歌合戦:出場歌手 桜田淳子


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桜田淳子:昭和49年〜57年

 昭和48年デビュー。 新人賞を総なめにするが、歌合戦出場はならず。 逆に、新人賞レースでは桜田淳子の前に涙を飲むことが多かったアグネス・チャンは初出場。
 なぜか? 理由は単純明快でレコードが売れていたのはアグネス・チャンの方だったから。 たどたどしい日本語で愛嬌を振りまくアグネス・チャンはすぐにものまねされるほどの人気者になり世間への浸透も早かったが、鼻にかかった、芝居がかった桜田淳子がものまねされるにはもう少し時間がかかった。 のかな? 当時の記憶がないのであくまでも憶測。

 昭和49年、前年に初出場を果たした森昌子に続き、山口百恵と共に初出場。 「花の高一トリオ」揃い踏み。

 花の高一トリオの中では群を抜く完成された美しさ。 山口百恵はデビュー当時は男の子のようで色気を感じさせない風貌であったが、三浦友和との愛を育むことで後を追うように美しさを磨いていった。 美しさとは無縁かと思われた森昌子も、田舎臭さを残しつつも最大の弱点であった堅い髪質を克服。 化粧をして髪を伸ばすと「あらこんなにきれいだったのね」状態。
 しかし、桜田淳子は高校一年の時、すでに十分美しかった。

 そして美しさとは対照的に高一トリオの中では群を抜く歌の不安定さ。 フラット気味な音程に加え、聴きすぎて伸びたテープを安物のデッキで再生しているように音が揺れる。

 それでも人気は絶大で初出場の昭和49年に歌った「黄色いリボン」以降、「はじめての出来事」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」と昭和53年まではヒット曲のオンパレード。
 昭和49年はバックを花の高一トリオの森昌子山口百恵がサポート。 50年は意外にも唯一のオリコン1位獲得曲。 51年は歌合戦中盤戦のトップを飾り、バックコーラスをはじめ紅組歌手の大半がバックに登場するような大応援ぶり。 52年はトップバッターでパンチラものの超ミニスカート。 そして53年にはぐっと大人っぽく中島みゆきの曲を披露。
 思わず歌合戦出場シーンを集めたDVDを作りたくなってしまう。

 昭和54年の「サンタモニカの風」も10万枚を突破しておりぎりぎりヒット曲と考えてもよいか。 55年以降はミュージカル「アニーよ銃を取れ」など舞台での活躍を増やすもののヒット曲はなし。 そんな55年の「美しい夏」は彼女としては珍しくツンとした雰囲気で歌っており、あまり歌に不安定感はなかった気がする。 例年に比べれば。

 翌昭和56年、歌ったのはヒットチャートに入らなかった「This is a "Boogie"」。 俳優・女優対決なのか、対戦相手は歌合戦には珍しいヒットメドレーで攻めてきた加山雄三
この頃から、歌は事務所の後輩・松田聖子に任せて、自分は芝居に専念したいと言っていたらしい。

 最後の出場となった昭和57年、持ち歌ではなくこの年歌合戦に出場しなかった薬師丸ひろ子の大ヒット曲「セーラー服と機関銃」を歌唱。 若い頃から音程はフラット気味だったが、この年は歌と伴奏のキーが違うのではないかと疑うくらいフラットしまくり(大げさ)。 最後に歌った歌が他人の歌というのは、最後の出場で口パクだった中山美穂くらい残念。

 昭和58年、歌合戦出場が途切れたのを機会に女優業に専念すると発表。

 しかし、歌合戦との縁はまだ続く。 最後の出場から3年後の昭和60年、花の中三トリオ以来の仲である森昌子が紅組司会を務めたこの年、レギュラー出演していた朝の連続テレビ小説「澪つくし」が高視聴率をマークし、出演者として紅組応援に駆けつける。

 その後女優としての活躍が目立ち始めた矢先に芸能活動から遠ざかる形になってしまった。 女優としての復帰を望む声も多いが歌手としての声も聴いてみたい。

 個人的には昭和56年と57年の歌唱曲は地味だろうが暗かろうが「化粧」と「窓」の方がよかったと思う。 この2曲を歌合戦で歌っていれば、ちゃんとアイドル歌手から大人の歌手に変身していたことがお茶の間の皆様にもわかっていただけたのではないかと思う。

最終更新 2006年11月18日