歌合戦:記録


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出場に関するもの

最多出場
北島 三郎の48回。
 第14回から62回まで、第37回を除いて連続出場。
最多連続出場
 森 進一が第19回から62回まで、連続44回出場。
最年少出場
 第62回に出場予定の芦田愛菜鈴木福の7歳。
 歌合戦が午後9時スタートだった時代は、皆川 おさむ、フィンガー・ファイブ、斉藤 こずえなど、人気歌手であっても15歳未満の歌手は法律上出場できなかったので、参考記録という感じもする。
 午後9時以降のスタートだった時代に15歳で出場した歌手として、少なくとも 第13回の弘田 三枝子、 第24回の森 昌子、 第25回の山口 百恵、 第39回の光GENJI赤坂 晃佐藤 敦啓がいる。
最年長出場
 第40回の第1部(「昭和の紅白」)で「青い山脈」を歌った 藤山 一郎は当時78歳。 多分これが最年長記録。
紅白の舞台を最後に引退、解散
 第8回の小畑 実、 第35回の都 はるみ(後に復帰)、 第43回のTHE CHECKERS、 第48回のX-JAPAN(後に再結成)の4組。
第60回の絢香は無期限の活動休止(第62回に復帰)。
テレビデビューが紅白
 第46回に出場した岡本 真夜は、生で歌う姿がテレビで放送されたのは紅白が初めて。
デビューから引退までずっと出場
 既に引退し、現役復帰の予定もないのは、16回出場のザ・ピーナッツ
現在進行形では18回出場のTOKIOなどがいる。
 5回出場の絢香は、活動休止で一年飛ばしたものの平成23年現在とりあえず更新中。
現役でない人が出場
 第40回の「昭和の紅白」で当時歌手を引退していた都 はるみが出場。翌年現役復帰した。
(普通は(第42回の南 沙織や第52回の森 昌子)、引退した歌手でも舞台に立った時点で芸能活動なんですが、この人の場合出場が決まったときの記者会見で「復帰はありません」と言っていたので)
歌を歌わずに出場
 第41回のGクレフは動くクラシックグループ? 第42回のベンチャーズはエレキバンド。 第54回の女子十二楽坊は中国民族音楽。
最多返り咲き
 森山良子山本 譲二雪村いづみ加山雄三の5回返り咲きが最多。
 森山良子は第20回に初出場し、翌21回も出場。
結婚休業で第23回に1度目の返り咲き。
さらに25回に2度目の返り咲きで翌26回も出場。
第41回に世界的大歌手アンディ・ウィリアムスの対戦相手として3度目の返り咲き。
第48回に沖縄ブームに乗って昔から歌い続けてきた「さとうきび畑」が話題となり4度目の返り咲き。
第54回には前年からロングセールスを続ける「涙そうそう」の作者として5度目の返り咲き(56回まで連続出場)。

 山本譲二の初出場は第32回、以降第36回まで連続出場。
ちょっとわけありで第37回に出場辞退して、第38回に初めての返り咲き。
第45回に2度目の返り咲き。
第47回に憲三郎&ジョージ山本として出場し3度目の返り咲き。
第49回に山本 譲二に戻って4度目、第51回に5度目の返り咲き。

 雪村いづみの初出場は第5回。
1度目の返り咲きで第8回から10回まで出場。
渡米から帰ってきて第12回に2度目の返り咲き。
子育てが落ち着いた後3度目の返り咲きで第14回から16回まで出場。
世界歌謡祭の歌唱グランプリで第22回に4度目の返り咲き。
第40回の昭和の紅白に「ジャンケン三人娘」唯一の生き残りとして5度目の返り咲き。

10年ごとに返り咲いているような印象がある加山雄三の初出場は「君といつまでも」が大ヒットした第17回で、翌18回も出場。
 第27回に返り咲いて33回まで連続出場。
第37回から39回は白組司会を務めつつの出場。
 第48回はなんで返り咲いたんだろう。
 第50回から52回は第一部の終盤に登場。
 そして第61回に芸能生活50年で返り咲き。
最多飛び石出場 (未確認)
 武田 鉄矢が第25回、31回、40回、44回、48回と飛び石で計5回出場(第40回以外は海援隊として)。 これが最多記録か。
返り咲きするまでの最長年数
 織井 茂子は第11回から第40回の昭和の紅白で返り咲くまで29年。
 なつメロでなく、ヒットを出しての返り咲きは、寺尾 聰の26年(第32回に初出場し、第58回に返り咲き)。
1回に2度選ばれる
 第40回に沢田 研二が「昭和の紅白」にタイガースとして、「平成の紅白」に個人として出場している。
3年連続で異なる歌手名称で選出
 後藤 真希は第54回に初出場(過去にもモーニング娘。として出場)。 翌55回は後浦なつみとして選出(その後後藤 真希&松浦 亜弥に変更)。 さらに翌56回はDEF.DIVAとして出場。
4種類の歌手名称で選出
 前述の後藤 真希モーニング娘。として3回(第50〜52回)、ソロとして1回(第54回)、後浦なつみ(後に後藤 真希&松浦 亜弥に変更)として1回(第55回)、そしてDEF.DIVAとして1回(第56回)出場している。
紅組、白組として出場
 和田弘とマヒナスターズは、 第10回から18回は白組、第40回は松尾 和子と組んで紅組で出場。
 原 由子は、第30、33、34回はサザンオールスターズとして白組、第43回は個人で紅組から出場した。
 小室 哲哉は、第39回にTM NETWORK、第46回にH Jungle With tとして白組から、第47、49、50回にglobeとして紅組から出場。
 そして和田アキ子が紅組から第21回〜29回、37回〜55回、57回以降の合計33回出場し、第56回はm-flo loves AKIKO WADAとして白組から出場している。
 また、シルヴィアは、第31回から33回までロス・インディオス&シルヴィアとして紅組から出場し、第34回には正式な出場歌手ではないが、白組の菅原 洋一とデュエットしている。

歌に関するもの

最も多くの歌手に歌われた歌(「蛍の光」は除く)
 「津軽じょんがら節」
 三橋 美智也(第26回)、金沢 明子(第30回)、岸 千恵子(第39回)、香西 かおり(第53回)の4組。
さらには、第35回に細川 たかしも応援合戦の中で歌唱している。
 「花(すべての人の心に花を)」
 喜納 昌吉(第42回)、石嶺 聡子(第46回、タイトルは「花」)、由紀 さおり安田 祥子(第52回、タイトルは「花」)、夏川 りみ(第57回)の4組。
一歌手によって最も多く歌われた歌
 中村 美律子の「河内おとこ節」は第43、46、49、53、55、59、60、61回と8回歌唱している(いくらなんでも多すぎ…)。
一歌手が同一曲を連続して歌った最長年数
 第53回に初出場した夏川 りみはこの年から4年連続で「涙そうそう」を歌唱(第54回は森山 良子BEGINとの共演)。
 美川 憲一も、第57回から60回まで、「さそり座の女20XX(20XXは歌唱する年)」というタイトルで、1973年のヒット曲「さそり座の女」を歌っている。
最も歌唱時間の長かった歌
 第42回に出場した長渕 剛は、「ベルリンからのメッセージ」というテーマで3曲歌い、総時間は約15分半。これがブッちぎりで最長記録。
 1曲としては、第61回に初出場した植村 花菜が歌唱した「トイレの神様」が7分55秒(スポーツ紙の情報)。
最も歌唱時間の短かった歌
 昭和30年代は2コーラス歌っても1分40秒程度の曲があったので、最短記録は1分台の争いになると思われるが、第4回の大トリだった藤山一郎は放送時間の関係で1コーラスのみとなったらしい。 第4回当時の一歌手の平均歌唱時間は2コーラスで2分10秒程度なので、この時の歌唱曲「丘は花ざかり」が最短時間だと思うが、録音も映像も残っていないため真の最短記録は不明。
 時間的には一組分で複数組が登場し、それぞれの持ち歌を歌うケースもたまにある。 正式な記録として考えるなら、その中に記録があるかもしれない。
紅白組んで歌う
 第43回に堀内 孝雄ケイ・ウンスクが「都会の天使たち」をデュエットした。
 第54回には女子十二楽坊錦織 健が「自由そして荒城の月」(実体は、まず女子十二楽坊が単独で「自由」を演奏し、その後錦織健の「荒城の月」伴奏を担当)、夏川りみBEGIN森山良子が「涙そうそう」をコラボレーションと称して共演。

同じ歌対決

第6回「インディアン・ラブコール」(宝 とも子浜口 庫之助
第7回「セ・シ・ボン」(宝 とも子高 英男
第35回「浪花節だよ人生は」(水前寺 清子細川 たかし
(第25回のトリ島倉 千代子と大トリ森 進一はいずれも「襟裳岬」を歌唱したが、この2曲は同名異曲)

紅白オリジナルソング

第42回 「SMILE AGAIN」 さだ まさし
第43回 「Tears」 YOSHIKI (X JAPAN)
第44回 「山に抱かれて」 小椋 佳
第50回 「A Song for Children」 スティービー・ワンダー作(日本語詞さだ まさし
第60、61回 「歌の力」 久石 譲作曲
 小椋 佳は、第44回は歌手としてでなく、オリジナルソング作者として紅白に出演し、最初に一節歌った(歌手としては翌45回に出場、58回にも特別出演)。


トップバッター、トリに関するもの

最多トップバッター
 荒井 恵子が第6、7、9から11回の計5回トップバッターを勤めている。
連続トップバッター
 2回連続でトップバッターをつとめたのは、林 伊佐緒(第3、4回)、前述の荒井 恵子(第6、7回)、SPEED(第48、49回)、DA PUMP(第49、50回)、w−inds.(第53、54回)、EXILE(第60、61回)。。
 3回連続は荒井 恵子(第9から11回)と浜崎 あゆみ(第59〜61回)。
 そして、郷 ひろみが第28から31回まで、4回連続で白組トップバッターをつとめている。
最多トリ
 美空 ひばり(第8回から10回の3年連続と、14回から23回の10年連続)と、五木 ひろし(第26〜28、30、31、38、45、48、49、51、53、55、58回)の13回が最高。
最多連続トリ
 前述の美空 ひばりによる第14回から23回の10年連続が最高。
最多トリ対決
 美空 ひばり三波 春夫が第14、15、17、18回の4回対決していて、これが最多記録。
最も多くの相手とトリを務めた歌手
 北島 三郎は12回トリを務め、9組の紅組歌手と対決。 対戦相手は美空 ひばり島倉 千代子森 昌子小林 幸子石川 さゆり(2回)、由紀 さおり坂本 冬美和田 アキ子(2回)、川中美幸DREAMS COME TRUE
3回トリを務め、対決した相手が一人
 八代 亜紀は第28、30、31回とトリを務め、対戦相手は全て五木 ひろし
最年少トリ
 第29回に紅組トリをつとめた山口 百恵は当時19歳。
 ぶっちぎりの最年少記録かと思いきや、第8回の美空 ひばりや第48回の安室 奈美恵は20歳でトリをつとめている。 (20代でトリを取った方々
最年長トリ
 第60回白組トリを務めた北島 三郎は当時73歳!
初出場でトリ
 第1回トリの渡辺 はま子藤山 一郎を除けば、第4回の淡谷 のり子ただ一人。
返り咲きでトリ
第 5回 霧島 昇
第 7回 笠置 シヅ子灰田 勝彦
第 8回 美空 ひばり
第43回 由紀 さおり
第56回 SMAP
第60回 DREAMS COME TRUE
 初期に多いのは、当時は歌合戦連続出場にそれほど命を懸けなかった時代だったからか。 第56回のSMAPは、歌手活動自体にそれほど力を注がなくなった頃。 第60回のDREAMS COME TRUEは前年デビュー20周年のための制作活動のため、出場を辞退。
トップバッターとトリを務めた歌手
歌手トップバッタートリ
北島 三郎 第15回 第23、24、32、39、40、43、44、47、50、52、57、60回
森 進一 第23、38回 第20〜22、25、33、35〜37、41回
山口 百恵 第25、27回 第29回
水前寺 清子 第18、21回 第34回
都 はるみ 第19回 第27、33、35、41、45回
細川 たかし 第26、56回 第34、46回
八代 亜紀 第38回 第28、30、31回
SMAP 第43回 第54、56、61回
川中 美幸 第56回 第57回
DREAMS COME TRUE 第41回 第60、61回
 森 進一八代 亜紀細川 たかしは、トリを務めた後にトップバッターを務めている。
 森 進一の場合、トップバッターの2回はいずれもその前の年まで3年連続でトリを務めている。
 そして川中 美幸はトップバッターを務めた翌年にトリを務めている。

司会に関するもの

最年少司会
 第47回紅組司会の松 たか子は当時19歳。
初出場で歌手と司会
 第37回に1回だけ出場した斎藤 由貴は同年紅組司会も務めた。
 当時、初出場の歌手は他の歌手のバックで踊ることが多く、それがいやだったので司会を引き受けた、という話もある。
最多司会
 当時NHKアナウンサーの宮田 輝は第3、6、7、13から24回の計15回司会を務めた。 ちなみに、6回と7回は紅組の司会、19回と20回は総合司会。
最多歌手兼司会
 紅組は歌手として第18回から30回まで13回連続出場した佐良 直美が、第23回と25から28回の5回司会も務めた。
 白組はSMAPとして何度も出場を重ねる中居 正広が第48、49、57〜60回の6回司会を務める
 (歌手と司会をこなした方々
グループで司会
 第61回白組司会のはグループとして司会を担当。
NHKアナウンサーでない総合司会
 第19回に初めて総合司会が登場して以来、ある一人を除いて総合司会は全てNHKアナウンサー。 その一人とは第34回のタモリ。
 第56回のみのもんたも振り返ってみれば総合司会に近い位置づけだったが、「司会グループ」というへんてこな呼び方だったり、白組よりの発言(台本のせりふ)が多かったので総合司会ではないと勝手に判断。