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 Faust 

「ファウスト」の画像です
1994年作品 。チェコ映画。97分。監督・脚本ヤン・シュワンクマイエル。撮影スヴァトプルク・マリー。美術監督エヴァ・シュワンクマイエロヴァ。アニメーション=ベドジフ・ガラセル。編集マリエ・ゼマノヴァー。音響イヴォ・シュパリ。プロデューサー=ヤロミール・カリスタ。声アンドリュー・サックス。出演=ペットル・ツェペック、ヤン・クラウス

 民間伝説を踏まえ、これまでの「ファウスト」解釈にも目を配りながら、監督らしい巧みな換骨奪胎によって、ファウストの欲望が現代の日常性と陸続きになる。実写を基本にしつつ、粘土人形、コマ撮り特撮など、随所にこれまでの作品でみせた技術が生かされているので、集大成との評価もある。確かに緻密な仕上がりだ。

 ただし、短編のようなドキリとする鋭さはない。「あやつる者とあやつられる者の相互転換」というメッセージはあるものの、私には監督らしい現代に対する生々しい批評、毒のある笑いが、それほど感じられなかった。

 今回公開された短編「フード」「肉片の恋」「フローラ」や以前上映された「対話の可能性」「男のゲーム」などの濃厚なブラックユーモアこそ、この監督の魅力的な持ち味だと思う。


「カーマ・スートラ」の画像です

 Kama Sutra 

1996年作品 。イギリス・インド合作映画。115分。監督ミラ・ナイール。脚本ヘレナ・クリエル、ミラ・ナイール。美術マーク・フリードバーグ。撮影デクラン・クイン。衣装エデュアルド・カストロ。編集クリスティーナ・ボーデン。音楽マイケル・ダンナ。製作総指揮ミチヨ・ヨシザキ。マヤ=インディラ・ヴァルマ、タラ=サリター・チョウドリー、ジャイ・クマール=ラモン・ティカラム、藩王ラジャ・シン=ナヴィーン・アンドリュース、ラサ=デヴィ・レカ

 ストリート・チルドレンの世界を描いた「サラーム・ボンベイ」で注目されたミラ・ナイール監督の新作。16世紀のインド宮廷を舞台に、女性の自立を描いている。インド的な官能に満ちあふれた展開。女性の視点でこれほどセックスを正面から描いたインド映画は珍しいのではないか。主人公インディラ・ヴァルマの凛とした美しさが、映像を輝かせている。

 カーマ・スートラ。映画ではその技法が王への復讐のために使われる。しかし、むしろ男女が対等になり、身体的に豊かになるための生の技法として、読み替えるべきではないか。「カーマ・スートラ」は、それが可能な両義的な書物である。映画では、その技法が手段の域を脱していなかったのが残念だった。

 ストーリー展開には、随所に荒さが見える。人物造形も部分的に無理がある。なかでも王によって恋人を象に踏みつぶされながら、それをすぐに受け入れて「心は青空のように澄みきっている」 は、いくら何でもないだろう。

 「カーマ・スートラ」は性愛の技法を使って、男女間の支配関係を逆転させていく物語だが、5月11日に自主上映された「戦士の刻印」(プラティバ・パーマー監督)は、家夫長制維持のために女性を生殖の道具と位置付ける習慣「女性性器切除」を取り上げたドキュメンタリーである。拷問と呼ぶにふさわしい慣習だが、今も世界的に続いているという。その「信じられない」実態から、女性の置かれている現実が見えてくる。家夫長制の問題は、けっして他人事ではない。


 RIDICULE 

「リディキュール」の画像です
1996年作品 。フランス映画。102分。監督パトリス・ルコント。脚本レミ・ウォーターハウス。台詞レミ・ウォーターハウス。音楽アントワーヌ・デュアメレ。撮影ティエリー・アルボガスト。編集ジョエル・アッシュ。美術イヴァン・モシヨン。衣装クリスチャン・ガスク。ポンスリュドン=シャルル・ベルリング、ベルガルド侯爵=ジャン・ロシュフォール。ブラヤック伯爵夫人=ファニー・アルダン、マチルド=ジュディット・ゴドレーシュ。ヴィルクール神父=ベルナール・ジロドー。モンタリエリ氏=ベルナール・デラン

 ルコント監督は、エスプリに浸らない。新作「リディキュール」 は貴族界の華やかさとエスプリ、権謀術策を巧みに描くとみせて、実はその世界の限界を鮮やかに示す佳作。それは、コスチューム劇に見とれていた観客への、毒に満ちたユーモアでもある。

 地方貴族のポンスリュドンと中央に君臨するヴィルクール神父。貴族界で権謀術策をめぐらせる屈折したブラヤック伯爵夫人と自然を探究する実直なマチルド。人物対比がとてもいい。そしてベルガルド侯爵がトリックスターとして活躍する。

 当時の貴族界が競争と緊張に満ちた世界であることを丹念に描きながら、 閉ざされた空間での話術を絶対視する世界の危うさを示すことも忘れない。それが、聴覚障害者の手話の豊かさであり、過酷な自然の存在である。ラスト近くでブラヤック伯爵夫人が示す虚ろな表情に、貴族界の脆さが象徴されている。とはいえ、ルコントの描く宮廷はぞくぞくするほど魅力的だった。


「イングリッシュ・ペイシェント」の画像です

 THE 
 ENGLISH 
 PATIENT 

1996年作品 。162分。脚本・監督アンソニー・ミンゲラ。原作マイケル・オンダーチェ。製作ソウル・ゼインツ。撮影監督ジョン・シール。編集ウォルター・マーチ。衣装アン・ロス。音楽ガブリエル・ヤール。アルマシー=レイフ・ファインズ、ハナ=ジュリエット・ビノシュ、カラヴァッジョ=ウィレム・デフォー、キャサリン・クリフトン=クリスティン・スコット=トーマス、ジェフリー・クリフトン=コリン・ファース、キップ=ナヴィーン・アンドリュース、マドックス=ジュリアン・ワドハム

 ラストで、「イングリッシュ・ペイシェント」という題名の重みを、ずしりと感じさせる巧みな展開。謎をはらみながら、さまざまな要素が繊細に組み合わされ、やがて全体が見渡せるようになるジグソーパズルのような快感。交される会話も映像も音楽も、実に端正に仕上げられている。

 物語は第2次世界大戦を背景にアルマシーとキャサリンの苛烈な恋に焦点を合わせてはいるものの、砂漠の古代壁画「泳ぐ人」やヘロドトス、地図を配することで、文明論的な奥行きを醸し出すことに成功している。そして私は、「自分をすきになる人は皆死んでしまう」という看護婦としては絶望的な思いを胸に生き続けるハナとインド人キップの心のふれあいに、手放しで感動した。

  一部に「人間のかおりが薄いので感銘が浅い」という評価があるが、過酷な現実に翻弄される姿を、べたべたせずに乾いたタッチで描いたところに、むしろ品性を感じ取るべきではないか。


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