歌合戦:出場歌手 森高千里


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森高千里:平成4~9年

 昭和62年デビュー。 歌手デビュー前後は清涼飲料水のCMに出たり(初代ポカリスエットガールだそうだ)、バラエティ番組でアシスタントを務めたり、ドラマや映画に出演したりとマルチ・タレント的な活動をしていたが、徐々に音楽活動に一本化。 平成元年に発表した「ストレス」の本人による歌詞が話題となり、同年南沙織の代表曲「17才」をディスコアレンジ、パンチラミニスカートという仰天演出でカバーして初のTOP 10入り。 しかし、歌合戦改革の真っ只中であり昭和天皇の崩御と重なったこの年にミニスカート、パンチラは御法度だったのか初出場はならず。

 翌平成2年に「勉強の歌/この街」「雨」、さらに平成3年にも「ファイト!」などヒット曲を出すものの歌合戦とは無縁。 無縁とはいっても、出場しないことが疑問視されるほどのヒットではない。

 平成4年、以前から若い世代では話題となっていた本人による独特な歌詞がNHKのニュース番組で取り上げられ、歌謡曲・演歌ファン向けの歌番組にも2回出演し「私がオバさんになっても」を歌っていたことから、個人的に彼女の歌合戦初出場を確信したものである。

 そしてこの年の第43回歌合戦に、めでたく初出場となる。 民放の歌番組では既にそれなりの扱いを受けていた彼女、「私がオバさんになっても」はシングルバージョンからアウトロをちょっとカットした約4分のテレビバージョンで歌っていたが、当時の歌合戦では長過ぎる。 NHKの歌謡曲・演歌ファン向けの歌番組では通常のテレビバージョンからさらにイントロや間奏をカットした約3分30秒のバージョンを披露していたこと、第42回のポップス歌手の歌唱時間が3分30秒くらいだったことから、歌合戦でもこのバージョンかと思っていた。 実際はイントロ・間奏ではなく2番をカットした約2分45秒のバージョンだった。
 当時の森高千里と言えば、スパンコールを多用したきらびやかな衣装がトレードマークの一つだったが、この年の衣装はモノトーンを基調にした地味なもの。 かろうじて首飾りがきらきら輝いていたが、対戦相手だった美川憲一に遠慮して地味目にしたのだろうか。
 ところで、この曲は彼女にとっての代表曲のひとつであるけど、実はTOP 10ヒットではなかったりする。 最高位は15位ながらおよそ半年にわたってチャートインし、20万枚を突破したロングセラーだった。

 歌合戦と言えば、お金をかけて金銀など光沢系の衣装を着る出場歌手が多い中、決して普段着ではないが、第44回(平成5年)の「私の夏」では純白ミニスカート、翌第45回(平成6年)の「素敵な誕生日」ではタータンチェックのやはりミニスカートと、独自のファッションセンスで出場を重ねる。
 4回目の出場となる第46回(平成7年)にはついに総スパンコールで登場。 歌唱曲が「二人は恋人」ということで、小学生くらいの男の子と女の子がペアとなってダンスしていたが、この子供たちの中に、後にWaTとして出場を果たすウエンツ瑛士がいたらしい。 でも、どこにいたのか不明(カメラがメインに映すのはもちろん森高千里だし、バックダンサーも女の子が前に来ることが多いから、男の子はほとんどアップにならなかった)。

 対戦相手が豪華衣装の美川憲一をはじめ、当時は「トレンディ俳優」という位置づけでの出場だった福山雅治、なつメロの西城秀樹郷ひろみ、トップアイドルになりたてのSMAP、歌謡曲の前川清などバラエティに富んでいる。 今のところ最後の出場となる第48回(平成9年)では、初出場した第43回で対戦相手だった美川憲一も歌唱曲「SWEET CANDY」の曲紹介に参加した。

 初出場はやや遅れた感があるが、初出場後はTOP 10ヒットを出している間は連続出場というポップス系としては理想的な出場形態。 歌唱順もはじめの3回が第2部・後半戦(ニュース後)の序盤、残りの3回が前半戦(ニュース前)の終盤と最後まで比較的重宝されていたようである。
 特に、はじめの3回の出場では彼女のためだけのセットや趣向が施されていた。 第43回はミラーボールを中心にディスコのようなセット(「私がオバさんになっても」の2番の歌詞に「ディスコ」が登場するが、歌合戦では2番がカットされており関連性がわからなくなっているのが残念)の中になぜかマンモスが登場し、第44回は大きな風船の鯨がバックに登場し潮を吹いた。 そして第45回は巨大なケーキのセットの中から登場するという演出だった。

 歌唱時間も初出場の第43回を除いて3分を超えるというこの年代に出場したポップス系歌手としては良い待遇。 第44回から46回は2コーラス(45回と46回はテレビバージョンそのままと思われる)。 第47回のみ、歌唱曲の「ララ サンシャイン」がフルコーラスでも短かったため、フルコーラス(2ハーフ)歌うことができたが、過去3年の経験が災いしたか、2コーラス目の終わりを曲の終わりと勘違いして伴奏、周りの東京雑戯団のパフォーマンスそっちのけで一人で勝手に歌を終わろうとしたハプニングも懐かしい。

 彼女が出場していた1990年代と言えば、ミリオンセラーが数多く誕生した時期。 ポップス系はアイドルでなければミリオンセラーすら歌合戦出場のための十分条件にはならなかったが、森高千里はシングルではミリオンセラーを持っていない。
 アイドルのような、ニューミュージックのような立場が隙間産業的に歌合戦への長期出場に結びついたのではないだろうか。 似たような例では同じくアイドルのようなニューミュージックのような太田裕美(5回出場)、アイドルのような乳ドルのようなピーターパンのような榊原郁恵(6回出場)、アイドルのようなバラドルのような森口博子(6回出場)などがいる。

最終更新 2023年5月14日