歌合戦:出場歌手 高田みづえ


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高田みづえ:昭和52、53、55~59年

 高田みづえの代表曲として思いつくのは、

くらいだろうか。

 オリコンのデータを見ると、実はそれ以外にもヒット曲が多いことに驚く。 彼女とデビューが同期で知名度・人気度では彼女を上回る存在だった榊原郁恵は歌合戦に6回出場しながら、「夏のお嬢さん」と「ロボット」しか10万枚を突破したヒット曲を歌っていないのとは対照的。

 デビューは1977年(昭和52年)。 新人の豊作年で、日本歌謡大賞で高田みづえと共に放送音楽新人賞を受賞し、日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した清水健太郎、「あずさ2号」の狩人とともに、デビューしたこの年の第28回歌合戦に初出場している。 歌唱曲はもちろん、上で挙げた「硝子坂」。 対戦相手は新人賞レースを争った清水健太郎。 曲前に鹿児島のおばあちゃんからの肉声のメッセージが流される。 また2番になると紅組歌手が「み」「づ」「え」「が」「ん」「ば」「れ」(みづえがんばれ)と書かれた鹿児島名産?のカブを持って後ろで応援していた。

 1978年(昭和53年)はTBSで始まったランキング番組「ザ・ベストテン」に「花しぐれ」でランクインし、この年の第29回歌合戦でもこの曲を披露する。 しぐれ→雨ということで、ポンポンとバトンが得意なPLレザンジュが珍しくバトンの代わりに雨傘を使ったダンスをバックで披露している。 そして、高田みづえは花を飾りにつけたドレスで歌うが、歌詞の通り「まるで男の子みたいに切りすぎた」髪のため、ちょっと似合っていない。

 1979年(昭和54年)はヒット曲に恵まれず落選。 実際には秋に発売した「子守唄を聞かせて」のB面だった「潮騒のメロディ」に人気が集まり、年をまたいで20万枚を突破するヒットになっていたが、シングルチャートのTOP20にも入らない、演歌のようなロングセラーだったので、1979年の選考には間に合わなかったのだろうね。

 1980年(昭和55年)は「私はピアノ」で第31回歌合戦に返り咲きを果たす。 前2回の出場の時にはおじいさん、おばあさんについて触れられていたが、この年の歌合戦を待たずにおじいさんが他界したそうで、「天国のおじいさんに精一杯歌う」と言っている。 そして、「潮騒のメロディー」を太田裕美八神純子が連弾で一節披露した後にイントロが始まるという趣向で「私はピアノ」を歌唱した。 細かいことなんだけど、「潮騒のメロディー」の連弾がある関係で、おそらくいつものテレビバージョンよりも歌唱時間が短くなっており、高田みづえとバックコーラスの歌う歌詞が違う箇所がある。1ハーフの2回目のサビで「ピアノに問いかけてみたけど」を普通は2回繰り返すが、歌合戦では1回だけになっているのに、バックコーラスが「ピアノに問いかけてみたけど」と2回歌ってしまっている。
 そんなことは置いといて、この年は20歳を迎えたということでメイクもバッチリ。 衣装も歌合戦における彼女としてはベスト。

 第32回(1981年、昭和56年)の歌唱曲は「涙のジルバ」。 大きなヒット曲は少ない彼女であるが、10万枚を超えるヒットは多く、歌合戦で歌った曲で売上が10万枚に届かなかったのはこの曲のみ。 この曲も、もうちょっとで10万枚だった。
 この頃の彼女の歌合戦恒例となっている家族ネタは、弟さんが事故で大怪我をしたが、会う時間を作るため、病院を九州から東京に移したというもの。 この年の衣装とメイクは、なんか田舎から家出して東京に出てきた少女が、生活費を稼ぐために水商売の店で安いドレスで着飾っているような・・・。 みづえさん、ごめんなさい。
 ちなみにこの年は、ジルバ対サンバということで、対戦相手は郷ひろみの「お嫁サンバ」だった。

 第33回(1982年、昭和57年)は谷村新司作品の不倫をテーマにした「ガラスの花」。 当事者となりうる中年男性や働く女性からズキッとする、と言われていた曲らしい。 そういえば、翌年森昌子がやはり不倫をテーマにした「越冬つばめ」を歌ったり、ドラマ「金曜日の妻たちへ」が始まったり、そういう時代だったのね。 「ガラスの花」では、2番に不倫相手の男性の家族写真の、男性以外の人を口紅で消すという歌詞が出てくる。 どういう手段か知らないが、不倫相手の家族写真を入手しているのである。 そして、奥さんやお子さんの顔を口紅で塗りつぶすのである。 こんな重い曲でもギリギリ10万枚という安定感。 衣装もメイクもギリギリ下衆にならずにオッケー。

 第34回(1983年、昭和58年)は「私はピアノ」以来のTOP10ヒットとなった「そんなヒロシに騙されて」を歌唱。
 この時の衣装は赤いスパンコール地のジャケットに黒いスカート。 衣装はいいと思うんだけど、髪型というかメイクが、顔の輪郭を強調するような形になってしまっていて、ちょっと似合ってないかなと思ったり。 ほんとごめんなさい。

 1984年(昭和59年)にも「秋冬」という10万枚を突破するヒット曲を出して、同年の第35回歌合戦に出場。 当時はまだ翌年の結婚引退の話は出ていなかったと思うが、紅組司会の森光子から「みづえちゃんにとって、きっと忘れられないステージになると思います」と紹介されている。 高田みづえも最初から感極まった歌唱となり、私の母は「なんか下手な新人が歌っている」と思ったそうだ。
 この年の衣装はシックなドレスでメイクもいつもと比べるとおとなしめで、決して行き過ぎてはいなかったと思うが、髪を布状の飾りで覆っていたので、ぱっと見では高田みづえだとは判別できなかったらしい。

 個人的にはラストシングルとなったさだまさし作の「カーテンコール」も歌合戦の舞台で歌って欲しかったが、ラストシングルでなければ作られなかった曲だろう。 引退した1985年(昭和60年)には残念ながらヒット曲は生まれなかったため、キャンディーズや、山口百恵のように引き際のタイミングとしては良かったのかもしれない。

 しかし、引退したとき彼女はまだ25歳。 歌合戦の出場は途絶えたかもしれないが、歌を続けて30代、40代の歌声を聴かせて欲しかった気もする。 50代の歌声は、2015年(平成27年)の「思い出のメロディー」で聴けたが、やはり30代、40代の歌声も・・・。 いや、彼女が結婚・引退を決めたのだから、仕方ない。

 ところで、彼女はカバー曲のヒットが多いことで知られている。 デビュー曲の「硝子坂」からして木之内みどりのカバー、「私はピアノ」と「そんなヒロシに騙されて」はサザンオールスターズのカバー、そして「秋冬」は中山丈二のカバー(たくさんの歌手がカバーし、競作となった)、「潮騒のメロディー」はフランク・ミルズのメロディーに日本語歌詞をつけたもの。 歌合戦関連だけでも5曲がカバーである。 歌唱曲に限定しても4曲と半分以上。 スタッフの中にヒット性のある曲を見つける勘がするどい人がいたのかな。

最終更新 2017年8月11日