が引かれている。『千載佳句』にも。また『栄花物語』『源氏物語』『堤中納言物語』や謡曲『養老』ほか、多くの作品が両句を踏まえ「甕のほとりの竹の葉」「階のもとの薔薇」に言及している。

【影響を受けた和歌の例】
はしのもとに紅ふかき花の色もなつきにけりと見ゆるなりけり(公朝『夫木和歌抄』)

【参考】『源氏物語』賢木
階のもとの薔薇さうびけしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ。

白氏文集卷十七 醉吟 二首
酔吟 二首    白居易

空王白法學未得  空王くうわう白法びやくはふ学ぶこと未だ得ず
姹女丹砂燒卽飛  姹女たぢよ丹砂たんさ焼けばすなはち飛ぶ
事事無成身也老  事事ことごとに成すこと無くして身また老いたり
醉鄕不去欲何歸  酔郷すいきやうに去らずしていづちかせんとする

 其二
兩鬢千莖新似雪  両鬢りやうびん千莖せんかうしんなること雪に似
十分一盞欲如泥  十分じふぶん一盞いつさん泥の如くならんとほつ
酒狂又引詩魔發  酒狂しゆきやう詩魔しまを引いてほつ
日午悲吟到日西  日午にちご悲吟ひぎんして日の西にしするに到る

【通釈】仏陀の尊い教えは学び得ず、
水銀丹砂を焼けば、たちまち飛散してしまう。
事ごとに成し遂げることなく身は老いてしまった。
酔いどれの天国に去るほか、私の行き場所はあるまい。

其の二
わが千本の双鬢、それは雪のように白い。
十分に注いだ一盞、これで泥のように酔おう。
酒の昂奮が詩作の魔を引き起こし、
正午より時を忘れて悲吟し、日没に至る。

【語釈】其一◇空王 四劫しごうのうちの第四、世界が壊滅した後の虚無の期間である空劫くうごうに出現する仏。◇白法 清浄な仏法。「白」は第二句の「丹」と対偶。◇姹女 道家の語で水銀を指す。水銀・丹砂は不老長寿の仙薬の調合に必要とされた物質。◇丹砂 水銀と硫黄の化合物。辰砂。◇醉鄕 酒による陶酔郷。
其二◇千莖 たくさんの毛髪。「千」は第二句の「一」と対偶。「莖」は細く長いものを数える助数詞。◇十分一盞 なみなみと注いだ一杯の酒。◇詩魔 詩情を起こし、詩作へ耽らせる不思議な力。◇悲吟 悲しみに泣くように吟じながら詩作する。

【補記】其一の第一句は仏教に、第二句は道教に志して挫折したことを言う。第三・四句が和漢朗詠集巻下「述懐」の部に引かれている。但し第四句は「醉鄕不知欲何之」とあり、「酔郷を知らず何ちかゆかんとする」などと訓まれる。下記和歌はいずれも其一の第三句を踏まえたものである。

【影響を受けた和歌の例】
うづもれぬ後の名さへやとめざらむ成すことなくてこの世暮れなば(藤原良経『続古今集』)
月日のみなすことなくて明け暮れぬ悔しかるべき身のゆくへかな(藤原良経『千五百番歌合』)
いたづらに秋の夜な夜な月見しもなすことなくて身ぞ老いにける(二条為定『新千載集』)
なす事もあらじ今はのよはひにも惜しみなれたる年の暮かな(烏丸光弘『黄葉集』)

白氏文集卷十七 廬山草堂、夜雨獨宿、寄牛二・李七・庾三十二員外
廬山ろざん草堂さうだうに、夜雨やう独り宿し、牛二ぎうじ李七りしち庾三十二ゆさんじふに員外に寄す 白居易

丹霄攜手三君子  丹霄たんせうに手をたづさ三君子さんくんし
白髮垂頭一病翁  白髪はくはつかうべ一病翁いちびやうをう
蘭省花時錦帳下  蘭省らんしやうの花の時 錦帳きんちやうもと
廬山雨夜草庵中  廬山ろざんの雨の夜 草庵のうち
終身膠漆心應在  終身しゆうしん膠漆かうしつまさるべし
半路雲泥迹不同  半路はんろ雲泥うんでいあと同じからず
唯有無生三昧觀  無生三昧むしやうざんまいくわん有り
榮枯一照兩成空  栄枯えいこ一照いつせうにしてふたつながらくうと成る

【通釈】朝廷に手を携えて仕えている、三人の君子たちよ、
こちらは白髪を垂らした病身の一老人。
君たちは尚書省の花盛りの季節、美しい帳のもとで愉しく過ごし、
私は廬山の雨降る夜、粗末な庵の中で侘しく過ごしている。
終生変わらないと誓った友情はなお健在だろうが、
人生の半ばにして、君たちと私には雲泥の差がついてしまった。
私はただ生死を超脱し、悟りを開いた境地に没入するばかり。
繁栄も衰滅も同じ虚像であって、いずれくうに帰するのだ。

【語釈】◇丹霄 天空。ここでは朝廷の喩え。◇三君子 長安にいる旧友たち、寄牛二(牛僧孺)・李七(李宗閔)・庾三十二員外(庾敬休)を指す。◇一病翁 白居易自身を客観視して言う。◇蘭省 尚書省。宮中の図書館。◇錦帳 錦織のとばり。◇廬山 江西省九江県。◇膠漆 にかわとうるし。両者を混ぜると緊密に固まるので、不変の友情の喩えに用いる。◇無生三昧觀 生死を超脱し、悟りを開いた境地。◇一照 同じ仮の現象。仏教語。◇空 現象界には固定的実体がなこと。仏教語。

【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)頃、すなわち「香爐峯下、新卜山居…」と同じ頃の作。廬山の草堂に宿した一夜の感懐を、長安の旧友に寄せた詩である。和漢朗詠集巻下「山家」の部に「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」が引かれている。以下に引用した和歌はすべて「廬山雨夜草庵中」の句を踏まえたもの。「草庵雨」の題詠も多いが、この歌題自体が白詩に拠るものである。俊成・定家の影響で本説取りも多い。

【影響を受けた和歌の例】
さみだれに思ひこそやれいにしへの草の庵の夜半のさびしさ(親王輔仁『千載集』)
昔思ふ草の庵の夜の雨に涙なそへそ山時鳥(藤原俊成『新古今集』)
草の庵の雨にたもとを濡らすかな心より出でし都恋しも(慈円『拾玉集』)
草の庵は夜の雨をぞ思ひしに雪の朝もさびしかりけり(藤原家隆『壬二集』)
しづかなる山路の庵の雨の夜に昔恋しき身のみふりつつ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮の秋橋に下だる夜の雨草の庵のうちならねども(藤原定家『夫木和歌抄』)
日数経ばもらぬ岩屋もいかならん草の庵の五月雨の頃(藤原為家『為家一夜百首』)
五月雨の草の庵の夜の袖しづくも露もさてや朽ちなん(藤原為家『続千載集』)
あけくれは心にかけし草のいほの雨のうちをぞ思ひ知りぬる(貞慶上人『続後撰集』)
夜の雨の音だにつらき草の庵になほ物思ふ秋風ぞ吹く(宗尊親王『瓊玉和歌集』)
心からすむ身なりとも夜の雨はさぞなさすがの草の庵を(常縁『常縁集』)
いかにせむ草の庵に山鳩の夜の雨よぶ夕暮の声(飛鳥井雅親『亜槐集』)
夜の雨にひとり思へば庵ふきし千草に憂きは此の世なりけり(正徹『草根集』)
たれかきく世のことわりも残りなき草の庵の暁の雨(肖柏『春夢草』)
花の時を思ひ出でては草の庵にきくもかなしき雨風の声(三条西公条『称名集』)
草の庵は雫も露もかけて聞く袖のうへなる夜半の村雨(武者小路実陰『芳雲集』)
しづかにて中々うちも寝られぬは草の庵の雨の夜な夜な(冷泉為村『為村集』)
名にふりし草の庵の雨の夜やわが身のあきの心なりけん(法印親瑜『続門葉和歌集』)
かくてしも世にふる身こそあはれなれ草の庵の五月雨の空(西音法師『続千載集』)
夜の雨はしらでくやしき昔だにさすがしのぶの草の庵かな(烏丸光広『黄葉集』)
草の庵にあはれと聞きし夜の雨はいまもたもとの雫なりけり(木下長嘯子『挙白集』)
仮寝する草の庵の夜の雨いつ捨てし身と成りて聞くべき(松永貞徳『逍遥集』)
人とはぬ草の庵の夜の雨にとはずがたりの虫のねぞする(松平定信『三草集』)
すむ人の袖もひとつに朽ちにけり草の庵のさみだれの頃(香川景樹『桂園一枝』)

【参考】『枕草子』
「蘭省花時錦帳下」と書きて、「末はいかにいかに」とあるを、いかにはすべからん。御前のおはしまさば御覧ぜさすべきを、これが末を知り顏に、たどたどしき真名は書きたらんも、いと見ぐるし、と思ひまはす程もなく責めまどはせば、ただその奧に炭櫃に消え炭のあるして、「草の庵を誰かたづねん」と書きつけて取らせつれど、また返事もいはず。
『唯心房集』寂然
蘭省に花の にほふとき 錦の帳をぞ 思ひやれ 香爐峰の 夜の雨に 草のいほりは しづかにて

白氏文集卷十七 十年三月三十日別微之於灃上…(抄)
十年三月三十日微之に灃上ほうじやうに別れ…(抄) 白居易

往事渺茫都似夢  往事は渺茫としてすべて夢に似たり
舊遊零落半歸泉  旧遊は零落して半ばせん
醉悲灑涙春杯裏  ひの悲しび、涙をそそく春のさかづきのうち
吟苦支頤曉燭前  吟の苦しび、おとがひささ暁燭げうしよくの前

【通釈】昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。
昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉よみに帰ってしまった。
酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、
詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている。

【補記】元和十年(815)三月三十日、白居易は灃水のほとりで親友の元稹(元微之)と別れたが、四年後の三月十一日夜、長江の峡谷で偶然再会し、舟を夷陵に停めて三泊したのち再び別れた。その時語り尽くせなかったことを書き、再び逢った時の話の種にしようとの思いから作ったのがこの詩だという。七言十七韻の長詩であるが、そのうち第十三~十六句のみを抄出した。「往事渺茫都似夢 舊遊零落半歸泉」が和漢朗詠集巻下「懐旧」に引かれ、この二句、あるいは「往事渺(眇)茫都似夢」「往事如夢」「往事似夢」「往事渺(眇)茫」などを題として少なからぬ和歌が詠まれた。また『善知鳥』『船橋』『松山鏡』などの謡曲にも引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
さかづきに春の涙をそそきける昔に似たる旅のまとゐに(式子内親王『式子内親王集』)
思ひいづる昔は夢のうたた寝に友なき袖のぬれぬ日ぞなき(慈円『拾玉集』)
見しはみな夢のただぢにまがひつつ昔は遠く人はかへらず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
むなしくてみそぢの夢はすぐしきぬ老のねざめもいまよりやせん(土御門院『土御門院御集』)
夢とのみすぎにしかたを偲ぶぶればうつせみの世や昔なるらん(藤原為家『為家一夜百首』)
見るままにうつつの夢となりゆくはさだめなき世の昔なりけり(葉室光俊『続後撰集』)
別れをばひと夜の夢とみしかども親のいさめぞたえて久しき(藤原顕氏『続拾遺集』)
来しかたの身の思ひ出も夢なれば憂きをうつつと今はなげかじ(法眼行済『続千載集』)
さだかなる夢よりもけにはかなきは過ぎこしかたのうつつなりけり(花山院師兼『師兼千首』)
思へなほ昔をぬれば見る夢の夢にさめたる仮のうつつぞ(正徹『草根集』)
きえねただ見し世ははてもしら雲のむなしき空にうかぶ面かげ(三条西実隆『雪玉集』)
思ひ出づる事も残らず夢なればさめしともなき我が寝覚かな(香川景樹『桂園一枝』)

【参考】源氏物語・須磨
夜もすがらまどろまず、文作りあかしたまふ。さ言ひながらも、ものの聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御かはらけまゐりて、「酔ひの悲しび涙そそく春の盃のうち」ともろ声に誦じたまふ。御供の人も涙をながす。おのがじしはつかなる別れ惜しむべかめり。

【原詩全文】
十年三月三十日別微之於灃上、十四年三月十一日夜、遇微之於峽中、停舟夷陵、三宿而別。言不盡者以詩終之。因賦七言十七韻以贈、且欲記所遇之地與相見之時、爲他年會話張本也。
灃水店頭春盡日 送君上馬謫通川 夷陵峽口明月夜 此處逢君是偶然 一別五年方見面 相攜三宿未回船 坐從日暮唯長歎 語到天明竟未眠 齒發蹉跎將五十 關河迢遞過三千 生涯共寄滄江上 郷國倶抛白日邊 往事渺茫都似夢 舊遊流落半歸泉 醉悲灑涙春杯裏 吟苦支頤曉燭前 莫問龍鍾惡官職 且聽淸脆好文篇 別來只是成詩癖 老去何曾更酒顛 各限王程須去住 重開離宴貴留連 黃牛渡北移征棹 白狗崖東卷別筵 神女台雲閑繚繞 使君灘水急潺湲 風淒暝色愁楊柳 月吊宵聲哭杜鵑 萬丈赤幢潭底日 一條白練峽中天 君還秦地辭炎徼 我向忠州入瘴煙 未死會應相見在 又知何地複何年

卷十八 律詩六

白氏文集卷十八 冬至夜
冬至の夜     白居易

老去襟懷常濩落  老い去りて襟懐きんくわい常に濩落くわくらくたり
病來鬚鬢轉蒼浪  病みきたりて鬚鬢しゆびんうた蒼浪さうらうたり
心灰不及爐中火  心灰しんくわい爐中 ろ ちゆうの火に及ばず
鬢雪多於砌下霜  鬢雪びんせつ砌下せいかの霜よりも多し
三峽南賓城最遠  三峡さんけふ南鬢なんびんしろ最も遠し
一年冬至夜偏長  一年冬至よるひとへに長し
今宵始覺房櫳冷  今宵こんせう初めておぼ房櫳ばうろうの冷やかなるを
坐索寒衣でい孟光  そぞろ寒衣かんいもとめて孟光まうくわうでいでい

【通釈】年老いて、わが胸中は虚ろだ。
病み衰えて、あご髭もほお髭も真白だ。
灰のように燃え尽きた心は、炉の炭火にも及ばず、
雪のような鬢の白髪は、敷石の下の霜よりも多い。
三峡のうち、ここ忠州は長安の都から最も遠く、
一年のうち、冬至の今日は夜がこの上なく長い。
今宵初めて感じた、部屋の冷え冷えとしていることを。
じっとしたまま、冬着を請うて愚妻にねだるのだった。

【語釈】◇老去 年老いる。◇襟懐 胸のうち。◇濩落 空虚なさま。◇鬚鬢 鬚はひげ、特にあごひげ。鬢は頭の左右側面の髪、または頬ひげ。◇蒼浪 蒼白いさま。◇心灰 灰のように燃え尽きた心。◇鬢雪 雪のように白い鬢の毛。◇砌下霜 「砌」は軒下の石を敷いたところ。その石の前に置いた霜。◇三峽 長江の名高い三つの峡谷。◇南賓 忠州(重慶市忠県)の古名。◇房櫳 部屋。◇坐 いながらに。じっとしたまま。◇寒衣 寒い時に着る服。冬着。でい ねだる。「托(たのむ)」「託(まかす)」「詆(そしる)」とする本もある。◇孟光 『蒙求』『後漢書』などに見える後漢の梁鴻の妻。貧しい隠者の賢妻の代名詞として、詩人は自身の妻をこう呼んだ。

【補記】冬至の夜、老いを嘆く。大江千里『句題和歌』に第三・四・六句を句題とする和歌が見える。また藤原基俊撰の『新撰朗詠集』巻上冬の「炉火」の部に第三・四句が採られている。

【影響を受けた和歌の例】
もの思ふ心は灰とくだくれど熱きおきにぞおよばざりける(大江千里『句題和歌』)
我が髪のみなしら雪と成りぬればおける霜にもおとらざりけり(〃)
ひととせに冬来ることは今ぞしる臥し起きすれば明かしがたさに(〃)

白氏文集卷十八 春至
春至る   白居易

若爲南國春還至  若為いかんせん南国春た至るを
爭向東樓日又長  争向いかんせん東楼とうろう日又長きを
白片落梅浮澗水  白片はくへん落梅らくばい澗水かんすいうか
黄梢新柳出城墻  黄梢くわうせう新柳しんりう城墻せいしやうより出でたり
閑拈蕉葉題詩詠  しづかに蕉葉せうえふり詩を題して詠じ
悶取藤枝引酒嘗  むすぼれて藤枝とうしを取り酒を引きて
樂事漸無身漸老  楽事らくじややく無くして身ややく老ゆ
從今始擬負風光  今より始めて擬す 風光にそむかんことを

【通釈】おのずから、南国に再び春が巡って来る。
止めようもなく、官舎の東楼に射す日が永くなる。
白い梅の花びらが散って、谷川の水に浮かんでいる。
黄の新芽を出した柳の梢が、群衙の城壁にはみ出ている。
暇にまかせ、芭蕉の葉を折り取って詩を書き付け、
気がふさげば、藤の枝を折り取って酒を吸い飲む。
楽しみは年とともに無くなり、我が身はだんだん老いてゆく。
ようやく思い決めた。華やかな春ももはや私には無縁、風光に背を向けて生きようと。

【語釈】◇若爲・爭向 いずれも当事の俗語で、文語の「如何」にあたるという。「どうしようもない」ほどの意。◇南国 忠州を指す。今の重慶市忠県。夏は炎暑の地となる。◇藤枝 鈎藤の茎。この藤は漢方薬に用いられる鈎藤で、茎が中空なので、ストローのように用いることができるという。◇負風光 季節ごとの遊興などと無縁に生活すること。

【補記】江州を離れ、忠州(重慶市忠県)に赴任して二年目の春、作者四十九歳の作。『和歌朗詠集』巻上「梅」に第三・四句が採られている。また『千載佳句』の「梅柳」にも。第三・四句「白片落梅浮澗水」「黄梢新柳出城墻(牆)」をそれぞれ句題とした和歌が慈円・定家・寂身の家集に見える。また第三句を句題とした和歌が土御門院の御集に見える。

【影響を受けた和歌の例】
雪をくぐる谷の小川は春ぞかし垣ねの梅の散りけるものを(慈円『拾玉集』)
春の宿のつづく垣ねを見わたせば梢にさらす青柳の糸(〃)
白妙の梅咲く山の谷風や雪げにきえぬ瀬々のしがらみ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
この里のむかひの村の垣ねより夕日をそむる玉のを柳(〃)
あしびきの山路の梅や散りぬらん色こそにほへ水のしら浪(寂身『寂身法師集』)
見わたせば垣ほの柳うちなびき都にふかきあさ緑かな(〃)
ながれくむ袖さへ花になりにけり梅散る山の谷川の水(土御門院『土御門院御集』)

白氏文集卷十八 春江
春江しゆんかう    白居易

炎涼昏曉苦推遷  炎涼えんりやう昏暁こんげうはなは推遷すゐせん
不覺忠州已二年  覚えず 忠州すでに二年なり
閉閣只聽朝暮鼓  かくを閉じてただ聴く 朝暮てうぼつづみ
上樓空望往來船  ろうのぼつて空しく望む 往来の船
鶯聲誘引來花下  鶯の声に誘引いういんせられて花のもときた
草色勾留坐水邊  草の色に勾留こうりうせられて水のほとり
唯有春江看未厭  春江しゆんかうて未だかざる有り
縈砂遶石綠潺湲  砂をめぐり石をめぐりて緑潺湲せんえんたり

【通釈】暑さと寒さ、夕暮れと朝明けが容赦なく推移し、
いつの間にか忠州に来て二年になる。
高殿に籠っては、ただ朝夕の時の太鼓に耳を傾け、
高楼に上っては、長江を往き来する船をむなしく眺めていたが、
今日鶯の声に誘われて、花の下までやって来た。
若草の色に引き留められて、川のほとりにすわった。
ただ春の長江だけはいくら見ても見飽きない。
砂洲をめぐり、岩々をめぐって流れ、緑の水はさらさらと行く。

【語釈】◇炎涼 炎暑と寒涼。◇昏暁 暮と暁。◇忠州 今の重慶市忠県。◇縈砂 砂洲を巡るように川が流れるさま。◇遶石 岩壁を巡るように川が曲がって流れるさま。◇潺湲 「潺」は「小流をいう擬声語」(『字通』)。「湲」も同意で、水のさらさら流れる音を言う。

【補記】第五・六句「鶯聲誘引來花下 草色留坐水邊」が和漢朗詠集巻上「鶯」に採られている。『千載佳句』の「春遊」にも。千里・慈円・定家第二首・土御門院・幸文の歌はいずれも「鶯声誘引来花下」を句題とする。

【影響を受けた和歌の例】
鶯の鳴きつる声にさそはれて花のもとにぞ我は来にける(大江千里『句題和歌』)
うちかへし鶯さそふ身とならむ今夜は花の下にやどりて(慈円『拾玉集』)
鶯の初音をまつにさそはれてはるけき野辺に千世も経ぬべし(藤原定家『拾遺愚草』)
衣手にみだれておつる花の枝やさそはれきつる鶯のこゑ(〃『拾遺愚草員外』)
なにとなく春の心にさそはれぬけふ白川の花のもとまで(藤原良経『秋篠月清集』)
鶯のさそふ山辺にあくがれて花の心にうつる頃かな(土御門院『土御門院御集』)
今はとて誘ふか雪の花園に声ひらけ行く春の鶯(正徹『草根集』)
鶯にさそはれゆけば三わの山霞のおくの杉たてる門(肖柏『春夢草』)
鶯にさそはれ行けばここにとも言はぬばかりの梅の下風(三条西実隆『雪玉集』)
花のもとにさそはれ来てぞしられける人をはからぬ鶯の音を(賀茂真淵『賀茂翁家集』)
うぐひすの声のにほひにさそはれて花なき里もはるや知るらむ(村田春海『琴後集』)
うぐひすの声にひかれて行くみちは花のかげにもなりにけるかな(木下幸文『亮々遺稿』)

【参考】『源氏物語』竹河
内より和琴さし出でたり。かたみに譲りて手触れぬに、侍従の君して、尚侍の殿、「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひたまへると聞きわたるを、まめやかにゆかしくなん。今宵は、なほ鶯にも誘はれたまへ」と、のたまひ出だしたれば、あまえて爪食ふべきことにもあらぬをと思ひて、をさをさ心にも入らず、掻きわたしたまへるけしき、いと響き多く聞こゆ。

卷十九 律詩七

白氏文集卷十九 七言十二句、贈駕部呉郎中七兄 時早夏朝歸、閉齋獨處、偶題此什
七言十二句、駕部がぶ郎中らうちゆう七兄しちけいに贈る 時に早夏、朝に帰り、斎を閉ぢて独りり、たまたま此の什を題す 白居易

四月天氣和且淸  四月天気ぎて
綠槐陰合沙隄平  緑槐りよくくわいかげ合ひて沙隄さてい平らかなり
獨騎善馬銜鐙穩  独り善馬にりて銜鐙かんとう穏やかに
初著單衣支體輕  初めて単衣ひとへて支体かろ
退朝下直少徒侶  ちよう退さがちよくを下りて徒侶とりよ
歸舍閉門無送迎  いへに帰り門を閉ざして送迎無し
風生竹夜窗閒臥  風の竹にる夜 窓のあひだせり
月照松時臺上行  月の松を照らす時 うてなの上にあり
春酒冷嘗三數盞  春酒しゆんしゆ冷やかにむること三数盞さんすうせん
曉琴閑弄十餘聲  暁琴げうきんしづかにろうすること十余声じふよせい
幽懷靜境何人別  幽懐 静境 何人なんびとわか
唯有南宮老駕兄  唯だ南宮の老駕兄らうがけい有るのみ

【通釈】四月の天気はなごやかで、かつすがすがしい。
えんじゅの並木の葉陰は一つに合さり、砂敷きの路は平らかに続いている。
独り良馬に乗り、馬具の音も穏やかに、
初めて単衣の服を着て、体は軽やかだ。
朝廷を退出し宿直を終えて、従者も無く、
帰宅して門を閉ざせば、送り迎えの客も無い。
風が竹をそよがせる夜、窓辺に横になり、
月が松を照らす間、高殿の上をそぞろ歩く。
よく冷えた春酒はるざけを数杯なめるように飲み、
暁には琴をひっそりと僅かばかりもてあそぶ。
この奧深く物静かな心境を誰が分かってくれるだろう。
ただ南宮に居られる駕部郎中の呉七兄のみである。

【語釈】◇四月 陰暦四月は初夏。◇綠槐 葉の出たエンジュの木。◇沙隄 隄は堤に同じ。長安の砂敷きの舗装道路。◇銜鐙 「銜」はくつわ(轡)。「鐙」はあぶみ。合せて馬具を言う。◇支體 肢體に同じ。◇春酒 冬に醸造し、春に飲む酒。◇南宮 尚書省。◇老駕兄 駕部郎中の呉七兄。白居易の同年の友人。

【補記】『和漢朗詠集』の「夏夜」に「風生竹夜窗閒臥 月照松時臺上行」が引かれ、殊に前句を踏まえた和歌が多い。慈円・定家の歌はいずれも句題和歌。両句は『千載佳句』『新撰朗詠集』にも見える。また「春酒冷嘗三數盞 曉琴閑弄十餘聲」が『千載佳句』に採られている。

【影響を受けた和歌の例】
秋きぬとおどろかれけり窓ちかくいささむら竹風そよぐ夜は(徳大寺実定『林下集』)
窓ちかき竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢(式子内親王『新古今集』)
松風に竹の葉におく露落ちてかたしく袖に月を見るかな(慈円『拾玉集』)
風さやぐ竹のよなかにふしなれて夏にしられぬ窓の月かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
窓ちかきいささむら竹風ふけば秋におどろく夏の夜の夢(藤原公継『新古今集』)
夕すずみやがてうちふす窓ふけて竹の葉ならす風のひとむら(飛鳥井雅経『明日香井集』)
竹の葉に風ふく窓は涼しくて臥しながら見る短か夜の月(宗尊親王『竹風和歌抄』)
風すさむ竹の葉分の月かげを窓ごしに見るよぞ更けにける(九条隆教『文保三年百首』)
くれ竹の夜床ねちかき風のおとに窓うつ雨はききもわかれず(二条為遠『新続古今集』)
竹になる音なき風も手にとりて扇にならす窓のかたしき(武者小路実陰『芳雲集』)

【参考】『源氏物語』胡蝶
雨はやみて、風の竹に鳴るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人々は、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、け近くもさぶらはず。

白氏文集卷十九 聞夜砧
夜の砧を聞く   白居易

誰家思婦秋擣帛  いへ思婦しふぞ 秋にきぬ
月苦風凄砧杵悲  月え風すさまじくして砧杵ちんしよ悲し
八月九月正長夜  八月はちぐわつ九月くぐわつまさに長き夜
千聲萬聲無了時  千声せんせい万声ばんせいむ時無し
應到天明頭盡白  まさ天明てんめいに到らばかしらことごとく白かるべし
一聲添得一莖絲  一声いつせい添へ得たり一茎いつけいの糸

【通釈】遠い夫を思う、どこの家の妻なのか、秋の夜に衣を擣っているのは。
月光は冷え冷えと澄み、風は凄まじく吹いて、砧の音が悲しく響く。
八月九月は、まことに夜が長い。
千遍万遍と、その音の止む時はない。
明け方に至れば、私の髪はすっかり白けているだろう。
砧の一声が、私の白髪を一本増やしてしまうのだ

【語釈】◇擣帛 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧杵 衣を擣つための板。またそれを敲く音。◇八月九月 陰暦では仲秋・晩秋。

【補記】擣衣は万葉集に見えず、平安時代以後、漢詩文の影響から和歌に取り上げられるようになった。漢詩において砧を擣つ音を悲しいものと聞くのは、遠い夫を偲ぶ妻の心を思いやってのことである。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。長慶二年(822)前後、白居易五十一歳頃の作。

【影響を受けた和歌の例】
誰がためにいかにてばか唐衣ちたび八千やちたび声のうらむる(藤原基俊『千載集』)
衣うつ響きは月の何なれや冴えゆくままに澄みのぼるらむ(藤原俊成『新勅撰集』)
千たびつ砧の音に夢さめて物思ふ袖の露ぞくだくる(式子内親王『新古今集』)
ながき夜をつれなくのこる月の色におのれもやまず衣うつなり(藤原定家『拾遺愚草』)
聞きわびぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声(後醍醐天皇『新拾遺集』)

白氏文集卷十九 暮江吟
暮江吟      白居易

一道殘陽鋪水中  一道いちだう残陽ざんやう 水中に
半江瑟瑟半江紅  半江はんかう瑟瑟しつしつ 半江はくれなゐなり
可憐九月初三夜  あはれぶべし 九月初三そさんの夜
露似眞珠月似弓  露は真珠に似 月は弓に似たり

【通釈】一すじの残照が水面に敷き伸べられ、
大河の半ばは碧、半ばは紅の色。
なんと心に沁みることよ、九月初三の夜は。
露は真珠のように光り、月は弓のように天に掛かっている。

【語釈】◇瑟瑟 碧い宝玉の名であることから、青々とした色を言う。◇初三 陰暦の月の三日。

【補記】第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「露」部に引用されている。露を真珠(白玉)に喩える趣向は殊に王朝歌人に好まれたが、六朝時代の詩に既に見えるもので、特に掲出詩が強い影響を与えたとは思えない。実隆の歌は「月似弓」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
白露を玉になしたる長月の有明の月よ見れど飽かぬかも(作者未詳『古今和歌六帖』)
問はばやな真弓つき弓月影はいかなるしなか有明の空(三条西実隆『雪玉集』)

卷二十 律詩八

白氏文集卷二十 宿陽城驛對月
陽城駅に宿し、月に対す  白居易

親故尋回駕  親故しんこいでめぐらし
妻孥未出關  妻孥さいど未だくわんを出でず
鳳凰池上月  鳳凰ほうわう池上ちじやうの月
送我過商山  我の商山しやうざんを過ぐるを送る

【通釈】親戚友人は相次いで車を返し、
後れて発った妻子はまだ関の向うにいる。
いつもは宮中の鳳凰池のほとりで眺めた月――
今はその月だけが、商山を過ぎてゆく私を見送っている。

【語釈】◇妻孥 妻と子供。◇鳳凰池 長安城の中書省にあったという池。◇商山 長安の東南にある山。

【補記】自注に「自此後詩赴杭州路中作(此れより後の詩、抗州に赴く路中の作)」とあり、長慶二年(822)刺史に任ぜられた白居易が長安から抗州に赴任する途上の作と知れる。商山のふもとの陽城駅で親戚知友と別れ、山を過ぎる時の詩である。作者五十一歳。隆房の歌は「鳳凰池上月 送我過商山」の、隆衡の歌は全句の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
もろともに出づとはなしに有明の月のみおくる山路をぞゆく(永縁『金葉集』)
ひきつらね雁は別れぬ有明の月のみおくる山路なりけり(寂然『唯心房集』)
水のおもにやどりし月の今宵さは秋の山路をともに過ぎぬる(藤原隆房『朗詠百首』)
関の戸をさそひし人は出でやらで有明の月のさやの中山(藤原定家『拾遺愚草』)
池水の月送らずはいかにして夜ぶかき山をひとり過ぎまし(法眼全真『夫木和歌抄』)
暮るるまで山路のすゑをつくせども我より奥に月はすみけり(藤原隆衡『雲葉集』)

白氏文集卷二十 臘後歳前遇景詠意
臘後らふご歳前、景にひ意を詠ず  白居易

寒梅半白柳微黄  寒梅かんばい半ば白くして柳すこしく黄なり
凍水初融日欲長  凍水とうすい初めて融けて日長からんとす
度臘都無苦霜霰  らふわたりてすべ霜霰さうせんに苦しむ無く
迎春先有好風光  春を迎へて好風光かうふうくわう有り
郡中起晩聽衙鼓  郡中起くることおそくして衙鼓がこを聴き
城上行慵倚女牆  城上じやうじやう行くことものうくして女牆ぢよしやう
公事漸閑身且健  公事こうじやうやかんにしてけんなり
使君殊未厭餘杭  使君しくんほ未だ余杭よかういとはず

【通釈】早咲きの梅は白い花を半ばつけ始め、柳の芽はかすかに黄色い。
凍っていた川は融け始め、日は長くなろうとしている。
臘祭を過ぎて、もはや霜や霰に苦しむことも無く、
新春を目前にして、真っ先に風と光がうららかになる。
私は役所の中でゆっくり起き出し、時を打つ太鼓を聴き、
城壁の上を物憂く歩いて、女墻ひめがきに凭れる。
公務はだんだん暇になり、身体はまず健康だ。
この刺史殿もまだ杭州を嫌うことはない。

【語釈】◇臘 冬至後三度目のいぬの日。「臘祭」と言ってこの日百神を祭る。2010年は1月24日にあたる。◇郡中 郡の役所の中。郡は杭州を指す。◇衙鼓 時を告げる太鼓。「衙」は役所。◇女牆 城の上に作る丈の低い垣。ひめがき。◇使君 刺史(州の施政官)の尊称。自らを客観視して言う。◇餘杭 杭州。

【補記】長慶二年(822)、白居易は自ら求めて長安を去り、杭州刺史に着任、翌々年までこの職にあった。五十一歳から五十三歳までのことである。この間、陰暦十二月、臘祭も終わり、新年を目前にして、風景を見て感懐を述べた詩。大江千里が第四句「迎春先有好風光」を句題に歌を詠んでいる。大江維時の『千載佳句』上「早春」の部に第三・四句が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
いつしかと春をむかふる朝にはまづよき風の吹くぞうれしき(大江千里『句題和歌』)

白氏文集卷二十 樟亭雙櫻樹
樟亭しやうてい双桜樹さうあうじゆ   白居易

南館西軒兩樹櫻  南館なんくわん西軒せいけん 両樹りやうじゆあう
春條長足夏陰成  春条しゆんでう長じ足りて夏陰かいん成る
素華朱實今雖盡  素華そくわ 朱実しゆじつ 今尽きたりといへど
碧葉風來別有情  碧葉へきえふ 風来りて別に情有り

【通釈】樟亭駅の南館、西の軒先に桜桃ゆすらうめの樹が双つある。
春に生えた枝はすっかり伸びて、夏の涼しい木陰を成している。
白い花も朱の実も、今は尽きてしまったけれども、
緑の葉が風にそよいで、格別の風情がある。

【語釈】◇櫻 ユスラウメ、または桜桃。花は白く、実は紅い。

【補記】抗州の富陽山麓、樟亭駅に宿った時に作った詩。「春条長夏陰成」を句題に大江千里が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
木の芽もえ春さかえこし枝なれば夏の陰とぞ成りまさりける(大江千里『句題和歌』)

白氏文集卷二十 江樓夕望招客
江楼かうろう夕望せきばうかくを招く 白居易

海天東望夕茫茫  海と天と 東を望めば夕べ茫茫ばうばうたり
山勢川形濶復長  山勢さんせい川形せんけいひろくしてた長し
燈火萬家城四畔  燈火とうくわ万家ばんか城の四畔しはん
星河一道水中央  星河せいか一道いちどう水の中央
風吹古木晴天雨  風は古木こぼくを吹く 晴天せいてんの雨
月照平沙夏夜霜  月は平沙へいさを照らす 夏の夜の霜
能就江楼銷暑否  江楼かうろうに就きてしよすやいな
比君茅舎校淸涼  君が茅舎ばうしやに比すればや清涼ならん

【通釈】夕方、東方を望めば、海も空も茫々と暮れ、
山並も川の流れも、ゆったりとどこまでも続いている。
あまたの家々の灯火は城市の四辺まで行き渡り、
天の河が一すじ、川面の中央に映じている。
風は古木を吹いて、晴天の雨のように音を立て、
月は平らかな川砂を照らして、夏の夜に降りた霜のようだ。
君もこの川のほとりの楼閣に来て避暑が出来ないものか。
君の狭苦しい茅屋に比べれば、少しは涼しいだろう。

【補記】抗州の銭塘江のほとりの楼閣からの夕べの眺めの素晴らしさに、客を招こうと詠じた詩。和漢朗詠集巻上夏の「夏夜」に「風吹古木晴天雨 月照平沙夏夜霜」が引かれている。大江千里の歌は「月照平砂夏夜霜」の句題和歌。「夏月」の題詠でこの句を踏まえたと思われる和歌は少なからず見える。『新撰万葉集』の歌は「風吹古木晴天雨」を踏まえたものであろう。また謡曲『雨月』『経政』に両句を踏まえた章句が見える。

【影響を受けた和歌の例】
月影になべて真砂の照りぬれば夏の夜ふれる霜かとぞ見る(大江千里『句題和歌』)
夏の夜の霜やおけると見るまでに荒れたる宿をてらす月影(作者未詳『寛平御時后宮歌合』)
今夜かくながむる袖のつゆけきは月の霜をや秋とみつらん(よみ人しらず『後撰集』)
夏の夜もすずしかりけり月影は庭しろたへの霜と見えつつ(藤原長家『後拾遺集』)
雲きゆる空にや月のさえつらん庭もこほらぬ夏の夜の霜(西園寺実氏『弘長百首』)
ひさかたの照る日にあへどいかなれば霜と見ゆらん夏の夜の月(弁内侍『弁内侍日記』)
身にしみて月ぞ涼しき白妙の袖のひとへや夏の夜の霜(宗良親王『宗良親王千首』)
月もなほ残るみぎりの朝きよめ夏さへ霜をはらふとぞ見る(堯孝『新続古今集』)
夏の夜の霜には月もまがひけり雪とぞ見ゆる庭の卯の花(香川景樹『桂園一枝拾遺』)

白氏文集卷二十 江樓晩眺、景物鮮奇、吟翫成篇、寄水部張員外
江楼にて晩に景物の鮮奇なるを眺め、吟翫して篇を成し、水部すいぶ張員外ちやうゐんぐわいに寄す 白居易

澹煙疏雨閒斜陽  澹煙たんえん疏雨そう斜陽にまじは
江色鮮明海氣涼  江色かうしよく鮮明にして海気かいき涼し
蜃散雲收破樓閣  しん散じ雲收まりて楼閣を破る
虹殘水照斷橋梁  虹くづれ水照らして橋梁を断つ
風翻白浪花千片  風白浪はくらうひるがへす 花千片せんぺん
鴈點靑天字一行  雁青天に点ず 字一行いつかう
好著丹靑圖寫取  し 丹青をもつ図写づしやし取り
題詩寄與水曹郎  詩を題して寄せ与へん 水曹郎すいさうらう

【通釈】淡い靄と疎らな雨のうちに夕陽の光が射し込み、
湖面の色は鮮明となって、海からの気が涼しい。
雲がおさまり、薄まっていた蜃気楼は粉々に失せた。
夕陽が水面を照らし、残っていた虹の橋はずたずたに断たれた。
風は白波に千の花びらをひらめかせ、
雁は青空に一つらの文字を描いている。
よし、絵具で以てこの絶景を写し取り、
詩を題し、水曹郎の君に贈ってあげよう。

【語釈】◇澹煙 澹は淡に同じ。淡いもや。◇蜃 蜃気楼。◇樓閣 蜃気楼によって見えていた高層建築物。◇橋梁 虹を橋になぞらえる。◇丹青 赤と青の絵具。 ◇圖寫 写生。◇水曹郎 水部員外郎、張籍。

【補記】湖辺の楼閣からの夕景を嘆賞しているうちに出来た詩を、水部員外郎の張籍に贈ったという。和漢朗詠集巻下「眺望」に「風翻白浪花千片 鴈點靑天字一行」が採られている。下記千里・蘆庵作は「風翻白浪花千片」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
沖つより吹きくる風は白浪の花とのみこそ見えわたりけれ(大江千里『句題和歌』)
白妙の浪ぢわけてやはるはくる風ふくままに花もさきけり(よみ人しらず『新勅撰集』)
沖つ風吹きたつなへに寄る波は散るを惜しまぬ花にぞありける(小沢蘆庵『六帖詠草』)

白氏文集卷二十 早冬
早冬さうとう   白居易

十月江南天氣好   十月江南天気ことむな
可憐冬景似春華   あはれむべし 冬のかげの春に似てうるはしきことを
霜輕未殺萋萋草   霜はかろいまらさず 萋萋せいせいたる草
日暖初乾漠漠沙   日は暖かく初めて漠漠ばくばくたるすな
老柘葉黄如嫩樹   老柘らうしや葉は黄にして嫩樹どんじゆの如し
寒櫻枝白是狂花   寒桜かんあう枝は白くして是れ狂花きやうくわ
此時却羨閒人醉   此の時かへつてうらや間人かんじんふを
五馬無由入酒家   五馬ごば酒家しゆかよしも無し

【通釈】十月の江南は天気うるわしい。
愛しもうではないか、冬の光が春のように華やかなことを。
霜は軽く、萋々と繁る草をまだ枯らさない。
日は暖かく、漠々と広がる河原の砂を乾かし始める。
老いた山桑、その葉は黄に色づいて若木のようだ。
寒桜の樹、その枝が白く見えるのは狂い咲きの花だ。
こんな時節には、むしろ酔いどれの閑な御仁が羨ましい。
五頭立ての馬車で、居酒屋に乗り込むわけにもゆかぬ。

【語釈】◇十月 陰暦十月、初冬。◇江南 長江(揚子江)下流の南側。作者は五十代前半、江南の地方官を勤めていた。◇好 現在では「し」と訓むのが普通。ここでは和漢朗詠集の古写本の古点の訓に従った。「ことむなし」は「こともなし」(太平無事である意)から来た語。◇冬景 冬の日射し。◇似春華 「春華に似たり」とも訓める。「春華」は春のはなやかさ。◇萋萋 草木が盛んに繁るさま。◇初乾 やっと乾かし始めたばかり。◇老柘 老いた山桑の木。◇嫩樹 若木。◇閒人 ひま人。官職に就いていない人。「閑人」とする本もあるが意味は「間人」と同じ。◇五馬 五頭立ての馬車。高級官僚の乗物。

【補記】我が国で言う小春日和を詠んだ歌。長慶三年(823)、作者五十二歳、江南杭州の刺史であった時の作。初二句が和漢朗詠集巻上冬の「初冬」の部に引かれ、和歌では句題に好まれた。

【影響を受けた和歌の例】
宵々にまだおく霜のかろければ草葉をだにも枯らさざりけり(大江千里『句題和歌』)
神無月いり江の南その里は空にぞ春のかげを知るらん(藤原隆房『朗詠百首』)
けふを冬とかへりてつぐる春の色はいかなるえより思ひそめけむ(慈円『拾玉集』)
このごろの冬の日かずの春ならば谷の雪げに鶯の声(定家『拾遺愚草』)
この里は冬おく霜のかろければ草の若葉ぞ春の色なる(定家『拾遺愚草員外』)
神無月はるの光か晴るる江の南にめぐる空の日影も(武者小路実陰『芳雲集』)
冬来ぬと誰かはわかん江の南雲もしぐれぬこの頃の空(〃)

白氏文集卷二十 與諸客攜酒、尋去年梅花有感
諸客しよかくと酒をたづさへ、去年の梅花を尋ねて感有り 白居易

馬上同攜今日杯  馬上ともたづさ今日こんにちはい
湖邊共覓去春梅  湖辺共にもと去春きよしゆんの梅
年年只是人空老  年年ねんねんただこれ人空しく老ゆ
處處何曾花不開  処処しよしよ何ぞかつて花ひらかざらん
詩思又牽吟咏發  詩思ししあれば又吟咏ぎんえいいてはつ
酒酣還喚管絃來  酒たけなはにしてた管絃をびてきた
樽前百事皆依舊  樽前そんぜん百事皆旧にれり
點檢唯無薛秀才  点検てんけんするに薛秀才せつしうさい無し

【通釈】馬に乗り、皆で今日飲む酒をたずさえ、
湖のほとり、去年の春に見た梅を尋ねる。
年ごとに、ただ人は空しく老いてゆくが、
至る所、かつて花が咲かなかったことなどあろうか。
詩想が湧けば、去年と同じく立て続けに吟詠し、
宴が酣になれば、今年もまた妓女を呼び管絃を奏させる。
酒樽を前にして、全てのことは旧年通りであるが、
顔ぶれを見わたせば、ただ独り薛秀才がいない。

【語釈】◇樽前百事 酒宴にかんするすべてのこと。◇薛秀才 薛景文。白居易の友人にして詩人。自注によれば、この詩を作った前年、共に梅を賞し、当年亡くなったという。

【補記】第三句「年年只是人空老」を句題に大江千里が歌を作っている。大江維時の『千載佳句』に「詩思又牽吟咏發 酒酣還喚管絃來」が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
年々としどしと数へこし間にはかなくて人は老いぬるものにぞありける(大江千里『句題和歌』)

白氏文集卷二十 紫陽花
紫陽花しやうくわ  白居易

何年植向仙壇上  いづれの年にか仙壇せんだんほとりに向きて植ゑたる
早晩移栽到梵家  早晩いつか移しゑて梵家ぼんかに到れる
雖在人閒人不識  人間じんかんりといへども人らず
與君名作紫陽花  君がために名づけて紫陽花しやうくわ

【通釈】いつの年、仙境の辺に植えたのか。
いつこの寺に移し植えたのか。
人間界にあるのに人は知らない。
君のために紫陽花と名付けよう。

【語釈】◇向 「於」の意の前置詞。◇仙壇 仙人のたちの住む場所。仙境。招賢寺のある霊隠山をこう言った。◇早晩 いつ。当時の俗語という。◇梵家 寺。招賢寺を指す。◇紫陽花 紫は神仙の色。陽は「ひなた」、易学ではプラスの意。

【補記】作者は次のように自注を添えている。「招賢寺有山花一樹、無人知名、色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。因以紫陽花名之」(招賢寺に山花一樹有り、人の名を知るもの無し。色紫にして気香ばしく、芳麗愛す可く、頗る仙物に類す。因つて紫陽花を以て之を名づく)。すなわち抗州霊隠山の招賢寺に植えられていた名の無い花に「紫陽花」の名を付けたことを詠んだ詩である。日本でアジサイを「紫陽花」と書くのはこの詩に由来する。
下に引用した歌は、アジサイならぬ「しもつけ」の名を隠した物名歌。「つけん」は「付けん」とも「告げん」とも取れるが、白居易の詩を踏まえたのなら前者と解すべきだろう。

【影響を受けた和歌の例】
植ゑて見る君だに知らぬ花の名を我しもつけん事のあやしさ(よみ人しらず『拾遺集』)

卷五十一 格詩一

白氏文集卷五十一 題故元少尹集後二首
元少尹げんせうゐんが集のあとに題す二首 白居易

黄壤詎知我  黄壌くわうじやうなんぞ我を知らん
白頭徒憶君  白頭はくとういたづらに君をおも
唯將老年淚  ただ老年の涙をもつ
一灑故人文  いつに故人のぶんそそ

 其二
遺文三十軸  遺文ゐぶん三十軸さんじふぢく
軸軸金玉聲  軸軸ぢくぢく金玉きんぎよくの声あり
龍門原上土  龍門りようもん原上げんじやうつち
埋骨不埋名  ほねうづむれども名を埋めず

【通釈】黄泉にいる君がどうしてこの世の私を知ろう。
しかし白髪頭の老人はむやみと君を懐かしんでいる。
ただ年老いてもろくなった涙を、
すべて亡き君の文の上にそそいでいる。

其の二
君の遺した書は三十巻。
巻毎に無上の響きを伝える。
君は龍門の原野の土に
骨を埋めたが、名を埋めはしなかった。

【語釈】◇黄壤 冥土。黄泉。◇龍門 山西・陝西両省の境、黄河中流の難所。

【補記】元居敬(763~822)の集の末尾に記した詩二首。元居敬(宗簡)は白居易より九歳年上の旧友で、度々詩を贈答した。和漢朗詠集巻下「文詞 付 遺文」に「其二」全詩が引かれ、特に第三・四句は軍記物や謡曲に多く引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
  貫之が集を借りて、返すとてよみ侍ける 恵慶法師
ひと巻に千々ちぢ黄金こがねをこめたれば人こそなけれ声はのこれり(『後拾遺集』)
  紀時文ときふみがもとにつかはしける 清原元輔
かへしけむ昔の人のたまづさを聞きてぞそそく老の涙は(『後拾遺集』)
  遺文三十軸軸軸金玉声
水ぐきのあとは昔に変はらねば見るに涙のかわく間ぞなき(藤原隆房『朗詠百首』)
  無常
いつ我も筆のすさびはとまりゐてまたなき人の跡と言はれむ(藤原定家『拾遺愚草』)

白氏文集卷五十一 落花
落花  白居易

留春春不住  春をとどむれども春とどまらず
春歸人寂寞  春帰りて人寂寞せきばくたり
厭風風不定  風をいとへども風定まらず
風起花蕭索  風ちて花蕭索せうさくたり
既興風前歎  既に風前のたんおこ
重命花下酌  重ねて花下くわかの酌を命ず
勸君嘗綠醅  君に勧めて緑醅りよくはいめしめ
教人拾紅萼  人をして紅萼こうがくを拾はしむ
桃飄火燄燄  桃ひるがへりてくわ燄燄えんえんたり
梨墮雪漠漠  梨ちて雪漠漠ばくばくたり
獨有病眼花  独り眼花がんくわを病む有るのみ
春風吹不落  春風しゆんぷう吹きて落ちず

【通釈】春を留めようとしても春は留まらない。
春は去って行き人はしょんぼりとしている。
風を嫌がっても風はおさまらない。
風が吹き立ち花は寂れている。
ついに風前の灯と老いの歎きを起こし、
またも花の下で酒宴を開かせる。
君に美酒を嘗めるよう勧め、
人に紅い花びらを拾わせる。
桃の花が翻って、燃え立つ火のようだ。
梨の花が散って、いちめん雪のようだ。
ただ、病んだ私の目を霞ませる花だけは、
春風が吹いても落ちずに留まっている。

【語釈】◇風前歎 風前の灯のように老い先短いことの歎き。◇綠醅 美酒。◇紅萼 紅い花びら。以下の句によって桃と分かる。◇眼花 白内障などによる、かすみ目。

【補記】大和三年(829)から同六年頃の作かという(新釈漢文大系)。慈円・定家の第一首は「留春春不、春帰人寂寞」を、第二首は「厭風風不、風起花蕭索」を句題とした歌。また法印憲実の歌は「留春春不」の句題和歌。【参考】に挙げた野水の句は「留春春不、春帰人寂寞」を題とする。

【影響を受けた和歌の例】
をしめどもとまらぬ今日はよしの山梢にひとりのこる春風(慈円『拾玉集』)
山ざくら風に成行く梢よりたえだえおつる滝のしらいと(同上)
春のゆく梢の花に風たちていづれの空をとまりともなし(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うらむとてもとの日かずのかぎりあれば人もしづかに花もとまらず(同上)
をしむにはよらぬならひと思ふだになほ歎かるる春の暮かな(法印憲実『閑月和歌集』)

【参考】
行春もこゝろへがほの野寺かな(岡田野水『詩題十六句』)

卷五十二 格詩雑體

白氏文集卷五十二 池上夜境
池上ちじやう夜境やきやう  白居易

晴空星月落池塘  晴空せいくう星月せいげつ 池塘ちたうに落ち
澄鮮淨綠表裏光  澄鮮ちようせんたる浄緑じやうりよく 表裏へうりに光る
露簟淸瑩迎夜滑  露簟ろてん清瑩せいけいとしてを迎へてなめらかなり
風襟蕭灑先秋涼  風襟ふうきん蕭灑せうさいとして秋に先だちて涼し
無人驚處野禽下  人驚かすところ無きに野禽やきんくだ
新睡覺時幽草香  新たにねむりより覚むる時 幽草いうさうかんば
但問塵埃能去否  だ問ふ 塵埃ぢんあいく去るやいな
濯纓何必向滄浪  ひもあらふに何ぞ必しも滄浪さうらうに向かはんや

【通釈】晴れた夜空の星と月の光が池の水に映り、
澄み切った穢れのない木々の緑が翻って光る。
露に濡れたむしろは清らかで、夜を迎えて滑らかになる。
風は襟元にすがすがしく、はや秋を思わせる涼しさだ。
人に驚くことなく、野鳥が地に舞い降りる。
しばし睡りに落ち、新たに目覚めると、かすかな草の香りが芳しく漂う。
ただ問いたい、私は俗世の塵を洗い落とせたかどうか。
滄浪の水で冠の紐を洗うと言うが、この池でも我が身を浄めることはできるだろう。

【語釈】◇蕭灑 清らかでさっぱりとしたさま。◇濯纓 纓は冠の紐。清らかなものの喩え。『孟子』の「滄浪之水淸兮 可以濯我纓(滄浪の水清ければ 以て我が纓を濯ふべし)」を踏まえ、俗世を超脱することを含意。◇滄浪 中国湖北省を流れる漢水の古称。

【補記】池のほとりで過ごす晩夏の夜の興趣を詠む。大和四年(830)、五十九歳、洛陽での作。和漢朗詠集巻上夏「納涼」に「露簟清瑩迎夜滑 風襟蕭灑先秋涼」が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
風の音も秋にさきだつ心ちして鹿鳴きぬべき野辺の夕暮(慈円『拾玉集』)
穂にいでぬ篠のをすすき露ちりて秋にさきだつ風ぞすずしき(平親清四女『平親清四女集』)

卷五十三 律詩

白氏文集卷五十三 閑臥
閑臥   白居易

盡日前軒臥  尽日じんじつ軒を前に
神閑境亦空  こころしづかにきやうくうなり
有山當枕上  山の枕上ちんじやうに当つる有り
無事到心中  事の心中しんちゆうに到る無し
簾卷侵床日  すだれ巻かれ とこおかす日
屏遮入座風  へいさへぎる 座にる風
望春春未到  春を望むも春いまだ到らず
應在海門東  まさ海門かいもんの東にあるべし

【通釈】一日中、軒に向かって寝床に臥し、
心しずかに、空の境地にある。
枕もとにちょうど山が望まれる。
心中、雑事に煩わされることは無い。
捲き上げた簾から、寝床に日が射し込み、
部屋に吹き入る風は、屏風が遮ってくれる。
待ち望む春はまだ到らない。
今ごろ海峡の東に来ているだろう。

【語釈】◇海門 陸地に挟まれた海の通路。瀬戸。海峡。

【補記】長慶三年(823)、五十二歳、抗州での作。「望春春未到 応在海門東」を句題に慈円・定家が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
みちのくや春まつ島のうは霞しばしなこその関路にぞ見る(慈円『拾玉集』)
清見潟あけなむとする年なみの関戸の外に春や待つらん(藤原定家『拾遺愚草員外』)

卷五十四 律詩

白氏文集卷五十四 河亭晴望 九月九日
河亭かてい晴望せいばう 九月九日 白居易

風轉雲頭斂  風転じて雲頭うんとうをさまり
煙銷水面開  煙えて水面ひら
晴虹橋影出  晴虹せいこう 橋影けうえい
秋鴈櫓聲來  秋雁しうがん 櫓声ろせいきた
郡靜官初罷  ぐん静かにしてくわん初めて
鄉遙信未迴  きやう遥かにしてしん未だめぐらず
明朝是重九  明朝めいてう重九ぢゆうきう
誰勸菊花盃  たれ菊花きくくわはいすすめん

【通釈】風向きが転じて、雲は頭を引っ込め、
煙霧が消えて、川面がひらけた。
雨あがりの虹のような橋の影があらわれ、
櫓を漕ぐような声をあげて雁がやって来る。
郡中は静かに治まり、私は官職を罷めたばかりだが、
故郷は遥か遠く、書信の返事はまだ届かない。
明日は九月九日重陽の節句。
菊花を浮べた盃を誰が勧めてくれるだろう。

【語釈】◇晴虹 雨あがりの虹。◇重九 陰暦九月九日、重陽の節。長寿を祈り、菊の花を浮かべた酒を飲む風習がある。

【補記】宝暦二年(828)、作者五十五歳。前年蘇州の刺史に任官したが、この年病により罷免され、間もなく帰郷した。
雁を舟に喩えた菅根の歌は当詩の第四句「秋鴈櫓聲來」の影響を受けたと見られる。他にも同句を踏まえたと思われる和歌が散見される。実隆の歌の題は「雁似櫓声」である。

【影響を受けた和歌の例】
秋風に声をほにあげて来る舟はあま渡る雁にぞありける(藤原菅根『古今集』)
潮路ゆく友とや思ふ海人小舟はつ雁がねのこゑぞ聞ゆる(寂身『寂身法師集』)
久かたの天の河舟からろをやおし明がたの初雁の声(正徹『草根集』)
氷ゐる入江の磯のすて舟におのれ梶とる雁のこゑかな(正徹『草根集』)
くる雁や水のおもかぢとりかぢに声もすがたも沖の友舟(三条西実隆『雪玉集』)
わたの原そらゆく雁はおともなし浦こぐ舟に声をゆづりて(井上文雄『調鶴集』)

卷五十五 律詩

白氏文集卷五十五 新昌閑居、招楊郎中兄弟
新昌しんしやうに閑居し、楊郎中やうらうちゆう兄弟けいていを招く 白居易

紗巾角枕病眠翁  紗巾さきん角枕かくちん病眠びやうみんをう
忙少閑多誰與同  ばう少なくかん多く 誰とともにかおなじうせん
但有雙松當砌下  双松さうしようみぎりの下に当るあり
更無一事到心中  更に一事いちじの心の中に到る無し
金章紫綬看如夢  金章きんしやう紫綬しじゆ るに夢の如く
皂蓋朱輪別似空  皂蓋さうがい朱輪しゆりん 別にくうに似たり
暑月貧家何所有  暑月しよげつ貧家ひんか 何の有する所ぞ
客來唯贈北窗風  かくきたればだ贈る北窓ほくさうの風

【通釈】紗の頭巾をかぶり、四角い枕に病んで眠る老翁。
忙しい時は少なく、閑な時は多くなって、誰と共に過ごせばよいのか。
屋敷にはただ二もとの松が軒下にあるばかり、
心の中にまで響くような事は一つとして起こらない。
朝廷に頂いた金と紫の印は、目にしても夢のようで、
黒い幌に朱塗りの馬車は、空しい幻影のようだ。
暑いこの月に、貧しい家で何のもてなしが出来よう。
客人が来ればただ北窓から風を送るばかりだ。

【語釈】◇紗巾 紗(薄絹)で作った頭巾。◇砌 軒下や階下に石を敷いた所。◇更無一事到心中 「心中には一事の気に掛かることもない」とする解もある(新釈漢文大系)が、ここは感動を誘うような事柄がないという否定的な意味で言ったものと思われる。◇金章紫綬 黄金の印章と、紫の印綬。秘書監を務めた時に賜わった物。◇皂蓋朱輪 「皂蓋」は黒い覆い。「朱輪」は朱塗りの車輪。貴人の乗る馬車。

【補記】長安の新昌坊に閑居していた時、楊氏の義兄弟を自宅に招待する時に作ったという詩。大和元年(827)、五十六歳。和漢朗詠集巻下雑「松」に第三・四句が引かれている。定家と慈円の歌は第七・八句「暑月貧家何所有 客來唯贈北窗風」の、土御門院の歌は「但有双松当砌下」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
・「但有双松当砌下 更無一事到心中」の句題和歌
庭の松よおのが梢の風ならで心の宿をとふものぞなき(慈円『拾玉集』)
我が宿の砌にたてる松の風それよりほかはうちもまぎれず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
心にはそむる思ひもなきものを何のこるらむ軒の松風(寂身『寂身法師集』)
・「但有双松当砌下」の句題和歌
我も知り我も知られて年は経ぬみぎりに植ゑしふたもとの松(土御門院『土御門院御集』)
・「暑月貧家何所有 客来唯贈北窓風」の句題和歌
夏をとふ人やあはれにきても見んむなしくはらふ窓の北風(慈円『拾玉集』)
吹きおくる窓の北風秋かけて君が御衣みけしの身にやしまぬと(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・その他
山里は砌の松の色ならで心にのこる一こともなし(宗尊親王『竹風和歌抄』)
風はらふ砌のもとの松も知れ心にかかる塵もなき身を(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷五十五 秘省後廳
秘省ひしやう後聴こうちやう 白居易

槐花雨潤新秋地  槐花くわいくわ雨にうるほ新秋しんしうの地
桐葉風翻欲夜天  桐葉とうえふ風にひるがへる 夜ならんとする天
盡日後廳無一事  尽日じんじつ後庁こうちやう一事いちじ無く
白頭老監枕書眠  白頭はくたう老監らうかん書を枕にして眠る

【通釈】えんじゅの花が雨にみずみずしく湿る、早秋の地。
桐の葉が風に踊り飛ぶ、暮れようとする空の下。
終日、後方の政庁では忙しい仕事の一つも無く、
白髪頭の老秘書監は、書物を枕にして昼寝する。

【語釈】◇槐花 エンジュの花。夏に黄白色の花をつける。宮中に好んで植えられた。◇桐葉 桐の葉はいちはやく落葉して秋を告げるものとされた。◇老監 老いた秘書監。

【補記】太和元年(827)秋、長安で秘書監を勤めていた時の作。作者五十六歳。和漢朗詠集巻上秋「早秋」の部に「槐花雨潤新秋地 桐葉風欲夜天」が引かれ、「桐葉風欲夜天」を踏まえたと思われる和歌が幾つか見られる。

【影響を受けた和歌の例】
桐の葉のうらふく風の夕まぐれそそや身にしむ秋は来にけり(藤原定家『拾遺愚草員外』)
日はくもる桐の葉がくれ秋やときさよ風涼しねやの手枕(得業信広『正治初度百首』)
秋をあさみまだ色づかぬ桐の葉に風ぞ涼しき暮れかかるほど(阿覚『御室五十首』)
夕露はおきあへぬまにかつ散りて桐の葉すずし秋の初風(惟宗光吉『光吉集』)

白氏文集卷五十五 寄殷協律
殷協律いんけふりつに寄す 白居易

五歳優游同過日  五歳の優游いういう ともに日を過ごし
一朝消散似浮雲  一朝いつてう消散せうさんして浮雲ふうんに似たり
琴詩酒伴皆抛我  琴詩酒きんししゆとも皆我をなげう
雪月花時最憶君  雪月花せつげつくわの時最も君をおも
幾度聽鷄歌白日  幾度いくたびけいを聴き白日はくじつを歌ひ
亦曾騎馬詠紅裙  かつて馬に紅裙こうくんを詠ず
呉娘暮雨蕭蕭曲  呉娘ごぢやう暮雨ぼう蕭蕭せうせうの曲
自別江南更不聞  江南に別れてより更に聞かず

【通釈】五年の間、君と過ごした楽しい日々は、
或る朝、浮雲のように消え散ってしまった。
琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、
雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。
幾たび「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。
馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。
呉娘の「暮雨蕭々」の曲は
江南に君と別れて以後、二度と聞いていない。

【語釈】◇五歳優游 五年間のどかに遊んだこと。◇聽鷄歌白日 「黄鷄」を聴き、「白日」を歌う。「黄鷄」「白日」は詩人が杭州にいた頃聞いたという歌の曲名。◇呉娘 「呉姫」とする本も。呉二娘とも呼ばれた、江南の歌姫。「暮雨蕭蕭、郎不歸」(夕暮の雨が蕭々と降り、夫は帰らない)の詞を歌ったという。

【補記】江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった協律郎(儀式の音楽を担当する官職)いん氏に寄せた詩。共に江南で過ごした日々を懐かしむ。宝暦元年(825)、五十四歳頃の作。第三・四句を「琴詩酒皆抛我 雪月花時最憶君」として和漢朗詠集巻下「交友」の部に引かれている。この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。

【影響を受けた和歌の例】
いくとせのいく万代か君が代に雪月花のともを待ちけん(式子内親王『正治初度百首』)
白妙の色はひとつに身にしめど雪月花のをりふしは見つ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
面影も絶えにし跡もうつり香も月雪花にのこる頃かな(土御門院『御集』)
よしやその月雪花の色もみなあだしうき世のなさけと思へば(伏見院『御集』)
入るを恨み消ゆるを惜しみうつろふを嘆くや同じ心なるらむ(加藤千蔭『うけらが花』)
夕月のかげもひとつにかすみつつ花につづける富士の白雪(松平定信『三草集』)
見れどあかぬ月雪花の三つあひにわが玉の緒は縒りや掛けまし(加納諸平『柿園詠草』)

白氏文集卷五十五 春風
春風  白居易

春風先發苑中梅  春風しゆんぷうひら苑中ゑんちうの梅
櫻杏桃梨次第開  あうきやうたう次第に開く
薺花楡莢深村裏  薺花せいくわ楡莢ゆけふ深村しんそんうち
亦道春風爲我來  春風しゆんぷう我が為に来れりと

【通釈】春風は真っ先に庭園の中の梅を咲かせる。
そして山桜桃ゆすらうめ・杏・桃・梨の花がつぎつぎに開く。
奥深い山里では、なずなの花が咲き、楡の実が生る。
また口に出して言うのだ、春風が我らのために来てくれたと。

【語釈】◇櫻 中国ではユスラウメを言う。◇薺花 ナズナの花。◇楡莢 春楡(ハルニレ)の実。春楡は春、花をつけた後に翼果を結ぶ。

【補記】巻数は那波本による。初句を「一枝先發園中梅」とする本もある。定家の歌は「春風先発ママ中梅、桜杏桃李次第開」を句題とする歌。

【影響を受けた和歌の例】
咲きぬなり夜のまの風にさそはれて梅よりにほふ春の花園(藤原定家『拾遺愚草員外』)

卷五十六 律詩

白氏文集卷五十六 對酒五首 其二
酒に対す 其の二 白居易

蝸牛角上爭何事  蝸牛くわぎうつのの上に何事か争ふ
石火光中寄此身  石火せつかの光のうちに此の身を寄せたり
隨富隨貧且歡樂  したがひんに隨ひしばらく歓楽せよ
不開口笑是癡人  口をひらきて笑はざるは癡人ちじんなり

【通釈】かたつむりの角の上のように狭い世間で何を争うのか。
火打石が発する光のように一瞬だけこの世に身を寄せているのに。
富む人は富むなりに、貧しい人は貧しいなりに、とまれ酒を飲んで楽しもう。
大口開けて笑えないのは馬鹿者だ。

【語釈】◇蝸牛角上 荘子則陽篇の寓言――蝸牛の左右の角の上にある国(触氏・蛮氏)が領土を争って多くの死者を出した――を踏まえる。ことわざ「蝸牛角上の争い」は直接的には掲出詩を出典とする。◇石火光 火打石を打つ時に出る光。きわめて短い時間の譬え。

【補記】「對酒」五首より。首聯が和漢朗詠集巻下雑「無常」に引かれている。「無常」「寄火無常」などの題で詠まれた歌に「石火光中寄此身」の句を踏まえたと見られる例がある。但し人生の短さを「石火」に譬えた例は漢籍に古くから見える。

【影響を受けた和歌の例】
石をうつ光の中によそふなりこの身の程をなに歎くらん(藤原俊成『長秋詠藻』)
石の火にこの身をよせて世の中の常ならずさを思ひ知るかな(越前『千五百番歌合』)
はかなしや見る程もなき石の火の光のうちによする此の身は(花山院師兼『師兼千首』)

白氏文集卷五十六 對酒五首 其五
酒に対す 其の五 白居易

昨日仾眉問疾来  昨日さくじつ眉をしつを問ひて来れり
今朝収涙弔人迴  今朝こんてう涙を収め人をとむらひてめぐ
眼前流例君看守  眼前の流例りうれいをば君看守かんしゆせよ
且遣琵琶送一杯  しばらく琵琶をつかはして一杯を送る

【通釈】昨日は愁い顔で病を見舞った人が、
今朝は涙を拭って人の死を弔い、帰って来る。
目の前にあるこの先例を、よくよく見ておき給え。
ひとまず琵琶を弾かせて、一杯遣ろう。

【補記】「對酒」五首の最終首。嘉喜門院・徳川尋子の両首は偶然似ただけかもしれないが、共に其五の首聯を踏まえている可能性がある。

【影響を受けた和歌の例】
昨日はとひ今日はとはるるあだし世の夢のうちなるゆめぞかなしき(嘉喜門院『嘉喜門院集』)
今日はとひ明日はとはるる夢の世になき人しのぶ我もいつまで(徳川尋子『香玉詠藻』)

卷五十八 律詩

白氏文集巻五十八 府西池
府西の池  白居易

柳無氣力條先動  柳に気力なくしてえだづ動く
池有波文氷盡開  池に波のもんありて氷ことごとひらけたり
今日不知誰計會  今日こんにち知らず 誰か計会けいくわいせし
春風春水一時來  春風しゆんぷう春水しゆんすい一時いつとききた

【通釈】柳はぐったりとして、暖かい風に真っ先に枝が動く。
池の氷はすっかり解けて、水面に波紋が描かれる。
今日、いったい誰が計らい合わせたのか。
春の風と春の水とが、同時にやって来た。

【語釈】◇計会 計画。計らい合せる。

【補記】題の「府西池」の「府」とは白居易の任地河南府。白居易が河南尹に叙せられたのは太和四年(830)、五十九歳のこと。以後太和七年四月までを同地に過ごした。和漢朗詠集巻上「立春」の部に全句が引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
水のおもにあや吹きみだる春風や池の氷をけふはとくらむ(紀友則『古今集』)
袖ひちし池の氷もうちとけてみどりのあやは波ぞたちける(大江匡房『江帥集』)
春風やとくる氷のぬきをうすみあやなくみだす池のさざ波(宗良親王『宗良親王千首』)
浪のあやを氷の下にたたみ置きて声さむげなる池の水鳥(正広『松下集』)
とけわたる池の氷の波のあやに色もめづらし鴛の毛衣(中院通村『後十輪院内府集』)
氷とけし池のおもてに小車のあや織りみだり春雨ぞふる(香川景樹『桂園一枝』)

卷六十五 律詩

白氏文集後集卷六十五 白羽扇
白羽扇はくうせん 白居易

素是自然色  しろきはこれ自然の色
圓因裁製功  まろきは裁製さいせいの功に
颯如松起籟  さつとして松のらいつるが如く
飄似鶴飜空  へうとして鶴の空にひるがへるに似る
盛夏不銷雪  盛夏にもえざる雪
終年無盡風  終年しゆうねん尽くること無き風
引秋生手裏  秋を引きて手裏しゆりしやう
藏月入懷中  月をざうして懐中くわいちゆう
麈尾斑非疋  麈尾しゆびまだらにしてたぐあら
蒲葵陋不同  蒲葵ほきいやしくて同じからず
何人稱相對  何人なんぴと相対さうたいとなへむ
淸瘦白鬚翁  清瘦せいしうなる白鬚はくしゆをう

【通釈】白いのは自然の色。
円いのは人工のしわざ。
吹き立つ松籟のように爽やかな音をたて、
空に翻る鶴のようにひらりと閃く。
盛夏にも消えない雪だ。
一年中、尽きることのない風だ。
秋を先取りして手の内に生ぜしむ。
月をひっそりと懐の内に入れる。
麈尾扇しゆびせんは色が不純で劣る。
蒲葵扇びろうせんは品が下って匹敵しない。
白羽扇に釣り合うものは何があるだろう。
そう、清らかに痩せた白鬚の翁だ。

【語釈】◇裁製 素材から物を作り上げること。◇颯 風がさっと吹く音。◇飄 風にひるがえるさま。◇引秋 秋を引き寄せて。秋を先取りして。◇藏月 円形の白い扇を月になぞらえる。◇麈尾 麈尾扇。麈(大型の鹿)の尾の毛で作った扇。◇蒲葵 蒲葵扇。蒲葵はビロウ。ヤシ科の樹木でシュロに似る。その葉を扇の材とする。◇相對 対等。◇白鬚 白い顎ひげの老人。白居易自身を指すのであろう。

【補記】鳥の白い羽毛で作った団扇を詠んだ詩。和漢朗詠集巻上夏「扇」に「盛夏不銷雪」以下の四句が引かれている。下に引用したのはいずれも「引秋生手裏」を踏まえた歌である。謡曲『班女』などに「藏月入懷中」を踏まえた章句が見える。

【影響を受けた和歌の例】
うちもおかぬ扇の風の涼しさに我が手に秋はたつかとぞ思ふ(源行宗『行宗集』)
風かよふ扇に秋のさそはれてまづ手なれぬる床の月かげ(藤原定家『拾遺愚草』)
露むすぶ今朝も扇はおきやらで我が手よりなる秋の初風(二条為明『延文百首』)
秋をなす扇のかぜの手のうちにむすぶも涼し山の井の水(二条為定『為定集』)

卷六十六 律詩

白氏文集卷六十六 尋春題諸家園林 又題一絶
春の題を諸家の園林に尋ぬ 白居易

貌隨年老欲何如  かほは年に随ひて老ゆるも何如いかんせん
興遇春牽尚有餘  興は春にひてかれてほ余り有り
遙見人家花便入  遥かに人家じんかを見て花あれば便すなは
不論貴賤與親疏  貴賤きせん親疏しんそを論ぜず

【通釈】容貌は齢につれ老いるのも致し方ない。
楽しむ心は春に出遭い、誘い出されてなお余りある。
遥かに人家を眺めて、花が咲いていればただちに歩み入る。
身分の貴賤や間柄の親疎など、どうでもよい。

【補記】馬元調本などでは巻三十三にある。同題の第二首。和漢朗詠集巻上春の部の「花」に第三・四句が引かれている。千里の歌は第三句の、慈円・定家の歌は第三・四句の句題和歌である。

【影響を受けた和歌の例】
よそにても花を哀と見るからにしらぬ宿にぞまづ入りにける(大江千里『句題和歌』)
あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る(藤原敦家『新古今集』)
花を宿のあるじとたのむ春なれば見にくる友をきらふものかは(慈円『拾玉集』)
しるしらぬわかぬ霞のたえまよりあるじあらはにかをる花かな(藤原定家『拾遺愚草』)
はるかなる花のあるじの宿とへばゆかりもしらぬ野辺の若草(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷六十六 初入香山院對月
初めて香山院かうざんゐんりて月に対す 白居易

老住香山初到夜  老いて香山に住むに 初めて到る夜
秋逢白月正圓時  秋 白月はくげつまさまどかなる時に逢ふ
從今便是家山月  今便すなはち家山かさんの月
試問淸光知不知  試みに問ふ 清光せいくわうは知るや知らずや

【通釈】老いて香山に隠居しようと、初めて訪れた夜、
秋、白い月があたかも真円の時に逢う。
これからは、これが我が家郷の山の月なのだ。
ためしに尋ねよう、清らかな月よ、そのことを御存知かどうか。

【語釈】◇香山院 洛陽の龍門の東にあった香山寺。◇老住 隠居し、終の住処とすること。

【補記】太和六年(832)秋、初めて香山寺に入り、月に対して詠じた詩。作者六十一歳。以後、白居易は香山寺の僧と親しく交際し、香山居士を名乗った。初二句が『新撰朗詠集』巻上秋「月」の部に採られている。家経の歌は「居易初到香山心」を題とする句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
わが宿の光としめてわけいれば月かげしろし深山辺の秋(藤原定家『拾遺愚草』)
いそぎつつ我こそ来つれ山里にいつよりすめる秋の月ぞも(藤原家経『後拾遺集』)

白氏文集卷六十六 答夢得秋庭獨座見贈
夢得ぼうとくが秋庭の独座を贈らるるに答ふ 白居易

林梢隱映夕陽殘  林梢りんせう夕陽せきやうの残れるを隠映いんえい
庭際蕭疏夜氣寒  庭際ていさい粛疏しゆくそとして夜気やき寒し
霜草欲枯蟲思急  霜草さうさう枯れんとして虫のうらむること急に
風枝未定鳥棲難  風枝ふうし未だ定まらずして鳥のむことかた
容衰見鏡同惆悵  かたち衰へては鏡を見て同じく惆悵ちうちやう
身健逢杯且喜歡  身は健なれば杯に逢ひてしばら喜歓きくわん
應是天教相煖熱  まされ天煖熱だんねつせしむるなるべし
一時垂老與閒官  一時いちじに垂老と間官と

【通釈】林の梢に夕日の残光がちらちらと映え、
庭の片隅は木の葉もまばらで夜風が寒い。
霜の置いた草は枯れかかり、虫の恨む声がせわしなく、
風に揺れる枝はおさまらず、鳥は止まろうとして難儀する。
私の容貌は日毎に衰え、鏡を見ては何度も歎くが、
体は丈夫なので、酒を飲めばひとまず喜ぶ。
まさに天が我が身を暖めてくれたに違いない。
初老と閑職が一時に訪れた。

【語釈】◇隱映 陰り、また映える。◇蕭疏 まばら。◇垂老 老年に近づくこと。◇閒官 閒は閑に同じ。忙しくない官職。

【補記】夢得すなわち劉禹錫りゆううせき(772~842)から贈られた「秋庭独坐」に答えた詩。和漢朗詠集巻上の「虫」の部に「霜草欲枯虫思、風枝未定鳥栖難」と引かれ、「霜草さうさう枯れなんと欲して虫の思ひねんごろなり 風枝ふうし未だ定まらず鳥のむことかたし」などと訓まれる。「霜草欲枯虫思(怨)苦」の句題和歌(千里・匡房・土御門院・実陰)があり、また定家・小侍従の歌は句題和歌ではないが同句に発想を得た作と思われる。

【影響を受けた和歌の例】
おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる(大江千里『句題和歌』)
初霜にかれゆく草のきりぎりす秋は暮れぬときくぞかなしき(大江匡房『風雅集』)
そこはかと心にそめぬ下草もかるればよわる虫のこゑごゑ(藤原定家『拾遺愚草』)
秋はつる枯野の草の下葉にはさも弱るべし虫の声々(小侍従『正治初度百首』)
すず虫の声ふるさとのあさぢ原ただかれねともおけるはつ霜(『土御門院御集』)
わきてけさ霜にかじけし浅ぢふや草の枯ののはじめなるらん(武者小路実陰『芳雲集』)
置く霜に野べの木枯吹きしをる草もかつがつみし色ぞなき(同上)

卷六十七 律詩

白氏文集卷六十七 杪秋獨夜
杪秋べうしう独夜どくや   白居易

無限少年非我伴  限り無き少年せうねんは我がともあら
可憐淸夜與誰同  憐れむ清夜せいやたれともにかせん
歡娯牢落中心少  歓娯くわんご牢落らうらくして中心
親故凋零四面空  親故しんこ凋零てうれいして四面しめんむな
紅葉樹飄風起後  紅葉くわうえふじゆひるがへる 風起こるのち
白髮人立月明中  白髪はくはつの人は立つ 月あきらかなるうち
前頭更有蕭條物  前頭ぜんとうには更に蕭条せうでうたる物あり
老菊衰蘭三兩叢  老菊らうぎく衰蘭すいらん三兩さんりやうそう

【通釈】あまたの若者は、我が友ではない。
いつくしむべき清らかな夜を誰と過ごそう。
娯楽は虚しくなり、我が心中はからっぽだ。
親戚旧友は世を去って、我が周囲はうつろだ。
紅葉した木をひるがえして、風が起こった後、
白髪の人は立ち上がる、月明かりの中に。
目の前には更に蕭条たるものがある。
老いた菊、衰えた藤袴、それら二三の叢。

【語釈】◇杪秋 晩秋。陰暦九月。◇無限 数多い。数知れぬ。◇歡娯 楽しみ。◇牢落 空漠となる。虚しくなる。◇中心 心の中。◇親故 親戚や旧友。◇凋零 花や葉がしぼみ落ちることから、人の死ぬことを言う。◇白髮 白鬚(白いあごひげ)とする本もある。◇衰蘭 衰えた藤袴。

【補記】最後の二句が和漢朗詠集巻上秋「蘭」の部に引用されている。下記慈円・定家詠はいずれも掲出詩の句を題として詠まれた、いわゆる「句題和歌」である。

【影響を受けた和歌の例】
秋の霜にうつろひゆけば藤袴きて見る人もかれがれにして(慈円『拾玉集』)
ふぢばかま嵐のくだく紫にまた白菊の色やならはん(藤原定家『拾遺愚草員外』)

柳宗元(七七三~八一九)

中唐の詩人。河東(山西省永済県)の人。徳宗の貞元九年(793)の進士。永貞元年(805)順帝の即位と共に礼部員外郎に任ぜられ、政治刷新運動に参加するが、順帝の退位によって改革は失敗、永州(湖南省零陵県)の司馬に流された。元和十年(815)、都に召還され、柳州(江西省柳江)の刺史に任ぜられて同地に赴き、間もなくそこで死んだ。散文家としても知られ、『柳河東集』四十五巻を残す。

唐詩三百首 江雪
江雪     柳宗元

千山鳥飛絶  千山せんざん鳥飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅  万径ばんけい人蹤じんしようめつ
孤舟蓑笠翁  孤舟こしう蓑笠さりふをう
獨釣寒江雪  独り釣る 寒江かんかうの雪

【通釈】山という山は鳥の飛ぶ影が絶え、
みちという径は人の足跡が掻き消えた。
一艘の小舟に、蓑と笠をつけたおきな
ただ独り釣をしている、雪の降る冷たい川で。

【語釈】◇萬徑 多くの小道。「萬逕」とする本もある。◇寒江 寒々とした川。

【補記】政治改革運動に失敗して永州に流されていた時の作という。「千」と「萬」、「孤」と「獨」が対偶をなし、この上なく端整簡潔なスタイルに孤愁みなぎる五言絶句。評者の多くは孤舟の翁に詩人の自画像を見る。

【影響を受けた和歌の例】
降りつもる雪には跡もなごの江の氷を分けて出づる釣舟(頓阿『頓阿句題百首』)
鷺のゐる舟かと見れば釣人の蓑しろたへにつもる白雪(正徹『草根集』)
島山の色につづきて釣夫つりびとの着る笠白したそがれの雪(橘曙覧『志濃夫廼舎歌集』)

元稹(七七九~八三一)

元稹げんしんは河南(洛陽)の人。元和元年(806)、進士に及第。権臣に阿らず、たびたび左遷の憂き目に遭う。白居易の親友で、「元白」と併称される。『元氏長慶集』六十巻がある。

全唐詩卷四百十五 夜坐
夜坐やざ   元稹

雨滯更愁南瘴毒  雨滞りて更に愁ふ 南瘴なんしやうの毒
月明兼喜北風涼  月明らかにして兼ねて喜ぶ 北風ほくふうりやう
古城樓影橫空館  古城のらうの影 空館くうくわんに横たはり
濕地蟲聲繞暗廊  湿地の虫の声 暗廊あんらうめぐ
螢火亂飛秋已近  蛍火けいくわ乱れ飛びて秋すでに近し
星辰早沒夜初長  星辰せいしん早く没して夜初めて長し
孩提萬里何時見  孩提がいてい万里ばんりいづれの時にか見ん
狼藉家書滿臥床  狼藉たる家書臥床ぐわしやうに満つ

【通釈】雨が降り止まず、南方の瘴気の毒がさらに気がかりだったが、
夜になって月が明るく輝き、北方からの涼風が今から楽しみだ。
古城の高楼の影が、人のいない館に長々と横たわり、
湿地の虫の声が、暗い廊下にまとわりつく。
蛍の火は乱れ飛び、秋も既に近いことを感じさせる。
星々は早くも地平に没し、夜が長いことを初めて覚える。
幼な子は万里の彼方、いつの日か逢えるだろう。
妻のいない我が家、散乱した書物が寝床に満ちている。

【語釈】◇孩提 二、三歳の幼児。

【補記】元和年間、湖北の江陵に左遷されていた時の作であろう。家族を残して南国に夏を過ごす辛さと、秋を迎える安堵。和漢朗詠集巻上夏「蛍」の部に「蛍火乱飛秋已近 辰星早没夜初長」が引かれ、これを踏まえた和歌が少なくない。隆房・土御門院・実朝・直好の歌はいずれも「蛍火乱飛秋已近」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
夏たけて秋もとなりになりにけりすだく蛍のかげをみしま江(藤原隆房『朗詠百首』)
乱れ飛ぶ沢の蛍は秋ちかし空行く月の夏の暮れがた(藤原忠良『正治初度百首』)
沢水に秋風ちかしゆく蛍まがふ光はかげ乱れつつ(俊成卿女『千五百番歌合』)
うたた寝もふすほどすずし長き夜に蛍みだれて秋ぞちかづく(藤原行能『建保四年内裏百番歌合』)
小篠原しのにみだれて飛ぶ蛍今いくよとか秋を待つらん(土御門院『土御門院御集』『続拾遺集』)
飛びまがふみぎはの蛍みだれつつ蘆間の風に秋やちかづく(藤原為家『為家千首』)
かきつばたおふる沢辺に飛ぶ蛍数こそまされ秋やちかけん(源実朝『金槐和歌集』)
夏ふかき沢の蛍も乱れ葦の一夜ふたよに秋やきぬらん(宗尊親王『宗尊親王三百首』)
とぶ蛍ひかりみだれて久方の雲居にちかき秋風ぞふく(源親行『新和歌集』)
秋もはや一夜にちかき葦の葉にみだれていとど飛ぶ蛍かな(後崇光院『沙玉集』)
秋ちかみ思ひもなほや乱れまさる蛍とびかふ夏の暮れがた(同上)
みだれとぶ蛍としるやくるるよのいまいくかあらば秋かぜの空(三条西実隆『雪玉集』)
乱れとぶ入江の蛍影きえて残る漁に秋風ぞふく(望月長孝『広沢輯藻』)
吹きたたん秋風みえてわが中は蛍よりけに乱れ侘びぬる(武者小路実陰『芳雲集』)
ほに出でん秋もちかしと薄原みだれてのみも飛ぶ蛍かな(熊谷直好『浦のしほ貝』)

全唐詩卷四百十一 菊花
菊花   元稹

秋叢繞舎似陶家  秋叢しうそういへめぐりて陶家たうかに似たり
遍繞籬邊日漸斜  あまね籬辺りへんめぐれば日やうやかたむ
不是花中偏愛菊  これ花中くわちゆうひとへに菊を愛するにあらず
此花開盡更無花  此の花くこときば更に花の無ければなり

【通釈】秋の草が家の周りにぎっしりと生えて、陶潜の家を思わせる。
籬のほとりを余さず廻り歩けば、ようやく日が傾く。
数ある花の内、ひたすら菊ばかりを愛するというのではない。
この花が咲き終われば、もはや他に花が無いからなのだ。

【語釈】◇秋叢 群がり生えている秋の草。菊を指す。◇陶家 陶淵明の家。淵明の詩に「採菊東籬下」とある(「飲酒」その五)。

【補記】一年の最後の花としての菊に対する愛着を詠む。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。但し第四句の「開盡」は「開後」とあり、普通「ひらけてのち」と訓まれる。

【影響を受けた和歌の例】
目もかれず見つつ暮らさむ白菊の花よりのちの花しなければ(伊勢大輔『後拾遺集』)
霜枯れのまがきのうちの雪みれば菊よりのちの花もありけり(藤原資隆『千載集』)
またもあらじ花よりのちの面影に咲くさへ惜しき庭のむら菊(藤原定家『拾遺愚草』)
うつろはで残るは霜の色なれや菊より後の花のまがきに(姉小路基綱『卑懐集』)

【参考】『源氏物語』宿木
菊の、まだよくもうつろひはてで、わざとつくろひたてさせ給へるは、なかなかおそきに、いかなる一本にかあらむ、いと見どころありてうつろひたるを、とりわきて折らせ給ひて、「花の中に偏に」と誦じたまひて…
『浜松中納言物語』巻一
菊の花もてあそびつつ、「らんせいゑんのあらしの」と、若やかなる声あはせて誦じたる、めづらかに聞こゆ。御簾のうちなる人々も、「この花開けて後」と、口ずさみ誦ずるなり。

許渾(七九一~八五四?)

許渾きよこんは晩唐の詩人。潤州丹陽(江蘇省)の人。字は用晦。進士に合格し、県令・司馬を経て大中三年(849)監察御史となる。各地の刺史(地方官)を歴任し、晩年は潤州の丁卯橋のほとりに隠棲した。『三体詩』には杜牧と並んで多くの詩を採られている。

三體詩 咸陽城東樓
咸陽城かんやうじやう東楼とうろう 許渾

一上高城萬里愁  一たび高城にのぼれば万里ばんりの愁ひ
蒹葭楊柳似汀洲  蒹葭けんか 楊柳ようりゆう 汀洲ていしゆうに似たり
溪雲初起日沈閣  溪雲けいうん初めておこりて 閣に沈み
山雨欲來風滿樓  山雨さんうきたらんとして 風 楼に満つ
鳥下綠蕪秦苑夕  鳥は綠蕪りよくぶくだ秦苑しんゑんの夕
蟬鳴黄葉漢宮秋  蟬は黄葉くわうえふに鳴く 漢宮かんきうの秋
行人莫問当年事  行人かうじん問ふなかれ 当年の事
故國東來渭水流  故国より東来とうらいして渭水いすいは流る

【通釈】咸陽の高城に上ってみると、果てしない愁いに襲われる。
荻や葦、柳が茂り、あたかも川の中洲のように寂れている。
太陽は高殿に沈み、谷から雲が湧き起こって来た。
風が楼に吹き寄せ、山から雨が訪れようとしている。
秦の庭園の夕暮、青々とした荒草の上に鳥が舞い降りる。
漢の宮都の秋、黄に色づいた葉の陰で蟬が鳴いている。
道行く人よ、往時のことを問うてくれるな。
秦は滅びたが、その故地から東へと、渭水は今も流れている。

【語釈】◇蒹葭 水辺に生える丈の高い草の類。蒹は荻の、葭は葦の、いずれも穂の出ていないものを言う。◇汀洲 川の中洲。◇綠蕪 夏の間に繁った雑草。◇秦苑 秦代の庭園。◇漢宮 漢の宮都、長安。咸陽城から東南方向に望まれる。◇故國 昔あった国、すなわち秦。◇渭水 渭河。陜西省の中央を流れ、黄河に合流する。流域に秦や漢の都が置かれた。

【補記】秦の都であった咸陽の古城の東楼に上っての景を叙し、秦に都があった時代を偲んだ詩。和漢朗詠集巻上夏「蟬」の題に「鳥下緑蕪秦苑 蟬鳴黄葉漢宮秋」が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
夕さればみどりの苔に鳥降りてしづかになりぬ苑の秋風(宗尊親王『竹風抄』)

劉得仁(七九九~没年未詳)

劉得仁りゆうとくにんは晩唐の詩人。長く長安に住し、たびたび科挙に応じたが及第できずに終った。『三体詩』に四首の詩を採られている。

三體詩 秋夜宿僧院
秋夜しうや 僧院に宿る   劉得仁りうとくにん

禪寂無塵地  禅寂ぜんじやく 無塵むぢんの地
焚香話所歸  香を焚いて 帰する所をかた
樹搖幽鳥夢  樹は幽鳥いうてうの夢をゆるが
螢入定僧衣  蛍は定僧ぢやうそうころも
破月斜天半  破月はげつ 天の半ばに斜めに
高河下露微  高河かうが 露のかすかなるをくだ
翻令嫌白日  かへつて白日をいとはしむ
動即與心違  動即ややもすれば心とたが

【通釈】瞑想の静けさに満ち、塵ひとつない清浄の地。
香を焚きつつ、おのれの帰依する経説を語る。
樹は梢にひそむ鳥たちの夢を揺らし、
蛍は座禅に耽る僧の衣に忍び込む。
欠けた月が中天に傾き、
天の川が微かな露を落とす。
夜の僧院は、却って白日を厭わしく思わせる。
ともすれば己の本心に背くことが多いから。

【語釈】◇禪寂 「禪」は心静かに瞑想すること。◇定僧 瞑想に耽り、禅定の境地に入った僧。◇破月 欠けた月。◇高河 天の川。◇白日 白昼。日中。◇動即與心違 日中は雑念が多いゆえ、自分自身を見失いがちであるということ。

【補記】秋の夜、僧院に宿って詠んだという詩。『三体詩』は南宋の周弼の撰になる唐詩撰集で、成立は淳祐十年(1250)と伝わる。七言絶句・七言律詩・五言律詩の三体の詩のみを収録する。日本には南北朝時代初め頃に伝わり、広く愛読された。康安の頃(1361~1362)に成立した『頓阿句題百首』で「蛍入定僧衣」を句題に頓阿らが和歌を競作している。

【影響を受けた和歌の例】
時しもあれうらなる玉やあらはるる蛍ぞやどる苔の衣手(頓阿『頓阿句題百首』)
影見えぬ心の水のすみ染をありとや袖に蛍とぶらん(良守上人)
とぶほたる山を出づべき星なれや暁ふかき苔のたもとに(僧都良春)
飛ぶ蛍なれてぞかよふ袖をだに払はぬばかり静かなる夜に(頓宗)
影うつす心の水やしづかなる袖の蛍の玉やそふらん(周嗣)

杜牧(八〇三~八五二)

晩唐の詩人。京兆万年(陝西省西安市)の人。太和二年(828)の進士。各地の刺史を歴任し、中書舎人に至る。杜甫を「老杜」と言うのに対し、「小杜」と呼ばれる。豪放・洒脱な詩を得意とした。『樊川はんせん詩集』がある(早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧可)。

千家詩卷三 淸明
清明  杜牧

淸明時節雨紛紛  清明の時節雨紛紛ふんぷん
路上行人欲斷魂  路上の行人かうじんこんたんとす
借問酒家何處有  借問しやくもん酒家しゆかいづれのところにか有る
牧童遙指杏花村  牧童ぼくどう遥かに指さす 杏花村きやうくわそん

【通釈】清明の時節、雨がしきりと降り、
路上の旅人は、魂も消え入るばかり。
居酒屋はどこにあるかと尋ねると、
牛飼いの少年は遥か遠く、杏の咲く村を指さす。

【語釈】◇淸明 二十四節気の一つ、清明節。春分後十五日目。太陽暦では四月五日頃にあたる。この日人々は墓参りや遊山をして過ごした。◇雨紛紛 雨がしきりと降る。「紛紛」は多く盛んなさま。清明の頃は春雨のよく降る候で、これを「杏花雨きょうかう」と呼ぶ。◇行人 旅人。作者自身を指す。◇杏花村 杏の花の咲く村。元来固有名詞ではなかったらしいが、この詩が有名になったため、幾つかの村がこの名を名乗り、本家を主張しているという。

【補記】『千家詩』は南宋の劉克莊(1187~1269)の撰した詞華集。五言絶句・五言律詩・七言絶句・七言律詩の四巻からなる。全テキストが閲覧可。

【影響を受けた和歌の例】
はつせのや里のうなゐに宿とへば霞める梅の立枝をぞさす(契沖『漫吟集類題』)

于武陵(生没年未詳)

武陵ぶりようは杜曲(長安の南)の人。大中年間(西暦855年頃)進士となるが、官僚の道を捨てて放浪生活を送る。『于武陵集』一巻を残す。

唐詩選卷六 勧酒
酒を勧む 武陵ぶりょう

勧君金屈巵  君に勧む金屈巵きんくつし
滿酌不須辭  満酌辞するをもちゐず
花發多風雨  花ひらけば風雨多し
人生足別離  人生別離

【通釈】略。訳詩は【参考】参照。

【語釈】◇金屈巵 黄金製の酒器。「屈」は曲がっている意、「巵」は盃。◇不須辭 辞する必要はない。遠慮には及ばない。◇足別離 別離に満ちている。「別離おほし」と訓む本もある。

【補記】友人との別離に際し、別れの盃を勧めて作った詩。以下の和歌は全て『頓阿句題百首』所収の「花発風雨多ママ」を句題とする和歌。『頓阿句題百首』は貞治四年(1365)閏九月五日に周嗣が編集・書写したものという(新編国歌大観解題)。

【影響を受けた和歌の例】
世の中はかくこそありけれ花盛り山風吹きて春雨ぞふる(頓阿『頓阿句題百首』)
いかなれば嵐も雨もあやにくにいくかもあらぬ花にぞふらん(良守上人)
花ざかりしづ心なき山風にまづさそはれて春雨ぞふる(僧都良春)
つらきかな雲とみえつつ咲く花は雨と風とのやどりなりけり(頓宗)
ふる雨に猶やしほれんさくら花嵐におほふ袖はありとも(周嗣)

【参考】井伏鱒二の訳詩は以下の通り。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

作者不明

和漢朗詠集卷上 雲
失題  作者不明

山遠雲埋行客跡  山遠くしては雲行客かうかくの跡をうづ
松寒風破旅人夢  松寒くしては風旅人りよじんの夢を破る

【通釈】旅人は山遠く去り、その跡をただ白雲が埋める。
松を吹く風は寒く、野に宿る旅人の夢を破る。

【補記】題も作者も知れない。和漢朗詠集の「雲」の部にあるが、原作は旅の詩であろう。唐人の作かという(川口久雄『和漢朗詠集全訳注』)。前句後句、共に多くの和歌が本説取りしている。

【影響を受けた和歌の例】
つくづくと寝ざめて聞けば波枕まださ夜ふかき松風の声(藤原定家『拾遺愚草』)
越えわぶる山も幾重になりぬらむ分け行くあとをうづむ白雲(藤原頼実『新勅撰集』)
花にのみなほ分け入れば吉野山また跡うづむ峰のしら雲(宇都宮景綱『新千載集』)
心とはすみはてられぬ奥山にわがあとうづめ八重の白雲(藤原為基『風雅集』)
おのづから都にかよふ夢をさへ又おどろかす峰の松風(近衞基平『続拾遺集』)
三十路よりこの世の夢は破れけり松吹く風やよその夕暮(心敬『権大僧都心敬集』)

【参考】『平家物語』巻第三
山の方の覚束なさに、遥かに分き入り、嶺に攀ぢ、谷に下れども、白雲跡を埋んで、往き来の道もさだかならず。晴嵐夢を破つては、その面影も見えざりけり。



宋詩

徐元杰

徐元杰

徐元杰じよげんけつは南宋の人。字は仁伯。江西上饒の人。理宗の紹定五年(1232)の進士で、太常寺少卿・工部侍郎などを歴任した。

千家詩卷三 湖上
湖上  徐元杰じよげんけつ

花開紅樹亂鶯啼  花開いて紅樹こうじゆ乱鶯らんあう啼き
草長平湖白鷺飛  草長じて平湖へいこ白鷺はくろ飛ぶ
風日晴和人意好  風日ふうじつ晴和せいわ人の
夕陽簫鼓幾船歸  夕陽せきやう簫鼓せうこ幾船いくせんか帰る

【通釈】紅い花が咲いた樹で、むやみに鶯が鳴き、
畔の草が伸びた平らかな湖に、白鷺が飛ぶ。
風は穏やか、日は晴れて、人は心楽しむ。
夕日の照る中、楽の音を響かせて、幾つもの船が帰って来る。

【語釈】◇風日 風と陽光。◇簫鼓 簫と鼓。楽器。

【補記】抗州の西湖の春を詠む。『千家詩』は南宋の劉克莊(1187~1269)の撰した詞華集。全テキストが閲覧可。以下の和歌は「花開紅樹乱」を句題和歌とした『頓阿句題百首』所収歌。「乱」の字は正しくは「鶯」に掛かるのであるが、「紅樹乱ル」と誤読したものらしい。同百首は貞治四年(1365)閏九月五日に周嗣が編集・書写したものという(新編国歌大観解題)。

【影響を受けた和歌の例】
花の色にみだれにけりな佐保姫のしのぶにかあらぬ春の衣手(頓阿『頓阿句題百首』)
花桜さきそめしよりくれなゐの色にみだるる庭の春風(良守上人)
さくら花うつろはむとや朝日影にほへる雲に山風ぞふく(僧都良春)
紅にうつろはむとや咲く花にみだれてまじる嶺のしら雲(頓宗)
雲ながらうつりにけりな紅の初花ざくら色もひとつに(周嗣)



日本

菅家文草 本朝麗藻 和漢朗詠集

菅家文草

菅家文草卷一 臘月獨興
臘月に独り興ず  菅原道真

玄冬律迫正堪嗟  玄冬げんとうりつめてまさなげくにへたり
還喜向春不敢賒  かへりては喜ぶ 春に向ひてへてはるかならざるを
欲盡寒光休幾處  尽きなむとする寒光かんくわういくばくのところにかいこはむ
將來暖氣宿誰家  きたりなむとする暖気だんきが家にか宿らむ
氷封水面聞無浪  氷は水面をほうじて聞くに浪なし
雪點林頭見有花  雪は林頭りむたうに点じて見るに花有り
可恨未知勤學業  恨むべし 学業にはげむことを知らずして
書齋窓下過年華  書斎の窓のもと年華ねんくわすぐさむことを

【通釈】冬も極まって一年も残り少なくなり、本当に嘆いても嘆き切れない。
一方では喜ぶ気持もある、季節は春に向かい、それが決して遠くないことを。
消え尽きようとする寒い冬の光は、あと幾箇所で休憩するのだろう。
訪れようとする暖かい春の気は、誰の家で宿を取るのだろう。
氷は水面を閉じ込めて、波の音も聞こえない。
雪は林の梢に積もって、花が咲いたようだ。
こんなことではいけない、学業に励もうとせずに、
書斎の窓の下でむなしく歳月を過ごしてしまうなんて。

【語釈】◇玄冬 冬の異称。「玄」は黒で、五行説では冬にあたる。◇律迫 度合いが甚だしくなって。冬が進行し、残り少なくなったことを言う。◇年華 年月。

【補記】臘月すなわち陰暦十二月に独り即興で詠じたという詩。「于時年十有四」(時に年十有四)の注記があり、菅原道真十四歳の作。和漢朗詠集の巻上「氷」に第五・六句「氷封水面聞無浪 雪点林頭見有花」が引かれている。土御門院が第六句を句題にして歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
氷みな水といふ水はとぢつれば冬はいづくも音無の里(和泉式部『和泉式部集』)
時雨までつれなき色とみしかどもときは木ながら花咲きにけり(土御門院『土御門院御集』)

菅家文草卷四 新蟬
新蟬       菅原道真

新發一聲最上枝  新たに一声ひとこゑを発す 最も上なる枝
莫言泥伏遂無時  言ふことかなれ こひぢに伏して遂に時無しと
今年異例腸先斷  今年はつねよりもことはらわた先づ
不是蟬悲客意悲  これ蟬の悲しぶのみにあらず かくこころも悲しぶなり

【通釈】いちばん高い梢で、蟬が初めて一声を発した。
言うな、土の中に埋もれ伏して、残りの時間は最早無いと。
今年は例年にも増して真っ先に断腸の思いがする。
悲しいのは蟬ではなく、旅人たる私の心が悲しんでいるのだ。

【語釈】◇不是蟬悲 「これ蟬の悲しぶにあらず 」と訓むのが本来であろうが、和漢朗詠集の古写本に「これ蟬の悲しぶのみにあらず」と訓むのに従う。◇客 旅人。左遷の身にあった自身を指す。

【補記】仁和四年(888)、讃岐に左遷されて三年目の作。和漢朗詠集巻上夏「蟬」の部に第三・四句が採られている。土御門院の御製は「不是蟬悲客意悲」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
夏ふかき森のうつせみねにたてて啼くこの暮は我さへぞ憂き(土御門院『土御門院御集』)
うつせみの世はかくこそと見るごとに先づ我が身こそ悲しかりけれ(木下幸文『亮々遺稿』)

菅家文草卷六 早春内宴、侍淸涼殿同賦鶯出谷
早春内宴に、清涼殿にはむべりてひとしく鶯谷より出づといふことを賦す。応製  菅原道真

鶯兒不敢被人聞  鶯児あうじ敢へて人に聞かしめず
出谷來時過妙文  谷を出でて来たる時妙文めうもんに過ぎたり
新路如今穿宿雪  新路しんろ如今いま宿のこんの雪を穿うが
舊巢爲後屬春雲  旧巣きうさう為後こののち春の雲にあつら
管絃聲裏啼求友  管絃くわんげんの声のうち啼きて友を求む
羅綺花間入得群  羅綺らきの花のあひだ入りてむれを得たり
恰似明王招隱處  あたかも似たり 明王のいんを招くところ
荷衣黄壞應玄纁  荷衣かい黄にやぶれてまさ玄纁げんくんになりぬべし

【通釈】鶯の子は、人に声を聞かさない。
しかし谷を出て来る時、その声は妙なる経声にもまさる。
通じたばかりの道は、いまだ残雪が深い。
古巣は、谷にたなびく春の霞に委せてゆく。
都へ出ると、美しい管弦の声にまぎれ、啼いて友を求める。
舞妓の花やかな衣裳の間に入って、仲間になる。
ちょうど明君が隠士を招いた宴のようだ。
地味な衣は黄ばんで古び、引出物の玄纁にぴったりだ。

【語釈】◇妙文 すぐれた経典、特に法華経。鶯の声を「ほけきょう」と聞きなしたことから「過妙文」と言う。◇穿宿雪 残雪を踏んで穴をあける。それほどまだ雪が深いということ。◇舊巢 今まで住んでいた巣。時鳥は鶯の巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる。それゆえ次に「屬春雲」と言う。◇爲後 「のちのために」とも訓む。今は岩波古典大系本に従い「こののち」と訓んだ。◇春の雲 谷間にたなびく霞。◇羅綺 羅はうすもの。紗・絽などの織物。綺はあやぎぬ。美しい模様の絹織物。◇明王招隱處 明君が山谷の隠士を招き歓待するところ。谷から出て来た鶯を隠士になぞらえている。◇荷衣 蓮の葉で編んだ衣。仙人や隠者の服装のこと。鶯の地味な色の羽毛を暗示している。◇應 ちょうどよく合う。ぴったりである。◇玄纁 「玄纁」は黒っぽい赤色。引出物とした。

【補記】醍醐天皇の昌泰二年(899)正月二十一日の内宴に侍っての応製詩。谷を出た鶯を、山を出た隠士になぞらえ、内裏の華やかな宴に紛れ込んだとした。和漢朗詠集巻上「鶯」に第三・四句が引かれている。特に第四句「旧巣為後属春雲」を踏まえて多くの和歌が作られた。土御門院の御製はこの句を題として詠まれたものである。

【影響を受けた和歌の例】
わが苑を宿とはしめよ鶯の古巣は春の雲につけてき(藤原俊成『風雅集』)
啼きとむる花かとぞ思ふ鶯のかへる古巣の谷の白雲(藤原家隆『新続古今集』)
鶯のかへる古巣やたづぬらん雲にあまねき春雨の空(藤原定家『拾遺愚草』)
鶯もまだいでやらぬ春の雲ことしともいはず山風ぞ吹く(〃)
古巣うづむ雲のあるじとなりぬらん馴れし都をいづる鶯(藤原良経『秋篠月清集』)
白雲をおのが巣守りとちぎりてや都の花にうつる鶯(土御門院『土御門院御集』)
啼き出でむ空をや待たむ鶯の雲につけてし旧巣なりせば(三条西実隆『雪玉集』)

本朝麗藻

平安中期の漢詩文集。高階積善撰。1010年頃の成立。

本朝麗藻卷下 代迂陵島人感皇恩詩 源爲憲
迂陵うりよう島の人に代りて皇恩を感ずる詩 みなもとの為憲ためのり

遠來殊俗感皇恩  遠来の殊俗しゆぞく皇恩に感ずれど
彼不能言我代言  彼言ふあたはざれば我代りて言ふ
一葦先摧身殆沒  一葦いちゐ先にくだけて身ほとほと没す
孤蓬暗轉命纔存  孤蓬こほう暗転して命わづかに存す
故鄕有母秋風涙  故郷に母有り秋風しうふうの涙
旅舘無人暮雨魂  旅館に人無し暮雨ぼうの魂
豈慮紫泥許歸去  はからめや紫泥しでい帰去を許さんとは
望雲遙指舊家園  雲を望み遥かに指す旧家の園

【通釈】遠来の異国人は皇恩に感じ入っておりますが、
彼は我が国の語が話せませんので、私が代って申し上げます。
「一艘の小舟が先頃難破し、我が身は溺れかけました。
孤独な漂流者の運命は暗転し、僅かに命を繋ぎました。
故郷の島におります母を思えば、秋風に涙がこぼれます。
異郷の宿には私の外誰もおらず、夕暮の雨に魂は細ります。
ところが詔書で帰国をお許し下さるとは、思いも寄りませんでした。
雲を望み、遥かに故郷の家を仰いでおります」

【語釈】◇殊俗 異国。異国の人。◇一葦 小舟。◇孤蓬 風で遠くまで飛ぶよもぎ。漂流者の譬え。◇紫泥 不詳。詔(天子の仰せ)のことか。詔書には紫の印泥を用いた。◇舊家園 故郷すなわち迂陵島の家の園。

【補記】我が国に漂着した迂陵島(鬱陵島)の人に代って作ったという詩。藤原公任の家集に「新羅のうるまの島人きて、ここの人の言ふ事も聞きしらずときかせ給ひて」云々の詞書が見え、同じ頃の作と思われる。新撰朗詠集巻下「行旅」の部に「故郷有母秋風涙 旅舘無人暮雨魂」が引かれ、両句は藤原定家仮託の歌論書『三五記』『愚見抄』や正徹の歌論書『正徹物語』などにも引かれている。定家は歌を案ずる時にこの詩句を吟ずることを人に勧めたと言う。

【影響を受けた和歌の例】
たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人こふる宿の秋風(藤原定家『新古今集』)
思ひやるとほきははその秋風に人なき宿の夕暮の雨(正徹『草根集』)

【作者】源為憲は生年未詳、寛弘八年(1011)八月没。筑前守忠幹の子。文章生を経て内記・蔵人・式部丞・美濃守などを歴任し、正五位下に至る。源順に師事し、漢詩文に秀でた。『本朝文粋』『本朝麗藻』などに漢詩文を、拾遺集に和歌一首を残す。

和漢朗詠集

巻上(   ) 巻下

和漢朗詠集卷上 春 立春
立春日書懐呈芸閣初文友 篤茂
立春の日、おもひを書して、芸閣うんかくの諸文友に呈す  藤原篤茂

池凍東頭風度解  池のこほり東頭とうとうは風わたつて
窗梅北面雪封寒  窓のむめ北面ほくめんは雪ほうじて寒し

【通釈】池の氷の東の方は、暖かい風が渡って解く。
窓辺の梅の北側は、雪が封じ込めて、なお寒々としている。

【語釈】◇東頭風度解 東のほとりを風が渡って氷を解かす。『礼記』月令の「東風解凍」を踏まえる。

【作者】円融朝の文章生、藤原篤茂あつもち。漢風によめば「とくぼ」。漢詩人として名高く、和漢朗詠集や『新撰朗詠集』に詩句を採られている。

【補記】題は釈信阿私注による。芸閣は御書所の唐名。原詩は散佚か。後句を踏まえた和歌がいくつか見られる。

【影響を受けた和歌の例】
山里の窓より北は雪とぢてにほひぞうすき春の梅が枝(藤原光経『光経集』)
雪とづる窓より北の梅が枝に花をおそしと鶯ぞ鳴く(〃)
枕とふにほひもさむし咲く梅の雪にとぢたる窓の北風(正徹『草根集』)
さく梅のにほひは袖にかはれどもさながら雪ぞ窓の北風(正広『松下集』)
ひらくやと冬の北窓明見ればふふめる梅に雪のかかれる(上田秋成『藤簍冊子』)

和漢朗詠集卷上 春 早春
春生逐地形 保胤ほういん
春のることは地形にしたがふ 慶滋よししげの保胤やすたね

東岸西岸之柳 遲速不同  東岸とうがん西岸せいがんの柳 遅速同じからず
南枝北枝之梅 開落已異  南枝なんし北枝ほくしの梅 開落すでことなり

【通釈】東岸と西岸では、柳の芽ぐみに早い遅いの違いがある。
南の枝と北の枝では、梅の咲き散る時期に甚だ違いがある。

【補記】題・趣向は白詩「早春即事」に拠る(春生逐地形 北檐梅晩白 東岸柳先青)。『本朝文粋』巻八に収載、「早春賦春生逐地形詩序」。「岸柳」などの題で、上掲句を踏まえた和歌が少なからず見られる。

【作者】慶滋保胤は生年未詳、長保四年(1002)没。陰陽家賀茂忠行の子として生れるが、家学を捨てて儒生となり、姓の賀茂を読み替えて慶滋とした。大内記の官に就くが出家して諸国を遍歴した。著書『池亭記』があり、漢詩文は『本朝文粋』『和漢朗詠集』などに見える。

【影響を受けた和歌の例】
遅く疾きみどりの糸にしるきかな春くるかたの岸の青柳(藤原定家『拾遺愚草』)
おそくときいづれの色に契るらん花まつ比の岸の青柳(同上)
おそくとくみどりわかれし青柳のした枝にまじる岸の山吹(藤原為家『夫木和歌抄』)
おそくとく春しる色もあらはれぬこなたかなたの岸の青柳(飛鳥井雅有『隣女集』)
下もえし草葉の色もおそくとくわかれてなびく岸の青柳(宗祇『宗祇集』)
江の南梅さきそめておそくとくみどりにつづく岸の青柳(後水尾院『御集』)
柳かは萌ゆる若菜もおそくとく摘む方分くる春の岸陰(武者小路実陰『芳雲集』)

【参考】
二もとの梅に遅速を愛すかな(与謝蕪村)

和漢朗詠集卷上 春 早春
内宴春暖   良香りようきやう
内宴春暖   みやこの良香よしか

氣霽風梳新柳髮  れては風新柳しんりうの髪をけづ
氷消浪洗舊苔鬚  氷消えては浪旧苔きうたいひげを洗ふ

【通釈】天気がおだやかに晴れて、風は萌え出た柳の枝を、髪をくしけずるように靡かせる。
池の氷が消えて、波は古びた苔を、髭を洗うように打ち寄せる。

【補記】題は『江談抄』による。原詩は散逸。

【作者】みやこの良香よしか。承和元年(834)~元慶三年(879)。平安前期の官人・漢詩人。大内記・文章博士・越前権介・侍従を歴任。『文徳実録』の編纂に参加する。文才の誉れ高く、『都氏文集』に文章を残す。和漢朗詠集や新撰朗詠集に漢詩が見える。

【影響を受けた和歌の例】
佐保姫のうちたれ髪の玉柳ただ春風のけづるなりけり(大江匡房『堀河百首』)
佐保姫の寝くたれ髪を青柳のけづりやすらん春の山風(〃『江帥集』)
青柳の糸はみどりの髪なれやみだれてけづる如月の風(永縁『堀河百首』)
春雨に柳の髪をあらはせてけづりながすは風にこそありけれ(源頼政『頼政集』)
龍田川浪もてあらふ青柳のうちたれ髪をけづる春風(慈円『拾玉集』)
春きぬとつげのをぐしもささなくに柳の髪をけづる春風(土御門院『土御門院御集』)
たをやめの柳の露のたまかづらながき日かけてけづる春風(藤原為家『五社百首』)
春風ややなぎの髪をけづるらんみどりの眉もみだるばかりに(亀山院『新千載集』)
雨にあらひ風にけづりて青柳の手ふれぬ髪もまがふとはなし(木下長嘯子『挙白集』)
水を浅み波はよりてもあらはねど風ぞ柳の髪をけづれる(契沖『漫吟集』)
柳のみみかきにおいて朝髪を風にけづりし宮人もなし(〃)
青柳のうちたれ髪をけづるには下行く水や鏡なるらむ(村田春海『琴後集』)

和漢朗詠集卷上 春 春夜

背燭共憐深夜月 踏花同惜少年春  

ともしびそむけては共に憐れむ 深夜の月 花をんでは同じく惜しむ 少年の春

【通釈】灯火を背にして共に深夜の月を賞美し、散った花を踏んで共に青春を愛惜した。

【補記】出典は白氏文集卷十三「春中與廬四周諒華陽觀同居」。

【影響を受けた和歌の例】
ふかき夜を花と月とにあかしつつよそにぞ消ゆる春のともしび(藤原定家『拾遺愚草』)
山の端の月まつ空のにほふより花にそむくる春のともし火(藤原定家『拾遺愚草』)

和漢朗詠集卷上 春 閏三月

歸谿歌鶯 更逗留於孤雲之路
辭林舞蝶 還翩翻於一月之花
  

谿たにに帰る歌鴬かあうは 更に孤雲こうんみちに逗留し
林を辞する舞蝶ぶてふは 還つて一月いちげつの花に翩翻へんぽんたり

【通釈】いつもなら谷に帰る鶯も、今年は閏三月があるので、更にひとひらの雲の通り路に留まり、歌っている。
いつもなら林を去る蝶も、また一月の間、花にひらひらと舞い戯れている。

【補記】出典は源順の「今年又有春」詩序。春が一ヵ月余分に加わった閏三月の趣を詠む。

【主な派生歌】
ながめおくる心をやがてさそひつつ雲の古巣に帰るうぐひす(惟明親王『千五百番歌合』)

和漢朗詠集卷上 春 閏三月

花悔帰根無益悔  花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるにえきなし
鳥期入谷定延期  鳥は谷にらむことをすれども定めてを延ぶらむ

【通釈】花は散ってしまったが、閏三月と知って、根に帰ろうとしたことを悔いても、もはやどうしようもない。
鳥は谷に帰り入ろうと思ったが、閏三月と知って、その日時を延ばすことだろう。

【補記】出典未詳。作者名は「藤滋藤」とあるが、釈信阿私注によれば作者は清原滋藤。これの影響を受けた「花は根に」「鳥は古巣に」帰るという趣向の歌は夥しい。

【影響を受けた和歌の例】
根にかへる花の姿の恋しくはただこのもとを形見とは見よ(藤原実行『金葉集』)
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき(崇徳院『千載集』)
尋ねくる人は都を忘るれど根にかへりゆく山ざくらかな(藤原俊成『風雅集』)
根にかへる花とはきけど見る人のこころのうちにとまるなりけり(藤原重家『風雅集』)
根にかへる花をうらみし春よりもかた見とまらぬ夏の暮かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
高嶺より谷の梢にちりきつつ根にかへらぬは桜なりけり(藤原良経『秋篠月清集』)
花やどる桜が枝は旅なれや風たちぬればねにかへるらむ(〃)
雪きゆる枯野のしたのあさみどりこぞの草葉やねにかへるらむ(〃)
根にかへる花ともみえず山桜あらしのさそふ庭の白雪(飛鳥井教定『続拾遺集』)
根にかへり雲にいるてふ花鳥のなごりも今の春の暮れがた(伏見院『伏見院御集』)
根にかへり古巣をいそぐ花鳥のおなじ道にや春も行くらん(二条為定『新千載集』)
根にかへる花かとみれば木の本を又吹きたつる庭の春風(正親町公蔭『新拾遺集』)
鳥はまたよそなる谷の桜花ねにかへりても山風ぞふく(冷泉為尹『為尹千首』)
こゑ聞けば古巣をいそぐ鳥もなしまだきも花の根に帰るらん(正徹『草根集』)
根にかへり古巣にゆくも花鳥のもとのちぎりのあれば有る世を(三条西実隆『雪玉集』)
ふるさとへ別るる雁のこゑききて梢の花も根にかへるらん(加藤千蔭『うけらが花』)

和漢朗詠集卷上 春 鶯

誰家碧樹 鶯啼而羅幕猶垂
幾處華堂 夢覺而珠簾未卷
 鳳爲王賦

が家の碧樹へきじゆにか 鶯啼きて羅幕らまくなほれたる
幾処いくところ華堂くわどうにか 夢覚めて珠簾しゆれんいまだ巻かざる おほとりを王と為す賦

【通釈】誰の家だろう、新緑の樹で鶯が啼いているのに、薄いカーテンを垂らしたままでいるのは。
どこの閨だろう、夢が覚めたのになお玉簾を巻き上げずに床に臥せっているのは。

【補記】作者は謝観とも張読とも。「この句は謝観の暁賦から採ったものと推定される」(岩波古典大系頭注)。

【影響を受けた和歌の例】
夢さめてまだ巻きあげぬ玉だれのひま求めてもにほふ梅が香(*順徳院)

和漢朗詠集卷上 春 雨
春色雨中盡 菅三品
春の色雨中にく 菅原文時

花新開日初陽潤  花の新たにひらくる日初陽そやううるへり
鳥老歸時薄暮陰  鳥の老いて帰る時薄暮はくぼくもれり

【通釈】桜が新たに開いた日は、春雨に濡れて、花に射す朝日もみずみずしくうるおっていた。
鶯の声も老いて谷に帰る今は、夕べの雨雲が垂れ込めて陰々と昏い。

【語釈】◇鳥老 春も暮れて鶯の声が老熟したことを言う。鶯を「鳥」としたのは前句の「花」との対偶のため。

【補記】和漢朗詠集の春の部の「雨」より。花が咲き始めた盛春の頃と、鳥が谷へ帰る暮春の頃を対比している。花・鳥、新・老、初陽・薄暮、と対偶。『日本紀略』によれば天延二年(974)三月二十八日、円融院主催の公宴で「春色雨中尽」の詩題が出されており、この時の作。原詩は散逸か。

【作者】菅原文時(899~981)。道真の孫。高視の子。天慶五年(942)、対策に及第し、内記・式部大輔などを経て、文章博士となる。従三位に叙せられ、菅三品の称がある。

【影響を受けた和歌の例】
夜の雨の露をのこせる花のうへににほひをそふる朝日かげかな(右衛門督『持明院殿御歌合』)
夜の露も光りをそへて朝日影まばゆきまでににほふ花かな(三条西実隆『雪玉集』)

和漢朗詠集卷上 春 梅
失題  菅原文時

五嶺蒼蒼雲往來  五嶺ごれい蒼々さうさうとして雲往来す
但憐大庾萬株梅  ただ憐れむ 大庾たいゆう万株まんしゆの梅
誰言春色從東到  たれか言ふ 春の色のひんがしより到ると
露暖南枝花始開  露暖かにして南枝なんしに花始めて開く

【通釈】五嶺は青々とし、雲が流れ来ては去るばかり。
ただ大庾の嶺だけは万株の梅が素晴らしい。
誰が言ったのだろう、春の兆しは東から訪れると。
置く露も日に暖められて、南の枝から花が咲き始めた。

【語釈】◇五嶺 杭州の北につらなる五つの嶺。◇大庾 五嶺の一つ。◇南枝… 『白氏文集』巻三十の「大庾嶺上梅 南枝落北枝開」に拠る。

【補記】『江談抄』の記事によれば作者は菅原文時(899~981)で、天暦の内裏坤元こんげん録屏風詩。梅の名所大庾嶺を描いた屏風絵に題した詩である。和漢朗詠集巻上「梅」の部に「五嶺」以下の二句、「誰言」以下の二句が分けて引用されている。「露暖南枝花始開」を踏まえた和歌が多く、土御門院の御製はこの句を題とする。

【影響を受けた和歌の例】
梅が枝はまづ南こそ咲きにけれそなたよりやは春もたちくる(平親宗『親宗集』)
春はまづ憑む南のみ山より思ひひらけて匂へ梅がえ(藤原家隆『壬二集』)
春の日のひかりに匂ふ梅の花みなみよりこそ露もおきけめ(土御門院『土御門院御集』)
春雨やわきてうるほす梅の花みなみの枝ぞまづ咲きにける(伏見院『伏見院御集』)
こちふくや神のいがきに梅が枝も南の宮とにほひそめつつ(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
春毎に花は南の片枝より咲きていくかの四方の梅が香(望月長孝『広沢輯藻』)
わきて先づ南の片枝咲く梅におくれず来鳴け春の鶯(冷泉為村『為村集』)
日のめぐる南の枝の霜どけにぬれてほほゑむ梅の初花(小沢蘆庵『六帖詠草』)
南より先づ咲きそめて日数ふる北野の梅ぞさかりひさしき(橘千蔭『うけらが花』)

和漢朗詠集卷上 春 落花
惜残春(抄)  がう
残春を惜しむ(抄)  大江朝綱

落花狼藉風狂後  落花らくくわ狼藉らうぜきたりかぜ狂じてのち
啼鳥龍鐘雨打時  啼鳥ていてう竜鐘りようしようたり雨の打つ時

【通釈】風が荒れ狂ったあと、花は激しく散り乱れる。
雨が叩きつけるように降る中、鶯はしょんぼりとした声で啼く。

【語釈】◇龍鐘 龍鍾に同じ。老いて疲れる。うらぶれる。「龍」は前句「狼」と対偶。

【作者】大江朝綱(886~957)。音人おとんどの孫。玉淵の子。延喜十一年(911)、文章生。承平四年(934)、文章博士。天暦七年(953)、参議正四位下に至る。『後江相公集のちのごうしょうこうしゅう』を編む。詩歌のほか書にもすぐれた。和歌は後撰集に三首見える。

【補記】出典は御物小野道風筆屏風土代の「惜残春」(下記参照)。土御門院の作は「落花狼藉風狂後」の句題和歌。なお源氏物語・若菜上の柏木の詞「花乱りがはしく散るめりや」の典拠として『河海抄』は「落花狼藉風狂後」の句を挙げている。下に引用した具氏の歌は、直接的には源氏物語を意識したものかもしれない。

【影響を受けた和歌の例】
花さそふ木の下風の吹くままになほ時しらぬ雪ぞみだるる(土御門院『土御門院御集』)
咲きつづく梢を分きて吹く風にみだれがはしく花は散るめり(源具氏『建長八年百首歌合』)

【原詩全文】惜残春 大江朝綱
艷陽盡處幾相思 招客迎僧欲展眉 春入林歸猶晦迹 老尋人至詎成期 落花狼藉風狂後 啼鳥龍鐘雨打時 樹欲枝空鶯也老 此情須附一篇詩

和漢朗詠集卷上 夏 夏夜

空夜窗閑螢度後  空夜こうやに窓しづかなり 蛍わたつてのち
深更軒白月明初  深更しんかうに軒白し 月の明らかなるはじめ

【通釈】蛍が通り過ぎたあと、暗い夜空に窓はひっそりしている。
月が明るく射し始めると、深夜でも軒先は白々としている。

【語釈】◇空夜 月が出ていない夜。「こうや」は古くからの読み癖。

【補記】和漢朗詠集の作者表記は「白」すなわち白居易とするが、誤り。釈信阿私注によれば題「夜陰に房に帰る」、作者は「紀納言」すなわち紀長谷雄。原詩は散逸。宮内卿の歌は両句の本説取り。

【影響を受けた和歌の例】
ながむれば心もつきぬ行く蛍窓しづかなる夕暮の空(藤原俊成『五社百首』)
軒しろき月の光に山かげの闇をしたひてゆく蛍かな(宮内卿『玉葉集』)
たえだえに飛ぶや蛍のかげみえて窓しづかなる夜半ぞすずしき(宗尊親王『竹風和歌抄』)
我が心むなしき空の月影を窓しづかなる菴にぞ見る(頓阿『頓阿句題百首』)
しづかなる夜半の窓より思ふ事むなしき空の月を見るかな(頓宗『頓阿句題百首』)
軒しろき月かとみれば更くる夜の衣にほはす梅の下風(正徹『草根集』)
閑かなる窓に月ある深き夜になほ夢はらふ荻のうは風(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
荻の音にうちおどろけば軒白し夜ぶかき月や空にほのめく(三条西実隆『雪玉集』)

和漢朗詠集卷上 夏 納涼

班婕妤團雪之扇 代岸風兮長忘
燕昭王招涼之珠 当沙月兮自得
  匡衡

班婕妤はんせふよ団雪だんせつの扇、岸風がんぷうへて長く忘れぬ
えん昭王せうわう招涼せうりやうの珠、沙月さげつに当つておのづから得たり

【通釈】水辺の涼風が吹くようになって、班婕妤の扇のような雪白の団扇を使うことは久しく忘れた。
砂を月が照らすので、燕の昭王が懐中にして暑を避けたという招涼の珠を手に入れたかのようだ。

【補記】出典は大江匡衡の「避暑対水石序」。「班婕妤團雪之扇…」は文選などに収められた、班婕妤が漢成帝の寵愛を失ったことを扇に寄せて諷した詩「怨歌行」を踏まえる。これにより秋の扇は寵愛を失った女性の暗喩とされた。

【影響を受けた和歌の例】
手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞ吹く(相模『新古今集』)
手なれつる閨の扇をおきしより床も枕も露こぼれつつ(藤原定家『拾遺愚草』)
なれなれて秋にあふぎをおく露の色もうらめし閨の月影(俊成卿女『新勅撰集』)
手にとらば月をあげてやたとへましおき忘れにし秋の扇に(正徹『草根集』)
秋風に忘れし閨のあふぎをも月にたぐへて又やとらまし(三条西実隆『雪玉集』)

和漢朗詠集卷上 夏 納涼
夏日閑避暑 英明えいめい

夏の日かんにして暑を避く みなもとの英明ふさあきら

池冷水無三伏夏  池冷やかにして水に三伏さんぷくの夏無し
松高風有一聲秋  松高うして風に一声いつせいの秋有り

【通釈】池の冷やかな水には、三伏の夏も存在しない。
松の高い梢を吹く風には、はや秋の声を聞く感がある。

【語釈】◇三伏 立秋前後三十日の盛暑の候。夏至の後、第三のかのえの日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後の最初の庚の日を末伏と言い、合せて三伏と言う。西暦2010年で言えば7月19日から8月17日まで。

【補記】題は釈信阿私注による。原詩は散逸か。両句とも句題和歌の題とされている。また謡曲『天鼓』『東北』『西行桜』などに引かれている。

【作者】源英明は宇多天皇の皇子斉世親王の子。菅原道真を母方の祖父にもつ。従四位左近衛中将。生年未詳、天慶二年(939)没。

【影響を受けた和歌の例】
・「池冷水無三伏夏」の句題和歌
昆陽こやの池のみぎはは風の涼しくてここには夏を知らでるかな(藤原隆房『朗詠百首』)
・「松高風有一聲秋」の句題和歌
松風のこずゑを渡る一声にまだきも秋のけしきなるかな(藤原隆房『朗詠百首』)
松陰や身にしむ程はなけれども風に先だつ秋の一声(土御門院)
いつもきく高嶺の松の声なれど今朝しもいかで身にはしむらん(一色直朝『桂林集』)
わが宿の松なかりせば大空の風を秋とも誰かさだめむ(香川景樹『桂園一枝』)
・その他
まとゐして夕涼みする松陰は梢の風に秋ぞ先だつ(藤原実房『正治初度百首』)
風わたる杜の木陰の夕涼みまだきおとなふ秋の一声(惟明親王『正治初度百首』)
夕暮や松吹く風にさそはれて梢の音に秋は来にけり(藤原忠良『老若五十首歌合』)
夏ふかみ木だかき松の夕涼み梢にこもる秋の一声(後鳥羽院『後鳥羽院御集』)
夏しらぬ池のこころのすずしきに汀の木々もかげひたすなり(伏見院『伏見院御集』)

和漢朗詠集卷上 夏 蓮
池亭ちてい晩眺ばんてう 在昌ざいしやう

池亭ちてい晩眺ばんてう 紀在昌きのありまさ

岸竹條低應鳥宿  岸竹がんちくえだれり 鳥の宿ぬるなるべし
潭荷葉動是魚遊  潭荷たんか葉動く これうをの遊ぶならむ

【通釈】岸辺の竹の枝が垂れている。鳥がねぐらにしているに違いない。
池の蓮の葉がそよいでいる。魚が下で遊んでいるのだろう。

【語釈】◇潭荷 「潭」は水を深く湛えた池。「荷」は蓮。

【補記】池のほとりの亭からの夕方の眺めを詠んだ詩。題名は釈信阿私注による。原詩は散逸か。

【作者】紀在昌きのありまさは長谷雄の孫淑信の子。従四位上東宮学士。

【影響を受けた和歌の例】
蓮葉の下にや魚の遊ぶらん上なる露の玉ぞこぼるる(藤原実清『久安百首』)
下に棲む魚もや淵のさわぐらむ蓮の浮葉の露ぞみだるる(藤原為家『為家集』)
池水の下にやいをのすだくらんはちすのうへの露ぞこぼるる(藤原為家『為家千首』)
蓮葉の緑のあふぎ風のまも玉もに遊ぶ魚をぞ動かす(契沖『漫吟集』)

和漢朗詠集卷上 夏 郭公

一聲山鳥曙雲外 萬點水螢秋草中  許渾

一声いつせい山鳥さんてう曙雲しようんほか 万点ばんてん水蛍すいけいは秋の草のうち

【通釈】山時鳥は一声啼いて曙の雲の彼方に隠れる。水に棲む無数の蛍は、秋草の内に光を点している。

【補記】原詩は許渾の作で、『全唐詩』によれば題は「自楞伽寺晨起泛舟、道中有懷」。その第三・四句である。隆房・土御門院・隆博の歌は「一声山鳥曙雲外」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
ほととぎす啼きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる(藤原実定『千載集』)
あし曳の山郭公一声をあけゆく空のよそにこそきけ(藤原隆房『朗詠百首』)
よこ雲のをちかた山の郭公声より後の夜半ぞすくなき(『土御門院御集』)
ほととぎすなく一声にあけぬともいまこそ見つれ横雲の空(九条隆博『閑月和歌集』)
一声もをりによりけりほととぎすなさけとぞ思ふ有曙のそら(公朝『和漢兼作集』)
一声に明けぬとつげてよこ雲のほかに過行く郭公かな(『耕雲千首』)

【原詩全文】
碧樹蒼蒼茂苑東 佳期迢遞路何窮 一聲山鳥曙雲外 萬點水螢秋草中 門掩竹齋微有月 移蘭渚淡無風 欲知此路堪惆悵 菱葉蓼花連故宮

和漢朗詠集卷上 秋 七夕
代牛女惜暁更    美材びざい

牛女に代り暁更を惜しむ 小野美材

二星適逢      二星たまたま逢へり
未叙別緒依依之恨  未だ別緒べつしよ依々いいの恨みをべざるに
五更將明      五更ごかうまさに明けむとす
頻驚涼風颯颯之聲  しきりに涼風颯颯さつさつの声に驚く

【通釈】牽牛・織女の二星は稀に逢うことができたのに、
まだ惜別未練の恨みごとも言い終わらないうちに、
もうじき夜が明けようとしている。
涼しい風がささと吹き、その度に二星は驚く。

【語釈】◇別緒 別れる時の心緒。◇依依 恋い慕うさま。◇五更 夜を五等分した最後。

【補記】『本朝文粋』巻八に採録されている。題は「七夕代牛女惜暁更」。七夕の夜、牽牛・織女に代り、暁更になったことを惜しんだ詩の序文。隆房の歌は元来掲出全文を句題とする和歌。実隆の歌は「二星適逢未叙別緒依依之恨」の句題和歌。また「二星適逢」を題とする多くの歌がある。

【作者】小野美材おののよしき(?~902)は篁の孫、俊生の子。寛平九年(897)、従五位下、大内記。詩文・書にすぐれた。古今集・後撰集に和歌も見える。

【影響を受けた和歌の例】
たまさかに秋の一夜を待ちえても明くるほどなき星合の空(藤原隆房『新勅撰集』)
待ちえても星合の夜は秋の風うらみもあへじ天の羽衣(藤原為家『為家集』)
七夕のあくる別れに吹きそめて人おどろかす秋風の声(藤原為家『夫木和歌抄』)
恨みをばのべもつくさじ年にのみくるを契りの星合の空(二条為重『為重集』)
七夕のたまたまむすぶ夜半の夢すずしき風やおどろかすらん(宗良親王『南朝五百番歌合』)
秋をしる荻の葉風は七夕の逢ふ夜をさへやおどろかすらん(藤原公宗『題林愚抄』)
程なくや天の河波としどしのおなじ恨みに立ちかへるらん(三条西実隆『雪玉集』)

和漢朗詠集卷上 秋 七夕
七夕代牛女  大江朝綱

七夕、牛女に代る 大江朝綱おほえのあさつな

風從昨夜聲彌怨  風は昨夜より声いよいよ怨む
露及明朝涙不禁  露は明朝めうてうに及びて涙禁ぜず

【通釈】風は昨夜から吹きつのり、ますます恨みの声を高くする。
露は明くる朝しとどに置き、二星は涙をおさえられない。

【補記】七夕の夜から明朝にかけて、風に二星の恨みの声を、露に二星の涙を見た。延長六年(928)内裏屏風詩。

【作者】既出

【影響を受けた和歌の例】
暁の露は涙もとどまらでうらむる風の声ぞのこれる(相模『新古今集』)
明日かとも契りもおかぬたをやめの袖ふく風のこゑぞ恨むる(藤原家隆『壬二集』)

【原詩全文】
獨坐靑樓漏漸深 支頤想像曉來心 風從昨夜聲弥怨 露及明朝涙不禁

和漢朗詠集卷上 秋 七夕
七夕含媚渡河橋 菅三品

七夕、こびを含みて河の橋を渡る 菅原文時

去衣曳浪霞應濕  去衣きよい浪にきてかすみ湿うるふべし
行燭浸流月欲消  行燭かうしよく流れにひたりて月消えなむとす

【通釈】天の川に立ち込める霞は織女の去りゆく衣か。天の川の波に裾を引いて、湿っているに違いない。
月影は織女の道行きを照らす燭か。川の流れに浸かって、光はまさに消えようとしている。

【語釈】◇去衣 後朝に着て帰る衣服か。

【作者】既出

【補記】霞を織女の衣に、月を行灯になぞらえて後朝の別れを詠んだ。題は釈信阿私注より。原詩は散逸か。

【影響を受けた和歌の例】
程もなくたちやかへらむたなばたの霞の衣なみにひかれて(相模『相模集』)
今はとてかへるあしたか秋のきる衣川なみ霧にしをれて(正徹『草根集』)

和漢朗詠集卷上 秋 秋興
客舎秋情 

客舎かくしや秋情しうじやう 小野篁

物色自堪傷客意  物の色はおのづかかくこころいたましむるにへたり
宜將愁字作秋心  うべなりうれへの字をもて秋の心に作れること

【通釈】自然のあらゆる物象のありさまが、おのずと旅ゆく私の心を傷ましめる。
なるほど愁の字を作るのに秋の心で以てしたのも尤もだ。

【語釈】◇物色 万物の形相けいそう、また風物のありさま。◇客 旅人。作者自身を指す。

【補記】題は釈信阿私注による。原詩は散逸。小野篁が隠岐に配流された時の作という。

【影響を受けた和歌の例】
ことごとに悲しかりけりむべしこそ秋の心をうれへといひけれ(藤原季通『千載集』)
虫の音を聞くに思ひのまさればや愁へを秋の心とは書く(作者未詳『閑谷集』)
時わかず憂きに愁へは添ふものを秋の心とたれかさだめし(今出川院近衛『玉葉集』)
世は色におとろへぞゆく天人あまびとのうれへやくだる秋の夕ぐれ(心敬『十体和歌』)

和漢朗詠集卷上 秋 十五夜

秦甸之一千余里  秦甸しんでんの一千余里
凛凛氷鋪     凛凛りんりんとして氷
漢家之三十六宮  漢家かんかの三十六宮
澄澄粉餝     澄澄ちようちようとしてふんかざれり

【通釈】秦の都の周囲千余里は氷を敷き詰めたように冷え冷えと月に照らされ、漢王朝の三十六宮は冴え冴えと粉粧をこらしている。

【語釈】◇秦甸 秦の都長安の周囲千里。◇漢家之三十六宮 漢代以来の三十六の宮殿。

【補記】釈信阿私注によれば原典は公乗億の「長安八月十五夜賦」という。

【影響を受けた和歌の例】
月きよみ四方の大空雲きえて千里の秋をうづむ白雪(藤原定家『拾遺愚草』)
更級の山の高嶺に月冴えて麓の雪は千里にぞしく(藤原良経『秋篠月清集』)
天の原空冴え渡る月かげに幾里までか氷しくらむ(藤原隆房『朗詠百首』)

和漢朗詠集卷上 秋 菊
花寒菊点叢(抄)  菅三品

花寒くして菊くさむらに点ず(抄)  菅原文時

蘭蕙苑嵐摧紫後  蘭蕙苑らんけいゑんの嵐のむらさきくだきてのち
蓬莱洞月照霜中  蓬莱洞ほうらいとうの月の霜を照らすうち

【通釈】香草園の紫の花を嵐が摧き去ったのち、
禁裏の庭を霜のような月光が照らす中、ただ菊だけが草叢に咲いている。

【語釈】◇蘭蕙 蘭・蕙は共に香草の類。「紫」とあるので藤袴であろう。◇蓬莱洞 蓬莱宮(仙人の住む宮殿)に同じ。ここは宮廷のこと。

【補記】和漢朗詠集巻上秋「菊」。題は『江談抄』より。同書には全詩を載せる(下記参照)。天暦七年(953)十月五日の残菊宴に見える詩題(九条殿記)。和歌では「蘭」の題詠で「蘭蕙苑嵐摧紫後」の句を踏まえた歌が散見される。

【影響を受けた和歌の例】
ふぢばかま嵐たちぬる色よりもくだけて物は我ぞ悲しき(藤原俊成『長秋詠藻』)
ふぢばかま月の枕に匂ふなり夢は旅寝の露にくだけて(藤原家隆『壬二集』)
ふぢばかま嵐のくだく紫にまた白菊の色やならはん(藤原定家『拾遺愚草員外』)
ふぢばかま嵐になびく末葉より紫くだく野辺の夕露(藤原忠良『千五百番歌合』)
紫をくだく嵐はまだ立たで野をさかりなる藤袴かな(藤原為家『新撰六帖』)
吹きしをる嵐にくだく紫の色むつまじき藤袴かな(藤原為家『為家五社百首』)
紫のくだくるほどに藤袴野風やあらく吹きしをるらん(『安嘉門院四条五百首』)
藤袴ほころびてこそ紫の色にくだくる露も見えけれ(三条西実隆『雪玉集』)

【原詩全文】
蘭蕙苑嵐摧紫後 蓬莱洞月照霜中 依香徳暖鑪煙散 影爲恩深□砌融

和漢朗詠集卷上 秋 蘭
蘭氣入輕風 直幹

蘭気軽風に入る 橘直幹

曲驚楚客秋絃馥  きよく驚いては楚客そかくの秋のげんかうば
夢斷燕姫曉枕薫  夢えては燕姫えんきが暁の枕にくん

【通釈】楚客の宋玉が曲を奏でると、秋の琴は蘭の香りで芳しいこと驚くばかり。
燕姫が蘭を授けられた夢から覚めると、暁の枕はその香に満ちている。

【語釈】◇楚客 楚に滞在していた宋玉。蘭房で一女と琴を奏し「幽蘭白雪」の曲を作ったという。◇燕姫 鄭の文公の妾であったが、夢で蘭を授かり、文公の寵を得て穆公を生んだという。

【補記】題名は釈信阿私注による。原詩は天徳三年(959)の殿上詩合に出詠された。

【影響を受けた和歌の例】
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(俊成卿女『新古今集』)

和漢朗詠集卷上 秋 落葉

三秋而宮漏正長 空階雨滴
萬里而郷園何在 落葉窗深
  愁賦

三秋さんしうにして宮漏きうろう正に長し 空階こうかいに雨したた
万里にして郷園きやうゑんいづくにか在る 落葉らくえふ窓深し

【通釈】秋も深まり宮中の漏刻は遅々として、夜はまことに長い。きざはしには人気なく雨が滴っているばかり。
故郷の家の庭はどちらにあるのか。深窓から窺えば、落葉が激しく、窓を埋めている。

【語釈】◇三秋 秋三ヵ月。但し三ヵ月目の秋すなわち晩秋九月とも。◇宮漏 宮中の漏刻すなわち水時計。

【補記】出典は張読の詩賦「愁賦」という。

【影響を受けた和歌の例】
ひとりきくむなしき階に雨おちて我がこし道をうづむ木がらし(藤原定家『拾遺愚草』)
軒の雨のむなしき階をうつたへに寝られぬ夜はの秋ぞつれなき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
人はこず夕べの雨はしたたりてむなしき階にふる木の葉かな(よみ人しらず『玉葉集』)
思へただむなしき階に雨を聞きて明けがたき夜の秋の心を(伏見院『新拾遺集』)
此暮もむなしき階に聞きなしてちぎりくやしき雨の音かな(姉小路基綱『雪玉集』)

和漢朗詠集卷上 秋 雁
春日閑居 在中ざいちゆう

春日の閑居 みやこの在中ありなか

山腰歸鴈斜牽帶  山腰さんえう帰雁きがんは斜めに帯を
水面新虹未展巾  水面すいめん新虹しんこういまきんべず

【通釈】山の麓近くを飛ぶ帰雁の列は、あたかも腰に斜めにしめた帯のようだ。
水面に映り始めた新しい虹は、あたかも広げる前の手巾のようだ。

【語釈】◇帰雁 春に北へ帰る雁。◇巾 手拭やハンカチの類。

【補記】和漢朗詠集の秋の部「雁付帰雁」より。題は『江談抄』による。原詩は散逸か。土御門院の御製は「山腰帰雁斜牽帯」を句題とする歌。他の歌もすべて同句を踏まえてたものである。

【作者】都良香の子。和漢朗詠集に漢詩句二首を伝える。

【影響を受けた和歌の例】
ひきつらね高嶺のこしに帰る雁これや帯するきびの中山(得業信広『正治初度百首』)
立ちかへる雲ゐの雁を帯にせる山のすがたぞ春はさびしき(土御門院『土御門院御集』)
薄ごろも染めほす山の雲間よりたなびく雁や春の下帯(藤原基家『宝治百首』)
山本の雲のしたおびながき夜にいくむすびして雁もきぬらん(同上『弘長百首』)
山とほく帯引きすてて行く雁のおなじつらなる末の川水(後柏原院『柏玉集』)
いく筋の帯ひきすてて遠山の越路にかへる衣かりがね(松永貞徳『逍遥集』)

和漢朗詠集卷上 冬 氷
失題   相如しやうじよ

霜妨鶴唳寒無露  霜鶴唳かくれいさまたげて寒うして露なし
水結狐疑薄有氷  水狐疑こぎを結んで薄くして氷あり

【通釈】この寒さに露は残らず霜となり、鶴の声も震えている。
水面はうっすらと氷が張って、狐はためらいつつ川を渡る。

【語釈】◇妨鶴唳 鶴の鳴き声を妨げる。霜が置くほどの厳しい寒さが、鶴の鳴くことを邪魔するのである。◇結狐疑 狐に疑いをもたらす。「狐疑」は疑いためらうこと。狐は疑り深い動物とされ、氷の下に水音のないことを確かめてから渡るという言い伝えがある。

【作者】相如しょうじょこと高岳たかおかの相如すけゆきは生没年・伝未詳。和漢朗詠集に多くの詩句が採られたのは、彼が藤原公任の師であったからという(江談抄)。拾遺集に和歌一首を採られている。

【補記】出典は不詳。「霜妨鶴唳寒無露」を踏まえたかと思われる和歌が古くから散見される。『土御門院御集』の歌は、この句を題として詠んだもの。

【影響を受けた和歌の例】
さ夜ふけて声さへさむき蘆鶴あしたづはいくへの霜かおきまさるらむ(藤原道信『新古今集』)
霜ふかき沢辺の蘆に鳴くつるの声もうらむる明暮の空(藤原定家『拾遺愚草』)
おく露のむすべばしろき霜のうへに夜ふかきつるの声ぞさむけき(土御門院『土御門院御集』)
冬の夜に声さへさむき葦鶴のなくねも霜やおきまよふらむ(藤原秀能『如願法師集』)
冬枯れの網代のたづも声たえぬ野沢の水のこほる霜夜に(藤原内経『文保百首』)

和漢朗詠集卷下 曉

佳人盡飾於晨粧 魏宮鐘動
遊子猶行於殘月 函谷鷄鳴

佳人かじんことごと晨粧しんしやうを飾る 魏宮ぎきゆうに鐘動く
遊子いうしなほ残月ざんげつに行く 函谷かんこくにはとり鳴く

【通釈】魏宮に鐘が鳴ると、後宮の美女たちは皆朝の化粧をする。
函谷関に鶏が鳴いた後も、なお旅人は有明の月の光に歩を進める。

【解説】出典は賈嵩の「暁賦」という。前句は『南斉書』后妃伝、斉武帝が景陽楼の上に鐘を置き、宮人は鐘の声を聞いて早起きしたとの故事、後句は『史記列伝』の孟嘗君が食客に鶏の鳴き声を真似させて無事函谷関を通過したとの故事に由る。

【影響を受けた和歌の例】
関の戸を鳥のそら音にはかれども有明の月はなほぞさしける(藤原定家『拾遺愚草』)
鳥のねに関の戸いづる旅人をまだ夜ぶかしとおくる月影(藤原為家『新後撰集』)
夜もすがらあくがれこゆる関の戸の有明の月に鳥の音ぞする(宗尊親王『竹風和歌抄』)

和漢朗詠集卷下 松

但有雙松當砌下 更無一事到心中  

双松さうしようみぎりもとに当れるあり 更に一事いつしの心のうちに到る無し

【通釈】屋敷にはただ二もとの松が軒下にあるばかり。心の中にまで響くような事は一つとして起こらない。

【補記】出典は白氏文集の「新昌閑居、招楊郎中兄弟」(→移動)。

【影響を受けた和歌の例】
庭の松よおのが梢の風ならで心の宿をとふものぞなき(慈円『拾玉集』)
我が宿の砌にたてる松の風それよりほかはうちもまぎれず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
心にはそむる思ひもなきものを何のこるらむ軒の松風(寂身『寂身法師集』)
山里は砌の松の色ならで心にのこる一こともなし(宗尊親王『竹風和歌抄』)
風はらふ砌のもとの松も知れ心にかかる塵もなき身を(三条西実隆『雪玉集』)

和漢朗詠集卷下 猿

胡鴈一聲    胡雁こがん一声いつせい
秋破商客之夢  秋商客しやうかくの夢を破る
巴猿三叫    巴猿はゑん三叫さんけう
曉霑行人之裳  あかつき行人かうじんうるほ

【通釈】北方から訪れた雁の啼く一声が、
秋、行商人の夢をさます。
巴峡の猿が叫ぶ三声が、
暁、旅人の裳を湿らせる。

【語釈】◇胡鴈 「胡」すなわち北方の異国から渡来する雁。◇巴猿 巴峡(長江の三峡の一つ)の猿。◇三叫 猿が三声叫ぶとするのは、『藝文類聚』などに見える「巴東三峽猨鳴悲 猨鳴三聲涙霑衣(巴東の三峡猨の鳴くこと悲し 猨鳴くこと三声にして涙衣を霑ほす)」に基づく。

【作者】江相公がうしやうこう、大江澄明すみあきら。生年未詳、天暦四年(950)没。朝綱の子。文章得業生となり、民部少輔などを歴任したが、父に先立って夭折した。

【補記】出典は『本朝文粋』の大江澄明「弁山水対策」。隆房の歌は「胡雁一声 秋破商客之夢」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
草枕かりがねのねに夢さめて露けさまさる旅衣かな(藤原忠成『為忠家初度百首』)
雁がねは越路にやどる旅人のまどろむ夢やおどろかすらん(藤原隆房『朗詠百首』)

山家

和漢朗詠集卷下 山家
山家早秋  

山家の早秋  みやこの良香よしか

晴後靑山臨牖近  晴ののち青山せいざんまどに臨んで近し
雨初白水入門流  雨の初めの白水はくすいは門に入りて流る

【通釈】雨が晴れた後、青い山々が窓に迫って近く見える。
白濁した雨水のさきがけが、門の中へと流れ込む。

【補記】早秋、雨後の山里の景を詠む。「青山」「白水」の対照が鮮やかにして清々しい。

【作者】みやこの良香よしかは貞継の子。文章博士となるが、元慶三年(879)、三十六歳で夭折した。漢詩文にすぐれ、和歌も古今集に一首残している。

【影響を受けた和歌の例】
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと(正徹『草根集』)







公開日:平成21年月日
最終更新日:平成21年月日

thanks!