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北島三郎と五木ひろしの50回。最多連続出場
北島三郎は第14回から64回まで、第37回を除いて連続出場。 第64回の50回出場をもって歌合戦を卒業(第69回にも特別出演している)。 五木ひろしは第22回から71回まで連続出場。
前述の五木ひろしが第22回から71回まで、連続50回出場。最年少出場 第62回に出場した芦田愛菜、鈴木福の7歳。 日単位まで比べると、芦田愛菜が7歳と193日で鈴木福より6日年少らしい。
ただし、放送時間と法律の関係で、15歳未満の歌手が出場できなかった時期もある。 参考まで、午後9時以降のスタートだった時代に15歳で出場した歌手として、少なくとも第13回の弘田三枝子、第24回の森昌子、第25回の山口百恵、第39回の光GENJIの赤坂晃、佐藤敦啓がいる。最年長出場
第66回に出場した美輪明宏は80歳。 第73回に特別企画で出場した加山雄三は85歳(特別企画は発表時に「最高齢での出場」とあったが、後から公開された記述に「出場」と出てこない可能性があるので参考記録になるかも)紅白の舞台を最後に引退、解散
第8回の小畑実、 第35回の都はるみ(後に復帰し、第40~48回まで出場)、第43回のTHE CHECKERS、第48回のX JAPAN(後に再結成し、第66回から68回まで出場)の4組。テレビデビューが紅白
第46回に出場した岡本真夜は、生で歌う姿がテレビで放送されたのは歌合戦が初めて。 第69回の米津玄師も? 第71回のYOASOBIも?デビューから引退までずっと出場
既に引退し現役復帰もないのは、16回出場のザ・ピーナッツ。現役でない人が出場
第40回の「昭和の紅白」で当時歌手を引退していた都はるみが出場。翌年現役復帰した。歌合戦なのに歌を歌わずに出場
(普通は(第42回の南沙織や第52回の森昌子)、引退した歌手でも舞台に立った時点で芸能活動なんですが、この人の場合出場が決まったときの記者会見で「復帰はありません」と言っていたので)
第41回のGクレフは動くクラシックグループ? 第42回のベンチャーズはエレキバンド。 第54回の女子十二楽坊は中国民族音楽。最多返り咲き
森山良子、山本譲二、雪村いづみ、加山雄三が5回返り咲いている。最多飛び石出場 (未確認)
森山良子は第20回に初出場し、翌21回も出場。
結婚休業で第23回に1度目の返り咲き。
さらに25回に2度目の返り咲きで翌26回も出場。
第41回に世界的大歌手アンディ・ウィリアムスの対戦相手として3度目の返り咲き。
第48回に沖縄ブームに乗って昔から歌い続けてきた「さとうきび畑」が話題となり4度目の返り咲き。
第54回には前年からロングセールスを続ける「涙そうそう」の作者として5度目の返り咲き(56回まで連続出場)。
山本譲二の初出場は第32回、以降第36回まで連続出場。
ちょっとわけありで第37回に出場辞退して、第38回に初めての返り咲き。
第45回に2度目の返り咲き。
第47回に憲三郎&ジョージ山本として出場し3度目の返り咲き。
第49回に山本譲二に戻って4度目、第51回に5度目の返り咲き。
雪村いづみの初出場は第5回。
1度目の返り咲きで第8回から10回まで出場。
渡米から帰ってきて第12回に2度目の返り咲き。
子育てが落ち着いた後3度目の返り咲きで第14回から16回まで出場。
世界歌謡祭の歌唱グランプリで第22回に4度目の返り咲き。
第40回の昭和の紅白に「ジャンケン三人娘」唯一の生き残りとして5度目の返り咲き。
10年ごとに返り咲いていたような印象がある加山雄三の初出場は「君といつまでも」が大ヒットした第17回で、翌18回も出場。
第27回に返り咲いて33回まで連続出場。
第37回から39回は白組司会を務めつつの出場。
第48回はなんで返り咲いたんだろう。
第50回から52回は前半の終盤に登場。
そして第61回に芸能生活50年で返り咲き。 参考として第73回は特別企画で登場。
武田鉄矢が第25回、31回、40回、44回、48回と飛び石で計5回出場(第40回以外は海援隊として)。 これが最多記録か。返り咲きするまでの最長年数
THE ALFEEは第34回に初出場し第75回に返り咲くまで41年。1回に2度選ばれる
参考記録として、第26回から28回までキャンディーズの一員として出場した伊藤蘭は46年後の第74回にソロで初出場。
第40回に沢田研二が「昭和の紅白」にザ・タイガースとして、「平成の紅白」に個人として出場している。3回初出場
第69回にYOSHIKIが白組からYOSHIKI feat. HYDEとして、紅組からYOSHIKI feat. サラ・ブライトマンとして出場。
第73回に出場したAimer、milet、Vaundyはmilet×Aimer×幾田りら×Vaundyとして同時出場。
第60回以降のAKBグループは、いろいろと兼任などありなんだかもうやだ。
第74回のmilet×MAN WITH A MISSIONとMAN WITH A MISSION×miletは出場歌手発表時はそれぞれ紅組からmilet、白組からMAN WITH A MISSIONだったが、歌唱曲発表の際に紅組と白組から歌手表記が異なる形で出場となった。
木梨憲武は第42回にとんねるずとして、第47回に憲三郎&ジョージ山本として、そして第50回に野猿としてそれぞれ初出場。3年連続で異なる歌手名称で選出
YOSHIKIも第42回にXとして、そして先述の第69回にYOSHIKI feat. HYDEおよびYOSHIKI feat. サラ・ブライトマンとして初出場。
後藤真希は第54回に初出場(過去にもモーニング娘。として出場)。 翌55回は後浦なつみとして選出(その後、諸事情により当日は後藤真希&松浦亜弥として出場)。 さらに翌56回はDEF.DIVAとして出場。4種類の歌手名称で選出
YOSHIKIはX(X JAPAN)として第68回まで計8回出場。 翌69回はYOSHIKI feat. HYDEおよびYOSHIKI feat. サラ・ブライトマンとして出場。 さらに翌70回はYOSHIKI feat. KISS <YOSHIKISS>として紅組・白組に属さない特別企画で出場(発表当時は「初出場」とされていたが、現在は出場回数が消えている)。
前述のYOSHIKIはXとして2回(第42、43回)、X JAPANとして6回(第44、45、48、66~68回)、YOSHIKI feat. HYDEとして1回(第69回)、YOSHIKI feat. サラ・ブライトマンとして1回(同じく第69回)出場している。紅組、白組として出場
AAAは、第61回から63回、65、67回は白組から。 第64回と66回は紅組から出場。 SEKAI NO OWARIは第65~69回は白組から、第73回は紅組から出場。 そしてHYは第61回と63回は白組から、第75回は紅組から出場。 他の歌手と組むでもなく、ソロとして出場するでもなく、グループ編成が変わるでもなく白組と紅組の間を移動したのはこの3組。
和田弘とマヒナスターズは、第10回から18回は白組、第40回は松尾和子と組んで紅組で出場。
原由子は、第30、33、34回はサザンオールスターズとして白組、第43回はソロで紅組から出場した。
小室哲哉は、第39回にTM NETWORK、第46回にH Jungle With tとして白組から、第47、49、50回にglobeとして紅組から出場。
和田アキ子が紅組から第21回~29回、37回~55回、57~66回の合計38回出場し、第56回はm-flo loves AKIKO WADAとして白組から出場している(和田アキ子も、第55回はいつも通り紅組から出場して紅組優勝、第56回はm-floとのコラボで白組から出場して白組優勝と、組をまたいで連勝している)。
X JAPANのYOSHIKIはややこしくて、第69回に白組からYOSHIKI feat. HYDEとして、紅組からYOSHIKI feat. サラ・ブライトマンとして出場。
第70、73回に出場したKing Gnuの常田大希は第72回にmillennium parade × Belle(中村佳穂)として紅組から出場。
前述のVaundyは第73回に白組からソロとして、紅組からmilet×Aimer×幾田りら×Vaundyとして出場。
第74回にはmilet×MAN WITH A MISSIONとMAM WITH A MISSION×miletが歌手表記の並びが異なるものの同じ顔触れで紅組と白組から出場。
参考記録のようなものとしては、シルヴィアが、第31回から33回までロス・インディオス&シルヴィアとして紅組から出場し、第34回には正式な出場歌手ではないが、白組の菅原洋一とデュエットしている(シルヴィアも第33回は紅組、第34回はゲスト歌手ながら白組で連勝)。
「愛の讃歌」一歌手によって最も多く歌われた歌
越路吹雪(第20回)、菅原洋一(第33回)、美川憲一(第56回)、美輪明宏(第65回)、大竹しのぶ(第67回)の5組。
石川さゆりは「天城越え」を第37、48、50、53、56、59、61、63、65、67、69、71、73回の計13回、「津軽海峡・冬景色」も第28、33、44、51、58、60、62、64、66、68、70、72、74回の計13回歌唱している。 第58回以降は第74回まで「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」を交互に歌っていた。一歌手が同一曲を連続して歌った最長年数
第53回に初出場した夏川りみはこの年から4年連続で「涙そうそう」を歌唱(第54回は森山良子、BEGINとの共演)。最も歌唱時間の長かった歌
美川憲一も、第57回から60回まで、「さそり座の女20XX(20XXは歌唱する年)」というタイトルで、1973年のヒット曲「さそり座の女」を歌っている。
最近では、第63回に初出場したゴールデンボンバーが「女々しくて」を4年連続で歌唱した。 歌唱曲が1曲だけで、最も出場回数の多いグループかもしれない。
第42回に出場した長渕剛は、「ベルリンからのメッセージ」というテーマで3曲歌い、総時間は約15分半。これがブッちぎりで最長記録。最も歌唱時間の短かった歌
1曲としては、第61回に初出場した植村花菜が歌唱した「トイレの神様」が7分55秒(スポーツ紙の情報)。
昭和30年代は2コーラス歌っても1分40秒程度の曲があったので、最短記録は1分台の争いになると思われるが、第4回の大トリだった藤山一郎は放送時間の関係で1コーラスのみとなったらしい。 第4回当時の一歌手の平均歌唱時間は2コーラスで2分10秒程度なので、この時の歌唱曲「丘は花ざかり」が最短時間だと思うが、録音も映像も残っていないため真の最短記録は不明。紅白組んで歌う
音源を確認した中で、単独の出場で一番歌唱時間が短かったのは第11回の大津美子。 体調を考慮して1コーラスのみの歌唱となったため1分3秒ほど。
第43回に堀内孝雄とケー・ウンスクが「都会の天使たち」をデュエットした。
第54回には女子十二楽坊と錦織健が「自由そして荒城の月」(実体は、まず女子十二楽坊が単独で「自由」を演奏し、その後錦織健が「荒城の月」を歌い、女子十二楽坊は伴奏を担当)、夏川りみ、BEGIN、森山良子が「涙そうそう」をコラボレーションと称して共演。
第60回以降はちょこちょこと組んで歌うことがあり、第62回は芦田愛菜と鈴木福が「マル・マル・モリ・モリ!」を、夏川りみと秋川雅史が「あすという日が」を、第68回は椎名林檎とトータス松本が「目抜き通り」を歌った。
同じ歌対決
紅白オリジナルソング
小椋佳は、第44回は歌手としてでなく、オリジナルソング作者として歌合戦に出演し、最初に一節歌った(歌手としては翌45回に出場、第58回にも特別出演)。
郷ひろみが第28から31、66、70、72回と計7回トップバッターを務めている。最多連続トップバッター
浜崎あゆみ第59から64回まで、6回連続でトップバッターを務めている。最多トリ
美空ひばり(第8回から10回の3年連続と、14回から23回の10年連続)、五木ひろし(第26~28、30、31、38、45、48、49、51、53、55、58回)、北島三郎(第23、24、32、39、40、43、44、47、50、52、57、60、64回)の13回が最高。最多連続トリ
前述の美空ひばりによる第14回から23回の10年連続が最高。最多大トリ
美空ひばりは第8回から11回、14回、16回、18回から23回の計11回が大トリ。最多トリ対決
北島三郎も、第24回、32回、39回、43回、44回、47回、50回、52回、57回、60回、64回(紅組トリの髙橋真梨子の後のSMAPの後に歌唱)で11回のタイ記録と言われている。
美空ひばりと三波春夫が第14、15、17、18回、MISIAと福山雅治が第71~74回といずれも4回対決していて、これが最多記録。最も多くの相手とトリを務めた歌手
北島三郎は13回トリを務め、11組(ひょっとしたら10組かも)の紅組歌手と対決。 対戦相手は美空ひばり、島倉千代子、森昌子、小林幸子、石川さゆり(2回)、由紀さおり、坂本冬美、和田アキ子(2)、川中美幸、DREAMS COME TRUE、髙橋真梨子(ここが微妙)。 最後の出場となった第64回は紅組白組の枠を超えて最後に歌っており、NHKは「大トリ」扱いとしているが、紅組トリの髙橋真梨子次に白組トリ?のSMAPが登場しており、紅組の対戦相手はいない、という扱いかもしれない。4回トリを務め、対決した相手が一人
福山雅治は第71~74回にトリを務め、対戦相手はすべてMISIA。最年少トリ
第29回に紅組トリをつとめた山口百恵は当時19歳。最年長トリ
ぶっちぎりの最年少記録かと思いきや、第8回の美空ひばりや第48回の安室奈美恵は20歳でトリをつとめている。 (20代でトリを取った方々)
第64回の歌合戦卒業の際、紅組白組の枠を超えて最後に登場した(NHKの番組では「大トリ」と紹介されていた)北島三郎は当時77歳。初出場でトリ
第1回トリの渡辺はま子と藤山一郎を除けば、第4回の淡谷のり子ただ一人(過去に出版された紅白に関する資料ではそのように記されていたが、現存する音源や台本がないため、現在は第1回から4回は歌唱順ではなく五十音順で歌手名と曲目のみ記されている)。返り咲きでトリ
トップバッターとトリを務めた歌手初期に多いのは、当時は歌合戦連続出場にそれほど命を懸けなかった時代だったからか。 第56回のSMAPは、歌手活動自体にそれほど力を注がなくなった頃。 第60回のDREAMS COME TRUEは前年デビュー20周年の制作活動のため出場を辞退。 第64回の髙橋真梨子は、基本辞退組であるが、歌手生活40周年ということでトリとしての復帰を承諾した? 第66回の近藤真彦は・・・。
- 第 5回 霧島昇
- 第 7回 笠置シヅ子、灰田勝彦
- 第 8回 美空ひばり
- 第43回 由紀さおり
- 第56回 SMAP
- 第60回 DREAMS COME TRUE
- 第64回 髙橋真梨子
- 第66回 近藤真彦
歌手 | トップバッター | トリ |
---|---|---|
北島三郎 | 第15回 | 第23、24、32、39、40、43、44、47、50、52、57、60、64回 |
森進一 | 第23、38回 | 第20~22、25、33、35~37、41回 |
山口百恵 | 第25、27回 | 第29回 |
水前寺清子 | 第18、21回 | 第34回 |
都はるみ | 第19回 | 第27、33、35、41、45回 |
細川たかし | 第26、56回 | 第34、46回 |
近藤真彦 | 第31回 | 第66回 |
八代亜紀 | 第38回 | 第28、30、31回 |
SMAP | 第43回 | 第54、56、61、62、63回 |
川中美幸 | 第56回 | 第57回 |
DREAMS COME TRUE | 第41回 | 第60、61回 |
坂本冬美 | 第69回 | 第47回 |
天童よしみ | 第73回 | 第51、54、56回 |
森進一、八代亜紀、細川たかし、坂本冬美、天童よしみは、トリを務めた後にトップバッターを務めている。
森進一の場合、トップバッターの2回はいずれもその前の年まで3年連続でトリを務めている。
そして川中美幸はトップバッターを務めた翌年にトリを務めている。
第47回紅組司会の松たか子は当時19歳。初出場で歌手と司会
第37回に1回だけ出場した斉藤由貴は同年紅組司会も務めた。最多司会
当時、初出場の紅組歌手は他の歌手のバックで踊ることが多く、それがいやだったので司会を引き受けたという話もある。
元NHKアナウンサーの宮田輝は第3、6、7、13から24回の計15回司会を務めた。 ちなみに、6回と7回は紅組の司会、19回と20回は総合司会。最多歌手兼司会
紅組は歌手として第18回から30回まで13回連続出場した佐良直美が、第23回と25から28回の5回司会も務めた。グループで司会
白組はSMAPとして何度も出場を重ねた中居正広が第48、49、57~60回の6回司会を務めた。 このうち第59回は紅組司会。
グループとしての司会とソロとしての司会をまとめるなら、嵐として第61回から65回まで白組司会を務めた相葉雅紀が第67回、二宮和也が第68回、櫻井翔が第69回とそれぞれ計6回司会を務めている。
(歌手と司会をこなした方々)
嵐は第61回から5回連続で、グループとして白組司会を担当。NHKアナウンサーでない総合司会
総合司会は基本NHKアナウンサー。 例外は第34回のタモリ、第66回の黒柳徹子(有働由美子アナウンサーと2人で総合司会を担当)、そして第68~71回の内村光良(第70回以外は桑子真帆アナウンサーと、第70回は和久田麻由子アナウンサーと2人で総合司会を担当)。出場歌手と総合司会の両方を経験した人
第49回にブラックビスケッツ&ポケットビスケッツスペシャルバンドとして出場した内村光良は、第68~71回で総合司会を務めた。