カチンコのアニメkinematopiaの3Dロゴですカメラマンのアニメ

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 「今村昌平監督の前作『うなぎ』は、多くの評論家が酷評するほど出来が悪いとは思わないが、新作『カンゾー先生』は往年の今村ティストに満ちた堂々の『重喜劇」だ。町医者、漁師の娘、住職、オランダ人捕虜などなど、人物配置のバランスがいい。登場人物それぞれの個性が、実に分かりやすく整理されている。そして、次第に重くなるテーマを山下洋輔のジャズが包んで軽みを保つ。だから腹にもたれない」「やはり『うなぎ』より『レバー」かな」「万波ソノ子役の麻生久美子は、はつらつとして太々しく、この作品を晴々とさせている。文字通り期待の新人といえるだろう」「カンゾー先生役の柄本明も、いかがわしさと一途さを兼ね備えたキャラクターを演じ、飄々とした中に狂気を忍び込ませることに成功している」「肝臓に込められた情念は、ラストで広島の原子爆弾にまでたどり着くが、戦争批判の言葉よりも、原子雲を『肥大する肝臓』と受け止めた方が、隠喩としてのインパクトがあったのではないか」

 「『河』(ツァイ・ミンリャン監督)は、台北の寒々とした都市空間を背景に、親子3人のかい離と孤独を淡々と描いている。極めて地域的で日常的なドラマが、やがて現代の悲しみ、苦しみを象徴し始める。汚れきった河、大量の雨漏りといった水の多彩な表情とともに、くすんだ映像は人間の深部を照らし出す」「その手法はベルイマンら北欧の映画を思わせるほどだ。ツァイ・ミンリャンは、監督個人の体験を折り込みながら世界に通じる作品を生んだ」

 「息子と父親のセクシャリティは揺れている。息子は前半で女友だちとセックスながら、後半ではゲイ・サウナにやってくる。父親はまがりなりにも夫婦関係を維持しながらゲイ・サウナで孤独を癒している。心が離れていた息子と父親がゲイ・サウナで親子とは知らずに暗闇の中で抱き合うシーンは、グロテスクというよりは孤独な魂が互いを慈しみあう深い美しさに満ちていた」「父親が流す涙にしみ込んださまざまな感情。固有のセクシャリティと身体を持つ個に戻らなければ、現代の家族は出会うことができないというメッセージに、全身が揺さぶられた」

 「『スウィート・ヒアアフター』 は、エロティシズムとともに深い悲しみと戸惑いに染まっていた『エキゾチカ』に続くアトム・エゴヤン監督の新作。前作のような派手さはないが、より深く刺さってくる。1997年カンヌ映画祭グランプリ受賞。楽しい作品ではなく、救いがあるわけでもない。しかし観終ってから、長い時間あれこれと考えさせる力を持った佳品だ」「スクールバスが凍り付いた川に沈み子供たち21人が死亡するという痛ましい事故の後、薬物中毒の娘を持つ弁護士が被害者の親たちに会い訴訟を起こすように勧めるところから物語は始まる。しかし訴訟の動きは、生き残った少女の嘘の証言によって止められる」「それは父親と近親相姦関係にある少女の屈折した思いによる行動だったが、結局は金銭関係が問題なる訴訟に対する住民の違和感も代弁している」「ハリウッド映画なら真相を解明する正義の見方になるだろう弁護士を、家族関係で悩みつつ被害者を利用しようとする屈折した人物として描いたところに監督の時代批評を感じるね」

 エロティックなB級SFの続編。芸がなさ過ぎた前作『スピーシーズ』(ロジャー・ドナルドソン監督)に比べて、『スピーシーズ2』(ピーター・メダック監督)はグロテスクさが加わり、かなり楽しめた。まずスピーシーズ自体のデザインと映像処理が格段に良くなった。スピーシーズの絡みもなかなかに見せてくれる」「安易な導入部や『なんで生まれてきた子供が服着ているの?』などという不自然な細部にはこだわらず、あふれる血の海で遊ぶといい」「今回のナターシャ・ヘンストリッジは、人間化されたスピーシーズ・イヴ役。いわば今流行りのハイブリッドだ。前作ではほとんど感情がないシル役で無慈悲に殺されてしまったが、クローンとして再生したイヴは感情があり人間的な振る舞いをみせる。その分彼女の魅力も倍加している」「『エイリアン』のシガーニー・ウィーバーのように、『3』『4』と出続けることになるのだろうか」「まさか」

 「『アベンジャーズ』(ジェレマイア・チェチック監督)は、予告編の期待を見事に打ち砕いてくれた凡作。60年代のアイデアをそのまま映画化しても、薄っぺらになるだけだ」「カイル・クーパーのタイトルは、洗練されていてスピード感があって、かなりの出来映えだと思う。収穫はこちらの方かな」

 「『モンタナの風に吹かれて』(ロバート・レッドフォード監督)は、懐かしい雰囲気。モンタナのゆっくりとした時間の流れを表現するために、167分の長さが必要であったのは分かる」「事故に遭い右足を失った少女も怪我をした馬も回復し、母親(クリスティ・スコット・トーマス)は馬の心を理解するカウボーイ(ロバート・レッドフォード)と恋におちるが、最後は元の生活に戻ることを選ぶ」「確かにモンタナの自然は美しいが、人々まで美化しなくても良いだろう。綺麗事ばかりでは、厚味がない。その点が残念だった」

 「『サムライ・フィクション』(中野裕之監督)は、ロックンロールのスピリッツに満ちた時代劇。中野裕之監督はミュージック・ビデオクリップを数多く手掛けてきただけに、ショットはどれも見事で新しい」「しかし、作品全体としての編集が心地良いか言えば、少し疑問が残る。111分という時間がややかったるい」「もっと圧縮した方が緊張した映画になったのではないか。命の大切さをうたい上げた、最後の説教は、大いにしらけた」「ダサいぜ」

 「激しいノリの音楽と鋭い切れのアングルで期待させる『リプレイスメント・キラー』(アントワ・フークア監督)は、それだけで終った。善悪があまりにも固定されていて変化がない」「チョウ・ユンファとミラ・ソルヴィーノの共演という目新しさしかなかったね」

 「『ねじ式』(石井輝男監督)は、つげ義春の『別離』『もっきり屋の少女』『やなぎや主人』『ねじ式』の4話で構成。つながりが自然で巧み。しかし冒頭からアスベスト館の禍々しい暗黒舞踏を見せつけられ、既成観念が粉々になった」「そう、この作品はつげ義春の世界を換骨奪胎し、完全に石井輝男監督の世界に作り替えている。前作『ゲンセンカン主人』にあった迷いが消えていた」「大胆不敵なまでの思いきりの良さだね。しかも、つげ義春への敬愛の思いが遍在している。オマージュと呼ぶにふさわしいのだろう」「国子(藤谷美紀)、看護婦(藤森夕子)、もっきり屋の少女(つぐみ)、やなぎ屋の娘(藤田むつみ)、ヌードの女(青葉みか)、女医(水木薫)。女性たちがいい。それぞれ魅力的で華やかさを持っている」「ツベ役の浅野忠信は、青春の鬱屈を演じながら持ち前の透明感を失わず、ねちっこいエロスが充満する石井ワールドの中で不思議なバランスを保っていた」

 「『愛を乞うひと』(平山秀幸監督)は、幼児虐待という重苦しいテーマを取りあげながら、アジアの方に突き抜けることで、後味の良い作品にまとめあげている。一人二役の原田美枝子の張りのある演技は賞賛に値する。感情の起伏がすさまじい豊子にリアリティを与えることができるのは、彼女くらいかもしれない。そして豊子と照恵が出会うシーンでの沈黙が胸にこたえた」「山岡深草役の野波麻帆が終始はつらつとした演技で、沈みがちなストーリーを救っていた。芯の強さと可愛らしさが共存し、今後が楽しみな女優だ。照恵役の子役もみな熱演していた。とりわけ、幼年期・照恵役の小井沼愛のやつれた表情が忘れられない」

 「マルレーン・ゴリス監督は、女性の生き方を真摯に模索する。『アントニア』が大地に根ざして奔放に生きる女性を寓話的に描いたのに対し、新作『ダロウェイ夫人』は、若い時に社会変革の理想に燃えながら代議士の妻として初老を迎えた女性の静かな葛藤を描いている」「時代の雰囲気を醸し出す丁寧な美術は見事だ。会話も実に含蓄がある」「一見華麗に見えるが、物語の背景にあるのは第一次世界大戦の悲惨さだ。冒頭の戦場の場面から、ダロウェイ夫人の『いたずらな神々の鼻をぐじいてやろう。事あるごとに人間を苦しめ、足を引っ張ろうとする神々』という独白につながり、その後はセプティマス・ウォレン・スミスの苦悩につながっていく。そこが見えないと最後の独白の切実さが伝わらないだろう」

 「『ヴィゴ』(ジュリアン・テンプル監督)は、4本の映画を残し29才でこの世を去った映像の魔術師ジャン・ヴィゴの自伝的な作品。『アタラント号』を観たことがある人なら、彼の映像がいかにすばらしいものか、よく分かってもらえるだろう」「彼はアナーキストの父親アルメレイダの子として生まれてつらい少年時代を過ごし、映画を製作しても父の名前が災いして上映許可が下りない。同じくアナーキストの両親を持った伊藤ルイさんの『ルイズ その旅立ち』を思い出した。物語は彼の苦悩とサナトリウムで出会った女性リデュとの愛の日々をつづっていく」「監督のジュリアン・テンプルは、ロック系のビデオクリップを撮ってきただけに構図と切り替えがシャープ。しかしストーリーは、べたべたして切れ味を欠いていた。リデュ役のロマーヌ・ポーランジェは相変わらずの派手な演技」「結核患者につきまとうイメージを打ち壊した事は評価するが、ヴィゴが死んだラストシーンであんな風に取り乱す演技は、かえって切ない悲しみを損ねてしまう」

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 「『ブギーナイツ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)は、アメリカ・ポルノ映画界の大スター・ジョン・ホームズをモデルに、70年代後半から80年代前半の業界の人々の姿を温かな視線でまとめた作品。ポルノ雑誌『ハスラー』を描いた『ラリー・フリント』のような猥雑感がなく、また当時の風俗を再現しているものの『オースティン・パワーズ』の脳天気なノリもない。お行儀が良すぎるほど、上品な仕上がりだ」「アンダーソン監督の才気は、人物描写に表れている。エディ・アダムスの家族、製作会社に集まる人々、一人ひとりが影を持ちながら息づいている。短いエピソードで人物像を浮き上がらせる手さばきは26歳の作品とは思えない。89年に26歳で『セックスと嘘とビデオテープ』を撮ったスティーブン・ソダーバーグ監督を思い出した」

 「『プライベート・ライアン』は、『戦争映画の歴史を変えた』と絶賛されているスティーブン・スピルバーグ監督の新作。冒頭のオハマビーチの戦闘シーンは、臨場感を高めるためのさまざまな工夫が生かされている」「しかし『兵士の視線で撮られている』という評価は的外れだ。兵士に俯瞰する余裕などない。随行したジャーナリストの視線に近いが、あのような目まぐるしい移動による観察は不可能だろう。いかにも戦場にいるかのような錯覚を覚えさせる映像テクニックのたまものなのだ。基本は『ジュラシック・パーク』と同じ。観客は安全な場所にいて、スリルを楽しんでいる」「『反戦映画』という位置付けにも疑問がある。戦争の悲惨さや理不尽さを描いただけで反戦映画たりうる時代は終った。この作品は、過酷な状況の中でのアメリカ兵士たちの尊厳を描くことで、戦争自体を舞台化している」「戦争を起こさないためには何が必要なのかという問いがない。観客に真剣な問いを突き付ける鋭さがない。むしろ『私は戦争の悲惨さを知った』という自己満足を与える危険がある」「捕虜になったドイツ兵を卑屈に描く姿勢も気に入らない。ドイツ兵の尊厳はどこにあるのか」

 「『マスク・オブ・ゾロ』(マーティン・キャンベル監督)は、なかなか良かった。。アントニオ・バンデラスの起用によって、90年代版の『ゾロ』が誕生した。コメディ・シーンを多めに加えた冒険活劇。さまざまな要素を盛り込んですっきりとまとめたマーティン・キャンベル監督の手腕が光る」「剣によるアクションのハラハラするような心地よさを、久しぶりにたっぷりと味わった。ゾロとエレナが剣を交える場面の古典的なセクシーさも微笑ましい。金採掘現場での大アクションシーンへと雪崩れ込んでいくテンポは悪くないが、結末はやや物足りない」「渋いアンソニー・ホプキンスと熱いアントニオ・バンデラスの共演という点はかりが強調されているが、エレナ役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズは、もっと取り上げられていいと思う。気品の高さ、意志の強さ、容姿の華やかさ、そして剣さばきのかっ達さ。二大スターに負けない存在感があった」「彼女を推薦したスティーブン・スピルバーグのけい眼を誉めなければならない」「スピルバーグには厳しい君が、珍しく評価したね」

 「つぎは、『ダイヤルM』(アンドリュー・デイビス監督)。こちらもヒッチコック監督『ダイヤルMを廻せ!』のリメイク。女性がめっぽう強いというのが90年代リメイクの特徴だろうか」「人間関係は現代的にアレンジしているものの、登場人物に奇妙なほど葛藤がない。そして、サスペンスとしてはストーリーのひねりが弱い。44年前と違った携帯電話の新しい機能を取り入れたと宣伝しているが、あっと驚く使い方をしているわけではない。その他の小道具にも切れがない」「マイケル・ダグラスの悪役は珍しいが、屈折した役柄が多かったので、意外性は乏しい。グウィネス・パルトロウは、このところ出演が続いている旬の女優だが、好き嫌いがはっきり別れるタイプだ」「僕はそれほど魅力を感じないな。今回のキャリアウーマン役には特に違和感がある。さりげない清さ、上品なシンプルさと果敢に男を殺す意志の強さがうまく噛み合わない。ヴィゴ・モーテンセンにとっては、間違いなくジャンプ台になっただろうが、絵の才能を持つ詐欺師の複雑な感情は伝わってこなかった」

『ムトゥ踊るマハラジャ』(K・S・ラヴィクマール監督)は、『娯楽映画の極限』『一本で一生面白い!』『人生感が変わる』と、マスコミでもホームページでも最大級の賛辞の嵐だったね。劇場は終日まで超満員が続いていた」「確かに観客を楽しませるために盛り込んだメニューはボリュームがあり、パワーは並外れている。ヒロインのランガナーヤキ役ミーナも可愛い。しかしながら、映画としてはそれほど優れた作品ではない。圧倒的なサービス精神は認めるものの、全体的には未熟さや手抜きが目立つ作品だ。演技もギャグのセンスもかなり寒い」「最近公開されたインド映画では『ボンベイ』の方がはるかに出来がいい。女優の演技力も一枚上。マスコミがなぜ『ムトゥ踊るマハラジャ』ばかり持ち上げるのか、不可解だ」「『ボンベイ』には、宗教対立という深刻なテーマがあり、映像も計算されていて『ムトゥ踊るマハラジャ』のようなオバカ度が低いからだろうか。インド娯楽映画の域を超える広がりがあるからかな」「確かに少し複雑だからね。でも笑っておしまいという娯楽映画に現実のシビアな問題を持ち込み、緊密な映像を構築していく新しい動きにこそ注目したいな」

 「10年前の88年に公開された『薔薇の天国』の強烈な映像が、未だに忘れられない。苦悶の上に咲いた耽美な華。身体に薔薇を継ぎ木するという幻想に満ちた美しい作品だった。ヴェルナー・シュレーター監督との出会いは、人生の幸運だろう。新作『愛の破片』は、愛と死という痛苦な問いが、オペラに癒されていく幸せな作品だ」「身体に折り畳んでいた感受性の翼が広がり、音を呼吸し始める。音楽は世界の外から響いているように感じる。次々と歌われる有名な曲、歌声に包まれながら音楽に見放されていなかった自分を発見する」「女優のイザベル・ユペールが、モーツアルトを歌い出す心地よい驚きも味わうことができた」「映画の構成は『リチャードを探して』(アル・パチーノ監督)に似ているように見えるが、監督の姿勢はまるで違う。アル・パチーノが愚直なまでにシェークスピアに迫ろうとしたのに対して、シュレーター監督は歌手の声にこだわり続けている」「映像は喜びと遊びに満ち、肩に力が入っていない。ただ、監督自らが『多くの友人をエイズで亡くした』とさりげなく語るシーンに、シュレーターの悲しみが込められていた。次作は、フルトベングラーのドキュメントらしい」

 「『ダークシティ』(アレックス・プロヤス監督)は、素敵な予告編だったので、新しい感性に出会えるかと期待して観た。映像はスタイリッシュで独特な重苦しい雰囲気も気に入ったが、ストーリーの基本や宇宙人の造形が90年代製作とは思えないほど古めかしい」「宇宙人が宇宙に都市をつくって人間たちの実験をする、夜の零時に人々を眠らせて意志の力で街を変える、記憶を注射器で脳に移す。50年代、60年代SFのアイデアだ。とりわけ、宇宙人がしろ塗り、はげ頭で黒い服を着ているのには驚いた。『マーズ・アタック!』のような意図的に安っぽさを狙ったとは思えない」「考えてみると、最近のSFは昔のアイデアを最新のSFXでビジュアル化するものが多い。かつての『ブレードランナー』のように新しいビジョンを見せてくれるものはほとんどない」「『ダークシティ』も過去から現在までのアイデアを寄せ集め、アレックス・プロヤス監督の力技でまとめあげたものだ」「物語の展開に説得力がなく、宇宙人の実験の意味もあやふやなままだが、明るい絶望に満ちたラストシーンだけは今風だ」

 「『犬、走る』(崔洋一監督)は、突き放した視線、誇張したキャラクターで、現代の断面をえぐった力に満ちた作品。しかし『マークスの山』ほどの緊張の持続はない」「やたら暴力的でありながら、空虚感が残る。そこに現在を表現したかったのかもしれないが、空回りにも見える」

 「『学校3』(山田洋次監督)は、不況の中で再就職を目指し職業訓練校に集まった中高年の心の触れ合いを描いたドラマ。しかし、この種のテーマにありがちな紋切り型の展開ではない。重くならず軽くならない脚本は見事だ。説教臭くなく、安易な答えも用意しない。物語を盛り上げておいて、観ている人、一人ひとりに後のストーリーを預ける手法は、『息子』の余韻を思い起こさせる」「『学校』シリーズは、ここに来て、教師と生徒ではなく、生徒同士の交流、しかも若者ではなく中年の交流を描き、『学校』の狭い枠を超えた。あるべき『学校』を描いたともいえる」「映画を観て泣くことは多いが、これほど何度も涙を拭いた作品は久しぶりだ。逆境の中で気丈に振る舞う小島紗和子のさりげない言葉が琴線に触れてくる」「大竹しのぶは、やはり抜群にうまい。トミー役の黒田勇樹には天性の役者的器用さを感じた。『ギルバート・グレイプ』の卓抜なディカプリオに迫る。脇役もベテラン揃いで味わいがある」「乳癌の手術に向かう紗和子の『なんちゃって』は、自分の弱さを知りつくした上でのおおらかさだ。ここに生存の美学が凝縮している。名作だ」「ただし、最後のとってつけたような雪のシーンはいただけない」「シリーズの象徴なのだろうけれど」

 「『鬼畜大宴会』(熊切和嘉監督)は、1974年生まれの熊切和嘉監督が大阪芸術大学の卒業制作として製作、97年の『ぴあフィルムフェスティバル』で準グランプリを受賞した作品。70年代の学生運動のリンチ殺人事件をテーマにしているということで注目されたが、舞台装置を外せば、典型的なスプラッター映画だ」「性と暴力、左翼と右翼の心情的な通底など、意味ありげな切り口を示しているものの、それが突き詰められている訳ではない。学生運動を徹底的に侮蔑し嘲笑しているように見えながら、いい加減さに満ちた熱い時代への監督の羨望も感じられる」「過激な暴力描写に批判の声があるものの、スプラッターとしてみれば目くじらを立てるほどのことはない。無邪気に楽しんでいるだけだ」「暴力が空回りする場面もある。才能はショッキングなシーンではなく、林の中の木漏れ日の美しさや追跡シーンのリズミカルな映像感覚にあるように思う。むき出しの残酷よりも、狂気をたたえたリリシズムに長けているのではないか」「未熟さは否定できないが、若き監督の多面的な才能の萌芽が詰まった作品であることは間違いないね」

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『ベルベット・ゴールドマイン』は、トッド・ヘインズ監督が、70年代のグラムロックに心からのオマージュを捧げた作品。映画としてのまとまりには難点もあるが、当時の奔放な熱気が伝わってくるサイケデリックな愛すべきフィルムだ。眠っていたグラムの魂が呼び覚まされたような得難い2時間だったね」「少し気の弱い青年役が続いていたユアン・マクレガーだが、『トレインスポッティング』以上に破壊的なロッカー像をたたきつけた。冷えた官能性をただよわせるジョナサン・リース・マイヤーズは、まさに逸材。2人の吹き替えなしの熱唱も見事だ」「リンゼイ・ケンプのパフォーマンスが、当時の雰囲気を蘇らせていた」

 「『ニルヴァーナ』(ガブリエレ・サルヴァトレス監督)は、遅れてきたサイバー・パンク映画といえばいいのかな。どうもすっきりしない」「ヒンズー教などヨーロッパとは異質な文化とコンピューターを結び付ける手法は、使い古された感がある。1982年製作の『トロン』(スティーブン・リズバーガー監督)なら許されたかもしれないが、電脳空間の描き方があまりにも古すぎる」「消えた恋人リザを探すゲーム・デザイナーというのも安易な設定。ゲームの世界と現実を対比するアイデンティティ論は、聞き飽きたテーマだ。自我に目覚めたゲームの主人公ソロの願いを聞き、会社のデータバンクに侵入してデータを消すというのも月並みな展開。ただ、自身の記憶を持たず、リザの記憶を再現するナイマの毅然とした姿は、ソロと自分を重ね合わせるデザイナーよりも輝いている」

 「デンマークの監督・オーレ・ボールネダルの『ナイトウォッチ』は、1994年に屍姦をテーマに発表しヒッチコックと比較されるほど高い評価を得た『モルグ』のハリウッド版リメイク。『モルグ』はデンマークの暗く重たい空気が全編に緊張を与えていたが、舞台をロスアンゼルスに移したので、文字通り空気が変わってしまった。いくら映像テクニックを労しても、恐怖が増幅されていかない」

 「カギとなるシーンが何故かカットされたので、物語が分かりにくくなった。また、ラストの結婚式の見事な処理が削除され、青春群像としての味わいも中途半端に終った。ユアン・マクレガーは相変わらずうまいが、恋人役にパトリシア・アークエットは無理がある。カイル・クーパーのタイトルも、イマイチ切れがない。才能がある監督だけに、なんとも惜しい」

 「『アウト・オブ・サイト』(スティーブン・ソダーバーグ監督)は、内省しない男たちを描いた新境地。最近人気のレナード作品をスコット・フランクが丁寧な脚本にまとめあげている。そして監督の機知に満ちた映像が艶と落ち着きのある雰囲気を醸し出す」「どんな時でも気品にあふれたそのカメラワークは、監督の個性だが、アクションシーンなどではときに物足りなくなる場合もある」「ジョージ・クルーニーとジェニファー・ロペスが、最近珍しい、しっとりとした大人の触れ合いを見せてくれた。トランクの中で二人が交わす会話が素晴らしい。さまざまな映画が登場するのも小粋だね」

 「話題の『トルーマンショー』(ピーター・ウィアー監督)に移ろう。トルーマン以外は、ドラマの出演者だというテレビ番組。5000の隠しカメラが30年間、トルーマンを撮し、放映し続けている。しかも人工の都市は天候さえも制御可能な巨大なドームだ」「これは、人権を無視した大掛かりな『どっきり・カメラ』だろう。1時間ならともかく、30年間も飽きないほど魅力的とは思えない。ラストシーンのように、トルーマンが仕掛けに気付き始め、脱出を試みるような波乱万丈の連続でなければ、とてももたないだろう」

 「全世界が注視する中でトルーマンはドームを出ていき、観客はほっとして別の番組を探す。これはテレビ批判、観客批判になり得ているのだろうか。あるいは管理社会を撃っているのだろうか。私はそうは思わない」「見ている者と見られている者の関係が逆転するインパクトがなければ、批判の力はない。せめて『トルーマンショー』を撮っていたスタッフの生活が暴かれたり、思わぬ人が新たなトルーマンになるようなラストシーンならば、余韻も残ったが」「現実と虚構という二分法で語れるほど、現実は単純ではない。私たちは意味という虚構なしには生きられない。むしろ虚と実の間で生きている」

 「そのへんは、さすがにウディ・アレンはわきまえている。現実と虚構の区別がつかなくなった孤独な作家の姿を描いた新作『地球は女で回ってる』は、ウディ・アレンによる見事な自己批評。過去の自作を換骨奪胎しつつ反復しながら、自らの女性スキャンダルとエゴイズムを暴き、笑いのめす」「そして、その悪戦苦闘こそが作品を生み出す原動力であることを静かに肯定している。相当にヘビーで下品なストーリーだが、軽快なジャズのスタンダードナンバーと自虐的なギャグにくるんで、コメディにまとめるうまさには舌を巻く」「ベルイマンへのオマージュも忍び込ませる遊びも憎いねえ」

 「最近は、多彩な俳優を自在にキャスティングする手腕も楽しい。ロビン・ウィリアムスがピンぼけ俳優役で登場。現実の人間がピンぼけ状態になるというアイデアは、初期のアレンを思わせる」「地獄をすこぶる楽しく、エロティックに描いてみせたアレンは、まだまだ枯れていない」

 「『踊る大捜査線』(本広克行監督)は、テレビとインターネットを使って映画をヒットさせる企画力が見事に成功した。90年代で最も観客を動員した実写の邦画になりそうだ。笑いとシリアスさのバランス感覚の良さ。日本の刑事ものにありがちな重たさがなく、エリートと現場の警官との対立という構図はアメリカの警察ものに近い。青島巡査部長役の織田裕二の魅力を生かしながら、サイコパス役で小泉今日子を登場させる仕掛けもうれしい」

 「『羊たちの沈黙』をまねた展開は面白いが、『羊たちの沈黙」』ではFBI訓練生の深層心理がレクター博士によって暴かれていくというスリルがあったが、『踊る大捜査線』は犯罪者と刑事が明確に区別され、関係が固定化している。人物造形はくっきりしているが、映画の展開に伴う劇的な人物像の変化はない。熱血漢・青島刑事の隠されたトラウマがドラマに絡んでくると、凄まじい傑作になったかもしれない」

 「『がんばっていきまっしょい』(磯村一路監督)は、70年代半ば、愛媛県松山を舞台に、高校の女子ボート部の大会に向けた奮闘を綴った青春映画。控えめに淡々と描いていながら、音楽と映像が共振し、少女たちのかけがえのない日々をとらえている。押し付けがましさが微塵もなく、全編が爽やかに輝いている。90年代に、これほど青春の眩しさを切り取った日本映画に出会えるとは」「まず、リーチェの音楽が抜群にいい。湖面をとらえるカメラの流れがうまい。けっしてうまくはないが、田中麗奈ら飾らない少女たちの身ぶりと表情が美しい。そして中嶋朋子は、さり気なさの中に俳優としての貫禄をみせた」

 「『フレンチ ドレッシング』(斎藤久志監督)は、微妙に揺れる男女3人の関係を描いた佳作。暴力的で過激に思える3人の関係だが、よけいな説明をしないことで、かえってリアルな質感が出た」「櫻田宗久は体当たりの演技。役者としての決意がみなぎる。『マイ・プライベート・アイダホ』の『ロビンソンの庭』に、感銘を受けて以来、山本政志監督の動向に注目してきた。『ジャンク・フード』は、80年代の凶暴性を取り戻した山本監督らしい作品だが、すっきりと評価できない気持ちが続いている」「麻薬中毒のOLのパートは暴力と叙情がかみあっている。しかし、後半はやや拡散的だ。インディーズのいかがわしさや多国籍的な視線はたしかに健在だが、ぎりぎりの所で現在のシステムに回収されているように感じる」「ラストで、クラブで出会った連中が連れ立って遺骨を海に流すシーンは、あまりにも感傷的すぎる。あんな形で淡い共同性を演出するのは疑問だ」「最初と最後に視覚障害を持つ実母を登場させながら、偽りの日常を演出した意図が理解できない。エディングの町田康の歌『どうにかなる』も好きになれないな」

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