歌合戦:出場歌手 チェッカーズ


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チェッカーズ:昭和59~平成4年

 1983年(昭和58年)「ギザギザハートの子守唄」でレコードデビュー。 有名な歌手が数多く誕生している福岡県出身の男性7人組バンドである。
 1984年(昭和59年)に発売したセカンドシングル「涙のリクエスト」でブレイク。つられる形でデビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」もヒットし、さらにはサードシングル「哀しくてジェラシー」と合わせて、3曲同時TOP10入りという、当時のオリコンシングルチャートの記録を作るほどのブームとなった。
 若い女性人気が高く、当時ちょっと端境期だったジャニーズ事務所のアイドル以上のアイドル的な人気を集めただけでなく、藤井郁弥の髪型をまねて前髪の真ん中を伸ばす男子学生が増えたり、藤井尚之が演奏するサックスに目をつけ、バンドにサックス奏者を加えるよう煽る楽器メーカーの広告もアイドル雑誌に掲載された。

 当然のように、同年の第35回歌合戦に初出場し、ブレイク曲である「涙のリクエスト」を、番組中盤、攻守交替して白組先攻になった一番手として歌唱した。 チェッカーズと言えば、最初はグループ名の通りチェック柄の衣装が多かったが、歌合戦では白組ということで白を基調とした衣装で登場している。 髪も一部白くしたり、顔にも白いものを塗ったりして、ちょっと遊び心ありすぎという気も。 藤井郁弥の前髪も、もう真ん中があまり長くなかった。
 おなじみのチェック柄の衣装は、彼らの後に登場する小泉今日子の曲紹介で、紅組司会の森光子、松田聖子中森明菜が着ていた。 そして、前髪の真ん中が長かったのは森光子。
 「涙のリクエスト」は歌番組によってテレビバージョンの尺がバラバラで、「ザ・ベストテン」だと間奏ありの1ハーフといういわゆるアイドルのテレビバージョン。 「ザ・トップテン」だと、1番のサビが短い代わりに、間奏なしで2番のサビ前につながる構成だった(少し動画投稿サイトを調べただけなので、もっとたくさんのバリエーションがあったかもしれない)。 歌合戦では、どちらかというと「ザ・トップテン」に近く、1番を歌詞のカットなしで歌ったあと間奏なしで2番のサビ前に移り、アウトロは短めという構成だった。 歌唱時間はほぼ3分で、「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」よりも長かったかも。 ブレイクした年に初出場したアイドルとしては、とても良い扱い。

 1984年11月に発売した「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」が、グループとしては最大のヒットとなり、翌年の第36回(1985年、昭和60年)の歌合戦ではこの曲を披露した。
 そして、この曲もいつものテレビバージョンと歌合戦のバージョンが異なっている。 既にトップアイドルの座についていた彼らだったので、「ジュリアに傷心」のテレビバージョンは2コーラスだったと思うが、歌唱時間は3分30秒くらいとなり、当時の歌合戦としては長いため、間奏後に2番のサビに飛び、普段のテレビバージョンでは歌っていない2番のサビの次のサビも歌う構成で、前年と同じ約3分の歌唱時間となっている。
 この2年、対戦相手は同じくトップアイドルだった小泉今日子。 当時のトップアイドルとしては、松田聖子郷ひろみ中森明菜近藤真彦の交際が話題になり、歌合戦でも敢えて各カップルの対戦にした年もあった。 チェッカーズ小泉今日子の対戦も、第36回に関しては藤井郁弥小泉今日子が交際していた時期だったから、ということがあったのかもしれない。 ちなみに、藤井郁弥小泉今日子が交際していたとされる時期、2人とも少し長めの髪でパーマ(いわゆる「おばちゃんパーマ」)をかけていた。 あごのとがった小泉今日子よりも、顔の輪郭の丸い藤井郁弥の方がおばちゃんっぽいと言われたりもした。

 1986年(昭和61年)は、自作曲による活動へ移行しようとしていた年。 自作曲として初のシングルとなった、「NANA」がいきなりNHKで放送禁止となったこともあってか、この年の第37回歌合戦の歌唱曲は、最後の「自作じゃないシングル」となった「Song for U.S.A.」。
 歌合戦のネタから外れるが、「NANA」は発売と同時にNHKでの放送禁止が決まったわけではなく、NHKの歌番組用に「NANA」を収録した後、「歌詞がまずい」という話になったらしい。 歌詞のどこがまずかったかは色々な説があるが、当時チェッカーズのラジオ番組でメンバーが言っていたのは、歌詞の「過去 脱ぎすてて やろうぜ ナナ」の「脱ぎ捨てて」と「やろうぜ」の間に改行が入っていたため、「やろうぜ」が(当時の)NHK的にまずいと判断されたのでは、ということだった。 そして、歌唱曲の「Song for U.S.A.」は、タイトルのU.S.A.の前に“the”がないのはおかしいと、日本人英語の悪い例として本で紹介されたりした。 前に書いたように、この曲はメンバーの自作曲ではないので、チェッカーズにとってはとんだとばっちりである。
 歌合戦でのパフォーマンスの方は、間奏なしの1ハーフ。 これは通常のテレビバージョンと同じだろうか。 間奏なしの1ハーフといっても、スローナンバーなので、歌唱時間は前2回よりも若干長くなっている。 そして、前2回はどちらかというと対戦相手の小泉今日子のために作られたようなセットで歌っていたが、この回はようやく彼らのためだけのセットが用意された。
 この年の対戦相手はなぜかベテラン演歌歌手の水前寺清子。 当時メンバーの誰かがチータと交際していたという話はなかったと思う。 念のため。

 翌年の第38回(1987年、昭和62年)は、晴れてメンバーの作った楽曲である「I Love you, SAYONARA」を歌唱。 対戦相手は中森明菜。 2組の人気や実力を考えれば、2010年代だったら番組後半でもおかしくない組み合わせだが、この年の歌合戦は若い世代に人気のある歌手の出場順がとにかく早かった。 よって、紅白各20組中4組目の対戦となっている。
 この年のステージングは、いつもは藤井郁弥のサイドを固めていたサイドボーカルの高杢禎彦がパーカッション?、鶴久政治がキーボードを演奏するような位置づけで後ろに下がっており、フロントは藤井郁弥ひとりだった。 そして、パフォーマンスはほぼ1コーラスのみ。 多分、当時のテレビバージョンのままだけど、もうちょっと長くてもよかったんじゃない? 対戦相手の中森明菜はいつもはカットしていたアウトロをカットなしにしていたんだから。 と思ったが、時間を測ってみると、1コーラスだけでも3分近い。 歌合戦におけるチェッカーズの谷はこの年かな、と思っていたが、決してこの年の扱いがずば抜けて悪いというわけではなかった。

 第39回(1988年、昭和63年)は3度目となる小泉今日子との対戦で「素直にI’m Sorry」を歌唱。 もともとはスローな曲をちょっとテンポ速めたかな、という1ハーフだが、これでも約3分の歌唱時間となっている。 第37回からこの回までの藤井郁弥の衣装は、布施明沢田研二の流れをくむような、白組のファッションリーダー的なものだった。
 この年は、ボーカルの3名に加えて、サックスの藤井尚之もバンドメンバーが載る台の上ではなく、ステージ上に直接立っていた。 説明が難しいが、歌合戦では曲間の切り替えを早くするため、バンド形式のグループやバックバンドは、車輪のついた台の上に載せて、スタッフが押し出す形で移動させることが多い。 この年の藤井尚之は、その台の上には載っていなかったということ。 ちなみに、「素直にI’m Sorry」で藤井尚之が演奏した楽器はサックスではないらしい(ウィキペディアにはフルートと書かれているが、フルートでもないような) ドラムのように持ち運びが大変じゃないし、いつものサックスよりも高い音が効果的に使われていたナンバーだし、バンドの中でアイドル的な人気があった藤井兄弟をフィーチャーする意味もあったのだろうね。

 第40回(1989年、平成元年)は「Friends and Dream」を歌唱。 この頃になってくると、チェッカーズが歌合戦で歌うのはスローナンバーに固定されてくる。 というか、思い返すと3回目の出場時に歌った「Song for U.S.A.」から、ずっとスローナンバーである。
 この年からは衣装も髪型もだいぶ落ち着いてくる。 藤井郁弥なんて、アメリカでアルコールを飲んだり買ったりしようとしたら、身分証明書の提示を求められるに違いないルックスになっている。
 スローナンバーで、バンドとして楽器を演奏するメンバーの見せ場をつくることを考えると、間奏ありの1ハーフという形になってしまうが、いつも通り約3分の歌唱時間で、決して扱いは悪くない。

 第41回(1990年、平成2年)の歌唱曲「夜明けのブレス」はまたしてもバラード。 とは言っても、チェッカーズにとってこの年最も売れた曲なので、選曲としては問題ない。 構成はいつも通り1ハーフで3分を少し超えるくらい。 いつもの歌合戦と違ったのは、移動に人手が必要なドラムの徳永善也とサポートメンバーのキーボード以外の6名がステージ上に直接立っていたこと。 フロントに藤井郁弥、その後ろに鶴久政治高杢禎彦、さらに後ろにギターの武内享とサックスの藤井尚之とベースの大土井裕二という、1-2-3のフォーメーションだった。

 第42回(1991年、平成3年)の歌唱曲は「ミセス・マーメイド」という不倫をテーマにした曲。 「ミセス」がついているので、女性側は既婚者だろうが、男性側のステータスがどうだったのかは不明。 ちなみに、チェッカーズが自作の曲を作るようになった後のシングルの作詞を担当した藤井郁弥はこの前年に結婚している。 結婚を機に、不倫というテーマを思いついたのかも。
 この年の歌合戦では、屋外でレーザーを使った演出が何回か取り入れられており、「ミセス・マーメイド」のイントロでは霞が関ビルに人魚の絵と“Mrs. Mermaid”という文字が映し出された。 ステージ上のフォーメーションは、前年と同じく1-2-3(そして台の上のキーボードとドラム)。
 歌合戦での歌唱曲にスローナンバーが多かった彼らとしては、久々のちょっとアップテンポな曲であるが、この曲がこの年1番売れた曲なので、この年も選曲としてはOK。
 この頃になると、テレビの歌番組が少なくなり、統一されたテレビバージョンがあったのか、私にはわからないのだが、私が別のテレビ番組でこの曲を歌うところを見た時は、間奏なしの1ハーフで約3分だった。 それが歌合戦では、間奏ありで間奏後もサビを2回繰り返す構成(その分アウトロ短め)で、歌合戦の方が歌唱時間が長くなっていた(ほかの歌手のところでも書いているけど、たいていの場合、歌合戦での歌唱時間は通常のテレビバージョンより短くなる)。 この年はアイドル歌手はだいたい3分前後、それ以外のポップス歌手は3分30秒かそれより長い歌唱時間だったので、チェッカーズは「アイドル以外」という位置づけだったのだろう。
 気になったのは、衣装はこの年のツアー衣装そのまんまかな?というところ。

 そして1992年(平成4年)、この年いっぱいでの解散を発表。 歌合戦に毎年出場していたグループだったので、歌合戦がラストステージになると大方が予想し、その通り第43回の出場歌手に選ばれる。 ファンも当然予想していただろうし、今とは違ってチケットの譲渡や転売も禁止されていないし、観覧申し込みのはがきは運がよければ一契約世帯でも複数枚当たる時代だったので、会場にはファンが大勢つめかけ、番組中チェッカーズの姿が見えると、どんな場面であっても大歓声が起きる状況だった。 会場の外でのできごとはこちらも参照。
 歌唱曲は「フェアウェル・メドレー」というタイトルで、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から始まり、「涙のリクエスト」「星屑のステージ」「I Love you, SAYONARA」、そしてラストシングル「Present for you」という曲目だった。 歌合戦では初披露となったのは「ギザギザハートの子守唄」「星屑のステージ」「Present for you」の3曲。 歌唱時間も約5分と、当時の歌合戦としては破格の扱い。 今の歌合戦だったら、もっと歌唱時間を長くして、各曲1コーラスずつとか、サビだけでもフルということもしただろうが、各曲がかなり細かく切り刻まれており、一緒に歌おうとするファンが大変そうだった。 でも、当時のNHKとしてはできる限りのことはやったという感じ。
 この年、番組放送終了後、出場歌手がみんなステージ上を去った後にチェッカーズだけ登場してファンに向けて特別に挨拶をした、みたいな話は聞かないが、12時を迎えるまで席を立たなかったファンも多かったらしい。 一応、年内をもっての解散だったからね。

 翌年、予想以上に早く藤井郁弥あらため藤井フミヤがソロとして初出場し、しばらく出場を続けるが、それは別のページで。

 第39回の曲前に、藤井郁弥がグループの夢として「メンバー全員の子供が生まれたら、子供たちでチェッカーズを作る」と語っていたが、2004年(平成16年)徳永善也が他界。 かなわない夢となってしまった。
 再結成もいろいろあって難しいかな…。

 チェッカーズはバンドでありながらアイドルという要素を残しつつ成長していった、当時としては珍しいグループだった。 レコード(CD)売り上げは、自分達で作った曲をシングルにするようになってから少し下がったため、歌唱時間が短くなるような不遇な時期があった気がしていたが、歌唱時間に関しては約3分という、当時のアイドルとしては長めの時間をキープし続けていたことも意外だった。
 一つNHKに不満を言うなら、歌唱順が早すぎる年が多かったと思う。 正式にニュースを挟む2部構成になった第41回以降、ニュース後に歌う回数がもっと多くてもよかったのではないか。

最終更新 2017年8月30日