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昭和50年にデビューし、第2弾シングル「ロマンス」の大ヒットにより同年歌合戦初出場。 同じく昭和50年デビューでブレイクした細川たかしとトップバッター対決をする。 紅組司会の佐良直美から「芸能界始まって以来のスピード出世」と紹介されている。
翌昭和51年は早くも番組後半に登場。
歌唱曲「ファンタジー」はテンポが早いながらも2コーラスにサビを1回加えるほぼフルコーラスに近い歌詞で、アイドルとしては重い扱い。
ちなみに、この年衣装の着付けに時間がかかって登場が遅れたらしい。
当時のテレビ映像を見ると、裏方もドタバタしていたようで、イントロの最初の部分のボリュームがやけに小さかったりする。
以降、昭和55年までは普通のアイドルとして、主に番組前半に登場する。
昭和52年、「この曲で歌手を続ける決心がついた」という「思秋期」がヒットするが歌合戦では歌われず、PLバトンチームによる応援をバックにアップテンポな「悲恋白書」を歌う。
「思秋期」が歌われなかったのは歌唱時間の関係という説もある。
「悲恋白書」は「思秋期」と比べて、劇的に歌唱時間が短いわけでもないが、歌合戦は数秒でもいいから各出場歌手の歌唱時間を削ってたくさんの曲を放送時間に押し込めている。
そんな理由で、名曲「思秋期」が歌合戦で歌われなかったのだとしたら、もったいない。
昭和53年は本人曰く「コロッケがものまねしてから、コンサートで歌うと笑いが起こるようになってしまい、歌わなくなった」という「シンデレラ・ハネムーン」を歌唱。
曲のイメージとはかけ離れたインディアンのような衣装(本人は「ピザ屋の店員のような衣装」と表現している)で歌った。
もともとアップテンポな曲のテンポを速め、さらに歌っている最中にもテンポアップしていくという無茶な展開。
岩崎宏美やスクールメイツも大変だが、演奏をしていた人も半ばやけくそだったのではないだろうか。
昭和54年は低音のバックコーラスが「幽霊の声?」と噂になった「万華鏡」を歌唱。
1コーラスだけの歌唱だったが、1コーラス歌い終わった後もコーラスやボーカルが結構長く続くため、歌唱時間が特段短かったわけではない。
昭和55年、妹の岩崎良美も出場したこの年、事前にニューヨークで録画されたトランペット奏者・日野皓正氏のコメントとトランペット演奏から曲に入るという演出で「摩天楼」を歌う。 紅組司会の黒柳徹子は「曲はもちろん、摩天楼」と紹介していた。 この年「女優」や「銀河伝説」という「摩天楼」を上回るヒット曲があったので、「この年の代表曲」という意味ではなく、高層ビル(摩天楼)が立ち並ぶニューヨークからの映像があったから「歌唱曲は、もうおわかりですね」という意味だったのだろう。
ちなみに、昭和54年の「万華鏡」、55年の「摩天楼」ともに、彼氏の部屋に別の女性がいてショックを受ける、という曲。 2年連続で変な男に引っかかっている。
昭和56年と昭和57年は曲調もアイドルから大人の歌手向けにかわり、それでいてヒット曲を出して歌合戦の終盤に登場。
昭和56年の歌唱曲「すみれ色の涙」はレコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。
レコード大賞では涙を流しながらの歌唱だったが、歌合戦でも2コーラス目で涙声になり、曲の終わりにひとつぶの涙を流す。
昭和57年は紅組司会の黒柳徹子から「紅組のとっておき」と紹介されている。
この年の歌唱曲「聖母たちのララバイ」は民放テレビドラマの主題歌として大ヒット。
発売以来民放テレビドラマの主題歌として使用されていたため、歌合戦がNHKでの初披露となった。
タイアップ最中に歌合戦で民放ドラマ主題歌が歌われた初めてのケースだったらしい。
翌58年も「家路」のヒットにより番組後半に登場するかと思いきや、なんと8年ぶりの紅組トップバッター。 ただし、その後榊原郁恵の応援に参加したり、ハーフタイムショー「ビギン・ザ・ビギン」でソロの歌唱パートがあるなど登場回数は多かった。
昭和59年はデビュー以来所属していた芸能事務所から独立した関係で、満足な歌手活動ができない状態での出場。
この年も「聖母たちのララバイ」「家路」と同じ火曜サスペンス劇場主題歌として「橋」を発表しているが、さすがに3年連続で民放ドラマ主題歌の歌唱は認められなかったのか、地味な「20の恋」を歌唱。
10回目の出場にして、初めて観客に聴きなじみのない曲を歌った彼女。
「やっぱりね。みんなこの曲知らないよね。」という思いが表情から見て取れるような気がする。
そんな地味な「20の恋」であるが、彼女のファンの中にはこの曲が好きだという声も多い。
昭和60年には今のところ最後のヒット曲となっている「決心」で登場。
宝石販売店のCMソングだったこともあって、宝石を多数ちりばめた(当然宝石販売店がスポンサー)コンサート衣装を着用。
化粧が濃い。
昭和61年はヒットはしなかった割には世間に知られている「好きにならずにいられない」を歌唱。
体調が相当悪かったらしい(彼女の歌合戦の歌唱シーンをYouTubeで見ると、他の年も「このときコンディションが悪かった」というコメントが多いので、体や喉が弱いのかなとも思う)。
昭和62年には出演したミュージカル「レ・ミゼラブル」の中から「夢やぶれて」を歌う。
彼女にとって最も長い歌唱時間。
歌唱時間が3分を超えたのはこの年と翌63年だけ(フルコーラス歌唱した「すみれ色の涙」や大ヒット「聖母たちのララバイ」は3分を越えていない)。
そして歌合戦における彼女の、いやこの年の他の歌手のパフォーマンスと比べてもベストな部類に入ると思われる圧倒的な歌唱であるが、歌唱順はなんと紅組2番手。
昭和63年暮れに結婚し、同年の歌合戦から歌手名を本名と同じ益田宏美とする。 私生活の結婚を踏まえ、結婚を控えて昔の恋人のことを思い出す「未成年」を歌唱。 NHKの歌番組では涙を流しながら歌うこともあったが、歌合戦では涙なしで歌った。
歌合戦が方向性に迷っていた時期、トップバッターや2番手に回されることがあったが、冷静に考えれば彼女はそんな位置に登場させてはいけない歌手のはず。 なつメロ解禁になった平成2年以降もなぜか歌合戦に登場する機会がないが、彼女のような確かな歌唱力を持った演歌に属さない歌手が歌合戦に登場すると番組が引き締まると思うのは私だけだろうか。
代表曲である「聖母たちのララバイ」はキーが高く、ヒット当時は地声で歌っていた部分を裏声で歌うようになり、賛否両論あるが(私も地声で歌って欲しいと思うが、尖った地声よりも包容力のある裏声で歌ってもらった方が守られてる気がするかな、とも思う)、他にも歌合戦で聴きたい歌はあるので是非とも復帰を願う歌手のひとりである。