歌合戦:出場歌手 小泉今日子


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小泉今日子: 昭和59~63年

 1982年(昭和57年)デビュー。
 この年デビューしたアイドルの中では中森明菜シブがき隊、に継ぐ人気。 3枚目のシングル「ひとり街角」で早くも「ザ・ベストテン」にランクイン。 でも、彼女も中森明菜も、1982年(昭和57年)の日本レコード大賞の新人賞5組からもれているというから不思議。 小泉今日子は5組目の決戦投票で堀ちえみに敗れたらしいが、中森明菜はもっと早い段階で振り落とされていたようで、審査員は何を審査してたんだか。
 翌年、オリコンシングルチャートで初のTOP10入りとなった「春風の誘惑」を筆頭に「真っ赤な女の子」、「半分少女」と最高順位を上げ、「艶姿ナミダ娘」ではついにTOP3入りを果たすも、歌合戦初出場ならず。 参考まで、1982年(昭和57年)にデビューしたアイドルで、第34回(1983年、昭和58年)の歌合戦に初出場したのは、前年の落選が解せない中森明菜と「ハワイ出身、英語ぺらぺら」で他のアイドルとの差別化に成功した早見優

 三度目の正直の1984年(昭和59年)、「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」と3曲をシングルチャートの1位に送り込む活躍で、第35回(1984年、昭和59年)の歌合戦に文句なしの初出場(出場決定後に発売した「The Stardust Memory」も1位を獲得)。 ちなみに、同じ年には同期の「ドジでのろまな亀」こと堀ちえみも初出場。
 リハーサルの合間に髪を切りに行ったら、思ってた以上に切られたため、サイドの髪を寝かせられないくなった堀ちえみが、「髪が硬いからかな」と小泉今日子に相談し、「髪の生えてる向きだと思う」と、もはやどうにもならないことを諭している場面もあった。
 この年、2年前から出場のシブがき隊、前年から出場の中森明菜早見優と1982年(昭和57年)デビュー組の花盛り。
 この年の彼女はスクールメイツをバックに従えるアイドルの王道、パンチラどころか丸見え状態のスカートで「渚のはいから人魚」を歌う。 冒頭から帽子が頭から落ちそうになり、何度も手で押さえていたが、途中でついに観念して帽子を手に持って歌い続けた。
 対戦相手はこの年大ブレイクを果たしたチェッカーズ

 第36回(1985年、昭和60年)はアイドル時代の代表曲の一つである「なんてったってアイドル」を歌唱。 せりから上がってきた彼女は脳みそと筋肉をイメージしたというなんとも気持ち悪い衣装。 当然のことながら早がわりがあるわけで、スクールメイツや、この年初出場だった同期アイドル石川秀美原田知世が脇を固める中、白を基調としたアイドルっぽい衣装に変身。 当時の大半の女性がそうであったように、メイクがかなり濃い。 そしてこの年の小泉今日子は、早がわり後の動きが激しく、カメラが追い切れていないシーンもあった。
 この年も、対戦相手はチェッカーズだった。 そういえば、この頃って小泉今日子藤井郁弥(現藤井フミヤ)が付き合っていて、二人とも同じような髪型してたね。 歌合戦では小泉今日子はウィッグだったのかな。 早がわり後の髪型は三つ編みをいくつも垂らしていたけど、地毛ではないような。

 第37回(1986年、昭和61年)は夏にヒットした「夜明けのMEW」を歌唱。 当時のアイドルによくあるややテンポの速いアレンジ。 スローテンポな曲であっても容赦ない。 この年もせりから上がっての登場で、ファッションは北欧に住む人のような毛皮ずくめ。 彼女にしてはかなりシックであるが、そこは大きなうさぎのぬいぐるみを抱えることで、まとまりすぎないようにしている。
 第38回(1987年、昭和62年)には前年末からロングセラーになった「木枯らしに抱かれて」を、前年以上にテンポの速いアレンジで歌った。 この年の衣装は、当時ファッションリーダーと呼ばれた彼女といえども、「ちょっと…(一般人は絶対にまねできない)」と思わせるもの。

 第39回(1988年、昭和63年)の歌唱曲は主演した映画の主題歌としてヒットした「快盗ルビイ」。 マジシャン深井洋正が次から次へと傘を登場させるマジックを披露した後、ステージ上にある大きな傘の後ろから小泉今日子が登場する。 大瀧詠一作曲のスケールの大きなバラードであるが、これまたテンポが速い。

 改めて彼女の歌合戦での歌唱シーンを振り返ってみると、ほとんど毎回帽子をつけての登場であった。 さすがファッションリーダー、さりげなく他の出場歌手との差別化を図っていたということか。

 時代が平成に移り、第40回(1989年、平成元年)の歌合戦では、毎年名を連ねていた松田聖子近藤真彦中森明菜と共に小泉今日子も姿を消した。 この4名の落選について、NHKは「世間の支持率が低下したから」とコメントしたが、小泉今日子の場合、当時はまだ世間の支持率に敏感なCM業界では引っ張りだこだったはず。 他の3名は明らかに一時的に支持率が低下していた時期だったため、まとめられてしまった感がある。
 しかも、タイミングの悪いことに出場歌手の発表があった時期には主演ドラマの主題歌となった「学園天国」がヒット中。 まだまだ人気があることが証明されている。

 翌年、NHKは第41回(1990年、平成2年)の歌合戦の司会者として彼女を呼び戻そうとしたが、断られたらしい。
 そして、1991年(平成3年)には主演ドラマの主題歌「あなたに会えてよかった」がミリオンセラーとなり、再び歌合戦復帰が期待されたがやはり彼女は戻ってこなかった。

 その後も1993年(平成5年)「優しい雨」のミリオンセラーを始め、1994年(平成6年)までTOP10ヒットを、1995年(平成7年)まで10万枚を超えるシングルを出し続けた彼女。 もし、第40回にNHKが出場歌手として選んでいたら、出場回数がどこまで増えていたんだろう、と考えてしまう。

 彼女より先に、返り咲きを蹴ったことで話題になった田原俊彦など、一度落選したのち、歌合戦出場を拒否することで話題になるのは大御所ベテラン歌手でもなく、ロックバンドでもなく、実はアイドルだったりする。
 もっとも、第40回の落選の真相は、同じ事務所の後輩だった荻野目洋子に枠を譲ったためという説もあり、歌合戦からの卒業を考えていたのかもしれない。

 正式な出場は第39回までだが、2013年(平成25年)に朝の連続テレビ小説「あまちゃん」にヒロインの母親役として出演。 80年代アイドルポップスをイメージして作られた挿入歌「潮騒のメモリー」を「天野春子(小泉今日子)」名義でリリースし、初登場2位を記録する久々のヒットとなる。 「あまちゃん」がドラマだけでなく関連音楽作品もヒットしたことにより、この年の第64回の歌合戦では「あまちゃん」のコーナーが設けられ、小泉今日子も25年ぶりの歌合戦出演を果たし、「潮騒のメモリー」を披露した。
 この出演に関しても、小泉今日子が出演を承諾したのは日程的に結構ギリギリだったそうで、NHK関係者はやきもきしたとか。

最終更新 2017年8月11日