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 メリーに首ったけ 

1998年作品。アメリカ映画。119分。 配給東宝。 監督ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー(Bobby Farrelly、Peter Farrelly)。脚本エド・デクター、ジョン・J・ストラウス、ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー。ストーリー=エド・デクター、ジョン・J・ストラウス。製作フランク・ベダー、マイケル・スタインバーグ、チャールズ・B・ウェスラー、ブラッドリー・トーマス。製作総指揮ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー。撮影マーク・アーウィン,A.S.C.,C.S.C.。編集クリストファー・グリーンバリー。共同製作マーク・S・フィッシャー。音楽スーパーバイザー=ハッピー・ウォルターズ、トム・ウルフ。音楽ジョナサン・リッチマン。メリー=キャメロン・ディアス(Cameron Diaz)、ヒーリー=マット・ディロン(Matt Dillon)、テッド=ベン・スティラー(Ben Stiller)、タッカー=リー・エバンス、ドム=クリス・エリオット、マグダ=リン・シェイ、サリー=ジェフリー・タンボール、メリーの母=マーキー・ポスト、メリーの義父=キース・デイビッド、ウォーレン=W・アール・ブラウン、ブレンダ=サラ・シルバーマン、ジョーニー=カンディ・アレクサンダー、リサ=マーニー・アレクセンバーグ、ボスの弟=ダン・マーフィー、クレボイ刑事=リチャード・M・タイソン、ジョナサン=ジョナサン・リッチマン

 映画を観てしまったからには、前髪を固めたキャメロン・ディアスの画像を飾るしかあるまい。過激で下品なギャグという点では「キカ」(ペドロ・アルモドバル監督)と肩を並べる水準。一見差別や虐待につながりかねないギャグを連発しながら、嫌味にならないバランス感覚と根底に優しさを持っているのがファレリー兄弟の強みだ。B級に徹することで一級のコメディに仕上がった。快作。

 メリー役のディアスは、いつもながらキュート。その魅力が、いかれたギャグの毒気を中和していることは否定できない。下ネタの危ないギャグをチャーミングに変えてしまう。マット・ディロンも調子のいい詐欺師ヒーリーを軽妙に演じていた。そして愛すべきテッド役のベン・スティラーが、ドジの限りを尽くして場を盛り上げる。不死身のギブス犬の活躍も忘れずに指摘しておこう。


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 のど自慢 

1998年作品。日本映画。110分。 配給東宝、シネカノン。プロデューサー=李鳳宇、石原仁美、根岸洋之。監督=井筒和幸。脚本=安倍照男、井筒和幸。撮影=浜田毅。 編集=冨田 功。照明=渡邊孝一。録音=井上宗一。美術=中澤克巳。音楽=藤野浩一。 赤城麗子=室井滋、荒木圭介=大友康平、須貝=尾藤イサオ、高橋里香=伊藤歩、荒木美代子=松田美由紀、近藤=竹中直人、耕太郎老人=北村和夫、圭介の義母=佐々木すみ江、住職=由利徹、タマちゃん=朝露鏡子、散髪屋の客=笹野高史、足立=光石研、ミーハー息子=近藤芳正、ディレクター=田口浩正、あずさ2号=徳井優、あずさ1号=木下ほうか、橋本=菅原大吉、ピーコちゃんの先輩=坂上香織、里香の母=りりィ、朋代=初瀬かおる、作曲家=古尾谷雅人、審査委員長=岸部一徳、麗子の父=小林稔侍、坂本冬美(特別出演)、大川栄策(特別出演)、金子辰雄(特別出演)

 映画が終って明るくなると、周りの人たちは皆笑顔。笑って泣いて、感激して。良い映画を観たと満足した顔。 私も同感だった。さまざまな境遇、さまざまな思いで「NHKのど自慢」を目指す人々。ラストの本番に向かって物語は次第に熱をおび、気持ちの良いハッピーエンド。「学校3」のような大人のユーモアと深刻さを抱えた深い余韻があるわけではないが、これほど爽やかな人間賛歌もまた貴重だ。

 室井滋演じる売れない演歌歌手が大ホールの舞台に立つために「のど自慢」に挑戦するというストーリーを中心にしながら、失敗を繰り返してもめげない40歳の男性、複雑な家族関係に悩む女子高生、失語症の孫を励まそうとしている老人、その他歌好きの人たちを巧みに配した群像劇。すべてがかみ合っている訳ではないが、脚本は工夫されている。 井筒和幸監督は、日本の大衆文化を描く切り口として「のど自慢」を取り上げたというが、カラオケとの関係をもう少し掘り下げると文化論的な厚みが出ただろう。しかし娯楽作品としては、これで十分だ。


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 宋家の三姉妹 

1997年作品。香港=日本合作映画。145分。 配給=東宝東和。監督メイベル・チャン(Mabel Cheung)。脚本アレックス・ロー。製作総指揮レイモンド・チョウ。製作ン・シーユエン。撮影アーサー・ウォン。衣装ワダ・エミ。音楽=喜多郎、ランディ・ミラー。 宋慶齢=マギー・チャン(Maggie Cheung)、宋靄齢=ミッシェル・ヨー(Michelle Yeoh)、 宋美齢=ヴィヴィアン・ウー(Vivian Wu)、孫文=ウィンストン・チャオ、蒋介石=ウー・シングォ、宋夫人=エイレン・チン、チャーリー宋=チャン・ウェン

 宋三姉妹は、アメリカに留学した後、長女は財閥の御曹子と、次女は孫文と、三女は蒋介石と結婚した。政治に翻弄されながらも、姉妹の絆を保ち、協力し合って中国の歴史に影響を与えた。なんとドラマチックでスケールの大きな三姉妹のドラマだろう。政治に深く関わっているために映画化は難しかったはず。香港返還の機会をとらえ、制約にもめげずに作品を完成させた努力を、まず評価したい。

 三姉妹の一人ひとりが、紋切り型に陥らずに生き生きとしている。それぞれに魅力的だ。父親のチャーリー宋も、印象に残る。メイベル・チャン監督は、戦争やイデオロギー問題に深入りせず、歴史の中で生きる人間を描くことに専念していた。大作だが、重さよりも優しさが映像を支配する。ワダ・エミの衣装、喜多郎の音楽が確実に物語を盛り上げていた。


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 In & Out 

1997年作品。アメリカ映画。90分。 配給ギャガ+東京テアトル。監督フランク・オズ(Frank Oz)。製作スコット・ルーディン。脚本ポール・ラドニック。撮影ロブ・ハーン。編集ダン・ハンリー、ジョン・ジンプソン。美術アン・ロス。音楽=マーク・シャイマン。 ハワード・ブラケット=ケビン・クライン(kevin Kline)、エミリー・モンゴメリー=ジョーン・キューザック、キャメロン・ドレーク=マット・ディロン(Matt Dillon)、ビニース・ブラケット=デビー・レイノルズ、ピーター・マロイ=トム・セレック、フランク・ブラケット=ウィルフォード・ブリムリー、トム・ハリウェル=ボブ・ニューハート

 故・淀川長治さんが推薦した最後の作品として有名。パロディ感覚に満ちたオスカーのシーンから物語が始まり、同性愛のカミングアウトと周囲の温かな支援というハッピーエンド。観終って、温かな気持ちになった。両親も教え子も、その親たちもあまりにもすんなりとゲイの先生を受け入れてしまうので、差別の深刻さ、カミングアウトの重さが分っていないという批判は当然あるだろう。しかし、小さな村での共感の広がりに、素直に感動した。

 公の場で、ゲイと名指しされたハワード・ブラケット役のケビン・クラインは、絶妙の演技。あたふたし、じたばたしながらも自分の性的指向を見つめ、ついに結婚式の場で同性愛者であることを明らかにする。あっと思わせながら、納得してしまう展開。クラインのうまさと脚本の良さが、爽やかな傑作を生み出した。笑いながら、心が豊かになる。


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 CUBE 

1997年作品。カナダ映画。91分。 配給クロックワークス+ポニーキャニオン。監督ヴィンチェンゾ・ナタリ(Vincenzo Natali)。脚本アンドレ・ビジェリック、ヴィンチェンゾ・ナタリ、グレイム・マンソン。撮影監督デレク・ロジャーズ。装飾ジャスナ・ステファノヴィック。美術ダイアナ・マグナス。編集ジョン・サンダース。音楽マーク・コーヴェン。警察官・クエンティン(モーリス・ディーン)、女性医師・ハロウェイ(ニッキー・ガーダグニ ー)、 脱獄のプロ・レン(ウェイン・ロブソン)、数学専攻の女子学生・レブン(ニコール・デボアー)、デザイナー ・ワース (ディビッド・ヒューレット)、精神障害者・カザン(アンドリュー・ミラー)

 ヴィンチェンゾ・ナタリは、カナダの監督。これまで「Exam」(82年)、「Mouth」(92年)、「Playground」(93年)、「Elevated」(96年)と短編を手掛け、高い評価を得てきた。「CUBE」は初長篇作品で、製作費は5千万円足らず。「ロスト・イン・スペース」の200分の1だ。監督は「6面体と半分の3面のセットに部屋から抜ける通路が一つずつあるだけ。壁は特殊ガラスにし、いろいろな色のジェルを流して変化をつけた」と、映像づくりの工夫を明らかにしている。低予算を意識させない端正で重厚な映像、緊密なストーリーは、見事というしかない。

 連続する正6面体に閉じ込められた6人が、部屋に仕掛けられた殺人トラップを見破りながら脱出を試みる。極限の緊張で人々は対立し憎しみ合う。数学的な法則が貫かれた部屋、無機的なワナ、そして人間たちの殺りく。スプラッター的な始まりで観るものをひきつけながら、シンメトリカルなデザインの中で繰り広げられるのは、赤裸々な人間の葛藤だ。それが古典的な味わいを醸し出す。SFからミステリー、ホラーまで、密室に多様なジャンルを詰め込んだ傑作。カフカ的な寓意性も持たず、悪が亡び無垢な者が生き延びるゲーム感覚のラストを用意したナタリ監督は、デビッド・クローネンバーグとは異なる感覚のカナダ新世代といえるだろう。


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 SMALL SOLDIERS 

1998年作品。アメリカ映画。110分。 配給=UIP。監督ジョー・ダンテ(Joe Dante)。制作コリン・ウィルソン、マイケル・フィンネル。製作総指揮ウォルター・パークス。撮影 ジェイミー・アンダーソン。脚本ギャビン・スコット、アダム・リフキン、テッド・エリオット、テリー・ロッシオ。編集マーシャル・ハーヴェイ。音楽=ジェリー・ゴールドスミス。クリスティ・フィンプル=キルスティン・ダンスト(Kirsten Dunst)、アラン・アバナシー=グレゴリー・スミス、ラリー・ベンソン=ジェイ・モア、フィル・フィンプル=フィル・ハートマン、スチュアート・アバナシー=ケビン・ダン、アーウィン・ウェイフェア=デビッド・クロス、アイリーン・アバナシー=アン・マグナソン、ギル・マース=デニス・リアリー、ジョー=ディック・ミラー

 「ドラえもん」の世界に近いものを想像していたが、「トイ・ストーリー」よりも毒があった。善が生き残るというラストは子供向けの配慮だが、それまでの徹底した破壊や改造されたバービー人形たちのエロティシズムは、子供の世界を逸脱して大人が遊んでいる。精悍なコマンド・エリートが無慈悲な戦闘集団で、怪物的なゴーゴナイトが自由と平和を愛しているというジョー・ダンテ監督らしい皮肉な設定も効いている。

 「インタビュー・ウイズ・バンパイア」で12歳にして少女と女性の感情の振幅を演じ切った早熟なキルスティン・ダンストが、成長して普通の美少女を好演しているのを見るのは複雑な思い。子役の時のオーラが消えているが、今後どのように変化していくのか、注目したい。ダンテ監督は「おもちゃを人間のように見せ、人間をおもちゃのように見せる」と言っていたが、そこまでの逆転はなかった。またその必要もないだろう。人形と人間の逆転はクエイ兄弟に任せておけばいい。


「ビッグ・リボウスキ」の画像です

 The BIG Lebowski 

1998年作品。アメリカ映画。117分。 配給=アスミック。監督・脚本=ジョエル・コーエン(Joel Coen)。製作・脚本=イーサン・コーエン(Ethan Coen)。撮影=ロジャー・ディーキンズ。音楽=カーター・パウエル。編集=ロデリック・ジェインズ(コーエン兄弟の別名)、トリシア・クーク(イーサン・コーエンの夫人)。ザ・デュード(ジェフ・リボウスキ)=ジェフ・ブリッジズ、ウォルター・ソブチャク=ジョン・グッドマン、モード・リボウスキ=ジュリアン・ムーア(Julianne Moore)、ドニー=スティーヴ・ブシェーミ、ニヒリスト=ピーター・ストーメア、ザ・ビッグ・リボウスキ=デイヴィッド・ハドルストン、ブラント=フィリップ・シーモア・ホフマン、ザ・ストレンジャー=サム・エリオット、バニー・リボウスキ=タラ・リード(Tara Reid)、ジーザス・クィンタナ=ジョン・タートゥーロ、ノックス・ハリントン=デイヴィッド・シュウリス

 前作の「ファーゴ」は、コーエン・マジックに酔いきれなかったが、「ビッグ・リボウスキ」は大胆にして繊細な「ほら話」に仕上がり、おおいに楽しむことができた。登場人物の個性が絡み合い、絶妙などたばた喜劇に発展していく。中でも、デュードとウォルターの掛け合い漫才は、あまりにも見事だ。コーエン兄弟としては珍しく本格的なCGも使っているが、そのキッチュぶりも決まっている。

 ボウリング仲間ドニーが死に、コーヒーの缶に入れた遺灰を海にまこうとするシーンがとりわけ秀抜だ。ウォルターは大演説の後に灰をまくが、風が吹いて後にいたデュードの顔が真っ白になる。このブラックなユーモア。同じようなシーンを感傷的に撮った「ジャンク・フード」とは対照的だ。最後にボウリング場にいたカウボーイがカメラに向かって話す。「人間のコメディは、そうやって未来永劫続いていく。世代から世代へ。楽しんでくれたかい」。なんと上品な悪意だろう。


「ロスト・イン・スペース」の画像です

 LOST IN SPACE 

1998年作品。アメリカ映画。131分。 配給=日本ヘラルド映画。監督・製作スティーブン・ホプキンス(Stephen Hopkins)。脚本・製作アキバ・ゴールトマン。撮影監督ピーター・レヴィ。編集レイ・ラブジョイ。プロダクション・デザイン=ノーマン・ガーウッド。音楽ブルース・ブロートン。宇宙服デザイン=ヴィン・バーナム。特撮監督ニック・アルダー。ジョン=ウィリアム・ハート(William Hurt)、モリーン=ミミ・ロジャース(Mimi Rogers)、ジュディ=ヘザー・グラハム(Heather Graham)、ペニー=レイシー・シャベール、ウィル=ジャック・ジョンソン。ダン・ウエスト少佐=マット・ルブランク、ドクター・スミス=ゲイリー・オールドマン(Gary Oldman)

 「宇宙家族ロビンソン」のリメイク。懐かしい。しかし、そのことを抜きにしても娯楽映画として十分に楽しめる水準にある。まず宇宙服、宇宙船の細部のデザインがいい。機能性に加え気品か感じられるセンスだ。日常の小道具を巧みに使いながら、2058年らしい雰囲気をただよわせていく。そして、性格俳優をそろえて家族の亀裂と再生を描きつつ、SF的な事件やアクションも切れ目なく盛り込んでいる。つまり人間と機械の双方に説得力がある。これはなかなか困難な仕事だ。

 おびただしいCGもこれ見よがしではなく、自然に組み込まれている。本当に「見たこともない」シーンがふんだんに登場した。ただ、まだ「石油」に頼っているような時代設定には古さを感じた。また、素晴らしいデザインの中で珍妙なサル「ブラープ」のCGだけは、全体とマッチしていなかった。過酷な状況での安らぎのために必要だったのだろうが、ハイクオリティな映像にうまく調和しているとは思えなかった。


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