歌合戦:出場歌手 岩崎宏美


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岩崎宏美:昭和50年~63年

 昭和50年にデビューし、第2弾シングル「ロマンス」の大ヒットにより、この年の第26回歌合戦初出場。 同じくデビュー曲「心のこり」でブレイクした細川たかしとトップバッター対決をする。 当時たくさんあった音楽賞の新人賞を数多く受賞したことで、紅組司会の佐良直美から「芸能界始まって以来のスピード出世」と紹介されている。 歌唱曲はもちろん「ロマンス」。

 翌27回(昭和51年)は早くも番組後半に登場(この年は攻守交替が2回ある3部構成で、後半のトップバッター)。 歌唱曲「ファンタジー」はテンポが速いながらも歌詞はほぼフルとなる2ハーフで、アイドルとしては重い扱い。 歌唱時間としては、2ハーフでも2分15秒くらいと、他の曲の2コーラス相当なんだけど、歌合戦は「歌は2コーラス」を建前としていることから、時間が短くても2コーラスとなってしまう人もいるので。
 ちなみに、衣装の着付けに時間がかかって登場が遅れたらしい。 当時のテレビ映像を見ると、裏方もドタバタしていたようで、紅組司会の佐良直美は、「宏美ちゃんいないんだけど…」という顔で心配そうにステージを見ているし、イントロの最初の部分のボリュームがやけに小さかったりする。

 以降、第31回(昭和55年)までは普通のアイドルとして、主に番組前半に登場する。
 昭和52年、「デビュー当初は3年でやめるつもりだったが、この曲で歌手を続ける決心がついた」という「思秋期」がヒットするが、同年の第28回歌合戦では歌われず、PLバトンチームによる応援をバックにアップテンポな別のヒット曲「悲恋白書」を歌う。
 「思秋期」が歌われなかったのは歌唱時間の関係という説もある。 「悲恋白書」のテレビバージョンは2コーラス、「思秋期」のテレビバージョンは間奏なしの1ハーフ。 どちらも2分30秒くらいで、「悲恋白書」のテレビバージョンの歌唱時間が劇的に短いわけでもないが、歌合戦は数秒でもいいから各出場歌手の歌唱時間を削ってたくさんの曲を放送時間に押し込めている。 そんな理由で、名曲「思秋期」が歌合戦で歌われなかったのだとしたら、もったいない。
 でも、私は別の見方をしている。 当時毎年歌合戦に出場して、紅組歌手をバックアップしていたPLバトンチームをバックに登場させることができる女性アイドルがほかにいなかったのではないか。 これはこれで残念な選曲理由となってしまうが。

 第29回(昭和53年)は本人曰く「コロッケがものまねしてから、コンサートでイントロが流れると笑いが起こるようになってしまい、一時期歌わなくなっていた」という「シンデレラ・ハネムーン」を歌唱。 曲のイメージとはかけ離れたインディアンのような衣装(本人は「ピザ屋の店員のような衣装」と表現しているが、これは歌合戦ではなく、普段の歌番組の衣装のことかな)で歌った。 もともとアップテンポな曲のテンポを速め、さらに歌っている最中にもテンポアップしていくという無茶な展開。 岩崎宏美やバックでダンスをしていたスクールメイツも大変だが、演奏をしていた人も半ばやけくそだったのではないだろうか。 ただ、この曲も歌唱時間は2分20秒を超えているので、時間だけ見ると冷遇されていたわけではない。 要は、通常のテレビバージョンと、歌合戦で各歌手に与えられる時間の差が大きかったということ。
 第30回(昭和54年)は低音のバックコーラスが「幽霊の声?」と話題になった「万華鏡」を歌唱。 1コーラスだけの歌唱だったが、1コーラス歌い終わった後もバックコーラスと岩崎宏美のボーカルの掛け合いが結構長く続くため、歌唱時間が特段短かったわけではなく、2分20秒は超えている。

 第31回は妹の岩崎良美も出場した回でもある。 事前にニューヨークで録画されたトランペット奏者・日野皓正氏のコメントとトランペット演奏から曲に入るという演出で「摩天楼」を歌う。 紅組司会の黒柳徹子は「曲はもちろん、『摩天楼』」と紹介していた。 この年「女優」や「銀河伝説」という「摩天楼」を上回るヒット曲があったので、「この年の代表曲」という意味ではなく、高層ビル(摩天楼)が立ち並ぶニューヨークからの映像があったから「歌唱曲は、もうおわかりですね」という意味だったのだろう。
 ちなみに、前年の「万華鏡」とこの年の「摩天楼」はともに、彼氏の部屋に別の女性がいてショックを受ける、という内容の歌詞。 2年連続で変な男に引っかかっている。

 第32回(昭和56年)と第33回(昭和57年)は曲調もアイドルから大人の歌手向けにかわり、それでいてヒット曲を出して歌合戦の終盤に登場。
 第32回の歌唱曲「すみれ色の涙」は、この年の日本レコード大賞の最優秀歌唱賞受賞曲。 レコード大賞では涙を流しながらの歌唱だったが、歌合戦でも2コーラス目で涙声になり、曲の終わりにひとつぶの涙を流す。
 第33回は紅組司会の黒柳徹子から「(紅組の)とっておき」と紹介されている。 この年の歌唱曲「聖母たちのララバイ」は民放テレビドラマ「火曜サスペンス劇場」の主題歌として大ヒット。 日本歌謡大賞で大賞を受賞している。 オリコンのデータでは、「ロマンス」の方が推定売上枚数は多いが、レコード会社からミリオンセラーとして表彰されたのは「聖母たちのララバイ」だけらしい。 発売以来民放テレビドラマの主題歌として使用されていたため、NHKでは歌合戦が初披露の場となった。 タイアップ最中に歌合戦で民放ドラマ主題歌が歌われた初めてのケースだろうか。

 翌34回(昭和58年)も火サスの主題歌「家路」がヒットしたため、番組後半に登場するかと思いきや、なんと8年ぶりの紅組トップバッター。 ただし、その後榊原郁恵の応援に参加したり、余興「ビギン・ザ・ビギン」でソロの歌唱パート、他の余興「紅白俵つみ合戦」への参加、「四季の歌メドレー」で高田みづえ杏里と共に「おぼろ月夜」、参加者全員で「春が来た」を歌うなど登場回数は多かった。

 「聖母たちのララバイ」と「家路」は、スローな曲なのに、歌合戦ではテンポの速いアレンジとなっていた。 「聖母たちのララバイ」は通常2コーラスで3分30秒くらいのところを1ハーフにして、テンポを速くして、ようやく2分50秒くらいなので、当時の歌合戦としては仕方ないかなと思うが(対戦相手の中村雅俊は3分超えてたけど)、「家路」も通常のテレビバージョンが2コーラスで約3分のところを1ハーフにした上にテンポを上げて2分20秒くらいになっており、昭和50年代前半の若手アイドルかよ、と思うような扱いになっている。 対戦相手の西城秀樹もテンポが速く、2ハーフで2分35秒くらい。 たしか、この年番組冒頭で総合司会のタモリが少しためて「第34回NHK紅白歌合戦」と言っただけで「5秒押してます(秒数不確か)」と巻きが入ったそうなので、トップバッターから進行の遅れを取り戻そうとしたのかもしれない。

 第35回(昭和59年)はデビュー以来所属していた芸能事務所から独立した関係で、満足な歌手活動ができない状態ながらも歌合戦には出場。 この年も「聖母たちのララバイ」「家路」と同じ「火曜サスペンス劇場」主題歌として「橋」を発表しているが、前2作ほどのヒットにならなかったことや、さすがに3年連続で民放ドラマ主題歌の歌唱は認められなかったのか、地味な「20(はたち)の恋」を歌唱。
 10回目の出場にして、初めて観客に聴きなじみのない曲を歌った彼女。 「やっぱりね。みんなこの曲知らないよね。」という思いが表情から見て取れるような気がする。 そんな地味な「20の恋」であるが、彼女のファンの中にはこの曲が好きだという声も多い。

 第36回(昭和60年)には今のところ最後のヒット曲となっている「決心」を歌唱。 堀越学園時代に仲良しだったという、この年の紅組司会森昌子に送り出されている。 宝石販売店のCMソングだったこともあって、宝石を多数ちりばめた(おそらく宝石販売店がスポンサー)コンサート衣装を着用。 そして、この年の彼女は化粧が濃い。 彼女に限った話ではないので、機会があれば第36回の歌合戦での紅組歌手のメイクを見ていただきたい。
 第37回(昭和61年)はヒットしなかった割には世間に知られている「好きにならずにいられない」を歌唱。 体調が相当悪かったらしい。 彼女の歌合戦の歌唱シーンを、コメントをつけられる動画投稿サイトで見ると、他の年も「このときコンディションが悪かった」というコメントが多いので、体や喉が弱いのかなとも思う。

 第38回(昭和62年)は、持ち歌ではなく、出演したミュージカル「レ・ミゼラブル」の中から「夢やぶれて」を歌う。 3分30秒を超える、彼女にとって最も長い歌唱時間。 歌唱時間が3分を超えたのはこの年と翌年だけ(フルコーラス歌唱した「すみれ色の涙」や大ヒット「聖母たちのララバイ」は3分を超えていない)。 そして歌合戦における彼女の、いやこの年の他の歌手のパフォーマンスと比べてもベストな部類に入ると思われる圧倒的な歌唱であるが、歌唱順はなんと紅組2番手。

 昭和63年暮れに結婚し、同年の第39回の歌合戦から歌手名を(当時の)本名と同じ益田宏美とする。 出場歌手発表時と本番で、ソロ歌手なのに歌手名が変わった珍しい事例。 私生活の結婚を踏まえ、結婚を控えて昔の恋人のことを思い出すという歌詞の「未成年」を歌唱。 NHKの別の歌番組では涙を流しながら歌うこともあったが、歌合戦では涙なしで歌った。

 歌合戦が方向性に迷っていた時期、トップバッターや2番手に回されることがあったが、冷静に考えれば彼女はそんな位置に登場させてはいけない歌手のはず。 なつメロ解禁になった第41回(平成2年)以降、なぜか歌合戦に登場する機会がないが、彼女のような確かな歌唱力を持った演歌に属さない歌手が歌合戦に登場すると番組が引き締まると思うのは私だけだろうか。

 代表曲である「聖母たちのララバイ」はキーが高く、ヒット当時は地声で歌っていた部分を裏声で歌うようになり、賛否両論あるが(私も地声で歌って欲しいと思うが、尖った地声よりも包容力のある裏声で歌ってもらった方が守られてる気がするかな、とも思う)、他にも歌合戦で聴きたい歌はあるので是非とも復帰を願う歌手のひとりである。

最終更新 2020年8月15日