良暹 りょうぜん(りょうせん・ろうぜん・ろうせん) 生没年未詳(990頃〜1060頃)

出自未詳。母を藤原実方家の童女白菊とする伝がある(後拾遺集勘物)。
比叡山の天台僧。祇園別当となり、大原に隠棲。晩年は雲林院に住むか。長暦二年(1038)九月の「源大納言師房家歌合」、長久二年(1041)の「弘徽殿女御生子歌合」などに参加。津守国基・橘為仲らを歌友とした。康平年間(1058-1065)頃、六十五歳前後で没したかという。
『十訓抄』『古今著聞集』などに説話が載る。『小倉百人一首』に歌を採られている。後拾遺集初出。勅撰入集三十二首。

藤原通宗朝臣歌合し侍りけるによめる

さ月やみ花橘に吹く風は誰が里までか匂ひゆくらむ(詞花67)

【通釈】五月の闇夜、橘の花を吹いて過ぎる風は、誰の住む里まで匂いを運んでゆくのだろうか。

【語釈】◇さ月やみ 五月闇。陰暦五月の夜の闇。木の葉が繁り合って、闇がいっそう濃く感じられる。また長雨の季節なので闇夜が多い。

【補記】古今集読人不知の名歌「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」より、懐旧と恋の風趣が薫る。

八月駒迎へをよめる

逢坂の杉のむらだちひくほどはをぶちに見ゆる望月の駒(後拾遺278)

【通釈】逢坂山の杉の群生する間を牽いて行く間は、木立を漏れてくる月明かりのために馬の毛が斑模様に見える、望月の駒よ。

【語釈】◇八月駒迎へ 諸国から献上される馬を逢坂の関で迎える行事。◇をぶち を斑、毛色のまだらなこと。また陸奥の馬の名産地「尾駮」(青森県上北郡六ヶ所村)を掛け、望月産の馬が尾駮産に見えるという洒落になっている。◇望月の駒 信濃国望月の御牧産の馬。地名望月に満月の意を掛ける。

【他出】奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、和歌色葉、色葉和難集、歌枕名寄、題林愚抄

【本歌】紀貫之「拾遺集」
逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒

【主な派生歌】
あふ坂の杉まもりくる月ゆゑにをぶちにみゆる甲斐のくろ駒(惟明親王)
さえかへり猶ふる雪にまきの名のをぶちにみゆる春の若こま(橘千蔭)

題しらず

さびしさに宿をたち出でて眺むればいづくも同じ秋の夕暮 (後拾遺333)

【通釈】あまり寂しいので庵を出て、あたりを眺めれば、どこも寂しさに変わりはない秋の夕暮であったよ。

【語釈】◇宿 住み処。ここでは草庵であろう。◇たち出でて 「たち」は接頭語。素速い動きなど、目立った所作であることを示す。ここでは「さっと」「ぱっと」ほどの意。◇いづくも同じ 「さびしさ」においてはどこも同じ、ということ。百人一首カルタでは普通「いづこも同じ」とする。

【他出】定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、百人一首、釈教三十六人歌合、六華集、歌林良材

【主な派生詩歌】
桜さく奈良の都をみわたせばいづくも同じ八重の白雲(大江匡房[玉葉])
雁かへる初瀬の花のいかなれや月はいづくも同じ春の夜(後鳥羽院)
松風はいづくもおなじ声なるを高津の宮の秋の夕暮(慈円)
をしみかねて花なき里をながむればいづくもおなじ春の山風(〃)
柴のいほにすみえて後ぞ思ひしるいづくもおなじ夕暮の空(〃)
秋よただながめすてても出でなましこの里のみの夕べと思はば(藤原定家)
春やあらぬ宿をかごとに立出づればいづこもおなじかすむ夜の月(〃)
さびしさはいづくも同じことわりに思ひなされぬ秋の夕暮(平長時[続古今])
とはばやないづくも同じながめかと高麗もろこしの秋のゆふ暮(大内政弘)
あしがちる難波の里の夕ぐれはいづくもおなじ秋かぜぞふく(賀茂真淵)
いかにせむいづくも同じさびしさと聞きてもたへぬ秋の夕暮(本居宣長)
さびしさに草の庵を出でてみれば稲葉おしなみ秋風ぞ吹く(良寛)

比叡(ひえ)の山の念仏にのぼりて、月をみてよめる

あまつ風雲ふきはらふ高嶺にて入るまで見つる秋の夜の月(詞花100)

【通釈】空行く風が雲を吹き払う高山の頂きで、西の山の端に沈きみるまでじっと見てしまった、秋の夜の月を。

【補記】月の沈む方向に西方浄土を念じている。

【主な派生歌】
あまつ風雲吹払ふ秋の夜は月よりほかの物なかりけり(藤原顕輔)
跡もなくやがてぞ霞む夕日影いるまで見つるをちの山の端(頓阿)

あれたる宿に月のもりて侍りけるをよめる

板間より月のもるをも見つるかな宿は荒らしてすむべかりけり(詞花294)

【通釈】板の隙間から月光が漏れるのを見たことだ。庵はこのように荒して住むのがよかったのだなあ。

【補記】荒廃した家でこそ月光の侘びた風情を味わえるとした。中世の隠者の趣味を先取りしている。

【参考歌】藤原定頼「後拾遺集」
雨ふればねやの板間もふきつらんもりくる月はうれしかりしを

初めたる恋のこころをよめる

かすめては思ふ心を知るやとて春の空にもまかせつるかな(金葉421)

【通釈】恋心をほのめかせばあの人が私の思いを知ってくれるかと、春の空が霞むのにまかせてしまったなあ。

【補記】今は春。春の空は霞むのが当然。そのような自然のなりゆきにまかせて、心を霞めて(ほのめかして)しまった、ということ。

雲林院のさくら見にまかりけるに、みなちりはてて、わづかに片枝にのこりて侍りければ

たづねつる花もわが身もおとろへて後の春ともえこそ(ちぎ)らね(新古153)

【通釈】訪ね求めてやって来た桜も、その我が身も、共に衰えて、将来いつの春に再会できるとも約束できそうにないのだ。

【語釈】◇雲林院(うりんゐん) 京都紫野にあった寺院。もとは淳和天皇の離宮だったが、その後仏寺となり、遍昭などが住持を勤めた。桜の名所。

やまひして雪の降りける日、死なむとしければ詠める

死出の山まだ見ぬ道をあはれ我が雪ふみわけて越えむとすらむ(俊頼髄脳)

【通釈】死出の山の見知らぬ道を、ああ今私はこの雪を踏み分けて越えようとするのだろうか。

【語釈】◇死出の山 閻魔王国の境にあり、死者が越えるとされた山。

【補記】詞花集には下の形で載る。
   病おもくなり侍りけるころ、雪のふるをみてよめる
 おぼつかなまだ見ぬ道を死出の山雪ふみ分けて越えんとすらん


最終更新日:平成17年04月18日