歌合戦:出場歌手 安室奈美恵


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安室奈美恵:平成7~15年(、29年)

 安室ちゃんである。 十代前半から沖縄アクターズスクール出身のタレントとして数々のバラエティ番組に出ており、歌手としてもNHKの歌番組「POP JA<」にSUPER MONKEY'Sとしてレギュラー出演していた。 その縁もあり、ブレイク前の第44回(平成5年)に「POP JAM」の司会をしていた森口博子のバックダンサーとして歌合戦の舞台を踏んている。

 歌手としてのブレイクは平成7年。 「Try Me~私を信じて~」が初のTOP 10入りを果たすと、その後リリースした4枚のシングルをリリースするたびに最高順位を上げ、「Chase the Chance」で初の1位を獲得する。
 巷には、茶色い長髪と長い厚底ブーツ、褐色の肌に細い眉の「アムラー」があふれるなど社会現象となる。

 もちろん、この年の第46回歌合戦に歌手として初出場。 この年は出す曲出す曲TOP 10入りという年だったため、最高8位ながら70万枚を突破した最初の大ヒット「Try Me~私を信じて~」(日本レコード大賞にはこれでノミネート)か、正式に小室ファミリー入りを果たした後のシングルで80万枚を突破し、初のTOP 3入りを果たした「Body Feels EXIT」(この曲はたしか「FNS歌謡祭」で歌唱)か、この年の最新曲で初の1位を獲得した「Chase the Chance」か、歌唱曲が注目されたが「Chase the Chance」に決まる。 「Chase the Chance」は最終的にミリオンセラーとなったため、後になってみればベストな選曲。
 歌合戦は、通常の音楽番組で歌うよりもパフォーマンス時間が短くなるのはよくあることで、特に初出場の歌手は大胆に削られる。 それは社会現象を引き起こした安室ちゃんも例外ではなく、通常の音楽番組で歌っていた約3分30秒のバージョンから、最初のサビを除いた2回のサビの長さが半分にカットされた約3分のパフォーマンス時間となる。
 また、この年はおそらく口パク。 リハーサルではかすれた声で歌い踊る彼女の姿があったことから、リハーサルの結果を踏まえて口パクという選択がとられたのではないかと思われる。 彼女の場合、昔取った杵柄でマイクを口から離さずに歌うので、ぼんやりと見ていたら口パクとは気づかない。 なお、この年のみ、MAXがSUPER MONKEY'Sとしてバックダンサーを務めている。 MAXの歌手としての初出場は1年おいて第48回(平成9年)となる。

 平成8年はリリースした4枚のシングルのうち、アルバムからのカットとなるシングルを除いて全てシングルチャートの1位かつミリオンセラーという活躍ぶり。 そして、日本レコード大賞をソロ歌手としては19歳の若さで受賞する。
 この年の第47回歌合戦では早くも後半戦に進出。 ニュース後の紅組トップバッターを飾っている。 歌唱曲は日本レコード大賞受賞曲でもある「Don't wanna cry」。 対戦相手はこちらも右肩上がりに人気が上昇し、初の後半戦進出となったSMAP
 この年、彼女は「Don't wanna cry」を歌番組ごとにいくつかのパフォーマンス時間で披露している。 ヒット当時は4分程度のパフォーマンス時間、「POP JAM」のみフルコーラス、年末の賞レースなど音楽特番では約3分30秒のバージョンが多かったと思うが、歌合戦でも約3分30秒のバージョンが歌われた。

 平成9年の第1弾シングルは「CAN YOU CELEBRATE?」。 ドラマ主題歌のタイアップ付きというのは珍しくないが、この曲の場合、ドラマのオープニング映像にドラマに出演していない安室奈美恵が登場し、まるで彼女のMVかのような仕上がりになっていたため、賛否両論が巻き起こる。 でも、そのかいもあってか200万枚を突破する売り上げとなる。
 そしてこの年の10月にTRFSAMとの結婚、同時に妊娠を発表し、世間は一気にお祝いムードに包まれる。 いわゆる「できちゃった婚」は、結婚してから妊娠・出産が一般的な日本では、「結婚する前から…」と言われることも多いが、彼女の場合、そんな空気をねじ伏せてしまうくらいの勢いを当時は持っていた。
 2年連続での日本レコード大賞を受賞することも、もはや既定路線で、さらには年明けから産休(つまりは歌合戦が産休前最後の仕事)ということで、紅組トリを取るのではないかと報道される。
 ちなみにこの「CAN YOU CELEBRATE?」も歌番組ごとにいくつかのパフォーマンス時間で歌われていた。 フルコーラスで6分を超える、いかにも小室ファミリーな長さのこの曲は、ヒット当時はイントロ全カット、La la la la laという歌詞の部分を半分にカット、短い2番カット、2番の後ろのサビの繰り返しも一部カットした約4分30秒のバージョン、秋以降の音楽特番ではフルコーラスで歌うことが多かった。 FNS歌謡祭ではヒット当時のテレビバージョンにイントロをカットせずに付けた約5分のバージョンだった。
 この年の第48回歌合戦では報道通り紅組トリを務めることとなり、約5分のパフォーマンス時間となる。 FNS歌謡祭と違ったのはイントロではなく後半の歌詞をカットしなかったこと。 通常でも4分30秒のパフォーマンス時間だったのに、さらに歌合戦でのパフォーマンス時間が長くなるのは当時としては異例中の異例。 また、若手ポップス歌手がトリを務めたのは第29回(昭和53年)の山口百恵(当時19歳)以来歌合戦史上2例目だった。 まだ若手ポップス歌手がトリを務めることが珍しかった時代。 演歌歌手の初のトリでよく見かける涙の歌唱ではなく、気丈に歌っていたのは山口百恵と同じ。 この年の歌手別視聴率のピークは、安室奈美恵と白組で大トリの五木ひろしの間くらい。 スポーツ新聞によっては、「安室奈美恵が歌い終わって五木ひろしへつなぐ瞬間」と、安室ちゃんがピークだったと表現するところもあった。

 予定通り翌平成10年はほぼ1年休みを取り、そして大方の予想通り歌合戦の出場歌手に選ばれる。 予定通りではなかったのは歌唱曲。 安室奈美恵側は復帰に合わせ12月に新曲をリリースし、歌合戦で新曲を初披露したいとしていたが、NHKは『視聴者が聴きたいのは「CAN YOU CELEBRATE?」』と主張し、2年連続で「CAN YOU CELEBRATE?」を歌唱することになる。
 この年の第49回歌合戦は後半冒頭で、紅組チームリーダーだった和田アキ子が1年ぶりに帰ってきた安室奈美恵を観客に紹介するというシーンから始まるなど、特別待遇。 そして、この年も前年と同じく約5分のパフォーマンス時間となる。
 冒頭はステージセットの階段上で歌い始め、階段を下りてステージ中央でしばらく歌った後、さらにステージ前方へ出るという段取り。 ステージ中央で歌っている時から目が潤んでいたが、ステージ前方へ出た際に観客からの声援に涙をこらえきれなくなったそうで、歌の後半は歌えない状態が続き、この年の名場面のひとつとなる。 もちろん「プロなら泣かずに歌え」という声もあったけどね。 でも、視聴者が釘付けになったのは事実で、この年も歌手別視聴率1位となる。
 ところで、女性歌手の場合、出産を機に声質ががらっと変わる人がいるけど(石川さゆりは、声質が艶っぽくなって第二次黄金期を迎えたと言われている)、安室ちゃんもちょっと声質変わったね。

 本格的な歌手活動を再開した平成11年、それまでのシングルチャート1位やミリオンセラーといったブームから比べると人気もひと段落したが、当然のように歌合戦には連続出場する。
 この年の第50回歌合戦の歌唱曲は「RESPECT the POWER OF LOVE」。 おそらく、彼女の歌合戦におけるパフォーマンスの中で、唯一歌合戦独自のアレンジが加えられたステージ。 独自のアレンジといっても、イントロにゴスペル調のコーラスが入り、間奏にゴスペル調のソロボーカルが加わり、ラストがゴスペル調のコーラスで終わるくらいだけど、やはり通常歌番組で歌っていたよりも長いパフォーマンス時間となる。
 このときの衣装が、デニム地のワンピースというちょっと変わったもの。

 平成12年にはヒットの規模はさらに小さくなったが、同年沖縄で開催された九州・沖縄サミットのイメージソングとしてリリースされた「NEVER END」が久々に50万枚を超える売り上げとなる。
 この年の第51回歌合戦でもこの歌を歌唱。 衣装は前回よりさらにシンプルになり、シャツとジーパン(そしてアクセサリー)。 歌唱順は紅組のラストから3番目、対戦相手は第47回、50回に続いて3回目となるSMAP

 平成13年、彼女は珍しく彼女自身が作詞した曲をリリースする。 この年の第52回歌合戦でも、この本人作詞の「Say the word」を歌唱する。 彼女といえば、踊りながら歌うことで有名だが、歌合戦では意外とちゃんとした振り付けのある踊れる曲を歌っていない。 この曲は第47回以来3回目となる歌合戦での歌って踊るパフォーマンス。

 第53回(平成14年)、安室奈美恵の曲順は歌合戦初の試みとなる、白組2組に対抗して紅組2組の対戦という構成に取り込まれる。 白組は平井堅(アメリカからの中継)とCHEMISTRYに対し、紅組は中森明菜安室奈美恵安室奈美恵は同年のFNS歌謡祭では歌詞を間違えまくった「Wishing On The Same Star」を、歌詞を間違えることなく歌う。 この頃になると、歌合戦でも通常のテレビの歌番組で歌う際も、パフォーマンス時間は約3分という、彼女のキャリアからすると短めな時間になっている。
 そして、彼女のステージを見直していて気が付いたが、この年左肩に大きなタトゥーが入っている。 前回肩を出して歌合戦で歌っていた第50回にはなかったよ。

 平成15年に入ると、安室奈美恵にとってセールス的に一つの谷間の時期になる。 リリースしたシングル3枚はTOP 10入りは果たすものの、売り上げはあまり芳しくない状態。 本格的に音楽路線を変更した彼女にファンがうまくついていけなかった時期。
 この年の第54回歌合戦で歌唱した「SO CRAZY」も当時の歌合戦では扱いに困る曲調。 結局、前半戦の紅組トリで対戦相手は森進一というわけのわからないところに押し込まれており、NHKも最後まで安室奈美恵をどこに配置すればよいか判断できず、時間切れになったのではないかと思う。 また、この回のパフォーマンス時間は9回の出場の中で一番短い時間となっている。 NHKもパフォーマンス時間を長くするつもりはなかっただろうし、安室奈美恵サイドもパフォーマンス時間を長くしてほしいなんて要求は出していなかったと勝手に推測する。 推測の根拠は、彼女が歌合戦から姿を消した後も比較的出演が多かったMTVの「MTV Video Music Awards Japan」でも、彼女は間奏なしの1ハーフや1コーラスだけのパフォーマンスで終わることがあったため。
 この年も彼女は肩を出す衣装だったが、タトゥーはファンデーションで目立たなくしているように見えた。

 この第54回が安室奈美恵にとっての正式な出場歌手としての歌合戦出場となっている。 翌平成16年は安室奈美恵名義としては唯一TOP 10入りを逃した「ALARM」をリリースした年だったり、出場歌手選考の参考にするとした歌合戦で聴きたい歌手アンケートの上位15組(上位15組は無条件で出場交渉する、という話だった)に入らなかったり、落選と見てもおかしくない状態だったが、ウィキペディア情報ではこの年以降は辞退を続けていたらしい。

 歌合戦で安室ちゃんを語るうえで欠かせないのが、オープニングでのつれない表情。 彼女はその人気や実績から、オープニングでカメラに映るステージ中央付近にいることが多かったが、ほとんど笑わないことが話題となり、一部では「安室のぶちかまし」と呼ばれていたくらい。 でも番組のエンディングでは、ステージの脇の方でMAXのメンバーと楽しそうにしている場面も時々あったので、本気で歌合戦の舞台に立つのが嫌で不機嫌な表情をしていたわけでもなさそう。

 歌合戦辞退の理由として「大みそかは家族と過ごしたい」と言っていたとされていた時期もあったけど、そろそろ息子さんも大きくなったし、中継もOKになったから1回くらいまた歌合戦に出てほしいなと思っていたら、平成29年に平成30年9月での引退を発表。 歌合戦に出場するとしたら平成29年しかなかったが、出場歌手に彼女の名前はなく、私も含め「やっぱりね」と残念に思った人も多かっただろう。
 NHKは「今後も出演交渉を続け、結果が決まり次第改めて報告」と言ってはいたものの、私は「前の年のSMAPも、最終的に『出場しません』という報告だったし、まあ無理でしょ」と期待していなかったところ、後日「特別出演歌手」として出場することが発表された。
 NHKホールではなく、NHKの101スタジオからの中継であったが、司会者とのトークにも応じ、前年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのNHKテーマソングだった「Hero」を歌った。

最終更新 2023年6月11日