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「ラヂオの時間」の画像です

 ラヂオの時間 

1997年作品。103分。日本映画。配給=東宝。監督・脚本=三谷幸喜。音楽=服部隆之。撮影監督=高間賢治。美術=小川富美夫。工藤学(ディレクター)=唐沢寿明、鈴木みやこ(作家)=鈴木京香、牛島龍彦(プロデューサー)=西村雅彦、広瀬満俊(灰崎役)=井上順、千本のっこ(リツ子役)=戸田恵子、大田黒春五郎(アシスタントディレクター)=梶原善、保坂卓(ナレーター役)=並樹史朗、永井スミ子(アシスタントプロデューサー)=奥貫薫、野田勉(丸山神父役)=小野武彦、伊織万作(警備員、元効果マン)=藤村俊二、堀ノ内修司(編成マン)=布施明、鈴木四郎(鈴木みやこの夫)=近藤芳正、バッキーさん(放送作家)=モロ師岡、辰巳真(ミキサー)=田口浩正、古川謙十郎(のっこのマネージャー)=梅野泰靖、浜村錠(虎蔵役)=細川俊之、大貫雷太(トラック野郎)=渡辺謙

 三谷幸喜の初めての映画作品。ラヂオドラマの生放送という熟成された人情喜劇を、無駄のないテンポで編み上げたハイレベルのコメディ。笑いすぎてアゴが痛い。1997年を代表する作品だ。それにしても岩井俊二監督といい、最近の若手監督は何故か懐かしいテーマを初作品に選ぶ。

 主要な登場人物は17人。さりげなく人生を匂わせながら一人ひとりに命を吹き込む術は並みの才能ではない。監督はアメリカ映画のような日本映画を目指したそうだが、唐沢寿明が演じるディレクターがいかにもアメリカ的な役回りだ。シニカルなポーズをとりながら、最後に熱血を見せるかっこよさ。しかし、一番かっこいいのは藤村俊二が深い味を出した元効果マンだ。後半は一大ヒーローとなって観客の喝采を浴びた。

 前半プロデューサーが話すテレビとは違うラジオドラマの可能性が、後半のドンチャン騒ぎにつながっていく見事な伏線の張り方。笑いのつぼを知りつくしたサービス満点の仕上がり。映画館で皆で笑うという楽しい時間を過ごせた。出演者のわがままで影も形もなく変えられたオリジナルシナリオの全文を、パンフレットに載せるというのも、なかなか遊び心に満ちた演出だ。


 BENT 

「ベント」の画像です
1997年作品。105分。イギリス映画。配給=日本ヘラルド映画。監督ショーン・マサイアス(Sean Mathias)。脚本マーティン・シャーマン。製作マイケル・ソリンジャー、ディキシー・リンダー。撮影監督ヨルゴス・アルバニティスAFC。編集イザベル・ロレント。音楽フィリップ・グラス。衣装デザイン=スチュワート・ミーチャム。ホイスト=ロテール・ブリュトー、マックス=クライブ・オーウェン、ルディ=ブライアン・ウェバー、グレタ(ジョージ)=ミック・ジャガー、フレディ叔父=サー・イアン・マッケラン、ウルフ=ニコライ・ワルドー

 ナチス・ドイツによる同性愛者虐殺を取り上げ、世界中で反響を巻き起こした戯曲の映画化。舞台と映画では登場人物との距離の取り方が違う。舞台監督に演出をゆだねたことを評価する声が目立つが、中途半端なスタイルになったように思う。出だしのゲイパーティの雰囲気は的確だったが、徐々にペースが乱れ、後半の演出は単色過ぎて男どおしの愛の深まりが十分に伝わっていない。

 そばにいながら互いの身体に触れることなく愛し合うというシーンは、舞台ならば観客を引き付けることが可能だろうが、映画では過酷な状況を丹念に積み重ねていかなければどうしてもわざとらしさが漂ってしまう。また周囲の人たちを丁寧に描かなくては、主人公たちの苦悩も深く響いてこない。エンドロールのミック・ジャガーの歌を聞きながら、癒しがたい物足りなさに耐えた。

 


「世界中がアイ・ラブ・ユー」の画像です

 Everyone Says 
 I Love You 
世界中がアイ・ラブ・ユー

1996年作品。102分。アメリカ映画。配給アスミック。監督・脚本ウディ・アレン。製作ロバート・グリーンハット。撮影カルロ・ディパロマ。編集スーザン・E・モース。衣装デザイン=ジェフリー・カーランド。音楽ディック・ハイマン。ボブ=アラン・アルダ、ジョー=ウディ・アレン、スカイラー=ドリュー・バリモア、スコット=ルーカス・ハース、ステフィ=ゴールディ・ホーン、レイン=ギャビィ・ホフマン、DJ=ナターシャ・リオン、ホールデン=エドワード・ノートン、ローラ=ナタリー・ポートマン、ヴォン=ジュリア・ロバーツ、チャールズ・フェリー=ティム・ロス

 いつもの皮肉っぽい会話はさわりだけ、ナツメロの洪水とパロディにつぐバロディ、そして愛の賛歌に終る102分。前作「誘惑のアフロディーテ」でギリシャ悲劇のコロスにジャズナンバーを歌わせたアレンは、懐かしのミュージカル映画を自在にアレンジし、未踏のミュージカル映画を作り上げた。

 ニューヨークの道行く人たちが歌う場面から、有名な宝石店ハリー・ウィンストンでの突然のダンスシーン、病院でのドタバタ・コメディ・ミュージカルにびっくりし、、幽霊達が「今を楽しもう」と踊りながら遺体安置所を出ていく展開で呆気にとられた。驚かされ続けたので、セーヌ川のほとりでジョーとステフィが踊り、ステフィの身体がゆっくりと宙に舞い上がったときは、その優しさにホッとした。素朴なCGの使い方がうれしかった。

 あまりにも多彩な家族とその周囲の人たちを描いているため、話しがとぎれたり拡散している部分もあるが、やりたいことを思う存分に実現し、とっておきのマルクス兄弟の落ちで締めくくったアレンの喜びが、すべてを補って余りある。こんなに幸せな映画には、最近なかなかお目にかかれない。


 CRUMB 

「クラム」の画像です
1994年作品。119分。アメリカ映画。配給ユーロスペース。監督テリー・ズウィゴフ(Terry Zwigoff)。撮影マリーズ・アルベルティ。録音スコット・ブラインデル。編集ヴィクター・リヴィングストン。音楽デヴィッド・ホーディングハウス。キャスト=ロバート・クラム、エイリーン・コミンスキー、チャールズ・クラム、マクソン・クラム、ダナ・クラム、ベアトリス・クラム、ソフィー・クラム、ジェス・クラム

 1960年代のアンダーグラウンド・カルチャーを築いたCOMIX作家ロバート・クラムのドキュメンタリー。普通ならヒッピー文化など当時の社会現象との関係、検閲との闘いを中心に構成しがちだが、クラムと25年間つきあってきた監督は、社会に適合できずにいる彼の家族に焦点を当てる。クラムの飄々とした表情の裏に隠された、アメリカ社会への激しい憎悪の原点が明らかにされていく。

 冒頭、クラムは「描かないでいると気が狂ってしまう。描くことは身体に染みついた習性、兄の影響なんだ」と語る。鬱病で家に閉じこもり、カントとヘーゲルしか読まない兄チャールズ。少年期の兄弟関係が、クラムの屈折を決定したことが兄との会話の中で見えてくる。彼が曲がりなりにも社会に出ていけたのは、憎悪を漫画として描きつづけることができたからだろう。最後にクラムは、兄から受けた世界から切り離されているという深い感情に触れ「僕はこの感情が好きだ」と話す。

 兄がこの映画の撮影後に自殺したというクレジットを見て、衝撃を受けた。心を閉ざしたまま死んでいったチャールズの痛みを思い、心が押つぶされそうになった。こんな感情は「ゆきゆきて、神軍」で奥崎謙三の奥さんの死を知らされた時以来だ。

 「黒人の心臓の缶詰」に代表される人種差別。「首のないDevil Girl」に代表される女性差別。クラムのあくの強いコミックは確かに差別的だ。免罪は出来ない。しかしそれは社会の差別を映し出す鏡といえるだろう。彼の作品はいつでも社会の本音を暴きだし笑いとばしてきた。その傍若無人さは通常の「風刺」よりも、厄介な毒だ。


 PEDALE 
 DOUCE 

「ぺダル・ドゥース」の画像です
1995年作品。98分。フランス映画。配給アルシネテラン。監督・脚本ガブリエル・アギヨン(Gabriel Aghion)。撮影ファビオ・コンヴェルシ。編集リュック・バルニエ。美術カルロス・コンティ。衣装クレマンティーヌ・ジャミ。アンドリアン=派トリック・ティムシット、エヴァ=ファニー・アルダン、アレクサンドル=リシャール・ベリ、マリー=ミシェール・ラロック、アンドレ=ジャック・ガンブラン

 芸達者が個性を競い、洒落た会話と皮肉な展開でゲイたちの二重生活を描いたコメディ。エヴァ役のファニー・アルダンは、ぞくぞくするほど魅力的。妖艶さを放っていた「リディキュール」とは別の、さばさばした姉御肌の自立した女性を好演した。アンドレ役ジャック・ガンブランの軽やかで華やかな演技も忘れ難い。

 自由に自分らしく生きることを肯定した映画に見えるが、しかしながら「愛」がすべてを丸くおさめるという楽観主義ではスパイスがなさすぎる。過酷な現実を、うまくまとめる必要はない。口紅を塗るエヴァの男の子に、アンドリアンが「息子はゲイにしないぞ」と言って笑い合うラストもウイットに乏しく、映画を浮わつたものにしている。

 最後に見逃せないシーンについて。唐突にHIV検査を取り上げているが、同性愛者=HIVの危険性という根強い差別を増長する場面であり、あまりにも配慮 が欠けていると思う。


「百合の伝説」の画像です

 Lilies 

1996年作品。96分。カナダ映画。配給パンドラ。監督ジョン・グレイソン(John Greyson)。脚本ミシェル・マーク・ブシャルド。撮影監督ダニエル・ジョビン。衣装リンダ・ミューア。編集アンドレ・コリヴュー。作曲マイケル・ダンナ。美術監督サンドラ・キバルタス。少年シモン=ジェイソン・カデュー、少年ヴァリエ=ダニー・ギネモア、少年ビロドー=マシュー・ファーガソン、ド・ティリー伯爵夫人=ブレント・カーヴァー、ビロドー司教=マーセル・サポーリン、シモン=オーバート・パラッシオ、リディアンヌ=アレクサンダー・チャップマン、ミシェル神父=イアン・D・クラーク、ティモシー=ゲイリー・ファーマー

 修道院での美少年たちの愛憎劇と、時を置いた刑務所内での復讐劇を交錯させた「百合の伝説」は、エイズをテーマにしたドタバタ・ミュージカル「ゼロ・ペイシェンス」に比べ、メジャー路線を狙った作品だ。才気走った趣向を凝らしてはいるものの、同性愛の悲劇という古典的な構図に収れんされジョン・グレイソンらしくない。

 告解室の窓から見える劇が少年の日々の場面に変わり、そして一気に広い世界へと開かれていく見せ場も、ピーター・グリーナウェイならもっと巧みに演出しただろうと思えてしまう。多くの評論家が賞賛している女性役を含むすべてを男性が演じるというアイデアも、囚人達だからという消極的な設定の域を出ていないのではないか。わくわくするようなキャスティングの妙は感じられなかった。


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