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昭和42年デビュー。 デビュー曲である「この広い野原いっぱい」は大ヒットであるが、歌合戦では歌われず。
初出場は次の大ヒット「禁じられた恋」を発表した昭和44年。
佐良直美と共に、この年同じく初出場だったカルメン・マキのバックでギターの伴奏もした。
翌45年の歌唱曲は「明日に架ける橋」。 サイモン&ガーファンクルのヒット曲のカバー。 シングル発売はされず、翌年発売されたアルバムに収録。 この年であれば、前年の暮れに発売されヒットした「恋人」が歌われるかと思うのだが、当時はこんな選曲もあったんだ。
結婚、出産を経て昭和47年に返り咲き。 歌唱曲の「美しい星」はオリコンシングルチャートに記録がないシングルの、しかもB面曲らしいが、この年様々なフォーク系の歌手による競作となった曲。 唯一出場した彼女が代表して歌唱した模様。 これもふしぎな選曲ではある。
昭和49年にも返り咲き。 昭和45年や47年の選曲をふまえると、彼女はヒット曲のない実力派歌手がその年々の選考基準によって出場したりしなかったり、出場してもヒットしていない曲を歌ったり、という印象が強いが、この年に歌った「ある日の午後」は実はレコード売り上げが10万枚を突破し、ヒットチャートに約半年ランクインしたヒット曲。
翌50年は身重の体で「歌ってよ夕陽の歌を」を歌唱。 身ごもっていたのは、後に歌合戦の舞台でも親子共演を果たすことになる森山直太朗。
その後、しばらく歌合戦の出場はない。
昭和62年にドラマ主題歌となった「DANCE」がロングセラーとなるが、歌合戦復帰は平成3年まで待つことになる。
平成3年と言えば、ベテラン歌手が多数返り咲いた年。
他のベテラン歌手が往年のヒット曲を歌唱する一方、NHKと森山良子の間では歌唱曲についてなかなか合意に至らなかったようで、NHKの番組情報誌の年末号には、「この広い野原いっぱい」の歌詞が「曲目はまだ決まっていません」の注意書きとともに掲載されていた。
当日森山良子が歌唱したのはアメリカの大歌手バーブラ・ストライサンドのヒット曲「PEOPLE」。
当時、私は選曲理由も、彼女の持ち歌なのかも知らなかったが、彼女はバーブラ・ストライサンドにあこがれていたそうで、過去にこの曲をシングルとしてリリースしている。
NHK交響楽団の生演奏がバックにつき、対戦相手がアンディ・ウイリアムスとなれば、そりゃあスケールの大きな歌でなくては、という理由での選曲だったのだろうか。
当然ながら迫力のステージ。
彼女は熱唱するとのけぞるくせがあるが、この日はいつもより余計にのげぞっていた。
その次の出場は平成9年。
初レコーディングは昭和44年、しかしこの年「みんなのうた」で話題となった「さとうきび畑」を歌唱。
歌合戦としては異例の4分を超える歌唱時間となる。
翌年、長野オリンピックの開会式で歌われた「明日こそ、子供たちが…」がヒットするが歌合戦には出場せず。
そして平成13年には歌合戦での歌唱とはタイミングがずれた形で「さとうきび畑」がシングルリリースされ、翌年ヒットするが平成14年には出場せず。
ちなみに、歌合戦には出場していない平成14年、日本レコード大賞では「さとうきび畑」の歌唱で最優秀歌唱賞を、夏川りみがロングセラーに結びつけた「涙そうそう」の作詞で作詞賞を受賞している。
平成15年、歌合戦のコンセプトの一つに掲げられたのは「コラボレーション」。 前年からヒットを続ける夏川りみの「涙そうそう」が、歌合戦の舞台で作詞の森山良子、作曲のBEGINも交えて披露される。 森山良子と夏川りみといえば、どちらも高音になっても豊かな声量をキープするタイプ。 でも「涙そうそう」を大ヒットに結びつけた立役者である夏川りみを立てるかのように、この年の森山良子の歌唱は控えめだった。
久々に歌合戦の舞台で熱唱系のパフォーマンスが披露されたのは翌平成16年。 第1部の紅組4番手という、なんとももったいない時間帯での登場ではあったが、第1部の歌手としては一番長い歌唱時間でこの年のヒット曲「あなたが好きで」を歌唱。
そして平成17年、視聴者からの支持の多いなつメロを(いつもよりも多く)選曲するという趣向の歌合戦で、第1部トリとして「さとうきび畑」を歌唱。 このとき、息子の森山直太朗との親子共演を果たしている。
大ヒットが少ないからか、歌合戦に固執しないタイプだからか、そのキャリアと比べると出場回数は決して多くないが、出場した際には確かな歌唱力で観客を魅了する数少ない歌手の一人。