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1973年(昭和48年)デビュー。
デビュー曲「としごろ」の正統派アイドルポップス路線から、第2弾シングル「青い果実」で際どい歌詞路線へイメージチェンジ。
これが大成功してシングルチャートのTOP10入り。
しかし、デビュー年は残念ながらレコード大賞の新人賞にも歌合戦にも選出されず。
翌1974年(昭和49年)、「ひと夏の経験」の歌詞がさらに話題を呼び、チャートのTOP3入りを果たす大ヒット。
晴れてこの年の第25回歌合戦に初出場を果たす。
対戦相手は同じく初出場だった西城秀樹。
彼も1973年の「ちぎれた愛」で既にチャートのトップを獲得しており、なんで1974年(昭和49年)に初出場なの?と思ってしまう。
白組トップバッターを務めた西城秀樹の後を受け、紅組司会の佐良直美から「目には目を、歯には歯を、秀樹には百恵を」と若干強引な曲紹介で送り出されている。
第26回(1975年、昭和50年)は、前年暮れに発売され、初の1位を獲得した「冬の色」ではなく、夏にヒットした「夏ひらく青春」を歌唱。
バックでは大勢の紅組歌手が並んで応援した。
「冬の色」と「夏ひらく青春」の売り上げは結構開きがあるので、「冬の色」を歌ってもよかったんじゃないかと思うんだけど、「冬の色」のバックで紅組応援は難しかったかな。
第27回(1976年、昭和51年)に歌ったのは「横須賀ストーリー」。
山口百恵にとって、2作目のオリコン1位となった曲で、彼女にとっての最大のヒット。
コンスタントにヒットを出し続けた彼女だけど、意外にも1位となった曲は4曲と少なくて、歌合戦で歌った1位獲得曲はこの曲だけ。
彼女に限った話ではなく、新御三家と中三トリオで1位獲得数が一番多いのは彼女だし、同時期に活躍した沢田研二も1位獲得曲は5曲。
今とは違う時代。
この「横須賀ストーリー」で、初出場した第25回以来の紅組トップバッターを飾る。
「あれ?」と思うのが髪型。
いつもの山口百恵という名前から想像する髪型ではない。
日本レコード大賞でも同じ髪型だったので、歌合戦限定の髪型ではなかった模様。
第28回(1977年、昭和52年)の歌唱曲は、のちに多くの歌手にカバーされる「秋桜」ではなく「イミテイション・ゴールド」。
気になるのはこの年の衣装。
オープニングもエンディングも「イミテイション・ゴールド」歌唱時の衣装のままだったと言われている(「思い出の紅白歌合戦」の映像を見たところ、オープニングでの山口百恵は顔くらいしか見えないし、すぐに紅組3番手だった太田裕美のバックで踊るための、NHKが用意した衣装に着替えに行ったようなので、オープニングの衣装の確認が難しい)。
この年の山口百恵の歌唱順は中盤。
山口百恵クラスの歌手であれば、オープニング、自分の歌唱時、エンディングと3パターンくらい衣装を用意できたはず。
一説では、衣装盗難にあったとか。
歌合戦では、出場歌手が多いため楽屋は相部屋が基本。
誰かがカメラリハーサルの隙に山口百恵のスタッフのふりをして衣装を持ち出したのかもしれない。
ウィキペディアの情報では、この年終始着ていた衣装は、当時の最新曲だった「赤い絆」の衣装。
ということは、「イミテイション・ゴールド」の衣装もなくなったわけで、どんな衣装を着る予定だったのか、絵コンテでもよいので知りたいものである。
第29回(1978年、昭和53年)の歌唱曲は、数ある大ヒットの一つ「プレイバックPart2」。
この曲で紅組トリを務める。
当時19歳で、トリを務めた歌手の年齢としては史上最年少。
この曲の歌詞には社名であり、車の種類を表す言葉としてもよく使われる「ポルシェ」が登場。
NHKは商品名や会社名を出すことを避けるため、他のNHKの歌番組では「クルマ」と歌っていたが、歌合戦では「ポルシェ」と歌っていた。
第30回(1979年、昭和54年)の歌唱曲は「しなやかに歌って」。
意外なことに、彼女が歌合戦で歌ったテンポがゆったりとした曲はこの1曲。
1974年の「冬の色」も1977年の「夢先案内人」や「秋桜」も、1978年の「いい日旅立ち」も歌ってないからね。
このとき、すでに俳優・三浦友和との交際を発表していたらしく、紅組司会の水前寺清子からも曲紹介でそのあたりに触れられている。
それにしても、20歳とは思えない落ち着きっぷり。
歌唱時間はいつものテレビバージョンそのまま。
ちょっとだけテンポは速いかも。
NHKも、翌年引退して歌合戦に出場しないことがわかっていたら、もう少し歌唱時間を長くするとか特別待遇を考えたかもしれないけど、結婚・引退の発表は年明けてからだったから。
そして1980年(昭和55年)、結婚・引退。
1年ごとに歌手として目を見張る成長があり、1980年にも歌唱力がまた一段とアップしたと思っているので、この年の歌合戦の出場がないのが残念。 NHKもダメ元で出場を打診したけど、やっぱダメだったらしい。
名曲「秋桜」や「いい日旅立ち」は山口百恵が歌合戦で歌うことはなく、後年曲の作者であるさだまさしや谷村新司が歌い、白組の強力な戦力となってしまったことが、個人的にはちょっとだけ気に入らなかったり。 器の小さい人間ですみません。