歌合戦:出場歌手 中森明菜


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中森明菜:昭和58~63、平成14年(、平成26年)

 1982年(昭和57年)デビュー。 デビュー曲「スローモーション」が地味ながらロングヒット、セカンド・シングル「少女A」でその名を世間に知らしめ、サード・シングル「セカンド・ラブ」では早くもシングルチャートの頂点に立つ。
 ここまでがデビューした年の話であるが、これだけの活躍をしながら第33回(1982年、昭和57年)の歌合戦には出場していない。 「少女A」がNHKで放送禁止になったことや(翌年12月にはNHKの歌番組で歌っている映像があるので、1年くらいで解除されたみたいだけど)、この年初出場した三原順子とぱっと見のイメージが重なったことなど、いろいろあるかもしれないが、今となって考えるとやはり気になるところである。 一説には事務所、レコード会社が大手でなかったことが原因と言われている。 日本レコード大賞の新人賞5組にも選ばれていない。 やはり事務所やレコード会社の力関係だろうか。
 ちなみにこの年の12月、中森明菜はNHKの歌番組に「この番組のために作った衣装」とやらを着て出演している。 ひょっとしたら歌合戦用の衣装だったのかも知れないと邪推してしまう。

 翌年大ヒットを連発した彼女は、文句なしで第34回(1983年、昭和58年)の歌合戦に初出場する。 殺人的なスケジュールが祟ってか年末に足を脱臼。 音合わせには松葉杖で臨む。 当日は本番直前になって、舞台袖で黒をベースに金銀の飾りをつけた衣装が派手過ぎるのではないかと周囲にだだをこねる。 周囲も心得たもので「大丈夫、似合ってるよ。」と軽く流して彼女を送り出している。 実際の放送でテレビ画面に映し出された彼女の顔は最初やけにしかめっ面。
 ちなみに、この年から既に噂になっていたのか、中森明菜近藤真彦という曲順。

 第35回(1984年、昭和59年)の歌合戦の序盤の見せ場は中森明菜近藤真彦松田聖子郷ひろみという噂のカップル対決。 4人の曲をメドレーのようにつないだ構成のトップを飾った中森明菜は、いつもよりやけにテンポの速い「十戒」を歌う。 その後、登場する近藤真彦と軽く握手を交わしたりするが、二人ともふっくらしていて見ていてかわいいものである。

 翌36回(1985年、昭和60年)の歌唱曲は日本レコード大賞を受賞した「ミ・アモーレ」。 リオのカーニバルを舞台にしたドラマチックなこの曲は、普段歌番組で歌う時から衣装、振付け、メイクなど曲のイメージにあったものを考えていたので、歌合戦だからといって今まで以上にイメージ合わせることなどできない。 そこで衣装に関しては曲のイメージを外してデザインしたそうだが、それで本当に良かったのかとリハーサル時のインタビューで話す姿が、のちに歌合戦関連番組で放送されていた。
 この年も番組中の見せ場となる4曲をメドレーのようにつないだ構成のトップを飾る。 当時の歌合戦でよく見かけた国籍不明の服装をしたダンサーを従えて、リハーサルで悩んでいたのが嘘のような熱唱。 一箇所だけ派手に音程を外すが、それを差し引いても余りある迫力のステージ。 調子を落としていた時期に喉の調子の善し悪しのバロメータとされていた、最後の「アモーレ」のハイトーン&ロングトーン三連発も当然のごとくさらりとこなして終了。 この年もやけにテンポが速かったが、むしろスピード感のあるステージとなって良かったと思う。

 第37回(1986年、昭和61年)は「ミ・アモーレ」に続き2年連続日本レコード大賞受賞となった「DESIRE」で出場。 芸能記事の情報では、この年の日本レコード大賞では、中森明菜は「不思議」という前衛的なアルバムでアルバム大賞を狙っていたが、「DESIRE」が秋になっても売れ続けていたことから、狙いを2年連続の大賞受賞に切り替えたとか。
 この「DESIRE」という曲、シングルのジャケットは長髪を下した着物姿であったが、テレビで登場した彼女は黒髪のおかっぱ頭に和服を大胆にアレンジした衣装。 そしてサビの超ロングトーンと、見るものの度肝を抜いた。 でも、歌合戦を最初から最後まで見ていた明菜ファンの中には、前年の歌合戦終盤ですでに黒髪のおかっぱ頭でステージ上に姿を見せていた彼女に気づいた人もいた。
 歌合戦でのパフォーマンスは、せりからの登場であったため、「DESIRE」のB面であった「ラ・ボエーム」が一節演奏されたが後はテレビバージョンそのまま。 もう少し歌唱時間を長くしてもよかったのではないかと思う。 ちなみに、彼女が舞台上にバックバンドを引き連れて登場したのはこの年だけ。
 そして、おかっぱに和服をアレンジした衣装という基本コンセプトはヒット当時と同じだったけど、歌合戦ではおかっぱ頭の色は白。 衣装は白い花嫁衣裳。 そして白いブーツと白づくめだった。

 第38回(1987年、昭和62年)は秋から春にかけて年をまたぐロングセラーとなった「難破船」で登場。 しかし、この曲はステージで歌うには地味すぎる。 さらには通常のテレビバージョンではカットされていたアウトロも歌合戦ではカットなし。 イントロや間奏も長いので、歌っている時間は全体の3割もなかったのではないか。 NHKスタッフも照明で懸命に演出するが、退屈な感じは否めない。 前奏、間奏、後奏を大幅にカットしてでも、歌詞は2コーラスにした方がよかったような。

 第39回(1988年、昭和63年)は夏にヒットした「TATTOO」ではなく、秋にリリースされた「I MISSD THE “SHOCK”」を歌唱。 曲のインパクトで言うと、総スパンコールでタイトなミニスカート姿で歌い踊る「TATTOO」の方が圧倒的に強いが、最終的な売り上げはこちらの方が若干上。 宝石をちりばめた冠とドレスという衣装は当時の彼女ならでは。 この頃すでに相当体重が落ちており、寄せて上げてかろうじてできる胸の谷間がいいんだか悪いんだか。

 1989年(平成元年)も歌合戦出場には何も問題ないレコード売り上げであったが、7月に自殺未遂事件を起こした後失踪。 所属レコード会社から体調不良を理由に歌合戦の辞退が申し入れられた。 大晦日当日、歌合戦の裏番組において記者会見を行い、歌合戦始まって以来の視聴率50%割れに一役買ってしまう。
 なお、大晦日の会見については、「なんで金屏風だったのか?」など、ネットでも様々なことが言われているが、私が関係者でもないし、雑誌記事を実際に読んだわけでもないので、みなさんの判断に任せたい。 仮に、噂の通りだとしたら、あいつらろくな死に方せんわ。

 以後、ヒット曲があっても辞退したり、ヒット曲が出なかったりと歌合戦から遠ざかる。 ヒットがない年でもなつメロ歌手としての復帰案もあったが実現しなかったらしい。

 2002年(平成14年)、カバーアルバム「-ZEROalbum- 歌姫2」のヒットにより、第53回の歌合戦に実に14年ぶりとなる復帰を果たす。 当初、NHKとしては「-ZEROalbum- 歌姫2」に収録されていた山口百恵の「秋桜」の歌唱を持ちかけていたが、中森明菜側が、12月に発売するセルフカバーアルバム「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」がTOP10入りを果たしたら、持ち歌を歌いたいと主張し、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」が見事TOP10入りを果たしたことから、歌唱曲は、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」に収録されていた往年のヒット曲「飾りじゃないのよ涙は」になったという説がある。 「飾りじゃないのよ涙は」のアレンジは、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」のバージョン。 しかし、リハーサルでは歌詞をカットされていたこと(1番のAメロが途中カットされている)、キーが高いこと(オリジナルのキーだったってこと?それじゃ「歌姫ダブル・ディケイド」バージョンじゃないことになるが…)に激怒したなどと報道され、本番が心配された。 それでも、当日は安心のパフォーマンス。 低姿勢で次の歌唱者へ手を向けながら後ずさりして退場する姿もいつも通り。

 賞レースではその実力は高く評価されたが、歌合戦ではどうであったか。 歌唱順を見ると、第39回(1988年、昭和63年)までで一番遅く登場したのが初出場したのは、初出場の第34回(1983年、昭和58年)で紅組21組中11番目。 それ以降は全て番組前半での登場である。
 第53回の復帰ステージはさすがに紅組27組中20番目と番組後半の登場だったが、その後歌合戦に定着しなかったのが残念。

 2010年(平成22年)、体調を崩し歌手活動を無期限で停止、復帰が望まれていたところ、2014年(平成26年)の年末に、同年の第65回歌合戦の舞台に特別出演するとNHKから発表される。 NHKホールでの歌唱ではなく、アメリカのレコーディングスタジオからの生中継であったが、久しぶりに生の歌声を聴かせた。 この時、紅組でも白組でもない扱いだったが、出場回数は8となっていた。

 完全復帰までにはまだ時間がかかると思うが、ぜひともちゃんとした出場歌手として歌合戦へ復帰してほしい。

最終更新 2017年8月11日