飛鳥井雅有 あすかいまさあり 仁治二〜正安三(1241-1301)

蹴鞠の家として名高い飛鳥井家の嫡流。新古今集撰者の一人である飛鳥井雅経の孫。父は正三位左兵衛督教定。母は源定忠女(尊卑分脈)。二条為氏の室で、為世の母となった姉がいる。北条実時の娘を娶り、雅顕をもうけるが、夭折したため、甥の雅孝を猶子とし、家を嗣がせた。女子には二条為通に嫁ぎ為定らの母となった人がいる。
仁治二年(1241)鎌倉で生まれる。翌年叙爵。侍従・右中将などを経て、正応四年(1291)七月、参議に就任。同年十二月に同職を辞退し、のち兵部卿・民部卿を経て、正二位に至る。正安三年(1301)正月十一日、六十一歳で薨去。祖父以来の関東祗候の廷臣として、京・鎌倉を頻繁に往還する生涯であった。
藤原為家に古今集・源氏物語などを学ぶ。当代の源氏物語研究第一人者として『弘安源氏論議』に参加。和歌にもすぐれ、伏見天皇の春宮時代、師をつとめた。永仁元年(1293)八月、二条為世・京極為兼九条隆博の三人とともに勅撰集の撰者を拝命したが、この企画は中絶した。二千六百余首を載せる家集『隣女和歌集』、これに続く家集『雅有集(別本隣女和歌集)』がある。著書にはほかに『仏道の記』『嵯峨の通ひ路』『最上の河路』『都路の別れ』『春の深山路』などの日記・紀行、蹴鞠の書『内外三時抄』などがある。古典の書写も多い。続古今集初出。勅撰入集計七十二首。

  1首  1首  1首  1首  3首  3首 計10首

弘安百首歌たてまつりける時

山ざくら雲のはたての春風にあまつ空なる花の香ぞする(続千載78)

【通釈】山桜は雲の果てまで吹いてゆく春風によって天空に花の香気を漂わせている。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて
【参考歌】後鳥羽院「千五百番歌合」「続千載集」
物や思ふ雲のはたての夕暮に天つ空なる初雁のこゑ

【補記】弘安百首は、続拾遺集編纂に際し亀山院が召した百首歌。弘安元年(1278)頃披講。

永仁二年五月内裏五首歌に、野亭夏朝

草ふかき窓の蛍はかげ消えてあくる色ある野べの白露(玉葉398)

【通釈】夏草が深く茂る窓辺を飛んでいた蛍の光は消えて、それと入れ替わるように明けた空の色を映してきらめく野辺の白露よ。

【補記】題の「野亭」は野中の小屋。庵住いの風情。

秋歌の中に

今宵こそ秋とおぼゆれ月かげにきりぎりす鳴きて風ぞ身にしむ(玉葉653)

【通釈】今宵こそ秋と感じることよ。月明りの下で蟋蟀が鳴いて、風が身に染みる。

【語釈】◇きりぎりす 今のコオロギのこと。

夕暮に鷺のとぶをみて

つららゐる刈田のおもの夕暮に山もととほく鷺わたる見ゆ(玉葉933)

【通釈】氷が張った刈田の面は夕暮れて、山の麓を遠く鷺が渡ってゆくのが見える。

【補記】冬の薄暮に小さな白い影をくっきりと見せて飛ぶ鷺。印象鮮明な叙景は京極派の先駆をなす。

【参考歌】伏見院「御集」
田のもより山もとさしてゆく鷺のちかしとみればはるかにぞとぶ

恋の歌とて

をりをりは思ふ心も見ゆらむをつれなや人の知らず顔なる(玉葉1318)

【通釈】恋い慕う私の気持も折々は見て取れるだろうに、つれないことよ、あの人は知らん顔している。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
恨むれど恋ふれど君がよとともに知らず顔にてつれなかるらむ

【補記】「此歌玉葉集第一の歌と申す也。誠に面白く侍り」(『正徹物語』)。

月あかき夜、人にさそはれて、はじめて人に対面して、後朝に申しつかはし侍りし

人はいさ思ひも出でじ我のみやあくがれし夜の月を恋ふらん(隣女集)

【通釈】あの人は、さあ、思い出してもくれまい。心惹かれさ迷い出たあの晩の月を、私ばかりが恋い慕うことになるのだろうか。

【補記】家集『隣女集』では雑部に収めているが、後朝の恋の歌である。

恋歌の中に

道すがら我のみつらくながむれど月は別れも知らず顔なる(玉葉1447)

【通釈】帰る道すがら、私ひとり恨めしく眺めるけれども、有明の月は別れの辛さなど知らぬげに照っているよ。

【補記】有明の月は、いわば後朝(きぬぎぬ)の別れのシンボル。だからこそ月を恨めしげに眺めずにいられないのである。

月のあかかりける夜、鏡の山を越ゆとてよみ侍りける

立ちよれば月にぞ見ゆる鏡山しのぶ都の夜半の面かげ(新後撰568)

【通釈】鏡山に近づけば、月明かりに照らされて目に浮かぶようだよ。懐かしく偲ぶ、都の夜のありさまが。

【補記】羇旅歌。鏡山は近江国の歌枕。三上山の北東、竜王山・星ケ峰などの山々の総称であったらしい。中山道に沿い、東国との間を往き来する旅人の目を楽しませた。その名から鏡のようにものを映して見せる山として歌に詠まれることが多い。この歌は『春の深山路』に見え、弘安三年(1280)十一月、京から鎌倉へ向かう途次の作。

院、位につかせ給ひてのちの春、よみ侍りける

年をへし春の深山(みやま)の桜花雲ゐにうつる色を見るかな(玉葉1879)

【通釈】長の年月、深山の桜のように目立たず、春宮としてお過ごしになった陛下が、いよいよ内裏に移られる、めでたいご様子を拝見することですよ。

【補記】詞書の「院」は伏見天皇を指す。十三年間皇太子の地位にあった後、弘安十年(1287)十月に践祚。その翌年の春の作であろう。「春の深山」に春宮の意を掛けている。

島松をよめる

波間より見ゆる小島のひとつ松われも年へぬ友なしにして(玉葉2096)

【通釈】波間から見える小島の一本松よ、私もおまえのように友もなく歳月を過ごし、年老いてしまったよ。

【補記】一つ松を人に擬えて呼びかけた例は、古く倭建命の歌謡などにも見える。

【本歌】作者不明「万葉集」「拾遺集」
浪間より見ゆる小島の浜久木ひさしく成りぬ君にあはずて
【参考歌】宗尊親王「瓊玉集」
吹く風のなるをにたてる一松さびしくもあるか友なしにして


公開日:平成14年12月21日
最終更新日:平成22年11月17日