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歌合戦に出場した歌手の中で、不思議な立ち位置の歌手である。
デビューは昭和63年。
いわゆる帰国子女で、デビュー当時はショートカットだった。
歌手よりはタレントやアイドル女優として名が売れるようになり、平成2年には宮沢りえ主演の連続ドラマ2本に準主役のようなポジションで出演している。
平成3年、ドラマ「デパート!夏物語」でヒロイン役?と主題歌を担当し、主題歌「ときめいて」で初のTOP 10入りを果たす。
TOP 10入りはしたものの、歌合戦出場が確約されるような規模のヒットではなかったが、日本テレビ系列の24時間テレビ「愛は地球を救う」のチャリティーパーソナリティーを務めるなど、若手だけでない年齢層への名前の浸透を図ったことが功を奏したか、この年の第42回歌合戦に初出場を果たす。
歌合戦とは関係ないが、24時間テレビに出演したことを振り返っての「(チャリティー番組なのに、)まさか出演料が出るとは思わなかった」という発言がなかなかよい。
話を戻すと、NHKとしては当落線上ではなく出場させる気満々だったようで、秋に演歌・歌謡曲が主体の歌番組に「愛は勝つ」が大ヒットしたKANとともに出演させて高齢者層へのお披露目をしている。
歌合戦では紅組のトップバッターとして「ときめいて」を披露。
「ときめいて」の振り付けを担当した縁からか、南流石と流石組がダンスで応援するが、大きなヒット曲のない初出場歌手の宿命でパフォーマンス時間は2分ちょっとと、この年のアイドル歌手のパフォーマンス時間としてはぶっちぎりで短い。
他のテレビではイントロ・間奏・アウトロを短くする代わりに歌詞は2番のAメロ前半をカットしただけの2分40秒くらいのバージョンで歌うことが多かったと思うが、歌合戦では2番まるごとカット、イントロ・間奏・アウトロもいつもと同じかそれより短く、テンポも速められて容赦ない。
その代わり、番組後半に登場したイギリスのミュージカル女優サラ・ブライトマンの通訳を務めるなど、バイリンガルをアピールした姿も披露した。
翌平成4年、NHKで「西田ひかるの痛快人間伝」がスタートし、これで歌合戦連続出場は固いんだろうなと思ったもんである。。
結局、この年出したシングルはTOP 10入りも10万枚突破もしなかったが、連続出場を決める。
この年の第43回歌合戦では西田ひかるは「西田ひかるの痛快人間伝」テーマ曲である「生きてるって素晴らしい」を歌唱するが、これがNHKが紅組で一番力を入れたのではないか、というようなパフォーマンスとなる。
最初はスカートをはいたネイティブ・アメリカンのような恰好をした西田ひかるのバックに、高さが様々な一輪車に乗った人たち(やまとクラブのみなさん)が登場し山のような形を形成したり、二人一組でくるくる回ったりする。
やまとクラブのみなさんが去って1番を歌い終わるとUCA国際チアリーダーズが登場して掛け声をかけている後ろで早がわりをして、カウボーイハットと袖に紐をたくさんつるしたような、エルヴィス・プレスリーが着るようなジャケットに着替えた西田ひかるもチアリーディングに参加する。
そして間奏後のサビを歌い終えた後、帽子とジャケットを取っ払って髪を下ろした西田ひかるは、スパンコールの全身タイツのようないでたちで再びチアリーディングに参加し、人間ピラミッドの上で両手を上げ、一度後ろに倒れたのち再び起き上がるという演技でパフォーマンスを終える。
一歌手にふた組の異なる演出が付くなんてまずないことである。
これはもう、どこかで映像を見ていただきたい。
結構ハラハラドキドキである。
普段歌番組で「生きているって素晴らしい」を披露する時は1番と2番を歌い、アウトロはほぼカットの2分20秒くらいが多かったと思うが、歌合戦では1番と終盤に3回繰り返されるサビの最後の1回。
歌詞が短い分はUCA国際チアリーダーズとの共演のために費やされ、間奏は通常よりも長く、アウトロも余りカットされずに2分50秒くらい。
前年のひどい扱いを埋めるかのようなパフォーマンス時間となっていた。
この年はの他のポップス歌手は前年と比べてパフォーマンス時間が短くなったケースが多かったので、大ヒットがないことを考えると異例だった。
この年もバイリンガル・アピールはあり、工藤静香の曲前に、曲のタイトルである「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」を各国語で話すという趣向があり、西田ひかるは当然英語で「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」としゃべっている。
翌平成5年、CMソングになった「涙 止まらない」が「ときめいて」以来となる10万枚を突破するヒットとなり、第44回歌合戦に3年連続3回目の出場となる。
この回は彼女のステージとしては最も地味で、応援は曲の終わりに「セサミストリート」のビッグバードが登場するくらい。
過去2回のような動きがないため、衣装は羊から刈り取ったばかりのようなイメージの生地の、裾の長いドレスとなっている。
もちろん、この回もバイリンガル・アピールはあり、曲の前にビッグバードの英語の応援メッセージを聞いて、日本語の意味を紅組司会の石田ひかりに伝えている。
そして、この回もNHKの歌番組である「POP JAM」で歌った時の2番の後の間奏とCメロなしの2ハーフよりもパフォーマンス時間が長かった。
アウトロをほんの少し短くしたフルコーラス。
平成6年もCMソングである「きっと愛がある」が10万枚を突破。 しかも彼女にとって最大の売り上げとなったため、連続出場かと思ったら落選。 この時期、出場歌手の中で演歌やなつメロの占める割合が高く、ヒットはあったといえども大ヒットではなかった彼女はポップス枠から押し出された形になった模様。
平成7年もCMソングである「人生変えちゃう夏かもね」が「きっと愛がある」と同程度のヒットとなるが、返り咲きはならず。 この年は前年の落選から歌合戦出場を楽観視できないと見た事務所ががんばったようで、「FNS歌謡祭」に初出場し、「人生変えちゃう夏かもね」を大人数のダンサー+2回の早がわりという歌合戦じゃないかと思うような演出で披露している。
ヒットも小さくなり、このまま歌合戦とはお別れかと思っていたところ、なぜかヒット曲が全くなかった平成10年の第49回歌合戦に5年ぶりの返り咲きを果たす。
一説では、この年返り咲きを果たした工藤静香と西田ひかるは、歌合戦をあまり見ない20代か30代をターゲットとした人選だったらしい。
ヒット曲があった工藤静香はよしとして、ヒット曲のない彼女は何を歌うんだろうと思ったら、ミッキーマウスが生まれて70年ということで「ザッツ・ディズニー・ファンタジー」と題してディズニーに関連する曲のメドレーを披露した。
ちょっと話が逸れるが、歌合戦ではその10年前の第39回(昭和63年)もコーラス・グループのタイム・ファイブがディズニー映画「ピノキオ」のテーマソングである「星に願いを」を歌っている。
話を戻して第49回の西田ひかるは、またしても気合いの入ったパフォーマンスを披露する。
「どう見ても早がわりあるでしょ」というボリュームのあるドレス姿で登場した彼女は「星に願いを」を一節歌うと1回目の早がわり。
「ミッキーマウスマーチ」、白雪姫から「ハイホー」を歌って、さらに早がわりをしてメリー・ポピンズから「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」、そしてディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のテーマソング「イッツ ア スモール ワールド」と5曲のメドレーとなる。
パフォーマンス時間は約4分と当時のトップアイドルでもめったに与えられない長い時間で、ディズニーのキャラクターや着ぐるみ、当時よく歌合戦に登場していたシュガー&スパイスエンジェルズ、そして東京放送児童合唱団がバックをかため、最後はハート形の風船が多数降ってくるという大掛かりなステージとなる。
おまけに言うと、のちにWaTとして出場するウエンツ瑛士がシュガー&スパイスエンジェルズの一員として出演していたらしい。
たしかに、彼と思われる少年が結構いい位置で何度も映り込んでいる。
この年の彼女の怪(?)進撃は止まらず、応援合戦で紅組が披露したフラメンコで中心的なポジションを務める。
そういえばこの年、木の実ナナとミュージカルでフラメンコ踊ってたっけ。
この年の紅組といえば表向きは安室奈美恵の歌合戦での仕事復帰が大きな目玉だったが、裏の目玉として西田ひかる大プロモーションがあった気がしてならない。
というわけで、ヒット曲のわりに歌合戦での存在感が大きかったのが、なんとも不思議な歌手なのである。
最後に、平成に入ってからのアイドルで、出場したすべての回において伴奏がカラオケではなく、歌合戦で伴奏をするバンドの演奏だったというのも彼女だけかも。