ブラス!BRASSED OFF |
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1996年作品。イギリス映画。107分。配給シネカノン。 監督・脚本マーク・ハーマン。製作スティーブ・アボット。編集マイケル・エス・エース。美術ドン・テイラー。衣装エイミー・ロバーツ。音楽トレバー・ジョーンズ。演奏グライムソープ・コリアリー・バンド。ダニー=ピート・ポスルスウェイト、アンディ=ユアン・マクレガー、グロリア=タラ・フィッツジェラルド
イギリス・ヨークシャー地方のグ リムリーが舞台。各地の坑山は続々と閉鎖され、グリムリーにも炭坑閉鎖の危機が迫っていた。炭坑で働く男たちによる伝統あるブラスバンド、グリムリー・コリアリー・バンドは、失業の不安を乗り越え、全英選手権決勝大会を目指す。闘う男たちの団結という、ともすれば古臭いストーリーを素晴らしいブラスバンドの響きが盛り上げ、確かな感動を生み出す。「ダニーボーイ」「ウ ィリアム・テル序曲」「威風堂々」などのスタンダード・ナンバーが、こんなに新鮮に聞こえるとは。圧倒的な体験だった。
働く男たちの表情がいい。困難に打ちのめされながらも「音楽」という支えを、しっかりと握り締めている。その妻たちの瞳も輝いている。ピート・ポスルスウェイトが頑固な指揮者ダニーを渋く演じ、アンディ役ユアン・マクレガーは「トレインスポッティング」とは別の青年像、恋人と男の友情の間で悩む実直な青年を好演している。甘い結末を指摘するよりも、 涙を流させた音楽の魅力に素直になろう。
THE POSTMAN |
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1997年作品。アメリカ映画。176分。配給ワーナー・ブラザース映画。監督ケビン・コスナー(Kevin Cosner)。脚本エリック・ロス、ブライアン・ヘルゲランド。原作デイビッド・ブリン。撮影スティーブン・ウィンダン。美術アイダ・ランダム。編集ピーター・ボイル。音楽ジェイムズ・ニュートン・ハワード。ポストマン=ケビン・コスナー、ベスリヘム=ウィル・パットン、フォード=ラレンツ・テイト、アビー=オリビア・ウイリアムズ
戦争によって国家が崩壊した近未来。マスメディアはおろか電話も通じなくっている。手紙も届かない。人々は西部劇のような衣服をまとい、小さな集落に分散して生活しているが、人種差別主義を貫く独裁集団が村からの略奪を続けている。「風の谷ナウシカ」みたいに、今から1,000年後というのならまだ許せるが、15年後の2013年という荒唐無稽な設定には恐れ入る。
ケビン・コスナーは、大掛かりな舞台を好むようだ。郵便配達人が人々をつなぎ、独裁者に立ち向かっていくというストーリーにリアリティを持たせるにはかなり丁寧な構成が必要だ。しかし力量が伴わないので、目を覆いたくなるような作品になる。「ダンス・ウイズ・ウルブズ」には自己批判的な姿勢があったが、今回は西部劇の延長線上に安直な国家が展望されているだけだ。そこに未来はない。
SADA |
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1998年作品。日本映画。132分。配給=松竹。監督=大林宣彦。原作・脚本=西澤裕子。プロデューサー=大林恭子。撮影=坂本典隆。美術=竹内公一。音楽=學草太郎。阿部定=黒木瞳、岡田征=椎名桔平、喜久本龍蔵=片岡鶴太郎、喜久本よし=根岸季衣、阿部いと=赤座美代子、阿部卓造=三木のり平、立花佐之助=ベンガル、信吉=石橋蓮司、滝口=嶋田久作、とき=入江若葉、宮崎利三郎=坂上二郎
阿部定にハンセン氏病の恋人がいたー。定の思春期のトラウマから例の事件への流れを描こうとしたものの、空回りしたまま終わった。ギャグは下品で外しっぱなし。観ているこちらが恥ずかしくなった。いつもは、みずみずしさをたたえた映像を編み出す大林監督らしさがない。だいたい、黒木瞳に14歳の定役をやらせたことが間違いだった。ここで大いにしらけた。
男女の欲望を正面から描いた大島渚監督の「愛のコリーダ」を意識しすぎたのだろうか。斜に構えた映像の遊びが多く、かえって一つひとつの仕掛けが生きていない。コミカルさを狙うなら、正面から取り組むべきだ(「愛のコリーダ」のゆで卵のシーンのように)。最後に定も刑事も笑っている逮捕時の不思議な写真が出てくるが、大林監督なら有名な写真をただ紹介するのではなく、あの笑いの意味を映画のワンシーンとして、時代背景を匂わせながら巧みに演出できたと思うのだが。
MARQUISE |
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1997年品。フランス=イタリア=スイス=スペイン合作。120分。配給セテラ。監督ヴェラ・ベルモン。脚本ジャン=フランソワ・ジョスラン、ヴェラ・ベルモン、マルセル・ボリュー。音楽ジョルディ・サヴァール。撮影ジャン=マリー・ドルージュ。美術ジャンニ・クワランタ。衣装オルガ・ベルルーティ。マルキーズ=ソフイー・マルソー、モリエール=ベルナール・ジロドー、ラシーヌ=ランベール・ウィルソン、グロ・ルネ=パトリック・ティムシット、ルイ14世=ティエリー・レルミット、ラ・ヴォワザン=アネモーヌ、リュリ=レモ・ジローネ
自立した俳優を目指したマルキーズの短い情熱的な生涯を描いたものの、脚本のきめの荒さが気になった。モリエールもラシーヌも紋切り型の仮面を剥がすだけで人物に深みがない。17世紀フランスの薄汚れた民衆の描き方も、視線の高さが鼻につく。マルキーズは、貧しい大道芸人の娘だから、知識はないはず。しかし、どういうわけか詩を読み上げ、貴族と渡り合うまでに突然成長する。どう考えても不自然だろう。
ソフイー・マルソーは、一途なマルキーズを熱演している。溌溂としたしぐさ、意志の強さは彼女の魅力だ。ただ、ラシーヌの裏切りであっさり死を選んでしまうまでの苛烈な情熱には、あと一歩届いていないように思う。ジョルディ・サヴァールの音楽も「めぐり逢う朝」ほどには心を揺さぶらなかった。
THE END OF |
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1997年。ドイツ映画。122分。配給=松竹富士。監督ヴィム・ヴェンダース(Vim Wenders)。脚本ニコラス・クライン。撮影パスカル・ラボー。美術パトリシア・ノリス。編集ピーター・プルジゴッダ。マイク・マックス=ビル・プルマン、ペイジ・ストッカード=アンディ・マクダウェル、キャット=トレーシー・リンド、レイ・ベーリング=ガブリエル・バーン、秘書クレア=ロザリンド・チャオ
ヴィム・ヴェンダースの映像の艶に、うなった。ハリウッド映画の暴力や都市の精密な監視システムへの批判は、今さらの感があるが、映像の力には引きずり込まれてしまう。とりわけ孤独に苦しむアンディ・マクダウェルの表情が官能的で美しい。トレーシー・リンドとロザリンド・チャオもなかなかのオーラを放っていた。それに対して男達はどこか影が薄い。
「ベルリン天使の詩」以降のヴェンダースは、冷戦終結後の世界で迷い続けている印象があった。「夢の涯までも」には、監督のストレートなうめきが込められていた。「エンド・オブ・バイオレンス」を観て、やっと大地に足を下ろす決意を固めたように思った。紋切り型に近い足場ではあるが。しかし、ラストになって躊躇したように判断を中止して浮き上がり、ふいに高みに登ってしまった。天使はもういないはずだ。
GOOD WILL |
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1997年作品。アメリカ映画。127分。配給=松竹富士。監督ガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)。脚本ベン・アフレック&マット・ディモン。音楽ダニー・エルフマン。編集ピエトロ・スカリア。美術メリッサ・スチュワート。撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエ。ショーン・マクガイア=ロビン・ウィリアムス、ウィル・ハンティング=マット・デイモン、チャッキー=ベン・アフレック、ランボー=ステラン・スカルスゲールド、スカイラー=ミニー・ドライヴァー、モーガン=キャセイ・アフレック
心に傷を持つ天才青年が、セラピストの力で心を開いていく。あらすじだけを書くと、全身がかゆくなりそうだが、若さと熟成が調和したすがすがしくて緻密な脚本が物語を自然に盛り上げ、違和感を抱かせない。クライマックスでマクガイア(ロビン・ウィリアムス)が繰り返し「君は悪くない」とハンティング(マット・デイモン)に話すシーンでは、自分もマクガイアの胸で泣き崩れたくなったほどだ。
ただ、終始気になったのはハンティングの天才ぶり。数学的なひらめき、解析力と抜群の記憶力を合わせ持つというのは、希有のことだろうが、マット・デイモンの演技からは、そこまでの才能を感じることができなかった。数学的な才能だけなら納得できたのだが。ラストで職を投げ打って恋人の元に向かったのも芸がない。天才も恋をすれば、ただの人的な結末だった。そんなことはない。本当は、ここから彼の闘いが始まるはずだ。
F |
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1998年作品。 日本映画。102分。配給=松竹、松竹富士。原作=鷺沢萌。脚本=松尾奈津、金子修介。監督=金子修介。撮影=佐々木原保志。音楽=大谷幸。古瀬郁矢=熊川哲也、荻野ヒカリ=羽田美智子、久下章吾=野村宏伸、有加=村上里佳子、片岡京子=戸田菜穂
少女漫画のノリで始まり、最後に熊川哲也のバレエをたっぷり見せ、ハッピー・エンドで締めくくる(怪我直って、あんなにすぐ踊っていいの?)。まさに型通りの展開。金子修介監督の作品としては、食い足りなさが残る。しかし、ラジオのパーソナリティを務めた熊川哲也は、スター性が声にも表われていて、その甘い響きに聞きほれた。ここまでカッコよく決めてしまうとは、予想しなかった。脱帽。ラジオ放送と携帯電話という組み合わせも、なかなか面白い。
古瀬郁矢役(熊川哲也)と荻野ヒカリ(羽田美智子)は、「恋愛において成績がF」ということになっているが、そんなことはない。むしろ、ヒカリの幼馴染みの久下章吾(野村宏伸)や離婚した親友の有加(村上里佳子)の方が「F」だろう。何時までも待ち続けていてくれそうな久下章吾のような存在は、最近の理想の男性像かもしれない。久本雅美の一発芸にも笑えた。それだけと言ってしまえばそれだけだが。
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