歌合戦:出場歌手 フォーリーブス


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フォーリーブス: 昭和45年〜51年

 フォーリーブスではない。 フォー リーブスである。 四つ葉である。 つまりは四人組である。

 昭和43年デビュー。
 初出場は昭和45年。 フォーリーブスと言えばジャニーズ、ジャニーズと言えばダンス、ということで、ハンドマイク片手にダンスしながら歌う姿を想像するが、当時はスタンドマイクが主流。 4人で一つのマイクに向かい歌っていた。 ジャニーズと言えば、先輩グループとして昭和40年に出場したジャニーズがいる。 彼らも歌は一つのスタンドマイクに向かって歌い、間奏ではマイクを離れて踊り倒していた。 昭和45年のフォーリーブスは、ダンスというか、揺れながら歌っていた。 その姿はコーラスグループのようでもあった。
 もちろん、間奏ではマイクを離れてダンスを披露していた。

 翌46年は惜しくも落選。 どこかの新聞で「落選はおかしい」と書かれるが、大ヒットがあったわけではない。 しかし、ヒット曲を連発していた時期であることは確か。
 出場歌手の発表時には名前がなかったが、出場予定だった内山田洋とクール・ファイブ前川清の急病のため出場できず、繰り上げで出場が決まる。
 歌唱曲「地球はひとつ」はいわゆるアイドルポップス。 残念ながら歌合戦での歌唱シーンを見たことがないが、当時の映像を見たことがある人の話では、この年初めて北公次がバック転を披露したらしい。

 昭和47年は「夏のふれあい」を歌唱。 この年は4人がハンドマイクを持ち「いかにもジャニーズ」というパフォーマンス。 今となっては、こっけいにも見えるが、全身を使ったダンスは当時としては斬新だっただろうと想像する。 当時としては激しい動きに、歌の方も「いかにもジャニーズ」な歌唱力になってしまうのが残念。 でも生歌。
 間奏での早がわり、北公次のバック転も何度か放送された映像で確認できる。

 昭和48年は「若い二人に何が起る」。 イントロでのダンスの動きが小さく見えるが、ひょっとしたら歌合戦独自の振り付けだったりするのだろうか。
 この年はイントロのダンスから歌唱に入る前の短い時間で早がわりを試みる。 しかし、ボトムスの早がわり用の仕込みが甘かったようで、メンバー全員が早がわりに手こずり、ボトムスを引きちぎったり脱ぎ捨てるようにしている。 おりも政夫なんて歌に間に合っていない。
 その代わり、早がわり後の衣装は基本的にピチピチなフォーリーブスの歌合戦での衣装の中でもいやらしいというか何というか、フィットしすぎ。 ファンサービスにもほどがある。 青山孝はファスナー降ろしすぎ。

 昭和49年は「急げ!若者」を歌唱。 「短い命ならせめて死ぬときくらい美しく散りたい…」と青山孝のやけに粘っこいボーカルで始まる。
衣装も前年までの同様ピチピチなんだろうが、シースルーだったり黒だったり、大人っぽさをアピール。 でも、薄暗い照明の中で歌う彼らは、なんだか汚らしい…。

 昭和50年は洋楽。 アメリカのテンプテーションズの「ハッピー・ピープル」を英語で歌唱。 英語と言っても、青山孝のソロパート以外は、延々と「ハッピー・ピーポー」と歌うだけなんだけど。 4本のマイクスタンドの間をメンバーが移動したり、間奏でメンバーそれぞれのダンスソロがあったり、ボーカルがパワフルだったり、それまでのパフォーマンスとは違うノリだった。
 この「ハッピー・ピープル」はシングル曲ではなく、この年発売したライブアルバムに収録されていてた曲。 この頃は歌合戦にレギュラーのように連続出場していると、ヒット曲がない年に洋楽を歌うことがあった。 すでに中堅歌手としてのポジションを確立していたということ。
 それとも、フォーリーブス結成時のメンバーだった永田英二が所属するバンドのお披露目という裏の目的があったりしたのか。

 デビュー10周年ということで、日本歌謡大賞で特別賞を受賞した昭和51年は「踊り子」を歌唱。
 この年の歌合戦は、ポップス歌手はとにかくテンポが早かった。 「踊り子」も例外ではなくレコードよりも早いテンポ。 振り付けが激しくなる2コーラス目になるとダンスも大変で、かなりせわしない踊り子になっている。 北公次はマイクスタンドやコード付きマイクを使ったアクションも織り交ぜて忙しそう。
 それにしても、この時点でのメンバーは20代半ばから後半とまだまだ若いはずなのに、今の同年代と比べるとやけに老けている。 江木俊夫なんて、髪型が宮路オサム、顔つきは前川清みたいで前年までとがらっと変わって、完全に「おっさん」ですやん。

 翌52年も「ブルドッグ」というヒット曲があったが落選。 いや、落選が解せないほどのヒットではないが、オリコンのデータを見ると前年の「踊り子」よりは売れたらしいから。
 そして昭和53年に解散。

 2009年の青山孝の死を機に、過去のパフォーマンスを見直したところ、ボーカル中心のパフォーマンスから踊り中心へ移行し、最後には歌と踊りをうまく両立させるところまで到達していた。 このグループがライブパフォーマンスについて試行錯誤を重ね、「全身でダイナミックに格好良く踊りながらも、歌もぼろぼろにならずに歌う」という、その後のジャニーズ系グループに長く引き継がれるパフォーマンススタイルの礎を築いたと言っても過言ではないと思う。 今の後輩達は、歌は口パクで踊り重視になり過ぎちゃったけど。

 2002年に再結成し、2009年まで精力的に活動していたが、青山孝が死去。 個人的には、2006年の「思い出のメロディー」で生のパフォーマンスを見られたことが幸運だった。
 謹んで、お悔やみ申し上げます。

最終更新 2009年9月21日