歌合戦:できごと5
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第41回(平成2年)
- NHKが出場歌手の発表を行う前に、マスコミに偽の出場歌手リストをFAXで送った人がいた。
NHKが後日発表したリストとは食い違う歌手が多かったが、ミュージカル女優の大地真央を入れていたり昔の歌合戦ならこんな人選かな?と思わせるものがあった。
当時、既にNHKから司会者は西田敏行、三田佳子と発表されていた。
偽のリストでは司会者は堺正章とジュディ・オングとなっていたので、冷静に考えればいたずらだとわかるものの、早とちりした人もいたらしい。
- 出場歌手発表の日までに出演交渉が間に合わず、発表されたのは紅組29組に対し白組は27組。外国人歌手に出演交渉中ということだったが、後日久保田利伸(外国人?と思うが、アリスン・ウィリアムズとのデュエットだった)とポール・サイモンが追加された。
- この年は前年から選ばれていたアジア以外にアメリカ、ロシアからも人気歌手が出場。
- 親日家のシンディー・ローパーも初出場。
出場に際して交わされる契約書の多さにNHKスタッフは驚いたらしい。
- 出場は実現はしなかったが、日本でも人気のあったイギリスのミュージカル女優ジュリー・アンドリュース、アメリカのポップス歌手のビリー・ジョエルにも出演交渉を行っており、紅白各30組の予定だったらしい。
- 初出場となった Dreams Come Trueの吉田美和は「先輩歌手の後ろで花笠なんか持って踊るのかしら」とワクワクしていたら、事務所の社長から「うちはそういうことしないから、余計なこと言わないように」と言われたらしい。
でも、しっかり初出場歌手の記者会見でしゃべってるし。
- こちらも初出場の長渕剛はベルリンからの中継で3曲計17分の歌唱。
この事実は本番までほとんどの人には知らされていなかったため、飛び抜けて長い歌唱時間に怒った歌手もいたらしい。
また、バックは暗く、他の人間が誰も写らなかったので、「あれでは都内からの中継と変らない」という意見も。
- 「おどるポンポコリン」がミリオンセラーとなり、初出場となったB.B.クィーンズは、日本レコード大賞でポップス・ロック部門の大賞を受賞後、第2部の紅組3番手で歌うため、日本武道館からNHKホールへ移動。
ボーカルの坪倉唯子は、車から降りた後「(時速)○○○kmの車の中で着替えて吐きそう」と言いながらNHKホール入り口へ走って行った。
- 八代亜紀はスピーカーからの伴奏が聴こえにくかったため、音が取れずに調子っぱずれの歌い出しになってしまったらしい(イヤーモニターのない時代の話)。
第42回(平成3年)
- 昭和60年から何曲もヒットを出し、歌合戦に出場できそうでできなかったとんねるずがついに初出場。
初出場歌手発表の記者会見で石橋貴明は「受信料を払っていなくても出場できるんだ」と発言しようとしたが、さすがにそれはまずいと思い、「受信料を払っているといいことあるんだな」と発言。
- この年のオープニングはせりから上がってきた若花田関と貴花田関が「開幕宣言」をしてはけた後、ホールの上の方をUFO型の風船が浮遊し、その後ステージが明るくなり、ステージ上の出場歌手が観客に背を向けた状態からいくつかのグループに分かれてグループごとに振り返るという複雑な演出。
初出場のアメリカのベテラン歌手アンディ・ウィリアムスは日本語が全然わからないということで、振り返るきっかけを教えてほしいと頼まれ、とんねるずが「アンディ、ハイ!」と声をかけてあげたらしい(隣にいたのかと思ったんだけど、アンディ・ウィリアムズの周りにとんねるずの姿は見当たらず。どうやって声をかけたんだろう。リハーサルの時の話なのか、テレビ番組向けのネタだったのか)。
- 国際化を意識してか、歌手表記に日本語だけでなく英語も使われた。
でも、グループ名にアルファベットが含まれている場合は「SMAP スマップ」とか「光GENJI ヒカルゲンジ」となっていて、完全な英語表記ではなかった。
- HOUND DOGが出場歌手決定後に辞退したことによる代役としての出場が決まったバブルガム・ブラザーズは、当初海外から他局の番組に出演予定だったが急きょ帰国。
帰国の際に出演予定だった番組の関係者に「歌合戦を見るように」とお願いしたが、その国では歌合戦の第2部以降が放送されたため、第1部トップバッターだったバブルガム・ブラザーズのパフォーマンスは放送されず、第2部に入ってから細川たかしのバックでビールジョッキを片手に応援する姿だけ見てもらえたらしい。
- 17年ぶりの返り咲きとなった山本リンダ。
審査員だった当時人気の関取若花田・貴花田に目を付けたのか、間奏になるとステージから審査員席に直進。
しかし途中でバランスを崩し、もたれ掛かるように審査員席にある花(造花?)を倒してしまった。
それでも、いつも通り「ワァホォー」と叫んでごまかした。
- とんねるずは赤と白の全身ペインティングと鬼のようなかつら、そしてパンツといういで立ち。
アウトロで二人が後ろを向いて並ぶと、背中に「受信料を払おう」という文字が現れた。
ついでに、直前にパフォーマンスした山本リンダに対抗し、木梨憲武が最後に「ウララ~」と声を出して終了。
- 山本リンダと同じく17年ぶりの返り咲きとなった美川憲一は、再ブレイクのきっかけをつくった一人であるコロッケと共演。
- 初出場のKANが「愛は勝つ」を歌っている最中に、音羽ゆりかご会のコーラスと共に子供たちがステージ上に登場。
児童の労働は認められない時間帯だったが、どういうからくりで出演できたのだろう。
少年隊の後に応援ゲストとして登場したアメリカのケンタッキー・カントリーも一番若い子は小学生に見えたし、その子に花束を渡したのは流石組レイナだし、特例申請でも出したのだろうか。
- NHK交響楽団によるクラシックの演奏があった。
- この年から小林幸子の衣装が重くなり、自力で動けなくなった。
この年はワイヤーを使って宙に舞うという演出だったが、リハーサルなしのぶっつけ本番で実際に飛んでみたところ伴奏がほとんど聴こえなかった(イヤーモニターのない時代の話)。
指揮者のタクトを頼りにしようにも、指揮者は両手を挙げて小林幸子の空中浮揚成功を祝福していたため全く使えず、自分の勘だけで歌い切ったとのこと。
だったらリハーサルなしで飛ぶなよ。
- 初出場だった槇原敬之は当時お決まりだったキーボードの弾き語りスタイルで歌唱。
しかし、取り付けられたマイクスタンドの固定が甘く、少しずつマイクが下がってくるため、何度かマイクを上げ直していた。
- この年は、会場の観客による審査は例年のうちわを使ったものではなく、UFO型の風船につけたマイクを使い、歓声の大きさで決めた。
そりゃー歓声の大きな女性ファンが多い白組有利だよね。
第43回(平成4年)
第44回(平成5年)
- 21世紀に歌い継ぎたい歌として、渡哲也、海援隊、いしだあゆみ、研ナオコが返り咲き。
記者会見でいしだあゆみは「音合わせの前日にカラオケボックスの予約を入れました!」と発言(おい)。
研ナオコも「ヒット曲もありませんし、ここ数年NHKへの貢献度ゼロでございます」と急な返り咲きに驚いていた。
- ラジオ放送のため、出場歌手の衣装などを解説するアナウンサーが小林幸子の衣装を解説しようとしたが、「これは…。」と絶句したらしい。
- NHKに「松本明子を入れてあげて!」という電話が殺到。
この時松本明子は他局の企画で「アポなし紅白出演」を試みていたが、本当にアポなしだったので、電話応対の職員は最初何のことやらさっぱりわからず、「許可は取っているのか」と問題の放送局に対して怒る人もいたらしい。
だからアポなしなんだってば。
第45回(平成6年)
- 長保有紀は短い間奏部分で衣装替えにトライ。
リハーサルでも、手伝う花柳糸之社中が衣装替えを成功させるために受け持ちを分けるなど確認していた。
本番ではタイミングは間に合ったように見えたが、引き抜こうとした衣装がマイクに引っかかってしまった。
2番が始まったため長保有紀は左腕に衣装の一部をつけたまま歌った。
- 紅組に羽をつけた歌手が二人(松田聖子、藤谷美和子)。
- 細川たかしの歌の時、白組歌手と女性ダンサーが「花のお江戸の捕物帳」というテーマで踊った(?)。
この時、盗人の扮装でバック転をしていた SMAP の一人(多分、チョコボール君)が舞台上にある「くぼみ」に落ちた。
- 沢田研二はステージ上の階段を、外国人モデル数人に抱えられて横になって歌いながら登場する予定だったが、重すぎて中止となったらしい。
- この年と翌年、美川憲一と小林幸子と直接衣装対決となる。
編曲もド派手になり客寄せパンダ状態。
- 前年「アポなし紅白出演」に失敗した松本明子がこの年は「番組の進行に支障がなければOK」ということで、「蛍の光」を歌うコーラスの一員として舞台に潜入。
第46回(平成7年)
- 前半戦トップバッターのH Jungle With tの応援にH Jungleこと浜田雅功の相方である松本人志が登場。
応援ゲストしての登場は極秘だったため楽屋に軟禁状態だったらしい。
ちなみに、このゲスト出演のギャラは5万円だったとか。
ネタかもしれんが。
- 後半戦にポップス系歌手がほとんどいなくなる
(曲順)。
- 小林幸子の前振りで似ているという評判の紅組司会上沼恵美子とつんくの2ショットが実現。
第47回(平成8年)
- 史上最年少の19歳で紅組司会に選ばれた松たか子は、和田アキ子に直筆で「助けてください」と手紙を送ったらしい。
その甲斐があってか、森口博子の曲紹介時にセットの準備が長引いた際、隣にいた和田アキ子が時間をもたせていた。
- この年亡くなった藤子 F 不二夫さんと渥美清さんを偲び、前半で「ドラえもんの歌」、後半で「男はつらいよ」が歌われた。
- 松たか子は、小さい頃からファンだった松田聖子の紹介で予定していたセリフを完全に忘れたらしい。
当時の映像を見ると、松たか子は思ったほど慌てていない。
慌てたのはセリフが台本通りでないと気付いたスタッフか。
- この年は、美川憲一と小林幸子の衣装直接対決はなく、美川憲一対森口博子、シャ乱Q対小林幸子となった。
この4曲に関しては出場歌手が舞台の袖に集まって見物。
森口博子の曲紹介の時には松たか子の横で司会の手助けをしていた和田アキ子が小林幸子の曲紹介の時にはカメラの前から姿を消した。
- 平成4年頃から一部のポップス系歌手が2曲以上(紅白バージョンやメドレーという形で)歌うことがあったが、この年は「一歌手一曲」に戻った。このため、久々に演歌の曲が最長演奏時間となった(大トリのサブちゃん)。
- アメリカの日本人向けチャンネルで歌合戦を放送する際、RATS & STARのシーンはカットされたらしい(黒に近いファンデーションを使ったメイクが、黒人差別と受け取られる可能性があったための対処とのこと)。
第48回(平成9年)
- 前半の大トリとなった南こうせつ「うちのお父さん」では、白組出場歌手がギターやパーカッションで応援。
パーカッションの予定だった人もギターを弾きたがったので、南こうせつはスタッフに事務所までギターを取りに行かせたらしい。
- 後半のアトラクションの準備に時間がかかる間、司会の中居正広が「スタンバイはよろしいでしょうか」などと発言して場を持たせた。
カメラがステージ中央を映す直前に、同じく司会の和田アキ子が中居正広に怒るような表情で何か言っているシーンがテレビに映った。
「歌合戦は視聴者に夢を与える番組なんだから、準備が遅れているようなことをあからさまに口にしたらだめ」みたいなことを言っていたらしい。
アッコさんも、前年に「もうちょっと時間がかかるみたいよ」と準備の遅れをトークでカバーするシーンがあったので、どこらへんまでがOKなのか、よくわからないが。
- 美川憲一は約18秒の間奏で衣装を替えて空中浮揚の準備を完了する必要があったが少し時間がオーバーした。
このため、歌声はすれども姿は見えない状態が数秒あり(失敗したと思った人もいたとか)、その後飛びながら登場したためかえっていい演出になったらしい。
- オーロラ輝子(河合美智子)はイントロの終わりあたりで入れるはずの頭上のオーロラを回転させるスイッチを入れ忘れたらしい。
1番の途中で自分の影を見て頭上のオーロラが回転していないことに気付き、あわてて帯のあたりにあるスイッチを入れたが、一定時間経つと(予定では間奏のせりふが終わる頃)オーロラが開くしかけなので、歌唱中にオーロラが開かないかもしれない。
ゆっくり歌ってみても伴奏はカラオケなのでテンポは変わらない。
2番のサビあたりで再び影でオーロラが一部開き始めたのを確認すると、頭を大きく振ってなんとかオーロラを全開にしようとしたらしい。
テレビ放送では歌が終わる前に全開したオーロラが無事にアップで映し出されたものの、それを知らない本人は歌い終わってから舞台裏で大泣きした。
第49回(平成10年)
- 民放番組から生まれた人気グループポケットビスケッツとブラックビスケッツが「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として登場。
オリコン1位とミリオンセラーを歌唱するグループを一組にまとめてしまう大胆な構成。
- globeの歌唱中、小室哲哉のスタンドマイクにカメラマンが接触。
スタンドマイクが大きく揺れたため、小室哲哉は思わず後ずさり。
- 北島三郎はこともあろうに「忘れちゃならない」という歌詞を忘れる。
後日、尿道結石のため、いつ激痛が走るかわからない状態だったと告白。
舞台上でのたうち回るという最悪の事態にならなかっただけよしとするか。
- 前年の歌合戦を最後に産休に入っていた安室奈美恵がこの年の歌合戦から仕事再開。
- 初の大トリだった和田アキ子はサビの部分ではマイクを離して歌い、観客を圧倒。
第50回(平成11年)
- 当時西武ライオンズ入団一年目で新人王を獲得した松坂大輔投手が後半戦の開幕を宣言。
- 初出場の野猿はとんねるずが中心となったグループ。
とんねるずが歌合戦に初出場した第42回同様、全身ペインティングにパンツとかつらというスタイルでメンバー全員がパフォーマンス。
- 応援合戦として紅組は宝塚歌劇団月組とともに宝塚のレビューを再現。
登場するためスタンバイしていたMAXのもとに月組のメンバーが慌てて駆け寄って来た。
背中につけていた羽根が上下逆だったらしい。
- (このネタは嘘かもしれません)BS-2チャンネルでは、歌合戦終了後に1999年(1900年代)から2000年に移るカウントダウンイベントが放送された。
2000年を迎えた後、出場歌手から何組かがメッセージを言う進行になっており、その歌手は北島三郎から始まり次の歌手を指名する形だった。
誰を指名するかはあらかじめ決まっていたが、吉幾三がメッセージを言う予定になかったKiroroへつないでしまったらしい。
でも、そのあとは天童よしみ、三波春夫とつながれてメッセージはおしまいだったので、すぐに元に戻ったのかな。