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「パトリス・ルコントの大喝采」の画像です

 パトリス・ルコント 

  の大喝采  

1995年作品。86分。監督パトリス・ルコント。製作ティエリー・ガネイ。脚本セルジョ・フリードマン、パトリス・ルコント。台詞セルジョ・フリードマン。編集ジョエル・アッシュ。撮影エドゥアルド・セッラ。美術イヴァン・モシオン。衣装アニー・ペリエ。音楽アンジェリーク&ジャン=クロード・ナション。ジョルジュ・コックス=ジャン・ピエール・マリエル、ヴィクトール・ヴィアラ=フィリップ・ノワレ、エディ・カルパンチエ=ジャン・ロシュフォーレ、カミラ・ミロ=カトリーヌ・ジャコブ、シャピロン=ミシェル・ブラン、ジュリエット=クロティルド・クロー

 96年を締めくくるにふさわしいルコント監督の傑作。そのうまさにあらためて舌を巻いた。ここ数年は、ほとんど年1本のペースで作品を発表しているが、多彩な味付けを加えながら、高い水準を保っている。

 前作『イヴォンヌの香り』では、官能美を堪能させてくれたが、今回は一転してテンションの高いコメディ。売れない老俳優たちが何とか役にありつき奮闘する中で、爆発的な人気を得ていくという底抜けなハッピーエンドが用意されている。不遇を吹き飛ばす老人パワーはすごい。名優たちの絶妙な演技に圧倒され、笑いの渦に飲み込まれてしまった。久しく忘れていた種類の快感だ。

 ジャン・ピエール・マリエル、フィリップ・ノワレ、ジャン・ロシュフォーレたちの存在感あるコミカルな演技はさすがだが、その中にあってカミラ・ミロ役のカトリーヌ・ジャコブの的確な演技、発散するエネルギーはけっしてひけをとらなかった。ジュリエット役のクロティルド・クローも抜群に可愛らしい。


 
「インデペンデンス・デイ」の画像です

 INDEPENDENCE 

  DAY 

1996年作品。145分。監督ローランド・エメリッヒ。製作・脚本ディーン・デブリン。撮影カール・ウォルター・リンデンラウブ。編集デイビッド・ブレナー。音楽デイビッド・アーノルド。衣装デザイナー:ジョセフ・ポロ。スティーブン・ヒラー大尉=ウィル・スミス、ホイットモア大統領=ビル・プルマン、デイビッド=ジェフ・ゴールドブレム、マリリン=メアリー・マクドネル、ジュリアス=ジャド・ハーシュ

 50年代の地球侵略B級SF映画のストーリーを巨万の製作費と最新のSFXを駆使して作り上げた作品。コンピューターウイルスという近年流行のアイデアを盛り込んではいるものの、はるか宇宙の果てからやって来た宇宙人が地球人と全く同じ仕組みのコンピューターを使っているという点は、50年代と変わらない脳天気さだ。

 露骨なアメリカ中心主義も許し難い。一部でアメリカ絶対視に対するパロディという批評があるものの、どうみても距離を置いて笑いとばしているとは思えない。「アメリカ万歳」だからこそ、あれだけの観客が集まったのだ。世界はアメリカの主導の下で宇宙人と戦い、国連の「こ」の字も出てこない。

 何よりも何故宇宙人が襲撃してきたのかが分からない。大統領だけが宇宙人の言葉と侵略の意図を分かったのも解せない。宇宙船が地球人に簡単に操縦できたのも不可解。高度な技術を持ち戦いを繰り返してきたはずの巨大な宇宙船が極めてもろい構造をしていたことが不思議。挙げていけば切りがない。ヤレヤレ。

 同じB級SFなら、フイリップ・K・ディック原作の「スクリーマーズ」(クリスチャン・デュゲイ監督)の方が、はるかにインパクトがある。長引く戦争のなかで兵士たちは、人間の姿をした殺人兵器・スクリーマーズとの不条理な戦いを強いられていく。混沌、恐怖、疲弊の描写は見事だ。ラストはやや甘すぎるものの、人間のアイデンティティを問うディック的なテーマは、今も切実さを失ってない。


「世にも憂鬱なハムレットたち」の画像です

 世にも憂鬱な 

 ハムレットたち 

1995年作品。100分。監督・脚本ケネス・ブラナー。製作デビッド・バロン。撮影監督ロジャー・ランサー。編集ニール・ファレル。プロダクション・デザイナー:ティム・ハーベイ。ジョー・ハーパー=マイケル・マロニー、ヘンリー・ウェイクフィールド=リチャード・ブライアーズ、バーノン・スパッチ=マーク・ハッドフィールド、トム・ニューマン=ニック・ファレル、カーンフォース・グレビル=ジェラード・ホーラン、テリー・デュボワ=ジョン・セッションズ、ファッジ=セリア・イムリー、モリー=ヘッタ・チャーンレイ、ニーナ=ジュリア・ソワルハ、マージ=ジョーン・コリンズ、ナンシー・クロフォード=ジェニファー・ソンダース

 この映画は隠れたクリスマス映画である。見終わって明りがつくと、クリスマス・イブに感じる温かな雰囲気が劇場に満ちていた。良い映画を観た後の幸せな表情が目立った。ケネス・ブラナー監督の才気を感じさせる逸品。35歳。これまでに製作した作品を眺めると、天才という言葉が恥ずかしくない活躍ぶりだ。

 今回は、旧知の俳優を起用し自分は監督に徹した。売れない役者たちが、それぞれの思いを胸に「ハムレット」の上演に向けて協力し、あるときは反目する。喜劇仕立てながら、演出家、俳優の本質的な苦悩が伝わってくる。「ハムレット」という重い芝居が、役者たちのコミカルだが切実な生き様を引き立たせる。現在の映画界への皮肉をさりげなく盛り込みつつ、最後は見事なハッピーエンド。真面目なブラナー監督の優しさに、あらためて感動した。


 
宮沢賢治物語の画像です

 わが心の銀河鉄道 

  宮沢賢治物語 

1996年作品。111分。監督:大森一樹。企画:佐藤雅夫。脚本:那須真知子。撮影:木村大作。音楽:千住明。美術:松宮敏之。編集:荒木健夫。宮沢賢治=緒形直人、宮沢トシ=水野真紀、保坂嘉内=椎名梏平、藤原嘉藤治=袴田吉彦、宮沢清六=原田龍二、畠山校長=森本レオ、宮沢クニ=大沢さやか、宮沢イチ=星由里子、宮沢政次郎

 作家の伝記ものは、映画化がなかなかに難しい。とりわけ宮沢賢治という多面的な人物を描くことは至難の技だ。この作品は、気張らずにさりげない配慮を積み重ねることで、賢治の天真爛漫さや温かさ、そして友情を描くことに成功している。

 ただ、宇宙的な深さを持つ想像力と辛辣な現実凝視という賢治の希有な才能に迫るまでには至らなかった。この点は、実写では困難だろう。時折挿入されたアニメーションを、もっと賢治の世界の広がりを表現するシーンにつなげてほしかったと思う。

 今年は宮沢賢治生誕100年ということで、企画が目白押しだった。 多くはお祭り騒ぎの域を出なかったが、世界戦争の時代という観点からニーチェやバタイユとの関係性をさぐる試みが本格化してことは収穫だった。


ファーゴの画像です

 ファーゴ 

1996年作品。98分。配給アスミック=シネセゾン。監督・脚本ジョエル・コーエン。製作・脚本イーサン・コーエン。撮影ロジャー・ディーキンズ。衣装メアリ・ゾフレス。音楽カーター・バーウェル。編集ロデリック・ジェインズ。マージ・ガンダーソン=フランシス・マクドーマンド、カール・ショウォルター=スティーヴ・ブシェーミ、ジェリー・ランディガード=ウィリアム・H・メイシー、ゲア・グリムスラッド=ピーター・ストーメア、ウェイド・グスタフソン=ハーヴ・プレスネル、ノーム・ガンダーソン=ジョン・キャロル・リンチ、シーン・ランディガード=クリスティン・ルドリュード

 この作品は、コーエン兄弟が私たちに向けたブラック・ジョークなのだろうか。偽装誘拐を計画したところから、犯罪が犯罪を呼び、おびただしい殺人が行なわれる。どの登場人物も一癖あり、人間関係がぎくしゃくしている。そんな中、妊娠中の警官・マージは、独力で事件を解決しラストで夫とともに出産を待ち望む。めでたし、めでたし。ただし、妊娠している警官を殺人事件の担当にするか?と、考えてしまうと、すべてがガラガラと崩れてしまう。

 ストーリー自体は、さして独創性のあるものではないが、冷たさと温かさ、シニカルさとコメディタッチ、血の赤と雪の白の調和、そして計算された構図と配色は高い水準にある。的確な配役と「ヤー、ヤー」の挨拶をはじめとする会話のリズムの妙も、付け加えなければならない。まとまりの良さは、これまでで最高ではないか。

 しかし確かにうまいのだが、見終わったときの湧き立つような感動がない。見せ場のはずの死体をチップ化するシーンが、あまりにもさりげなさ過ぎた。こんなところを抑制するなら、むしろラストの会話の陳腐さに気付いてほしかった。 「未来は今」のようなひどい出来ではないが、「バートン・フィンク」の何ともいえない後味には及ばない。


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