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昭和58年にチェッカーズとしてデビュー。 翌年に「涙のリクエスト」など大ヒットを連発して第35回(昭和59年)歌合戦初出場。 以降、解散する第43回(平成4年)まで9回に渡って歌合戦出場。 詳しくはこちら。
チェッカーズの解散翌年にソロとなった彼は、当面は歌手活動は行わないとしてCG作成などに精を出していたが、秋の連続ドラマ「あすなろ白書」の主題歌に起用され、突然の歌手活動再開となる。 ドラマ開始と共に主題歌「TRUE LOVE」が流れたのが10月、シングル発売は11月と、普通であればその年の歌合戦出場歌手の選考には間に合わないが、そこは前年まで9回出場経験があり、歌手としての知名度もあること、そしてシングルが発売直後から大ヒットとなったこともあってか、第44回(平成5年)の歌合戦にソロとして初出場が決まる。 NHKの歌合戦出場者発表のニュースでも、「昨年解散したチェッカーズの藤井フミヤさんはソロとして初出場となります。」と解説されていた。
歌唱順は白組の26組中20番目と第2部でも後半に登場。
この年の若手ポップス歌手としては一番遅い出番。
歌唱時間もほぼフルコーラス(3分40秒)といVIP待遇。
ちなみに、「あすなろ白書」の主演はこの年の紅組司会だった石田ひかりであり、曲の終わりに石田ひかりから藤井フミヤに白い花束が渡された。
さらには、この年のゲスト審査員席には、「あすなろ白書」で石田ひかりの相手役だった筒井道隆(表向きはNHK朝の連続テレビ小説でヒロインの相手役を演じている俳優)の姿もあり、曲中に石田ひかりや筒井道隆をテレビカメラが映すこともあった。
おまけにいうと、「あすなろ白書」には石田ひかりに思いを寄せる友人役として、木村拓哉も出演していた。
これがよく言われる、「ジャニーズとしては原作の主人公が女性であっても事務所のタレントを主演にするのに、ヒロインに片思いする二番手役をOKした」当時のSMAP担当マネージャーの功績の一つね。
藤井フミヤとは関係ないので、話を戻す。
華々しくソロ活動を開始したが、「TRUE LOVE」の大ヒットのインパクトが大き過ぎたか、その後の歌合戦での扱いは決してよいとは言えなかった。
第45回(平成6年)は中山美穂を対戦相手に回しての「美男美女対決」と言われ、前回と同様ギターの弾き語りスタイルで「DAYS」を歌唱した。
登場は第1部後半。
曲のラスト、「Shining Day」という歌詞の繰り返しがいつものテレビバージョンより短くなっており、藤井フミヤが「おっと、今日はここまでだった」という表情を見せる。
それでも歌唱時間はこの年のポップス歌手としては長めで3分25秒くらい。
第46回(平成7年)は対戦相手も森口博子に格下げ(?)でいわば「福岡出身対決」、歌唱時間に至っては、間奏なしの1ハーフでポップス系歌手で一番短いという冷遇ぶり。
冷遇と言っても、この年に歌った「GET UP BOY」はTOP 10入りしてないし(この年TOP 10ヒットあったのに、なんでこの曲になったんだろう)、一番短いと言っても、21世紀に入ってからの歌合戦で見かける「1番だけで2分」に比べたら断然長い2分40秒くらいなんだけど、当時のポップス歌手は3分以上歌えたことが多かったから。
ちなみに、この年も3年連続となるスタンドマイクでの歌唱だが、ギターはなし。
逆に前2回のスローな曲調とはガラッと変わり、マイクスタンドを使ったアクションありのパフォーマンスだった。
平成8年に「Another Orion」で久々のミリオンセラーを飛ばし、同年の第47回の歌合戦には後半戦の白組2番手で登場。
対戦相手は華原朋美。
いくらこの年の華原朋美が話題性に富み、ミリオンセラーを出したからと言っても、彼の実力、この年の実績を考えれば対戦相手として格が違ったのではないか。
個人的には、この年同じくミリオンセラーを出した松田聖子との後半戦でも後ろの方、できればトリでの対決を期待していたが。
歌唱時間は再び3分台に戻る。
たしか、もともとのテレビバージョンも1ハーフで3分ちょっとだったので、そのままだったのではないか。
ところで、この「Another Orion」、年末の歌番組で歌うときはキーを下げていたように思うけど、喉の調子悪かったのかな。
第48回(平成9年)は歌唱順は定位置の前半戦終盤へ戻るも、ディズニー映画「ヘラクレス」の主題歌である「Go the Distance」に自ら日本語詞をつけ、壮大なバラードを歌い上げた。
改めて聴くと、オリジナルよりキーを下げてるし、ラストの「その場所を」という歌詞のメロディーを高くしないし、抑え気味な歌唱なんだけど、当時はそんなこと気づかなかった。
ちなみに、この年も第46回と同様に、TOP 10入りした曲があるのに、TOP 10入りしていない曲が歌唱曲に選ばれている。
でも、前半戦で一番長い歌唱時間(3分40秒くらい、イントロと間奏とアウトロをカットして歌詞はフル)でバラードということで、ひょっとしたら最後の花道的な意味合いがあったのかな。
平成10年、所属レコード会社を移籍したと同時に歌合戦との縁がぷっつりと切られてしまう。
もし、彼が演歌歌手であったら、ヒット曲がなくなっても歌合戦の常連として「ベテラン」と呼ばれるまで出場を続けただろう。
チェッカーズ時代と合わせて合計20回くらい出場しても許されただろう。
ポップス歌手としても、少なくとも、シングルの売り上げが10万枚を突破していた平成11年までは出場しても文句を言う人は少なかったのではないか。
時代は変わり令和へ。
歌合戦ではその年のCD売り上げやアンケートによる歌手への支持だけでなく、デビューから10年や15年といった区切りの年であることも出場歌手選考に加えたような選出が増えてくる。
アニバーサリーイヤーは歌手としても精力的な活動をすることが多いこともあるのかもしれない。
令和5年、チェッカーズとしてのデビューから40年、藤井郁弥としてのソロデビューから35年、そしてチェッカーズ解散後に藤井フミヤとして歌手活動を開始してから30年という年に、26年ぶりの歌合戦出場となる。
この年は司会者の一人が元お笑いコンビ猿岩石の有吉弘行だったこともあり、ソロとしての代表曲「TURE LOVE」を歌ったのち、がちがちに緊張した有吉弘行を迎えて猿岩石へ提供しミリオンセラーとなった「白い雲のように」をデュエットした。
ソロとしても提供した曲もミリオンセラーがあるってすごいね。
最終更新 2024年12月15日