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蒼い記憶

1995年作品。99分。提供グラマシー・ピクチャーズ。製作ジョン・ハーディ。監督スティーブン・ソダーバーグ。原作ドン・トレーシー。撮影エリオット・デイビス。音楽クリフ・マルチネス。マイケル・チェンバース=ピーター・ギャラガー、レテチェル=アリソン・エリオット、トミー=ウイリアム・フィクナー

ソダーバーグ監督の新作。「セックスと嘘とビデオテープ」「KAFKA/迷宮の悪夢」と、人間の深層心理とコミュニケーションの問題にこだわり続けてきたが、「蒼い記憶」には、その切実な問いかけが希薄だ。テクニックに走りすぎ、底の浅い映画になってしまった。

確かに映像的な試みは注目に値する。記憶の断片や不安な意識の流れを表現しようという意図は理解できる。しかし、それらは映画的な必然性があって初めて光るものであって、人間造形が甘い平凡なストーリーの中では魅力も半減する。思い切って、現金強奪のシーンから入リ、記憶や意識の編集を行なった方が良かったのではないか。取って付けたようなラストの落ちも理解できない。

評価できるのは、クリフ・マルチネスの音楽。この繊細な響きによって、作品全体がかろうじて支えられているといっても過言ではない。


DEBESO

1996年作品。103分。提供ビジョンスギモト・ワニブックス。製作=横内正昭・椙本英雄。監督=望月六郎。原作=矢野浩祐。脚本=佐伯俊道。音楽=竹村次郎。撮影=石井浩一。出演=片岡鶴太郎、川上麻衣子、西尾悦子、立原友香、寺田農、清水ひとみ

軽いコメディかと思っていたが、やくざの支配から自立しようとするストリップ劇団の壮絶なドラマ。戦争の傷を色濃く引きずる1950年の世相を取り込み、見応えのある作品に仕上がっている。「戦争よりボボたい」という言葉が、当時を象徴する。

ストリップいう職業に対する差別、その中で生きていく女性たちの姿を在日朝鮮人問題も絡めながら、丁寧に描いていく。その視線はシリアスながら、暖かさを失わない。川上麻衣子の演技は、女優として腰のすわった感じ。一皮も二皮もむけた。西尾悦子も伸び伸びと演技しながら、境遇の薄幸をにじませている。

ストリップ劇団は、各地を巡業していくが、時間が経つに連れて起こるであろう内部対立、いがみ合いがほとんど描かれていないのは、やや理想主義的かもしれない。ただ、片岡鶴太郎がうまく皆をまとめているという説得力はある。最後の解散もさわやかだ。掘り出しものの一本だ。


KYOKO

1995年作品。アメリカ=日本合作。100分。配給デラ・コーポレーション。製作総指揮ロジャー・コーマン。製作ミヤコ・エジリ、リュウ・ムラカミ。監督・脚本・原作リュウ・ムラカミ。撮影サラ・コーリー。音楽NG・ラ・バンダ/オルケスタ・アラゴン/セブテット・ナショナル。キョウコ=高岡早紀、ホセ=カルロス・オソリオ、ラルフ=スコット・ホワイトハースト

村上龍の映画には、いつも期待を裏切られてきたが、「KYOKO」は予想をはるかに上回る作品だった。監督村上龍の誕生と言っていい。これまでの映画につきものだった冗長さがなく、音楽に映像が乗ってテンポ良く進んでいく。よけいなシーンがなく、すっきりと仕上がっている。そして、 HIV感染者の取り上げ方をはじめ、さりげない一つひとつのエピソードにも、豊かな海外経験と鋭い時代感覚が出ていた。

高岡早紀がすばらしい。「忠臣蔵外伝 四谷怪談」での各映画賞受賞は疑問だったが 今回は文句の付けようがない。しなやかにさりげなく自立した女性という難しい役を演じ切った。この映画にリアリティを与えたのは、まさに彼女の存在感だ。


FAIR GAME

1996年作品。90 分。配給ワーナー・ブラザーズ映画。製作ジョエル・シルバー。監督アンドリュー・サイプス。原作ポーラ・ゴズリング。脚本チャーリー・フレッチャー。製作総指揮トーマス・M・ハーメル。撮影リチャード・ボーウィン。美術ジェームズ・スペンサー。マイク=ウィリアム・ボールドウィン、ケイト=シンディ・クロフォード、カザク=スティーヴン・バーコフ

 基本的には、シンディ・クロフォードの映画デビュー作という話題だけの作品。告訴社会、カード社会に対するかすかな皮肉をにじませた以外は、娯楽に徹し、理不尽なまでの破壊シーンの連続。しかし「そんな動機でここまでやるか」という疑問は、派手な爆破シーンでもふき飛ばなかった。

知性、強靭、セクシー。シンディ・クロフォードは、映画の中でもその魅力を発散させている。これからも、出演作は増えるだろう。いつのまにか、やたらに強い女優ばかりが目立つようになった。一方、ダメ男が主流の中で、ウィリアム・ボールドウィンは、すご腕の刑事をそつなく演じている。


ロスト・チルドレン

1995年作品。1時間53分。製作:クローディ・オサール・プロダクション+コンステェレーション・プロダクション+リュミエール+スタジオ・カオル+フランス3シネマ。プロデューサー:クローディ・オサール。配給:エースピクチャーズ。 監督:ジャン・ピエール・ジュネ。美術監督:マルク・キャロ。脚本:ジル・アドリアン、ジャン・ピエール・ジュネ、マルク・キャロ。撮影:ダリウス・コンディ。美術:ジャン・ラバス。衣装:ジャンポール・ゴルチエ。ワン:ロン・パールマン、ミエット:ジュディット・ビッテ、潜水夫、博士、クローン:ドミニク・ピノン、クランク:ダニエル・エミルフォルク

ジュネ&キャロの新作「ロスト・チルドレン」は、前作の皮肉なカニバリズム映画「デリカテッセン」に比べ、ファンタジックなイメージがより鮮明になり、登場人物の輪郭もすっきりし、キッチュな色彩も確立されたように思う。その道化的表現から、フェリー二を引き合いに出す批評もあるが、むしろ寺山修司に近い感性を感じる。ヨーロッパで生まれた寺山修司。その雰囲気の独自性は、高く評価されていい。

しかし、おとぎ話とはいえ、無垢な醜男と美少女が子供たちを救出するというストーリーは、あまりにも紋切り型過ぎるのではないか。また「夢を見る力」、イマジネーションの大切さというメッセージは、ミヒャエル・エンデの焼き直しでしかないだろう。

とはいっても、その映像の魅力は否定されるものではない。随所に散らばっている悪ふざけは健在。クランク役のダニエル・エミルフォルクは、ワン役のロン・パールマンを完全に超えた怪演ぶりを見せた。さらに実写とCG の合成も見事。夢のシーンで使われるモーフィングは実に効果的だ。 フランス映画史上で最も特撮を多用した作品だが、完全にジュネ&キャロの世界に溶け込み、そのビジュアル化に貢献している。フランス映画の底力を感じさせられた。


CASINO

1995年度作品。2時間59分。デ・フィーナ=キャッパ・プロダクション/UPI配給/ユニヴァーサル映画。監督マーティン・スコセッシ。製作バーバラ・デ・フィーナ。脚色ニコラス・ビレッジ&マーティン・スコセッシ。サム・"エース"・ロススティーン=ロバート・デ・ニーロ、ジンジャー・マッケンナ=シャロン・ストーン、ニッキー・サントロ=ジョー・ペシ、レスター・ダイアモンド=ジェームズ・ウッズ

マーティン・スコセッシ監督の新作「カジノ」は、ラスベガスのカジノを舞台にした「グッド・フェローズ」といった味わいだ。ベテラン監督らしく登場人物を巧みに描き分け、3時間を飽きさせない。

サム・"エース"・ロススティーンが自動車のキーをひねると大爆発が起こり、バッハのマタイ受難曲が響く冒頭のシーンは、わくわくさせられたが、見終わってそれほどの深い感動は得られなかった。タルコフスキー監督の遺作「サクリファイス」の冒頭に流れるマタイ受難曲は映画のテーマを見事に表現していたが、スコセッシ監督の意図は良く理解できなかった。70年代のヒット曲もぎっしりと挿入されていたが、映像との関連がはっきりしないものや逆にはまりすぎの選択で、しっくりと受け入れられなかった。とても、懐かしくはあったが。

注目のシャロン・ストーンは、確かにデニーロ、ペシといった俳優とほぼ互角に張り合ってはいるものの、演技派というには今一歩。もう一皮むけることを期待したい。ただし、さまざまな衣装の着こなしはなかなか見応えがあった。

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