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TOKYO FIST

1995年製作。87分。製作・配給海獣シアター。監督・脚本・撮影・証明・美術監督・編集塚本晋也。音楽石井忠。津田義春塚本晋也、藤本ひずる藤井かおり、小島拓司塚本耕司。輪島功一、六平直政、竹中直人、田口トモロヲ、叶岡伸

塚本晋也監督は、確立した独自の映像文体を持った監督だ。ボクシングを中心に据えながら、身体破壊=身体再生をめぐる塚本美が全編を支配している。出だしからのハイテンションは、バランスの良い静的な映像をはさみつつ、ラストに向かって爆走していく。今回は珍しく女性も前面に出ている。

痛みを媒介にしながら、身体を実感するというテーマは、それほど目新らしいものではないが、石井忠の音楽と共振しながら針のような映像が深部まで刺さり込んでくる。都市と身体の屈折した関係を映像的につかもうとする姿勢も伝わってきた。

男女の三角関係とボクシング、ピアッシングを結び付ける発想は面白い。しかし、ピアッシングの方がボクシングほど突き詰められていないのは残念だ。ファキール・ムサファーのように、あるいはさらに極限まで身体を変形していく試みがほしかった。また、痛みの表現では「ヘルレイザー」(クライム・バーガー監督、87年製作)や「バタリアン・リターンズ」(ブライアン・ユズナ監督、93年製作)の方が、鋭いといえる。塚本監督の感性は、身体破壊、身体加工よりも、むしろ融合、ハイブリッド化を志向しているのだろう。

最後に、いくぶん自虐的な演出を加えたコミック・スプラッター的な遊びを用意しているところが、また魅力である。



TOY STORY 

1995年製作。81分。完成作品総メモリー500GB。配給ブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパン。監督ジョン・ラセッター。音楽ランディ・ニューマン。美術ラルフ・シングルトン。製作総指揮スティーブン・ジョブス

良くできている。世界初の3Dフル・コンピューター・グラフィックス・アニメーションという話題性に溺れずに、全編を通じてディズニー映画の職人芸と優しさがあふれている。さまざまな人形キャラクターの描き分けも見事。ラストに向かって徐々にスピードを上げていく演出も巧みだ。

「ベイブ」は動物の視点から人間を見つめていたが、「トイ・ストーリー」はおもちゃの視点で子供たちの移り気や残酷さを見つめている。おもちゃを破壊する、敵役のシド少年が作り上げたフリーク・トイのデザインは、子供の無邪気さと悪意を象徴していて、秀抜。彼等がカウボーイ人形ウッディの呼びかけで、シド少年を脅かしに行くシーンはティズニー版の「フリークス」だろうか。

「マスク」「ジキル博士はミスハイド」など、人間のアニメ化が盛んになる一方、人形たちに人間らしい息吹を吹き込む技術としてもコンピューターは力を発揮する。もう垣根はない。生物と無生物。人間と動物。そんな壁を軽々と乗り越えて、主人公がさまざまな視点から世界を体験する、今度はそんな映画をみてみたい。



(ハル)

1996年製作。配給東宝。企画・製作鈴木光。脚本・監督森田芳光。撮影高瀬比呂志、美術小沢秀高、音楽野力奏一・佐橋俊彦。ほし深津絵里、ハル内野聖陽、ローズ戸田菜穂、ハルの前の恋人山崎直子

森田監督は、「家族ゲーム」や「キッチン」などで新しい人間像、新しい人間関係を描いてきた。しかし、今回はパソコン通信という新しいテーマを選びながら、古めかしい結末に導いてしまった。映画フォーラムで知り合った(ハル)と(ほし)は、自分の気持ちを率直に打ち明けていくうちに親密になり、やがて直接会いたくなる。これでは、二昔前のペンフレンドと同じではないか。

インターネツトを舞台にすれば違う展開になったのではないだろうか。ハルはアメフト、ほしはコンパニオンや図書館員など様々な職業の体験談やおかず紹介、ローズはHな女の子のページを公開して人気を集めている。共通の趣味である映画のページに張られていたリンクをきっかけにメールの交換が始まる・・・。

スクリーンで延々とチャットやメールのテキストを見せられるよりも、各自の個性的なホームページを写しだし、交際や仕事の変化とともに、ホームページが変わっていく姿を追う方が、ずっと映画的に面白かったはずだ。

ただ、個々人の孤独を静かに表現した映像センス、配役の妙は認める。また、新幹線と地上で一瞬出会った時にお互いがビデオを撮るシーンやそのビデオ映像の挿入の仕方のうまさは、さすがだった。

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