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昭和57年デビュー。
この年デビューしたアイドルの中では中森明菜、シブがき隊、に継ぐ人気ぶり。
3枚目のシングル「ひとり街角」で早くも「ザ・ベストテン」にランクイン。
翌年、オリコンシングルチャートで初のTOP10入りとなった「春風の誘惑」を筆頭に「真っ赤な女の子」、「半分少女」と最高順位を上げ、「艶姿ナミダ娘」ではついにTOP3入りを果たすもなぜか歌合戦初出場ならず。
参考まで、昭和57年にデビューしたアイドルでこの年初出場したのは、前年の落選が解せない中森明菜と「ハワイ出身、英語ぺらぺら」で他のアイドルとの差別化に成功した早見優。
三度目の正直の昭和59年、「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」と3曲をシングルチャートの1位に送り込む活躍で文句なしの初出場。
ちなみに、同じ年には同期の「ドジでのろまな亀」こと堀ちえみも初出場。
2年前から出場のシブがき隊、前年から出場の中森明菜、早見優と昭和57年デビュー組の花盛り。
この年の彼女はスクールメイツをバックに従えるアイドルの王道、パンチラどころか丸見え状態のスカートで「渚のはいから人魚」を歌う。
冒頭から帽子が頭から落ちそうになり、何度も手で押さえていたが、途中でついに観念して帽子を手に持って歌い続けた。
この年の対戦相手は同じようにこの年大ブレイクを果たしたチェッカーズ。
昭和60年はアイドル時代の代表曲の一つである「なんてったってアイドル」を歌う。
せりから上がってきた彼女は脳みそと筋肉をイメージしたというなんとも気持ち悪い衣装。
当然のことながら早がわりがあるわけで、スクールメイツやこの年初出場だった同期アイドル石川秀美、原田知世が脇を固める中、白を基調としたごく普通の衣装に変身。
当時の大半の女性がそうであったように、メイクがかなり濃い。
この年も、対戦相手はチェッカーズ。
昭和61年は夏にヒットした「夜明けのMEW」を歌唱。
当時のアイドルによくあるややテンポの早いアレンジ。
スローテンポな曲であっても容赦ない。
ファッションは北欧に住む人のような毛皮ずくめ。
彼女にしてはかなりシックであるが、そこは大きなうさぎのぬいぐるみを抱えることで、まとまりすぎないようにしている。
昭和62年には前年末からロングセラーになった「木枯らしに抱かれて」を、前年以上にテンポの早いアレンジで歌う。
この年の衣装は、当時ファッションリーダーと呼ばれた彼女といえども、「ちょっと…(一般人は絶対にまねできない)」と思わせるもの。
昭和63年は主演した映画の主題歌としてヒットした「快盗ルビイ」。 大瀧詠一作曲のスケールの大きなバラードであるが、これまたテンポが早い。
改めて彼女の歌合戦での歌唱シーンを振り返ってみると、ほとんど毎回帽子をつけての登場であった。 さすがファッションリーダー、さりげなく他の出場歌手との差別化を図っていたということか。
時代が平成に移り、毎年名を連ねていた松田聖子、近藤真彦、中森明菜と共に小泉今日子の名も歌合戦から姿を消す。
この4名の落選について、NHKは「世間の支持率が低下したから」とコメントしたが、小泉今日子の場合、当時はまだ世間の支持率に敏感なCM業界では引っ張りだこだったはず。
他の3名は明らかに一時的に支持率が低下していた時期だったため、まとめられてしまった感がある。
タイミングの悪いこと出場歌手の発表があった時期には主演ドラマの主題歌となった「学園天国」がヒット中。
まだまだ人気があることが証明されている。
翌平成2年、NHKは司会者として彼女を歌合戦へ呼び戻そうとしたが、断られたらしい。
そして、平成3年。
主演ドラマの主題歌「あなたに会えてよかった」がミリオンセラーとなり、再び歌合戦復帰が期待されたがやはり彼女は戻ってこなかった。
その後も平成4年「優しい雨」のミリオンセラーを始め、平成6年までTOP10ヒットを、平成7年まで10万枚を超えるシングルを出し続けた彼女。 もし、平成元年にNHKが出場歌手として選んでいたら、出場回数がどこまで増えていたんだろう、と考えてしまう。
彼女より先に、返り咲きを蹴ったことで話題になった田原俊彦など、一度落選したのち、歌合戦出場を拒否することで話題になるのは大御所ベテラン歌手でもなく、ロックバンドでもなく、実はアイドルだったりする。