歌合戦:出場歌手 河合奈保子


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河合奈保子: 昭和56年~61年

 1980年(昭和55年)デビュー。
 翌1981年(昭和56年)の「スマイル・フォー・ミー」のヒットで一躍スターダムに踊り出たような印象があるが、1980年の暮れに早くも「ヤングボーイ」という曲をヒットさせ、「ザ・ベストテン」にランクインしている(もちろん、歌合戦出場に関わるようなレベルではないし、仮に大ヒットだったとしても、暮れのヒットだと初出場は難しい)。
 1981年の出世作「スマイル・フォー・ミー」も実は大ヒットではない。 オリコンのデータでは25万枚を超えた程度。 そして、彼女にとってはトップクラスの売り上げである。 そんな彼女が歌合戦に6回も出場した裏には、レコード売上を上回る世間への浸透度が挙げられるだろう。 1981年、歌合戦の出場歌手発表と同時期にNHKの好きなタレント調査の結果も発表されているが、デビュー2年目の彼女が女性部門で早くもTOP10に顔を出している。 なぜそんなに世間への浸透が早かったかと言われると、さわやかキャラだけでなく、やはり榊原郁恵と同じような体型が幅広い年齢の男性層へグイグイ食い込んでいったんだろうなと思う。

 また、この年彼女はNHKの歌番組のリハーサル中に舞台上から奈落へ転落し重傷を負っている。 多少なりとも責任を感じたNHKが順調に回復していることを世間一般にアピールする意味合いもあったのではないか。 というわけで、この年の第32回歌合戦に初出場し、紅組トップバッターを務める。
 1982年(昭和57年)に放送された「栄光の舞台の記録 紅白歌合戦この10年の裏表」という番組で、彼女の音合わせと本番の歌唱シーンを見ることができるが、やはり元気な姿をアピールするためか、珍しく報道陣の前で公開音合わせをしているようだった。 そして、本番は音合わせの時よりもテンポが速くなっている。 彼女はこの年の歌い始めである。 オープニングで既に進行が遅れていたということか。

 翌1982年(昭和57年)から1985年(昭和60年)までの彼女は自分の立場をよく心得ていた。 歌が抜群にうまいから、あるいは爆発的なヒットがあったから歌合戦に出場しているのではなく、あくまでも知名度の高いアイドルとしての出場しているからには、歌以外の要素で視聴者を引きつけなくてはいけない。
 第33回(1982年)の「夏のヒロイン」ではPLレザンジュを従えて間奏部分で早がわりというアイドルの王道。 第34回(1983年、昭和58年)の「UNバランス」では、パフォーマンスの終わりに孔雀の羽をつけたマントを広げ(曲と衣装のバランスが取れていないという意味?)、第35回(1984年、昭和59年)の「唇のプライバシー」では、光ファイバーで作った花を衣装につけ、間奏部分で花(光)の色を変えるという最先端の演出を採り入れた。
 ちなみに、ここまで初出場から登場順が紅組1番、2番、3番、4番と出場回数と同じだった。

 第36回(1985年)も温度によって色が変わるという特殊なインクを使用したドレスを着用、歌い始めには無地だったドレスに花の模様が浮かび上がるという趣向だったようだ。
 しかし、この年のパフォーマンスでハプニングが起こる。
 河合奈保子の前は白組トップバッターの吉川晃司吉川晃司のパフォーマンスが終わると、すぐに河合奈保子の歌唱曲「デビュー~Fly Me To Love」のイントロが始まるという進行だったが、自分の歌が終わり、河合奈保子の曲のイントロが始まっても吉川晃司はステージ中央から去らず、自分が持っているギターに火をつけた。 台本通りでない展開に河合奈保子は歌い出すことができず、周りで踊るスクールメイツは目が泳ぎ、NHKスタッフも歌が始まらないので歌詞字幕を出せない。 結局、歌いはじめのサビを完全に飛ばすことにした彼女はトレードマークの笑顔もこわばり痛々しい限りだった。
 この「デビュー~Fly Me To Love」は、通常のテレビバージョンは1コーラスで、私はなぜか「ひょっとしたら、歌合戦では1ハーフ歌えるんじゃないか」と考えていて、実際1番のあと間奏なしでもう一回サビを歌う1ハーフになっていたのだが、歌いはじめのサビを歌えなかったことで、結局歌詞はいつも通りの1コーラス相当になってしまい、彼女のファンだったわけでもないのに、非常に腹立たしかった。

 翌年の第37回(1986年、昭和61年)、彼女は大人への脱皮をはかり、その中で発表したのが本人作曲によるバラード「ハーフムーン・セレナーデ」。 年末にヒットしたこの曲をピアノの弾き語りで披露する。

 翌1987年(昭和62年)、歌合戦の大幅な路線変更の波に飲まれ、アイドルという位置づけだった河合奈保子の名は歌合戦から消えた。 彼女はこの年までシングルチャートのTOP10に顔を出していたので、歌合戦の路線変更があと一年遅かったら、あるいは彼女の位置づけが大人の歌手に変わっていたら出場回数があと1回多かったかも知れない。
 思えば、1982年には竹内まりや作品の名バラード「けんかをやめて」、1984年には八神純子作曲でロングトーンがかっこいい「コントロール」、1985年にはファルセットを使った高音を駆使する「ジェラス・トレイン」があったから、このあたりを歌唱していたら、そこらのアイドルとは一線を画す存在だったことを世間にアピールできたんだと思うけど、歌唱曲の決定権はNHKにあったからね。 ついでに言うと、彼女にとって最大のヒットである1983年の「エスカレーション」も歌合戦で歌われていないのが残念。 あと、初期の曲によくあった、マイナー調のメロディーでスタートして、サビでメジャーに転調する曲も、彼女の魅力を引き出していたと思うので、これも歌合戦で1曲聴きたかったな。

最終更新 2017年8月11日